日本は食糧戦争に勝てるか

 サンプロを見ていたら、これからは資源戦争の時代で、日本ももっと食料自給率を上げないと資源戦争に勝てないというお話をしていたので、日本が手持ちの資源で食料戦争に勝てる可能性を探ってみた。

 まず、国民一人当たりの耕地面積と食料自給率の関係を調べてみた。

クニ 人口ジンコウニン 陸地リクチ面積メンセキ(km2) 耕地コウチ割合ワリアイ(%) 耕地コウチ面積メンセキ(km2) 一人ヒトリたり耕地コウチ面積メンセキ(m2/ニン 食料ショクリョウ自給率ジキュウリツ(%)
オーストラリア 20,434,176 7,617,930 6.15 468,503 22,927 237
カ ナ ダ 33,390,141 9,093,507 4.57 415,573 12,446 145
フランス 64,057,790 640,053 33.46 214,162 3,343 122
ド イ ツ 82,400,996 349,223 33.13 115,698 1,404 84
イタリア 58,147,733 294,020 26.41 77,651 1,335 62
オランダ 16,570,613 33,883 21.96 7,441 449 58
スペイン 40,448,191 499,542 27.18 135,776 3,357 89
スウェーデン 9,031,088 410,934 5.93 24,368 2,698 84
ス イ ス 7,554,661 39,770 9.91 3,941 522 49
エイ  コク 60,776,238 241,590 23.23 56,121 923 70
アメリカ 301,139,947 9,161,923 18.01 1,650,062 5,479 128
日  本 127,433,494 374,744 11.64 43,620 342 40


 人口、陸地面積、耕地割合に関しては、CIA で出してる The World Factbook、食料自給率については、農林水産省の「食料自給率資料室」 からデータを取得した。これらはウェブ上で公開されているので、誰でも検証が可能である。ただし、前者のデータは 2007 年頃のもので、後者のデータは 2003 年のものだが、これは他に資料が見つからなかったためなので勘弁いただきたい。耕地面積と一人当たり耕地面積は、これらのデータから単純に計算したものである。

 このデータを見ただけでも、一人当たり耕地面積と食料自給率にはかなりの相関がありそうに見えるが、実際に横軸に一人当たりの耕地面積、縦軸に食料自給率をとって、グラフにしてみるとこうなる。

arable-area-and-food-self-sufficiency.jpg

 この直線は回帰直線といって、仮にこの両者が正比例の関係にある(つまりグラフ上では直線で表される)と仮定した場合に、実際のデータとの誤差が最も小さくなるような位置と傾きで引かれた直線である。青い点の方は実際の各国のデータなのだが、どの点もかなり回帰直線の近くにある。つまり、各国の食料自給率の差は、かなりの部分耕地面積の差で説明できるということである。

 統計の知識のある人のために書いておくと、この両者の相関係数は 0.95 (有意水準 1% 以下で有意)であり、この回帰式の決定係数(寄与率)は  0.90 である。言い換えれば、 食料自給率の 9 割は一人当たり耕地面積で説明できると言うことだ。

 もっとも、回帰式が原点を通らないところはかなり気になる(耕地面積ゼロでも食料自給率がゼロにならないということだから(^^)。でも、水産資源まで考えれば辻褄合うのかも)。ひょっとすると、グラフの右の方にあるオーストラリアやカナダは、まだまだ生産効率を上げる余地があって、各国が生産効率限界まで生産すると、もっと食料自給率が上がるのかもしれない。たぶん、オーストラリアやカナダを外れ値として除外して直線を当てはめれば、傾きはもっと急になって、原点近くを通るようになるだろう。(あるいは、直線よりも限界生産性が逓減するような曲線を当てはめた方が本当はいいのかもしれない)。

 言うまでもないが、日本は一番左下にある青い点である。この点は回帰直線より下にあるので、日本は確かに耕地面積が狭いことを割り引いても食料自給率が低いということは言えそうである。ただし、逆にこの回帰直線から予想される日本の食料自給率は、約 64% でしかない。

