不幸話にばかり食いつく人々

 あなたの周囲にこんな人間はいないだろうか?

 あなたが自分の苦境・失敗・悩みなどについて話すと、親身になって相談にのってくれる。ときには具体的な助力を申し出てくれることもあれは、耳の痛い説教をしてくれることもある。

 あなたは、この人は心から自分のことを想ってくれているに違いないと思う。だから、自分がしあわせになれば喜んでくれるに違いないと思う。

 ところが同じ人に、自分の楽しかった体験の話・成功した話・善行の話などをしても、なぜかまったく食いついてこない。興味なさそうに受け流されるだけ。そしてまた不幸話になると嬉嬉として食いついてくる。

 こういう人と話していると、まるで自分の不幸を期待されているような気がしてくる。この人は、相手の心配をするフリをして、自分の能力や地位や権力や影響力を誇示して優越感に浸りたいだけなんじゃないのか。自分はそのために利用されているだけじゃないのか。

 しかしいくらそう思っても、少なくとも表向きは善意の人として振舞っているので、面と向かって不満を口にすることもできず、話す度にだんだん不快感が澱のようにたまってきて、やがて顔を見る事すら嫌になってしまう。

 ぼくの悪友たちなんかは、ぼくが不幸話をすると「ばかだなー」などと返してくれるが、この方がよっぽど気持ちが軽くなる。でも、上記のような「不幸話にばかり食いつく人」には、こういう心の機微はわかるまい。

 こういう「不幸話にばかり食いつく人」の身近で長期間暮らすと、性格は確実に歪む。

 実はぼくは 20 代前半までは岸田秀の愛読者で、その時期までの彼の著書のほとんどを読破していた。確かオウム事件の前後だと思うが、憑き物が落ちたようにポストモダン的な思想に見切りをつけたときに、岸田の著書もすべて処分してしまったが。

 でも、岸田が繰り返し書いていた、義母との関係の話は今でも印象に残っている。岸田の義母は、口では岸田のことを愛しているというのだが、岸田の進路の希望などはまったく聞いてくれないんだそうだ。親の愛に応えなければという義務感と、自分の夢をかなえたいという欲望との板ばさみになった岸田は、神経症になってしまう。

 その岸田を救ったのがフロイトだった。フロイトの方法にしたがって自己分析した岸田は、義母が自分を愛していないということに気づく。その結果、岸田は神経症から解放される。

 フロイトは疑似科学だとかなんとか言われるが、この話にだけは、ぼくもおおいに共感する。そんなのは自己責任だとかなんでも環境のせいにするなとか言う人には、だったら自分もそういう人間と何十年も一緒に暮らしてみろと言いたい。

 そのような「不幸話にばかり食いつく人」は、マスコミの中にもネットの中にもたくさんいる。

 一時期「はてな匿名ダイアリー」なんかで、自称「非モテ」の人が愚痴っぽいことを書き込むと、自称「リア充」の人が「甘えるな。自己責任だ」みたいなことを書き込むという、実にくだらない争いが繰り返されていたことがあった。

 もちろん、その中には純粋に善意の人もいるんだろう。でも少なからぬ割合は、上で書いたような「不幸話にばかり食いつく人」なのではないだろうか。そういう気配が文章にも表れているから、素直に受け取ってもらえないのではないだろうか。

 こういう偽善的な態度の蔓延には弊害がある。それは、不幸な話を気軽に話しずらくなるということだ。

 ぼくなんかは、もともと露悪趣味なので、自慢話より不幸話の方が好きなぐらいなのだが、こういう「不幸話にばかり食いつく人」が待ち構えている気配を感じて、心ならずも自慢臭いことを書いてしまうことがある。そして後で読んで自己嫌悪に陥ったりするのだ。

 ぼくが若い子に言っておきたいのは、本当にあなたのことを想ってくれる人・愛している人は、あなたの不幸話に食いつく人なんかではなく、あなたのしあわせを素直に喜んでくれる人だということ。だから、不幸話にばかり食いつく人の助言など、あまり真面目に聞く必要はないということだ。そういう人の話は、話半分に聞いておくぐらいで丁度いい。

