9.11~アメリカを変えた102分~

 昨日は 9 月 11 日。つまり 2001 年にアメリカ同時多発テロ事件があった日だった。事件後しばらくは、毎年この日になると「9.11」を振り返るテレビ番組をやっていたものだが、その後アメリカの政治の方向性がおかしくなってイラク戦争やらが起きたという嫌な思い出を忘れたいからか、それともその後のリーマンショックの方が今となってはよっぽど重大事件だからなのか、年を経るごとにそういう番組は少なくなってきて、今年なんかも日本のテレビ局ではあまりそういう番組は見当たらなかった。

 そんな中、アメリカに本社を置く「ヒストリー・チャンネル」では、地味に「9.11 特集」をやっていて、その手の番組にはぼくも食傷気味だったのであまり期待もせずに録画したのだが、予想外に面白かった番組があった。それが「9.11~アメリカを変えた102分~」である。

 これは簡単に言えば、9.11 の日に現地にいた一般人が撮影したビデオ映像を収集してつなぎ合わせ再編集したものにすぎないが、その再編集の仕方に一つだけ仕掛けがある。それは、あらゆる映像が実際の事件の経過にあわせて時系列に並べられているということだ。しかも時間スケールの伸縮もほとんどない。

 つまり、番組開始直後には、2001 年 9 月 11 日 8:46 頃の WTC 衝突直後の映像が流れ、番組開始 1 時間後ぐらいには、9:59 頃の南棟崩落時の映像が流れ、番組開始 1 時間半後には、10:28 頃の北棟崩落時の映像が流れる、という具合になっているのだ。したがって、観ている者はまるで事件をリアルタイムで体験しているような雰囲気を味わえる。

 こうやって説明してしまうと単純な仕掛けに思えるかもしれないが、実際に観てみると意外にいろんな発見がある。現場にいた人にとっては、WTC に飛行機が突っ込んだこととだけでなく、崩落したことも驚きだったこと。だから南棟崩落以前は、多くの人が崩落を前提とせずに行動していたこと。南棟が崩落してから北棟が崩落するまでの間に救助に当たっていた消防隊員がどれだけギリギリの状況で命がけの救助をしていたかということ。南棟崩落時点で、すでに「戦争をすべきだ」というようなぶっそうな発言をしている一般人がたくさんいること。かと思うと、あれだけ緊迫した状況のなかでもとぼけたジョークを飛ばしたりしているおっさんがいること。

 解説のテッシーこと手嶋龍一氏も言っていたが、通常のドキュメンタリーでは、事件に意味付けをするために、時系列に起こった事件をなんらかの文脈に基づいて再構成する。そのようなドキュメンタリーがたくさん作られることにより、事件がいろんな角度から多角的に意味付けされることになっている。そうやってぼくらは事件の「意味」を理解したつもりになる。

 ところがこの作品でやっていることはその正反対で、すでにありとあらゆる角度から、ある意味過剰に意味づけられた 9.11 という事件を、その意味付けの文脈から切り離して単純な時系列に戻しているのである。すると不思議なことに、そのような過剰な意味付けによって逆に見え難くなっている、事件のさまざまな様相が見えてくる。そして、ぼくらが普段どれほど意味の文脈に頼ってものを見ているかということや、どんなに多角的な文脈から意味付けしても取りこぼされるものがあるということを、改めてぼくらに気づかせてくれるのである。

 ハイデガーの言葉で言えば、ぼくらは常に世界を「配慮的気遣い」を通じて認識しているため、世界は「道具的存在」のような意味を持った存在として認識される。このようななにかの目的のためにモノを見るのではなく、見ること自体を目的としてモノを見ることを可能にするのが芸術の役割の一つである、というのは例によって山崎正和氏の受け売りだが、そのような立場にたてば、この作品は正しく芸術であると言えよう。

 この番組は、今月中に後 3 回くらいヒストリー・チャンネルで再放送されるようなので、興味をお持ちの方はご覧になってみてはいかがであろうか。

 エミー賞 4 部門ノミネート作品

  • Outstanding Nonfiction Special
  • Outstanding Picture Editing For Nonfiction Programming
  • Outstanding Sound Editing For Nonfiction Programming (Single Or Multi-Camera)
  • Outstanding Sound Mixing For Nonfiction Programming

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坂本龍一×爆笑問題

 ついに「爆笑問題の日本の教養」に坂本龍一が登場。この番組に大学教授ではない通称「教授」が登場するのはもちろん初めてのこと。長年の教授ファンであり爆笑問題のファンでもあるぼくとしては、これを観ないわけにはいかないだろうということで、裏番組にも「人志松本の〇〇な話」とか観たい番組がたくさんあったにもかかわらず、最優先で録画する。

 実を言うと内心では、太田光が例の調子で教授に喧嘩をふっかけたらどうしよう、とまるで恋人を両親にひき会わせるときのようにドキドキしていたのだが*1、終わってみればそんなシーンはほとんどなく和気藹々と終了。

 太田光が教授にリスペクトを示してくれたのは、教授ファンのぼくとしては嬉しくもあったが、太田光ファンのぼくとしては少々物足りなく感じたのも事実。ファンなんて勝手なものである。ファン一般じゃなくてぼくが勝手なだけかもしれないが。

 番組中の教授の発言は、ぼくみたいな古参のファンはどこかで聞いたことのあるような話ばかりだったが、坂本龍一という人間について通り一遍のことしか知らない一般の方にとっては、ほどのよい紹介になっていたかもしれない。その辺は、ぼくみたいに距離感が近くなってしまうとかえって見えにくかったりする。

(*1 もちろん、教授のやっている ap bank とかを山形浩生が批判しているのを読んでいるときなんかも、同じようなドキドキを感じている。)

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気骨の判決

 録画しておいた NHK スペシャル「気骨の判決」を鑑賞したが、よかったと思う。戦時中を題材としたドラマとしてもこれまでなかった切り口で、よく言われる翼賛体制の一端が実感できる。演出も人目をひく派手なシーンはほとんどなく舞台劇のような抑制の効いた演出だったが、このような心理の葛藤に重点をおいたドラマには似合っていた。役者も地味な役者ばかりだが手堅い演技。なにより、飄々とした風貌ながら信念を貫く主人公の判事を演じた小林薫が似合いすぎるほど似合っていた。名演というべきだろう。

 このブログでは最近 NHK の悪口ばかり書いているので、その分少し声を大きめにして褒めておきたい。見逃した方は、再放送などがあればご覧になることをお勧めします。


 その後 2 回観直した結果、もっと評価されるべき作品だと感じたので、もう少しほめておく。

 この作品、実を言うとストーリー自体はきわめて単純である。戦時中の翼賛体制下で行われた選挙が選挙違反かどうかという裁判で、時局に逆らって選挙違反であるという判決を出した判事が一人いたというだけの話だ。

 しかもその結末は冒頭のナレーションで予告されているので、結末がどうなるかというサスペンスはまったくない。また基本的に史実に基づいた話であるから、その判決のおかげで日本社会が変化したりはしなかったこともわかっている。裁判の成り行きに関しても、法廷物によくあるような、敵に罠を仕掛けてどんでん返しを起こすというようなスリルはまったくない。

 つまり、このドラマは本当にごく単純に主人公が職務を淡々と遂行していく過程を追って行くだけのドラマなのであり、そのような単純なストーリーを作品として成立させているのは、ほとんど役者の演技力だけなのである。

 ぼくが恥ずかしながら 3 回観て 3 回ともちょっと涙ぐんでしまったのは、「愚か者でかまわない」のシーンと「わたし自身の弱さだ」のシーンであるが、こういう台詞だってこの手のドラマではありがちな台詞であり、言い方次第では、粋がった若造の気取った台詞や、思想かぶれした偏屈オヤジの大人気ない台詞に聞こえても不思議はない。それがそう聞こえないのは、ストーリーや演出ではなく、ひとえに役者の持つ演技の力なのである。

 結果から見れば、劇中でも示唆されているように、主人公の判決は社会の流れを変えることはなかった。そういう意味では、主人公の行為は無意味なヒロイズムで社会を無駄に混乱させただけとも言える。それでもこういう人間がいてほしいと思えるのは、頭で作った思想ではなく、役者の演技がその身体性によって表現している思想に、観る者が共感するからなのだろう。

 小林薫は、そういったシリアスな演技だけでなくコミカルな演技もうまかった。ぼくが特に感心したのは、食事にトマトがないことを「なんとかならんもんかのう…」と嘆くシーン。実は、ここで主人公はトマトのことを嘆いてるのではなく、心ここにあらずで裁判のことを考えているのだ。でも、家族は主人公のトマト好きを知っているから、またいつものアレとしか思ってない。そのすれ違いの面白さを出したい場面なんだけど、小林薫は、裁判の事を一言も口に出すことなく、ほんのわずか声を荒げたり重々しくしたりするだけで、見事にそれを表現している。 

 主役の小林薫だけでなく、脇をかためる役者も優秀だったと思う。特に、鹿児島県知事で後に警視総監になる人物を演じた篠井英介や、司法大臣を演じた山本圭は、戦時中のドラマにありがちな居丈高に相手を怒鳴りつけるような演技を避けて、日本的な真綿で首を絞めるようなソフトな権力というものをうまく表現していた。

 正直言うと、ぼくはもともと、ドラマを観るときにはストーリーやカメラワークや演出ばかりが気になってしまうほうで、役者の演技に注目するタイプではなかった。だから、役者の演技が持つ力というものを、このドラマに改めて教えてもらったような気がしている。

 もちろん、そのように役者の演技力を信じてすべてを預けるような作り方を選んだのが、製作者側の英断であることも忘れてはならない。

 ちょっと想像しただけでわかるが、このドラマだって、やり方によってはいくらでもセンセーショナルに盛り上げられる題材である。戦時中のドラマだから、戦闘シーンや空襲から逃げ惑うシーンを入れたっておかしくないし、憲兵による暴力シーンを入れたっていいはずだ。しかし、そういうシーンのほとんどは戦時中の記録映像で代用されている。

 実は、ストーリー上最も盛り上がるのは国民学校の校長が自殺する処なのだが、なんとその自殺のシーンすら入っていない。あるのは、自殺したという情報を主人公が伝聞として聞かされるシーンだけである。このへんを見ても、そういうセンセーショナルなシーンを作り手が意図的に排除していることがよくわかる。

 そんなセンセーショナルなシーンなどなくても、優秀な役者をキャスティングして、その力量が十分に発揮されるような環境を用意してあげれば、十分に見ごたえのある作品ができるはずだ。そう見切って思い切ってすべてを役者に託した製作者たちにも拍手してあげたい。

 最近はドラマの視聴率も停滞気味だそうだが、こういうドラマならもっと観てみたい。頭で作った小賢しい思想を人気だけの俳優が口だけで囀るようなドラマではなく、思想を身体化して表現できる優秀な役者同士がぶつかりあうようなドラマを。しかし、そのようなドラマを制作できるテレビ局は限られているような気もする。

・NHK オンデマンドでも 8 月 26 日まで配信中のようです。

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もっと再放送を!by出羽の守

 何かというと「欧米では」「アメリカでは」と外国を引き合いに出して日本をこき下ろす人のことを「出羽の守」と呼ぶそうだが、そういう人はぼくもあまり好きではない。もちろん、外国に本当に優れたところがあれば、それに学ぶことが悪いはずはないのだが、実際にはそうでもないことも多いからだ。昔はそういう文化人がたくさんいて、こっちも若くて純情可憐だから感心して聞いていたものだが、今思えばウソや誇張が少なからず混ざっていたと思う。

 たぶん、当時はインターネットがないのはもちろん、海外で暮らした人もそれほど多くなかったので、ウソや誇張があってもなかなかバレなかったのだ。そのため、出羽の守的な語り口が文化人の権威を高める道具として便利に使われていたのだろう。

 …とわざわざこんな前フリをしたのは、今回だけはあえて出羽の守をやりたいからである。ネタはテレビである。

 テレビ界が不況だと言われて久しい。それが世界同時不況のせいなのか、それとも、時代の必然なのか、いろんな意見があるとは思うが、それはひとまず保留する。ぼくが疑問なのは、あれだけ予算がない予算がないと言っているわりには、なぜもっと再放送を増やさないのか、ということである。

 欧米のテレビ局では、同じ週に同じ番組を何回も繰り返して放送することも珍しくない。というか、むしろそれが普通である。今はもう日本にいながらにして視聴できる海外局がたくさんあるので、知っている人も多いはずだ。

 たとえば、アメリカ発の CNNj の場合、「ファリード・ザガリアGPS 」や「ステート・オブ・ザ・ユニオン」のような週 1 回の番組なら、再放送を含めて週に 2 回ずつ放送する。「リビールド」のような月 1 回の番組は、再放送を含めて月に 7 回放送する。「アンダーソン・クーパー360°」や「ラリー・キング・ライブ」のようなライブの帯番組は、さすがに毎日 1 回ずつしか放送しないが、どっちにしろ帯だから毎日観れる。

 イギリス発の BBC ワールドはもっと極端だ。「ハード・トーク」 という討論番組は、ほぼ毎日放送のある帯番組に近いが、同じ内容を 1 日 3 回ずつ放送する。「アワ・ワールド 世界は今」 という週 1 回の番組は、再放送を含めて週に 7 回ずつ放送する。「ワールド・ディベート」 という月 1 回の番組は、再放送を含めて月に 5 回放送する。

 ディスカバリー・チャンネルナショナル・ジオグラフィック・チャンネルのような、ドキュメンタリー系のテレビ局になると、相対的にスペシャル番組が多く、1 回製作した番組を 1 年にわたって何回も繰り返し放送することが多い。もちろん、「怪しい伝説」のようなレギュラー番組もあるが、こちらもだいたい週 2 回ぐらいのペースで放送しているようだ。

 ひるがえって日本のテレビ局を見ると、週に 1 回しか放送しない番組が極めて多い。いや、ほとんどの番組がそうであると言ってもいいくらいだ。そして、これは番組の人気ともあまり関係がない。

 たとえば、「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!」という番組は、 ぼくにとって絶対に見なくてはならない番組だと言っても過言ではないが、いかんせん週に 1 回しか放送がない。ということは、この時間帯には他の番組は(チューナーをもう一台買うとかしない限り)絶対に観れないということなのである。

 ところが困ったことに、最近になって町山智浩氏が 「松嶋×町山 未公開映画を観るTV」 という番組を始めた。町山氏のアメリカ関係のレポートは以前から高く評価しているので、この番組も面白いに違いないと確信しているのだが、なんと放送時間がちょうど「ガキの使い」の裏なのである。しかも、この番組にも再放送がない。ということは、ぼくはこんな面白そうな番組を永遠に観れないということなのである! こんな不条理があろうか。

 そういうのは個人的な事情だからひとまずおいて、日本と海外の番組編成になぜこのような明白な差があるかを考えてみると、おそらく、視聴者側の視聴習慣の違いなのである。思い切って単純化して言えば、日本の番組編成は、毎日決まった時間にテレビの前に座って、その時間に放送している番組のうちから観る番組を選択するような視聴者に適しているのに対して、海外の番組編成は、先に観る番組を決めて、その番組の放送時間に合わせてテレビの前に座ったり録画したりするような視聴者に適しているのである。

 ぼく自身も数年前から、テレビはほとんど録画でしか観なくなった。そうすると明らかに海外テレビ局の番組編成の方が便利であることが実感されるのだ。おそらく、そういう視聴者はぼく以外にも増えているはずで、それが日本のテレビ視聴率の長期低落傾向の一因にもなっているのではないだろうか。これをちゃんと立証するのはなかなか大変なので、あくまで想像だが。

 そういう前提に立てば、同じ番組の再放送を増やすということは、おそらくテレビ局自体の利益にもつながるはずなのだ。たとえば、「ガキの使い」の再放送を 1 回増やしたとする。その結果、今の放送時間の視聴率は少し減るかもしれないが、人気番組の放送枠がほとんどコストゼロでもう一つ増えることになるわけだ。両放送時間の合計視聴者数で考えても、まさか差し引きゼロということはないはずで、全体として少しは増えるだろう。もちろん、それより視聴者数の多い番組をもう一つ別に制作できればもっと視聴者を獲得できるわけだが、今のご時世にそれがそう簡単ではないことは明らか。さらに、制作費当たりの視聴数や利益率を考えれば、再放送の有利さがさらに増すのは言うまでもない。

 こう考えると、なぜ日本のテレビ局がもっと再放送を増やさないのか、不思議に思えてくるぐらいである。これは完全に下種の勘ぐりになってしまうが、その裏には、芸能界の構造問題みたいなものがあるのかもしれない。仮にテレビ局の利益だけ考えれば、再放送を増やした方が得だとしても、出演する芸能人の立場から考えれば、それによって仕事の場が減る可能性が高い。だから、あたかも年末の道路工事のように、無駄とわかっていてもやらざるをえない事なのかもしれない。

 あるいは、ひょっとすると、テレビ局の方々はぼくなんかよりもっと志が高くて、いつの日かまた視聴者がテレビの前に戻ってきて、ゴールデンタイムには必ずテレビの前で一家団欒をすごすという日が来ることを信じて、日夜邁進しているのかもしれない。プロのみなさんがそう考えているのだとすれば、ぼくなんかが何を言っても無駄だろうが、少なくともぼくには、そんな日が来ることはとうてい考えられないのだが。

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TSE2009

 TSE というのは、証券取引所でも英語のテストでもなく、Total Solar Eclipse、つまり皆既日食のこと。日食当日はどうせアクセスが集中するだろうと思って、インターネット中継を予定しているサイトを事前にありったけ調べておいたのだが、当日になったら案の定ほとんどのサーバーが過負荷でダウンしていたので、結局は NHK の地上波で日食を観ることになったのであった。

 そしたらその NHK がさー、と以下数十行 NHK の悪口をぶーたれようかと思っていたのだが、たまたま佐藤亜紀氏のブログを見たら、ぼくが頭の中で作っていた草稿とほとんど同じような内容をぼくよりずっとうまく書いているのを見つけてしまったので、とたんに書く気がなくなった。ぼくが何を書きたかったかを知りたい人は、佐藤氏のブログを参照のこと。

 とにかく、NHK は無理に番組を盛り上げようとするのをやめたらいいのにと思う。今回はまだ硫黄島や海上が晴れていたから救われたが、もしあらゆる中継地が悪天候だったら、あの番組はどうなっていたかと想像するとぞっとする。おそらく、番組がドッチラケに終わったという印象を打ち消すために、スタジオでは総力をあげてトークだけで番組を盛り上げようとしていたに違いない。そして、「日食はよく見えなかったけど、あの昼間の異様な暗さを見れただけでも十分感動しました」みたいな失笑もののコメントを連発したに違いないのだ。

 そもそも、そんな痛々しいコメントをしなければならないのも、無理に盛り上げようとするからだが、百歩譲って盛り上げようとすること自体はありだとしよう。でも、実際に期待通りのことが起こらなかった現実は認めようよ。見たかったのは何? 「目の前で欠けてゆく太陽」なんでしょ? それを見れなかったんだから、素直に「残念でしたね」でいいじゃん。ああいうのは、スポーツ中継と同じで、予定調和でないところがいいんだからさ。それに、ここはスポーツとは違って、いくら残念を連発しても、太陽や月が余計なプレッシャーを感じてダメになるとかいうことはないわけだし。

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続・伝記の美化について

 NHK は伝記を美化しすぎではないか、という話を先日書いたばかりなのだが、またしても NHK を観ていて同じことを思ってしまった。そう、「クローズアップ現代」の「無頼棋士の遺した言葉」である。

 取り上げられたのは、先ごろ亡くなった囲碁棋士の藤沢秀行。知っている人も多いと思うが、この人は棋士としては偉大だったが、私生活の方は品行方正とはほど遠い人だった(その一端は Wikipedia の記事でもわかる)。

 たとえば、藤沢氏と付き合いのあった将棋棋士の米長邦雄は、こんなエピソードを書いている(前にもちらっと書いたように、ぼくはかつて米長の著書を愛読していたのだが、将棋連盟会長になって以後のこの人の言動には愛想がつきたので、あえて敬称は略す)。

 ある日の早朝、米長の家に藤沢氏が予告もなく訪ねてきた。家に入れてしまうと酒を付き合わされることは確実で、朝っぱらから酒が入ってはいろいろと差し支えると考えた米長は、仕方なく居留守をつかおうとした。すると、藤沢氏は、近所中に響き渡るような大声で叫んだ。

「お○○○ー! 米長はおるかあっ! お○○○ー!」

 世間体を考えた米長は、さすがに居留守をやめて藤沢氏を家に迎え入れざるおえなかったという。ちなみに、伏字になっているのは、沖縄では湖の名前にもなっているが関東地方では口に出すことをはばかられる例の四文字言葉であることは言うまでもない。

 藤沢氏が四文字言葉を叫ぶのは、なにもこのときに限ったことではなく、ほとんど口癖のように言っていたらしい。女性棋士が集まる部屋にあやまって闖入した藤沢氏が、「なんだ、この部屋には腐ったお○○○しかいないじゃないか」と言ったとか言わないとかいう話もある。

 もちろん、「クローズアップ現代」の放送では、こんなエピソードは何一つ紹介されていない。それ以外の品行方正とは言いがたい酒・博打・女関係の行動の数々も、冒頭で軽くほのめかされただけで、具体的には何一つ触れられなかった。そのため、番組中の藤沢氏は、囲碁道を究め弟子の育成に尽力した聖人君子のように描かれている。

 しかし、考えてみると、四文字言葉が口癖だったなんてことは、そもそも放送コードにひっかかるから、NHK では放送のしようがないのである。つまり、あまりにも品行方正からほど遠い人物は、NHK というメディアの特性として、特にそういう意図がなくても、必然的に美化せざるおえないという事情があるようなのだ。

(そう言えば、なぜダウンタウンは二人とも毒舌なのに、浜ちゃんより松ちゃんの方が憎まれるかという話を思い出した。松ちゃんが言うには、浜田の毒舌は過激すぎてそもそも放送できない。だから、オンエアではすべてカットされる。しかし、浜田の毒舌につられて言った松本の毒舌はすべて放送されてしまう。だから、オンエアでは自分ばかりが毒舌を言っているように見えてしまうのだそうだ。もちろんこれは冗談半分の説明だが、妙に筋が通っていて印象に残った。)

 しかし、これで藤沢秀行の人物像がバランスよく伝わったと言えるだろうか。もちろん、たった 30 分の番組で完全な人物像を伝えるなんて、もとより無理な話ではあるのだが、二つの極端な面のうちの片方しか伝えないのでは、デフォルメとしてもバランスを欠いているだろう。この番組の場合、対象が亡くなったばかりの一個人だからまだいいが、これがもし旧日本軍の実像とかだったら、美化しすぎという批判は免れまい。

 ぼく個人としても、藤沢秀行について最も興味があるのは、そのような両極端の性格が、どのようにして一つの人格に統合されているのだろうか、ということだ。そこにこそ、藤沢秀行という人格の秘密が隠されているはずだし、それを追求するのがドキュメンタリーというものだろう。しかし、そのようなドキュメンタリーを製作する上で、NHK というメディアは、出発点からハンデを抱えているようだ。

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調整がない?

