「ハルモニオデオン」プロトタイプ公開

 遊佐未森さんの「ハルモニオデオン」というアルバムに収録された曲で、初期の遊佐作品のキーパーソンとして有名な外間隆史さんが作曲したもの。

 元は Sinsy 用にと思って作ったトラックで、この後、ボーカルを Sinsy に差し替えて、エフェクトかけてミックスダウンして、動画をつけて…と思っていたんですが、この試作の段階でも意外と聴けるものになっているので、だんだんそのモチベーションが低下しつつあります。完成はいつになることやら。。。

 この動画のバージョンは、MuseScore に打ち込んだものを、そのまま wav ファイルに変換しただけ。ただし、音色だけはデフォルトのサウンドフォントとは違うものを使ってますが。それ以外は特別に工夫したわけでもなく。

 後ろでシューシュー言ってるのは、「カリオペ」と呼ばれる蒸気オルガンの音に、「ハーモニウム」と呼ばれるリードオルガンの音を混ぜて作った音。音圧があってなおかつ独特の味わいがあり、これでほとんど曲全体の印象が決まっていますね。

 アレンジは、「ハルモニオデオン」のアルバムに収録されたバージョンよりも、「Silent Bells」というシングルに収録された「機械と言葉」というバージョンに近いです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「XXL」フック部分アナリーゼ

 菊地成孔さんや大谷能生さんがやってる「Jazz Dommunisters」っていうジャズ・ヒップホップのユニットがあって、昨年「BIRTH OF DOMMUNIST(ドミュニストの誕生)」っていうアルバムを出したんですね。気に入ったので愛聴してるんですが。

 その中の「XXL」という曲のフックの部分が、すごく坂本龍一っぽいなあと思って、ちょっとアナリーゼしてみました。そしたら、やっぱり坂本龍一っぽかったです。

 まず、このフックの部分はキーが B♭で、メロディが B♭、C、D、F、G だけでできてますね。これはキー C に直せばドレミソラのペンタトニックになりますね。

 そして sus4 や add9 の多用、特に最後のほうの sus4 の平行移動ですね。これが坂本龍一っぽさをかもし出しているようです。

 この sus4 add9 の平行移動っていうのは、三度に解決するための一時的な四度ではなくて、サティなんかがはじめた四度堆積和音の考え方ですね。前にもこのブログでちらっと説明しましたが。

 菊地さんの他の曲では、あまりこういうコード進行を耳にした覚えがないんですが。菊地さんのことだから、たぶん意図的にやってるんでしょうね。

 せっかく分析したので、とり急ぎお裾分けということで。

 ちなみに、このメロディはペンタトニックしか使ってないので、その気になれば、もっと別のコードもつけられます。そこで、試しにわざとつまらない平凡なコードをつけてみたのがこちら。

 聞き比べれば、コード進行の重要性が一般の方にもわかっていただけるのではないかと。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

伝統音楽は「現代音楽」を目指す

 伝統音楽の進むべき方向、将来のあるべき姿とは、どのようなものだろうか? 筆者は自分なりに長年折に触れて考え続けてきたのだが、最近ようやく一つの道筋が見えてきたので、それを世に問うてみたい。その趣旨自体は、他の伝統芸能や文化一般にも応用できるはずだが、話が散漫になるのを防ぐため、本稿では基本的に、筆者が比較的詳しい音楽分野に話を限定する。

 筆者は音楽の専門家でもなんでもなくて、アマチュア音楽愛好家にすぎないので、先行研究の体系的な調査などはしていない。だから、この記事に書いたようなことは、とっくに誰かが言ってることかもしれない。いや、きっと誰かが言ってるだろう。ただ、ネット上の音楽関係の記事をざっと眺めた範囲では、このような主張が一般に共有されているとは言いがたいように思う。だから、私のような素人が素人にわかるような文章で書いておく意味もあるんじゃないかと思う。

 以前に書いた「十二音技法は調性からの解放ではない」 は、この過疎ブログとしては驚くほど多くの方に読んでいただけたようで、筆者自身がびっくりしてるぐらいだが、これなんかも、たぶん同じようなことを考えてる専門家はたくさんいたと思う。ただ、それをわざわざ一般向けに書いた人はあまりいなかったのだろう。この記事でも同じような線を狙ってみたい。

・伝統は「保存」するだけでは守れない

 そもそも伝統を守るとはどういうことだろうか? 伝統音楽も一種の伝統であるから、まず伝統を守るという行為一般について、筆者の考えを述べておく。

 浅はかな保守主義者にありがちなのは、伝統はとにかく問答無用で守るべきという態度だ。伝統は伝統であるがゆえに正しい。伝統を疑ってはいけない。とにかく先人のやり方を完全に踏襲すればよい、というような態度。

 これがなぜダメかは、そもそもなぜ伝統に価値があるのかを思い出してみればわかる。伝統に価値があるのは、歴史の中で時間による淘汰を経ているからではなかったか? その「淘汰」を行ってきたのは誰か。他ならぬ各時代を生きる人々ではなかったか? 各時代の人々は、生活の中で絶えず「伝統」の再評価を続けてきた。それでも生き残っているからこそ、伝統には価値があるのではなかったか。

 つまり、逆説的であるが、多くの人が伝統の再評価を止め、問答無用で従うようになった瞬間から、伝統は価値を失い滅びの道を歩むのである。伝統を守るとは、同時代の人間が絶えず伝統の再評価を続けることなのだ。底の浅い保守主義者の多くは、この点を勘違いしているように思われる。

 たとえば、古代の美術品のような「モノ」だけなら、博物館のケースの中に陳列しておけば、「保存」することはできるだろう。しかし、伝統音楽のような古典芸能には、プレーヤーが必要である。

 言うまでもないことだが、プレーヤーは単なるコピーロボットでは意味がない。作品の価値を理解し、強く弾くべきところや早く弾くべきところを自分で判断できなければならない。そして、その判断を行っているのは、現代人の感性であり、頭脳であり、身体なのである。

 つまり、現代人が古典作品を再演するということは、必然的に現代人による作品の再評価・再解釈を伴うのである。再評価のない単なるコピーロボットによる演奏は、博物館のケースに「保存」された遺物と同じだ。それは最早生きた文化ではない。

・西洋音楽との「融合」に未来はあるか

 しかし当たり前の話だが、理屈はそうだとしても、具体的にどうすればいいかが難しいのだ。伝統音楽を現代的に再評価するとは、いったいどうすればいいのか。

 伝統音楽を「現代化」しようとする試みは、これまでも腐るほど行われてきた。ありがちなパターンは、西洋音楽を部分的に取り入れる方法である。伝統音楽の曲を西洋音楽の楽器で演奏するとか、逆に、伝統音楽の楽器で西洋音楽の曲を演奏するとか。

Boheme 80 年代後半~90 年代前半にはワールド・ミュージックのブームというのがあり、ワールド・フュージョンとかエスニック・フュージョンとか呼ばれる、伝統音楽と西洋音楽をより高次元で融合させるさまざまな試みが行われた。