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脳コンピュータインタフェース・メモ

 昨日クローズアップ現代で放送していた、脳コンピュータインタフェース・デバイスに関する簡単なメモ。

・まとめ記事

・主な製品

Emotiv EPOC

Emotiv EPOC

Mindball

MindFlex

MindFlex

MindSet

MindSet

Neural Impulse Actuator

Neural Impulse Actuator

Star Wars Force Trainer

Star Wars Force Trainer

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夢を考えているのは誰だ

 先日おかしな夢を見た。なぜかクイズ番組に出演しているのだが、出題されるクイズが非常に面白い。あまりに面白いので、ブログのネタにしてやろうと考え始めた。つまり、夢の中なのに自分が夢を見ているということを自覚しているわけである。そしてクイズに回答しながら頭の中でブログの草稿を完成させた。これは会心の記事になるぞ、でも夢の内容は目が覚めると忘れがちだからなんとか忘れないようなしなきゃ、と思っているうちに目が覚めた。もちろんその時には、その面白いクイズの内容もブログの草稿もきれいさっぱり忘れていた。

 この夢で思い出したのが父のことである。父はコンピュータに対する理解にかなりの問題があって、Playstation の麻雀ゲームなどをやっていると、折にふれて「このゲームはインチキだ」と主張する。なぜかというと、対戦相手だけじゃなくて牌を積んだり配ったりしているのもコンピュータなのだから、コンピュータには相手の手牌も山の牌もわかっているはずだからだそうだ。父に言わせると、自分が捨てたいと思っている牌と違う牌を捨てるようにすると勝率が上がるそうである。これを聞いて思わず「お前は鉄壁保か」と言いそうになったことはここだけの話。

 これはコンピュータの仕組みをある程度知っている人なら一笑に付すような主張なのだが、知らない人の気持ちを想像してみれば、そういう発想が出てくるのもわからないこともない。要するに、コンピュータの中には人間と同じような知能を持つ機械が住んでいるというイメージなのだろう。そいつが対戦相手の役から洗牌から配牌から全部一人でやっていると。

 確かに人間の脳の場合、一人の人間の脳の中に複数の意識があって、互いに他の意識の思考や行動がわからない、なんてことはあまりない。あったとしても、それは多重人格とか呼ばれて病人扱いされてしまうわけである。

 でも考えてみると、夢の中ではまさにそういうことが起こっているわけだ。先ほど紹介した夢で言えば、クイズに回答しているのも自分だけれど、クイズを出題しているのも自分だ。にもかかわらず、回答している自分は、これは面白い問題だから忘れないようにしなきゃ、などとまるで出題している自分が他人であるかのように考えているわけである。

 とすると、逆に人間の脳をコンピュータシステムになぞらえてみると、意識や夢について理解する一助になるかも知れない(認知科学者の佐伯胖氏は、こういうのを擬人化ならぬ「擬コンピュータ化」と呼んだ)。 つまり、脳の中には「意識」を司るアプリケーションと、その「意識」と外界とのインターフェイスの役を司る OS 的なものが存在すると考えるのである。

 覚醒中は、この OS はトランスペアレントに機能しており、外界の入力をそのまま「意識」に渡し、「意識」からの出力もそのまま外界に渡している。そのため、覚醒中に「意識」が OS の存在を意識することはない。ところが睡眠中になると、この OS はトランスペアレントであることをやめ、外界とは無関係な入力を勝手に生成して「意識」に送り込みはじめる。もちろんその結果「意識」の生成した出力も横取りして外界には渡さない。

 この OS を「無意識」であると考えると、あら不思議、無意識と夢の関連を考えたフロイトの発想が自然に見えてくる。また「意識」だけが特別な理由を、「意識」だけが過去のイベントのデータベース、つまり「記憶」にアクセスできるからだ、と考えればベルグソンの発想に似てくる。もちろんフロイトやベルグソンの時代にはコンピュータなんて存在しなかったし、計算機の理論モデルも現在とは異なっていたから、彼らがそんな発想で自分の理論を考えたはずはないのだが。