 このままではどう見てもわが国には勝ち目がないので、仮に日本の国土すべてを耕作地にしたらどこまで食料自給率が上げられるかを計算してみた。つまり、一人当たり耕地面積の代わりに、一人当たり陸地面積を横軸にとって、それがこの回帰直線とぶつかる点から食料自給率を予想するわけである。もちろんこれは、山も都市もすべてつぶして農地にするということを意味するが、国家存亡の非常時であるからそんなことはかまっていられない。

クニ 人口ジンコウニン 陸地リクチ面積メンセキ(km2) 一人ヒトリたり陸地リクチ面積メンセキ(m2/ニン 予想ヨソウ食料ショクリョウ自給率ジキュウリツ(%)
オーストラリア 20,434,176 7,617,930 372,803 2,966
カ ナ ダ 33,390,141 9,093,507 272,341 2,184
フランス 64,057,790 640,053 9,992 139
ド イ ツ 82,400,996 349,223 4,238 94
イタリア 58,147,733 294,020 5,056 101
オランダ 16,570,613 33,883 2,045 77
スペイン 40,448,191 499,542 12,350 158
スウェーデン 9,031,088 410,934 45,502 416
ス イ ス 7,554,661 39,770 5,264 102
エイ  コク 60,776,238 241,590 3,975 92
アメリカ 301,139,947 9,161,923 30,424 299
日  本 127,433,494 374,744 2,941 84

 これをグラフにするとこうなる。

self-sufficiency-projected.jpg

 どうだろう。来るべき食料戦争に勝てそうな気になれたであろうか。  


 とまあ、少し思わせぶりに書いてみたが、私の本音は、だから日本は近隣アジア諸国を侵略して領土と資源を増やすべし、というのではもちろんなくて(^^)、そもそもこんな戦争勝てるわけねーだろー! やれ経済大国だのジャパン・アズ・ナンバーワンだのと言われ続けた記憶がいまだに忘れられないのかもしれないが、何を勘違いしとんじゃ、目を覚ませー! ということである(^^)。

 どうも日本人は、自分たちの国がいかに資源の少ない狭い国土にたくさんの人が住んでいる特異な国かということを、しばしば忘れがちであるように思える。こんな国が資源戦争に乗り出そうというのは、思想をどうこう言う前に戦略として間違っており、将棋で言うところの「筋悪」な手そのものではないだろうか。

 思えば、「あの戦争」も、資源のない日本が無理矢理領土を広げて資源を確保しようとしたのが始まりではなかったか。戦後その過ちに気づいた日本人は、資源を増やすことを諦め、貿易によって富を増やすという戦略に転換することによって、奇跡の復活をとげた。なのに日本人は、かつての教訓を忘れ、ふたたび資源戦争に乗り出そうというのだろうか。

 最近、サヨク系の人たちが反グローバリズムのあまりウヨク系の人たちと同じ主張をしだすという傾向が見られるが、思えば、大東亜共栄圏とかなんとかいうのだって、実質はともかく、名目上は反グローバリズムの主張だったわけで、だからこそ多くの国民が騙されたわけであろう。どうもそういうことを思い出して嫌な感じがしてしまうのはぼくだけだろうか。

 これはぼくの勝手な歴史観だが、多分、冷戦が崩壊したのは、米ソがにらみ合ってるのを尻目に、アメリカの核の傘を利用して無駄な軍事費を使わず平和な商売に専念して大儲けした日本を見て、米ソがバカバカしくなってしまった(あくまで比喩的にだが)のが一因じゃないかと思っている(^^)。そういう意味で、グローバリズムこそが日本の生み出した世界に誇るべき思想なのであって、日本はこの思想に賭けるしかないと思う。