Mcmxc a.D. その中には優れた作品も多い。筆者自身も、Deep Forest Enigma なんかは愛聴したし、教授(坂本龍一)や細野さん(細野晴臣)のエスニック調の作品にも好きなものは多い。最近でも、久保田麻琴さんのやってる Blue Asia などは、アジアの伝統音楽を現代的な洗練されたアレンジで提供するという試みを続けている。

 このような試みの意義は、もちろん、決して過小評価すべきではない。しかし、これが伝統音楽の進むべき方向を示しているかというと、ちょっと違うような気がするのだ。単なる物珍しさを狙ったノベルティ作品は論外としても、より洗練された高度な融合音楽も、やはり、伝統音楽を西洋音楽に合わせて捻じ曲げることによって成り立っており、伝統音楽本来の潜在的な可能性を素直に伸ばしたものではないと思うのだ。

 もっと具体的に言うと、このような融合音楽の多くは基本的に、西洋の調性音楽の枠組みに伝統音楽の要素を組み込むことによって成り立っている。つまり、現代人の耳に慣れた調性音楽というオブラートで、伝統音楽の耳慣れなさを誤魔化しているのだ。生野菜にドレッシングやチーズをかけて食べさせているようなもので、野菜本来の味を全面的に生かしているとは言いがたい。

 これが伝統音楽の未来だとするなら、スタイルとしての伝統音楽自体はやはり衰退の道をたどり、西洋音楽のテクニックとしてのみ生き残ることになるのかもしれない。それが運命なのだろうか。

・現代音楽作曲家による伝統音楽の試み

 このように考えて、伝統音楽の未来について半ば悲観的になっていた筆者の蒙を啓いてくれたのは、やはり優れたアーティストによる具体的な作品であった。

 実は、伝統音楽の再評価という試みは、上記のようなポップスだけでなく、現代音楽の分野でも行われてきた。「現代音楽」と言っても、もちろん文字通りの現代の音楽という意味ではなく、クラッシックで言うところのいわゆる「ゲンダイオンガク」のことだ。

武満徹:秋庭歌一具  たとえば、武満徹という、日本を代表する現代音楽の作曲家がいるが、この人の作曲した「秋庭歌一具」という新作雅楽がある。 この曲は一瞬聴いた感じでは、伝統的な雅楽とあまり変わらないのだが、よくよく聴くと現代的な響きが取り入れられていることがわかる。

Tango:Zero Hour  あるいは、アストル・ピアソラという人がいる。 この人は現代音楽やジャズの素養をベースにして、モダン・タンゴを創始した人である。この人の作品も、私のような人間が一瞬聴いただけでは伝統的なタンゴと同じように聞こえるのだが、よく聴くとモダンな響きがあって、伝統的なタンゴとは異なることがわかる。

 あるいは、ルー・ハリソンアメリカン・ガムランなども、このような試みの一つに挙げてもいいかもしれない。

 先に挙げたポップス分野のワールド・ミュージックと、このような現代音楽作曲家による伝統音楽作品との、本質的な違いはなんだろうか。

・現代音楽の最先端は伝統音楽に近づいている

 その違いは、大雑把に言えば、「調性」をベースにしているかどうかにあると思う。ポップス分野のワールド・ミュージックの多くは、先に述べたように、調性自体を捨て去るところまでは行っていない。それに対して、現代音楽作曲家の伝統音楽作品は、調性自体を捨て去ることも厭わない。

 現代人の多くは、調性音楽に耳を慣らされているので、調性を音楽のグローバル・スタンダードのように感じがちだ。しかし、調性はもともと西洋ローカルな様式であって、坂本龍一の言を借りれば、「ヨーロッパの民族音楽」のスタイルに過ぎない。

 一般にはあまり知られていないかもしれないが、実は、調性音楽の相対化を最も積極的に行ってきたのは、他ならぬ 20 世紀以降の西洋音楽(=ゲンダイオンガク)の作曲家たちなのだ。その過程で現れた方法論こそが、新しい旋法音律の導入なのであり、これは西洋音楽を世界各地の民族音楽により近づけることになった。

 ここで誤解しないで欲しいのだが、彼らのやったことは、よくある単なる文化相対主義にとどまらなかった。つまり、西洋の調性も民族音楽の旋法も、どっちも一つの価値観だよね、という場所にとどまらなかった。彼らはそれを超えて、調性と旋法を統一的に扱う理論や、まったく新しい旋法を生み出すための理論の創出が試みた。音律についてもそうである。西洋の純正律平均律と民族音楽のペロッグスレンドロを統一的に扱う理論や、まったく新しい音律を生み出すための理論の創出を試みた。それがたとえば、移調の限られた旋法であったり、ピッチクラス・セット理論であったり、微分音音階の理論だったりするわけだ。

 このように、西洋音楽と伝統音楽を統一的に扱えるより包括的な音楽理論をベースにしているため、先に挙げたような現代音楽作曲家による伝統音楽作品は、伝統音楽を調性音楽に合わせて捻じ曲げることなく、より現代的な豊かな響きを実現することに成功していると思われる。

・伝統音楽は「現代音楽」を目指せ

 ここまでくれば結論はおのずと見えてくる。伝統音楽を現代化するにはどうすればよいかについて、筆者自身はもちろん、たぶん多くの人も勘違いをしていたのだ。多くの人が、伝統音楽を現代化するには、西洋ローカルである調性音楽に擦り寄るしかないと思い込んでいた。しかしそんなことはなかったのだ。

 それは「西洋=新しい」「日本=古い」という後進国独特のコンプレックスの産物でしかなかった。このコンプレックスが、伝統を守るか西洋に擦り寄るかという、偽りの二項対立の中に私たちを閉じ込めてしまったのだ。

 考えても見て欲しい。たとえば江戸時代三百年の間、歌舞伎や長唄のアーティストたちは、単に伝統を守ることだけを考えていたんだろうか? そんなはずはない! 彼らは彼らなりに絶えず新しい可能性を求め、伝統の再評価を繰り返してきたはずだ。

 単に伝統を「保存」するのでもなく、西洋ローカルの調性音楽に擦り寄るのでもなく、伝統を再評価した上で新たな伝統音楽を生み出すことは可能である。それは先に挙げたような作品が証明している。あくまで比喩であるが、あえて図式化すれば次のようになる。

伝統音楽の未来.jpg

 そういうわけで、この記事のタイトルの「伝統音楽は『現代音楽』を目指す」には、伝統音楽に「ゲンダイオンガク」の成果を取り入れるべき、という意味と、伝統音楽を絶えず再評価して「現代の音楽」であり続けることを目指すべき、という意味と、二つの意味が込められている。

  