 なんて妄想じみたことを書き連ねてしまったが、あくまで思いつきのアナロジーなので、良識ある読者のみなさまにおかれては、あまり本気にしないようにお願いします。でも夢についてあれこれ考えていると自己了解に近づくような気がして楽しい。

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髭のない世界

 仕事にかまけて伸ばしっぱなしだった無精髭を剃りながら、ふと考えた。なぜ人間にはこんなものが生えるのだろう。これは実は何かの病気だったんじゃないのか。今でこそ、男性のほどんどがこの病気にかかるようになったから誰も驚かないが、歴史上初めてこの「髭」という病気にかかった人間は、さぞや驚いたに違いない。。。

  • 「ちょっと貴史、顔どうしたの? 口のまわりにゴマ塩みたいなものがいっぱいくっついてるよ。」
  • 「え? どれどれ…うわっ、なんだこれ? (あわてて洗い落とそうとする)あれっ? とれない。とれないぞ。あ! これは毛だ! 顔から毛が生えてる! オレの顔、どうなっちゃったんだ?」

  • 「貴史くん。まだマスクしてるのね。風邪治らないの?」
  • 「う、うん。なんかたちの悪い風邪らしくて。」
  • 「なんかガーゼの間から黒いものが見えるけど。」
  • 「こ、これは、食事してたらゴマ塩がくっついちゃったんだよ。オレ不器用だから。」
  • 「なんだ、そうだったの。お大事にね。」
  • (どうしよう。顔から毛が生えたと思ったら、それが成長しだして、日に日に長くなってる。このままじゃマスクでも隠し切れなくなるぞ。こんな毛だらけの顔を典子ちゃんに見られたら、ぜったいに嫌われる。いや、それどころじゃないぞ。きっとみんなから怪物扱いされてイジメられる。どうしよう…)

  • 「先生、お願いです。なんとかしてください。」
  • 「しかし、調べたところ、この毛の組織は他の体毛と変わらないようだ。つまり、頭や股間に生えるべきものが、たまたま顔に生えてしまっただけとも言える。しかも、他に身体に不都合はないのだろう? ということは、これは必ずしも病気とは言えないのではないだろうか。」
  • 「何言ってるんですか。不都合はおお有りです。こんな顔じゃイジメられるし、一生結婚もできないに決まってます。」
  • 「それだって、他の人間がたまたま顔に毛が生えていないというだけのことじゃないか。自分と違うからと言って他人を蔑むのは、悪しき偏見であり差別だ。だから君が悪いんじゃない。もっと自分に誇りを持ちたまえ。」
  • 「でもこんな顔いやです。」
  • 「しょうがないなあ。そうだ、剃刀で毛を剃ってみたらどうだ。この成長速度なら、1日1回剃れば、そんなに目立たないと思うが。」

  • 「やーい、毛人間!」「化物!」「怪物!」「怪物でもいっちょまえに彼女がいるのかあ?」
  • 「気にすることないよ、貴史くん。ちゃんと剃ってれば、ぜんぜん気にならないもの。」
  • 「でも、それはしょせん、見た目をごまかしてるだけのことだよ。ぼくは典子ちゃんや他のみんなと同じ人間じゃない。怪物なんだ。」
  • 「そんな悲しいこと言わないでよ。貴史くんは貴史くんじゃないの。」
  • 「でも、もしぼくの子供ができたら、その子供もこんな怪物になるかもしれないんだよ。典子ちゃんはそれでもぼくと結婚してくれるかい?」
  • 「………」
  • 「もういい。死んでやるっ!」
  • 「あ、貴史くん! 誰かきてーっ!」 