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 報道ステーションを見ていたら、盲目のピアニスト辻井伸行氏の受賞後初コンサートの特集をしていた。その中で、辻井氏が現代曲の練習をしている場面があって、「ちょうせいがないのでたいへん」というような発言をしていたのだが、テロップでは「調整(キー)がないので大変」という字をあてていた。

 この「ちょうせい」はもちろん「調整」ではなく「調性」なのだが、これだけなら単なる変換ミスと解釈できないこともない。しかし、その後にわざわざ「(キー)」などと挿入してあるので、かえって違和感を感じた。

 実は、この「調性」という日本語には、二種類の使い方がある。一つは、「この曲の調性はハ長調です」というような使い方で、この場合には、「この曲のキーはハ長調です」と言い換えてもまったくおかしいことはない。

 しかし、上の例のように、「この曲には調性がない」という意味で「この曲にはキーがない」とは言わないのである。少なくともぼくは、そういう用法をあまり見たことがない。この意味を英語で言いたい場合は普通、「この曲にはトーナリティ(tonality)がない」、もしくは、「この曲はアトーナル(atonal)である」と言うはずである。

 なぜこのような使い分けをするかは、意味を考えればわかる。曲に調性がある、というのは、その曲全体が特定の中心音を持つ音階(旋法)によって表現されていることを指す。したがって、調性を表現する音階にはさまざまな種類があり、それを区別するための名前が調である。調を最も特徴付けるのはその中心音なので、中心音が、1 オクターブの 12 音の中のどの音かによって調を識別する。だからこれをキーと呼ぶわけである。

 これはたとえば、「あの人の名前は山田です」という代わりに「あの人は山田です」と言ってもおかしくないが、「この村には人がいない」という代わりに「この村には名前がいない」といってはおかしい、というような話だと考えてもよいかもしれない。

 だから、このテロップを書いた人はたぶん、あまり音楽に詳しくないのではないかと思う。まあ、ぼくは自分もそれほど知識がある方ではないし、無知自体をそれほど悪く言う気はないが、わかっていないくせに誰にも確認せずに放送してしまうという根性はあまり好きになれないので、少々苦言を述べさせていただいた。

追記: 初稿を投稿してからいろいろ調べてみると、このキーという言葉の使い方は、実際にはかなりいい加減みたいなので、少し表現を和らげて書き改めた。英語の key も、特定の中心音を持つ音階を指すこともあれば、中心音そのものを指すこともあるみたいで、ネットを検索しても、"The music has no key " みたいな表現がまったくないわけでもないようだ。しかし、"The music is atonal" もしくは "has no tonality" という表現の方がはるかに多いようなので、やはりこの表現の方が一般的なのだろうし、誤解も少ないと思う。

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伝記の美化について

 「その時歴史が動いた」の「板垣死すとも、自由は死せず~日本に国会を誕生させた不朽の名言~」を NHK オンデマンドで観たのだが、観終わったら、なんか笑っちゃうぐらい索漠とした気分になってしまった。

 だって、美化しようとしすぎなんだもん。

 そもそも、板垣の人生自体そんなにドラマがないらしい。征韓論に敗れて下野した後は、政治結社作ったり地道に啓蒙活動や講演活動したりしてるだけ。だから、この番組をいくら見ていても、板垣の名台詞や劇的な行動なんて一つも出てこない。

 そんな中で唯一劇的と言えるのが、暴漢に襲われたときに言った「板垣死すとも、自由は死せず」という名台詞だ。でも、実はその事件でも板垣は死んでない。重症を負っただけで一命をとりとめたのである。もちろん、人の死を願っているわけではないが、ドラマとしてはなんとなくしまらない結末であることは否定できない。

 この回を観ていると、そんな盛り上がりのない板垣の人生を、なんとか劇的な話に仕立てようとする製作側の必死の努力が伝わってきて、痛々しいほどである。今日の「その時」の感動的な後日談をエンディングのところで紹介するのがこの番組のお約束だが、この回で紹介されたのは、板垣が療養に行ったら横断幕を掲げて待っていたみたいな実にショボイ話。つまり、そんな話ぐらいしかネタが見つからないほど、盛り上がりのない人生だったということだろう。

 もちろん、人生にドラマが少なかったり、劇的な行動や名台詞がなかったりしたからと言って、板垣が悪いわけではないし、本人の人間としての評価が下がるわけでもない。ただ、もともと劇的でないものを、テレビ的な都合で無理に劇的に演出しようとするから、観てるほうはなんかシラケてしまうだけである。

 さらに気になるのは、板垣に対する批判的な視点がまるでないということ。自由民権運動だって、自由という崇高な理想を目指すという建前以外に、薩長閥との権力闘争みたいな面がないわけはない。また、板垣が国会開設に果たした役割だって、どの程度のものだったかよくわからない。国会が開かれるのは時代の必然という面だってあろう。

 この番組の場合、そういう板垣に対する批判的な視点からの論評がなく、ひたすら板垣が偉い人のように描かれているので、かえってウソ臭く感じてしまうという面も否定できない。

 ぼくはこの番組を観て、偉人の伝記を美化することの是非について考えてしまった。この番組は、「子供に見せたい番組」みたいなアンケートだと決まって上位にランキングされる番組なので、お子さん方もたくさん観ているのだろう。だからこそ、サンタクロースの存在については子供にウソをつくことが許されるように、多少はキレイ事であっても許されるという考え方なのかもしれない。

 しかし、ぼくはそういう考え方に少し疑問を抱きつつある。ロールモデルとして偉人を求めるというのは、子供の普遍的な心理のように一般には思われがちだが、ちゃんとした学問的根拠があるのだろうか。ひょっとしたら、近代固有の時代精神の産物ということはないであろうか、などと思ったりもするのである。

 今はどうか知らないけど、ぼくらが子供だった時代に、子供向けの伝記の主人公として人気があった人物に、野口英世がいる。知っている人は知っていると思うが、この野口という人は、実は、借金魔で酒好き女好きの相当だらしない人物だった。なにせ、留学のためにみんなが集めてくれた金を、全部遊びに使い果たして留学できなくなりそうになり、ある人物に泣きついて金を出してもらったという、ちょっと呆れてしまうようなエピソードもある人なのである。

 この話をぼくに教えてくれたのは、星新一氏の「明治の人物誌」という本だった。たぶん、読んだのはまだ未成年の頃だったと思うが、そんな影の面を知ったからといって、ただちに野口英世に幻滅したり大嫌いになったりしたかというと、そんなことはなかった。むしろ、人間味があって面白い人だと思った。

 もちろん、これだけの根拠で結論に飛びつく気はないが、ぼくはやはり、子供にもできるだけ真実を伝えるにこしたことはないような気がしてならない。なんだか、いつの間にかリビジョニスト批判みたいな結論になっているが、特にそういう意図があるわけではない。まったくないわけでもないが。

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爆発音がした

 なんか、これを読んだら創作意欲が刺激されたので、自分でもやってみた。

ガキ使トーク

浜田:「ほんで?」

松本:「ほんなら、いきなり後ろからバーン爆発ですよ」

浜田:「またまた~」

松本:「いや、ホンマやねんって!」

宮川大輔

「ほんならー、後ろでドッカーン爆発しましてー、ほいでもう石やらなんやらがボンボン飛んできましてー、そばにおった子供なんてもうこんなんですよ(立ち上がって実演)」

田原総一朗

「そしたら、アンタ、どうなったと思う?」

「爆発した…?」

「そう。大爆発だよ。もうメチャクチャ。これをちゃんとテレビで放送したのはサンプロだけ。あとはどこの局もやんなかった」

マル激

神保:「これはさあ、要するに爆発しちゃったって感じなんだけど、宮台さんなんか言うことある?」

宮台:「これはまさに、バカな田吾作どもによるケツ嘗め爆発って奴ですね。そのバカさ加減においては、右も左もなんら変わらないというだけの話。実は、ぼくは昔ナンパ師だった時代があって…」

姜尚中

「いいですか、村田さん。あなたね、簡単にね、爆発とね、言いますけどね。これはね、ただの爆発じゃないんですよ。このグローバル化した、アメリカ中心の、国際社会の中でね……違いますよ。ちゃんと最後まで聞きなさいよ。誰もそんなこと言ってないよ。」

森永卓郎

「いやだからー、これは単にー、経産省のお役人たちが爆発させたかったってだけなんですよ。だってー、経産省が出した答弁の中にー、爆発ってちゃーんと書いてあるんですもん。結局ー、 経産省のお役人たちはー、みーんな爆弾が好きなだけなんですって。」

三宅久之

「森永さん。アナタねえ、爆弾だかヘチャムクレだかなんだか知らないけどねえ、今までにねえ、日本でマトモな爆発が起きたことがありますか? だいだいねえ、アナタみたいなトンチキなヤカラがいるから日本はダメなんだよ。アナタのお父上は立派な方だったけど」

山本一太

「田原さん、それはちょっと言い過ぎですよ。もちろん確かに、自民党の中にも爆発させろと言ってる人もいます。でも…」

「それは具体的に誰?」

「それはちょっと言えないですけど(言いよどむ)、自民党はみなさんが思ってるような党じゃありませんから」

田岡俊次

「これは言ってみれば、自衛隊が自分で爆発させたようなもんでね。言ってみれば、1 発の爆弾が 2 発になれば 2 発の爆弾が 1 発になったときより余計爆発するわけだから。だからみんな米軍がやった米軍がやったって言っておるけれども、言ってみれば、米軍にはそんな戦力はないし、自衛隊だけでじゅーぶん爆発させられる。だからこれは言ってみれば…」

池田信夫

クルーグマンは主張をコロコロ変えるので有名だが、爆発についての主張はとっくの昔に撤回しており、爆発派の間でこのような不毛な論争が続いているのは日本だけである。この本は、翻訳文の下品さに眼をつぶれば評価できる。

小飼弾

爆弾だから爆発するのではない。爆発するものが爆弾なのである。

私が金持ちになれたのも、金を稼ぐより金を使う方が難しいということに気づいたからだ。

弾言する。爆発とはコンピュータであると。

Dan the Bomber

子供、ほしいね

かっくん:「お兄さんは最近なにやってるんですか?」

うらら兄:「今度は、保管専用爆弾ってのを考えたんだよ。」

かっくん&うらら:「保管専用爆弾?」

うらら兄:「ほら、アメリカとかロシアとか、いっぱい爆弾持ってるけど、全然使わないだろ? だから、保管専用爆弾ってのがあれば売れるんじゃないかと思って。」

うらら:「でも、保管しておくだけだったら爆弾の意味ないじゃない?」

うらら兄:「だから、実際には爆発しなくてもバレないんだよ。」

吾妻ひでお

○月×日 <何だかよくわからないことが起こる>

「………」

「あなた爆弾の前で何してるんですか?」

「………」

「……こうしていると……」

「……そのうち爆弾が爆発するものですから……」

(またなんか思いついたら追記するかも)

追記: 例のまとめ記事の後半を見たら、この記事からいくつか採用されていたのでびっくりした。もちろん、採用してくれること自体はうれしいですけど、なんのクレジットもないので、逆にぼくがパクったと勘違いされないかどうかちょっと心配。ここに書かれているネタは、あくまでぼくがオリジナルですから、くれぐれも誤解のないように(^^)。まあ、公開されちゃったので、一応 TB しときますね。

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今最も注目される…

 サンプロを録画してあったのだが、冒頭の「今最も注目される 4 人の論客」の顔ぶれを見たら、ぼくが今最も興味のない論客 4 人だったので、速攻でゴミ箱に放り込んで消去した。

 最近、ニュースショーや政治討論番組のたぐいを見ていても苦痛を感じることが多い。前にも書いたように、古館さんには新時代のニュースキャスターとして結構期待していたのだが、残念ながら、小田島隆氏なども揶揄するように、どんどんおかしな方向に言ってるように思う。

 表向き真面目ぶってるだけでその実軽薄で中身のない番組より、馬鹿馬鹿しいけど真剣に作られているお笑い番組の方が、よっぽど心が安らぐよ。

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朝生崖っぷち日本編

 帰省中に録画しておいた朝生を今見終わったのだが、はっきり言って、4 時間半かけて見る価値はなかった。田原総一朗が、他の局はお笑いばっかりだとか言って変な自慢をしていたけれど、同じ 4 時間ぐらいの番組でも、ガキの使いの「笑ってはいけない新聞社」とかの方が、よっぽど単位時間当たりの効用が大きかったよ。どんなに真面目なテーマを扱ったって、くだらないものはくだらない。 真面目っぽい話をすればいいってもんじゃない。

 そもそも、録画する番組を選んでいるときから、このメンバーではたいして面白くなりそうもないなという予感があったのだが、案の定という感じ。湯浅誠さんだけは、これまでの市民運動家たちとは一味違って、現場の声をすくいあげるだけではなく、常に理性的な議論をされるという点で好感を持っているのだが、後はたいして見るべき議論はなかった。まあ、元旦の夜中にテレビに生出演する酔狂な人を探すのもなかなか大変だとは思うのだが、あれじゃ、日本の知識人の水準自体が疑われちゃうよ。

 たまにちょっと面白くなりかけることがあっても、例によって田原氏がまぜっかえしてしまうので、結局それ以上議論が深まらずに終わってしまうのも問題。ぼくは田原氏をわりと好意的に評価している方だと思うが、この当たりが田原氏の限界なのかもしれない。もっとも、テレビというメディアであれ以上深い議論をすることが現実的に可能かどうかは定かではないので、これは田原氏の限界なのではなく、テレビというメディアの限界なのかもしれないが。

 いろいろと言いたい事はあるけれど、とりあえずこれだけは言っておきたいのは、小川仁志とかいう奴を呼んできたのは誰だ、ということ(^^)。ぼくは、頭が悪いとか知識が無いとかにはかなり寛容で、むしろ人間的な謙虚さの方が大事だと思っている人間だが、ああいう無意味に目立ちたがるだけでちっとも議論に貢献できない奴は単純に不愉快なだけだ。

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日米開戦と東条英機

 TBS のドラマ「あの戦争は何だったのか 日米開戦と東条英機」を観る。太平洋戦争物のドラマには食傷気味だったので、それほど期待せずに一応録画しただけだったのだが、実際に見てみたら、少なくともぼくは今まであまり見たことがない趣向でなかなか面白かった。

 要するに、開戦までの意思決定の過程だけに焦点を当てたところがミソ。扱われる時期は、昭和 16 年後半に近衛内閣がつぶれるところから 12 月 8 日の真珠湾開戦までの数ヶ月だけ。しかも、その大半が大本営政府連絡会議の会議のシーンで、これを延々とやる。それを見ているだけで、当時の意思決定システムの異様さが伝わってくるという仕掛けだ。

 ただ、ここまでやるなら、いっそ筒井康隆の「十二人の浮かれる男」みたいに喜劇仕立てにしてしまった方がよかったのではないかとも思う。そんなことをすると、また不謹慎だとかなんとか言われるかもしれないが。

 でも正直言って、現代人の目から見れば笑ってしまうほど馬鹿馬鹿しい意思決定システムだと思うし、そのせいで 300 万人もの人間が死んだのだから、これはもう文字通り笑うしかない事態ではないか。それを変にドラマチックに感動的にしてしまうのは、かえって物事の本質を見失わせるところがあると思うのだ。

(原作は保阪正康氏で、この人の本はぼくも何冊か読んでいるが、このドラマの原作は未見なので、本とドラマがどの程度一致しているのかはよくわからない。ただし、この人はサヨクではないので注意(^^)。ビートたけしが東条英機を演じるのが売りだったが、それがハマっていたかは微妙。おそらく、多くの人が北野映画に出てくるような暴力的な東条を期待したと思うのだが、このドラマの東条はむしろ小心で真面目なだけがとりえという設定なので、その意表をつく効果はあった。ただ、ぼくらはみんな、現実のビートたけしが小心からほど遠いことを知っているので、多少無理があったような気もする(^^)。会議中に手帳を弄繰り回したりしてそれなりに小心さを演じてはいたが。結婚してしまった「結婚できない男」はちょっと当時の日本人をやるには背が高すぎると思った(^^)。「サラリーマン金太郎」もちょっとかっこよすぎるところが違和感あり。)

 それにしても、クリスマスイブにこんな番組をやる TBS もアレだし、それを見てる自分もちょっとアレだと思いました。はい(^^)。

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NHK に「マイロンサムカウボーイ」が(^^)

 「爆笑問題の日本の教養」を見ていたら、村上隆の「マイロンサムカウボーイ」が画面に出てきて驚いた。もちろん、例の下半身もばっちり映ってたよ(^^)。え、NHK がそんなことしていいの、と思ったけど、芸術だからいいという判断なのかなあ。よくわかりません(^^)。

 ゲストは芸大学長の宮田亮平氏だったんだけど、逆に太田光に喧嘩売ってるところがちょっと面白かった(^^)。来週も同じ宮田氏で続きをやるらしいよ。

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イロモネアの統計学

 イロモネアってけっこう運不運があるんじゃないかと思って、いろいろ計算してみた結果。解説はまたいずれ。

イロモネアの確率密度.jpg

イロモネアの累積分布.jpg

 3 人だと平均が 80%。もっとも運のよい 1 割は 50% 弱、もっとも運の悪い 1 割は 95% 以上。

(言い換えれば、会場全体の半分を笑わせればクリアできる人が 10 人に 1 人、会場全体の 9 割以上を笑わせないとクリアできない人も  10 人に 1 人はいるということ。)

 5 人だと平均が 85%。もっとも運のよい 1 割は 65%、もっとも運の悪い 1 割は 98% 以上。

 ざっとそのぐらいの幅があるらしい。

 上では正規分布を仮定しているが、実はこの最後の関係は分布に依存しない。つまり、面白さをどう数量化しようともこの結論には影響はない。その一般的な関係はこうなる。

イロモネアの運.jpg

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日本は食糧戦争に勝てるか

 サンプロを見ていたら、これからは資源戦争の時代で、日本ももっと食料自給率を上げないと資源戦争に勝てないというお話をしていたので、日本が手持ちの資源で食料戦争に勝てる可能性を探ってみた。

 まず、国民一人当たりの耕地面積と食料自給率の関係を調べてみた。

クニ 人口ジンコウニン 陸地リクチ面積メンセキ(km2) 耕地コウチ割合ワリアイ(%) 耕地コウチ面積メンセキ(km2) 一人ヒトリたり耕地コウチ面積メンセキ(m2/ニン 食料ショクリョウ自給率ジキュウリツ(%)
オーストラリア 20,434,176 7,617,930 6.15 468,503 22,927 237
カ ナ ダ 33,390,141 9,093,507 4.57 415,573 12,446 145
フランス 64,057,790 640,053 33.46 214,162 3,343 122
ド イ ツ 82,400,996 349,223 33.13 115,698 1,404 84
イタリア 58,147,733 294,020 26.41 77,651 1,335 62
オランダ 16,570,613 33,883 21.96 7,441 449 58
スペイン 40,448,191 499,542 27.18 135,776 3,357 89
スウェーデン 9,031,088 410,934 5.93 24,368 2,698 84
ス イ ス 7,554,661 39,770 9.91 3,941 522 49
エイ  コク 60,776,238 241,590 23.23 56,121 923 70
アメリカ 301,139,947 9,161,923 18.01 1,650,062 5,479 128
日  本 127,433,494 374,744 11.64 43,620 342 40


 人口、陸地面積、耕地割合に関しては、CIA で出してる The World Factbook、食料自給率については、農林水産省の「食料自給率資料室」 からデータを取得した。これらはウェブ上で公開されているので、誰でも検証が可能である。ただし、前者のデータは 2007 年頃のもので、後者のデータは 2003 年のものだが、これは他に資料が見つからなかったためなので勘弁いただきたい。耕地面積と一人当たり耕地面積は、これらのデータから単純に計算したものである。

 このデータを見ただけでも、一人当たり耕地面積と食料自給率にはかなりの相関がありそうに見えるが、実際に横軸に一人当たりの耕地面積、縦軸に食料自給率をとって、グラフにしてみるとこうなる。

arable-area-and-food-self-sufficiency.jpg

 この直線は回帰直線といって、仮にこの両者が正比例の関係にある(つまりグラフ上では直線で表される)と仮定した場合に、実際のデータとの誤差が最も小さくなるような位置と傾きで引かれた直線である。青い点の方は実際の各国のデータなのだが、どの点もかなり回帰直線の近くにある。つまり、各国の食料自給率の差は、かなりの部分耕地面積の差で説明できるということである。