 ちなみに、上の動画は教授(坂本龍一)が主催している Commmons Schola という音楽全集の中の、アフリカの伝統音楽を紹介した「Traditional Music in Africa」 という巻の補講動画であるが、この動画の 13:40 あたりで分藤大翼先生が、「これは同時代の音楽なんだ」という話をしている。我田引水かもしれないが、これはまさに今私が書いたような話で、我が意を得たりという気持ちになった(この CD 自体も素晴らしい録音なので、アフリカの伝統音楽に興味を持つ方には是非お勧めしたい)。

 日本の伝統音楽も、是非「現代音楽」であり続けることを目指して欲しい。

・不毛な二項対立に終止符を

 ここまでは話をあえて音楽に限定してきたが、最後に少しだけ文化一般について書く。近年の日本は、グローバル化の影響を強く受けてきた。同時にその反動で、文化保守主義の勢力も強くなって来ているようだ。その結果、伝統文化対西洋文化という二項対立が、改めてクローズアップされている。

 しかし先ほど論じたように、このような二項対立は、もともと西洋コンプレックスによって生み出された偽りの対立であり、擬似問題にすぎない。もちろん、西洋コンプレックスの強かった時代には、このような問題設定は避けがたいものだったかもしれない。しかし、現代の日本人には、最早それほど抜きがたい西洋コンプレックスがあるとも思えない。

 現代の日本人になら、西洋文化に問答無用で追従するのでもなければ、伝統文化を問答無用で死守するのでもなく、伝統文化と西洋文化をフラットに捉え、守るべきものは守り、取り入れるべきものは取り入れるという、ある意味当たり前の態度がとれるはずだ。だから、伝統文化対西洋文化という不毛な二項対立で物事を論ずるのは、いい加減止めようではないか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

野見祐二の「ヘルベチカ・スタンダード」を Sinsy と CeVIO に歌わせてみた

 今回は、アニメ「日常」の中の「ヘルベチカ・スタンダード」というコーナーで BGM として使われている曲を、ボーカル・シンセサイザーの Sinsy CeVIO に歌わせてみた。CeVIO を使ったのは初めてだが、まあいわば Sinsy の親戚のようなものだ。同じ名古屋工業大学が開発にかかわっていてる。

 イントロのロゴのような部分を Sinsy 謡子さん、「ヘ・ル・ベ・チ・カ・ヘ・ル・ベ・チ・カ...」というドローンの部分を Sinsy 香鈴さん、「リーベー」というよくわからないコーラスの部分を CeVIO さとうささらさんに、それぞれ歌ってもらっている。

 作曲は知る人ぞ知る野見祐二氏である。かの坂本龍一氏に見出されて、氏の映画音楽を何作か手伝った他、スタジオ・ジブリのアニメ「耳をすませば」や「猫の恩返し」の音楽を担当したことで知られる。教授から「坂本経由のラヴェル」と評されたことがあるくらいで、印象派以降の作曲テクニックを華麗に使いこなす作曲家である。

 「ヘルベチカ・スタンダード」というのは箸休めのようなギャグのコーナーなので、この BGM もそれに合わせたコミカルな作風となっており、この小品だけで野見氏の作風を語るのもどうかと思うのだが、短いだけになおさら特徴が端的に現れているとも言えるので、例によって少し紹介してみたい。

 下の譜面は、後半の「リーベー」の部分から四小節だけ抜き出したものだ。前半二小節が一回目の繰り返し、後半二小節が二回目の繰り返しに対応している。解説しやすいように、動画中の楽譜とは調号を変えてあるが、弾いている音自体は同じものである。

 前半も後半も、基本になっているのは F# → F という半音単位の平行移動である。平行移動というのは普通、それだけでは調性的な機能は持たない。特にこの場合はダイアトニックコードではないので、部分的な転調のようになるだけだ。

 しかし前半では、その上のメロディがドローンのように E の音を鳴らし続けている。これをコードの構成音と見なすと、F#7 → FM7 という進行に変わる。F#7 ではわかりにくいので、Gb7 と言い換えると、これはジャズ理論で言うところのドミナント・セブンスの裏コードであることがわかる。つまり、単なる平行移動に音を一つ足すだけで、機能和声的なドミナント・モーションと解釈できるようになる。

 ところが後半になると、F# → F の部分の構成音はまったく同じまま、音が1個足されており、さらにメロディの音も変化していることがわかる。これらをコードの構成音と見なすと、今度は F#6 → FM9 という進行になっている。

 Gb7(F#7)がなぜドミナント・セブンス(この場合 C7)の代理と見なせるかというと、ドミナント・セブンスと同じトライトーン(この場合、Bb - E)が含まれているからである。ところが、F#6 には Bb は含まれているが、E が含まれていないので、これはドミナント・セブンスの代理コードとは見なせない。

 つまり、この前半と後半は、ほとんど同じような音の構成でありながら、機能和声的にはまったく異なる機能のコード進行になっているのである。こういう発想は、コード進行だけで考えていてはなかなか出てこない。

 こんなところにも、コード進行主体に考えるポップス系のアレンジャーとは異なる、野見さんの個性が現れていると言えるのではないかと思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

及川リンの「She Said」を Sinsy に歌わせてみた

 今回は、映画「下妻物語」の挿入歌として使われていた「She Said」という曲を Sinsy に歌わせてみた。作詞は及川リンさん、作曲は菅野よう子さん、オリジナルのボーカルも及川リンさんである。

 Sinsy に向いているのはオペラ・声楽的な歌唱法の曲だと考えていたので、これまではそういう曲ばかりを選んでカバーしてきたのだが、少しスタイルの違うボーカルに挑戦してみた。自分ではわりとうまくいったんじゃないかと思っているのだが、いかがであろうか。

 実は菅野よう子さんの曲をアナリーゼしたのは初めてで、テンションをベースとする分数コードとか、ドミナント・マイナー/サブドミナント・マイナーとか、ポピュラー・アレンジの教科書に出てくるようなテクニックがきれいに使われていて非常に勉強になった。

 たとえば、"There was no one..." というフレーズの部分を譜面に起こすと、下のようになる(耳コピなので間違っていたらごめん)。

 ご覧の通り、Gm → A7 → Fm → G というコード進行である。メロディのキーは C メジャーだから、音階上のコードで書くと Vm → VI7 → IVm → V という進行になる。この Vm、VI7、IVm はすべてディアトニックコードではなく、C メジャーのスケールにない音が入っている。

 たとえば、このメジャーとマイナーを一部逆にした VIm → IV → V という進行であれば、ポップスでは非常にポピュラーな進行で、50 年代に多用されたので 50 年代進行などとも呼ばれる。さらに、IV を IIm に置き換えると、VIm → IIm → V という、いわゆるツー・ファイブを含む 5 度下降進行になる。微妙に違うが、VI → II → V というのも、ジャズ系の本にはよく出てくる。これはドミナント・モーションの連続で、II がドッペル・ドミナント、VI がさらにそのセカンダリー・ドミナントということになる。

