伝統音楽は「現代音楽」を目指す

 伝統音楽の進むべき方向、将来のあるべき姿とは、どのようなものだろうか? 筆者は自分なりに長年折に触れて考え続けてきたのだが、最近ようやく一つの道筋が見えてきたので、それを世に問うてみたい。その趣旨自体は、他の伝統芸能や文化一般にも応用できるはずだが、話が散漫になるのを防ぐため、本稿では基本的に、筆者が比較的詳しい音楽分野に話を限定する。

 筆者は音楽の専門家でもなんでもなくて、アマチュア音楽愛好家にすぎないので、先行研究の体系的な調査などはしていない。だから、この記事に書いたようなことは、とっくに誰かが言ってることかもしれない。いや、きっと誰かが言ってるだろう。ただ、ネット上の音楽関係の記事をざっと眺めた範囲では、このような主張が一般に共有されているとは言いがたいように思う。だから、私のような素人が素人にわかるような文章で書いておく意味もあるんじゃないかと思う。

 以前に書いた「十二音技法は調性からの解放ではない」 は、この過疎ブログとしては驚くほど多くの方に読んでいただけたようで、筆者自身がびっくりしてるぐらいだが、これなんかも、たぶん同じようなことを考えてる専門家はたくさんいたと思う。ただ、それをわざわざ一般向けに書いた人はあまりいなかったのだろう。この記事でも同じような線を狙ってみたい。

・伝統は「保存」するだけでは守れない

 そもそも伝統を守るとはどういうことだろうか? 伝統音楽も一種の伝統であるから、まず伝統を守るという行為一般について、筆者の考えを述べておく。

 浅はかな保守主義者にありがちなのは、伝統はとにかく問答無用で守るべきという態度だ。伝統は伝統であるがゆえに正しい。伝統を疑ってはいけない。とにかく先人のやり方を完全に踏襲すればよい、というような態度。

 これがなぜダメかは、そもそもなぜ伝統に価値があるのかを思い出してみればわかる。伝統に価値があるのは、歴史の中で時間による淘汰を経ているからではなかったか? その「淘汰」を行ってきたのは誰か。他ならぬ各時代を生きる人々ではなかったか? 各時代の人々は、生活の中で絶えず「伝統」の再評価を続けてきた。それでも生き残っているからこそ、伝統には価値があるのではなかったか。

 つまり、逆説的であるが、多くの人が伝統の再評価を止め、問答無用で従うようになった瞬間から、伝統は価値を失い滅びの道を歩むのである。伝統を守るとは、同時代の人間が絶えず伝統の再評価を続けることなのだ。底の浅い保守主義者の多くは、この点を勘違いしているように思われる。

 たとえば、古代の美術品のような「モノ」だけなら、博物館のケースの中に陳列しておけば、「保存」することはできるだろう。しかし、伝統音楽のような古典芸能には、プレーヤーが必要である。

 言うまでもないことだが、プレーヤーは単なるコピーロボットでは意味がない。作品の価値を理解し、強く弾くべきところや早く弾くべきところを自分で判断できなければならない。そして、その判断を行っているのは、現代人の感性であり、頭脳であり、身体なのである。

 つまり、現代人が古典作品を再演するということは、必然的に現代人による作品の再評価・再解釈を伴うのである。再評価のない単なるコピーロボットによる演奏は、博物館のケースに「保存」された遺物と同じだ。それは最早生きた文化ではない。

・西洋音楽との「融合」に未来はあるか

 しかし当たり前の話だが、理屈はそうだとしても、具体的にどうすればいいかが難しいのだ。伝統音楽を現代的に再評価するとは、いったいどうすればいいのか。

 伝統音楽を「現代化」しようとする試みは、これまでも腐るほど行われてきた。ありがちなパターンは、西洋音楽を部分的に取り入れる方法である。伝統音楽の曲を西洋音楽の楽器で演奏するとか、逆に、伝統音楽の楽器で西洋音楽の曲を演奏するとか。

Boheme 80 年代後半~90 年代前半にはワールド・ミュージックのブームというのがあり、ワールド・フュージョンとかエスニック・フュージョンとか呼ばれる、伝統音楽と西洋音楽をより高次元で融合させるさまざまな試みが行われた。

Mcmxc a.D. その中には優れた作品も多い。筆者自身も、Deep Forest Enigma なんかは愛聴したし、教授(坂本龍一)や細野さん(細野晴臣)のエスニック調の作品にも好きなものは多い。最近でも、久保田麻琴さんのやってる Blue Asia などは、アジアの伝統音楽を現代的な洗練されたアレンジで提供するという試みを続けている。

 このような試みの意義は、もちろん、決して過小評価すべきではない。しかし、これが伝統音楽の進むべき方向を示しているかというと、ちょっと違うような気がするのだ。単なる物珍しさを狙ったノベルティ作品は論外としても、より洗練された高度な融合音楽も、やはり、伝統音楽を西洋音楽に合わせて捻じ曲げることによって成り立っており、伝統音楽本来の潜在的な可能性を素直に伸ばしたものではないと思うのだ。

 もっと具体的に言うと、このような融合音楽の多くは基本的に、西洋の調性音楽の枠組みに伝統音楽の要素を組み込むことによって成り立っている。つまり、現代人の耳に慣れた調性音楽というオブラートで、伝統音楽の耳慣れなさを誤魔化しているのだ。生野菜にドレッシングやチーズをかけて食べさせているようなもので、野菜本来の味を全面的に生かしているとは言いがたい。

 これが伝統音楽の未来だとするなら、スタイルとしての伝統音楽自体はやはり衰退の道をたどり、西洋音楽のテクニックとしてのみ生き残ることになるのかもしれない。それが運命なのだろうか。

・現代音楽作曲家による伝統音楽の試み

 このように考えて、伝統音楽の未来について半ば悲観的になっていた筆者の蒙を啓いてくれたのは、やはり優れたアーティストによる具体的な作品であった。

 実は、伝統音楽の再評価という試みは、上記のようなポップスだけでなく、現代音楽の分野でも行われてきた。「現代音楽」と言っても、もちろん文字通りの現代の音楽という意味ではなく、クラッシックで言うところのいわゆる「ゲンダイオンガク」のことだ。

武満徹:秋庭歌一具  たとえば、武満徹という、日本を代表する現代音楽の作曲家がいるが、この人の作曲した「秋庭歌一具」という新作雅楽がある。 この曲は一瞬聴いた感じでは、伝統的な雅楽とあまり変わらないのだが、よくよく聴くと現代的な響きが取り入れられていることがわかる。

Tango:Zero Hour  あるいは、アストル・ピアソラという人がいる。 この人は現代音楽やジャズの素養をベースにして、モダン・タンゴを創始した人である。この人の作品も、私のような人間が一瞬聴いただけでは伝統的なタンゴと同じように聞こえるのだが、よく聴くとモダンな響きがあって、伝統的なタンゴとは異なることがわかる。

 あるいは、ルー・ハリソンアメリカン・ガムランなども、このような試みの一つに挙げてもいいかもしれない。

 先に挙げたポップス分野のワールド・ミュージックと、このような現代音楽作曲家による伝統音楽作品との、本質的な違いはなんだろうか。

・現代音楽の最先端は伝統音楽に近づいている

 その違いは、大雑把に言えば、「調性」をベースにしているかどうかにあると思う。ポップス分野のワールド・ミュージックの多くは、先に述べたように、調性自体を捨て去るところまでは行っていない。それに対して、現代音楽作曲家の伝統音楽作品は、調性自体を捨て去ることも厭わない。

 現代人の多くは、調性音楽に耳を慣らされているので、調性を音楽のグローバル・スタンダードのように感じがちだ。しかし、調性はもともと西洋ローカルな様式であって、坂本龍一の言を借りれば、「ヨーロッパの民族音楽」のスタイルに過ぎない。

