Pyongyang Declarization

 11 月 8 日の NHK スペシャルの「秘録 日朝交渉~知られざる“核”の攻防~」を見ていたら、鳩山首相の国連演説の一部が引用されていて、聞いていたらちょっとずっこけてしまった。

 「平壌宣言」のことを「Pyongyang Declarization」と言ってしまっている。

 「平壌宣言」は「Pyongyang Declaration」 です。Declarization なんて英単語はありません。

 言い間違いかもしれないけど、普段 declaration という言葉を使い慣れていれば、口に出した瞬間に気づくと思うんですけどね。

 NHK もわざわざここをピックアップするなんて意地悪なと思うが、この官邸で公開しているビデオの 14:40 のあたりを聞いてもはっきりそう言っている。 

 ぼくは別に、日本の総理大臣にとって英語力が大事だとはまったく思っていないが、中途半端な英語力をひけらかそうとする態度は見てて恥ずかしく感じる。もっと「ぼくは英語なんてできませんが、それが何か?」という感じで堂々としてればいいのに。

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award-winning はなぜ訳しにくいのか

 英和翻訳を長年やっていると、頻出する語句や成句については訳し方のパターンが確立されてくるものだが、訳そうとするたびにうまい訳が思いつかなくて悩むような言葉もいくつかある。以前に紹介した decompression という単語もそうだった。今回は、award-winning という単語を取り上げてみたい。

 award-winning というのは、見た通り、award と winning を組み合わせた合成語であり、その意味もこの二つの単語の意味から類推される通りである。award は「賞」を意味する名詞、win は「獲得する」を意味する動詞であるから、award-winning は「賞を獲得した」という意味になる。

 この単語がよく使われるのは広告文で、宣伝したい商品や企業を表す言葉を修飾する形容詞として、award-winning product とか award-winning company のようなフレーズの中で使われる。

 このフレーズ、もちろん意味だけを考えれば何も難しいことはない。「賞を受賞したことのある製品」あるいは「賞を受賞したことのある会社」という意味だ。しかし、このフレーズを現実の文章の一部として訳そうとすると、どうもうまくいかないのである。

 実際に例を挙げてみよう。以下は、ある企業のウェブサイトの宣伝文を元にして創作した例文である。

 Foo utility combines the award-winning security technologies from Company Inc., including A, B and C, to provide complete protection for your PC.

 この文を素直に訳せば以下のようになるだろう。

Foo ユーティリティは、カンパニー社の A・B・C といった賞を受賞したセキュリティ技術を組み合わせることにより、PC を完全に保護します。

 でも、こんな広告文を実際に見たことある? なんかひっかかるよねえ。そう。「賞を受賞した」の部分が何かすわりが悪いと思わない?

 少なくとも、ぼくの語感からすると、この「賞を受賞した」は何か気持ち悪くて仕方がない。でも、その理由は必ずしも論理的にうまく説明できない。「賞」の字が重複しているせいだと思うかもしれないが、「受賞した」だけにしたり「賞を獲得した」に変えたりしても、この違和感は解消されない。

 違和感の原因として一つ考えられるのは、受賞した賞についての具体的説明が何もないことである。たとえば、「アカデミー賞を受賞した作品」「権威ある賞を受賞した製品」「数々の受賞歴に輝く企業」みたいな表現ならば、日本のメディアでも腐るほど目にする表現であって、何も違和感などない。

 ただ、award-winning という単語自体には、「権威ある」とか「数々の」という意味は含まれていないから、実際には業界お手盛りのくだらない賞かもしれないし、賞を獲った回数だって一度きりかもしれないのである。だから、何も考えずにこんな風に訳すと単なるウソになってしまう可能性がある。

 仕方ないので、ぼくはこの単語を訳すとき、実際にその広告の対象となっている企業や製品について調べて、それが本当に権威ある賞だったら「権威ある賞を受賞した」、複数の賞を受賞していたら「数々の受賞歴に輝く」などと訳すようにしている。

 また逆に「賞」という言葉にこだわるのをやめて、「賞を獲得できるほど評価の高い」という意味だけ汲み取って、「好評の」などと訳すこともある。いずれにせよ、なんとなくうしろめたい気持ちを抱きながら。