 だから、この曲もそういうポピュラーなコード進行の変形と見なせるとは思うのだが、そこで代理コードとしてサブドミナント・マイナーの IVm やドミナント・マイナーの Vm を使っている例は、現在のポップスでもそれほど多くはない。

 ポップスの曲をコード進行で検索できる便利なサイトがあるので、試しに調べてみたのが、ドミナント・マイナーの Vm、Vm7 の使われている曲はデータベース全体の 0.3%、0.1%、サブドミナント・マイナーの IVm が使われている曲でもデータベース全体の 0.4% しかない。

HookTheory.jpg

この曲のこの部分とまったく同じコード進行を持つ曲にいたっては、(キーを移調したとしても)1 曲も見つからなかった。だから、少なくともポップスにおいては、あまり多くないコード進行だということは言えるだろう。

HookTheory-Vm.jpgHookTheory-Vm7.jpg

 下図に示すように、そもそもサブドミナント・マイナーからドミナントという進行の曲が自体が極めて少ない。

HookTheory-IVm-V.jpgHookTheory-IVm-V7.jpg

 それでも、部分的にでも似たコード進行の曲はないかと探してみたら、1 曲だけ見つかった。それはかのビートルズの「Strawberry Fields Forever」である。

 この曲は、キーが A メジャーで、冒頭のコード進行が A → Em7 → F#7 → D → F#7 → DM7 → A となっている。これを音階上のコードに直すと、I → Vm7 → VI7 → IV → VI7 → IVmaj7 → I になるから、少なくとも途中まではかなり似ている。

 この進行がいかに似ているかが直感的にわかるように、「Strawberry Fields Forever」を「She Said」と同じキーに移調して、「She Said」と同じようなピアノの伴奏に合わせたものを作ってみたので、試しに聴いてみてほしい。

大きな違いは、サブドミナント・マイナーの Fm/Ab がサブドミナントの F/A になっているところ、そして、最後がドミナントの G ではなくトニックの C/G で終わっているところである。しかし、途中までの感じはかなり似ていることがわかるだろう。

 先ほど、ドミナント・マイナーやサブドミナント・マイナーを多用しているポップスの曲は少ないと書いたが、その数少ない例の多くが、実はビートルズの曲なのだ。だから、菅野さんはビートルズの開拓した技巧的なポップスの継承者の一人と言えるだろう。

HookTheory-IVm.jpg

 さらに菅野さんのアレンジの見事なところは、ただ技巧的なコード進行を使っているだけでなく、その結果として、横のラインがきれいな半音階進行になっているところである。技巧のための技巧ではないのだ。そういう意味で、菅野さんの曲を分析することは、私のようなポピュラー・アレンジを志す素人にとっては学ぶところ大である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

エリック・セラの「The Diva Dance」を Sinsy に歌わせてみた

・曲を選んだ理由

 二ヶ月ぶりの Sinsy カバー作品。今回は、リュック・ベッソン監督の映画「フィフス・エレメント」の劇中歌として使われている「The Diva Dance」をカバーしてみた。

 この曲を選んだ理由は、1) 歌唱法が Sinsy に向いていそう、2) 曲の長さが短い、3) ドラムの入ったポップスをやりたい、4) だけどギターの打ち込みは避けたい、5) この曲が好き、6) この映画もわりと好き、などいろいろあるのだが、一番の決め手は、この曲が「人間には歌えないように作られた曲」であることだった。

 この曲は劇中では異星人のオペラ歌手によって唄われるという設定で、エイリアンの能力を表現するため、わざと普通の人間には歌えないような音域やメロディで作られているのである。だから、Sinsy のようなボーカル・シンセサイザーに歌わせるにはぴったりの曲だと思ったのだ。

 もっとも、そう思ったのは私だけではないらしく、私が検索した範囲でも、巡音ルカさんに歌わせた先例があった。

でも多分、初音ミク系のボーカロイドよりは Sinsy の方がこの手の曲に向いていると思うので、先例があってもやってみる価値は十分あると思った次第。両者の違いが気になる人は、聴き比べてみるのも一興だろう。

 ボーカル・トラックは、基本的に Sinsy の出力をほとんどそのまま使っているが、途中のグリッサンドで3オクターブ一気に駆け上がるところだけは、VocalShifter というツールで加工した。音域や技巧の問題ではなく、Sinsy にはグリッサンドの機能がないからである。

・音源はサウンドフォントのみ

 Sinsy 以外の音源は、実はすべてサウンドフォントである。ハードウェア音源はもちろん、VST インスツルメントすら使っていない。だから余計な金はほとんどかかっていない。そのワリには悪くない音だと思いませんか?

 サウンドフォントは複数の音色がセットになる仕様なので、既成のものをそのまま使ってもなかなか曲に合った音色構成にはならない。

 ところが、サウンドフォントを編集する Viena というフリーウェアがあって、これを利用すれば音色の構成も音色自体のパラメータも自由自在に編集できるのだ。もちろん、そのためには Viena の操作方法やサウンドフォント自体のデータ構造を学ばなければならないが。

Viena プリセット編集画面

Viena サンプル編集画面

・音色を探す方法

 この手のダンス・ミュージックは、音色がハマってないと死ぬほどダサくなるので、今回は楽譜の打ち込みよりも音作りに時間をかけた。おそらく全製作時間の2/3以上を音色探し・音色選び・音色加工・ミキシングなどに費やしたと思う。

 フリーのサウンドフォントを入手できるサイトはいくつかあるが、最も内容豊富なのは Sf2Midi.com だろう。このサイトは登録が必要であり、また無料会員だとダウンロード速度がかなり遅いなどという欠点もあるが、データ量の豊富さでは他サイトの追随を許さない。しかし、それでも気に入った音色が見つからないときはどうするか。

 実は、サウンドフォントというのは一種のサンプラーなので、サンプル波形のデータさえあればどんな音にも音程をつけて鳴らすことができる。そういう意味では万能と言ってよい。

 サンプル波形を入手できるサイトも多数あるが、私がお勧めしたいのは Freesound である。このサイトは、基本無料であり、ワンクリックでプレビュー再生ができ、タグ検索もあり、類似音検索もあり、データの多くがクリエイティブ・コモンズライセンスであることが明記されているなど、数々の長所がある。

 今回の曲では、スネアの音色にぴったり来るものが見つからなくて、最終的にはこのサイトで見つけた「地下室で木の板を落とした音」の波形を加工して使わせてもらった。

 だから厳密にはスネアではなくて、「スネア的」に使われている音色にすぎないのだが、スネアの音色から類似音検索でこういう波形が見つかったりするところが、このサイトのよいところだ。

 また、パーカッション的に使われている「ガチャ」という感じの音も、このサイトで見つけた「電子レンジの扉を開く音」の波形である。

・打ち込みは MuseScore

 楽譜の打ち込みには、DAW はもちろん、単機能の MIDI シーケンサーもほとんど使っていなくて、基本的に MuseScore という楽譜清書用ソフトウェアだけでやっている。