 統計の知識のある人のために書いておくと、この両者の相関係数は 0.95 (有意水準 1% 以下で有意)であり、この回帰式の決定係数(寄与率)は  0.90 である。言い換えれば、 食料自給率の 9 割は一人当たり耕地面積で説明できると言うことだ。

 もっとも、回帰式が原点を通らないところはかなり気になる(耕地面積ゼロでも食料自給率がゼロにならないということだから(^^)。でも、水産資源まで考えれば辻褄合うのかも)。ひょっとすると、グラフの右の方にあるオーストラリアやカナダは、まだまだ生産効率を上げる余地があって、各国が生産効率限界まで生産すると、もっと食料自給率が上がるのかもしれない。たぶん、オーストラリアやカナダを外れ値として除外して直線を当てはめれば、傾きはもっと急になって、原点近くを通るようになるだろう。(あるいは、直線よりも限界生産性が逓減するような曲線を当てはめた方が本当はいいのかもしれない)。

 言うまでもないが、日本は一番左下にある青い点である。この点は回帰直線より下にあるので、日本は確かに耕地面積が狭いことを割り引いても食料自給率が低いということは言えそうである。ただし、逆にこの回帰直線から予想される日本の食料自給率は、約 64% でしかない。

 このままではどう見てもわが国には勝ち目がないので、仮に日本の国土すべてを耕作地にしたらどこまで食料自給率が上げられるかを計算してみた。つまり、一人当たり耕地面積の代わりに、一人当たり陸地面積を横軸にとって、それがこの回帰直線とぶつかる点から食料自給率を予想するわけである。もちろんこれは、山も都市もすべてつぶして農地にするということを意味するが、国家存亡の非常時であるからそんなことはかまっていられない。

クニ 人口ジンコウニン 陸地リクチ面積メンセキ(km2) 一人ヒトリたり陸地リクチ面積メンセキ(m2/ニン 予想ヨソウ食料ショクリョウ自給率ジキュウリツ(%)
オーストラリア 20,434,176 7,617,930 372,803 2,966
カ ナ ダ 33,390,141 9,093,507 272,341 2,184
フランス 64,057,790 640,053 9,992 139
ド イ ツ 82,400,996 349,223 4,238 94
イタリア 58,147,733 294,020 5,056 101
オランダ 16,570,613 33,883 2,045 77
スペイン 40,448,191 499,542 12,350 158
スウェーデン 9,031,088 410,934 45,502 416
ス イ ス 7,554,661 39,770 5,264 102
エイ  コク 60,776,238 241,590 3,975 92
アメリカ 301,139,947 9,161,923 30,424 299
日  本 127,433,494 374,744 2,941 84

 これをグラフにするとこうなる。

self-sufficiency-projected.jpg

 どうだろう。来るべき食料戦争に勝てそうな気になれたであろうか。  


 とまあ、少し思わせぶりに書いてみたが、私の本音は、だから日本は近隣アジア諸国を侵略して領土と資源を増やすべし、というのではもちろんなくて(^^)、そもそもこんな戦争勝てるわけねーだろー! やれ経済大国だのジャパン・アズ・ナンバーワンだのと言われ続けた記憶がいまだに忘れられないのかもしれないが、何を勘違いしとんじゃ、目を覚ませー! ということである(^^)。

 どうも日本人は、自分たちの国がいかに資源の少ない狭い国土にたくさんの人が住んでいる特異な国かということを、しばしば忘れがちであるように思える。こんな国が資源戦争に乗り出そうというのは、思想をどうこう言う前に戦略として間違っており、将棋で言うところの「筋悪」な手そのものではないだろうか。

 思えば、「あの戦争」も、資源のない日本が無理矢理領土を広げて資源を確保しようとしたのが始まりではなかったか。戦後その過ちに気づいた日本人は、資源を増やすことを諦め、貿易によって富を増やすという戦略に転換することによって、奇跡の復活をとげた。なのに日本人は、かつての教訓を忘れ、ふたたび資源戦争に乗り出そうというのだろうか。

 最近、サヨク系の人たちが反グローバリズムのあまりウヨク系の人たちと同じ主張をしだすという傾向が見られるが、思えば、大東亜共栄圏とかなんとかいうのだって、実質はともかく、名目上は反グローバリズムの主張だったわけで、だからこそ多くの国民が騙されたわけであろう。どうもそういうことを思い出して嫌な感じがしてしまうのはぼくだけだろうか。

 これはぼくの勝手な歴史観だが、多分、冷戦が崩壊したのは、米ソがにらみ合ってるのを尻目に、アメリカの核の傘を利用して無駄な軍事費を使わず平和な商売に専念して大儲けした日本を見て、米ソがバカバカしくなってしまった(あくまで比喩的にだが)のが一因じゃないかと思っている(^^)。そういう意味で、グローバリズムこそが日本の生み出した世界に誇るべき思想なのであって、日本はこの思想に賭けるしかないと思う。

 そもそも、資源のある国が資源を囲い込もうとしたり資源戦争だとか言い出したりするのはわかるが、日本のような資源のない国は、あくまでそれをさせないような外交努力をし、グローバリズムこそが世界を平和にするのだと世界に訴え、実際にグローバリズムを通じて世界の人を幸せにする努力をしていくのが本筋であろう。

 仮に、そういう努力も虚しく実際に資源の囲い込みが起こったとしても、そうなれば自然に農産物の価格が上昇するはずだから、国内農業の利益率も上昇して、市場原理によって自然に国内農業生産量も増えるだろう。だからいずれにせよ、先回りして先行投資することにそれほど意味があるとも思えないのだが。

 あるいは逆に、少子化対策などやめて、日本の人口を今の半分ぐらいに減らし、名実ともに小国として暮らす道を選ぶという手もあるかもね。まあ、どれぐらいの日本人がそれに賛成するかよくわかりませんが(^^)。

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YouTube とレズビアン

 昨日の「英語でしゃべらナイト」では、なんと、かの YouTube の創始者スティーブ・チェンと、レズビアンを正面から取り上げて話題となった「L の世界」というドラマで主演したジェニファー・ビールスにインタビューしていた。

 NHK だから当たり障りのないことしか聞かないのかな~、と思っていたら、YouTube での違法行為の話とか、レズの話とかも、ちゃんと聞いてましたよ。NHK さんもなかなかやりますなあ(^^)。

 ちなみに、ジェニファー・ビールズにインタビューしたのはなぜか川島なお美で、英語はそこそこうまかったけど、自分だったらあんな役は引き受けないとか言っちゃったり、自分のフィアンセについてのろけたりとかして、内容はワリとグズグズだった(^^)。

 スティーブ・チェンは、インターネットの将来について鋭い予言とかするのかな~と思って観ていたら、まさか YouTube がこんな使われ方するとは思わなかったとか正直に言っちゃってて、ワリとふつーの兄ちゃんだった(^^)。

 興味のある人は再放送でもチェックしてみてくださいな。

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太田光の鋭すぎる踏み込み

 「爆笑問題のニッポンの教養」を観てて、一瞬わが耳を疑った。ゲストは伊勢崎賢治。東ティモール、シエラレオネ、アフガニスタンなどの紛争処理を現場で指揮した、自称「紛争屋」さんだ。この人は、去年、マル激トーク・オン・ディマンドにも出演していて、それを観たときから面白い人だなあと思っていた。なにせ、机上の理論ではなく、実際に紛争のまっただなかに飛び込んで停戦や武装解除を実現してきた人だから、言葉に説得力がある。

 ところがなんと、こういう人に対して、太田光は、「あなた戦争が楽しいんでしょ?戦争がなかったら生きがいがないんでしょ?」てなことを言い放ったのである。

 ほとんど無礼すれすれ、いや、完全に無礼な発言に違いないのだが、伊勢崎氏は笑顔を崩さず、「いやあ、そのことは自分でも自覚してますよ。だから「紛争屋」なんて名乗っているわけでね」などとおだやかに返したのであった。

 ぼくはもちろんこのやりとりを聞いて驚いたのだが、決して不快な印象ではなかった。むしろ、太田のするどい踏み込みをギリギリで見切って受け流す伊勢崎という、一流の武道家同士の立会いを見たような気分だった。いいものを見せてもらいました、という感じ。

 もちろん、この質問のおかげで、視聴者は、リアリズムとロマンティシズムの間でバランスをとる伊勢崎の強靭なバランス感覚を感じ取ることができたであろう。ジャーナリストには、ときにこういう踏み込みが必要だが、たぶん、現在のテレビのインタビュアーで、あそこまで無礼な質問ができる人は、あと田原総一朗ぐらいしかいないのではないだろうか。

 いっそ、田原引退後は太田が朝生の司会をやればいいのではとも思ったが、よく考えると、太田が司会だったら、ゲストそっちのけで一人でしゃべりまくりそうだから、無理かもしらんね(^^)。

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政党コンビニ論

 サンデープロジェクトを見ていたら、田中康夫さんが、自民党と民主党は、高島屋とイトーヨーカ堂(固有名詞はうろ覚えです)みたいになるべきなのに、実際にはそうなってないと批判していた。

 なかなかうまい例えだとは思うが、ぼくに言わせれば、氏の認識はまだ甘い(^^)。ぼくはむしろ、二大政党は、セブンイレブンとローソンぐらいの差になっていくだろうし、そうなるべきだと思っている。

 高島屋とイトーヨーカ堂というのは、高級デパートと庶民向けデパートという意味で、有権者にわかり易い選択肢を示せという主張だろうが、今の時代、平均的な有権者の政治に対する要求にそんなに差があるはずがない。それを無理に差別化しようとすれば、結局、有権者は常に同じ政党を選ばざるおえなくなって、競争にはならないだろう。一方がシェアを独占し、もう一方がニッチ政党になるだけのことだ。

 したがって、常に競争が成立するためには、コンビニのように、どの店に行っても品揃えはだいたい一緒でなければダメなのだ。一方では弁当を売っているが、もう一方では売ってないというほど大きな差があってはならない。 そのように、基本的な前提条件はだいたい一致させた上で、ちょっとだけ駅に近いとか、牛丼の肉の量がちょっとだけ多いとか、ボールペンがちょっとだけ安いとか、店員の接客マナーがちょっとだけいいとか、もっと細かいこまかーいところで争うべきなのである(^^)。

 逆に、共産党や社民党などは、それこそ、CD や DVD 専門店のような、ニッチ政党を目指せばよろしい。CD や DVD しか売ってなくても、コンビニに勝てるはずだというような変な勘違いをせず、あくまでニッチであることを自覚した戦略をとっていれば、二大政党の間でも、それなりの存在意義を維持できるはずである。

 もっとも、昔の政治家や評論家だったら、もっと八百屋と魚屋とか言っていたはずで、田中氏はそう言わなかっただけ、まだ時代を読めている方だとは思うのだが、ぼくなんかから見ると、まだまだ政党制に対するある種の幻想というか固定観念を捨てきれてないのではないかと思ってしまう(^^)。みなさんは、どちらの歴史観が当たっているとお思いになるだろうか。

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マル激・岡田斗司夫編

 今週の「マル激トーク・オン・ディマンド」のゲストは、渦中の人、岡田斗司夫さんであった。と言っても、収録したのは先週らしく、「いいめも」事件についてはなんの言及もなかったが、お話自体はなかなか面白かった。

 もっとも、後半の「見た目主義社会」の話は、申し訳ないけど、表層的であまり深みがないように感じた。面白かったのはやはり、前半のレコーディング・ダイエットの話である。実は、ぼくはまだ「いつまでもデブと思うなよ」という本自体を読んでいないのであるが、自分の禁煙体験と照らし合わせてみても、ハタと手を打つような発言がいろいろとあった。

 そこで以下、岡田式レコーディング・ダイエットについてぼく流の解釈を書こうと思うが、その前に、やはり一言書いておかねばなるまい。ここに書いてある岡田式レコーディング・ダイエットに関する説明は、あくまでぼくの勝手な解釈であって、岡田氏の提唱するレコーディング・ダイエットを正しく伝えているとは限りません。と、これでいいよね(^^)?

 ぼくは、30 代になってからタバコを吸い始め、5 年間ぐらい吸い続けてから禁煙に成功したという、少し珍しい喫煙歴を歩んだ人間なのだが、そのときに考えたのは、岡田氏と同じく、やはり人間の欲望の構造だった。

 そもそも、禁煙したい人間というのは、意識的・理性的にはタバコを止めたいと思っているのだが、無意識的・感性的にはタバコを吸いたいと思っているものだ。この状態を俯瞰して見ると、二つの矛盾する欲望を同時に抱いているということになる。

 この状態は、理性偏重の近代主義的な考え方からすれば、理性的な欲望の方が正しく、感性的な欲望の方は間違っているということになるのだろうが、ポストモダン的な考え方からすれば、どちらが正しいとも言えないはずである。

 したがって、徹底して近代主義的な人間の場合には、理性によって感性をねじ伏せるという形で禁煙に成功することもあるのだが、ポストモダン的な人間の場合には、タバコが吸えないのに長生きしてもつまらない、どうせ人間いつかは死ぬんだし、みたいな考え方に抵抗しきれないわけである。

 しかし、よくよく考えると、そもそも同じ人間が矛盾する欲望を同時に持っているということが論理矛盾なのであって、これは、意識と無意識を別の自己として認識していることによって擬似的に発生する現象にすぎないのである。

 元をたどれば、理性的な欲望も、感性的な欲望をより深く満足させるためにあるはずだし、感性的な欲望も、理性によって誘導できるはずなのだから、問題は、両者のフィードバック関係がうまく機能していないことなのである。したがって、このような矛盾は、無意識的な欲望と意識的な欲望の関係をよく整理して正しく捉えなおせば、解消できる可能性がある。

 たとえば、禁煙について言えば、そもそも、タバコを止める人はなぜみんな完全に「スパッ」と止めなくてはいけないと考えていて、一日一本だけなら吸っていいみたいな止め方をする人がいないのかが不思議である。

 実際には、無意識的な喫煙欲は、たまにはタバコを吸いたいという欲望かもしれないし、意識的な禁煙欲も、肺癌にならない程度にタバコを減らしたいという欲望かもしれない。だとすれば、完全に禁煙するかわりに、喫煙量を減らすことによって、意識的な欲望と無意識的欲望の両方を満たせる可能性があるはずだ。

 もちろん、タバコの場合には習慣性があるという事実も見逃せないが、これはおそらく、理性によって感性をねじ伏せるという近代的な自己モデルに囚われすぎているがゆえの勘違いだと思う。

 現にぼく自身も、禁煙成功後は、普段はまったくタバコを吸っていないが、たまに飲み会に行くときだけはタバコと 100 円ライターを買っていくことがある。これは前にもどこかで書いたけど、ぼくはあまり社交的な人間ではないため、同席した人と話が盛り上がらないことがあって、そういうときにも、タバコをぷかーっと吹かしているとなんとなくカッコがつくからである。(実は、これこそが、ぼくが喫煙時代に発見した、喫煙の最大の効用である(^^)。)

 もちろん、だからと言って、その日を境にタバコを吸いだしてしまうようなことはなくて、翌日からは何事もなかったように禁煙生活を続けられている。これこそ、自分の中の無意識的な欲望と意識的欲望の間の整理がついている証拠であろう。

 岡田氏の話の中でも、ぼくが最も感心したアイデアは、食事を残せばよいという話である。ぼく自身もダイエット中によく経験するのだが、たとえば、コンビニに弁当を買いに行って、カツ丼を発見し、一瞬食べたいと思ったものの、カロリー表示を見て諦めて、代わりにもっとカロリーの少ないソバ弁当にしたりすることがある。

 これも先ほどの禁煙の話と同じことで、カツ丼を食べたいというのが無意識的な欲望、ダイエットしたいというのが意識的な欲望なのだが、よくよく考えると、カツ丼を食べたいということと、コンビニで売っているカツ丼を一個全部食べたいということはイコールではない。実は、無意識は、ちょっとでもカツ丼の味を味わえれば満足するかもしれないし、そのちょっとは、実はソバ弁当一個よりカロリーが少ないかもしれないのである。

 そう考えると、カツ丼を一部だけ食べて後は捨ててしまえば、意識的な欲望と無意識的な欲望の両方が満足する可能性があるわけで、この発想はさすがに鋭いと思った。

 誰でも気がつくことだと思うが、このような考え方は、最近流行りの procrastination 対策にも応用できる。ここでも、仕事をサボってダラダラしたいという感性的な欲望と、早めに仕事を終わらせないと後でヒドイ目に合うよという理性的な欲望が対立しているように見えるわけだが、だからといって理性で感性をねじ伏せようとするから、長続きしないのであろう。最近流行のライフハックで提唱している ToDo リストの作成なども、要するに、自分の真の欲望を整理して正しく認識しなおすための技法であると考えられる。

 そういう意味で、理性的な欲望と感性的な欲望の関係を整理して、正しく自己認識し直すという手法自体は、いろんな分野に応用できるスキルであると思われる。こう考えると、このような方法が最近まで普及しなかったのはむしろ不思議なぐらいだが、おそらく、理性と感性を分けて考え、理性で感性をねじふせられる奴が偉いとする、近代的なパラダイムが発想の邪魔をしていたのだろうとぼくは思っている。

(読み直してみると、実はフロイト理論とあんまり言ってること変わらんような気も(^^)。)

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ジャンクSPORTSの美学

 「ジャンクSPORTS」というのは、ご存知の方も多いと思うが、ダウンタウンの浜田雅功がメイン MC をつとめ、ゲストに迎えたトップアスリート達をヒナ壇芸人よろしくいじり倒すという番組である。

 ダウンタウンファンのぼくはもちろん、この番組自体好きでよく観ているのだが、中でも前から気になっているコーナーが一つある。それは、「スポーツ・ファンタスティック」の中の「ジャンクスポーツPR大作戦」 というコーナーである。

 これは、たとえばビーチバレーの浅尾・西堀ペアとか、F1 の鈴木亜久里のチームとかに、 ジャンクSPORTSの番組のロゴの入ったものを着用してもらったり、F1 のマシンにステッカーを貼らせてもらったりして、ジャンクSPORTSという番組をタダで宣伝してもらおうという、超ずーずーしい企画、のはずなのだが…(^^)。

 でも、冷静に考えると、平均視聴率 10% 程度を稼ぐジャンクSPORTSの方が、ビーチバレーや F1 レースの試合より、メディアとしてのリーチは大きいはずである。普通、広告というものは、リーチの小さいメディアがリーチの大きいメディアに出すものだが、この企画では、それが逆になっているのである。

 つまり、見かけ上は、ジャンクSPORTSが他のスポーツに宣伝してもらっているように見えるが、実質的には明らかに、ジャンクSPORTSの方が他のスポーツを宣伝することになっているのである。深読みかもしれないが、それをあえて、「宣伝してもらっている」と表現するところに、ぼくは番組スタッフの美学のようなものを感じて、心の中でニヤリとしてしまうのだ。

 もっと深読みすれば、このやり方は、いつも宣伝「してやって」いるのだから、という事実を免罪符にして、いざとなると芸能人やアスリートのプライバシーを暴き立てて食い物にしている、他の芸能マスコミやスポーツ・ジャーナリズムに対する批評にもなっていると思うのだ。

 このようなイエロージャーナリズムの問題点は、ルールというよりむしろ美学の欠如にあるので、論理的な言語では批判しにくいところがある。したがって、そのような美学のなさを批判するには、より美学のあるモデルと対比することが最も効果的なのである。

 そういう意味で、ジャンクSPORTSのスタッフの方々には、今後もぼくの深読みを裏切らないようにがんばっていただきたいものである(^^)。

(ダウンタウンのことを下品な芸人だと思っている人もいるようだが、この例でもわかるように、ぼくは、彼らには強い美学的なこだわりがあると思う。もちろん、それを美しいと感じられるかどうかは、人それぞれだと思うが(^^)。)

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God's Christian Warriors

     先日紹介した、CNN の God's Warriors シリーズの一つ。今度のテーマは、まさにど真ん中の直球で、アメリカの宗教右派である(^^)。

     盛りだくさんな内容で、例によって観ているだけで疲れてしまうような話も多かったが、政治に宗教を持ち込むなと訴えて支持を得ている牧師とか、環境問題でリベラル側に立つ神学者とか、少しは希望の持てそうな話もあった。

     森孝一先生なんかの本を読んでいればわかるようなことも多いが、その後のかなり過激な展開もいろいろ描かれているので、アメリカ社会とキリスト教の関係に興味のある人には観ることをお勧めしておく。

     CNN International では、この土日にあと 3 回ぐらい再放送があるはず。CNNj でも「神の戦士:キリスト教編」という題で、だいたい同じ時間にやってるみたい。

     改めて思ったけど、この問題は日本の文化保守の問題とも似てるよね。公の場所に十戒を掲載しよう運動は日の君運動みたいだし、進化論を教えるな運動は教科書問題みたいだし、過激な性教育に反対みたいなのも同じですよね。まあ、ある意味当たり前だけど(^^)。

     時間があれば、あとでもっと詳しく紹介するつもり。今日はとりあえず疲れた。。。 (番組を観てくれれば、疲れる気持ちもわかってもらえるでしょう(^^))

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臓器の印刷

 YouTube で見つけた、PBS の Wired Science という番組のビデオ(合法(^^))を観てビックリ。

 前半は、どっかで観たことがあるような、再生医療の話なのだが、後半になると、なんとプリンターを使って臓器を「印刷」するとかいうすごい話が出てくる。

 調べてみると、これは organ printing という最新の医療技術らしい。

 なんか、リュック・ベッソンの「フィフス・エレメント」でミラ・ジョボビッチが誕生するシーンを思い出してしまった。初めてこの映画を観たときには、あんまりリアリティがないような気がしたのだが、実は結構 SF 考証センスがよかったのかも(^^)。使われてるのが、パソコンで使ってるような普通のインクジェット・プリンタなのもおかしいよね(^^)。

