大統領令「ジョン・スチュワートは番組を辞めてはいけない」

 降板が決まっているジョン・スチュアートの「ザ・デイリー・ショー」に、オバマ大統領が登場(なんと7回目の出演とのこと)。開口一番こう切り出します。

Obama: You know, I can't believe that you're leaving before me.

オバマ: あなたが私より先に辞めるなんて、信じられないよ。

Obama: In fact, I'm issuing a new executive order that Jon Stewart cannot leave the show. It's being challenged in the courts.

オバマ: 実は、「ジョン・スチュワートは番組を辞めてはいけない」という大統領令を出したんだが、最高裁に反対されててね。

Stewart: Yes, I have to say for me, this is a states' rights issue.

スチュワート: そうですね。それは州の権限の問題といわねばなりませんね。

(「州の権限」っていうのは、大統領令が反対されるときに使われる決まり文句)

 こういうときに、ジョン・スチュワートはよく感動したフリをするんだけど、今回はなんかホントにちょっと泣きそうになってるように見えませんか? 気のせいかなあ。。。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

評論家にはボロクソ言われそうだけど、ちょっと見たい「高慢と偏見」の配役

配役 俳優 年齢
ダーシー 木村拓哉 39
ビングリー 草薙剛 37
ウィカム 稲垣吾郎 38
キャサリン夫人 野際陽子 76
ジョージアナ 石原さとみ 25
キャロライン 沢尻エリカ 26
エリザベス 上野樹里 25
ジェーン 菅野美穂 34
メアリー 志田未来 18
キティ 武井咲 18
リディア 川口春奈 17
ベネット氏 西田敏行 64
ベネット夫人 柴田理恵 53
コリンズ 岩尾望 36
シャーロット 箕輪はるか 32

| | コメント (0) | トラックバック (0)

極私的ガキ使トークベスト

 松本人志大文化祭を記念して。

 今だから言えるが、震災後一時精神のバランスがおかしくなりかけた時期があった。連日のように津波や原発の悲惨な映像を見続け、真偽不明の雑多な情報を収集し続けたせいだ。

 このままではやばい、と感じたときにやったのが、ガキの使いの DVD を借りてきて片っ端から観る事だった。効果はてきめん。松ちゃんの飛躍した笑いの世界は、過剰な現実に溺れかけていた脳をリセットし、精神の平衡感覚を取り戻すのに最適だった。

 そのとき作ったトーク作品データベースを元に、ガキ使トークのベスト 10 を挙げてみる。


番外 ゴリラとおっさん

 これは、ネタ自体は単純で、喋ったのはゴリラかおっさんか、というだけの話なんだけど、客の読みをはずす方向をイジるだけで、あれだけの爆笑をとれるダウンタウンの技術に戦慄させられる。よく剣豪物とかで、弱いと思ったらハンデ付きで戦っていたことがわかって、本気を出したらどれだけ強いか想像して恐怖するみたいな話があるけど、そういう感じ。ちなみに、去年の M-1 でパンクブーブーがやったネタは、おそらくこのトークをヒントにしたんじゃないかと思うんだけど、違ったらゴメン。 

10.懸賞の車のカギ(「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!11」収録)

 ガキ使トーク自体に対するアンチテーゼと言うべきネタ。当たり前のことを喋ってるだけなのに、こんなに笑えるという事実自体がまたおかしい。一回しか使えない手だが。 

9.巨大竜巻の中心は?(「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!11」収録)

 松ちゃんはよく「絵が浮かぶ」ことの重要性を強調するのだが、このネタも、理由はよくわからないけど絵を思い浮かべると何故か笑ってしまうという系統のネタ。こういう奇怪なイメージは松っちゃんの独壇場だろう。 意識より無意識に訴えかけてくるタイプの笑いである。

8.分別ゴミの秘処理(「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!13」収録)

 分別ゴミの処理方法は?という問いに対して、まとめて燃やしてますと言うだけの、はちゃめちゃナンセンス系のネタ。質問のマジメさと回答のハチャメチャさの落差の大きさに笑ってしまう。