 MuseScore は MusicXML 形式で出力できるので Sinsy と相性がよく、また、サウンドフォントを直接読み込んでその音色で曲を再生したり、wav ファイルに変換したりする機能があるので、サウンドフォントとの相性も抜群で他のツールを介入させる必要がほとんどない。

 MuseScore の [作成] メニューから [楽器] を選ぶと、付属するサウンドフォントの楽器名が勝手に表示されるので、それ以外は選べないと思っている人もいるかもしれないが、実はここで選択した各パートの音色は [表示] メニューから [ミキサー] を表示すればいくらでも変更可能だ。また楽器名の表示自体も、楽器名を右クリックしてポップアップメニューから [譜表のプロパティ] を選択すれば変更できる。

MuseScoreのサウンドフォントとミキサー 

MuseScoreの楽器名

 この機能を利用して wav ファイルを生成して「はい完成」でもよいのだが、今回はもう少し音作りに凝りたかったので、楽器音色ごとに wav ファイルを生成して、それを Audacity 上でミキシングするという方法をとった。MuseScore にはパート譜を生成する機能があるので、この点でも便利だ。 

 ただし、MuseScore にもグリッサンドの機能がない(厳密に言うと、グリッサンドを譜面に書き込むこと自体は可能だが、再生には反映されない)ので、イントロの「ウィーン」という音がグリッサンドしながら上昇するところだけは、一度スタンダード MIDI ファイルに出力してから、Domino に読み込んでピッチシフトを付け、TiMidity++ 経由で wav ファイルに変換するというやり方をしている。

 MuseScore は、登場したばかりの頃はまったく使い物にならなかった記憶があるのだが、当時とは比べ物にならないほどよくなった。 今でもときどきクラッシュしたりはするけれど。

MuseScore 画面

・「ドラムセット」は使わない

 MIDI 音源には音色の一種として「ドラムセット」というものが用意されていることが多い。ドラムセットでは、普通の音色のように音階に対して同じ楽器を割り当てるのではなく、各音階に別々の音色を割り当てる。たとえば、真ん中の「ド」の音がバスドラム、「レ」の音がスネアドラムというふうに。

 ドラムは音程のない打楽器の集まりなので音階を指定する必要がないし、ドラムの各楽器に別々のチャンネルを割り当てるとチャンネル数が増えていろいろと煩雑になるので、こういう方法が広まった。ちなみに、ドラムセットは GM (General Midi) でも規格化されている。

 MuseScore もドラムセットに対応していて、ドラムセット全体を一つの楽器として記譜できるようになっている。だから、この曲も当初はドラムセットを使って打ち込んでいたのだが、いろいろ試行錯誤を重ねた末、最終的にはドラムセットを使うという発想は完全に捨てた。理由はいろいろある。

 まず、ドラムセットを使うと、各楽器の音色を別々に選ぶことが難しくなるということ。各楽器の音色がすべて曲に合っているようなドラムセットが見つかればいいけれど、常に見つかるとは限らない。現にこの曲でも見つからなかった。Viena を使えばドラムセットの楽器の音色を個別に差し替えることも可能ではあるけれど、手間がかかりすぎて、いろんな音色を聞き比べることが難しくなる。

 また、ドラムセットを使うと、ミキシングの時に各楽器に別々の処理をすることができなくなる。たとえばこの曲でも、ハイハットを右にリバース・シンバルを左にパンしているし、クラッシュシンバルとスネアブラシにだけコーラスをかけ、リバーブの深さも楽器ごとに微妙に変えて奥行きを表現している。ドラムセットを使うと、こういう処理は一切できなくなる。もちろん後述のように、Audacity 上で各楽器の発音タイミングを微妙にずらすことも困難だ。

 ドラムセットは確かに、スケッチやプリプロダクションには便利なのだが、本番の打ち込みには絶対に向かない。そのことを今回つくづく悟った。熟練したクリエイターにとっては多分常識の部類だろうが。

・ミキシングは Audacity

 前述の通り、ミキシングは Audacity で行った。この曲は比較的シンプルに聞こえるかもしれないが、実は 25 チャンネルもあって、しかもすべてステレオで録ってるのでトラック数だと 50 トラックにもなる。もちろん、その中には SE を一回だけジャンと鳴らして終わり、というようなトラックもあるが、そういうトラックを除いても 20 チャンネルは優にある。つまりこんな感じだ。

Audacity 画面

Audacity ミキサーボード

 だから、うちの非力な PC で全トラック同時にスムーズに再生できるか、少々心配だったのだが、ほとんど杞憂だった。たまに CPU 負荷が高いときなどに再生が乱れることはあるが、余計な負荷さえなければ再生に支障はない。おそらく、最新の PC だったらこの数倍~数十倍のチャンネル数でも平気だろう。

 エフェクタに関しても、Audacity は VST プラグインを読み込めるのでいくらでも拡張可能だ。相性の問題で動作しないプラグインもあるが、困るほど多くはない。VST プラグインは有料・無料含めてネット上に腐るほど転がっている。VST プラグインを探す際に便利なサイトとしては、KVR Audio を挙げておこう。

 Audacity ミキシングの最大の欠点は、エフェクタの結果をリアルタイムで確認できないことだろう。しかし、若い頃に 4 チャンネルのカセット MTR でピンポン録音などしていたときのことを思えば、なんてことはない。それを除けば、伝統的な MTR やミキサーとあまり変わらない使い方ができる。 

・Audacity の裏技

 今回 Audacity を使っていて、ひとつ裏技的なものを発見した。80~90 年代に MIDI シーケンサーで DTM をやっていた方はご存知だと思うが、MIDI の打ち込みというのは、普通にやってると必ずしも自然なグルーブ感がでない。その大きな理由は、MIDI の場合音のタイミングが音量のピーク位置ではなく先頭で合わされてしまうからである。

 MIDI というのは、もともと電子楽器をリモコンで操作するための規格だ。だから、楽器に音を出すことを命令するノートオンというイベントはあるが、そのイベントを送られた楽器が実際にどのようなエンベロープで音を出すかまでは操作できない。エンベロープのアタックの速さは音色によって皆違う。打ち込み音楽はタイミングは正確なのになぜかノリが悪かったりする一つの理由はここにあった。

 このようなノリの悪さは、Audacity 上で波形を睨みながらトラック全体を数十ミリ秒単位でまとめてずらしてやれば、比較的簡単に修正できることがわかった。もちろん、音のアタックの速さは、音色だけで決まるわけではなく、音域やベロシティによっても違うから、厳密にはトラック単位でずらしても細かいところでずれが残る可能性がある。しかしそれでも、何もしないよりはマシなことは間違いない。

 もちろん、こんな「裏技」は気づいてる人はとっくに気づいているだろうが、もし気づいていない方がいたら、是非一度試してみることをお勧めする。いわゆる打ち込み臭さのようなものを、かなり解消できることがわかるだろう。