  • 「いやー、ごめんごめん貴史。お前のこと怪物扱いしたけど、考えてみたら、顔に毛が生えてるだけのことじゃないか。」
  • 「そうそう。オレも最初は気持ち悪かったけど、慣れてきたら気に入っちゃって。最近は剃り方を工夫するのがマイブームになってるよ。」
  • 「オレもだよ。見てくれ。この鼻の下の毛だけ残して、後は全部剃るってのはどうだい?」
  • 「うーん、なんか偉そうだなあ。演説で大衆を扇動し、戦争に駆り立てる政治家みたいな顔に見えるぞ。」
  • 「なんだそりゃ。見た目だけで人のこと決め付けるなよ。」
  • 「あはははは…」
  • 「あはははは…」

 この話を作品化したい方は、事前にご一報ください。ロイヤリティなどはご相談に応じさせていただきます。

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工事の音がうるさい

 私の住んでいるマンションは、独身用のせいか入居者の入れ替わりが激しく、そのたびに内装工事が行われます。この工事の音が、うるさくて喉に刺さった魚の骨のように気になるのであります。

 今日なども、仕事をしようとすると、トカトントン、音楽を聴いていても、トカトントン、読書をしていても、トカトントン、仮眠をとっている最中にも、トカトントン。○○○ーをしようとしても、トカトントン。

 教えてください。この音は、なんなのでしょう。そうして、この音からのがれるには、どうしたらいいのでしょう。私はいま、実際、この音のために身動きが出来なくなっています。どうか、誰か教えてください。

 なお最後にもう一言つけ加えさせていただくなら、私がこのブログを半分も書かぬうちに、もう、トカトントンが、さかんに聞こえて来ていたのです。こんなブログを書く、つまらなさ。それでも、我慢してとにかく、これだけ書きました。そうして、あんまりつまらないから、やけになってウソばっかり書いたような気がします。翻訳の仕事なんてないし、歯痛になったわけでもないんです。その他の事も、たいがいウソのようです。

 しかし、トカトントンだけは、ウソではないようです。読みかえさず、このまま投稿します。

気取った苦悩ではなく、単に疲れているだけです)

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QR コードによる栄養成分の表示について

 ぼくも一時やっていたから知ってるけど、ダイエットのためにカロリー計算をしようと思っても、外食だと、どんな材料がどれだけ使われているかわからないから、データをとるのが難しい。そのような目的のため、「外食カロリー・ブック」みたいな本も出てるんだけど、そういう本を常に持ち歩くのも正直しんどい。

 もちろん、そういう本のデータを PDA かなんかに入力しておいて、簡単に検索できるようにしておけばいいんだけど、その場合でも、店内でいちいちメニューの名前を入力するのはじゃま臭い。

 じゃあ、メニューに QR コードかなんかを印刷しておいて、それをスキャンするだけで栄養やカロリーの情報を取得できるようにすればいいんじゃないの? あ、このアイデアけっこういけるじゃん。しかも、まだだれもやってないんと違う?

 …と思って有頂天になったものの、念のためにと思って検索してみたら、マクドナルドさんがとっくにやっておりました (^^)。残念。ぼくが最近ヒッキーでマクドナルドにすらあまり行っていないことがバレてしまいましたね (^^)。

 でも、ホント言うと、これ一社だけがやってたんじゃだめなんです。もっといろんなお店でやってもらわないと。だから、データも統一フォーマットにしたほうよろしい。HTML じゃなくて XML で返すようにするとか、あるいは、QR コードは容量が 4K バイトぐらいあるので、インターネットに飛ばすんじゃなくて、QR コード自体にカロリーや栄養のデータを埋め込んでおくとか。

 もっとも、本当にいろんなお店でメニューに QR コードを印刷するようになれば、ほっといても誰かがマッシュアップ(じゃなくてアグリゲータか?)サイトを作るでしょうね。さらに、そのサイト上に個人データを蓄積できるようにして、「最近食べすぎですよ」みたいな警告を出したり、理想のカロリー目標を表示したり、関連商品を宣伝したり、アイデアはいくらでも考えられる。でも、そのためにはまず、そういうお店がもっと増えてくれないと困るから、とりあえずここで宣伝しておきます (^^)。