7.電化製品は神頼み(収録 DVD 不明)

 電化製品はすべて神頼みで動作しているという、はちゃめちゃナンセンス系のネタ。思いっきり無茶な設定をしておいて、その設定に力技で強引にリアリティを持たせ、落差で笑わせるというのも松ちゃんの得意技だが、「神頼み」というのは無茶の度合いが桁違い((c)スチャダラパー)なのでその分笑いのインパクトも大きい。

6.松本流ドーピング対策(「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!! 9 」収録)

 ドーピング検査にひっかからない方法は?という問いに対して、ゴリ押しで無視すればよいと言うだけの、はちゃめちゃナンセンス系のネタ。このネタが好きなのは、はちゃめちゃなんだけど、世の中意外とこういう風に動いているよな、と感じさせる変なリアリティがあること。ぼくなんかは、このトークを観ていると、憎まれっ子世にはばかるを地で行く某アルファブロガー(内田樹に非ず。内田の論敵の方)が「ノンノンノンノン」と言ってる図を思い浮かべてしまう。

5.松本激怒!?(「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで !! 4 」収録)

 怒りを笑いに変えるという、松ちゃん得意の芸風の代表作。松ちゃんの怒り芸の特徴は、単純な相手を批判するだけではなくて、怒っている自分自身をも笑う一歩引いた視点があること。このトークでも、相手の反応に呆れて「はっはっはっはっは」と笑って見せるあたりとか、「子供がいるかもしれないぞ」あたりの芸が絶妙である。

4.「ドンマイ」を最後に使ったシチュエーション(「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!13」収録)

 これは多分、先にオチを考えてから、逆算して前フリを考えたパターンだと思うが、その場で瞬間的に考えたとは思えないほど構成が見事。松っちゃんは発想ばかりが注目されがちだが、実は構成力も半端じゃないことがよくわかるトーク。

3.宇宙刑事(「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで !! 4 」収録)

 SF・ファンタジー系の話を日常のあるあるネタで落とすのも松ちゃんの得意技の一つだが、このトークのすごいところは、アドリブだけで話を転がしていって、最後の最後にまるで台本があるかのような大オチをひねり出しているところである。このトークの唯一の穴は、途中でナスターシャがフランス人だと言ってしまったところだが、そんな瑕瑾など忘れさせるほどオチが決まっている。

2.道にワカメが…その謎深き理由(「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで !! 5 」収録)

 初期のシュール系のトークではこれが一番完成度が高いと思う。何か正体不明の対象について、思わせぶりにディティールの描写を積み重ねていくというのは、以降松っちゃんがたびたび使う手法となるのだが、その芸はこの時点でほとんど完成していることがわかる。思わせぶりでさんざん引っ張った末に、最後にちゃぶ台返しして落とすタイミングが絶妙。

1.悪魔の靴(収録 DVD 不明)

 これも SF・ファンタジー系の話を日常のあるあるネタで落とすパターンだが、オチの完成度が桁違い。悪魔の靴の先が丸まっている理由は? という問いに対する答なのだが、「悪魔はものすごく悪いから」という理由付けにちゃんと筋が通っている上に、その理由付けと悪魔の悪行のセコさから来るおかしさが自然に結びついている。こんなネタをアドリブで生み出すのは、天才だけが成し得る奇跡の技としか言いようがない。

次点:「ボケとツッコミ」、「絶対笑わない男 松本」、「浜田がしたいいこと」、「「山はいいなあ~」登山グッズ購入法」など


 自分が昔好きだった作品を後で鑑賞し直すと、記憶が美化されていることに気づいてがっかりすることも多いのだが、ガキ使のトークに関してはそれはほとんどなかった。

 リアルタイムで観ていたときには、若い頃のダウンタウンは切れ切れだったのに、歳をとるにつれ次第に切れ味が落ちていったようなイメージがあったのだが、見直してみたら、必ずしもそうではなかった。

 むしろ若い頃のダウンタウンは、才能は突出しているものの芸には荒削りなところが残っていて、歳をとるにつれて芸の完成度が増していることがわかる。実際のトーク芸のピークは 40 歳前後だったのではないか。