Audacity 裏技

・IR リバーブは便利

 エフェクタは主にコーラスとリバーブを使用したが、今回生まれて初めて IR リバーブというものを使ってみた。別名コンボリューション・リバーブとかサンプリング・リバーブとも言う。2000 年代になって登場したものらしく、昔はこんなものなかったから使いようがなかった。

 理科系の人はコンボリューションという名前からなんとなく想像がつくんじゃないかと思うが、IR というのは Inpulse Response (インパルス応答)の略。つまり、インパルス応答から畳み込み演算によってリバーブを計算するエフェクタらしい。

 従来のリバーブは、仮想のモデルからシミュレーションによってリバーブを計算していた。たとえば、5m 四方の部屋のシミュレーション、などという風に。一方 IR リバーブは、現実に存在する部屋のインパルス応答を測定し、それを元にしてリバーブを計算するらしい。

 だからアナロジーで言えば、従来のリバーブがシンセサイザーだとすれば、IR リバーブはサンプラーのようなものだと言えるかもしれない。サンプリング・リバーブと呼ばれるのもそのせいだろう。

 まだ数は多くないが、フリーの VST プラグインとして公開されている IR リバーブがいくつかある。有名なのは Freeverb SIR1 だ。SIR1 はエフェクトが遅延するという大きな欠点があるが、仕様がシンプルで使いやすい。Freeverb は高度すぎるのか、私には今ひとつ使いこなせなかった。ひょっとしたら、慣れたら Freeverb の方がよいのかもしれないが、今回は SIR1 を採用。

SIR1

 使ってみた感想は、さすがに現実の部屋の特性を反映したものだけあって、「自然」だということ。だから、いくら深くかけてもあまりイヤミにならない。また、パラメータもそんなに多くないので、そういう意味でもあまり悩まずに気楽に使える。

 逆に言うと、特殊効果としてアグレッシブな使い方をするのは難しそうだ。基本的に現実に存在する空間の特性しか表現できないので、良くも悪くも、どこかで聴いたような音にしかならない。馬鹿みたいに広いのになぜかものすごく残響の強い空間とか、そういう SF 的なものを表現するには向いていないのではないか。

(厳密には、シミュレーション・モデルからインパルス応答を生成するツールもあるし、従来のリバーブそのもののインパルス応答を測定することもできるので、原理的には同じことが可能ではあるが。)

 今回の曲では、オペラハウスのような豊かな響きを表現したかったので、ほとんどの楽器にこの IR リバーブをかけてみたのだが、その割にうるさい感じにはなっていないと思う。

・動画はキャラみん

 音楽だけでも十分時間をとられるので、動画にはあまり時間をかけたくない。そこで、音声データを入力するだけで自動的に動画を生成してくれるようなツールを探した。

 最初は MilkDrop というビジュアライザーの画面をキャプチャして使おうかと思っていた。これは Winamp にも採用されている優秀なビジュアライザーで、描画に DirectX を使うので、複雑な 3D 画像を描画しているわりには CPU 負荷が低い。またプリセットが非常に豊富で、センスのよいプリセットが多く、見てて飽きない。ただ、その映像はリズムに合っているだけで、音楽の内容とはあまり関係がないのが欠点だ。

 「キャラみん」というのも一種のビジュアライザーなのだが、音楽に合わせて CG キャラクターがダンスを踊ってくれる。また CG キャラクタのモデルとしては、MikuMikuDance のデータをそのまま使える。MMD の振り付けを自分でやるのは大変そうだが、これなら楽だろう、ということで採用した次第。

 実際のキャラクタとしては、Drumaster 氏製作の z7def式改変MEIKO を使わせていただいた。これを選んだのは、映画の中のミラ・ジョボビッチのイメージに似ていたというだけの理由で、それ以上深い意味はない。

 このデータを「キャラみん」に読み込ませて、自動生成した動画をそのまま使った。おかげで、動画製作にはほとんど時間をとられなくて済んだ。ありがたいことです。

きゃらみん画面

・ニコニコ動画のエンコードに苦労

 むしろ、意外と手間がかかったのはニコニコ動画用のエンコード設定だった。ニコニコ動画は一般会員の場合最高ビットレート 600kbps という制限があり、またアップロードしたファイルが一定の条件に合っていないと、サーバー側で再エンコードされて情けないほど音質が低下してしまう。

 この再エンコード処理を食わないようにしながら、なおかつ、音声データに十分なビットレートを割り当てるには、ファイル形式やエンコード方式を慎重に選択する必要がある。

 YouTube はニコニコ動画と違って再エンコードで極端に品質が低下するようなことはなく、また、これまでは静止画しか使っていなかったので、この点をあまり意識したことがなかった。

 どうもニコニコ動画自体は、このへんの仕様を積極的に公開していないらしく、設定は有志が勝手に調べてくれた情報だけが頼りだった。もっとも参考になったのは、「ニコニコ動画まとめ wiki」であった。感謝したい。

 最終的には、コンテナは mp4、ビデオデータは H.264 の 300kbps、音声データは AAC の 288kbps でエンコードした。つまり、全帯域幅の半分近くを音声に割り当てたわけだ。 

・金がなくてもここまでできる

 年寄りの昔話を繰り返して申し訳ないが、私の若い頃に、これと同じ作業のできる環境を調えようと思ったら、100 万円は余裕で必要だったろう。それが今やほとんどフリーウェアだけでできる。お金がかかるのは、PC 購入料金(それも高価なモデルは必要ない)、インターネット接続料金、電気代ぐらいなものだ。

 たぶん経済的な意味でもっとも負担が大きいのは、このどれでもなく、私自身の作業時間の機会費用だと思うが、趣味でそういうことを言うのは野暮だからやめておこう。

 もしかすると、今の若い人の中にも、Cubase ProTools のような高価なソフトウェアを購入しないと音楽製作はできないと思ってる人もいるかもしれないが、フリーウェアだけでも根気と工夫次第で少なくともこのぐらいはできるのである。だから簡単に諦めないでほしい。

・使用ソフトウェア一覧

  この作品に使用したソフトウェアを以下にまとめておく。もちろん、これはたまたま私のやり方や好みに合っていただけで、他にもいろんな組み合わせがあると思う。お金のないクリエイター志望者の参考になれば幸いである。

(おまけ)

 「人間には歌えない曲」と言ったが、それでも歌ってみようという人はいるみたいで、中にはかなりいい線を行っている人もいるようだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

細野晴臣の「キラ」を Sinsy に歌わせてみた

 今回は細野晴臣作曲の「キラ」という曲を Sinsyに歌わせてみた。この曲はもともと、萩尾望都さん原作の「マージナル」というラジオドラマのサウンドトラックに収録されていた曲で、作詞は福澤諸さん、オリジナルのボーカルはコシミハルさんであった。アレンジはほぼ完コピである。