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金儲けの福音

    あなたはできる 運命が変わる7つのステップ  昨日の「ラリー・キング・ライブ」のゲストは、ジョエル・オスティーン(Joel Osteen)という宗教家。ぼくは不勉強にして知らなかったのだが、毎週 5 万人もの信者が集まる全米でも最大級のメガチャーチを運営し、処女作の「Your Best Life Now: 7 Steps to Living at Your Full Potential あなたはできる 運命が変わる7つのステップ)」は 500 万部を売り上げ、バーバラ・ウォルタースからも「2006 年の最も魅力的な人物ベスト 10」に選ばれた人物だという。そう聞けば、かねてからキリスト教とアメリカ社会の関係に興味があった私としては、調べてみないわけにはいかない(^^)。

     聞いていてひっかかったのは、この本のタイトルからもわかるように、彼の教義が宗教というより自己啓発セミナー的であることだ。調べてみると、このような教義は、「ワード・オブ・フェイス(Word of Faith)」運動の流れを汲んでいるらしい。

     ワード・オブ・フェイス運動については、検索してみてもほとんど日本語の資料が見当たらないのだが、唯一、映画秘宝という雑誌の「高橋ヨシキの悪魔の映画史」という連載の中にわかりやすい説明がある。 (この連載は、バックナンバーも非常に興味深く、キリスト教とアメリカ社会の関係に興味がある人は必読である。)

     この運動の特徴的な教義の一つとして、"Prosperity Gospel" というのがあるらしい。これは、直訳すれば「繁栄の福音」ということになるが、特に "financial prosperity" を強調しているということなので、表題のように「金儲けの福音」と訳してもあながち間違いではあるまい。要するに、信仰すれば、健康になって社会的にも成功するよ、という話で、完全に現世利益的なのである。

     上記の高橋ヨシキ氏も書いているように、これは、キリスト教本来の教義とはかなりかけ離れているように見える。もっとも、キリスト教の教義というのは、別にイエス・キリストがすべて考えたわけではなくて、キリストの死後に弟子たちがよってたかってでっちあげたようなものだし、キリスト教の歴史自体が、宗教改革をはじめとした派閥争いの歴史と言ってもよいくらいだから、何が本来の教義だかなんだかわかりゃしないという話もある(^^)。

     しかし、キリスト教の根幹に近い部分には、現世利益を無視し、死後の救済を求めるという教義があるということは、大方の一致するところではないだろうか。「予定説」などはその典型的な例で、誰が救済されるかはあらかじめ決まっていて、現世で何を努力しようが「そんなの関係ねえ!」というある意味ぶっとんだ話だ(^^)。また、金儲けを擁護しているともとれる、あの有名なウェーバーの「プロテスタンティズムの倫理」ですら、資本主義を生み出したエートスは、現世で金を使って楽しむことを考えず、ひたすら勤勉に働いて資本を蓄積する精神である、ということだったはずだ。

     そういう意味で、この教派は、同じキリスト教内部からもいろんな批判を受けているらしい。また、この教派は、「原罪」みたいなキリスト教のおもたい部分はあまり教えず、軽くて口当たりのいいことばっかりいうので、"Gospel lite" とか "Christianity lite" とか揶揄されているらしい(この lite はマルボロライトとかのライトで、要するに「軽いキリスト教」という意味らしい)。しかし、そんな宗教がこれだけ多くの人を動かしているということは、今後のアメリカ社会の行方を占う意味でも注視すべき現象であろう。

     まあ、ぼくは金儲け自体は別に悪いことだとは思ってないのだが(^^)、それが宗教の目的だと言われると、さすがにちょっと違うのではないかと言いたくなる。宗教の目的の一つは、ある次元で幸せになる方法を教えることだと思うが、お金というのは、幸せになる手段としては使えるけど、幸せになる方法は教えてくれない。いくらお金が儲かっても、それをどう使えば幸せになれるかを教えてくれなければ、本末転倒だと思うのだが(^^)。

    (追記:言葉足らずでわかりにくかったかもしればいが、別に、単なる処世術なら処世術でよいのである。ぼくが言いたいのは、単なる処世術に過ぎないものを、神の名において絶対化することの危険性なのである(^^)。それは、疑似科学と同じで、「擬似処世術」「擬似自己啓発」みたいなものにすぎないのではないだろうか。)

     ぼく自身は無神論者なのだが、必ずしも社会に宗教が不要だとは思っていない。今みたいに科学全盛の時代に宗教を信じている人は単純に頭が悪いみたいに思っている人もいるようだが、もともと近代以前には、科学も哲学も宗教の一部だった。それが近代になって、科学や哲学が宗教から分かれて、独自の文化として自立したわけだが、じゃあ、科学や哲学が完全に宗教の代わりを果たしているかと言えば、必ずしもそうは思えない。なにかとりこぼされたものがあるような気がするのである。頭のいい人は、その隙間を自分の考えで埋めていくこともできるのだが、誰もがそれほど頭がいいわけではない。だからこそ、いつまでたってもカルトみたいなものがなくならないのではないだろうか。

     そう考えると、現代に求められている宗教というのは、民主主義や科学のような近代市民社会の原理と決して対立せず、なおかつ、科学や哲学が取りこぼしたものだけを扱うような宗教(というより宗教性と言ったほうがいいかもしれないが)ではないかと思うのだが、肝心の宗教家は、相変わらず科学に対抗し否定することばかりを考えているように見える。そんな考え方では、いつまでたっても二流の科学(疑似科学)や処世術を垂れ流して世の中を混乱させるだけではないかと、ぼくなんかには思えてしまうのだが。。。

    余談:この話とは別に、ちょっと面白かったのは、ブリトニー・スピアーズやパリス・ヒルトンに言及した部分(トランスクリプトを参照)。

   

        KING: Yes. That's what many think, that this whole group, these youngsters, are basically good.
       
        V. OSTEEN: Oh, yes.
       
        J. OSTEEN: Oh, yes.
       
        KING: They've just had too much, too soon.
   

    ぼくはこの部分を読んで、ついカメダさんやサワジリさんのことを思い出してしまい、"They've just had too much, too soon." というのは、まったくその通りだと、宗教とは無関係に共感したのでありました(^^)。ある意味、日本でもアメリカでも同じことが起こっているんだろうなあ(^^)。

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爆笑問題のニッポンの教養スペシャル

 「爆笑問題のニッポンの教養スペシャル」見ました。爆笑問題が、慶応大学で大学の先生ばっか相手に討論をやるという超無謀企画(^^)。でも、けっこう面白かった。

 なにより、あのメンツ相手に、正面から堂々と飲み屋のオヤジみたいなしろーとの議論を仕掛ける太田光はすごいと思いました。いや、ほめてますほめてます(^^)。だって、ぼくなんか絶対そんなことできないもんね(^^)。

 ほらなんか、能力技術以前に男気みたいなもんで、かなわんなあ、と思うことってあるじゃない。なんか、やーさんみたいな評価の仕方でアレなんですけど(^^)。


 「太田総理」や「ニッポンの教養」を見てて面白いなと思うのは、太田光が、この手の番組にありがちな古典的かつ安易な手法、つまり、庶民の側に立って権威をこき下ろすという方法を、あえて封印していることである。明敏な彼は、そういう手法が一時代前の手法であって、現代にはもはや通用しないことを十分に悟っているのだ。もちろん、だからと言って、あの太田光が、単純に権威に媚びるという方法をとるわけもない。

 そこで彼が選んだのは、権威を持ち上げるでもなく否定するでもなく、あくまで一個の人間として誠実に権威と対峙するという、「第三の道」だった。おそらく彼は、一芸人である自分が、権威と市民との間でなんらかの役割を果たしうるとしたら、そういう形しかないはずだと、芸人としての直感で感じているのだと思う。

 もっとも、これはきわめて微妙なバランス感覚を必要とする方法で、逆にただのうっとおしいバカと思われかねない危険を常に負っている。今のところ彼は、絶妙のバランス感覚でこの危険な綱渡りを成功させているように見えるが。。。

 ぼくは正直、このような方法がどこまで成立しうるのか懐疑的な部分もあるのだが、ファンとしては彼の「蛮勇」を買って彼のやることを見守ってやりたいという気分なのである。よし太田、行けるところまで行ってみろ、骨は俺らが拾ってやる、と(^^)。

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アメリカのドラマが面白いのか、アメリカが面白いのか

セックス・アンド・ザ・シティ シーズン 1  前から観たいと思っていた「Sex and the City」、オンデマンドTVにシーズン6まで揃っていたので、とりあえずシーズン1の全12話を一気に観てしまう(もちろん、仕事をしながら(^^))。期待に違わぬ面白さであった。

 狙っている線は、意外と「アリーmyラブ」なんかと近いと思う。ただ、アリーの場合には、フェミニストでありながらロマンチストでもあって、この両者の葛藤に振り回されるという感じなのだが、「Sex and the City」の登場人物の場合には、もう男女平等は当たり前の前提で、その上で女性としての人生も欲張って楽しもうと思っているという感じ。この作品では、そういう「進んだ女性(および男性)」の引き起こす騒動をコミカルに描いている。また、「アリーmyラブ」の場合、基本はドタバタながらも結末は浪花節的だったりするのだが、「Sex and the City」の狙っているのはもっとおサレっぽくシニカルなユーモアである。音楽も、「アリーmyラブ」ではアル・グリーンとかR&Bだったりするのに対し、「Sex and the City」はジャズである。

アリーmy Love ファースト・シーズン DVD-BOX  ぼくはこの手のアメリカのドラマとか「サウスパーク」とか大好きなのだが、ときどき、根本的な疑問を抱くことがある。それは、ぼくが面白がっているのは、アメリカのドラマなのか、それとも、アメリカの文化そのものなのかということだ(^^)。

 「サウスパーク」の面白さなんて、本当は、アメリカ文化についての知識が相当ないとわからないはずだ。かく言うぼくも、十年前だったらほとんど何が面白いのかわからなかったと思う。今も、一回観ただけで完全にわかるとはとても言えなくて、せいぜい2/3ぐらいしかわかってないだろう。そのようなぼくが「サウスパーク」のような作品を観る場合、頭の中である種の文化翻訳を行っている。このギャグは、アメリカ文化のこういう側面を反映しているんだろうなあ、と瞬間的に想像した上で、そうか、アメリカではこれがギャグになるくらいに、こういう文化が当たり前になっているんだなあ、と勝手に逆算して笑うという感じなのである。

 「Sex and the City」にしても、女性が性的に過激な台詞をバンバン言うのがギャグになっているが、あれも多分、実際ニューヨークにはそれに近い女性が結構いるんだろうなあ、ということを勝手に想像して笑っているわけである。だから、いったいぼくが笑っているのは、ドラマの作り手が意図的に作ったフィクションなのか、その背景にあるアメリカの文化なのか、なにやら自分でもあやふやな感じになってきてしまうのだ(^^)。

サウスパーク 無修正映画版  面白いのは、この作品はそのような過激なセックスネタ満載なのに、台詞には f**k や s**t などのいわゆる四文字語がほとんど出てこないということである。これはもちろん、媒体がテレビだからに違いなくて、映画だったら、これより遥かに穏健な作品でも四文字語出まくりだったりするのはご存知の通り。そういう状況を痛烈に皮肉ったのが、これまた「サウスパーク」の劇場版である「サウスパーク/無修正映画版」 であろう。これもオンデマンドTVで観たのだが、まさしく抱腹絶倒の面白さである。

(たとえば、検索してみればわかるが、あのいかにも荒唐無稽なVチップというのは、実は現実にも存在する。ただし、埋め込まれるのは脳ではなくテレビの方で、本来はコンテンツ規制のための装置である。)

(追記:「Sex and the City」のシーズン2を観始めたのですが、シーズン1よりさらに下品になっていて、F-word や S-word も結構使われてました(^^)。ケーブルだとこのぐらいはOKなのかな(^^)?)

 つまり、アメリカ文化にはかなりムチャクチャなところがあるのも事実なのだが、そのムチャクチャさを自覚してシニカルに批評する目もまた、アメリカの中に存在しているというところが、アメリカ文化の大きな特徴だと思うのだ。ひょっとすると、アメリカ人の多くは、そういうムチャクチャなところがまさにアメリカの個性であり、自分たちは自覚的にそういう存在であり続けているのだと思っているのではないか(^^)。

 ここから突然暴論モードになる(^^)。最近また反米が流行っているようだが、そういう反発の中には、どうもいまだに西欧コンプレックスの裏返しみたいなところが残っているような気がしてやりきれない。それよりも、アメリカ人というのは、他の国の人がやりたがらないような一種の人体実験を奇特にも率先してやっている人たちだと考えたらどうだろうか(^^)。そうすれば、日本人も、自分たちはあえて熟慮の末、危険なことには手を出さずに、おいしいところだけ持っていっているのだ、というプライドを持てるのではないか(^^)。もちろん、それを露骨に態度に出したら向こうだって怒るだろうし、アメリカ人がある程度の危険手当とか先行者利益とかリスク・プレミアムとかを手にすることは認めなければならないし、国際政治におけるアメリカの覇権主義の問題なんかはそれどころではすまないだろうけれど(^^)。

 そうやってアメリカ人を余裕を持って冷静に観察する態度を身につけるためにも、とりあえず、「Sex and the City」はお勧めです(^^)。

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コナンとアルマゲドン

 早速オンデマンド TV でビデオ作品を何本か鑑賞する。いい作品は気合入れて集中してみたい方なのだが、そんな時間をとる余裕はないので、ながらで観ても後悔しないような作品を選ぶ。つまり、昔観た作品とか、B 級娯楽作品的な奴とか。

 未来少年コナンは、今見てもやっぱり名作であった。ひょっとして、子供の頃に見たから感動したのかも、という気もしないでもなかったのだが、プロット、アニメーション、人物描写、どれをとっても完成度が高い。なにより、この作品からは、宮崎駿の表現する欲望みたいなものがほとばしっていて、観るものを圧倒する力がある。宮崎駿はこの作品だけでも十分歴史に残ったであろう。

 昔見たときはそれほどでもなかったのだが、今見るとすごく感動するのは、モンスリーが改心するところである。モンスリーはちょっと西川史子さんに似てるのだが、そのモンスリー西川が浜田雅功なみのド S レプカに足の裏で顔をグリグリされながら喋るシーンがすごくいい(って、そういう意味じゃないよ (^^))。人間が変わる過程の模写というのは、物語がもつ最高の醍醐味の一つなのだが、この作品でそれが最もうまくいっているのがモンスリーなのである。

 モンスリーは、インダストリアに着く前の飛行艇の中で、すでに「コナンと行動をともにする」みたいな発言をしてはいるんだけど、実は、この時点ではまだ心が定まってなかったんだね。だから、インダストリアで墜落してレプカに身柄を確保された時点では、またレプカの下で働いてもいいかなぐらい思っていたと思う。ところが、ラオ博士の話を聴いているうちにもう一度心が揺れてきて、その後レプカと話し始めたときには、モンスリーは本気でレプカを説得する気になっていた。

 ところが、レプカと話していて足の裏でグリグリやられているうちに、彼女は自分自身の本当の気持ちに気づいてしまったんだろうね。冷静に計算すれば、あの場面であんな発言をして得なことはなにもないんだけど、彼女自身、自分の気持ちを言葉にしているうちに自己発見してしまったから、必然的にああいう発言になってしまったのだろう。あの場面は、そういう心の動きが、すごくうまく描かれていると思う。これは、子供のときに観たときには、あまり気づかなかったけど(^^)。

 あと、レプカの性格は、無駄にサディストすぎるところがあるんだけど、その無駄なサディストさで、作劇上の不自然さがカバーされているんだね(^^)。ギガントなんて、レプカがあんなド S じゃなかったら落ちてないでしょう(^^)。「うろたえるな!」って何回も言ってたけど、言ってる本人が一番のキレキャラなんだもの(^^)。

(テリットが死んだらしいことが一言で片付けられてるのは、なんか事情があるのかな? 無理やり台詞をカットしたようにも見えるんだけど、差別用語かなんか入ってたのかも)

 あと、B 級娯楽作品の方では、まだ観てなかったアルマゲドンを観たが、意外と楽しめた。もちろん、大傑作として持ち上げる気にはなれないが、それほどムキになってけなす気にもなれないな(^^)。少なくとも、インディペンデンス・デイよりはいいんじゃない(^^)? そんなことない(^^)?

 あの、ヒーロー役としてちょっとイカレた穴掘り屋を持ってきたり、恋愛と親子愛をからませたりするとこなんか、小技としてはなかなかうまくいってると思いますけどね。もっとも、あのマシンガンを打ちまくっちゃう奴は、いくらなんでもイカレすぎだと思ったけど(^^)。

 まあ、遊園地に行って人生が変わる奴はそうそういないだろうけど、遊園地には遊園地なりの価値があるからね(^^)。それを価値ゼロみたいに言う奴を観ると、ぼくみたいなひねくれ者はかえって反発したくなる(^^)。えーえー、確かに上がったり下がったりしてハラハラさせられるだけですけど、それが何か(^^)? そのコース設計に多少なりとも工夫があれば、入場料程度の価値はあるんでない?

(どうでもいいけど、左門豊作は、リンゴ落としたぐらいのこと、いつまでウジウジ気にしてんだよ~。ほんとキモい世界だよな(^^)。よくこんなキモいアニメがあんなメジャーになったもんだ(^^)。こんなの今だったらかんぜんにカルトだよな。当時は世の中全体がちょっとキモかったんだろうね(^^)。)

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オンデマンドTV開通

 やっとオンデマンドTVが見れるようになった。本当は去年の年末から加入していたのだが、セットトップボックスをセットアップするのが面倒だったので、まったく見ないで料金だけ払っていたのだ(^^)。

 でも、いざ開通してみるとこれはなかなか便利。普通のインターネット・ストリーミングみたいな、動画開始時や早送り・巻き戻し時のタイムラグもほとんどなくて、普通のアナログ・ビデオのような感覚で視聴できる。これが IPV6 の威力か?(^^)

 取り扱い説明書によると、ブロードバンドルーターより上流にハブをはさんで、そこからセットトップボックスを分岐させるように書いてあるのだが、別にルーターより下流で分岐させても動作するようだ。これだとなんか問題あるのかな。いまいちよーわからん(^^)。

(付記: どうも、ルーターに IPV6ブリッジ機能がない場合を想定して、念のためにそう書いてるあるだけのようだ)

 ただし、操作はリモコンでしかできないので、操作性はよくない。ウチの環境では、結局キャプチャカード経由で PC の画面上で視聴することになるので、ついマウスで画面上のアイコンを直接クリックしたくなるが、もちろん、それではまったく動かない(^^)。

 特に、ビデオ選択画面から自分の見たいビデオを探すのなんか、ジャンルを選んでサブジャンルを選んで作品一覧を上から下までスクロールして…、なんて面倒でとてもやってられないので、結局、インターネットのサイト上で作品検索して作品コードを調べて、そのコードをリモコンから打ち込むみたいなことをしている(^^)。

 もっとも、セットトップボックスには USB 端子がついてるので、将来的には、PC 画面上で操作できるようになる可能性もあるのかもしれない。っていうか、それでなきゃ面倒でやってられないから、ぜひそうしてくれ(^^)。

 レンタルだと、借りてきてからつまらないことがわかっても、借り直すまでに時間がかかるが、これだと、つまらないと思ったらすぐ別の作品に切り替えられるし(^^)。まだまだ作品数が少ないのが玉に瑕かな。 あと、チャンネルの方にはコメディ・セントラルを入れてくれ(^^)。なんだったら、英語のままでもかまわんぞ。

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みのもんたにするぐらいなら、太田光にしなさい!

 ニュース 23 のキャスター候補としてみのもんたが挙がっているという話を聞いて、心底ウンザリしてしまった。まあ、筑紫氏がやめてもいないうちからこんな話をするのも、人間としてどうかと思っていたのだが、すでに話題になってしまっているならこの際言ってしまおう。

 みのもんたにするぐらいなら、太田光にしなさい。どっちにしろいい加減なことしか言えないんだったら、自分がいい加減なことを言っているという自覚がちゃんとあって、それをギャグにして笑いがとれる太田光のほうがはるかにましです。

 もちろん、太田光がキャスターでは普通のニュース・ショーにはなりえないので、TBS は覚悟を決めて、日本の Daily Show を目指すのです。ちゃんと作家さんとかも集めて。Daily Show はバカにしないでちゃんと研究しといたほうがいいぞ。なぜあれが受けるのかが理解できなければ、新しい時代のニュース番組などつくれっこないと思うぞ。

 だいたい、護憲派最大のスターである太田光を、日テレやフジや Will みたいな保守メディアにばっかりとられているテレ朝や TBS は何をやっているのか。そのくせ細木みたいな半分○○○人間を持ち上げて。そんなことしかできないんだったらとっとと三木谷氏にとられてしまえ!

 いっそ、筑紫さんが自分から太田光に禅譲してくれないかしら (^^)。そしたら、太田さんも久世さんのときみたいに感激して引き受けるんじゃないかしら (^^)。

 でも、なんだかんだ言って、筑紫さんが見れないと、それはそれで物足りないんだよね (^^)。タモリ倶楽部とかといっしょで、あのグダグダのりとかカミカミしゃべりとかを聞いてると、なんかほっとするという効用は確かにあるのだ (^^)。だからまあ、とりあえずは復帰してほしいんだけどさ。

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朝生・日中同時生放送編

 今日の朝生は、日中同時生放送ということで、日中双方の論客が日中問題について論じたのだが、一番強く感じたのは、

中国人は話が長い!