 おそらく、リアルタイムで切れ味が落ちたように感じたのは、観客の側が松ちゃんの発想法に慣れて来て、贅沢な期待をするようになったせいだったのだろう。

 MHK に関しても、小田嶋氏をはじめ評価が辛い人が多いみたいだけど、ぼくはそう簡単に判断できないと思っている。松ちゃんの作品は、初見ではつまらなくても、後からじわじわ面白くなったり、何年もたってから見直したらやっぱり面白かったりすることが多いからだ。

(まあ、ぼくは最近むしろ、小田嶋氏の鑑識眼に眉唾をつけはじめているので、あまり影響はされないが。こないだのとってつけたような TPP 批判とかもひどかったし、いまだに内田樹のインチキさが見抜けないのも問題。王様は裸だといいたいなら、まず内田に言ったらどうなんだ。)

 ファインアートに対してはそういう態度をとる人でも、お笑いに対しては一回見てつまらないものはつまらないと簡単に判断してしまうのは、単にお笑いに対する偏見だろうと思う。

 ぼくはたとえば、現代音楽について、自分で理解できないというだけの理由で頭でっかちの自己満足だとか言って貶す人を信用しないし、逆に、アカデミックに評価されているというだけの理由で評価する人も信用しない。このへんの態度は、批評という営みの根幹に関わることだと思っている。

 まあこのへんの話については、簡単には書きつくせないので、またの機会に。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「ハチワンダイバー」感想

 話題の将棋マンガ「ハチワンダイバー」のドラマ版を鑑賞。はっきり言って、設定はムチャクチャだしストーリーもくだらない。だけど、映像なんかは比較的マジメに作ってあって、くだらないものでも、いや、くだらないものだからこそ精魂込めて作るという作り手の姿勢が伝わってきて、なかなか気持ちよく観れた。少なくとも、エメリッヒの「2012」なんていう客をナメた作品を観るよりは、ずっと快い時間を過せたと思う。

 この作品最大の成功要因は、なんといっても「アキバの受け師」中静そよの人物造型に尽きるのではないだろうか。この女性は主人公の指導者兼恋人みたいな役なのだが、仕事の場ではあくまで知的かつクールに男性を導き、プライベートな場では優しく男性を甘えさせてくれる。これは現代の男性にとってある種理想の女性像なのではないだろうか。まあ、メイド萌えやツンデレを露骨に取り入れたと言ってしまえばそれまでだが。

 でも、これが一昔前のジェンダーのわかりやすい時代だったら、指導者役は男性で恋人役は女性だったろうし、仮に指導者役が女性だったとしても、恋人役とは別人だったろう。その二つの役割が同一人格に共存しているところにこの作品の現代性が表れていると思う。もっとも、こんなややこしい役割を期待される現代の女性もなかなか大変だと思うが。

ハチワンダイバー パーフェクトエディション DVD-BOX  こういうマンガ的なドラマの演出というのは、たぶん「のだめ」あたりから流行りだした手法だと思うが、オーバーアクションで誤魔化せる分、俳優の演技力を必要としないという利点もありそうだ。まあ、この作品はこれでいいと思うが、こういう手法も諸刃の剣で、あまりこれに頼ると、俳優の演技力はますます低下して、演技力で見せるようなドラマの衰退を加速しそうな気もしないでもない。

 お笑いなんかもそうだが、こういうある種「逃げ」の手法がいろんな分野で発達したおかげで、観ていられないような大駄作は減ったと思うが、その分、演技力のような裸の実力で真っ向勝負するような作品も減っているような気がする。それがなんとなく物足りなく感じ始めたのも事実。

| | トラックバック (0)

情報ゲームの錬金術に溺れるマスコミ

 最近はそうでもないが、一時期、マネーゲーム批判は大流行だった。ホリエモンこと堀江貴史や村上ファンドの村上世彰に対するバッシングから始まり、リーマンショックに始まる世界的金融危機がトドメを刺した。

 当時、マスコミの多くは口をきわめて彼らを罵った。やれ「マネーゲーム」だ、やれ「錬金術」だ。彼らのやっていることは「虚業」であって、社会になんら利益をもたらすものではなく、むしろ害悪ですらある、という論調がマスコミの大勢を占めていたように見えた。

 そういう批判がどの程度妥当だったかはひとまずおこう。ここで一言いいたいのは、マスコミってそんな偉そうなことを言える立場なんですか、ということ。最近のマスコミのやっていることだって、「情報ゲーム」による「錬金術」にすぎないんじゃないですか?