 一般にはあまり知られていないかもしれないが、実は、調性音楽の相対化を最も積極的に行ってきたのは、他ならぬ 20 世紀以降の西洋音楽(=ゲンダイオンガク)の作曲家たちなのだ。その過程で現れた方法論こそが、新しい旋法音律の導入なのであり、これは西洋音楽を世界各地の民族音楽により近づけることになった。

 ここで誤解しないで欲しいのだが、彼らのやったことは、よくある単なる文化相対主義にとどまらなかった。つまり、西洋の調性も民族音楽の旋法も、どっちも一つの価値観だよね、という場所にとどまらなかった。彼らはそれを超えて、調性と旋法を統一的に扱う理論や、まったく新しい旋法を生み出すための理論の創出が試みた。音律についてもそうである。西洋の純正律平均律と民族音楽のペロッグスレンドロを統一的に扱う理論や、まったく新しい音律を生み出すための理論の創出を試みた。それがたとえば、移調の限られた旋法であったり、ピッチクラス・セット理論であったり、微分音音階の理論だったりするわけだ。

 このように、西洋音楽と伝統音楽を統一的に扱えるより包括的な音楽理論をベースにしているため、先に挙げたような現代音楽作曲家による伝統音楽作品は、伝統音楽を調性音楽に合わせて捻じ曲げることなく、より現代的な豊かな響きを実現することに成功していると思われる。

・伝統音楽は「現代音楽」を目指せ

 ここまでくれば結論はおのずと見えてくる。伝統音楽を現代化するにはどうすればよいかについて、筆者自身はもちろん、たぶん多くの人も勘違いをしていたのだ。多くの人が、伝統音楽を現代化するには、西洋ローカルである調性音楽に擦り寄るしかないと思い込んでいた。しかしそんなことはなかったのだ。

 それは「西洋=新しい」「日本=古い」という後進国独特のコンプレックスの産物でしかなかった。このコンプレックスが、伝統を守るか西洋に擦り寄るかという、偽りの二項対立の中に私たちを閉じ込めてしまったのだ。

 考えても見て欲しい。たとえば江戸時代三百年の間、歌舞伎や長唄のアーティストたちは、単に伝統を守ることだけを考えていたんだろうか? そんなはずはない! 彼らは彼らなりに絶えず新しい可能性を求め、伝統の再評価を繰り返してきたはずだ。

 単に伝統を「保存」するのでもなく、西洋ローカルの調性音楽に擦り寄るのでもなく、伝統を再評価した上で新たな伝統音楽を生み出すことは可能である。それは先に挙げたような作品が証明している。あくまで比喩であるが、あえて図式化すれば次のようになる。

伝統音楽の未来.jpg

 そういうわけで、この記事のタイトルの「伝統音楽は『現代音楽』を目指す」には、伝統音楽に「ゲンダイオンガク」の成果を取り入れるべき、という意味と、伝統音楽を絶えず再評価して「現代の音楽」であり続けることを目指すべき、という意味と、二つの意味が込められている。

  

 ちなみに、上の動画は教授(坂本龍一)が主催している Commmons Schola という音楽全集の中の、アフリカの伝統音楽を紹介した「Traditional Music in Africa」 という巻の補講動画であるが、この動画の 13:40 あたりで分藤大翼先生が、「これは同時代の音楽なんだ」という話をしている。我田引水かもしれないが、これはまさに今私が書いたような話で、我が意を得たりという気持ちになった(この CD 自体も素晴らしい録音なので、アフリカの伝統音楽に興味を持つ方には是非お勧めしたい)。

 日本の伝統音楽も、是非「現代音楽」であり続けることを目指して欲しい。

・不毛な二項対立に終止符を

 ここまでは話をあえて音楽に限定してきたが、最後に少しだけ文化一般について書く。近年の日本は、グローバル化の影響を強く受けてきた。同時にその反動で、文化保守主義の勢力も強くなって来ているようだ。その結果、伝統文化対西洋文化という二項対立が、改めてクローズアップされている。

 しかし先ほど論じたように、このような二項対立は、もともと西洋コンプレックスによって生み出された偽りの対立であり、擬似問題にすぎない。もちろん、西洋コンプレックスの強かった時代には、このような問題設定は避けがたいものだったかもしれない。しかし、現代の日本人には、最早それほど抜きがたい西洋コンプレックスがあるとも思えない。

 現代の日本人になら、西洋文化に問答無用で追従するのでもなければ、伝統文化を問答無用で死守するのでもなく、伝統文化と西洋文化をフラットに捉え、守るべきものは守り、取り入れるべきものは取り入れるという、ある意味当たり前の態度がとれるはずだ。だから、伝統文化対西洋文化という不毛な二項対立で物事を論ずるのは、いい加減止めようではないか。

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京アニの 2.5D

 京都アニメーションは、最新の CG や画像処理の技術を、伝統的なセルアニメの文脈に違和感なくさりげなく溶け込ませるのがうまい。このことは、当ブログでも何回か指摘してきた。

 私はかつて CG や画像処理ソフトの開発に携わっていたことがあるので、京アニのアニメを見ていると、自然にそういう処に目が行ってしまうのだが、一般の人は必ずしもそうではないかもしれない。

 そこでこの記事では、京アニのある技法について、具体的に画像を引用しながら紹介してみたい。 京アニの映像の美しさには確かな技術的裏づけがあることを、一般の方にもお伝えできれば嬉しい。

・伝統的なセルアニメとどこが違うか

遠まわりする雛1

遠まわりする雛2

遠まわりする雛3

 これは、「氷菓」の第 22 話「遠まわりする雛」のラスト近くのシーン。(アニメなので仮想の)カメラが、奉太郎とえるが歩いているところを、後ろから追いかけながら、左から右へゆっくりと移動している。

 この画像を見てどう思うだろうか? 確かに美しく描かれた絵には違いないが、それだけのことじゃないのか? としか思わないかもしれないが、実はこのシーンの中に、伝統的なセルアニメとは異なる技術が使われているのである。おわかりだろうか?

・セルアニメはカメラの移動が苦手

 伝統的なセルアニメでは、このようなカメラの移動を、背景の平行移動で表現するのが普通だった。

 芸術的なアニメーションは別として、テレビアニメのような商業アニメーションの場合、作業の手間をできるだけ効率化しなくてはならない。画面全体を 1 枚 1 枚手描で動画にするのでは手間がかかりすぎる。

 そこで、画面を人物と背景に分け、人物はできるだけ動きを多くする代わりに絵を簡略化し、逆に背景はできるだけ動きを少なく(通常は静止画)する代わりに絵を緻密にする。こうすることにより、動きの量と絵の美しさのバランスをとるのが、商業アニメーションの一般的手法だった。

 ところが、この方法には一つ欠点がある。それは、カメラ(視点)を移動するのが難しいことだ。背景を静止画にするという方法は、カメラが固定されていることが前提になっている。カメラが動けば背景も動くから、背景は静止画では済まなくなる。

 そこでさらなる折衷案として、背景を平行移動しながら前景と重ねて撮影する、という手法が生まれた。平行移動だけでいいなら、絵の描かれたセル自体を動かせばいいので、1 枚 1 枚描き直す必要はなくなるからだ。

 ただし、この方法にもいろいろと問題がある。まず、カメラの移動方向が上下左右だけならまだいいが、前後の移動も加わると、当然ながらセルの平行移動では済まなくなる。

 そして忘れてはならないのは、たとえ移動方向が上下左右だけだったとしても、近似的に平行投影と見なせるような超遠距離に背景があるのでない限り、静止画の平行移動だけではパースペクティブを正確には表現できないということである。

 そのため、遠景と近景とでレイヤーを分けて移動速度を変えて動かしたり、カメラの位置に合わせて背景自体を少し歪めて描いたりする方法も使われるが、いずれも完全な解決にはならない。

 だから、昔の昭和のテレビアニメなんかで背景が平行移動しているようなシーンをよくよく見ると、たいてい微妙にパースが狂っている。平行移動では原理的に無理なのだから当然だが。