ということでした (^^)。

 なんていうか、余計な前置きや形容詞が多くて、そのくせ、核心部分ははぐらかすから、正直言って、聴いててイライラしてしまうんだよね~(^^)。それが、スタジオに来ていた論客だけじゃなくて、北京に集まっていた中国の学生さんたちもそうなんだからなあ (^^)。

 まあでも、田原さん自身はわりといつもの調子だったのでよかった。この企画の話を最初に聴いたときには、田原さんも日中関係を気にしてビビってしまうんじゃないかという心配もあったけど。

 正直言うと、筑紫さんのクリントン番組のときみたいに、何かハプニングが起こらないかと、心配半分、いけない期待半分で観てたところもあったんだけど、特にそういうこともなかったですね。

 一番おかしかったのは、番組中に、中国の視聴者から、司会者は中立であるべきだ、みたいな文句が何度も来ていたこと。そりゃくるだろうね~。でも、おかしなもので、普段は田原さんに批判的なこともあるぼくまでが、

これこそが田原総一朗なんだ。まいったか!

などとつい自慢したい気持ちになってしまった (^^)。これは一種の「愛国心」なのだろうか? ぼくは自分では愛国心なんてほとんどないと思ってたんだけどなあ (^^)。

 まあでも、こういう企画を実現したこと自体は、やっぱり高く評価すべきであろうと思う。田原先生、もうあんたは死ぬまでその路線で行け! その路線をやめるときは死ぬときだ!(^^)  骨はぼくらが拾います (^^)。

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コルベア・リポート:ピンカーの巻

 コルベア・リポートにスティーブン・ピンカー登場。脳の仕組みを単語 5 個で説明しろとか、例によってムチャクチャなこと言われてます (^^)。

 最後のオチは、「F○○K」ですね (^^)。

 もし、赤ん坊をずっとバーチャルな世界で育てても、やっぱりピンカー氏が言ってるような生得的な認知フレームは破壊されないのかなあ。アリストテレス的な力学法則の成り立つ世界とかを無理矢理作ってしまって、その中で育てても、認知フレームがそれに適応してしまうことはないのだろうか。まあ、本当にそんな実験をしたら、幼児虐待になってしまうから無理だろうけど (^^)。

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西部・宮台対談

 「マル激トーク・オン・ディマンド」で西部邁氏と宮台真司氏が対談するという驚きの企画をやっていました。このお二人はながらく対立関係にあって、テレビの生放送中に宮台氏に論破された西部氏が席を立って帰ってしまったという有名なエピソードがあるほど。そんなお二人が対談したとあって、つい、野次馬的興味で観てしまいました (^^)。

(といいつつ、ぼくは残念ながらその決定的瞬間を観てないのですが(^^)、見ていた友人の話によると、西部氏が退席する姿を見て哄笑する宮台さんの姿はまるで悪魔のようだったそうです (^^)。その友人は、今度の都知事選で共産党候補に投票しろとかいうような人で、西部氏とは思想的にほど遠いはずなのですが、宮台氏の哄笑する姿があまりに怖すぎて、まったく宮台氏に共感できなかったそうです (^^)。見てみたいなあ。ようつべとかにアップされないかしら(^^))

 で、結論から言うと、はっきり言って気色悪かったです (^^)。いったい、宮台サンはなぜ西部さんを持ち上げようと思ったのか。申し訳ないのですが、何をたくらんでいるとしか思えない (^^)。だいたい、あれだけフェミニズムに対するバックラッシュを批判していた宮台さんが、「バックラッシュがあるのは当然だ」はないでしょうが (^^)。あの人は結局、自分が頭がいいということを見せたいだけなのかなあ思ってしまいましたよ。まあ、柳沢発言問題のところだけはちょっと共感したけど。

 西部さんの話も、言ってること自体は基本的に間違ってるとは思いませんよ。でも、新しい話や独自性のある考えはほとんどないですよね。きつい言い方をすれば、二周三周遅れの話だけしかしていない。そんなことはとっくにみんな承知していて、そこから先を悩んでいるんじゃないかと思うのですが、それをさも自分だけが気づいていることであるかのように、しかも酔っぱらいのような口調で延々と喋るので、正直ウンザリしました。

 それじゃあ、そのへんの議論好きオヤジの独演会とかいっしょで、その程度の話なら、ぼくだってできるって (^^)。それで知識人批判とかされてもねえ。じゃあ、知識人としてもたいして価値のある話もできなけりゃ、一般庶民でもないという西部氏自身のスタンスはなんなんだと思ってしまう (^^)。

 西部さんは、全面的な改革を否定し、漸進的な改革を主張するのが保守だみたいに言ってたけど、全面的と漸進的の間にはっきりした線なんかひけっこないじゃないですか。だいたい、人類はすべて 40 億年前の DNA を引き継いでいるし、人間個体だって、常に一瞬前の肉体や記憶を引き継いでいるんで、そういう意味では、人間や生物は基本的に保守なんですよ。

 つまり、極端に言えば、人間のやることに「全面的」な改革なんてありゃしない。あるとすれば、人間であること自体をやめるとか、生物であること自体をやめるとかしかないけど、それだって、「人間が」人間であることをやめるという以上は、人間であるという連続性はどこかに残っているんだよね。

 だから、私はむしろ逆で、保守より目((c) バザロバ・ナタリア)、じゃなかった、人間は完全に保守的になることもできなければ、完全に革新的になることもできなくて、保守と革新の差なんて、所詮は程度の差にすぎないはずなんだよね。そういう意味では、日和見主義で場当たり的な政策をとっている政治屋さんたちのほうがよっぽど現実的であって、どっちがより「真の保守」か、なんて言ってる方が、よっぽど観念的だと思う (^^)。

 今書いた意見だって、十年ぐらい前に橋爪大三郎さんが書いてた意見を、ぼくが自分なりに言い換えただけであって、ちっとも新しくもなんともありゃしないんだけどね (^^)。そんなことを、一般向けのメディアならまだしも、丸激のようなメディアで今さらきかされても、うんざりするだけだよね (^^)。

 ぼくは、坂道で踏むブレーキとしての保守には存在意義があると思うけど、もともと、完全にノーブレーキで突っ走ってる奴なんか誰もいないし、一部の自称保守は、むしろ、坂の途中を目指してバックして逆走しようとするでしょう? それは、ぼくに言わせれば、革新のメンタリティなんだよね (^^)。真の保守なるものがいるとすれば、それは、最終的には坂の下にずり落ちることを承知で、ブレーキを踏み続ける人、言い換えれば、負けを承知で闘い続ける人だと思う。

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がんばれ、くりいむしちゅー!

 今日ちょっと気になったのはこの記事。

 「やりたい放題の細木数子に“包囲網”が敷かれ始めた!!

と言っても、よく読むと、細木サンといっしょに番組をやっているくりいむしちゅーが番組を降りたがっている、というだけの話なのだけれど、結構うれしかった (^^)。というのも、くりいむしちゅーは前からワリと好きな芸人で、あの細木サンと番組をやっているのだけが玉に瑕だな~、とずっと思っていたので (^^)。くりいむしちゅー、ここでつっぱり通せれば芸人としての格もワンランクアップだぞ (^^)。がんばれ!

 まあでも、細木サンは数字取れるんだからしょうがないんだろうなあ、と思いつつこのニュースに対する mixi のコメントを見たら、ほとんど 100 対 1 ぐらい(筆者のぱっと見推定)の比率でアンチ細木派が圧倒的だったので驚いた。やっぱり、あの人の番組が好きな層というのは、自分も若者に説教したくてしょうがない中高年層なんだろうね~。

 いや、別にぼくは若者に媚びるわけじゃないし、そういう説教オバサンみたいなのがいてテレビに出ててもいいと思いますよ。ただ、ぼくはあの人が出てる番組の演出が嫌いなの。あの、いかにもナマイキそうな女子高生とかが、細木にやり込められて一言も言い返せないでシュンとしてるみたいな演出が。そんなことありえね~だろ~!(^^) あれは、そういうふうにした方が、あの番組を見てる視聴者層に受けるという判断なんだろうけど、見てるとほんとジンマシンが出そうになる。

 そういうわけで、実際ほとんど見てないんで、たまたま見てしまった(^^)範囲でしか知らないんだけど、一番あきれたのは、ミスター・マリックと競演してたとき。ほら、ミスター・マリックがいろんな番組のロケ現場に突然現れて、手品のタネを見破ったら賞金いくら、とかいうシリーズあるじゃないですか。あれで細木サンの番組に乗り込んだときが、もうムチャクチャだった。

 まあ、細木サンがタネを見破るだけなら、まだあってもおかしくないと思うんですよ。でも、細木サンはなんとその後、「今度は私からマリックさんに挑戦します」とか言って、いろいろ道具ひっぱり出してきてマジックやっちゃうんですよ (^^)。そんなの、事前に準備してなきゃできっこないじゃん (^^)。それで、最後にマリックの手品のタネを見破って、さすが細木サン、すごいすごいだって。なんじゃそりゃ (^^)。

視聴者をナメるのもいい加減にしろ 

 あれを見たら、細木の番組を作っているスタッフが、いかに視聴者の知能レベルをバカにしきっているかがよ~くわかった。正直ムシズが走る。

 だから、ぼくは細木サン個人が嫌いというより、あの人の番組を見ていると、ああいう人物をスターにしたてあげてしまうテレビ界のイヤらしい構造がありありと透けて見えてしまうので、それでうんざりしてしまう、という感じなんだよね。

 いい忘れたけど、「ガキの使い」の「ピカデリー梅田」は、あきらかに細木番組を意識してるよね (^^)。ダウンタウンにしては、正直すぎるぐらいのパロディだけど、大好きです (^^)。

追記: なお、「人生経験の豊富な人」の説教が好きな方には、雀聖・阿佐田哲也(色川武大)氏が、一度地獄に落ちた人の視点から、きれいごとではない「愛」を説いた、「うらおもて人生録」という本をお勧めしておく。

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ビル・ゲイツが Daily Show に!

 ななんと、あのビル・ゲイツがあの Daily Show に! よっぽど Vista を宣伝したいのかなあ。でも、思ったほど面白くないですね (^^)。

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料理専門インターネットテレビなど

 TasteTV という、料理番組ばっかりやっている、変なインターネット・テレビのサイトを発見。 元はケーブルテレビの放送局だったらしいのですが。

 このように、ちゃんとプレーヤの貼り付けもできます。
(どうでもいいけど、このビデオで「いちむらさん」が日本語でしてる料理の説明と、その後のパツキンねーちゃんがしてる英語の説明って、よく聴くとぜんぜん内容違うよね (^^)。いちむらさんは hard to get とか言ってないし、herbs and spices とも言ってない。「アルコールで臭みを飛ばす」という話はなくなっちゃってるし (^^)。どーせバレないだろうと思っていい加減な仕事してるな。)
 
 PC Magazine でも "The complete guide to TV on the Web" という特集をやっていたので買ってみたのですが、あんまり目新しい情報はありませんでした。ただ、インターネット上の動画サービスが着々と発展していることだけは実感できましたが。
 ご参考までに、紹介されていた URL だけ書いときますね。

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iPhone ネタ動画

 早速 iPhone がネタにされておりますね (^^)。 

 これは NBC の Late Night with Conan O'Brien という番組からのクリップのようですね。 久しぶりに NBC のサイトを見たら、コメディセントラルそっくりのビデオプレーヤがインストールされていて驚きました。向こうはどんどん進んでますね~。(^^)

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ダウンタウンの「擬似ヤラセ」に見る「演技する精神」

 山崎正和氏の「演技する精神」を久しぶりに読み返していたら、この本の理論を援用して、ダウンタウンの「擬似ヤラセ」の面白さがうまく説明できることに気づいた。(われながらいったいどういう連想回路をしているのかと思うが…(^^))

 「擬似ヤラセ」というのは、ダウンタウンがよくやるある種の企画に対して、ぼくが勝手につけた名前で、「ガキの使いやあらへんで」という番組の「板尾が来た」というシリーズがその代表例である。この企画について、番組を観た事のない人のために簡単に説明すると、こんな感じである。

ダウンタウンとスタッフが楽屋で打ち合わせをしていると(外でロケをしていると、etc.)、板尾創路が予告もなくやってきて、新しい企画を考えたから(偶然カメラに映ったから、etc.)金をくれと言い出す。 あまりに理不尽な言い分なのでダウンタウンとスタッフは抵抗するが、板尾のごり押しに負けて、しぶしぶ金を払ってしまう。

 こういうのを完全にドキュメンタリー調でやるのだが、板尾が貧乏で金に汚い人間だという設定はもちろんウソである。この映像がもし、本当に板尾が貧乏で金に汚い人間だということを信じさせようとして作っているのならヤラセそのものだが、この企画の場合、話が大袈裟すぎたり不自然すぎたりして、視聴者は観ているうちにこれはウソだと気づくような仕掛けになっている。

 つまり、普通のヤラセが、ウソを信じさせるとい目的のために作られた映像だとすれば、この「擬似ヤラセ」は、ウソを信じさせるとい目的をカッコに入れて、映像の作り方だけを忠実にマネた模倣なのである。

 さて、山崎理論によれば、模倣というのは、行動の目的をカッコに入れることによって、見るものの注意を行動の目的から過程に移す効果があるという。

 この擬似ヤラセを見た視聴者も、それがウソだと気づいた時点で、この映像が語ろうとする「目的」から映像そのものへと、強制的に注意を向けさせられることになる。そして、怖ろしいことに気づかされることになるのだ。

 この企画の映像はいかにもウソっぽい映像だが、よく考えてみると、板尾がスタジオやロケ地に来てそういう行動をとったということ自体はウソでもなんでもない。「本当」の映像との違いは、板尾が現実的な要請に基づいて自発的に行動をしているか、事前に打ち合わせをした上でその通りに行動しているかだけにすぎない。しかも、番組の中では、打ち合わせのシーンを流すわけでもなけでば、「板尾は金に困っています」というテロップやナレーションが入るわけでもなく(最近はテロップを入れることもあるようだ。無粋なことである)、板尾の行動を淡々と流しているだけである。ということは、実は、

 あの映像自体はウソでもなんでもなく、まごうことなき真実なのである!

 お気づきの通り、この構造は、印象操作を行うために編集されたニュース映像などとまったく同じである。つまり、この擬似ヤラセは、テレビ映像というものの本質的な欺瞞性を、凡百のメディア論なんかよりはるかに鮮やかに暴いてしまっているのである。これが、この企画のアイデアが第一にすごい点である。

 さらに、このアイデアにはもう一つの効果がある。この企画を、擬似ヤラセではなく、純粋なフィクションとしてやったときのことを想像してほしい。板尾が貧乏なタレントの役、ダウンタウンが冠番組を持っている売れっ子タレントの役をやっているコントだと考えてみるのだ。

 我々がフィクションを観るときには、たとえコントであっても、登場人物に感情移入して観ようとするものだ。したがって、板尾が貧乏だという設定はフィクションだとわかっていても、「もし板尾が本当に貧乏だとしたら」という仮定のもとで観ることになるだろう。そうすると、貧乏人が必死でやっていることを笑いものにしていいのかとか、ダウンタウンは売れてるからって傲慢じゃないのかとかいう、余計な想念が湧き上がってきて、素直に笑えないに違いない。

 しかし、この擬似ヤラセの場合、視聴者はそれがウソだと気づいた時点で(松ちゃんが「ガキの使い」のトークで激怒していたように、本気にしてしまう視聴者もいるようだが)、「板尾が貧乏かどうか」という問い自体が無意味になり、板尾が貧乏だとは仮定としてですらも思えなくなるのだ。その結果、登場人物の行動だけに注意が集中するようになり、追いつめられた人間の行動のおかしさ、みたいなものを純粋に笑えるようになるのである。前に書いた、「ウソなんだけど、本当よりも真実を語ってしまう」というのはそういうことである。

 余談になるが、ぼくがダウンタウンのこの手の擬似ヤラセ企画を観たのは、かれこれ十年も前にやっていた「ごっつええ感じ」という番組が最初である。ちょうどまだ「電波少年」などもやっていた頃で、猿岩石のヤラセ疑惑などが話題になっていた時期でもあった。したがって、その企画を見たとき、なんとすごい発想かと思い、松本人志という人はまごうことなき天才であると確信したのであるが、そのころはまだ、何がすごいかを理屈で説明することはできなかった。それを十年以上たってやっと理論化できたので、余は満足である (^^)。

 もっとも、松本人志という人の頭の中には、このような高度なお笑い方程式がまだまだたくさん隠されていると思う。ぼくか松ちゃんのどちらかが死ぬまでの間に、なんとかその全貌を明らかにしたいというのがぼくの密かな野望である (^^)。(なお、文中の敬称を一部略させていただきました。)

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レヴィット、ドーキンス、クルーグマン

 なんと、「ヤバい経済学 」のスティーブン・レヴィットも出てたよ。ホントにためになる番組だなあ (^^)。
 意外とマジメそうな人ですね (^^)。 「悪ガキ教授」って感じじゃないなあ。 前半はヤクの売人が意外と貧乏だという話。後半はチャイルドシートはあんまし役にたたないという話ですね。
  • A child called "it"  児童虐待を受けた子供の自叙伝。「“It(それ)”と呼ばれた子」の題で邦訳あり。
  • Malcolm Gladwell ジャーナリスト。
  • Blink 上記 Gladwell の著書。 人間の直感は短時間で多くのことを把握できる、ということを説いた本であるらしく、おそらくそれに対する皮肉がこもっているのであろう。
  • Karl Rove ブッシュの選挙参謀。
  • THE math 上記カール・ローブは、共和党は 2006 年の選挙に勝てると予想し、その根拠を、自分の計算が THE math (唯一絶対の計算) だからだと主張した。しかし実際には共和党は惨敗した。
  • John Bates Clark Medal ジョン・ベイツ・クラーク賞。アメリカ経済学会が経済学者に与える賞。
 そして、こっちは「利己的な遺伝子 」のドーキンスたん。
 
 でたーっ! スパゲッティ・モンスター教! やっぱレヴィットよりこっちの方が全然面白いぞ (^^)。 当たり前か。神はいないという人だから、保守派をからかうネタとしては最適だよね (^^)。 しかしなんでこの人はパチンコとか知ってるんだろう。アメリカでパチンコそんなに流行ってんの?(^^)
  • Darryl Dawkins (Chocolate Thunder) バスケットボール選手。
  • Stephen Hawking はわかるよね (^^)。車椅子の天才物理学者。
  • Flying Spaghetti Monster インテリジェント・デザイン説を皮肉るために作られた架空の宗教。
  • Thor トール。北欧神話の雷神。 ハンマーを持ってます。
  • Pagan はキリスト教徒から見た異教徒、特に多神教の信者。
  • atheist は無神論者。
  • fornicate 姦淫する。(たぶんわざと固い言葉を使っている。)
  • Bagatelle パチンコに似たイギリスのゲーム。
  • unparsimonious これはいわゆる「節約の法則 (law of parsimony)」に反しているということですね。「オッカムの剃刀」とも言います。「オッカムの剃刀」については、「コンタクト 」という映画を観ればわかるはずです (^^)。

 後半はすっかり、「難しいこと言ってごまかすんじゃねえよお~」みたいなアカンタレ・キャラになってます (^^)。

 最後は、ポール・クルーグマン。

 これも、エコノミストとしてではなく、ニューヨーク・タイムスのコラムニストとしてイラク問題を語るという感じで、かなり盛り上がってますね (^^)。 でも、クルーグマン先生はちょっとあがってるみたいだね。あがってる芸人とはからみたくない、と松ちゃんは言っておりました (^^)。

  • beardie おヒゲさん、という意味。60 年代の「ビート族」という意味もあるらしい。クルーグマンってそんな世代?
  • Mohamed Atta  9.11 の実行犯。
  • co-president 社長なら共同社長というのもあるが、大統領は一人に決まっているので、普通はこういう言葉は使われない。ブッシュはお飾りで実際に政権を動かしているのはチェイニーだ、ということを皮肉っているわけである。
  • WMD 大量破壊兵器のこと。
  • universal negative 全称否定。論理学用語。 「イラクで大量破壊兵器が見つからない」とはいえても、「イラクに大量破壊兵器がない」とは論理的に言えないだろう、というお話。
  • Fields medal フィールズ賞。数学におけるノーベル賞と言われる。

 なんか、コメディ・セントラルの回し者みたいですけど、でもこのシリーズ好きですね (^^)。 コルベアはいかにもビル・オライリーが聞きそうなことを聞いているだけなんだけど、ゲストは別にふざけてるわけではなく、それを承知の上でマジメに応えてる。そこになんかちょっと、ガキの使いの「板尾が来た」をはじめとする一連の擬似ヤラセみたいな、気持ちわるーい面白さがあります (^^)。ウソなんだけど、本当よりも生々しく真実を語ってしまうという。

注: しつこいようですが、この「コルベア・リポート」という番組は、ビル・オライリーがやっている「オライリー・ファクター」という番組のパロディなのです。ホントはこういうこと書きたくないんだけど、そう思って見てもらわないと、誤解を招くかもしれないので。 為念。

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ピーター・シンガーがコルベア・リポートに…

 かの哲学者のピーター・シンガーが「コルベア・リポート」に出たらしくてびっくり。コメディ・セントラルの番組は、ホントに勉強になるね (^^)。
speciesist ですか。それは human being じゃなくて、キリスト教徒もしくは近代人のことじゃないのかなあ?(^^) 少なくとも、虫愛ずる姫君とかナウシカとかは違うんじゃ (^^)。

注: 野暮な解説ですいませんが、この「コルベア・リポート」というのは、ビル・オライリーがやっている「オライリー・ファクター」という番組のパロディなのです。ホントはこういうこと書きたくないんだけど、そう思って見てもらわないと、誤解を招くかもしれないので。

だから、このキャスターなんか○○○だな、と感じたら、それはたぶんビル・オライリーの○○○なところをマネしているんだし、この客はなんでこんな発言で盛り上がっているんだろう、と感じたら、それは、客もビル・オライリーの○○○なところをうまくマネしていると感じたからなのですし、ピーター・シンガーはこんなこと言われてなんでニコニコしているのか、と感じたら、それはピーター・シンガーもコルベアがビル・オライリーのマネをしてることを知ってるからなのです。そこんとこよろしく (^^)。

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内藤朝雄@マル激

  マル激内藤朝雄氏のイジメ論を視聴。意外とぼくの考えに近かったので、特にここに書くほどの感想はありませんでした。「仲良くよくしろと言うのをやめろ」と書いたときには、誤解を招くかもと思ったのですが、イジメの専門家も同じようなことを考えているらしいので安心ですね (^^)。

 念の為補足すると、「仲良くしない」というのは、何も喧嘩をしろと言ってるわけではまったくなくて、暴力で他人に何かを強制しないというような社会人としての最低限のルールは守るし、学校という機能集団が本来の機能を果たすための最低限の協力もするのです。つまり、実験や実習で同じ班になったときとか、体育で同じチームになったときとかは、たとえ仲が悪い同士でも協力するし、できれば、朝晩の挨拶ぐらいもするのです。ただ、自由時間や放課後に誰とおしゃべりし誰と遊ぶか、というようなことは、決して強制しないというだけのことです。

 もちろん、それだと誰とも遊んでもらえない子も出てくるかもしれませんが、この場合には、その子はイジメられているのではなく、純粋に他の子に好かれていないというだけですからね (^^)。これは、オトナの世界だって同じことで、一次会には誘われても、二次会三次会には誘われない人とかいるでしょ。あれはイジメとまでは言えないですからね。

 逆に言えば、このように、自分の自由意志で友だちを選ぶのが当然という状態において、はじめて、イジメという行為自体が自己目的化しているのではなく、純粋に他の子から好かれていないだけということがはっきりするわけです。そうなれば、好かれないのはその子自身にも原因があるかもしれない、ということも言えるかもしれない (^^)。

 もちろん、他人に好かれない、ということ自体は必ずしも「悪」とは言えないので、そうなったときにどうするかも、最終的には本人の選択です。しかしもちろん、本当に自分がつき合う価値があると思っている人に付き合ってもらえないときに、自分の意志で自己変革に向かうというのも、悪いことであるはずがありません。

 いじめる側に立って考えてみても、不快や人間と付き合うことを強制されるからこそ、その不快さをさけるために、その人間に私的な「罰」を与えたり、その人間を「いじる」ことによって不快さを笑いに転換しなくてはならなくなったり、ということもあるはずなんですね。だから、仲良くすることを強制するのをやめれば、そういう行為の必要もなくなるはずなんです。

 このように、お互いが自由意志で付き合うということを前提とすれば、サービス精神であえて道化キャラを演じたり、それを「いじって」あげたり「つっこんで」あげたりするということも、むしろ、本来相性の悪い人間同士を結びつけるための知恵としてみることもできるでしょう。

 そういうことをすべてひっくるめて、「自分の付き合う相手は個人の自由な意志で決めるという原則」を徹底することが、すべての鍵ではないかと思うわけです。

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Terrible Monster

  • 「超獣」の訳語が何故”Super Monster”ではなく”Terrible Monster”なんですか?