 そもそも、資源のある国が資源を囲い込もうとしたり資源戦争だとか言い出したりするのはわかるが、日本のような資源のない国は、あくまでそれをさせないような外交努力をし、グローバリズムこそが世界を平和にするのだと世界に訴え、実際にグローバリズムを通じて世界の人を幸せにする努力をしていくのが本筋であろう。

 仮に、そういう努力も虚しく実際に資源の囲い込みが起こったとしても、そうなれば自然に農産物の価格が上昇するはずだから、国内農業の利益率も上昇して、市場原理によって自然に国内農業生産量も増えるだろう。だからいずれにせよ、先回りして先行投資することにそれほど意味があるとも思えないのだが。

 あるいは逆に、少子化対策などやめて、日本の人口を今の半分ぐらいに減らし、名実ともに小国として暮らす道を選ぶという手もあるかもね。まあ、どれぐらいの日本人がそれに賛成するかよくわかりませんが(^^)。

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YouTube とレズビアン

 昨日の「英語でしゃべらナイト」では、なんと、かの YouTube の創始者スティーブ・チェンと、レズビアンを正面から取り上げて話題となった「L の世界」というドラマで主演したジェニファー・ビールスにインタビューしていた。

 NHK だから当たり障りのないことしか聞かないのかな~、と思っていたら、YouTube での違法行為の話とか、レズの話とかも、ちゃんと聞いてましたよ。NHK さんもなかなかやりますなあ(^^)。

 ちなみに、ジェニファー・ビールズにインタビューしたのはなぜか川島なお美で、英語はそこそこうまかったけど、自分だったらあんな役は引き受けないとか言っちゃったり、自分のフィアンセについてのろけたりとかして、内容はワリとグズグズだった(^^)。

 スティーブ・チェンは、インターネットの将来について鋭い予言とかするのかな~と思って観ていたら、まさか YouTube がこんな使われ方するとは思わなかったとか正直に言っちゃってて、ワリとふつーの兄ちゃんだった(^^)。

 興味のある人は再放送でもチェックしてみてくださいな。

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太田光の鋭すぎる踏み込み

 「爆笑問題のニッポンの教養」を観てて、一瞬わが耳を疑った。ゲストは伊勢崎賢治。東ティモール、シエラレオネ、アフガニスタンなどの紛争処理を現場で指揮した、自称「紛争屋」さんだ。この人は、去年、マル激トーク・オン・ディマンドにも出演していて、それを観たときから面白い人だなあと思っていた。なにせ、机上の理論ではなく、実際に紛争のまっただなかに飛び込んで停戦や武装解除を実現してきた人だから、言葉に説得力がある。

 ところがなんと、こういう人に対して、太田光は、「あなた戦争が楽しいんでしょ?戦争がなかったら生きがいがないんでしょ?」てなことを言い放ったのである。

 ほとんど無礼すれすれ、いや、完全に無礼な発言に違いないのだが、伊勢崎氏は笑顔を崩さず、「いやあ、そのことは自分でも自覚してますよ。だから「紛争屋」なんて名乗っているわけでね」などとおだやかに返したのであった。

 ぼくはもちろんこのやりとりを聞いて驚いたのだが、決して不快な印象ではなかった。むしろ、太田のするどい踏み込みをギリギリで見切って受け流す伊勢崎という、一流の武道家同士の立会いを見たような気分だった。いいものを見せてもらいました、という感じ。

 もちろん、この質問のおかげで、視聴者は、リアリズムとロマンティシズムの間でバランスをとる伊勢崎の強靭なバランス感覚を感じ取ることができたであろう。ジャーナリストには、ときにこういう踏み込みが必要だが、たぶん、現在のテレビのインタビュアーで、あそこまで無礼な質問ができる人は、あと田原総一朗ぐらいしかいないのではないだろうか。

 いっそ、田原引退後は太田が朝生の司会をやればいいのではとも思ったが、よく考えると、太田が司会だったら、ゲストそっちのけで一人でしゃべりまくりそうだから、無理かもしらんね(^^)。