 おそらくマーケティング関係の英文を専門に訳している人は、こんな単語の訳し方はとっくに手法として確立しているに違いないし、そうでなくても単純にぼくが無知・無能なだけということも十分ありえるが、少なくともぼくは、この単語のうまい訳し方をいまだに思いつかないので、恥を忍んでここに晒してみた。

 ひょっとしたら、この違和感の裏には、英語圏と日本の文化差が潜んでいるのかもしれない。たとえば、英語圏では賞はすべて権威のあるものであって、賞をとっただけで十分評価に値するが、日本では賞にはそれほどの権威がなく、より具体的な記述がないとほめ言葉として成立しない、とかなんとか。

 もちろんこの説は単なる思いつきにすぎないが、訳しにくい理由がはっきりとわからないと、上記のような回避方法を選択するにしても今ひとつ自信がもてないので困るのだ。どなたか学のある方が研究してくれないだろうか。

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Caitlin Upton さんの伝説の名回答を訳してみた

 Caitlin Upton さんというのは、2007 年のアメリカ・ミス・ティーン・コンテストで 3 位の次点になった人。この人のコンテストでのユニークな受け答えは、YouTube で世界的な話題となったらしい。ぼくも遅ればせながら視聴してみたのだが、この人の回答は、翻訳の課題としても絶好の材料を提供していると思う。そこでぼくも翻訳にチャレンジしてみた。

"Recent polls have shown a fifth of Americans can't locate the U.S. on a world map. Why do you think this is?"

I personally believe that U.S. Americans are unable to do so because, uh, some, people out there in our nation don't have maps and, uh, I believe that our, uh, education like such as, uh, South Africa and, uh, the Iraq, everywhere like such as, and, I believe that they should, our education over here in the U.S. should help the U.S., uh, or, uh, should help South Africa and should help the Iraq and the Asian countries, so we will be able to build up our future, for our [children].

(摂訳)最近の世論調査によると、アメリカ人の5分の1は、世界地図の上でアメリカの位置を特定することができないそうです。これはなぜだと思いますか?

えー、合衆国アメリカ人にそれができないのは、えーと、わが国のそのへんの人たちが地図を持ってないからじゃないかと、個人的にはそう思うんですが。えーと、南アフリカとか、えーと、例のイラクとか、そこらへん的な感じの、わたしたちの教育的な感じじゃないかと。だから彼らは、アメリカのこのへんのわたしたちの教育がアメリカを助けて、それでえーと、南アフリカを助けて、例のイラクやアジア諸国を助けるべきじゃないでしょうか。そうすれば、(子供たちの)ためになるような未来を築くことができるでしょう。

 筒井康隆的な手法を援用してみたんですが、いかがでしょう。地図うんぬんだけじゃなくて、Americans で十分なのにさらに U.S. がついていたり、like と such as を併用したり、固有名詞の Iraq にあえて the をつけたりしてるところがポイントのようなので、それを強調して訳してみました。

 おっと、こんなことしてる場合じゃないんだよな(^^)。仕事仕事。

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mixi コミュのレベル低下がひどい

 よっぽど mixi に直接書こうかと思ったのだが、熟慮の末こっちに書くことにする(このブログはどうせ mixi にも自動的に引用されるし)。実は、mixi では、翻訳関係のコミュニティにいくつか加入しているのだが、久しぶりにチェックしたら、投稿の質が呆れるほど低下していたのでちょっと驚いた。

 もちろん、こういう英文がわかりませんというような質問をするのは全然かまわない。誰にだってわからないことはあるし、誰だって昔は無知だった。ぼくだって、そういう人たちがお互いに助け合うことこそがああいうコミュニティの存在意義だと思う。

 ただ問題は、その質問の仕方だ。と言っても、もちろん、敬語を使えとかそんなくだらないことを言いたいわけでもない。いや、そういう質問は概して、言葉遣いだけはバカ丁寧だ。

 そうではなくて、最近の質問には、「教えてください」という以外の説明がなにもないのだ。そもそも、どこから採集した英文なのか、なぜその英文を訳さなくてはならないのか、具体的にどこがわからないのか、そういう情報を一切提示しないのである。

 あなたなら、こういう質問によろこんで回答する気になりますか?