(特撮の理不尽な点を強引に解釈するスレまとめサイトより)

でも、とあるところで英語の吹き替え版を見たら、明らかに Super Monster と言っていたぞ (^^)。

…子供の頃はまったく気づかなかったけど、ウルトラ兄弟をタールで固めてしまったヒッポリト星人って、チンピラ的というか、ほとんどジャイアンみたいな喋り方だったんだね。威厳もへったくれもありゃしない。ウルトラの父は、初登場でいきなり即死亡だし。。。あのころのテレビ屋さんって、あまり後のことを考えてなかったのかしら。

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Comedy Central さん江

 Comedy Central 関係の South Park Daily Show からキャプチャしたビデオが、YouTube から削除しまくられているようですね(こないだブログに貼り付けたサウスパーク・マトリックスも消えてる)。うーん、仕方ないとは思うけど、日本人の立場からするとちょっと残念ですね。アメリカの政治、社会、文化を知るのに格好の教材なんですけどね。

 いや、ぼくはソフトの違法コピーは決してしないし、ファイル共有ソフトもほとんど使ってないし、こういう面白い番組を作ってくれた方々に正当な対価を払うことにまったくやぶさかではないんだけど、このへんの番組って、アメリカに住んでいないと、正当な対価を払ってみようと思っても見れないんですよね。

 Comedy Central のウェブサイトで見れるものはごく一部だし、iTunes Music Store の US Store も Amazon Unbox もアメリカの住人でないと利用できないし。

 まあ、サウスパークは WOWWOW とかで吹き替え版やってるらしいけど (WOWWOW なんてはいっとらんわい、ボケぇ(^^))、Daily Show は日本語版ないですよね。

 余談ですが、前にこのブログで、Daily Show のホストの Jon Stewart のことを太田光さんに似てると書いたことがあるんですが、ウェブを検索していたら、他にも同じような意見を散見しました。やっぱり、みんな同じようなこと思ってるんですね。日本でああいう番組ができるのは、太田さんしかいないでしょう。ぜひ挑戦してもらいたいなあ (^^)。

 アメリカの対外政策的にも、こういう番組はどんどん海外に輸出した方がいいと思うんだけどなあ。現在のアメリカが、いかにいろんな壁にぶち当たってのた打ち回っているかがわかれば、少しは反米感情もやわらぐかもしれないし、陰謀論的な反米論にたいして意味がないこともわかるでしょうし。

 というわけで、別に YouTube から削除してもいいけど、なんとか日本からでも正規に番組が買える方法を提供してくださいな。Comedy Central さん (^^)。


 関係ないけど、宮崎哲弥さんの切れ芸は、なんかわざとらしいよね。朝生だと、他にも田原さんという切れ芸の大御所がいるからあまり目立たないけど、TV タックルあたりだと違和感ありまくり (^^)。やめたほうがいいんでないの (^^)。

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ゴルゴダ星を爆破せよ!

 ウルトラチャンネルでウルトラマンAの「死刑!ウルトラ5兄弟」と「銀河に散った5つの星」(子供を騙すな(^^))を視聴。ウルトラ兄弟が十字架に磔になるという話で、子供心には印象に残ったのだが、今見ると脚本はメチャクチャである。

 ぼくは何も、ウルトラマンがウルトラマンAをビンタするのがおかしいとか、そんなささいなことを言っているわけではない。ウルトラマンも1年も日本に住んでいたのだから、日本の文化の影響も受けるだろう。放送はされていないが、休日にはホームドラマだって見ていたのであろう。そう考えれば、理解できないことではない。

 他にも、マイナス宇宙ってなんだよとか、超獣バラバの闘っているシーンには放射能の雨が降っているのに、地上はカンカン照りだとか(2回の戦闘シーンをまとめてロケしてるのがバレバレですぜ(^^))、そもそも放射能の雨を降らせられるのなら、超獣なんか使わなくても地球を征服できるだろうとか、超光速ロケットが設計図を渡されてたった5日で完成してしまうとか、長官を殴り倒してまで星司隊員の命に気を遣っていた隊長が、超獣出現の連絡が入るとすぐ「出動だ」とか言って出て行ってしまうところとか(切り替え早すぎ(^^))、つっこみどころはいろいろあるが、それもまあいいとしよう。

 一番変なのは、TACがなぜゴルゴダ星を爆破するのか、よくわからないことである。発案者の長官自身が、まったく理由を説明してないのも変だが、それにつっこみを入れない他の隊員も変すぎる。考えられる理由は、そこにヤプールの基地があるかも知れないということだけであるが、ヤプールが異次元人で、どこにでも出現することぐらい、何回も闘っているTACにはわかっているはずである。現に、エースキラーが意外とあっさり負けると、ヤプールは自分でゴルゴダ星を爆破してしまうので、結果的にも、やっぱり爆破する意味はなかったことになる。

 このエピソードは、市川森一氏がウルトラシリーズから手を引く前の最後の作品らしいが、「ひとりぼっちに地球人」や「盗まれたウルトラアイ」など数々の傑作をものにした市川氏も、この頃には相当やる気をなくしていたものとお見受けする (^^)。

 ちなみに、男女合体で変身するというアイデアも市川氏の発案らしく、男女平等を目指す志が感じられるところはよいのだが、南は北斗のことを「星司さん」と呼んでいるのに、北斗は南のことを「ゆう子」と呼び捨てにしているのは、今見るとかなり違和感がある。まあ、あの時代にはこのぐらいが限界だったのかもしれないが (^^)。

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プラネットアースといやいやえん

アトランティス  一部で評判らしい「プラネット・アース」を今日初めて見ましたが、いいですね。コンセプト的には、リュック・ベッソンの「アトランティス」みたいな感じかな。従来型のテレビ・ドキュメンタリーというのは、基本的に事実の希求力に依存していて、映像の美しさとかはつけたしなんだけど、この作品では、映像美の方に主眼があるのね。だから、映像のクオリティとか、どういうカットをどんな順番でつなぐかとかに、すごく神経を使っている。

 そのカットのつなぎ方も、論理的なつなぎ方じゃないのね。一般的なドキュメンタリーは、説明したい事実が先にあって、その事実を説明するためにはどういうふうにカットをつなげばよいか、という発想で作られるので、カットのつなぎ方も論理的・説明的になる。でもこの作品では、もっと感覚的なつなぎ方をしている。今回は一応「草原」というのが基本テーマになっているんだけど、それも「草つながり」という感じのゆるい枠組みでしかない。

 まあこういう現象は、ドキュメンタリーだけのことじゃないかもしれないですね。フィクションの娯楽映画の世界でも、昔は論理的にカットを構成していくのが普通だったのを、もっと生理的・感覚的な次元で構成して成功したのが宮崎駿とかリュック・ベッソンとかいう人たちだったわけで、そういう現象とある意味パラレルなのかもしれないです。

いやいやえん―童話  今回で一番印象的だったのは、やっぱりゾウ対ライオンの対決ですね (^^)。ぼくはこれを観て、「ぐりとぐら」で有名な中川李枝子さんの「いやいやえん」という絵本を思いだしてしまいました。この絵本の中に、子供たちが積み木で船をつくってくじらとりに行く、というエピソードがあるんだけど、船が完成したときに、船の名前をどうするかで喧嘩になっちゃうの。動物の中で一番強いのはゾウだから「ゾウ」という名前がいい、という子供と、いやライオンの方が強いから「ライオン」がいいという子供の間で。それで結局「ぞうとらいおん丸」とかいう名前になるんです (^^)。

 子供の頃はなんとなく、ライオンの方が肉食だから強いんだろうと思っていたんだけど、やっぱり一対一だとゾウに勝てないんだね。まあ、何トンもあるゾウの体重を支えている足で「ゾウキック」とかされたら痛そうだもんね。ストンピングとかされた日にゃ、内臓破裂で即死だろうし (^^)。

(そういう長年の疑問を解決してくれたシーンですが、撮影するのは大変だったらしいです。ライオンがゾウを狙うのは、夜中に水場に来たときなんだけど、灯りがあるところには近寄ってこない。そこで、赤外線ライトを照明にして赤外線カメラで撮影する。赤外線は動物だけでなく人間にも見えないから、撮影する方もモニター越しでないと真っ暗闇で何にも見えない状態。その状態でライオンがうろつきまわる中をじっと待ち続けるわけですね。決定的瞬間を捉えるまでには1年以上かかったとか。)

(あと、リュック・ベッソンの「アトランティス」を観る方は、ある程度大きな画面のディスプレイで見ることをお勧めします。ぼくも最初映画館で見たときは結構感動したんですが、後でレンタルビデオで見直したときはぜんぜんよくなくて、なんでだろうと考えていて気づいたんですけど、15 インチぐらいのちっちゃい画面で観てたせいなんですね。だからこれはもともとそういう映画なんです。)

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怪しいものではありません

 松本人志さんという人のいうことにはしばしば感心させられるが、先週 (先々週かな?) の「HEY!HEY!HEY!」でも名言があった。ゲストの小林麻央が、「わたしよく鼻が詰まってるって言われるんですけど、ホントは詰まってないですから」みたいなことを言ったとき、松っちゃんが「鼻が詰まってるか詰まってないかを決めるのは、そっちじゃなくて、こっちだから」とピシリ。さらに、「よく、私は怪しいものではありませんとか言う人がいるけど、怪しいか怪しくないかを決めるのはこっちだから」とバッサリ。

 念のために勝手に補足させてもらえば、これは「本当に悪人か悪人でないかは、周囲の人間が勝手に決めることじゃない」という命題と表裏一体のものとして解釈すべき命題である。言い換えれば、「悪さ」は客観的に判定すべきだが、「怪しさ」はあくまで主観の問題なのだということだ。

 たとえば、日本には、「黒づくめの覆面を着て出歩いてはいけない」というような法律があるわけではないので、どんな格好をして歩いても自由と言えば自由である。しかし、それを見た人がどう思うかだって、当然のことながら、見るほうの自由なのであって、そんな格好をしていれば、怪しい奴と思われても文句は言えない。もちろん、「怪しい」からと言って、殴ったりするのは法律的に許されないが、友だちにならないとか、法律的に許される範囲で「非好意的」に遇する自由はあるわけだ。だから、分別のある人は、よほどの理由がない限り、わざわざそんな格好はしないわけである。

 もちろん、相手が家族や友人だったら話は別で、逆に、知り合いなのに見かけだけで怪しいと決めるなんて薄情だ、ということになるだろう。しかし、そういう信頼関係のない相手に対して、見かけを無視してどんな格好をした人をも平等に扱えなどと要求するのは無理な話というものである。そんなことが可能だったら、制服やファッションなどというものは、とっくに世の中からなくなっているはずだ。

 ちなみに、この服を着ればぜったい怪しく見えない服、などというものが完成することもありえない。なぜなら、そんな服ができれば、怪しい奴はこぞってその服を着るようになるから、じきに、その服こそが一番怪しいということになるに決まっているから。つまり、怪しく見えないような格好をするのだって、けっこう個々人の日々の努力のたまものなのである。一番簡単な方法は、多数派に合わせること。だからこそ、服装には常に流行があるのである。

 また、その覆面が親の形見なので、親の命日にはどうしても着用したいとか、これを新しい革命的なファッションとして流行らせたいとか、何かしら特別な理由があれば、絶対にダメとは言えない。しかし、あえてそういうことをするからには、事前に周囲の人に事情を説明しておくとか、怪しい奴と思われてもいい覚悟をして着続けるとか、それなりの努力が必要なわけである。

 なぜ今日になってわざわざこんなことを書くのか、勘のいい人だったらすでに気づいていると思うが、残念ながら、勘のよくない人にもわかるように説明するほどの時間はない。悪しからず。

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レバノンとイスラエルの TV が見られるぞ

 CNN Pipeline というのは、チャンネルが 4 つあるのですが、現在、そのうちの 2 チャンネルを使って、レバノン国内のテレビ局の放送と、イスラエル国内のテレビ局の放送を、そのまま流しているようです。

 非常に面白い試みだとは思いますが、残念ながら、どちらも言葉がさっぱりわからない (^^)。どうせなら、英語の同時通訳をつけてくんないかな~。

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イスラエル国会中継中

 さっき、CNN Pipeline で、イスラエルの国会 (クネセット) の中継映像を流してました。かなり激論になってました。当たり前のことですが、イスラエルも単色ではないのですね。

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ウルトラマンが見たニッポン

 海の日だからなのか、News23 の特集は「ウルトラマンが見たニッポン」。

 案の定というか、「故郷は地球」や「怪獣使いと少年」がフィーチャーされていましたね (^^)。まあ、ウルトラ・シリーズに詳しい人から見れば、何を今さらという感じでしょうが。

 ただ、モロボシ・ダンが「まずは相手を信じることです」とか言ってるシーンを引用したのは、ちょっとマズいのでは。だって、ここだけ見れば、戦争より平和外交を訴える、みたいなシーンに見えるかもしれないけど、実際には、この後モロボシ・ダンは見事に宇宙人に騙されて、「宇宙人との約束とやらも怪しいもんだね、ダン君」とか言って嘲笑されちゃうんですから (^^)。

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松本人志をもっと追い込んでみよう

 第二日本テレビで、松ちゃんの新作コント「ザッサー」を観る。その感想は微妙。少なくとも、大爆笑するという感じではない。「ザッサー」を後 5 回ぐらい繰り返して、岡崎機長がもっとメチャクチャになると面白かったと思うのだが、本格的に面白くなりかけたところで終わってしまったという感じ。長さがちょっと中途半端なのかもしれない。

 とは言え、これを観てある種の期待感が出てきたのも事実。最近、常に新鮮な驚きを提供してくれた松ちゃんも、そろそろ安定期に入ったのかなあ、と思いかけていたのだが、追い込めばまだまだ何かが出てきそうな気がしてきた。「トカゲのおっさん」にしろ、初めて観たときはなんじゃこりゃと思っていたのが、だんだん麻薬のようにハマっていったのだから、このまま新作を作り続ければ、また何かとんでもないものが出てくるかもしれない。

 というわけで、必ずしも 100% 満足したわけではないのだが、もっともっと松本人志を追い込んで、新作コントを作り続けさせるために、とりあえず「ザッサー」は「戦略的」に褒めておくことにした (^^)。松ちゃんは自分でも M だと公言しているのだから、こういう言い方をしても許してくれると思うのだが。

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着信御礼!ケータイ大喜利

 「前科者」の板尾創路を起用したところは、NHK としては英断だと思うけど、投稿がいまいち面白くなかったな~(^^)。残念。

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ばーか

 久しぶりに「ランク王国」を見たのだが、グラビア・ランキングの半分ぐらいが中学生の写真集じゃねーか。

 ばっかじゃねえの。こういうのこそ、儲かりさえすれば何やってもいいのかよって言いたいよ。

 世も末だ。

  あと、「彼氏にしたい職業ベスト 10」とかで、「IT 関係」が 5 位ぐらいに入ってたけど、ギャグとしてならともかく、マジメに自分で自分のことを IT 関係だとかいうやつに、ロクな奴はいないと思うぞ(^_^;。「ネットの仕事やってます」とかさ。何だよ、ネットの仕事って。

 そういうこと面と向かって言われると、なんか、すっごくバカにされてるような気分になってくるんだよね~(^_^;。

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町人たち

 これはまた、辛辣なのか屈折した愛情なのか、びみょーな意見ですねえ(^^)。

 これを見て、星新一さんが書いた「町人たち」っていうショート・ショートを思い出しました。これは要するに、忠臣蔵の時代の町人は、実はあの事件を今風に言えばそれこそ劇場型の事件として楽しんでいたんだ、ということを、星さんらしくクールな筆致でさらっと書いた小説なんだけど。

 星さんはこの着想が気に入ったと見えて、同じようなテーマで普通の時代小説も書いてます。たしか、「殿さまの日」かなんかに収録されてたと思うけど。題名は忘れました。

 実はぼくも、今になってホリエモンに対して感じるのは、「若い」ってことなんですよね(^^)。彼にある種の鋭さがあったのは確かでしょう。それが脆さと紙一重だったとしても。まあ、あんな偽計取引とかを平気でやってしまうのは、どーみてもダメダメなんだけど。

 でも、若くて才能のあるヤツって、たいていそうなんですよね。伝記モノとか読んでも、よくよく考えるとつっこみどころ満載で、一歩間違えばどうなっていたかわからないような人って、結構多いと思うんです。もちろん、伝記モノでは、そこで道を間違えなかったのが、彼の真に偉いところだ、みたいなまとめかたをされるんだけど、ホントにそうなのかなあ(^^)。ぼくは、単に運がよかっただけ、というような人も多かったのではないかと思います。たまたまそこで、ふところが広くてものわかりのよい大人に出会えたから、道を間違えずにすんだ、みたいな(^^)。

 mixi なんかも若い子が多いじゃないですか。そうすると、そういう若者ならではの感受性の鋭敏さみたいなものが、危なっかしく思うと同時に、だからこそすごく可愛かったりするんですよね(^^)。まあ、そんなことを感じること自体が、自分がいかに歳をとったかってことなんだろうけど(^^)。

 きっと糸井さんも、よくよく考えると、自分も昔はただのイケイケだったところもあったよなあ、とか感じるところもあるんじゃないでしょうか。考えすぎだったらごめんなさい<m(__)m>。

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遊星より愛をこめて

 なんだ、YouTube で公開されちゃってるじゃん。。。だいじょうぶか(^^)?

 でも確かに、作品としては、それほど問題作ってわけでもないですね。完成度も高くないし。

 スペル星人のデザインも、ダダを白っぽくしたようなな感じで、ことさら被爆者を戯画化するようなものではないし。

 実相寺監督のカメラワークは、相変わらずやりすぎと紙一重だし(^^)。戦闘シーンは、「狙われた街」の二番煎じだし。

 これならもう解禁しちゃってもいいんじゃないですか(^^)?