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政党コンビニ論

 サンデープロジェクトを見ていたら、田中康夫さんが、自民党と民主党は、高島屋とイトーヨーカ堂(固有名詞はうろ覚えです)みたいになるべきなのに、実際にはそうなってないと批判していた。

 なかなかうまい例えだとは思うが、ぼくに言わせれば、氏の認識はまだ甘い(^^)。ぼくはむしろ、二大政党は、セブンイレブンとローソンぐらいの差になっていくだろうし、そうなるべきだと思っている。

 高島屋とイトーヨーカ堂というのは、高級デパートと庶民向けデパートという意味で、有権者にわかり易い選択肢を示せという主張だろうが、今の時代、平均的な有権者の政治に対する要求にそんなに差があるはずがない。それを無理に差別化しようとすれば、結局、有権者は常に同じ政党を選ばざるおえなくなって、競争にはならないだろう。一方がシェアを独占し、もう一方がニッチ政党になるだけのことだ。

 したがって、常に競争が成立するためには、コンビニのように、どの店に行っても品揃えはだいたい一緒でなければダメなのだ。一方では弁当を売っているが、もう一方では売ってないというほど大きな差があってはならない。 そのように、基本的な前提条件はだいたい一致させた上で、ちょっとだけ駅に近いとか、牛丼の肉の量がちょっとだけ多いとか、ボールペンがちょっとだけ安いとか、店員の接客マナーがちょっとだけいいとか、もっと細かいこまかーいところで争うべきなのである(^^)。

 逆に、共産党や社民党などは、それこそ、CD や DVD 専門店のような、ニッチ政党を目指せばよろしい。CD や DVD しか売ってなくても、コンビニに勝てるはずだというような変な勘違いをせず、あくまでニッチであることを自覚した戦略をとっていれば、二大政党の間でも、それなりの存在意義を維持できるはずである。

 もっとも、昔の政治家や評論家だったら、もっと八百屋と魚屋とか言っていたはずで、田中氏はそう言わなかっただけ、まだ時代を読めている方だとは思うのだが、ぼくなんかから見ると、まだまだ政党制に対するある種の幻想というか固定観念を捨てきれてないのではないかと思ってしまう(^^)。みなさんは、どちらの歴史観が当たっているとお思いになるだろうか。

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マル激・岡田斗司夫編

 今週の「マル激トーク・オン・ディマンド」のゲストは、渦中の人、岡田斗司夫さんであった。と言っても、収録したのは先週らしく、「いいめも」事件についてはなんの言及もなかったが、お話自体はなかなか面白かった。

 もっとも、後半の「見た目主義社会」の話は、申し訳ないけど、表層的であまり深みがないように感じた。面白かったのはやはり、前半のレコーディング・ダイエットの話である。実は、ぼくはまだ「いつまでもデブと思うなよ」という本自体を読んでいないのであるが、自分の禁煙体験と照らし合わせてみても、ハタと手を打つような発言がいろいろとあった。

 そこで以下、岡田式レコーディング・ダイエットについてぼく流の解釈を書こうと思うが、その前に、やはり一言書いておかねばなるまい。ここに書いてある岡田式レコーディング・ダイエットに関する説明は、あくまでぼくの勝手な解釈であって、岡田氏の提唱するレコーディング・ダイエットを正しく伝えているとは限りません。と、これでいいよね(^^)?