・平行移動では不可能な変形

 ところが、こういう制約は伝統的なセルアニメならではの制約であって、現代のデジタルなアニメなら回避方法はいろいろある。上で紹介したシーンも、このような単純な背景の平行移動ではない。パースペクティブが狂わないような変形が行われているのである。

 そのことをわかりやすく示すため、各画像にパースペクティブを表すワイヤーフレーム的な線を描きこんでみよう。

遠まわりする雛 - パース付き1.jpg

遠まわりする雛 - パース付き2.jpg

遠まわりする雛 - パース付き3.jpg

 そしてさらに、この 3 枚の画像を平行移動して、人物の位置が一致するように重ねてみよう。

遠まわりする雛 - パース付き合成.jpg

 おわかりだろうか。人物の移動に合わせて移動している電柱や樹ばかりでなく、その奥の背景もぴったり重なっていない。右側にある川縁の線に注目するとわかりやすいが、川縁の角度自体が微妙に変化している。これは平行移動だけではどう転んでも不可能な映像である。そして、パースペクティブ的には正しい透視変換により近くなっている。

・静止画による 3D = 2.5D

 もちろん、ピクサーのフル 3DCG アニメーションのように、背景まですべて 3D でモデリングしてレンダリングすれば、このようなカメラ移動による透視変換を正しく実現することは難しくない。

 しかし上記の映像では、おそらくそこまではやっていないと思う。このような広大な風景をすべてモデリングするのは相当手間がかかるし、このような手描き風の味わいを出すことも難しいだろう。

 これはざっくり言えば、Google ストリートビューと同じような方法で、2 次元の静止画を 3 次元のモデルにテクスチャとして貼り付けて、そのモデルごと透視変換してレンダリングしていると思われる。つまり、2 次元の画像を使って擬似的に 3 次元を表現しているわけで、こういう手法を 2.5D と呼ぶ。

・3D との違い

 では、わざわざ 3D ではなく 2.5D を使う理由はなんなのだろう。もちろん、画面全体を 3D でモデリングするより手間が省けるというのも大きな理由だろう。しかし、もう一つ大きな理由として、手描きの前景と違和感なく組み合わせやすいということがあると思う。

 たとえば、次の画像を見て欲しい。

S2E26「訪問!」 (17).jpg

S2E26「訪問!」 (18).jpg

 これは「けいおん!!」第二期の番外編「訪問!」に出てきた映像であるが、京アニにしては珍しく、露骨に 3DCG であることがわかる映像になっている。おそらく、番外編なので少し実験的に試みたのだと思うが、CG 臭さのようなものを消しきれていない。アニメにフル 3DCG を取り入れると、こうなりがちである。

 2.5D の場合、二次元の静止画は手描きでもいいので、手描きの味を生かすことができ、このような CG 臭さを回避できる。それが伝統的なアニメとの相性のよさにつながるのではなかろうか。

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 これは、「日常」の第六話に含まれている「10円サッカー」というエピソードからの映像である。背景が三次元で派手にグルグル回転しているが、上の例とは対照的に CG 臭さがまったくない。

 勝手な想像だけれども、この映像はおそらく、大雑把な物体の位置だけを 3DCG で描いて、それを手描きでトレースすることによって作られたのではないだろうか。「日常」は全体にギャグタッチで背景も比較的簡素な絵が多いので、そういう方法が可能だったのではないかと思う。

 このように、京アニは昔から 3DCG のような最新の技術を、伝統的なセルアニメの文脈に自然に溶け込ませる努力をしてきたわけだが、2.5D というのはその目的に適した技術だったと思われる。そのため、特に「氷菓」では、2.5D 的な技術が随所に使われているのがわかる。

・関係者の証言

 京アニの関係者は、こういう技術的なことをあまり語りたがらないようだが(もちろん企業秘密もあるのだろう)、この 2.5D の件に関しては、関係者の証言もあるので引用しておこう。

 以下は、「氷菓」の監督の武本康弘氏と構成の賀東招二氏の対談の一部で、DVD 第 4 巻のオーディオ・コメンタリーに収録されているコメントである。

  • 賀東: これもなんか背景面白いなあ。じわーっと動いて。
  • 武本: まあ、このへんなんですけどもねえ。えっと、実はまあ、テクノロジーの進化でですね。いわゆる奥行きのある背景を、手前とか奥に送ったりというのは、昔はちょっと難しかったんですね。画面奥と手前でやっぱり、どうしても絵の小さくなっていくスピードが…
  • 賀東: なんか昔は見なかったような背景の動きを、なんか一話の商店街でまず感じたんですけど。
  • 武本: あれをですね。ちょっと昔だったら、3D で全部画面を組まないといけなかったところが、そこまでしなくても、もう少しお手軽な方法でできるような、プラグインがあって。業界では非常に有名な、Adobe 社の AfterEffect っていう映像のソフトがありまして、これのある機能を使うと…
  • 賀東: ああいうことができる?
  • 武本: ええ、ああいうことができる。
  • 賀東: もうわりと、他のところにも使ってるんですか?
  • 武本: そうですね。まあ普通にもうデフォルトでついてる機能なんで。まあ、多少手はかかるんですけども、3D をゼロから組むことを考えれば、はるかに…
  • 賀東: でしょうなあ。

 ここで言及しているのが、この記事で紹介したような 2.5D 的なエフェクトなのは言うまでもない。

・もっとわかりやすい例

 先の例は、角度が微妙でわかりにくいと感じる人もいるかもしれないので、もう少しわかり易い例も挙げておこう。

正体見たり1

正体見たり2

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 これは、「氷菓」第7話「正体見たり」のラスト近くに出てくる映像である。奉太郎とえるが歩いていることを、側溝の映像によって表現している。

 この画像にも、先ほどのようにパースペクティブがわかるような線を描き込んで、排水溝の位置が一致するように平行移動して重ねてみよう。

正体見たり- パース付き1.jpg

正体見たり- パース付き2.jpg

正体見たり- パース付き3.jpg

正体見たり- パース付き合成.jpg

 平行移動ではすまない変形が行われていることが、はっきりわかる。

・大事なのは使い方のセンス

 誤解して欲しくないのだが、私が京アニさんに感心するのは、このような技術を使っていること自体よりも、その使い方なのである。

 京アニさんは、これ見よがしにひけらかすような技術の使い方は決してしない。むしろ、伝統的なセルアニメの映像に自然に溶け込むように、さりげなく使うのである。そのセンスのよさが素晴らしい。

 さらに言えば、このような技法は、ピクサーのように最初からフル 3DCG を志向しているアニメーターには思いつきにくい使い方であり、そういう意味で、日本のアニメーターならではの技法だろうと思う。

 クールジャパンとかなんとか軽薄な言い方は好きではないが、日本が伝統的に培ってきたセルアニメの技法の可能性を示す会社として、京都アニメーションにはこれからも注目して行きたい。

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京アニのマトリックスネタ

 京都アニメーションのアニメ作品の中に、映画「マトリックス」にヒントを得た、あるいは、意識的に引用していると見られるシーンがいくつかあることに気づいたので、キャプチャ画像で比較しながら紹介してみたい。

 パクリじゃないよ、パクリという名のオマージュだよ、とかなんとか、引用のあるべき姿や京アニの引用哲学について熱く語ろうなどという意図はまったくない。ただ、こんなの見つけちまったぜ、というのをひけらかしてドヤ顔したいだけの記事である。悪しからず。

・「日常」 - 「日常の二十三話」 - 「日常の99~100」

 これは、桜井誠に顧問を頼まれて逃げ回る高崎先生と、中之条剛に告白するウェボシーに付き添うフェっちゃんとが、校舎の階段で交錯するシーンである。そこで場面転換に使われているのが下のような効果だ。