 ぼくは、マネーゲームのような「虚業」的な投資と、社会の役に立つ「まっとうな」投資を分けるものは、いわゆる「フェア・バリュー」、つまり投資対象の適正な価値を想定しているか否かだと思っている。

 投資家がみな適正な価値を意識して投資していれば、人によって多少の誤差はあっても、その平均によって決まる市場価格も適正価格に収束する。市場価格が適正価格であれば、より生産性の高い企業が資金を調達しやすくなり、より正確に企業を評価する能力を持った投資家に資本が集まるという、資本主義にとって健全な循環が実現する。

 マネーゲームが批判されるのは、適性価格かどうかを無視して、無理矢理価格差を作り出して儲けようとするからだ。投資というのは、短期的には価格差さえあれば儲かるように見える。安いものを高く売り、高いものを安く売ることが儲けの源だ。

 しかし、このような投資からは何も生み出されない。単にプレーヤー同士が金を奪い合うだけのゼロサムゲームであり、ギャンブルと同じだ。だからこそゲームであり錬金術なのだ。

 今のマスコミのやっていることは、これと同じではないだろうか。何が事実であるか、何が適正な評価であるか、彼らに興味はない。興味があるのは、無理矢理評価に落差を作りだして、情報を生産することだけだ。高く評価されている者がいればバッシングし、低く評価されている者がいれば持ち上げる。その一回一回の落差が新たな情報を生み出し、利益を生み出す。まさに情報ゲームによる錬金術だ。

 しかし、このような情報は、長い目で見れば何も生み出さない虚の情報にすぎない。最初から冷静な評価をしている者から見れば情報量ゼロ。そんなマスコミに、偉そうにマネーゲームを批判する資格があるのだろうか。

 このようなマネーゲームや情報ゲームのタチの悪いところは、積極的に興味のない人でも参加しないと損するような気がしてしまうところにある。適正価格より低いと思っていても、その株を持ち続けていれば評価損になるし、不当にバッシングされていると思っていても、その人を擁護すれば自分も批判されるだろう。そういう感情が、結果的にマネーゲームや情報ゲームの存続に加担しているのだ。

 結局、マスコミの情報ゲームに巻き込まれないためには、その情報に興味を持たないことが一番だ。参加すれば錬金術のおこぼれにありつけるなとという、甘い期待をしないことだ。多くの人がそう思うようになれば、少しはマスコミも反省することだろう。

 ぼくは、いつかそういう日が来ることを期待しつつ、自分の RSS リーダーからくだらない情報のフィードを大量に削除しまくったのだった。

| | トラックバック (0)

ターミネーター4・メモ

 一言でいうと、歌物ポップスのヒット曲をエレクトロニカ調でカバーしたみたいな感じかな。

 そもそもこのシリーズの1作目は、映像自体は低予算のチープな映像であり、設定とストーリーだけで伝説の B 級映画として評価されるようになった作品。その後も続編も、予算の増額に応じて映像や SFX は高品位になったが、基本的にはストーリー重視の娯楽作品だった。しかしこの4作目は、これまでとは対照的に、ストーリー展開よりも、映像美やディティールで魅せる感じの映画になっている。

 もちろん、ぼくはそういう方向性自体は否定しないし、映像の完成度はそれなりに高いと思うが、いかんせん未来世界の設定がそれほど斬新とは言えず、ポスト・アポカリプス物にありがちな設定の域を出ていないので、最新 SFX 技術の鑑賞を楽しむだけのような作品になっている。