 ぼくは、30 代になってからタバコを吸い始め、5 年間ぐらい吸い続けてから禁煙に成功したという、少し珍しい喫煙歴を歩んだ人間なのだが、そのときに考えたのは、岡田氏と同じく、やはり人間の欲望の構造だった。

 そもそも、禁煙したい人間というのは、意識的・理性的にはタバコを止めたいと思っているのだが、無意識的・感性的にはタバコを吸いたいと思っているものだ。この状態を俯瞰して見ると、二つの矛盾する欲望を同時に抱いているということになる。

 この状態は、理性偏重の近代主義的な考え方からすれば、理性的な欲望の方が正しく、感性的な欲望の方は間違っているということになるのだろうが、ポストモダン的な考え方からすれば、どちらが正しいとも言えないはずである。

 したがって、徹底して近代主義的な人間の場合には、理性によって感性をねじ伏せるという形で禁煙に成功することもあるのだが、ポストモダン的な人間の場合には、タバコが吸えないのに長生きしてもつまらない、どうせ人間いつかは死ぬんだし、みたいな考え方に抵抗しきれないわけである。

 しかし、よくよく考えると、そもそも同じ人間が矛盾する欲望を同時に持っているということが論理矛盾なのであって、これは、意識と無意識を別の自己として認識していることによって擬似的に発生する現象にすぎないのである。

 元をたどれば、理性的な欲望も、感性的な欲望をより深く満足させるためにあるはずだし、感性的な欲望も、理性によって誘導できるはずなのだから、問題は、両者のフィードバック関係がうまく機能していないことなのである。したがって、このような矛盾は、無意識的な欲望と意識的な欲望の関係をよく整理して正しく捉えなおせば、解消できる可能性がある。

 たとえば、禁煙について言えば、そもそも、タバコを止める人はなぜみんな完全に「スパッ」と止めなくてはいけないと考えていて、一日一本だけなら吸っていいみたいな止め方をする人がいないのかが不思議である。

 実際には、無意識的な喫煙欲は、たまにはタバコを吸いたいという欲望かもしれないし、意識的な禁煙欲も、肺癌にならない程度にタバコを減らしたいという欲望かもしれない。だとすれば、完全に禁煙するかわりに、喫煙量を減らすことによって、意識的な欲望と無意識的欲望の両方を満たせる可能性があるはずだ。

 もちろん、タバコの場合には習慣性があるという事実も見逃せないが、これはおそらく、理性によって感性をねじ伏せるという近代的な自己モデルに囚われすぎているがゆえの勘違いだと思う。

 現にぼく自身も、禁煙成功後は、普段はまったくタバコを吸っていないが、たまに飲み会に行くときだけはタバコと 100 円ライターを買っていくことがある。これは前にもどこかで書いたけど、ぼくはあまり社交的な人間ではないため、同席した人と話が盛り上がらないことがあって、そういうときにも、タバコをぷかーっと吹かしているとなんとなくカッコがつくからである。(実は、これこそが、ぼくが喫煙時代に発見した、喫煙の最大の効用である(^^)。)

 もちろん、だからと言って、その日を境にタバコを吸いだしてしまうようなことはなくて、翌日からは何事もなかったように禁煙生活を続けられている。これこそ、自分の中の無意識的な欲望と意識的欲望の間の整理がついている証拠であろう。

 岡田氏の話の中でも、ぼくが最も感心したアイデアは、食事を残せばよいという話である。ぼく自身もダイエット中によく経験するのだが、たとえば、コンビニに弁当を買いに行って、カツ丼を発見し、一瞬食べたいと思ったものの、カロリー表示を見て諦めて、代わりにもっとカロリーの少ないソバ弁当にしたりすることがある。

 これも先ほどの禁煙の話と同じことで、カツ丼を食べたいというのが無意識的な欲望、ダイエットしたいというのが意識的な欲望なのだが、よくよく考えると、カツ丼を食べたいということと、コンビニで売っているカツ丼を一個全部食べたいということはイコールではない。実は、無意識は、ちょっとでもカツ丼の味を味わえれば満足するかもしれないし、そのちょっとは、実はソバ弁当一個よりカロリーが少ないかもしれないのである。