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 はるか上空から地上の被写体に一気にズームアップする、というカメラワークは、「マトリックス」でポピュラーになった(前例はあるかもしれないが)カメラワークの一つである。ここではその手法を明らかに意識的に引用している。日常的なドラマと人工的でわざとらしいカメラワークとのギャップが一種のギャグになっている。

・「日常」 - 「日常の第二話」 - 「日常の7」

 これは、ヤオイ漫画を落書きしたノートを、間違えてゆっこに貸してしまったみおちゃんが、ゆっこの口の軽さを想像して、「その伝達力は音速!」と怖れるシーンである。下は、その「ゆっこの伝達力」をメタファーとして表現した映像である。

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 「マトリックス」の方はなんのシーンかというと、「マトリックス・レボリューション」で街中に増殖したエージェント・スミスのコピーが、ネオに倒されてバタバタと消滅していくシーンである。だから、表現している対象は全然違うのだが、表現自体はよく似てると思う。

・「氷菓」 - 第四話「栄光ある古典部の昔日」 - 「奉太郎の推理」

 これは「氷菓」事件で、当初は謎ときに乗り気でなかった奉太郎が、えるたんの深い思い入れを知って、トイレにこもって必死で推理を始めるシーンである。下は、その奉太郎の脳内の思考過程をメタファーとして表現した映像である。

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 「マトリックス」の方は言うまでもないだろう。囚われたモーフィアスを助けるためにマトリックスに進入したネオが、"guns, lots of guns" と言って大量の銃器を「ロード」するシーンである。これも、表現しているものはまったく違うが、構図的にはかなり似ている。

・「氷菓」 - 第十話「万人の死角」 - 「奉太郎の推理」

 これは「愚者のエンドロール」事件で、奉太郎が映画の結末を推理するシーン。下はやはり、その奉太郎の脳内の思考過程をメタファーとして表現した映像である。

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 「マトリックス」の方は、これもかなり有名なシーンだと思うが、「マトリックス・リローデッド」でネオが「アーキテクト」と対面するシーンである。壁いっぱいにモニタが並んでいること、それぞれ別の映像が表示されていること、それが主人公の意識内容を反映していることなど、かなり共通点が多い。おそらく意識的な引用だろう。

・蛇足

 京都アニメーションの映像技術の高さ、映像へのこだわりの深さについては、いまさら私などが語るまでもないことだが、特に実写的な技術をうまくアニメに取り入れることにかけては、他者の追随を許さない。そのような例は、「けいおん!」における被写界深度の細かい設定であるとか、3DCG のさりげない利用とか、枚挙に暇がない。

 この記事で紹介したような映像も、ある意味、京アニの技術的な貪欲さを示しているとも言えるだろう。汗一つかかず軽々とやっているように見えて、実は高度な技術を必要すると思われる映像も多い。

 京アニの映像については、「愚者のエンドロール」における作品内映画の凝り具合とか、語りたいことはたくさんあるのだが、それはまたの機会に。

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野見祐二の「ヘルベチカ・スタンダード」を Sinsy と CeVIO に歌わせてみた

 今回は、アニメ「日常」の中の「ヘルベチカ・スタンダード」というコーナーで BGM として使われている曲を、ボーカル・シンセサイザーの Sinsy CeVIO に歌わせてみた。CeVIO を使ったのは初めてだが、まあいわば Sinsy の親戚のようなものだ。同じ名古屋工業大学が開発にかかわっていてる。

 イントロのロゴのような部分を Sinsy 謡子さん、「ヘ・ル・ベ・チ・カ・ヘ・ル・ベ・チ・カ...」というドローンの部分を Sinsy 香鈴さん、「リーベー」というよくわからないコーラスの部分を CeVIO さとうささらさんに、それぞれ歌ってもらっている。

 作曲は知る人ぞ知る野見祐二氏である。かの坂本龍一氏に見出されて、氏の映画音楽を何作か手伝った他、スタジオ・ジブリのアニメ「耳をすませば」や「猫の恩返し」の音楽を担当したことで知られる。教授から「坂本経由のラヴェル」と評されたことがあるくらいで、印象派以降の作曲テクニックを華麗に使いこなす作曲家である。

 「ヘルベチカ・スタンダード」というのは箸休めのようなギャグのコーナーなので、この BGM もそれに合わせたコミカルな作風となっており、この小品だけで野見氏の作風を語るのもどうかと思うのだが、短いだけになおさら特徴が端的に現れているとも言えるので、例によって少し紹介してみたい。

 下の譜面は、後半の「リーベー」の部分から四小節だけ抜き出したものだ。前半二小節が一回目の繰り返し、後半二小節が二回目の繰り返しに対応している。解説しやすいように、動画中の楽譜とは調号を変えてあるが、弾いている音自体は同じものである。

 前半も後半も、基本になっているのは F# → F という半音単位の平行移動である。平行移動というのは普通、それだけでは調性的な機能は持たない。特にこの場合はダイアトニックコードではないので、部分的な転調のようになるだけだ。

 しかし前半では、その上のメロディがドローンのように E の音を鳴らし続けている。これをコードの構成音と見なすと、F#7 → FM7 という進行に変わる。F#7 ではわかりにくいので、Gb7 と言い換えると、これはジャズ理論で言うところのドミナント・セブンスの裏コードであることがわかる。つまり、単なる平行移動に音を一つ足すだけで、機能和声的なドミナント・モーションと解釈できるようになる。

 ところが後半になると、F# → F の部分の構成音はまったく同じまま、音が1個足されており、さらにメロディの音も変化していることがわかる。これらをコードの構成音と見なすと、今度は F#6 → FM9 という進行になっている。

 Gb7(F#7)がなぜドミナント・セブンス(この場合 C7)の代理と見なせるかというと、ドミナント・セブンスと同じトライトーン(この場合、Bb - E)が含まれているからである。ところが、F#6 には Bb は含まれているが、E が含まれていないので、これはドミナント・セブンスの代理コードとは見なせない。

 つまり、この前半と後半は、ほとんど同じような音の構成でありながら、機能和声的にはまったく異なる機能のコード進行になっているのである。こういう発想は、コード進行だけで考えていてはなかなか出てこない。

 こんなところにも、コード進行主体に考えるポップス系のアレンジャーとは異なる、野見さんの個性が現れていると言えるのではないかと思う。

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及川リンの「She Said」を Sinsy に歌わせてみた

 今回は、映画「下妻物語」の挿入歌として使われていた「She Said」という曲を Sinsy に歌わせてみた。作詞は及川リンさん、作曲は菅野よう子さん、オリジナルのボーカルも及川リンさんである。

 Sinsy に向いているのはオペラ・声楽的な歌唱法の曲だと考えていたので、これまではそういう曲ばかりを選んでカバーしてきたのだが、少しスタイルの違うボーカルに挑戦してみた。自分ではわりとうまくいったんじゃないかと思っているのだが、いかがであろうか。

 実は菅野よう子さんの曲をアナリーゼしたのは初めてで、テンションをベースとする分数コードとか、ドミナント・マイナー/サブドミナント・マイナーとか、ポピュラー・アレンジの教科書に出てくるようなテクニックがきれいに使われていて非常に勉強になった。

 たとえば、"There was no one..." というフレーズの部分を譜面に起こすと、下のようになる(耳コピなので間違っていたらごめん)。

 ご覧の通り、Gm → A7 → Fm → G というコード進行である。メロディのキーは C メジャーだから、音階上のコードで書くと Vm → VI7 → IVm → V という進行になる。この Vm、VI7、IVm はすべてディアトニックコードではなく、C メジャーのスケールにない音が入っている。

 たとえば、このメジャーとマイナーを一部逆にした VIm → IV → V という進行であれば、ポップスでは非常にポピュラーな進行で、50 年代に多用されたので 50 年代進行などとも呼ばれる。さらに、IV を IIm に置き換えると、VIm → IIm → V という、いわゆるツー・ファイブを含む 5 度下降進行になる。微妙に違うが、VI → II → V というのも、ジャズ系の本にはよく出てくる。これはドミナント・モーションの連続で、II がドッペル・ドミナント、VI がさらにそのセカンダリー・ドミナントということになる。