 この曲を収録した CD は、現在おそらく廃盤でやや入手困難だが、この曲は細野さんのあまた傑作の中でも好きな作品であり、のこの CD をリアルタイムで購入して保有していることが、私の細野ファンとしてささやかな自慢である。

 この曲は細野さんの作品の中でもやや異色の作品で、端的に言ってエリック・サティの影響が強く感じられる。たとえば、冒頭の譜面はこんな感じだ。

 耳コピなので細かいところは間違ってるかもしれないが、イントロのストリングスの和声はドレミ(!)であり、そこにガーンと入ってくるピアノの和声はドレソラである。つまり、この両者が重なった瞬間、ペンタトニックのドレミソラの音がすべて同時に和声として鳴っている。

 音楽理論に詳しい人にはいまさらな話だが、ペンタトニックをオクターブに転回していくと、ミ-ラ-レ-ソ-ドとなって、完全四度音程の積み重ねとなる(順序を逆にすれば、ド-ソ-レ-ラ-ミとなって、完全五度音程の積み重ねになる)。こういうのを四度和声とか四度堆積和声(quartal chord)と呼ぶ。

 西洋音楽はバロック以降近代まで、三度音程を和声の基礎にしてきた。この慣習を打ち破って初めて四度和声を体系的に使ったのは、(この手の話の常で諸説あるものの)エリック・サティの「星たちの息子」だと言われている。

この頃、(サティは)神秘主義的秘密結社<バラ十字会>に近づき、その主催者ペラダン作の舞台劇<星の息子>のために三つの<前奏曲>を作曲する。その神秘的な題名や献辞は、後年のメシアンの諸作をほうふつとさせる。またこの曲には四度和音の堆積の連結が各所でみられるが、シェーンベルクが<第一室内交響楽>でそれを用いる十数年前のことである。

(「西洋音楽史 印象派以後」柴田南雄)

In Satie's Le Fils des Etoiles (1891), we find radical innovations that surpass anything in Debussy's music. Here, for the first time in history, is a systematic use of chords made of stacked fourths moving in parallel motion, called planing. This music is atonal, without key, the first in history. 

("Satie, The First Modern", Larry J Solomon)

(拙訳)サティの「星の息子」には、ドビュッシーの音楽をあらゆる点で超える急進的な改革が見られる。この作品において史上初めて、四度の積み重ねから構成される和声の平行移動(planing)が体系的に用いられた。この曲は、調性のない史上初の無調音楽である。

 四度和声は三度和声と違って中心音がはっきりしない。互いに完全五度の関係にある音程が多数含まれているので、ソから見ればドがルート、レから見ればソがルート、ラから見ればレがルート、ミから見ればラがルートというように、どれをルートにしてもおかしくない音程関係になっている。

 だから、この譜面上では便宜的に C6(9) というコード名で表記しているが、こういう四度和声の場合 C というルート名にあまり意味はないのである。たとえば、D をルートと考えれば、D7sus4(9) とも解釈できるし、G をルートと考えれば G7sus4(9) とも解釈できる。

 次のコードは Csus4 と解釈できるが、この解釈にもあまり意味はない。機能和声の規則においては、sus4 は長三度に解決すべきものとされているが、この曲では Esus4 に平行移動しているからだ。この四度和声の平行移動という手法も、サティの「星たちの息子」で大々的に使われている手法だ。

 この曲はメロディだけ聴くと F メジャーだが、コード進行はまったく F メジャーの機能和声にしたがっておらず、調性感が曖昧になっている。このように調性感を曖昧にするのが四度和声の効果だ。

 教授に言わせると、細野さんの音楽には「HOSONO HOUSE」の頃から印象派の影響が感じられるそうだが、これほどはっきりサティの影響を感じさせる曲は、他にあまりないのではなかろうか。

 このサウンドトラックが作られたのは 1987 年で、「源氏物語」のサントラとほぼ同時期、「銀河鉄道の夜」と「omni Sight Seeing」の間ぐらいの時期である。この頃の細野さんが好んで聴いていた音楽について、本人のこんな証言がある。

それともう一つはね、そのころ僕はクラシックでボヘミアの音楽を聴き出して、チェコのスメタナとか、ドヴォルザークを聴いているときに、チェコの映画も見たんです。(中略)「SFX」には出てこなかったけど、「銀河鉄道」はもろにボヘミアの感覚で満たされていたんです。

そのきっかけは、やはりアンビエント・ミュージックだったんです。アンビエント・ミュージックのもう一つの効用は、雑然とした感覚をフラットにしてくれるんです。波風があるようなものを水平にしてくれるわけです、いい意味で。そうすると、わりと白紙状態になって何でも受け入れられる状況になってくる。それと同時に、すごく微妙な感覚も育ててくれるんですよね。微妙で繊細なちょっとした波が気になったりとか。そうすると、音楽の聴き方が徐々に変わってくるわけです。つまり、フラットな上に抑揚をつけていく、アクセントをつけていく準備が出来たんです。だから、クラシックも新鮮に聴こえてくるわけです。作曲家たちの微妙な感覚というのが伝わってきたんです。音楽だけじゃなくて感覚として伝わってきたんです。

例えばサティという人の感覚も、ダイレクトに伝わってくるんです。メッセージとして。時を超えて、やっと届いてくれる、時間差のあるタイムマシンのようなものです。そういう意味でスラブの方の音楽を聴き出しててん、例えばロシアの五人組とか、ゴルバチョフじゃなくて(笑)、チャイコフスキーの音楽なども楽しんで聴けるようになった。それまでは僕、わりとゲルマン的な半音階進行がハリウッドに伝わっていたような音楽に慣れ親しんでいて、スラブ民族主義的な音楽をもとにしたクラシックというのは、なれていなかったんですが、当時聴き出したら新鮮で、かなり深くのめり込んでいったんです。

(「THE ENDLESS TALKING」)

だから、この曲にサティの影響を見ても、それほど的外れではないんじゃないかと思う。

 だが、細野さんの偉大なところは、どんな音楽の影響を受けても、そこから生まれる作品は、借り物ではないちゃんと細野さんの作品になっているところである。それはトロピカル三部作の頃にチャンキー・ミュージックとか言ってニューオリンズやカリブや沖縄の音楽を融合した音楽を作っていた頃からずっとそうだった。

 あと、自分で譜面に起こして改めて感じたのは、細野さんの音楽はいい意味でシンプルだということ。シンプルでありながら豊かな響きがある。無駄に音数を増やして難しく見せようとするのではなく、最小限の音数で豊かな響きを表現しようとする、骨太な美学があるのだ。そのことを再認識した。

 私のいい加減なコピーでは物足らず、本物を聴いてみたくなった人はこちらをどうぞ。

NHK FMラジオドラマ「マージナル」サウンドトラック(ドラマ編)

株式会社テイチクエンタテインメント (1988-11-05)
売り上げランキング: 427,708

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【Sinsy】「Ride Ride Ride」【ストリングス版】