 そう考えると、カツ丼を一部だけ食べて後は捨ててしまえば、意識的な欲望と無意識的な欲望の両方が満足する可能性があるわけで、この発想はさすがに鋭いと思った。

 誰でも気がつくことだと思うが、このような考え方は、最近流行りの procrastination 対策にも応用できる。ここでも、仕事をサボってダラダラしたいという感性的な欲望と、早めに仕事を終わらせないと後でヒドイ目に合うよという理性的な欲望が対立しているように見えるわけだが、だからといって理性で感性をねじ伏せようとするから、長続きしないのであろう。最近流行のライフハックで提唱している ToDo リストの作成なども、要するに、自分の真の欲望を整理して正しく認識しなおすための技法であると考えられる。

 そういう意味で、理性的な欲望と感性的な欲望の関係を整理して、正しく自己認識し直すという手法自体は、いろんな分野に応用できるスキルであると思われる。こう考えると、このような方法が最近まで普及しなかったのはむしろ不思議なぐらいだが、おそらく、理性と感性を分けて考え、理性で感性をねじふせられる奴が偉いとする、近代的なパラダイムが発想の邪魔をしていたのだろうとぼくは思っている。

(読み直してみると、実はフロイト理論とあんまり言ってること変わらんような気も(^^)。)

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ジャンクSPORTSの美学

 「ジャンクSPORTS」というのは、ご存知の方も多いと思うが、ダウンタウンの浜田雅功がメイン MC をつとめ、ゲストに迎えたトップアスリート達をヒナ壇芸人よろしくいじり倒すという番組である。

 ダウンタウンファンのぼくはもちろん、この番組自体好きでよく観ているのだが、中でも前から気になっているコーナーが一つある。それは、「スポーツ・ファンタスティック」の中の「ジャンクスポーツPR大作戦」 というコーナーである。

 これは、たとえばビーチバレーの浅尾・西堀ペアとか、F1 の鈴木亜久里のチームとかに、 ジャンクSPORTSの番組のロゴの入ったものを着用してもらったり、F1 のマシンにステッカーを貼らせてもらったりして、ジャンクSPORTSという番組をタダで宣伝してもらおうという、超ずーずーしい企画、のはずなのだが…(^^)。

 でも、冷静に考えると、平均視聴率 10% 程度を稼ぐジャンクSPORTSの方が、ビーチバレーや F1 レースの試合より、メディアとしてのリーチは大きいはずである。普通、広告というものは、リーチの小さいメディアがリーチの大きいメディアに出すものだが、この企画では、それが逆になっているのである。

 つまり、見かけ上は、ジャンクSPORTSが他のスポーツに宣伝してもらっているように見えるが、実質的には明らかに、ジャンクSPORTSの方が他のスポーツを宣伝することになっているのである。深読みかもしれないが、それをあえて、「宣伝してもらっている」と表現するところに、ぼくは番組スタッフの美学のようなものを感じて、心の中でニヤリとしてしまうのだ。

 もっと深読みすれば、このやり方は、いつも宣伝「してやって」いるのだから、という事実を免罪符にして、いざとなると芸能人やアスリートのプライバシーを暴き立てて食い物にしている、他の芸能マスコミやスポーツ・ジャーナリズムに対する批評にもなっていると思うのだ。

 このようなイエロージャーナリズムの問題点は、ルールというよりむしろ美学の欠如にあるので、論理的な言語では批判しにくいところがある。したがって、そのような美学のなさを批判するには、より美学のあるモデルと対比することが最も効果的なのである。

 そういう意味で、ジャンクSPORTSのスタッフの方々には、今後もぼくの深読みを裏切らないようにがんばっていただきたいものである(^^)。

(ダウンタウンのことを下品な芸人だと思っている人もいるようだが、この例でもわかるように、ぼくは、彼らには強い美学的なこだわりがあると思う。もちろん、それを美しいと感じられるかどうかは、人それぞれだと思うが(^^)。)