 まず、どこから採集した英文なのかがわからなければ、文脈がわからないから適切な訳文を提示しにくい。翻訳関係のコミュに加入している者が、なぜそのくらいのことに気づかないのか?

 また、なぜその英文を訳さなくてはならないのかがわからなければ、協力すべきなのかどうかの判断ができない。極端な話、学校の課題みたいなものだったら、協力すること自体が悪事に加担していることになってしまう。それでなくったって、普通の日本人は英文を訳せないからといって生活に困ることなどないのだから、他人様に助けてほしいのだったら、その理由を説明するのが当然であろう。

 だいたい、翻訳家が集まっているコミュに来て、英文をタダで訳してくれと頼むというのは、商売物をタダでくれと言ってるのと一緒なのである。そういう望みが受け入れられるためには、何か特別な理由が必要だ。たとえば、本人が例外的な窮状にあるとか、公共性の高い目的があるとか。そうでなければ、普段ぼくらの翻訳に対して高い金を払ってくれているクライアントに対する裏切りになってしまうではないか。

 質問者が翻訳家同士の場合には、相互扶助になるからこそ対価を払わないことが許されるのである。ここで相手を助けておけば、将来自分が困ったときには相手に助けてもらえるかもしれない。そういう「困ったときはお互い様」という互恵的な関係にあるからこそ、タダで教えあうという関係が成立するのだ。

 そして、この話にも関係してくるが、具体的にどこがわからないのかの説明がなければ、相手にどの程度の熱意と知識があるのか判定できない。極端な話、英語の知識もなければ今後勉強する気すらなくて、インターネット上の翻訳ソフトで翻訳してうまく訳せなかったところだけを質問している可能性すらある。そんな人に答えだけ教えたって、相互扶助の関係になりますか? 一方的に利用されるだけで終わりですよね。だったら、正当な対価を払ってくださいという話になるんじゃないですか?

 先日も、この手の質問に遭遇したぼくは、試しにヒントだけコメントしてみた。それだって、非常にレベルの低いヒントで、このヒントでわからないんだったら、翻訳家志望なんてやめなさいぐらいのレベルの低いヒントだし、こっちからすれば、ヒントをもらえるだけありがたく思えという感じなのだが、返ってきたのは、「もっと完全に訳せないと困るんです」(何が困るの?)というような答え。

 もうこの時点ですでにぼくは嫌な予感がしていたのだが、ひょっとすると、極めて表現能力が貧困なだけで根はいい人なのかもしれないと精一杯善意に解釈して、「具体的にどこがわからないんですか?」と聞いてみた。すると返ってきたのは「全体的によくわかりません。やばいです」(だから何がヤバイの?)という呆れた答え。

 はっきり言うが、少しでも英語に興味があってわからないなりにも自分で努力した人だったら、「全体的にわかりません」なんていう答えはあり得ない。ぼくは他人の無知には相当甘い方の人間だと思うが、ここまでやる気のなさをあからさまに表すのが当然のように言われたんではお話にならない。

 ここで完全に相手を見放したぼくは、「ぼくは普段ワード単価○○円で翻訳を引き受けています。この英文は○○ワードなので、○○円前払いで送ってくれれば、翻訳を納品します。」(「前払いで」と書いたのはもちろんワザとである。本当に注文が来たりしたらうっとおしいもんね(^^))とコメントしておいた。それに対する返事はなかったが、さらに呆れたことに、数日すると、このトピック自体が消えていた。

 だいたい、コミュにコメントが書き込まれるのは、必ずしもトピ主だけのためではない。いろんな回答も含めた議論がコミュ全体の財産になるだろうと思うからこそ、みんな貴重な時間を割いて回答しているのである。それを本人だけの都合で勝手に消したりするというのも、コミュニティの存在意義自体を理解していないとしか思えない。

(もっとも、コミュ上で商売の勧誘をしていると思われて、規約違反で消されてしまった可能性もあるが、だとすれば、コミュの管理人もあまりにもレベルが低いと思う。こんなに明々白々にイヤミであることがわかるように書いているのにさ(^^)。現に、そのコメントを読んだ人から「私がずっと言いたかったことを言ってくれてありがとうございます!」という共感のお便りまで来たので、ぼくの独りよがりではないと思う(^^)。)