 だから、この曲もそういうポピュラーなコード進行の変形と見なせるとは思うのだが、そこで代理コードとしてサブドミナント・マイナーの IVm やドミナント・マイナーの Vm を使っている例は、現在のポップスでもそれほど多くはない。

 ポップスの曲をコード進行で検索できる便利なサイトがあるので、試しに調べてみたのが、ドミナント・マイナーの Vm、Vm7 の使われている曲はデータベース全体の 0.3%、0.1%、サブドミナント・マイナーの IVm が使われている曲でもデータベース全体の 0.4% しかない。

HookTheory.jpg

この曲のこの部分とまったく同じコード進行を持つ曲にいたっては、(キーを移調したとしても)1 曲も見つからなかった。だから、少なくともポップスにおいては、あまり多くないコード進行だということは言えるだろう。

HookTheory-Vm.jpgHookTheory-Vm7.jpg

 下図に示すように、そもそもサブドミナント・マイナーからドミナントという進行の曲が自体が極めて少ない。

HookTheory-IVm-V.jpgHookTheory-IVm-V7.jpg

 それでも、部分的にでも似たコード進行の曲はないかと探してみたら、1 曲だけ見つかった。それはかのビートルズの「Strawberry Fields Forever」である。

 この曲は、キーが A メジャーで、冒頭のコード進行が A → Em7 → F#7 → D → F#7 → DM7 → A となっている。これを音階上のコードに直すと、I → Vm7 → VI7 → IV → VI7 → IVmaj7 → I になるから、少なくとも途中まではかなり似ている。

 この進行がいかに似ているかが直感的にわかるように、「Strawberry Fields Forever」を「She Said」と同じキーに移調して、「She Said」と同じようなピアノの伴奏に合わせたものを作ってみたので、試しに聴いてみてほしい。

大きな違いは、サブドミナント・マイナーの Fm/Ab がサブドミナントの F/A になっているところ、そして、最後がドミナントの G ではなくトニックの C/G で終わっているところである。しかし、途中までの感じはかなり似ていることがわかるだろう。

 先ほど、ドミナント・マイナーやサブドミナント・マイナーを多用しているポップスの曲は少ないと書いたが、その数少ない例の多くが、実はビートルズの曲なのだ。だから、菅野さんはビートルズの開拓した技巧的なポップスの継承者の一人と言えるだろう。

HookTheory-IVm.jpg

 さらに菅野さんのアレンジの見事なところは、ただ技巧的なコード進行を使っているだけでなく、その結果として、横のラインがきれいな半音階進行になっているところである。技巧のための技巧ではないのだ。そういう意味で、菅野さんの曲を分析することは、私のようなポピュラー・アレンジを志す素人にとっては学ぶところ大である。

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エリック・セラの「The Diva Dance」を Sinsy に歌わせてみた

・曲を選んだ理由

 二ヶ月ぶりの Sinsy カバー作品。今回は、リュック・ベッソン監督の映画「フィフス・エレメント」の劇中歌として使われている「The Diva Dance」をカバーしてみた。

 この曲を選んだ理由は、1) 歌唱法が Sinsy に向いていそう、2) 曲の長さが短い、3) ドラムの入ったポップスをやりたい、4) だけどギターの打ち込みは避けたい、5) この曲が好き、6) この映画もわりと好き、などいろいろあるのだが、一番の決め手は、この曲が「人間には歌えないように作られた曲」であることだった。

 この曲は劇中では異星人のオペラ歌手によって唄われるという設定で、エイリアンの能力を表現するため、わざと普通の人間には歌えないような音域やメロディで作られているのである。だから、Sinsy のようなボーカル・シンセサイザーに歌わせるにはぴったりの曲だと思ったのだ。

 もっとも、そう思ったのは私だけではないらしく、私が検索した範囲でも、巡音ルカさんに歌わせた先例があった。

でも多分、初音ミク系のボーカロイドよりは Sinsy の方がこの手の曲に向いていると思うので、先例があってもやってみる価値は十分あると思った次第。両者の違いが気になる人は、聴き比べてみるのも一興だろう。

 ボーカル・トラックは、基本的に Sinsy の出力をほとんどそのまま使っているが、途中のグリッサンドで3オクターブ一気に駆け上がるところだけは、VocalShifter というツールで加工した。音域や技巧の問題ではなく、Sinsy にはグリッサンドの機能がないからである。

・音源はサウンドフォントのみ

 Sinsy 以外の音源は、実はすべてサウンドフォントである。ハードウェア音源はもちろん、VST インスツルメントすら使っていない。だから余計な金はほとんどかかっていない。そのワリには悪くない音だと思いませんか?

 サウンドフォントは複数の音色がセットになる仕様なので、既成のものをそのまま使ってもなかなか曲に合った音色構成にはならない。

 ところが、サウンドフォントを編集する Viena というフリーウェアがあって、これを利用すれば音色の構成も音色自体のパラメータも自由自在に編集できるのだ。もちろん、そのためには Viena の操作方法やサウンドフォント自体のデータ構造を学ばなければならないが。

Viena プリセット編集画面

Viena サンプル編集画面

・音色を探す方法

 この手のダンス・ミュージックは、音色がハマってないと死ぬほどダサくなるので、今回は楽譜の打ち込みよりも音作りに時間をかけた。おそらく全製作時間の2/3以上を音色探し・音色選び・音色加工・ミキシングなどに費やしたと思う。

 フリーのサウンドフォントを入手できるサイトはいくつかあるが、最も内容豊富なのは Sf2Midi.com だろう。このサイトは登録が必要であり、また無料会員だとダウンロード速度がかなり遅いなどという欠点もあるが、データ量の豊富さでは他サイトの追随を許さない。しかし、それでも気に入った音色が見つからないときはどうするか。

 実は、サウンドフォントというのは一種のサンプラーなので、サンプル波形のデータさえあればどんな音にも音程をつけて鳴らすことができる。そういう意味では万能と言ってよい。

 サンプル波形を入手できるサイトも多数あるが、私がお勧めしたいのは Freesound である。このサイトは、基本無料であり、ワンクリックでプレビュー再生ができ、タグ検索もあり、類似音検索もあり、データの多くがクリエイティブ・コモンズライセンスであることが明記されているなど、数々の長所がある。

 今回の曲では、スネアの音色にぴったり来るものが見つからなくて、最終的にはこのサイトで見つけた「地下室で木の板を落とした音」の波形を加工して使わせてもらった。

 だから厳密にはスネアではなくて、「スネア的」に使われている音色にすぎないのだが、スネアの音色から類似音検索でこういう波形が見つかったりするところが、このサイトのよいところだ。

 また、パーカッション的に使われている「ガチャ」という感じの音も、このサイトで見つけた「電子レンジの扉を開く音」の波形である。

・打ち込みは MuseScore

 楽譜の打ち込みには、DAW はもちろん、単機能の MIDI シーケンサーもほとんど使っていなくて、基本的に MuseScore という楽譜清書用ソフトウェアだけでやっている。

 MuseScore は MusicXML 形式で出力できるので Sinsy と相性がよく、また、サウンドフォントを直接読み込んでその音色で曲を再生したり、wav ファイルに変換したりする機能があるので、サウンドフォントとの相性も抜群で他のツールを介入させる必要がほとんどない。

 MuseScore の [作成] メニューから [楽器] を選ぶと、付属するサウンドフォントの楽器名が勝手に表示されるので、それ以外は選べないと思っている人もいるかもしれないが、実はここで選択した各パートの音色は [表示] メニューから [ミキサー] を表示すればいくらでも変更可能だ。また楽器名の表示自体も、楽器名を右クリックしてポップアップメニューから [譜表のプロパティ] を選択すれば変更できる。