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God's Christian Warriors

     先日紹介した、CNN の God's Warriors シリーズの一つ。今度のテーマは、まさにど真ん中の直球で、アメリカの宗教右派である(^^)。

     盛りだくさんな内容で、例によって観ているだけで疲れてしまうような話も多かったが、政治に宗教を持ち込むなと訴えて支持を得ている牧師とか、環境問題でリベラル側に立つ神学者とか、少しは希望の持てそうな話もあった。

     森孝一先生なんかの本を読んでいればわかるようなことも多いが、その後のかなり過激な展開もいろいろ描かれているので、アメリカ社会とキリスト教の関係に興味のある人には観ることをお勧めしておく。

     CNN International では、この土日にあと 3 回ぐらい再放送があるはず。CNNj でも「神の戦士:キリスト教編」という題で、だいたい同じ時間にやってるみたい。

     改めて思ったけど、この問題は日本の文化保守の問題とも似てるよね。公の場所に十戒を掲載しよう運動は日の君運動みたいだし、進化論を教えるな運動は教科書問題みたいだし、過激な性教育に反対みたいなのも同じですよね。まあ、ある意味当たり前だけど(^^)。

     時間があれば、あとでもっと詳しく紹介するつもり。今日はとりあえず疲れた。。。 (番組を観てくれれば、疲れる気持ちもわかってもらえるでしょう(^^))

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臓器の印刷

 YouTube で見つけた、PBS の Wired Science という番組のビデオ(合法(^^))を観てビックリ。

 前半は、どっかで観たことがあるような、再生医療の話なのだが、後半になると、なんとプリンターを使って臓器を「印刷」するとかいうすごい話が出てくる。

 調べてみると、これは organ printing という最新の医療技術らしい。

 なんか、リュック・ベッソンの「フィフス・エレメント」でミラ・ジョボビッチが誕生するシーンを思い出してしまった。初めてこの映画を観たときには、あんまりリアリティがないような気がしたのだが、実は結構 SF 考証センスがよかったのかも(^^)。使われてるのが、パソコンで使ってるような普通のインクジェット・プリンタなのもおかしいよね(^^)。

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金儲けの福音

    あなたはできる 運命が変わる7つのステップ  昨日の「ラリー・キング・ライブ」のゲストは、ジョエル・オスティーン(Joel Osteen)という宗教家。ぼくは不勉強にして知らなかったのだが、毎週 5 万人もの信者が集まる全米でも最大級のメガチャーチを運営し、処女作の「Your Best Life Now: 7 Steps to Living at Your Full Potential あなたはできる 運命が変わる7つのステップ)」は 500 万部を売り上げ、バーバラ・ウォルタースからも「2006 年の最も魅力的な人物ベスト 10」に選ばれた人物だという。そう聞けば、かねてからキリスト教とアメリカ社会の関係に興味があった私としては、調べてみないわけにはいかない(^^)。

     聞いていてひっかかったのは、この本のタイトルからもわかるように、彼の教義が宗教というより自己啓発セミナー的であることだ。調べてみると、このような教義は、「ワード・オブ・フェイス(Word of Faith)」運動の流れを汲んでいるらしい。

     ワード・オブ・フェイス運動については、検索してみてもほとんど日本語の資料が見当たらないのだが、唯一、映画秘宝という雑誌の「高橋ヨシキの悪魔の映画史」という連載の中にわかりやすい説明がある。 (この連載は、バックナンバーも非常に興味深く、キリスト教とアメリカ社会の関係に興味がある人は必読である。)

     この運動の特徴的な教義の一つとして、"Prosperity Gospel" というのがあるらしい。これは、直訳すれば「繁栄の福音」ということになるが、特に "financial prosperity" を強調しているということなので、表題のように「金儲けの福音」と訳してもあながち間違いではあるまい。要するに、信仰すれば、健康になって社会的にも成功するよ、という話で、完全に現世利益的なのである。