 久しぶりに戻って来たコミュで、そういうことを立て続けに経験したぼくは、はじめて、なぜ他の人がちっともコメントをしなくなったのかに気づいたのだった。おそらく、あまりにもこういう人が多いために、マトモな人はバカバカしくなってみんなコメントするのをやめてしまったのだろう。

 これはある意味、ロングテールの搾取であって、確信犯的にやっている可能性もあると思う。昔雑誌とかによく載っていた、通信販売と同じ手口だ。ああいうのは、騙される率は低くても、非常にたくさんの人の目に触れさせて、分母を極端に大きくすれば、それでも利益を出すために十分の人が騙されるという手法だろう。

 昔は、そういう手法は、マスメディアを利用しなければできなかったのだが、インターネット時代の今では普通の個人がほとんどコストをかけずにできてしまう。つまり、たとえどんなずうずうしい要求でも、非常にたくさんの人に要求すれば、一人くらいはお人好しがいて答えてくれるかもしれないというわけだ。

 もちろん、ぼくだって他人のことをそういう風に決め付けるのは決して好きではないし、中にはマトモな人もいるに違いないと思う。だからこそ、本気で勉強する気のある人や同情すべき事情のある人は、自分からもっとちゃんと状況を説明してほしいと思うのだ。でなければ、上に書いたようなことを疑われても仕方がないよ。本人が説明しないのに自分からいちいち事情を聞きだそうとしてくれるほどヒマな人はそうそう多くはないのだから。

(っていうか、なんでこんなことイチイチ説明せにゃならんのですか。。。)

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数え方の辞典

  数詞に「助数詞」をつけるというのは、英和翻訳に必須のテクニックだ。「助数詞」というのは、数を表す言葉の後に付加する「つ」「個」「匹」「羽」などのこと。英語には基本的に助数詞がないので、ビギナーは英和翻訳のときに助数詞をつけるのを忘れがちだし、忘れないにしても、前に来る言葉を無視してなんでも「個」にしてしまうといったミスをしがちだ。

 いや、他人のことばかりは言えない。一応プロを自称しているぼくだって、助数詞の選択が重要だということは重々承知していても、とっさに適切な助数詞を思い出せないことはよくある。だから、助数詞を調べるための辞典のようなものがあればよいな、ということはかねてから思っていた。

 そんなわけで、インターネットで偶然「数え方の辞典」という本の存在を知ったときには、ほとんど悩むことなく注文した。

数え方の辞典  内容は、普通の辞書と同じような感じで名詞があいうえお順に記載されていて、特定の名詞を引くと、その名詞にふさわしい助数詞がわかるという方式。たとえば、「ビル」を引くと、

数えるもの 数え方 数え方のポイント
ビル 棟、軒、本 小規模なものは「軒」で数えます。超高層ビルなど、遠くから見ると細長く見えるものは「本」でも数えます。→建物


のような記載がある。この部分が約 300 ページぐらいあって、かなり多くの単語(4600 語)に対応する助数詞が、機械的に検索するだけでわかる、というのがこの本のいいところだろう。

 さらに巻末には、「助数詞・単位一覧」というのがあって、各助数詞ごとにさらに細かい説明がある。たとえば、「棟」だったら、

とう[棟] 1.「棟」は、家の頂上を通す棟木を表し、建物や家屋を数えます。「むね」とも読みます。人が生活していない離れの小屋(手洗い所・書庫・物置)や車庫なども数えます。→棟 →軒

 のような記載がある。この部分が約 100 ページあって、たいていの助数詞はここに載っているので、自分の選んだ助数詞が適切かどうかを調べるのにも利用できる。

 著者の飯田朝子氏は、助数詞の研究がご専門らしく、ホームページでも「数え方クイズ」などを公開している。監修はかの町田健氏だが、こちらは知っている方も多いだろう。ぼくも生成文法の解説本などでお世話になったことがある。

 たぶん、この本から一番恩恵を受けられるのは翻訳者ではないかと想像するが、一般の方が文章を書く際にも役立つのではないだろうか。そういえば、本業ネタを書いたのがずいぶん久しぶりだということに今気がついた(^^)。

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粋に感じる?