 この手の QR コードを使ったアイデアって、まだやられてないのがたくさんあるような気がするんだけど。たとえば、レシートに QR コードを印刷して、それをスキャンすれば、家計簿ソフトに自動的にデータを入力できるとか。もっとも、これは電子マネーが普及してしまうとあまり意味がなくなるかもしれないが (^^)。

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コルベア・リポート:ピンカーの巻

 コルベア・リポートにスティーブン・ピンカー登場。脳の仕組みを単語 5 個で説明しろとか、例によってムチャクチャなこと言われてます (^^)。

 最後のオチは、「F○○K」ですね (^^)。

 もし、赤ん坊をずっとバーチャルな世界で育てても、やっぱりピンカー氏が言ってるような生得的な認知フレームは破壊されないのかなあ。アリストテレス的な力学法則の成り立つ世界とかを無理矢理作ってしまって、その中で育てても、認知フレームがそれに適応してしまうことはないのだろうか。まあ、本当にそんな実験をしたら、幼児虐待になってしまうから無理だろうけど (^^)。

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「人に好かれる人」はなぜえらいか

 このブログでも何度か書いていますが、ぼくは非常に鈍いところのある人間で、世の中の大多数の人が若いうちに気づくようなことに、歳をとってからやっと気づくようなことが多々あります。これもそのうちの一つに数えられるかもしれません。

 世間一般の常識では、「人に好かれる」というのは、偉いと言う表現が適切かどうかはさておき、ポジティブな価値を持つことになっていますよね。ぼくはそれを、<「人に好かれる人」→好かれるような美点をたくさん持っている→ゆえに偉い>というふうに解釈していたんだけど、どうやらそれは間違いらしいということに、今日やっと気づいたのです。やっぱり遅いですか (^^)?

 つまり、他人に好かれるかどうかというのは、個人の決まった属性というよりも、むしろ、意志の問題だということです。ぼくは、誰だって基本的には他人に好かれたいと思っているに決まっているじゃないか、と長いこと思い込んでいた。でも、どうやらこれが大きな勘違いだったらしいのです。

 多分、若い人の中には、まだそう思っている人も多いと思います。でも、人間 40 才にもなると、他人に好かれるかどうかなんて、わりとどーでもよくなってくるんです。

 ほら、一時「オバタリアン」とかいって、中高年女性のずうずうしさを揶揄するのが流行りましたけど、ああいうのも、他人に好かれたいという意欲の減退の表れかもしれない。あるいは、結婚して何年もすると、女性のお化粧がいい加減になったりウェストがゆるんできたりするのもそうかもしれない。ぼくはまだですけど、多分、更年期をすぎたりすれば、この傾向はもっと加速するでしょう。

(ちなみに、このへんの性と人間性の関係というのは、もっと追及されるべきだと思うよ。(^^))

 つまり、「人に好かれる人」がなぜ偉いかというと、人に好かれる美点を持っているということ以前に、人に好かれようとする意志を持ち続けているということが偉いのです。そして多分、強い意志さえあれば、ある程度結果はついてくるのです。だから、明石家さんまさんのように、50 才にもなって他人に受けたくて仕方がないと思っているような人は、それだけで十分偉大なのです。このことに、若いうちは気づかなかった。

 ついでに言うと、よくテレビなんかで、「お年寄りなのに生きがいを持って元気で生き生きと生きている人」みたいな人をフューチャーするでしょ? ああいう人も、多分、半分ぐらいはサービス精神でやってるんだと思う。

 つまり、若い人からみたら、お年寄りがあまりみじめったらしい暮らしをしていたら、自分も将来そうなるのかなあと思って、ウンザリしちゃうじゃないですか。若者にはお年寄りのことはわからないけど、お年寄りはみんな昔は若者だったわけですから、そういう若者の気持ちはわかってるはずなんですよ。だから、若者をがっかりさせないために、生き生きと生きているフリをしているんだと思うんです。もちろん、ある程度は本当に元気でないと、元気なフリもできないから、そういう意味では本当に元気でもあるんでしょうけど。