MuseScoreのサウンドフォントとミキサー 

MuseScoreの楽器名

 この機能を利用して wav ファイルを生成して「はい完成」でもよいのだが、今回はもう少し音作りに凝りたかったので、楽器音色ごとに wav ファイルを生成して、それを Audacity 上でミキシングするという方法をとった。MuseScore にはパート譜を生成する機能があるので、この点でも便利だ。 

 ただし、MuseScore にもグリッサンドの機能がない(厳密に言うと、グリッサンドを譜面に書き込むこと自体は可能だが、再生には反映されない)ので、イントロの「ウィーン」という音がグリッサンドしながら上昇するところだけは、一度スタンダード MIDI ファイルに出力してから、Domino に読み込んでピッチシフトを付け、TiMidity++ 経由で wav ファイルに変換するというやり方をしている。

 MuseScore は、登場したばかりの頃はまったく使い物にならなかった記憶があるのだが、当時とは比べ物にならないほどよくなった。 今でもときどきクラッシュしたりはするけれど。

MuseScore 画面

・「ドラムセット」は使わない

 MIDI 音源には音色の一種として「ドラムセット」というものが用意されていることが多い。ドラムセットでは、普通の音色のように音階に対して同じ楽器を割り当てるのではなく、各音階に別々の音色を割り当てる。たとえば、真ん中の「ド」の音がバスドラム、「レ」の音がスネアドラムというふうに。

 ドラムは音程のない打楽器の集まりなので音階を指定する必要がないし、ドラムの各楽器に別々のチャンネルを割り当てるとチャンネル数が増えていろいろと煩雑になるので、こういう方法が広まった。ちなみに、ドラムセットは GM (General Midi) でも規格化されている。

 MuseScore もドラムセットに対応していて、ドラムセット全体を一つの楽器として記譜できるようになっている。だから、この曲も当初はドラムセットを使って打ち込んでいたのだが、いろいろ試行錯誤を重ねた末、最終的にはドラムセットを使うという発想は完全に捨てた。理由はいろいろある。

 まず、ドラムセットを使うと、各楽器の音色を別々に選ぶことが難しくなるということ。各楽器の音色がすべて曲に合っているようなドラムセットが見つかればいいけれど、常に見つかるとは限らない。現にこの曲でも見つからなかった。Viena を使えばドラムセットの楽器の音色を個別に差し替えることも可能ではあるけれど、手間がかかりすぎて、いろんな音色を聞き比べることが難しくなる。

 また、ドラムセットを使うと、ミキシングの時に各楽器に別々の処理をすることができなくなる。たとえばこの曲でも、ハイハットを右にリバース・シンバルを左にパンしているし、クラッシュシンバルとスネアブラシにだけコーラスをかけ、リバーブの深さも楽器ごとに微妙に変えて奥行きを表現している。ドラムセットを使うと、こういう処理は一切できなくなる。もちろん後述のように、Audacity 上で各楽器の発音タイミングを微妙にずらすことも困難だ。

 ドラムセットは確かに、スケッチやプリプロダクションには便利なのだが、本番の打ち込みには絶対に向かない。そのことを今回つくづく悟った。熟練したクリエイターにとっては多分常識の部類だろうが。

・ミキシングは Audacity

 前述の通り、ミキシングは Audacity で行った。この曲は比較的シンプルに聞こえるかもしれないが、実は 25 チャンネルもあって、しかもすべてステレオで録ってるのでトラック数だと 50 トラックにもなる。もちろん、その中には SE を一回だけジャンと鳴らして終わり、というようなトラックもあるが、そういうトラックを除いても 20 チャンネルは優にある。つまりこんな感じだ。

Audacity 画面

Audacity ミキサーボード

 だから、うちの非力な PC で全トラック同時にスムーズに再生できるか、少々心配だったのだが、ほとんど杞憂だった。たまに CPU 負荷が高いときなどに再生が乱れることはあるが、余計な負荷さえなければ再生に支障はない。おそらく、最新の PC だったらこの数倍~数十倍のチャンネル数でも平気だろう。

 エフェクタに関しても、Audacity は VST プラグインを読み込めるのでいくらでも拡張可能だ。相性の問題で動作しないプラグインもあるが、困るほど多くはない。VST プラグインは有料・無料含めてネット上に腐るほど転がっている。VST プラグインを探す際に便利なサイトとしては、KVR Audio を挙げておこう。

 Audacity ミキシングの最大の欠点は、エフェクタの結果をリアルタイムで確認できないことだろう。しかし、若い頃に 4 チャンネルのカセット MTR でピンポン録音などしていたときのことを思えば、なんてことはない。それを除けば、伝統的な MTR やミキサーとあまり変わらない使い方ができる。 

・Audacity の裏技

 今回 Audacity を使っていて、ひとつ裏技的なものを発見した。80~90 年代に MIDI シーケンサーで DTM をやっていた方はご存知だと思うが、MIDI の打ち込みというのは、普通にやってると必ずしも自然なグルーブ感がでない。その大きな理由は、MIDI の場合音のタイミングが音量のピーク位置ではなく先頭で合わされてしまうからである。

 MIDI というのは、もともと電子楽器をリモコンで操作するための規格だ。だから、楽器に音を出すことを命令するノートオンというイベントはあるが、そのイベントを送られた楽器が実際にどのようなエンベロープで音を出すかまでは操作できない。エンベロープのアタックの速さは音色によって皆違う。打ち込み音楽はタイミングは正確なのになぜかノリが悪かったりする一つの理由はここにあった。

 このようなノリの悪さは、Audacity 上で波形を睨みながらトラック全体を数十ミリ秒単位でまとめてずらしてやれば、比較的簡単に修正できることがわかった。もちろん、音のアタックの速さは、音色だけで決まるわけではなく、音域やベロシティによっても違うから、厳密にはトラック単位でずらしても細かいところでずれが残る可能性がある。しかしそれでも、何もしないよりはマシなことは間違いない。

 もちろん、こんな「裏技」は気づいてる人はとっくに気づいているだろうが、もし気づいていない方がいたら、是非一度試してみることをお勧めする。いわゆる打ち込み臭さのようなものを、かなり解消できることがわかるだろう。

Audacity 裏技

・IR リバーブは便利

 エフェクタは主にコーラスとリバーブを使用したが、今回生まれて初めて IR リバーブというものを使ってみた。別名コンボリューション・リバーブとかサンプリング・リバーブとも言う。2000 年代になって登場したものらしく、昔はこんなものなかったから使いようがなかった。

 理科系の人はコンボリューションという名前からなんとなく想像がつくんじゃないかと思うが、IR というのは Inpulse Response (インパルス応答)の略。つまり、インパルス応答から畳み込み演算によってリバーブを計算するエフェクタらしい。

 従来のリバーブは、仮想のモデルからシミュレーションによってリバーブを計算していた。たとえば、5m 四方の部屋のシミュレーション、などという風に。一方 IR リバーブは、現実に存在する部屋のインパルス応答を測定し、それを元にしてリバーブを計算するらしい。

 だからアナロジーで言えば、従来のリバーブがシンセサイザーだとすれば、IR リバーブはサンプラーのようなものだと言えるかもしれない。サンプリング・リバーブと呼ばれるのもそのせいだろう。

 まだ数は多くないが、フリーの VST プラグインとして公開されている IR リバーブがいくつかある。有名なのは Freeverb SIR1 だ。SIR1 はエフェクトが遅延するという大きな欠点があるが、仕様がシンプルで使いやすい。Freeverb は高度すぎるのか、私には今ひとつ使いこなせなかった。ひょっとしたら、慣れたら Freeverb の方がよいのかもしれないが、今回は SIR1 を採用。

SIR1

 使ってみた感想は、さすがに現実の部屋の特性を反映したものだけあって、「自然」だということ。だから、いくら深くかけてもあまりイヤミにならない。また、パラメータもそんなに多くないので、そういう意味でもあまり悩まずに気楽に使える。