 予断だけど、ソガ隊員って、他のエピソードでも「あれがヤツの正体だ」みたいな発言をしてますけど、地球防衛軍の隊員とあろうものが、宇宙人を見かけだけですぐ悪いヤツと判断するのは問題があるのではないでしょうか(^^)。それとも、あの時代の地球でも、「宇宙人は見た目が 9 割」みたいな本が流行っているのでしょうかね。。。(^^)

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ジャーナリスト宣言

 各所で話題の朝日さんの「ジャーナリスト宣言」の CM ですが、ぼくは言われるほど嫌いじゃないです。

 なぜかというと、ぼくは昔の朝日の CM が嫌いだったものですから、それにくらべればだいぶマシになったなあと思ってしまうもんですから。

 だって、昔の朝日の CM ってひどかったんですよ。いい加減うろ覚えだけど、やれ天声人語は入学試験に出るとか、朝日を読んでる人は知的に見えるとか、もうエリート臭丸出し(^^)。

 あと嫌いだったのは、「ベストセラー快読」とかいうコーナーね。これなんかも、朝日は一般庶民が喜んで読むようなものなんか有難がらないのだ、ベストセラーを貶して、自分が知的だと自負する読者のプライドをくすぐってやろう、みたいなイヤミな精神丸出しじゃないですか(^^)。実際、なぜこんなのが売れるのかわからない、みたいな批評ばっかりだったし。別に、売れてるかどうかにとらわれず、公平に評価します、というのならいいんだけど、そんな記事はほとんどなかったですよね。

 朝日が右翼に嫌われるのは思想の問題だからしかたないとしても、別段右翼でない人に嫌われるのは、そういう傲慢さが垣間見えるせいだったんじゃないですかねえ。だから、「ジャーナリスト宣言」は、たしかにクサいかもしれないけど、その頃に比べればずいぶん謙虚になったなあとは思うんですよ。

 マジメな話、がんばってくださいね~(^^)。

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下妻物語

下妻物語 スタンダード・エディション 観る予定はまったくなかった「下妻物語」ですが、たまたまザッピングしていたらイントロの衝突シーンに目がとまり、結局そのまま最後まで観てしまいました。アイキャッチな画やギャグをつなぎ合わせてシーケンスを展開していく手法は、さすが優秀な CM ディレクターの作品だなあという感じですね。マンガ的な時間感覚を実写に逆輸入しているところは、マトリックスとかといっしょですが、これもなかなか成功してると思います。

 ストーリー自体は、お嬢様と不良の友情という、むかーしからある黄金パターンに、お嬢様の代わりにゴスロリを持ってきたというだけの話ですよね。もちろん、そういう古い酒を新しい皮袋に注いでいくというのは、エンターテイメント作家の永遠の課題であって、なんら恥ずべきことじゃないと思いますが。

 もっとも、そこまでなら、よくできた職人芸だというだけの話。この作品に、それを超えるものがあるとすれば、それは下妻の風景の撮り方にあると思うんです。

 下妻というのは、都会的な洗練された美しさとか、雑踏のもつ猥雑な豊穣さとかにはもちろん無縁だし、かといって、自然の美しさを声高に主張できるほど田舎でもない、非常に中途半端な田舎町ですよね。しかも、牛久大仏なんていう、なんか場違いなだっさい大仏(ゴメンなさい)が建ってたりして。

 それをこの監督は、もうなんか無理矢理ポップな画面に仕上げてる。色なんかもメチャメチャいじってますよね。ぼくら素人がフォトショップとかでデジカメの画像をいじってるうちにやり過ぎて失敗しちゃう、その寸前ぐらいまでいじってるという感じ。

 でも、考えてみると、エリック・ロメールなんかが撮るフランスの田舎とかが、ぼくらから見ると美しくみえるのだって、半分ぐらいは単なるエキゾティズムやノスタルジーかもしれないわけですよね。それだったら、ダサイとしか思えない日本の中途半端な田舎町だって、見ようによっては美しく見えるかもしれないじゃないか。いや、俺は断じてそこに美を見出してやるんだという、そんな作り手の強い意志が、この画面からは感じられるような気がするんです。

 ひょっとしたら、そういう姿勢は、この映画の根幹のテーマにも関わっているかも知れない。だって、冷静に考えれば、この映画の主人公のモモコは、かなーり不幸な境遇のはずなんですよね。子供の頃に両親が離婚し、引き取った父親はヤクザで、本人の性格もかなりひねくれていて、友達もいない。そして、その状況は、物語の最後になっても、実はほとんど改善されていない。

 にもかかわらず、この映画は、何か爽快感のようなものとともに、この子たちは今後もたくましく生きていくに違いないと視聴者に確信させて終わる。それは、ドラマやプロットの力というより、だっさい下妻をも無理矢理美しく描いてしまう画の力によるものじゃないかと思うのです。それはさらに、現代を肯定したいという、作り手の意思にまでつながってくるのかもしれない。そんな感じがしました。

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Real Superpass Europe

 Real Spuerpass のアメリカ版に加入していたのですが、いつの間にか ABC News NowBBC World もなくなって、すっかりつまらなくなってしまいましたね。まあ、手術の模様をリアルタイムで中継する「OR-Live: Watch Surgery 24/7」とかは、マニアックでちょっと面白いけど(^^)。

 一方、ヨーロッパ版の方を見ると、BBC World も CNN International も EuroNews もあって、こっちの方がよっぽど充実しているじゃあないですか。ということで、ヨーロッパ版に乗換えを画策中。

 だいたい、アメリカのメディアというのは、CNN を除くとわりとドメスチックですよね。ダルフールの話なんかにしても、BBC ではかなり一生懸命やってるけど、ABC とかじゃめったにやんないもんね。あ、これは日本のメディアもいっしょか(^^)。

 なんか、これからはアメリカじゃなくヨーロッパだ! というような声もあるようなので(^^)、ヨーロッパがどれほどのものか、この機会に勉強してみるのもよいかも、なんつったりして(^^)。

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朝生テレビ編

 金曜日の朝生のテーマは「テレビに明日はあるか」で、放送と通信の融合問題や NHK 問題が中心。「電波利権」で話題になった池田信夫氏や、元電波少年プロデューサーの土屋敏男氏、テレ朝会長にして民放連新会長の広瀬道貞氏などが出演していて、メンバー的には割と期待したのですが、思ったほど議論が深まらなかったですね。

 この間 NHK でやった懺悔特集の時にも同じことを思ったのですが、結局みんな、放送には公共性が大事だということを強調するんだけど、じゃあその公共性って何かということが、まるで定義できてないのね。だから議論が深まらないんだと思います。

 そういう大雑把なイメージだけで考えると、視聴率に流されない質の高い番組とか (その質が高いって誰が決めるの)、特定の企業や政治団体に左右されない不偏不党な番組とかばかりが公共性のある番組だと思われがちですよね。

 でも、個々の番組としては偏っていても、いろんな立場を反映した番組がたくさんあれば、システム全体としては公共性があるとも言えるし、娯楽番組だって、多くの人の厚生を高めるという意味で公共的だとも言えるでしょう。

 だから、こういう大雑把なイメージで論じていると、あれもいいしこれもいいよね、みたいな議論はできるけど、何がもっと必要で、何はもっと減らしてもよいか、というような制度設計の議論はできませんよね。

 ぼくが思うに、問題の核心は、1) 単に情報を経済財とみなして、社会厚生が最適化されるような生産・分配の方法を考えればよいのか、それとも、2) 情報は単なる財ではなく、市場を含む民主主義社会の制度自体を支えるインフラだから、単に個人の厚生の最適化だけを目標にすればよいというものではないのか、ということだと思います。

 もし、前者が正しいのであれば、おそらくは、市場を利用するのが、最も低コストかつ個人の厚生を最適化するような生産・分配を実現するの方法でしょう。ただ、ぼく個人の直感としては、どうもそれだけではダメなような気がしますし、評論家諸氏の多くも、そう思っているのでしょう。

 でもそれって結局、需要のある情報のかわりに、多くの人が積極的に欲しいと思わない情報を、需要の高い情報を生産するためのコストをその分減らしてもいいから、あえて強制的に流通させなくてはならない、ということですよね。(これを仮に、「狭い意味での公共情報」と呼ぶことにします)

 だとすれば、そういう公共放送は、義務教育と同じように、ある種合法的な洗脳 (もっとも、教育と違って、見ることを強制はできませんが) になります。そういう洗脳を行う権利を私的な団体や個人に与えるわけにはいきませんから、これは必然的に、国民の合意のもとに税金を使って行うしかないですよね。

 もしこれを、私企業にいろんな法的な制約を課してやらせようとすると、その企業は余計なコスト負担を強いられることになるわけだから、その分競争上不利になりますよね。今の民放に対する放送法の縛りというのは、この負担を強いる代わりに、市場を寡占する特権をあげましょう、というやり方なんでしょうけど、この方式だと、負担と特権とのプラスマイナスのバランスがとれている保証がない (とゆうか、多分プラスの方がぜんぜん大きいでしょう(^^)) という問題がある。つまり、必然的に特定の私企業を優遇 (もしくは冷遇) することになりますよね。 しかも、国民が余分に負担しているコストがどれくらいかということもはっきりしません。 かと言って、すべての放送業者に同じような負担を課してコスト削減競争を即すというのも、全国的に放送することができる事業者がこれだけ増えてしまうと、あまり現実的ではないですよね。

 だとすれば、同じ狭い意味での公共情報を提供するにしても、直接税金で負担してしまった方が、結果として国民全体の負担は減ることになるでしょうし、国民負担に対する透明性も確保できるんじゃないかと思うんですよね。もちろん、だからといって、今の NHK ほどの規模が必要かどうかも、今の NHK の運営方法でよいかどうかも疑問ですが。

 たとえば、今の NHK のガバナンスは国会が行っているわけですが、国民の合意のもとに運営するからと言って、国会や行政がガバナンスを行わなくてはならないとは限らないですよね。メディアは第四権力なんていわれるくらいで、ジャーナリズムの役割は、司法・立法・行政の三権すべてを監視することにあるんだから、組織的にも、他の三権とは独立した組織にして、直接国民のガバナンスの元におく、というような方法だってありうるんじゃないかと思うんですけど。(裁判所なんかには、国会の予算審議でコントロールされないような工夫があるそうですね。)

 そして、最後に残る一番大きな問題は、他のあらゆる公共事業と同じく、どの程度の規模が最適なのかを判断することですよね(^^)。これは結局、なんか公共経済学的な手法で決めるしかないんでしょうけど。

 もし、このような「狭い意味での公共情報」というものを明確に定義できれば、それ以外の情報は、たとえ公共性のあるものでも、市場メカニズムに任せておけば十分な量が生産される、ということになりますから、この両者を曖昧にすることによって温存されてきた利権のようなものを解体することも可能になりますよね。

 今回の朝生で一番印象的だったのは、むしろ、そういう議論よりも、NHK 対朝日の問題について、田原さんが、「NHK はウソばっかりついてる」とか「本田記者はテープを録ってるはずだ」とか断言しちゃってたところですね(^^)。もっとやれやれ~、とか思ったんだけど、また黙殺されちゃうのかしら(^^)。

     池田氏は、テレビ界から追放されてるとか自分おっしゃってて、ぼくもはじめて拝見したのですが、お書きになる文章のキツさとくらべると、しゃべりは意外とソフトな感じでしたね。もっとも、のってくると、「そういう下らない議論は別として…」みたいなことをポロっと言ってしまうので、やっぱり根はキツい人なんでしょうけど(^^)。もっとも、この番組には他にもっとキツい人がいくらでもいるので、それほど目立たなかったですけど。

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いつまで続く市川結婚論争

 驚いた。まだやってるよ、市川寛子既婚 vs 未婚論争(^^)。別に既婚だろーが未婚だろーが、きみと結婚してくれるわけじゃないんだから、どっちでもいいだろ、って誰かつっこんであげればいいのに(^^)。てか、そんなに執着があるんなら、今すぐプロポーズしてみれば? そうすりゃ教えてくれるかもしれないよ(^^)。

 まあいいや。見てるとなんかもののあわれを感じてしまうので、ほっとこうっと。ほどほどにね。

   

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太田光の本気

 「太田光の私が総理大臣になったら…秘書田中。」を初めて見たが、ちょっと感動してしまった。何に感動したかというと、太田光が本気なこと。 

 これまでにも、朝ナマや TV タックルのようなテレビ討論番組はあったが、そのような番組に出演する人はほとんどが評論家などであった。しかし、太田光は評論家ではなく、あくまで芸能人である。

 そもそも、評論家と芸能人とでは、対象とするマーケットが違う。評論家というのは、タダでテレビを観ている何百万の人ではなく、お金を払って本を買ってくれたり講演を聴いてくれたりする数万人のマーケットがあれば成立する商売である。つまり、芸能人に比べればニッチな存在で、必ずしも万人に好かれる必要はない。評論家がテレビに出るときには、あくまで、番組の中で専門知識のない一般人や対立した意見をもつ他の評論家とからんだときに、相乗効果として視聴率をとれればいいのであって、その評論家一人だけで視聴率をとれる必要は必ずしもないのである。

 逆に、芸能人というのは、評論家とは違って、たいした目的意識もなくひまつぶしでテレビを観ている何百万・何千万という人の多くに好かれる必要がある。したがって、芸能人にとって、政治的信条などを明確にすることは必ずしも得ではない。また、あまり精緻な思想信条などを披瀝するより、素朴な感性に訴えかけた方が、一般庶民から見ると親しみが持てるということもある。

 つまり、太田光のようなメジャーな芸能人にとって、番組内で政治的な主張をするということはかなりリスキーな行為だったはずだ。もちろん、「爆笑問題のススメ」ではかなりラディカルな主張をすることもあったが、あれはあくまで深夜番組だったし、「スタメン」なんかでも、田中、阿川、橋本などにより、一定のブレーキがかかっていた。

 しかし、この番組での彼は、ほとんど茶化すこともなく、靖国参拝問題のようなセンシティブな問題にも真っ向から自分の意見をぶつけている(もちろん、ナベツネさんの思惑とかいろいろあるのかも知れないが、それを利用するのもある種のマーケティングであろう(^^))。だからといって、知識人という高みに立つこともなく、逆に、道化と言う立場に逃げることもしない。自分の無知をさらす危険もいとわず、自分は無知かもしれないが、一人の人間として現在はこう思う、ということをきわめて誠実に語ろうとしている。もちろん、彼には彼なりの読みがあり、今の時代ならこれでいけるという計算もあるのであろうが、それでもリスキーなことには違いない。そのリスクをとってでも自らに誠実であろうとする姿勢が、感動を呼ぶのである。

 もちろん、ぼくだって、彼の主張にすべて賛成なわけではないが、政治家に試験を義務付けるという案はけっこういいと思う。というのも、これとよく似た案をある友人が主張して、雑談のネタとして二人で検討してみたことがあるのである。試験で政治家を決めると言うと非民主的に聞こえるかも知れないが、要は、情報公開の一種だと考えればいいのだ。番組内では足切りを主張していたが、足切りなんかしなくても、山本一太議員や甘利明議員のように(実話)イラク問題で激論を交わしていた政治家が、イラクの正確な場所すら知らないということが情報として公開されれば、有権者はその政治家に投票することを少しためらうであろう。そのように有権者に対して投票の判断材料を与えるための、情報公開制度の一種であると考えればよいと思う。

 「爆笑問題のススメ」が終わって少し寂しい思いをしていたのだが、あの太田光の本気の顔を見るために、来週から毎週この番組を観てしまいそうだ。

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素朴な疑問

 武内アナは、毎週毎週変な料理食わされて、体調崩したり、肌荒れになったりしないのかしら(^^)。もしお腹こわしたら、テレ朝は労災出すのかなあ。ださなきゃだめだよね(^^)。

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朝生格差社会編

 金曜日の朝生は格差社会問題について。てっきり「ネオリベをみんなでつるし上げましょう会」みたいになるのかなあ、と思ったら、あんましそうはなりませんでした。

 結局、メンバーの中にネオリベの人が少なすぎたんではないかと思います。このメンバーで(自民党の世耕さんは別にして)ネオリベといえば、強いて言えば松原聡さんなんでしょうけど、松原さんはサンプロのレギュラーだし、かわし上手なので、あんまり正面対決にはならない(金子さんの真正面に座ってたけど(^^))。 フルキャストの平野さんは、文化人ではなく実業家なので、ネオリベを積極的に擁護するという立場にはたたず、とりあえず今のルールがそうだからその中でベストをつくしているだけ、みたいな無難なポジションをキープ。

 林信吾氏は、「しのびよるネオ階級社会」を書いた人なので、ネオリベ叩きにまわるのかと思ったらそうでもなくて、第三者的な立場から皮肉っぽいつっこみばかり入れていたし、吉崎達也さんについては「アメリカの論理」を書いた人だということしか知らなかったんだけど、発言の機会自体があまりなし。

 つまり、ネオリベ:社民:様子見:どっちも嫌い=1:4:1:2 みたいな感じなので、どっちも嫌い勢力(つまり、勝谷、林、宮崎)の批判の矛先がネオリベよりも社民の方に向いてしまい、しかも、このどっちも嫌い勢力に一番声の大きい人たちが集まっているので(^^)、 ネオリベよりも労組や公務員の方が叩かれる、みたいな展開になってしまっていました(^^)。

 また、相変わらず田原さんは、経済政策論になると、「難しいことはよくわからない」とか言って打ち切ってしまうので、結局ネオリベの何が悪いのか、みたいな議論が深化することもなし。

 ちょっと面白かったのは、モリタクさんがインタゲを主張し、宮崎さんがそれをバックアップしていたところ。インターネット上ではかなりの勢力を保つリフレ派ですが、こういうテレビの場でリフレ派の議論が聴けたのは珍しい。もっとも、具体的にどうやって資金を供給するかと聞かれた宮崎さんはちょっと説明に苦しんでおられました。山形さんのレクチャーが不十分だったのかな(^^)?

 辻本さんは、妙におべんきょーして優等生的になった分、パワーダウンして普通の人になってしまったように感じられました。勉強されるのはよいことですが、理屈だけでああいう人たちに勝てるようになるとはとても思えないので、やはりかつてのような蛮勇も必要なのではないでしょうか。蛮勇を奮いつつ、ハマコーさんやタジマさんほどウザくない、みたいな路線は成立しないのかなあ(^^)。

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報道 2001 という戦場

 いつの間にか、フジテレビ On Demand で報道 2001 の配信を始めていたようです。ぼくはこの番組のよき視聴者とは言いがたいのですが、唯一気になっているのは、竹村健一氏と黒岩キャスターの仲の悪さ(^^)。これは、ぼくがイジワルだからそんな見方しかできないのかなあ、と思っていたんだけど、ある友人もまったく同じことを思っていたようだし、黒岩氏自身の日記にも、「巷では「竹村さんと仲悪いんじゃないの?」って、よく聞かれますが、そんなことは全くありません。」などと書いてあるので、やはり、そう思っている人は多いらしい(^^)。

 しかも、その後には、

ただ、今、連載中の「ぺるそーな」の次の号で、竹村さんのことを取り上げました。批判してるわけではありませんが、読む人の中にはそう受け取る人もいるかもしれません。題して「黒岩祐治のあ~いっぺん言うてみたかった」です。どうぞ、ご期待下さい。

などと挑発的なことが書いてあるじゃないですか。やっぱり仲悪いんじゃないの(^^)? いや、別にどっちの味方でもないからいいんですけど、いっしょにテレビに出てる人で、こんなにあからさまに仲悪いのがバレバレな 2 人も珍しいので、なんかおかしくって。興味本位でごめんなさい<m(__)m>。

 ついでに言うと、なんでこの番組は、2006 年になっても 2001 のまんまなんでしょう。もともと年とは関係なかったのかなあ(^^)。

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男の人生とは

 なんと、ぼくのお気に入りの市川アナが、結婚しているという噂が(^^)。

 しかも、2 ちゃんとかみると、事実だとか捏造だとか言って、論争にまでなってる(^^)。市川アナの結婚は南京大虐殺か(^^)。お前らは終戦時の日系ブラジル移民か(^^)(余談だけど、「勝ち組」「負け組」という言葉の元祖は多分この事件じゃないかと思うんだけど、違う?)。でも、こんだけモメるということは、やっぱりひそかにファンだったヤツが多いということでしょうね(^^)。

 …で、一応ホントだと仮定して(^^)。

 相手が「個人投資家」とか言うのがちょっとひっかかるけど(^^)、まあ、市川さんが選んだんだから、きっといい人なんでしょう。寂しいけど、アナウンサーを辞めないでテレビに出てくれているだけよしとしましょうよ(^^)。

 それにしても、こうやって、好きな女性がどんどん結婚してしまうさびしさに耐えるのが、男の人生というものなのだなあ。

 え、違う? ま、とりあえずそういうことにしといてください。くすん。

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職人 VS 技術者

 爆笑問題が文部科学大臣賞を貰ったというニュース、喜ばしいことだと思う一方で、お笑い界に与えた影響力という意味で言えば、こういう賞は、先にダウンタウンが貰っていなければおかしいというような気がしないでもありません。

 もっとも、お堅いお役所としては、やっぱりダウンタウンに賞をあげるのは現実的に難しくて、爆笑問題だってよくがんばった方なんでしょうけどね(^^)。まあ、これで太田さんが飼いならされて舌鋒が鈍ったりしないことを祈りたいと思います(^^)。

 爆笑問題とダウンタウンというのは、単体で見れば技量にそれほど遜色があるとは思わないんだけど、日本のお笑い界に与えた影響は圧倒的にダウンタウンの方が大きいですよね。これはぼくの勝手な理論ですけど、その違いは、松本人志と太田光の資質の違いに由来すると思うんです。

 言わば、松本人志という人は技術者型で、太田光は職人型なんですよね。それが典型的に現れるのは、「ベタなネタ」の扱い方。

 ダウンタウンは、あえてベタなネタをやる、という技をよく使いますけど、この場合、あのダウンタウンがあんなベタなネタをやっている、というちょっとヒネった笑いになる。一方、太田光もベタな下ネタとかをしつこく言い続けることがあるんだけど、こちらの場合には、太田はまたあんなベタなネタばっかりやりやがって、しょうがねえなあ、みたいな笑いになる。

 つまり、ダウンタウンの技の多くは、ダウンタウン個人から独立した普遍性のある技術になっているので、後輩とかにもわりと簡単に応用がきく。だからこそ、ダウンタウンは日本のお笑いを変えてしまったわけです。一方、太田光にだって技はいろいろあるんだけど、彼の技というのは、彼の個性や人格と組み合わされたときに、最も威力を発揮するようにチューニングされている。だから、ダウンタウンのエピゴーネンは大量に登場したけど、爆笑問題に似たコンビというのはほとんど存在しないんだと思うんですね。