 前回のピアノ弾き語りバージョンを利用して、「Ride Ride Ride」のストリングス・バージョンを作ってみた。

 この素晴らしいアレンジは、もちろん私が考えたものではなくて、教授が「戦場のメリークリスマス」のサウンド・トラックの中でやっているアレンジのコピーである。ほとんど完コピなので、知らないで聴くとサントラの音をそのまま使ってると思われるかもしれないが、あくまで演奏してるのはコンピュータで、歌ってるのもデビット・ボウイの弟の役の人ではなくて、Sinsy というコンピュータ・ソフトウェアである。お間違えなきよう。

 このアレンジは、小節ごとに二拍子になったり三拍子になったりするので、タイミングを合わせるのに結構苦労した。よくよく調べると、一拍ぐらいごまかしてるところがあるかも。

 こんな短い小品でも、打ち込んでみると、教授のアレンジの凄さが改めてよくわかる。エンディングの繊細な音の重ね方なんかは改めて言うまでもないが、この曲で言うと、何よりファミファドファミファドという16分音符のアルペジオを延々と続けるところがかっこいい。

 凡庸な(たとえば私のような)アレンジャーなら、こういうアルペジオを思いついたら、コード進行に合わせて音形を変えようと考えるだろう。しかし教授のアレンジでは、ほとんど最初から最後まで同じ音形で通している。そんなことをすると普通なら、コードによって不協和音が生じたりして音が汚くなる。でも教授のアレンジでは絶対にそんなことにならない。むしろ響きの色彩が豊かになる。最初から曲全体を見通して音形を選んでいるからだ。

 教授はこういう手法をよく使うのだが、ひょっとすると、教授の好きなスティーブ・ライヒなんかの影響もあるのかもしれない。こういう和声のモアレ縞のような効果を使いこなすのが本当にうまい人だ。

 おそらく、途中で一箇所だけ音形を変えているところがあって("through the night" の直後)、その部分は鳥肌が立つほど新鮮に感じる。それも、ずっと同じ音形を繰り返していたからこそだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「Ride Ride Ride」を Sinsy に歌わせてみた

 Sinsy に歌わせてみる企画の第二弾。前回は日本語だったので、今回は英語に挑戦。ということで、映画「戦場のメリークリスマス」の中で挿入歌として使われていた、Stephen John McCurdy 作詞作曲の「Ride Ride Ride」を歌わせてみた。

 アレンジは、教授が「Coda」というアルバムで弾いていたピアノバージョンの譜面を参考にして、その上にボーカルをのっけただけである。正直、ピアノの音色の仕上がりなどには今一つ満足していないが、一応それなりに聴ける出来にはなっていると思う。

 2 曲製作してみたら、Sinsy を使いこなすコツがわかってきたので、参考のために少しだけ紹介しよう。

 まず、Sinsy に歌わせようと思ったら、Sinsy が得意そうな曲を選んだほうがよい。Sinsy は声楽的な歌唱法を得意としているようなので、そういう歌唱法が生きる曲を選ぶことである。おそらく、パンクやニューウェーブはあまり向いていない。

 曲を選んだら、全トラックの打ち込みを完成させる前に、ボーカルトラックだけ作成して、Sinsy のサイトにアップロードして試聴してみた方がよいと思う。なぜなら、Sinsy は初音ミクのように後から「調教」したりできない一発勝負なので、この段階でボーカルトラックの出来が悪いと、後で改善されることは望み薄だからだ。

 あと覚えておくといいのは、Sinsy の場合、ウェブサイト上の試聴ではあまり美しく聴こえなくても、後でリバーブなどのエフェクトをかけるとかなり聴感が改善されるということ。おそらく、Sinsy を開発した人も、後でエフェクトをかけることを前提にして、わざと飾りのない加工しやすい音色にしていると思われる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「架空庭園の書」を Sinsy に歌わせてみた!

 なんか、こういう内容の記事にはこういうタイトルを付けるのが業界のベスト・プラクティスらしいので、素直に踏襲してみた。シェーンベルクの「架空庭園の書」の一曲目を  Sinsy に歌わせたものを YouTube にアップロードしてみたので、興味のある方はお聴きくださいませ。

 聴きどころの一つは、ボーカロイドもどきにシェーンベルクの無調曲を歌わせていること、もう一つは、シェーンベルクの歌曲をドイツ語でなく日本語で歌わせていることである。

 そもそもこの曲は noteflight のテスト用に打ち込んだもので、せっかくだからこのデータをネタに何かできないかと考えた。それで思い出したのが Sinsy という無料で使えるボーカロイドもどき。

 さいわいなことにシェーンベルクの著作権は数年前に切れているらしく、この曲をコンピュータとボーカロイドもどきで演奏させれば、YouTube にアップロードしても特に問題はなさそう。

 ただちょっと苦労したのは歌わせる歌詞。Sinsy が歌えるのは日本語と英語だけだが、原曲の歌詞はドイツ語。おそらく、歌詞自体を日本語に訳した人はいくらでもいるだろうが、日本語で歌った人はあまりいないんじゃないだろうか。でもせっかく Sinsy を使うんだから、ローマ字訛りの変なドイツ語でなく日本語で歌わせたい。でも既存の和訳を使ったんでは著作権がうるさい。

 というわけで苦肉の策で、ネット上にころがっていた英訳の歌詞を参考にしながら、自分でいい加減な日本語訳をでっちあげた。意味的な解釈より日本語としての音の美しさを重視したので、シェーンベルクやゲオルゲの専門家から見たら噴飯物の解釈かもしれない。まあ雰囲気ぐらいは伝わると思うので見逃してください。

 それにしても、こんなサウンドデータがほとんど無料のツールだけで作れてしまうことには、改めて感心した。実は私も二十代の頃には DTM に熱中したこともあったのだが、もちろん当時は、現在のように PC さえあれば OK なんて夢のような環境はなく、音源もエフェクタもミキサーも MTR もすべて単体で購入する必要があったし、値段も平均 10 万円ぐらいはした。

 もしあの当時の機器でこのデータを作るための環境を構築しようと思ったら、数十万円は確実にかかっただろう。今はそれが PC とフリーウェアだけでほとんど済んでしまう。いい時代になったものだ。

 Sinsy は予想以上によくできていた。噂に聞く初音ミク UTAU の「調教」みたいに、細かい調整をする必要もなく、MusicXML ファイルを一発で変換できて、それなりに抑揚のついた歌い方をしてくれる。MusicXML ファイルは、これも無料の Finale NotePad で作ったが、 フォルテ/ピアノ、クレシェンド/デクレシェンドなどの楽想記号を入力した以外、特に数値のエディットはしていない。

 MIDI データからピアノサウンドデータを生成する際には、これも無料の TiMidity++ を使い、さらにこれも無料の Audacity 上で Sinsy の吐き出したサウンドデータと合成し、さらに軽くリバーブもどきをかけて完成。実に簡単なものである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