 逆に言うと、特殊効果としてアグレッシブな使い方をするのは難しそうだ。基本的に現実に存在する空間の特性しか表現できないので、良くも悪くも、どこかで聴いたような音にしかならない。馬鹿みたいに広いのになぜかものすごく残響の強い空間とか、そういう SF 的なものを表現するには向いていないのではないか。

(厳密には、シミュレーション・モデルからインパルス応答を生成するツールもあるし、従来のリバーブそのもののインパルス応答を測定することもできるので、原理的には同じことが可能ではあるが。)

 今回の曲では、オペラハウスのような豊かな響きを表現したかったので、ほとんどの楽器にこの IR リバーブをかけてみたのだが、その割にうるさい感じにはなっていないと思う。

・動画はキャラみん

 音楽だけでも十分時間をとられるので、動画にはあまり時間をかけたくない。そこで、音声データを入力するだけで自動的に動画を生成してくれるようなツールを探した。

 最初は MilkDrop というビジュアライザーの画面をキャプチャして使おうかと思っていた。これは Winamp にも採用されている優秀なビジュアライザーで、描画に DirectX を使うので、複雑な 3D 画像を描画しているわりには CPU 負荷が低い。またプリセットが非常に豊富で、センスのよいプリセットが多く、見てて飽きない。ただ、その映像はリズムに合っているだけで、音楽の内容とはあまり関係がないのが欠点だ。

 「キャラみん」というのも一種のビジュアライザーなのだが、音楽に合わせて CG キャラクターがダンスを踊ってくれる。また CG キャラクタのモデルとしては、MikuMikuDance のデータをそのまま使える。MMD の振り付けを自分でやるのは大変そうだが、これなら楽だろう、ということで採用した次第。

 実際のキャラクタとしては、Drumaster 氏製作の z7def式改変MEIKO を使わせていただいた。これを選んだのは、映画の中のミラ・ジョボビッチのイメージに似ていたというだけの理由で、それ以上深い意味はない。

 このデータを「キャラみん」に読み込ませて、自動生成した動画をそのまま使った。おかげで、動画製作にはほとんど時間をとられなくて済んだ。ありがたいことです。

きゃらみん画面

・ニコニコ動画のエンコードに苦労

 むしろ、意外と手間がかかったのはニコニコ動画用のエンコード設定だった。ニコニコ動画は一般会員の場合最高ビットレート 600kbps という制限があり、またアップロードしたファイルが一定の条件に合っていないと、サーバー側で再エンコードされて情けないほど音質が低下してしまう。

 この再エンコード処理を食わないようにしながら、なおかつ、音声データに十分なビットレートを割り当てるには、ファイル形式やエンコード方式を慎重に選択する必要がある。

 YouTube はニコニコ動画と違って再エンコードで極端に品質が低下するようなことはなく、また、これまでは静止画しか使っていなかったので、この点をあまり意識したことがなかった。

 どうもニコニコ動画自体は、このへんの仕様を積極的に公開していないらしく、設定は有志が勝手に調べてくれた情報だけが頼りだった。もっとも参考になったのは、「ニコニコ動画まとめ wiki」であった。感謝したい。

 最終的には、コンテナは mp4、ビデオデータは H.264 の 300kbps、音声データは AAC の 288kbps でエンコードした。つまり、全帯域幅の半分近くを音声に割り当てたわけだ。 

・金がなくてもここまでできる

 年寄りの昔話を繰り返して申し訳ないが、私の若い頃に、これと同じ作業のできる環境を調えようと思ったら、100 万円は余裕で必要だったろう。それが今やほとんどフリーウェアだけでできる。お金がかかるのは、PC 購入料金(それも高価なモデルは必要ない)、インターネット接続料金、電気代ぐらいなものだ。

 たぶん経済的な意味でもっとも負担が大きいのは、このどれでもなく、私自身の作業時間の機会費用だと思うが、趣味でそういうことを言うのは野暮だからやめておこう。

 もしかすると、今の若い人の中にも、Cubase ProTools のような高価なソフトウェアを購入しないと音楽製作はできないと思ってる人もいるかもしれないが、フリーウェアだけでも根気と工夫次第で少なくともこのぐらいはできるのである。だから簡単に諦めないでほしい。

・使用ソフトウェア一覧

  この作品に使用したソフトウェアを以下にまとめておく。もちろん、これはたまたま私のやり方や好みに合っていただけで、他にもいろんな組み合わせがあると思う。お金のないクリエイター志望者の参考になれば幸いである。

(おまけ)

 「人間には歌えない曲」と言ったが、それでも歌ってみようという人はいるみたいで、中にはかなりいい線を行っている人もいるようだ。

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ドノヴァンの床磨き

 前回のついでに、「SHERLOCK」関係の小ネタ。シーズン1の第1話。犯行現場でスコットランド・ヤードの巡査部長サリー・ドノヴァンや鑑識官アンダーソンに軽いイヤミを言われたシャーロックが、ドノヴァンとアンダーソンの不倫を指摘してやり返す場面で、こんな台詞を言っている。

I'm not implying anything. I'm sure Sally came round for a nice little chat and just happened to stay over. And I assume she scrubbed your floor, going by the state of her knees.

別に深い意味はないさ。サリーがおしゃべりに来てたまたま泊まっただけだろ。膝の状態から見て、床でも磨いてもらったのかな。

 この「床磨き」の意味に気がついていない人が意外と多いようだ。

 純情な私には説明しにくいので、英語のファンサイトからの回答を紹介しよう。クリックすれば回答が読める(ただし英語)。小中学生のよい子は読んじゃだめよ。

Um, in the first episode, Sherlock says something to Anderson about Donovan like "she scrubbed your floors, judging by the state of her knees" and I don't get it. At all. What was he saying?

Hello english is not my first language so the jokes sometime confuse me. In first episode Sherlock says to Sgt. Donovan about her knees and I don't get why he said it. My step mother is half jamaican and french and she said it was racist because Sherlock was saying black women always wash floors but that doesnt make sense to me. I feel dumb to ask but this has bothering me. Thanks!

(余談)

 このドラマ、「ザ・ウーマン」と「ジ・ウーマン」とか、"friends" と "a friend" (just got one)とか、職業柄どう訳せばいいかつい考えてしまう小洒落た表現が多い。DVD の字幕は「あの女」「比類なき女」、「友達はいない」「一人しか」となっていて、なかなか苦労の跡が偲ばれる訳となっている。

 このへんの話、私はあまり義務教育で習った記憶がないので一応解説すると、「ジ・ウーマン」というのは、別にウーマンのWを母音と勘違いしたわけではなくて、一種の強調表現なのだ。定冠詞の意味を強調すると、スペルはそのままで発音だけ「ザ」から「ジ」に変わる。不定冠詞の a でも似た現象があって、強調すると「ア」が「エイ」に変わる。だけどこのニュアンスを日本語に訳すのはなかなか難しい。

 「大いなるゲーム」の冒頭には、シャーロックが依頼人の英語の下手さにいらだって、三単現や時制の間違いを訂正しまくるなんてシーンもある。英語好きにはそういう意味でも楽しめるドラマだろう。

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「SHERLOCK」の作者は「名探偵ホームズ」を観たか?

SHERLOCK/シャーロック シーズン2 [DVD]  「SHERLOCK」は、イギリス BBC 製作のドラマで、NHK BS などでも放映されたので日本でもご存知の方も少なくないだろう。推理小説の古典中の古典シャーロック・ホームズを、現代のロンドンを舞台としてドラマ化したユニークな作品である。

 そのシーズン 2 の第 2 話「バスカヴィルの犬(ハウンド)」の DVD コメンタリーの中で、「SHERLOCK」の脚本家の一人でありマイクロフト・ホームズ役として出演もしているマーク・ゲイティスが以下のようなコメントをしている。

Have you ever seen that Sherlock Holmes Jack Russell series? There’s a series where a little dog investigates with a deerstalker hat on. And actually some of them are quite close to the originals, but with a dog! And one of them is Irene Adler! To Sherlock Holmes, she was always a bitch!