 サム・ワーシントン演じるマーカスは、存在感のあるキャラクターだったと思うが、死刑囚という設定だけで過去のエピソードがほとんど明かされないので、今ひとつ感情移入しにくかった。

 まあ、ヒット作の続編というゲテモノになりやすい企画を、そこそこ上品に仕上げたという意味では評価できるが、是非とも見た方がいいと言いたくなるような映画ではなかったかな。なんとなく、ストーリーはあまり面白くなく、カメラワークだけやたらに凝っていたデビット・フィンチャーの「エイリアン3」をちょっと連想した。

追記:

 その後何回か観直してみたが、見れば見るほど評価の下がる映画だった。最近のエンターテイメント作品には、最初からオタク的な読みに迎合するという悪い癖があって、この作品もそう。わざと説明的な台詞を少なめにして、代わりに思わせぶりな映像を散りばめて、鑑賞者の深読みを誘うような作りになっている。もちろん、作品世界の背後に思わせぶりにふさわしい世界観があればよいのだが、この作品の場合、どうも考えれば考えるほど辻褄の合わないところばかりが目に付く。結局、意味ありげな雰囲気で内容のなさを誤魔化しているようにしか思えなかった。まあ、マトリックスもマッドマックスもブレードランナーもトータルリコールも何も観てない人なら、雰囲気だけでも「おおっ」と思うかもしれないが。

| | トラックバック (0)

「鳥人」と世界観の笑い(草稿)

  • 概要: 最近の日本のお笑いは、技術偏重の一過性の笑いばかりを追求しており、繰り返し賞味できるような作品性に欠けている。そのことを、M-1 2009 で笑い飯が演じた「鳥人」のネタとパンクブーブーのネタを比較することによって示す。
  • 笑い飯の「鳥人」
    • イメージに整合性・喚起力がある
      • 頭が鳥で身体が人間
      • 身体が人間なので空は飛べない
      • 身体が人間なので手がある
    • 単に笑えるだけでなく、聴いた後に「鳥人」のイメージが残る
    • 何度観ても笑える。一過性でない作品性がある
  • パンクブーブーの「音に敏感な隣人」
    • イメージに整合性や喚起力が無い
      • 隣室の音には敏感なのに会話の音はよく聞こえない
      • 隣室の奴を嫌っているのに「お前はこんなところで燻っている男じゃない」とか言う
      • 職業は錬金術師なのだが、他の部分とはまったく関連性がない
        • たとえば、錬金術のおかげで遠くの音はよく聞こえるが、逆に近くの音は聞こえにくくなった、みたいな説明があれば設定が生きてくるかもしれないのに
    • 単に分裂症的な頭のおかしい人間、という以上のイメージが浮かばない
    • 客の予想を瞬間的に裏切ることだけを考えて技巧的に作られたネタ
    • 一過性で観ている間は笑えるがすぐに忘れ去られる
  • お笑いの歴史を振り返る
    • かつては風刺やあるあるネタの方が一般的だった
      • 笑う対象が現実に密着している。
      • そのおかげでしっかりした造形がしやすい
      • その一方で、陳腐になりがち
    • それに対抗してシュールやナンセンスが出てきた
      • 笑う対象が抽象的だったり非現実の存在だったりする
      • そのおかげで造形が人工的になる
      • その一方で、意外性がある
  • この両者を統合する地点に生まれたのが松本人志の笑い
    • 一見ナンセンスではあるが、その背後に独特の世界観がある
    • シュールレアリズム絵画と同じ
      • 異化効果:手術台の上のミシンと蝙蝠傘
      • ランダムに素材が選ばれているわけではない
      • 無意識を刺激するような素材の組み合わせが選ばれている
    • 「ごっつ」のコントは今見ても何度見ても笑えるものが多数
  • お笑いは娯楽か芸術か
    • 一過性の娯楽としての笑いを否定するわけではない
    • 技術の重要性を否定するわけではない
    • しかし、もっと作品性を追求しなければ、お笑いマーケットは今の規模を維持出来ないだろう。
  • パクリ批判を退ける
    • イメージ的な前例は多数ある
      • 楳図かずおの「14歳」
      • ウルトラセブンのガッツ星人
    • しかし、細部の肉付けが違うし、そこに価値がある
    • 教条的な安易なパクリ批判を否定する
  • パンクブーブーに対する謝罪
    • M1 優勝者に対する敬意を失ってはならない
    • 洗練された技術を持つことも立派なこと
    • 現在のお笑いの問題点を一般論として指摘