 大阪府知事の橋下さんが女性職員に「あんた」呼ばわりされたという例のニュースを YouTube で見ていて気になったのだが、橋下さんがその女性について「ぼくはいきにかんじましたね」とか言っているのを、その番組では「彼女は粋に感じましたね」とテロップを当てていた。これはどーみても「意気に感じましたね」の間違いだろ(^^)。ひょっとして、今の子は「意気に感じる」という表現を知らないのかな。

 これは類語辞典だけど、「意気に感じる」というのは、

http://thesaurus.weblio.jp/content/%E6%84%8F%E6%B0%97

意気に感じる:
(~に)熱く共感する ・
肝胆相照らす ・ (~の志に接して)燃える ハッスルする ・ (いたく)刺激される やる気になる ・ (演説を聴いて)しびれる

 一方、「粋」というのは、

http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%BF%E8&kind=jn&mode=0&base=1&row=0

(1)気性・態度・身なりがあか抜けしていて、自然な色気の感じられる・こと(さま)。粋(すい)
野暮(やぼ)
「―な格好」「―な作り」
(2)人情・世情に通じているさま。
野暮
「―な計らい」
(3)遊里・遊興に精通していること。また、遊里・花柳界のこと。
「―筋」
(4)いろごとに関すること。

という意味であるが、文脈から考えて、橋下さんはあの女性に自然な色気を感じて「粋だねぇ~」と言いたかったわけではないと思う。たぶん(^^)。

(追記: ただ、上の辞書にもあるように、「粋」は「意気」から転じた言葉らしいので、それを知っててわざと書いている逆の意味で教養のある人もいるのかも知れない(^^)。)

 それにしても、昔はこういう言葉遣いにしてもなんにしても、テレビでやってるんだから正しいのだろう、などと鵜呑みにしていたものだが、最近はうっかり聞き流しているととんでもない間違いが混じっていたりするので油断がならない。また、ぼくのような一般人よりはるかに教養がおありになるはずのコメンテータの方々も同じビデオを見てるはずなのだが、何もツッコミを入れていなかったのも不思議。

 ところで、実を言うと、会社員時代はぼくもこういうことにうるさかった。ある会社では、就業時間後に社外から講師を呼んで研修みたいなことをすることが多かったのだが、出席しろとうるさく言われるわりには残業代は出ない。それを理不尽だと感じたぼくは「残業代が出ないなら出席する義務はないでしょう」とか社長に直談判してみた。すると社長の返事は「確かに義務ではないけど、出たほうがためになると思うぞ」みたいな感じ。じゃあいいやと思って問答無用で帰ってしまったことが何度かある。まだ 20 代の若造のぺーぺーのころからそんなクソ生意気な人間だったのである(^^)。 橋下さんが上司だったら、粋に、じゃなかった、意気に感じてくれるかな(^^)。

 これは前にも書いたような気がするが、ある会社の入社試験の面接で「デートの予定がある日に突然残業を頼まれたらどうしますか」と言われて「ケースバイケースです」と答えてしまったこともある。これも自分としてはかなり妥協した答えのつもりだったのだが、後で調べえると、やっぱり言ってはいけないことらしかった(^^)。

 まあでも、一応言い訳しとくと、仕事はちゃんとしてたんですよ。残業月 100 時間オーバーなんてしょっちゅうだったし。もっとも、残業代もきっちり貰ってましたが(^^)。


追記: これは、「武勇伝」をひけらかしているように感じる人もいるかもしれないが、本人の意識としては、むしろオリエンタルラジオ的な意味での「武勇伝」として書いてるつもりである(^^)。わかる人にはわかると思うが、ぼくは勇気があるというよりも、むしろ、空気や力関係を読む能力に重大な欠損があるのである。こういうことが平気でできてしまうのはそのせいであって、本人としては、別に勇気をふりしぼってる意識はないのである。いわば、SF に出てくる痛覚を麻痺させられた兵士みたいなもんで、見方によっては危なっかしいことこの上ない存在だと言えよう(^^)。