 ぼくも、この年になるとだんだん人付き合いが面倒になるんですよ、ということを、周囲の人にそれとなくうまく伝えたいんだけど、これがけっこう難しいんですよね。「友だちなんていらねーよ」みたいな言い方では、傲慢に響くし、虚勢を張っているともとられかねない。かといって、逆に謙遜して、「友だちが少なくて…」みたいなことを言うと、やさしい子たちが本気で心配してくれちゃったりする (^^)。そういうわけで、いかに傲慢にもならず、心配もされず、適度にほっとかれる方法はないか、といろいろ試しては失敗している今日この頃なのです (^^)。

(「負け犬の遠吠え」という本、まだ読んでないんだけど、あれもたぶんそういうコンセプトなんじゃないのかなあ、と勝手に想像してます (^^)。)

 そういうわけなので、ぼくがなんか変なことを書いていても、あまり本気にしないで、またあいつバカなことをやってるな~、と読み流していただければ幸いです (^^)。

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愛のカタチ

 上原さくら、すごい番組やってんなあ(^^)。正月にやってた番組で、太田光相手に、温泉の醍醐味はオモチャだ、と強硬に主張していたのを思い出してしまった(^^)。タダモノじゃないね。

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喫煙者少数派時代

 愛煙 vs 嫌煙みたいな論争をインターネット上で目にする機会があったので、自分なりにいろいろ考えてみました。昨今の喫煙者に厳しい風潮をファシズム的だと捉える喫煙者側の気持ちもわからないではないのですが、ぼくはむしろ、このような現象は、愛煙家が多数派から少数派に転落したことによる社会構造の変化が必然的に生み出した軋轢ではないか、という気がしました。

 もちろん、女性や未成年まで計算に入れれば、昔から喫煙者は少数派であったとも言えるのですが、少なくとも、職場で多数派を占める成人男性の間では、長いこと喫煙者は多数派だったわけです。ところが、最近になって (厚生労働省国民栄養調査によれば平成 11 年、JT全国喫煙者率調査によれば、平成 14 年以降)、成人男性に限っても喫煙率が 50% を切ったわけで、名実ともに喫煙者は少数派になったわけです。

 ぼくは基本的に、他人に迷惑をかけなければ、喫煙も個人の自由であるという立場ですが、この「他人に迷惑」というのがクセモノです。何を迷惑と考えるかは、その人の価値観によって違うので、自分の土地にビルを建てて何が悪いと思う人もいれば、景観や陽当りの悪くなることを迷惑だと思う人もいる。極端になると、ぼくみたいに、女子高生のスカートの短さですら一種の景観の破壊であると思っている奴すらいる(^^)。

 喫煙の迷惑も、愛煙家同士の間ではあまり迷惑に感じないものが多いので、喫煙者が多数派である場合にはあまり問題にならずに見過ごされることが多かったと思うんですね。もちろん、当時の少数派であった非喫煙者の中には、そういう迷惑に内心腹をたてていたにもかかわらず、口に出してもあまり相手にされないので憤慨していた人もたくさんいたことは想像に難くなく、当時はむしろ彼らの方が迫害されていたに違いないんです。

 もちろん、だからと言って、喫煙者が健康を害することにより、社会全体の生産力に悪影響を与え、GDP が低下するとか、そんなことまで「喫煙の迷惑」に勘定しようとはぼくも思いません。それはそれこそ、愛煙家側の言うとおり、民主主義の理念に反するファシズム的な主張でしょう。

 ただ、公共施設に設置された喫煙所や分煙装置のコストとか、喫茶店や食堂に用意された灰皿や空気清浄機のコストとか、喫煙者が病気になりやすいことによる健康保険料のコストとか、もちろん受動喫煙の害によるコストとかは、これまで社会全体で負担することが当然にように思われてきたわけですが、それは「多数派≒社会の総意」という近似計算によって許されてきたにすぎないと思うんですね。だから、喫煙者が少数派に転落した以上、こういうことが通用しにくくなるのはある意味当然だと思うのです。