※ 22 日の爆笑問題とさまーずのコラボ番組の中で、太田が自分はネタをかなり技巧的に作っているという発言をしていて、さもありなんと思った。ぼくも「今日のコラム」とか「今日のあとがき」とかはかなり人工的に作られたネタだと感じていたからだ。一方、太田はフリートークでは暴走・暴言を連発するという一面もあり、この両面性が彼の魅力だ。太田光についてもいずれ正面から論じてみたい。

| | トラックバック (0)

M1 2009 メモ

 8 回連続決勝進出の笑い飯は、ついに無冠のまま出場資格を失うことになった。審査員、特に島田紳助なんかは、本音では笑い飯に勝たせたかったのではないかと思う。そして「この瞬間をずっと待っていた」みたいな感動の台詞を言いたくてたまらなかったのではないかと思う。

 でも、だからこそ、あの程度のネタで優勝させるわけにはいかなかったということだろう。そういう意味で、審査員は見識を示した。笑い飯はファーストラウンドのネタが神がかりてきな出来だっただけに、なおさら残念な印象が際立つことになった。まあ、それも人生だと言うしかない。

 優勝したパンクブーブーは技術的に非常に完成度が高く、サンドイッチマンに似たタイプだと感じた。一方、決勝に残った笑い飯と NON STYLE はどちらも少し才気走った理屈っぽいタイプで、最近はこういうふうに技巧派が才能派を力でねじ伏せるという展開が多い。

 パンクブーブーにしろサンドイッチマンにしろ、面白いとは思うが、失礼ながらお笑いの歴史を変えるようなタイプとは思えない。そういう意味での可能性は、むしろ笑い飯や NON STYLE やまたしてもしずちゃんがガチガチだった南海キャンディーズの方に感じる。

 しかし、あれだけ真剣にやっている若者たちの前で、「ネタの出来は君たちの方がよかったけど、可能性はこいつらの方があるからこいつらを優勝にする」なんてことは誰にも言えないだろう。そういう意味で、あの決勝の出来を見れば、ぼくが審査員だったとしたってパンクブーブーに一票を入れるだろう。

 これは M-1 だけではなく、お笑い界全体の傾向でもある。技術的な平均レベルは極めて高くなっているが、かつてのダウンタウンのような時代を変えるような突出した才能が出てこない。そのため、これだけお笑い全盛にも関わらず、お笑い界にはある種の閉塞感さえ漂っている。

 ひょっとしたら、この状況を打破するためには、お笑いがいったん飽きられる必要があるのかもしれない。恵まれた時代ではなく冬の時代からしか時代を変える才能は現れないのかもしれない。もちろん、こんな予測はやっている当事者にとっては不愉快な予測だろうし、ぼく自身も当たることを望んでいるわけではまったくないのだが。

追記: よくわからんが、計算方法が年単位から月単位に変更されたとかで、笑い飯は来年も M1 に出場できるらしい。

| | トラックバック (1)

もっと再放送を!by出羽の守

 何かというと「欧米では」「アメリカでは」と外国を引き合いに出して日本をこき下ろす人のことを「出羽の守」と呼ぶそうだが、そういう人はぼくもあまり好きではない。もちろん、外国に本当に優れたところがあれば、それに学ぶことが悪いはずはないのだが、実際にはそうでもないことも多いからだ。昔はそういう文化人がたくさんいて、こっちも若くて純情可憐だから感心して聞いていたものだが、今思えばウソや誇張が少なからず混ざっていたと思う。