     上記の高橋ヨシキ氏も書いているように、これは、キリスト教本来の教義とはかなりかけ離れているように見える。もっとも、キリスト教の教義というのは、別にイエス・キリストがすべて考えたわけではなくて、キリストの死後に弟子たちがよってたかってでっちあげたようなものだし、キリスト教の歴史自体が、宗教改革をはじめとした派閥争いの歴史と言ってもよいくらいだから、何が本来の教義だかなんだかわかりゃしないという話もある(^^)。

     しかし、キリスト教の根幹に近い部分には、現世利益を無視し、死後の救済を求めるという教義があるということは、大方の一致するところではないだろうか。「予定説」などはその典型的な例で、誰が救済されるかはあらかじめ決まっていて、現世で何を努力しようが「そんなの関係ねえ!」というある意味ぶっとんだ話だ(^^)。また、金儲けを擁護しているともとれる、あの有名なウェーバーの「プロテスタンティズムの倫理」ですら、資本主義を生み出したエートスは、現世で金を使って楽しむことを考えず、ひたすら勤勉に働いて資本を蓄積する精神である、ということだったはずだ。

     そういう意味で、この教派は、同じキリスト教内部からもいろんな批判を受けているらしい。また、この教派は、「原罪」みたいなキリスト教のおもたい部分はあまり教えず、軽くて口当たりのいいことばっかりいうので、"Gospel lite" とか "Christianity lite" とか揶揄されているらしい(この lite はマルボロライトとかのライトで、要するに「軽いキリスト教」という意味らしい)。しかし、そんな宗教がこれだけ多くの人を動かしているということは、今後のアメリカ社会の行方を占う意味でも注視すべき現象であろう。

     まあ、ぼくは金儲け自体は別に悪いことだとは思ってないのだが(^^)、それが宗教の目的だと言われると、さすがにちょっと違うのではないかと言いたくなる。宗教の目的の一つは、ある次元で幸せになる方法を教えることだと思うが、お金というのは、幸せになる手段としては使えるけど、幸せになる方法は教えてくれない。いくらお金が儲かっても、それをどう使えば幸せになれるかを教えてくれなければ、本末転倒だと思うのだが(^^)。

    (追記:言葉足らずでわかりにくかったかもしればいが、別に、単なる処世術なら処世術でよいのである。ぼくが言いたいのは、単なる処世術に過ぎないものを、神の名において絶対化することの危険性なのである(^^)。それは、疑似科学と同じで、「擬似処世術」「擬似自己啓発」みたいなものにすぎないのではないだろうか。)

     ぼく自身は無神論者なのだが、必ずしも社会に宗教が不要だとは思っていない。今みたいに科学全盛の時代に宗教を信じている人は単純に頭が悪いみたいに思っている人もいるようだが、もともと近代以前には、科学も哲学も宗教の一部だった。それが近代になって、科学や哲学が宗教から分かれて、独自の文化として自立したわけだが、じゃあ、科学や哲学が完全に宗教の代わりを果たしているかと言えば、必ずしもそうは思えない。なにかとりこぼされたものがあるような気がするのである。頭のいい人は、その隙間を自分の考えで埋めていくこともできるのだが、誰もがそれほど頭がいいわけではない。だからこそ、いつまでたってもカルトみたいなものがなくならないのではないだろうか。

     そう考えると、現代に求められている宗教というのは、民主主義や科学のような近代市民社会の原理と決して対立せず、なおかつ、科学や哲学が取りこぼしたものだけを扱うような宗教(というより宗教性と言ったほうがいいかもしれないが)ではないかと思うのだが、肝心の宗教家は、相変わらず科学に対抗し否定することばかりを考えているように見える。そんな考え方では、いつまでたっても二流の科学(疑似科学)や処世術を垂れ流して世の中を混乱させるだけではないかと、ぼくなんかには思えてしまうのだが。。。

    余談:この話とは別に、ちょっと面白かったのは、ブリトニー・スピアーズやパリス・ヒルトンに言及した部分(トランスクリプトを参照)。

   

        KING: Yes. That's what many think, that this whole group, these youngsters, are basically good.