 あと、ぼくは社会的に地位のある人や目上の人には平気できついことを言えるのだが、そうでない人が相手になるととたんに弱気になる傾向がある。これもいいように言いすぎかもしれないが、それはたぶん、自分が傷つくことよりも相手を傷つけてしまうことを怖れる傾向があるせいだと思う。また、女性や子供にも弱いが、これは小学生の頃に同級生の女の子を泣かせてしまったことによるトラウマだと思う(^^)。そんなわけで、ぼくは基本的には気のよわーい人間なので、勘違いしてあんまりイジメないでほしい(^^)。

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YouTube とレズビアン

 昨日の「英語でしゃべらナイト」では、なんと、かの YouTube の創始者スティーブ・チェンと、レズビアンを正面から取り上げて話題となった「L の世界」というドラマで主演したジェニファー・ビールスにインタビューしていた。

 NHK だから当たり障りのないことしか聞かないのかな~、と思っていたら、YouTube での違法行為の話とか、レズの話とかも、ちゃんと聞いてましたよ。NHK さんもなかなかやりますなあ(^^)。

 ちなみに、ジェニファー・ビールズにインタビューしたのはなぜか川島なお美で、英語はそこそこうまかったけど、自分だったらあんな役は引き受けないとか言っちゃったり、自分のフィアンセについてのろけたりとかして、内容はワリとグズグズだった(^^)。

 スティーブ・チェンは、インターネットの将来について鋭い予言とかするのかな~と思って観ていたら、まさか YouTube がこんな使われ方するとは思わなかったとか正直に言っちゃってて、ワリとふつーの兄ちゃんだった(^^)。

 興味のある人は再放送でもチェックしてみてくださいな。

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LibraryThing 日本語版用のブックマークレットを作ってみた

 LibraryThing 日本語版用のブックマークレットがなかったので作ってみました。

 LibraryThing に追加

 上のリンクをツールバーなどにドラッグすればOK。 

 今時間がないので、詳しい説明は省略。わかる人にはわかるよね(^^)。

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Town of Evening Calm, Country of Cherry Blossoms

Town of Evening Calm, Country of Cherry Blossoms  「夕凪の街桜の国」がいつの間にか英訳されていたんですね。英題は「Town of Evening Calm, Country of Cherry Blossoms」。そのまんま、という感じですが(^^)。

 書評などでもなかなか好評なようです。

ざっと読んでみたけど、みんなわりとこの作品のポイントをわかってくれてるみたいで安心しました(^^)。

 映画のほうはまだ未見ですが、どうでしょうか。あの絵の美しさをどう実写に置き換えるかがポイントなんでしょうけど。

(吉永さんのコメントはちょっとはずしてませんか? 失礼ですが、たぶん原作読んでないんじゃないかなあ? 少なくとも、読んでからコメントした方がいいよね。読んでこのコメントだったら、ちょっと感性を疑うというか、上記のアメリカ人たちに比べても読解力がないと思ってしまうなあ。このコメントを掲載した人はそう思わなかったのだろうか。。。(^^)

 上で紹介した David Welsh 氏も書いております(^^)。

The incalculable individual cost of the bombing of Hiroshima has been handled in drama and documentary, and one can’t argue that the act of examining that kind of horror is automatically a virtuous or courageous act. The critical element is any given work’s ability to move its audience.

 どんな芸術を鑑賞しても、ステロタイプな政治的なインプリケーションしか読み取れないのでは、芸術家として失格じゃないですか? とか言われちゃうぞ~(^^)。)

(追記: 舞台挨拶でも吉永さんのコメントを読み上げたらしいけど、真面目な話、あんまり反戦映画みたいな宣伝をしない方がいいと思うぞ。そもそも、そんな大雑把な表現はこの作品に対する冒涜でしかないし、こんな繊細な世界を作り上げた作者に対しても失礼だし。営業面でいったって、反戦映画なら見ようという人と、反戦映画ならいいやと思う人とどっちが多いかも微妙だろうし。だいたい、反戦映画なら見ようなどという人は、真にこの映画を観るべき人ではない。むしろ、そういう余計な先入観のない人や、先入観にとらわれない知的誠実さや柔軟な感性を持った人こそが見るべき映画なのに。)

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またノートパソコンが壊れた

 ひえ~、またノートパソコンが壊れた~(T_T)

 なんで忙しいときに限って壊れるのか。。。(;_:)

 もう泣けてくるよ~(涙)

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