 たぶん、当時はインターネットがないのはもちろん、海外で暮らした人もそれほど多くなかったので、ウソや誇張があってもなかなかバレなかったのだ。そのため、出羽の守的な語り口が文化人の権威を高める道具として便利に使われていたのだろう。

 …とわざわざこんな前フリをしたのは、今回だけはあえて出羽の守をやりたいからである。ネタはテレビである。

 テレビ界が不況だと言われて久しい。それが世界同時不況のせいなのか、それとも、時代の必然なのか、いろんな意見があるとは思うが、それはひとまず保留する。ぼくが疑問なのは、あれだけ予算がない予算がないと言っているわりには、なぜもっと再放送を増やさないのか、ということである。

 欧米のテレビ局では、同じ週に同じ番組を何回も繰り返して放送することも珍しくない。というか、むしろそれが普通である。今はもう日本にいながらにして視聴できる海外局がたくさんあるので、知っている人も多いはずだ。

 たとえば、アメリカ発の CNNj の場合、「ファリード・ザガリアGPS 」や「ステート・オブ・ザ・ユニオン」のような週 1 回の番組なら、再放送を含めて週に 2 回ずつ放送する。「リビールド」のような月 1 回の番組は、再放送を含めて月に 7 回放送する。「アンダーソン・クーパー360°」や「ラリー・キング・ライブ」のようなライブの帯番組は、さすがに毎日 1 回ずつしか放送しないが、どっちにしろ帯だから毎日観れる。

 イギリス発の BBC ワールドはもっと極端だ。「ハード・トーク」 という討論番組は、ほぼ毎日放送のある帯番組に近いが、同じ内容を 1 日 3 回ずつ放送する。「アワ・ワールド 世界は今」 という週 1 回の番組は、再放送を含めて週に 7 回ずつ放送する。「ワールド・ディベート」 という月 1 回の番組は、再放送を含めて月に 5 回放送する。

 ディスカバリー・チャンネルナショナル・ジオグラフィック・チャンネルのような、ドキュメンタリー系のテレビ局になると、相対的にスペシャル番組が多く、1 回製作した番組を 1 年にわたって何回も繰り返し放送することが多い。もちろん、「怪しい伝説」のようなレギュラー番組もあるが、こちらもだいたい週 2 回ぐらいのペースで放送しているようだ。

 ひるがえって日本のテレビ局を見ると、週に 1 回しか放送しない番組が極めて多い。いや、ほとんどの番組がそうであると言ってもいいくらいだ。そして、これは番組の人気ともあまり関係がない。

 たとえば、「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!」という番組は、 ぼくにとって絶対に見なくてはならない番組だと言っても過言ではないが、いかんせん週に 1 回しか放送がない。ということは、この時間帯には他の番組は(チューナーをもう一台買うとかしない限り)絶対に観れないということなのである。

 ところが困ったことに、最近になって町山智浩氏が 「松嶋×町山 未公開映画を観るTV」 という番組を始めた。町山氏のアメリカ関係のレポートは以前から高く評価しているので、この番組も面白いに違いないと確信しているのだが、なんと放送時間がちょうど「ガキの使い」の裏なのである。しかも、この番組にも再放送がない。ということは、ぼくはこんな面白そうな番組を永遠に観れないということなのである! こんな不条理があろうか。

 そういうのは個人的な事情だからひとまずおいて、日本と海外の番組編成になぜこのような明白な差があるかを考えてみると、おそらく、視聴者側の視聴習慣の違いなのである。思い切って単純化して言えば、日本の番組編成は、毎日決まった時間にテレビの前に座って、その時間に放送している番組のうちから観る番組を選択するような視聴者に適しているのに対して、海外の番組編成は、先に観る番組を決めて、その番組の放送時間に合わせてテレビの前に座ったり録画したりするような視聴者に適しているのである。

 ぼく自身も数年前から、テレビはほとんど録画でしか観なくなった。そうすると明らかに海外テレビ局の番組編成の方が便利であることが実感されるのだ。おそらく、そういう視聴者はぼく以外にも増えているはずで、それが日本のテレビ視聴率の長期低落傾向の一因にもなっているのではないだろうか。これをちゃんと立証するのはなかなか大変なので、あくまで想像だが。