(拙訳)シャーロック・ホームズのジャック・ラッセル・シリーズって観たことある? 小犬が(ホームズのトレードマークの)鹿撃ち帽をかぶって捜査するシリーズがあるんだよ。その何作かはかなり原作に近いんだけど、演じているのは犬なんだよ! そしてその内の一人はアイリーン・アドラー。だからシャーロック・ホームズにとって、彼女は常に雌犬(ビッチ)ってわけさ。

劇場版 名探偵ホームズ [DVD]   このコメントを聞いた日本人の多くは、直感的に宮崎駿監督のアニメ「名探偵ホームズ」を連想したようで、ネットを検索するとその趣旨の発言がいくつも見つかる。実は私自身も宮崎ファンなので、最初に連想したのはやはり「名探偵ホームズ」であった。

 しかし、念のため調べてみると、もう一作品有力な候補があることがわかった。それは、アメリカの PBS で放映されていた「Wishbone」という実写ドラマのシリーズだ。

Wishbone [DVD] [Import]  これは、アニメじゃなくて生身のジャック・ラッセル・テリアが、いろんな名作文学の主人公を演じるというシリーズらしく、その中でホームズも数回取り上げられているのだ。

 実際、英語で検索してみると、マーク・ゲイティスが言及したのは「名探偵ホームズ」ではなく「Wishbone」だと思っている人の方が多いようである。 

 いずれにせよ日本人には馴染みの薄い作品なので、どちらが妥当かこれ以上追求するのは難しいかなあ、と思っていたのだが、YouTube を検索してみたら該当作品の動画を発見することができた(合法か違法かは知らないが)。 

(訂正:日本には馴染みがないとか書いてしまったが、さらに調べてみると、「夢見る子犬ウィッシュボーン」というタイトルで NHK 教育で放映されていたらしい。私が知らなかっただけだった。ごめんなさい。)

 そこで、この動画を含めてネットから入手できる範囲の情報に基づいて、マーク・ゲイティスの言及した作品が「名探偵ホームズ」と「Wishbone」のどちらである可能性が高いか、シャーロックの向こうを張って「推理」してみたいと思う。

・ジャック・ラッセル・テリアか?

 「名探偵ホームズ」の主人公は犬種がはっきりしない。現にマーク・ゲイティスの発言から「名探偵ホームズ」を連想した人の中にも、「あれってジャック・ラッセル・テリアだったっけ」みたいな発言をしている人がいる。絶対にジャック・ラッセル・テリアでないとも言えないが、絶対にジャック・ラッセル・テリアであるとも言い難い。一方、「Wishbone」の主人公はジャック・ラッセル・テリアであることが明記されている。

 もしマーク・ゲイティスが観たのが「名探偵ホームズ」だとしたら、「シャーロック・ホームズのジャック・ラッセル・シリーズ」などという言い方をするだろうか? 「シャーロック・ホームズを犬が演じるシリーズ」ぐらいの方が自然ではないだろうか?

この点に関する判定:「Wishbone」の勝ち

シリーズ物か?

 「Wishbone」はシャーロック・ホームズだけを題材にしたシリーズではない。もともとトムソーヤーだのシラノだのドン・キホーテだのファウストだの、いろんな文学作品を題材にしたシリーズで、その一部としてシャーロック・ホームズも取り上げられているにすぎない。一方、「名探偵ホームズ」は完全にシャーロック・ホームズだけを題材にしたシリーズである。

 もしマーク・ゲイティスが観たのが「Wishbone」だとしたら、「シャーロック・ホームズのジャック・ラッセル・シリーズ」などという言い方をするだろうか? 「犬がいろんな文学作品の主人公を演じるシリーズがあって、その中でシャーロック・ホームズも取り上げられている」ぐらいの方が自然ではないだろうか?

この点に関する判定:「名探偵ホームズ」の勝ち

・アニメか実写か?

 「名探偵ホームズ」はアニメであり、「Wishbone」は実写である。マーク・ゲイティスは自分が観た作品をアニメとも実写とも明言していない。だがもしアニメだったら、ここまで珍しい話のように紹介するだろうか。動物が探偵役を演じるアニメなどそれほど珍しくもないだろう。一方、実写で生身の犬が探偵を演じる作品がそれほど多くないことも想像がつく。珍しい話として紹介するのだったら、「Wishbone」の方がよりふさわしいのではないだろうか?

この点に関する判定:「Wishbone」の勝ち

・アイリーン・アドラーは登場するか?

 アイリーン・アドラーというのは、シャーロック・ホームズ全作品の中で、ホームズが唯一まんまと出し抜かれて以後一目置くようになった女性として有名だ。したがってファンの人気も高く派生作品にもよく登場する。

 だが、「名探偵ホームズ」にはどうやらアイリーン・アドラーが登場していないらしいのだ。一方、「Wishbone」の中には、「ボヘミアの醜聞」を原作とする「A Dogged Expose」というエピソードがあって(上の YouTube ビデオがそれ)、アイリーン・アドラーも登場する。

この点に関する判定:「Wishbone」の勝ち

・アイリーン・アドラーは犬か?

 マーク・ゲイティスは、自分が観た作品の中ではアイリーン・アドラーも犬だったような発言をしている。ところが、「Wishbone」に登場するアイリーン・アドラーは犬ではないのだ。「Wishbone」で犬が演じているのは基本的に主人公だけで、他の登場人物はみな人間の俳優が演じている。そのことは、上の YouTube ビデオでも確認できる。

 ただ、このマーク・ゲイティスの発言自体別の解釈も可能ではある。彼はアイリーン・アドラーが犬だと断言しているわけではなく、シャーロック・ホームズから見ればアイリーン・アドラーは雌犬(ビッチ)だと言っているにすぎない。だから、犬から見れば人間だろうと犬だろうと女性はみんな雌犬だ、とかそんな意味で言っている可能性もなきにしもあらずだろう。

この点に関する判定:「名探偵ホームズ」の勝ち

 ・結論

 結局、入手できる範囲の情報からは、マーク・ゲイティスが言及した作品が「名探偵ホームズ」か「Wishbone」か、はっきりと断定することはできなかった。単純に勝星を計算すれば、2 対 3 ということになるが、そんな機械的な方法で決められる事ではないのは言うまでもない。ただ、あのコメンタリーだけで「名探偵ホームズ」と断定するのは早計かもしれないよ、ぐらいのことは言っておきたいと思う。もちろん、そのことが両作品の質の優劣とはまったく無関係であることは言うまでもない。

(おまけ)

 ホームズファンには有名な「バリツ」の元ネタとも言われる「Bartitsu」の解説動画を発見したので、ついでに貼っておく。

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ムギちゃんの前衛的なクラスター奏法

 仕事しすぎて疲れたので、息抜きに MAD とか作ってしまった。安物のソフトしか使ってないので、タイミングを合わせるだけでも一苦労。実は、けいおん!YMO のシリーズの密かなファンだったのだが、あれを作るのがどれだけ大変かよくわかった。

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評論家にはボロクソ言われそうだけど、ちょっと見たい「高慢と偏見」の配役

配役 俳優 年齢
ダーシー 木村拓哉 39
ビングリー 草薙剛 37
ウィカム 稲垣吾郎 38
キャサリン夫人 野際陽子 76
ジョージアナ 石原さとみ 25
キャロライン 沢尻エリカ 26
エリザベス 上野樹里 25
ジェーン 菅野美穂 34
メアリー 志田未来 18
キティ 武井咲 18
リディア 川口春奈 17
ベネット氏 西田敏行 64
ベネット夫人 柴田理恵 53
コリンズ 岩尾望 36
シャーロット 箕輪はるか 32

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