 もうちょっと経済学風に言うと、喫煙には確かにコストとベネフィットがあると思いますが、そのベネフィットはほとんど喫煙者だけのもので、コストの方は社会全体が (それも市場を経由せずに) 負担しているという構図があるわけです。こういう状態だと、コストとベネフィットをバランスしようとするインセンティブが働きにくいという問題があるのですが、喫煙者が多数派だと、そういう問題もあまり顕在化しないわけです。

 もちろん、世の中もっと迷惑な習慣や文化がいくらでもあるじゃないか、という反論もわからないではないですが、それは、闘い方としては場外乱闘みたいなもので、ストロングスタイルではないのではないでしょうか。つまり、喫煙に限らず、そのような社会的コストは、なるべく個人の責任で負担する方が本筋であって、他がそうしているから自分もそうしていいんだ、みたいな主張の仕方では、泥仕合になるだけではないでしょうか。

 だから、愛煙家はむしろ、喫煙による社会的な負担をなるべく喫煙者だけで負担するような運動を、自ら推進すべきだと思います。たとえば、煙草税は目的税にして、公共空間の完全分煙の実現などに使うとか、JT なんかも率先して喫煙者向けの食堂や喫茶店を経営するとか、会社に喫煙所や分煙設備を設置するときには、そのコストは喫煙者の給料からさっぴくとか、空港や駅の喫煙所は有料制にするとか、喫茶店の灰皿はレンタル制にするとか、喫煙席は灰皿や空気清浄機のコスト分割高にするとかしたらいかがでしょう。健康保険料にしても、喫煙は、他の病気と違って自分で選択できる習慣ですから、喫煙者の保険料は健康リスクの分高くしてもよいと思うのですが。

 そのように、喫煙者少数派時代に合わせた社会構造の変革を経て、はじめて、愛煙家はマイノリティとしての正当な地位を得るのではないかと思うのですが、どうでしょう。

 ちなみに、ぼく自身は、30 歳ぐらいから煙草を吸い始めて、35 歳ぐらいでやめたという、ちょっと変わった喫煙歴をたどっているので、煙草を吸う人の気持ちも吸わない人の気持ちもある程度わかるつもりです。

 ぼくが煙草を吸う前は、今ほど喫煙者に対する風当たりが強くなかったので、当時はむしろ、煙草を吸う人ってなんか得だなあ、みたいな気持ちがありましたね。昔いたある会社では、開発室の横が全面ガラス張りで、その外がちょっとした広さのテラスになっていて、喫煙者はそこで煙草を吸うわけです。そうすると、コードを書くのに疲れたときにちらっと窓の外を見ると、同僚が煙草をぷかーっとふかしながら雑談してたりして、なんか楽しそうだなあと思うわけです(^^)。ぼくら非喫煙者が息抜きにできるのは、自動販売機にジュースを買いに行くことぐらいで、ジュースではそんなにダベれないし、ちょっと帰りが遅いと上司に文句言われるし、なんか不公平だなあと(^^)。そういう非喫煙者の感情とかも、あんまりわかってない喫煙者の人も多いんじゃないかな(^^)。

 ぼくが煙草をやめたのは、いろんな理由があるけど、なんか煙草を吸いだしてから自分の性格が変化して、短気になったり被害妄想的になったりしたんじゃないか、と自覚したのが一番の理由ですね。まあこれは自分の主観にすぎなくて、科学的に検証したわけでもなんでもないから、それをもって他人に煙草をやめろと主張する気はまったくないですが。(でも、ウルトラセブンの「狙われた街」っていうのは、案外当っているかも、なんて思ったりもしました(^^))

 逆に、これが煙草を吸う最大のメリットだと思ったのは、飲み会とかでたまたま隣に座った人と話が盛り上がらなくても、煙草をぷかーっとふかしてると、なんか格好がつくこと(^^)。だから、煙草をやめた今でも、飲み会に行くときだけ煙草持参で行ったりします。と言っても、ぼくが飲み会に行く回数なんて年に数回というレベルだし、その後からまた吸い出しちゃうなんてこともまったくないですけどね(^^)。

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