 そういう前提に立てば、同じ番組の再放送を増やすということは、おそらくテレビ局自体の利益にもつながるはずなのだ。たとえば、「ガキの使い」の再放送を 1 回増やしたとする。その結果、今の放送時間の視聴率は少し減るかもしれないが、人気番組の放送枠がほとんどコストゼロでもう一つ増えることになるわけだ。両放送時間の合計視聴者数で考えても、まさか差し引きゼロということはないはずで、全体として少しは増えるだろう。もちろん、それより視聴者数の多い番組をもう一つ別に制作できればもっと視聴者を獲得できるわけだが、今のご時世にそれがそう簡単ではないことは明らか。さらに、制作費当たりの視聴数や利益率を考えれば、再放送の有利さがさらに増すのは言うまでもない。

 こう考えると、なぜ日本のテレビ局がもっと再放送を増やさないのか、不思議に思えてくるぐらいである。これは完全に下種の勘ぐりになってしまうが、その裏には、芸能界の構造問題みたいなものがあるのかもしれない。仮にテレビ局の利益だけ考えれば、再放送を増やした方が得だとしても、出演する芸能人の立場から考えれば、それによって仕事の場が減る可能性が高い。だから、あたかも年末の道路工事のように、無駄とわかっていてもやらざるをえない事なのかもしれない。

 あるいは、ひょっとすると、テレビ局の方々はぼくなんかよりもっと志が高くて、いつの日かまた視聴者がテレビの前に戻ってきて、ゴールデンタイムには必ずテレビの前で一家団欒をすごすという日が来ることを信じて、日夜邁進しているのかもしれない。プロのみなさんがそう考えているのだとすれば、ぼくなんかが何を言っても無駄だろうが、少なくともぼくには、そんな日が来ることはとうてい考えられないのだが。

| | トラックバック (0)

Caitlin Upton さんの伝説の名回答を訳してみた

 Caitlin Upton さんというのは、2007 年のアメリカ・ミス・ティーン・コンテストで 3 位の次点になった人。この人のコンテストでのユニークな受け答えは、YouTube で世界的な話題となったらしい。ぼくも遅ればせながら視聴してみたのだが、この人の回答は、翻訳の課題としても絶好の材料を提供していると思う。そこでぼくも翻訳にチャレンジしてみた。

"Recent polls have shown a fifth of Americans can't locate the U.S. on a world map. Why do you think this is?"

I personally believe that U.S. Americans are unable to do so because, uh, some, people out there in our nation don't have maps and, uh, I believe that our, uh, education like such as, uh, South Africa and, uh, the Iraq, everywhere like such as, and, I believe that they should, our education over here in the U.S. should help the U.S., uh, or, uh, should help South Africa and should help the Iraq and the Asian countries, so we will be able to build up our future, for our [children].

(摂訳)最近の世論調査によると、アメリカ人の5分の1は、世界地図の上でアメリカの位置を特定することができないそうです。これはなぜだと思いますか?

えー、合衆国アメリカ人にそれができないのは、えーと、わが国のそのへんの人たちが地図を持ってないからじゃないかと、個人的にはそう思うんですが。えーと、南アフリカとか、えーと、例のイラクとか、そこらへん的な感じの、わたしたちの教育的な感じじゃないかと。だから彼らは、アメリカのこのへんのわたしたちの教育がアメリカを助けて、それでえーと、南アフリカを助けて、例のイラクやアジア諸国を助けるべきじゃないでしょうか。そうすれば、(子供たちの)ためになるような未来を築くことができるでしょう。

 筒井康隆的な手法を援用してみたんですが、いかがでしょう。地図うんぬんだけじゃなくて、Americans で十分なのにさらに U.S. がついていたり、like と such as を併用したり、固有名詞の Iraq にあえて the をつけたりしてるところがポイントのようなので、それを強調して訳してみました。

 おっと、こんなことしてる場合じゃないんだよな(^^)。仕事仕事。

| | トラックバック (0)

より以前の記事一覧