 こういう技術者的なやり方というのは、会社とかの中でならお互いに技術を共有できるから便利だし、知的所有権みたいな制度もあるからある程度保護されます。だけど、個人の個性を売るタレントとしてはあまり得な方法とは言いがたくて、天然キャラを生かした方が得なはずなんですよね。だって、すぐマネされちゃうんだから。

 だから、逆に言えば、ダウンタウンの凄さというのは、こういう普遍性のある技術を次から次へと開発しつつ、長期にわたって技術開発競争のトップに立ち続けたことだと思うんです。まあ、これは、どっちが偉いとかいうんじゃなくて、あくまで資質の違いですけど、その点を見ないと、ダウンタウンという芸人の正当な評価はできないと思うんですね。もちろん、それは功罪併せ持つのかもしれないけど。

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Survivor On Demand

 そうそう、言い忘れたけど、CBS ではついに、あの Survivor のオンデマンド放送を始めたようです。1 話につき 1.99 ドルだって。

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Dubai Ports World

 なんか、アメリカのメディアは、この Dubai Ports World の問題でもちきりみたいなんすけど、日本ではほとんどやんないですね。これほど温度差があるのも珍しいかも(^^)。

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やっと正月が終わった

 正月に録画しておいた「古畑任三郎ファイナル」と「土方歳三最後の一日」、ようやく観られました。

 古畑の方は、ありがちな双子トリックと思わせておいてもう一ひねり、というのがなかなかよかったですね。もっとも、記者会見で返答につまったあたりでいい加減気づいてしまいましたが、それまでも相当伏線をばらまいてあったのに、気づかせなかったのはお見事。三谷さんの場合、ギャグを利用して伏線を張ることが多いので、逆にブルガリのあたりでちょっと怪しいなとは思ったんですよね。でも、結局最後近くまでわからなかった。

 新撰組の方は、死に場所を求めていた土方が、最後の最後に新しい夢を見出して、その夢のために闘って死んでいくという、ロマンティシズムの極地みたいな話。ある意味ファンサービス的というか、本編で不完全燃焼だった土方ファンの、最後の残り火を一気に燃やしてあげたという感じでしたね(^^)。悪役っぽかった榎本武揚や大鳥圭介が、 結局いいやつになってしまうところも、いかにも三谷さん的。

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伝統の在り処

 昨夜の朝生は「激論!天皇」で、要するに、先月ライブドア事件でふっとんでしまった女帝・女系天皇論をやったわけですが、あんまり面白くなかったですね。まあ、(何度か書いたように)ぼく自身が天皇制に別に執着がないという理由もあると思いますけど、保守派の方々の伝統というものの捉え方にも問題があるような気がします。つまり、彼らが天皇制の存在理由を示すのに、とにかく伝統だから、という以上の理由をほとんど示せていないのね。だから、結局思考停止状態になってしまって、それ以上議論が深まりようがない。

 宮崎哲弥さんは、「理由を問えないから正統性 (legitimacy) なんだ」、とおっしゃっていましたけど、それは、政治権力の話でしょう? 政治権力の場合には、正統性に疑いが生じると権力闘争の原因になるから、権力闘争を防ぐためには、正統性に疑義が生じない決定方法がよいのだ、というのはよく言われることですよね。でも、現代の日本の象徴天皇制には、(少なくともタテマエ上は(^^))政治権力はないことになっているはず。

 たとえば、スポーツのルールなんかでも、なんでそういうルールなのかと言われても、そう決まっているからだ、としか答えようがない、というのも一面の真実です。でも、もう少し深く考えると、そういうルールにした方が、選手や観客がよりゲームを楽しめるから、という隠れた理由があるはずなんですよね。それは、身体化された暗黙知のようなもので、必ずしも論理的には語れないのだけれども、理由がないわけじゃない。むしろ、その理由は、選手や観客の心の中に隠れている、と言うべきでしょう。

 同じように、なぜ天皇制が必要か、それがどういう形でなければならないか、という理由は、天皇制を支持する保守派の心の中にこそ隠れているはずだと思うんですよ。彼らには、それこそを語ってほしかった。

 いや、天皇制に限らず、伝統の存在価値というのは、みなそういうものだと思うんですよね。単に、知識としてそれが伝統だから、というだけではなくて、それが自分の内部にある身体性や暗黙知と結びついたときに、初めて意味のあるものとなる。

 たとえば、子供の頃に海外で親と生き別れになって、外国人に育てられた日本人の子がいたとしましょう。その子が大人になって、自分が日本人だと教えられても、そのままでは単なる知識でしかないでしょう。でも、その子が生まれて初めて味噌汁を飲んで、それが自分にぴったりの味だと感じたとすれば、その味噌汁はその子のアイデンティティの基盤を構成する伝統としての意味を持ってくるかもしれない。

 逆に、いくら和食が日本の伝統だからと言っても、自分は日本人だから味噌汁を飲むべきだ、みたいに観念的に思い込んで、嫌いな味噌汁を無理して飲んだってしょうがないでしょう。だったら、もし学説が変わって、日本人は昔はパンを食べていたということになったら、お前はその日からパンを食い出すのか? それだったら、西洋かぶれでパンを食ってる奴の行動パターンとなんら変わらないじゃないか、ということになっちゃうわけ。

(もっとも、「伝統=物語」派にとっては、みんなが信じられる物語があればよいので、その物語の内容などなんでもよい、ということなのかも知れない。でもそれだと、歴史教育を操作して、日本人はアングロサクソンの子孫だった、ということに無理矢理してしまって、アングロサクソン文化万歳みたいな主張をしてもいいということになりますよね。「伝統=物語」派の方は、教育のためなら歴史を捻じ曲げても良いと思っていらっしゃるようだから。(^^))

 だから、天皇制についても、保守派の方々が揃いも揃って頭でっかちの変な理屈ばかりこねてるのは、失礼ながら、保守派の方々の精神の衰弱を示しているようにしか思えないのね。たとえば、Y 染色体が重要だとおっしゃる方は、知識ではなく、自分の実感として、天皇家の Y 染色体を持っている人と持っていない人の区別がつくのか。そういう人の前に立つと、自然と尊敬の念が沸き起こってくるが、そうでない人の前にたっても何も感じない、みたいなことがあるのか。それこそを語るべきでしょう。

 そういう内発的な理由が語られないから、とにかく天皇家を存続させること自体が自己目的化したような議論になってしまう。でも、それは、博物館のガラスケースの中の保存された遺跡のようなもので、もはや、同時代の生きた文化としては死んだも同然かも知れないでしょう。そこまでしなければ保存できないような文化を無理に生きながらえさせるために、多くの人の人権を踏みにじったりする必然性があるのでしょうか。

 結局、多くの日本人の間に、天皇の存在理由についての合意が自然と生まれるような状況でなければ、天皇制を存続させる意味などないのです。だから、保守派の方々は、くだらない技術論などやめて、あなた自身の内側に身体化された天皇の存在理由をこそ語るべきだと思います。そうすれば、天皇制の進むべき道も、おのずから見えてくるのではないでしょうか。

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エイリアン 4

 仕事をしながらのチラ見だったんで、あまりちゃんと観てないのですが、画がきっちり作られてるし、意外とよかったのではないですか。もちろん、1、2 には及ばないけど、少なくとも 3 よりはよかったと思います。

 ただ、これだと、エイリアンより人類の方がよっぽど邪悪で醜悪な感じですよね。200 年もたってるのに、人類の質は低下する一方かい、みたいな (^^)。

 まあ、いい加減ネタとしてのエイリアンは使い尽くされているので、エイリアンをダシにして、人間の醜悪さを描く、みたいな作戦にしたんでしょうね。そのくせ、爽快なシーンはほとんどないので、娯楽として見るにはもたれすぎの感じ。

 生理的な嫌悪感を強調するところとか、えろえろな感じ(^^)とか、なんとなく、コリン・ウィルソン原作、トビー・フーパー監督の「スペース・バンパイア」なんかと似た印象を受けました。

 しっかし、いい加減、床や天井を金網にするのはやめたらどうだろうか (^^)。

(今、「スペース・バンパイア」のレビューを見たら、全然怖くないとか言ってる人もいるんですね。ぼくが、この映画を初めて見たのは、まだ会社員だったころ、会社に一人で残って残業してたとき。その会社は、仮眠室兼倉庫みたいな部屋にテレビがあって、残業と言っても一人しかいないから、わりと自由に時間が使える。それで、つい「スペース・バンパイア」を見始めてしまい、見終わったら 23 時ぐらいで、ふと、誰もいなくて電灯もほとんど消えた会社のビルに一人で残っているという事実に気づいて、めっちゃ怖かった(^^)。もう、仕事なんておっぽり投げて、逃げるように帰宅した記憶があります。)

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金で買えないもの選択理論

 報ステのライブドア問題特集で、誰か「金のある奴ほと金では買えないものがあるとか言いたがる」みたいなこと言ってたけど、これって、ミクロ経済学に出てくる2財の選択理論みたいなので説明できないかなあ (^^)。

 たとえば、「金で買えるもの」の量を x 軸に、「金で買えないもの」の量を y 軸にとって、効用を表す無差別曲線を書くと、貧乏人の予算制約線(じゃなくて、努力制約線とか呼んだ方がいいのかもしれないが (^^))は、傾きが急な右下がりになるので、y 軸、つまり「金で買えないもの」を増やすより x 軸、つまり、「金で買えるもの」を増やした方が、簡単に効用を増やせる。

 でも、金持ちの予算制約線は緩やかな右下がりになるので、逆に、「金で買えるもの」より「金で買えないもの」を増やした方が、簡単に効用を増やせる、ってゆーの、だめ?(^^)

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虎の門

 井筒監督が「ミュンヘン」をボロクソにケナした後に、「ミュンヘン」の CM を入れていましたね (^^)。

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朝生ライブドア事件編

 昨日の朝生は「ホリエモン・ショックと日本」。急遽テーマを差し替えたということで、少しブッキングに無理があったらしく、パネラー登場の時点で「このメンバーで盛り上がるのかな?」と思っていたら、案の定盛り上がりませんでした (^^)。

 中で印象に残ったのは、板倉雄一郎氏。何が制度の問題で、何が企業の問題で、何が投資家の問題なのか、きちんと切り分けて明確に説明せきているのは、ほとんどこの人だけでした(本間氏と永沢氏は、しゃべる機会が少ないだけで、わかっていたのだとは思いますが)。板倉氏のブログはときどき拝見していて、ちょっと意地悪な人なのかという印象があったのですが、昨日拝見した限りでは、極めてまっとうな感覚と知性を持つ立派な方で、この人に対する私の中の評価は大幅アップしました。

 奥村宏氏は、著作をまとめて読ませていただいたこともあるし、一定の評価はしているのですが、残念ながら、ちょっと感覚が古すぎるのではないかと思いました。投資家と投機家の違いを言うのに、「配当目当てで買うのが投資家だ」などと発言されるのは、最近のファイナンス理論を勉強していないとしか思えません。

 投資と投機の違いというのは、けっこう微妙で面白い問題だと思うのですが、司会の田原氏自身が金融に疎くて、例によって、議論が深まりかけるたびに「そういう話はよくわからない」と言って打ち切ってしまうので、まったく盛り上がりませんでしたね。本当は、この点についてもうちょっと啓蒙効果があればよかったんでしょうけど、あれでは多くを期待できませんね。

 ひさびさ登場の管直人氏は、けっこう目だっていたし、さすがに言ってることもそんなにハズしてなかったと思います。ただ、「自民党が逆にライブドアの株価吊り上げに利用された」という主張はどうでしょう。検察も「プロ野球参入もニッポン放送買収もすべて株価吊り上げのためだ」みたいな主張をしていましたが、企業価値に対する実質的な効果を無視して、主観的に株価吊り上げの意図があれば悪だ、というようなことを言い出すと、非常に不毛な議論にしかならないので、やめたほうがよかったと思います。

 受けて立つ自民党側から来たのは平沢勝栄氏だけで、やんわりかわされてしまったので、与野党対決も盛り上がりませんでしたね。武部氏とかを呼べればよかったんでしょうけど、さすがに断られたようですね (^^)。

 ライブドアのサイトはヤフーのまねでオリジナリティがない、という主張は、ニッポン放送騒動のころからあったけど、私は必ずしも賛同しません。私のように、ソフト業界内部に多少はかかわっていた者から見ると、むしろ、この業界には、無意味にオリジナリティを出そうとする人が多くて困ると感じることが多いです。しかも結局、そのオリジナルなところが一番できが悪かったりするんだよね (^^)。

 だいたい、ウェブサイトなんて、基本的な構造はどれも大差なくて、視覚的なデザインで目先を変えているだけであることがほとんど。また、ユーザーにとっても、そのほうがすぐ使い方がわかるので便利な場合が多いのです。

 だから、できのよいデファクトがあれば、素直にマネするというのは、むしろよいセンスだと感じます(これは今でもそう思う)。だからといって、完全にマネしているわけではなくて、細かいところを見れば、(しろーとさんは気づかないかもしれないけど)けっこう独自の工夫もされています。本当は、そういう細かい工夫の方が効果的な場合が多いんですよね。

 まあ、前にもいったように、このような事件があったからといって、ライブドアのやったことがすべて間違いだったわけでもなければ、企業価値がゼロであったはずもないんですよね。ただ、現時点では、ライブドアの真の企業価値はどの程度なのかということは、まったくわかりませんが。

 結局、個人的に一番面白かったのは、須田慎一郎氏とかがしていた、暴力団とのつながりがあるんじゃないかとか、政治に金がながれているんじゃないかとかいう下世話なネタでした。でも、これは朝生本来の議論の魅力ではありませんよね (^^)。

 そんなわけで、あまり夜更かした価値はなかったですねえ。せめて、M2 か太田光でも呼んで、あえて暴論エンターテイメントを演じてもらったりした方がよかったのでは (^^)。

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素朴な疑問

 銀の脳を 5 つ集めて金の脳と交換した人っているんでしょうか。いるとすれば、何人ぐらいいるんでしょう。これって、トリビアになりませんか?(^^)

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報ステの翻訳

 前から思っていたのですが、報ステの字幕翻訳って、ちょっと誇張傾向がありますよね。古舘さんが「ブッシュ大統領が、日本人に米国牛肉の安全性を教えてあげると言っています」とか紹介したので、注意して聞いてみたら「explain」って言ってるだけでした。(ちなみに、News 23 では、まったく同じ文章を「説明しなければならない」と訳していました。)

 まあ、こんなのは罪のない例ですけど、油断してると致命的なミスリーディングになることもあるので、少し気をつけたほうがよいのではないでせうか。

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相対位置

 今日の多事争論にはちょっとウケました。実は、「最近、世の中全体が右傾化しているので、昔は右だと思っていた人が左に見える」みたいなことを口癖のように言う友人がいるのですが、筑紫さんがそいつと同じようなことを言ってたもんですから(^^)。

 そいつもよく、「後藤田さん(合掌)は今やハト派扱いだ」「加藤紘一もまるでサヨク扱いだ」「小沢一郎も前原さんと比べるとまるで中道みたいだ」みたいなことボヤいてるんですよね。彼自身は、「自分ではやや左ぐらいのつもりだったのに、今の基準で言ったらもはや極左だ」そうです。(そう言えば、松尾匡先生も自分は極左だと言ってましたね。ぼくの語感だと、極左っていうのは、単に極端に左なだけじゃなくて、暴力革命を志向してなきゃいけないようなイメージがあるのですが。。。(^^))

 ぼくが、太田光さんはインターネット上では反日サヨク扱いだと教えてあげる(彼はインターネットとかをやらない)と、「ほら、やっぱりおかしい。太田なんて、どう見ても中道やや左ぐらいだろう」と言って憤慨します。(ちなみに彼は太田さんの大ファンです。)

 彼も、心の中ではきっと、ぼくが右翼やタカ派に甘すぎると思ってんだろうなあ…(^^)。すいません。もしぼくの読みが甘くて、日本が本格的にファッショ化したら、ザンゲして死ぬ気で平和運動に身を投じますから、どうか許してください (^^)。

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テレビと録画

 録画した番組は結局観ない、というのはほとんどあるあるネタだけど、正月に録画した古畑 (イチローのだけ見たけど) も新撰組も朝生も、いまだに見てないんだよね~ (もう 17 日だよ)。いつになったら観れるんだろう (^^)。

 そう言えば、「子供ほしいね」で三谷さんが「録画専用ビデオ」っていうギャグをしゃべってたのを思い出しました。

三谷:新しい事業として、「録画専用ビデオ」っていうアイデアを考えたんだよ。ほら、どうせみんな録画しても観ないじゃん。だから、録画しておきたいっていう気持ちだけを尊重するわけ。

大高:でも、再生できないんでしょ?

三谷:だから、本当に録画してなくてもバレないんだよ。

く、くだらない (^^)。でも、ウチのビデオも録画 3、再生 1 ぐらいにはなってます。

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ライブドア強制捜査

 ライブドアの株を大量に持っているはずのフジテレビが、一番喜んで報道しているように見えるのは、気のせい (^_^)? やはり、あれだけ公共性を謡うだけあって、そういう私情に流されることはないわけですね。尊敬し直しました。はい (^^)。

 しかし、NHK の第一報では、株式分割がどうこうと言っていたのに、いつのまにか、株式交換による買収時の風説の流布という話になってますね。これ自体が風説の流布じゃん、なんてことは言わないけど (^^)、かなり混乱してますよね。

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文句なし

 優勝はブラックマヨネーズでした。まったく予想してなかったけど、実際のネタを見たら、わりと誰もが納得という感じではないですか。二回ともまったく同じパターンだったけど、完成度が高いし、ひねり方に意外性があります。

 しかし、M-1 はやっぱり、初出場が有利なとこありますね。ブラックマヨネーズにしても、ネタを見慣れていたら、これほど高い評価になったかどうかわからないし、笑い飯にしても、明らかに新鮮味がなくなった分損してるもんね。

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南キャンすべった (^^)

 なんかしずちゃんが固かったですねぇ。風呂屋の煙突の上でラジオ体操しても震えないしずちゃんでも、固くなることあるんだなあ。それとも、ホントに山ちゃんと結婚するのがいやだったのか (^^)。う~ん、ちょっと残念。

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M-1 を予想してみる

 実際のネタを見ないと確たることは言えないけど、現時点で知っている範囲で言えば、やっぱ南海キャンディーズかなあという気がします。彼らは、他のコンビにはないみょーな味があるので、技術的な細かいところが決まれば最強かなあと。笑い飯のボケ合戦は、いい加減新鮮味がなくなってきているので、なんかもう一つ合わせ技がないとつらいかなあという感じ。新鮮味がないという点では品庄も同じなので、技術的には安定感があっても、何か新しいアイデアや技が出せないと苦しいかもしれません。ブラックマヨネーズとかタイムマシーン3号とかは、どんなネタを持ってるのかよく知らないので、ちょっと楽しみ。みなさま偉そうなこと言ってすみません。明日楽しみにしてます。

追記: この e-Bet のサイトによると、現在オッズのトップは麒麟なんですね (^^)。南海キャンディーズは 2 位。麒麟も決して嫌いじゃないですけどね。さて、どうなることか。

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三谷幸喜かぶり

 年末年始の録画予約をしていて気が付いたんだけど、1 月 3 日の NHK「新選組!!土方歳三 最期の一日」と CX「古畑任三郎ファイナル 第1夜『今,蘇る死』」と、三谷幸喜作品が 2 作品同時間帯でかぶってるやん! うちのチューナーカードは 2 局同時録画なんてできないし~! かと言って、このためだけに、ダブルチューナーのカードを買うのもなんだしなあ。困ったもんだ。

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ヒルズ系 IT 社長 2005

 いつのまにか「あとがき」復活してたんですね。太田さん、最高です!

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女優魂

 女優魂という、「本物は誰だ」の逆みたいな番組があるんだけど、マジで難しいですね。毎回けっこう本気で当てにいってるんだけど、ちっとも当らないです。悔しいので、次は当ててやろうと思って、どんどんハマっています (^^)。完全に作り手の思う壺です。また、出てる女優さんも、みんな結構本気で勉強してるんですよね~。ボクもまだまだ修行が足りないですねえ。

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ほめすぎ (^^)

 「辞書にない英語」のアクセス解析を見て、みょーなとこからアクセスがあるなと思って調べてみたら、ジャンク SPORTS で有名な、株好き競輪選手長塚氏のオフィシャルサイトこんな記事が… (この方、株の本まで出しちゃったんですね (^^))。でも、はっきり言ってほめすぎです (^^)。

ポイント 否定的な言葉はもっとほめろというサイン。(「大人養成講座石原 壮一郎著)

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気になる数

  「ランク王国」をチラ見。恒例の「渋谷の女の子 100 人に聞きました」で、「はじめてキスを許すのは何回目のデートか」というアンケートの平均値が 2 回ちょっと。まだ 1 回台にはなってないのかと思ってやや安心する (^^)。(20 回とかいう子もいました)

 ETV 特集の再放送「気になる数 ~出生率1.29の少子化社会~」もチラ見。セックスレスの割合よりなにより驚いたのは、「社団法人 日本家族計画協会」という団体が存在するという事実。社員に年頃の娘さんとかいたら、「ウチのお父さんは日本家族計画協会に勤めているんです」とか言いにくかったりするんだろうなあ、といらぬ想像をする (^^)。

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一週間の〆

 かをりちゃんの下ネ短歌もいいけど、やっぱり、「今週のコラム」を見ないとなんかものたりないな~(^^)。

 (関係ないけど、あの占い師はなんで自分で謝らないでかわりにテレビ局が謝ってるんだ? そんなに商品価値を下げるのがイヤかね。どっちもどっちの共犯関係ですな。そんな奴に説教されてる人もいい面の皮だよね。)

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