Jupiter

 重いネタが続いたので、久々に軽いやつを行きます。昨日の「ヘキサゴン」で、平原綾香さんの「Jupiter」の作曲者は誰か、という問題が出ていたのですが、誰も答えられなかったのが個人的には以外でした(ちなみに、ぼくの両親と友人約一名は、この曲がヒットしたこと自体を知らなかった。これにはもっと驚いた(^^))。いうのは、この曲、これまでも結構いろんな人にカバーされてるからなんですよね。

 ぼくが一番最初にこの曲を聴いたのは、多分、シンセサイザー音楽のパイオニアの一人である冨田勲氏の「惑星 」というアルバムだったと思います。たしか、FM 放送でエアチェック(これもいい加減死語か(^^))したのかな。そのときに、原曲がクラッシックだという解説を聞いて、クラッシックらしからぬ題名に驚いたのを覚えています。

 これ、今聞いてもたいして驚かないかも知れないけど、当時としてはかなり突出した作品だったと思います。なにせ、YMO のデビューより 1 年も前の作品ですからね。もちろん、今のような MIDI シーケンサーもなければ、デジタルシンセやサンプラーもない時代に、アナログシンセと多重録音を駆使して作った作品です。個人的には、冨田さんも、もうちょっと再評価されてもいいんじゃないかと思いますね。

 あと、個人的な好みでいえば、遊佐未森さんが、平原さんと同じく「木星」だけをカバーした「a little bird told me」というのがあります。こちらは、「」というアルバムに入っています。これは、1999 年ですから、平原さんよりちょっとだけ早いですね。こっちは、平原バージョンのような壮大な感じではなく、ホントに眠れない夜に子守唄がわりに聴きたいような、しみじみと染み入るようなアレンジになっています。

 今回探したら、他にも、いろんな Jupiter を集めた「ジュピター100%」なんて CD も出てて、今紹介した 2 作品も収録されているようなので、これでいろいろ聞き比べてみるのもよろしいんじゃないでしょうか。

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誰の金だと思っているのだ

 地方自治体がいかにシステム開発に無駄金をかけてるかを描いた、18 日の「クローズアップ現代」、「自治体 vs IT ゼネコン」は結構衝撃的でしたね。

 個人的には、役所と取り引きしたことはないのですが、漏れ聞く情報からすると、きっとそんな感じなんだろう、と想像してはいました。でも、実態は想像よりはるかにひどかったですね。

 いまどき、たいしたシステムでもないのに、高価なメインフレームを使っているのも驚きなのですが、ソースコードのライセンスを開発企業に握られてて、他の企業にメンテを依頼することもできず、相手の見積もりを鵜呑みにするしかない状態で、もう、オープンソースオープンアーキテクチャインターオペラビリティといった技術トレンドに、あらゆる意味で逆行しているから、コストがかさむのはあたり前。あぜーん。

 あえて断言しないけど、業界人の感覚として言わせてもらえば、そんなのどーせ、何分の一かの値段で、中小ソフトハウスに丸投げしてるだけだと思うんだよねー(^^)。

 もし、業者からリベートとかもらってるんだったら、もう論外ですが、たとえ善意でやってたとしても、民間企業でそんなに相手の言うことばっか鵜呑みにしてたら、即 IT 担当者失格ですよね。そんなピンハネさせるために税金払っているわけじゃないんだからさー、少しはコスト削減意識を持ってくださいよー。ホント、頼みますよー。(^^)

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進化論は結果論

 去年の NHK 特集の中では、やはり、「地球大進化」が抜群に面白かったと思います。

 ひょっとしたらこの番組も、まだ定説になっていない珍説を紹介しているとかなんとか批判されることになるのかも知れませんが、こういう分野の番組では、そういうことにあまり目くじらをたてる必要はないと思うのです。見てる方だって、現実生活に役立てようと思って見ているわけではなく、あくまで科学エンターテイメントですからね。いちおう定説ではないという断り書きさえ入れておけば、OK ではないかと思っています。

 むしろ、ぼくが気になったのは、ちょっと説教臭いところで、「繁栄こそが滅びの前段階だ」みたいなメッセージがあるところ。

 そもそも、種の「繁栄」という概念も定義が難しくて、個体数だけで言えば、人間より多い種はいっぱいいそうだし、恐竜だって別に一つの種ではなく、いろんな種類の大型爬虫類の総称だし。だいたい、繁栄している種というのは、現在の環境にもっともよく適応している種なんだから、環境が変化したときに最も大きな打撃を受けるのは当然とも言えますし。

 それ以前に、そもそも、人間の歴史から教訓を引き出すのと同じように、生物の歴史から教訓を引き出せるだろうか、という疑問もあるんですね。なぜかというと、人間の歴史を支配しているのは、基本的に人間の意思決定であるのに対し、生物の歴史を支配しているのは進化の法則だから。

 よく進化論というのは「適者生存」の論理だと言われるんだけど、この言い方はちょっとミスリーディングで、これだと、なんか生物が自分の意思で環境に適応しようとしていて、うまく適応した種が生き残る、みたいな印象を与えるんだけど、実際には、進化の原動力は突然変異であって、個体の意思とは無関係なんですよね。だから、むしろ、結果的に生存したものが適者と呼ばれるんだ、と言うほうが実態に近くて、そういう意味では、進化論というのは結果論だと思うんです。

 実際に繁栄していた恐竜が、傲慢になって哺乳類イジメみたいなことをしていたとも思えないですが、仮に傲慢にならず謙虚な恐竜たちだったとしても、気候の変化に合わせて自分の遺伝子を変化させる、なんてことはそもそもできなかったはずですからね。だから、もし教訓を引き出すとしても、種の環境に対する適応のメカニズムを研究して、それを社会システム構築に応用するとか、そういうことしかできないと思うんです。

 しっかし、生物って言うのは、あれだけ過酷な環境変化の中でも生き残れるのに、なんで異星には生物が見つからないんでしょうねえ。生物って言うのは、誕生するまでが大変で、その後生き残るのは割と簡単ということでしょうか。もっとも、私の異星生命体に関する知識は、ドレークの式ぐらいで止まっているので、現在の理論水準だとどうなるのか、さっぱりわかりませんが(^^)。タイタンに生命の痕跡が見つかったりしないのかなあ。

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ウルトラマンの毒

 例の「円谷チャンネル BB」で、ウルトラマンの中でも伝説的な作品、第 23 話「故郷は地球」を観ました。

 いやー、子供向けヒーロー番組らしい爽快感のカケラもない作品でしたねー。

 宇宙飛行の実験中に行方不明になり、歴史から抹殺された宇宙飛行士「ジャミラ」が、奇跡的に異星の環境に適応して、怪獣のような姿になって生き延び、何十年もたって復讐のために地球に戻ってくる。しかし、科学特捜隊は、今さら真相を明かすことはできないという理由で、ジャミラを怪獣として倒すことを命じられる。水に弱い身体になっていたジャミラは、ウルトラマンに水流を浴びせかけられ、泥の中でナメクジのようにのた打ち回りながら死んでいく…。

 いやー、こんな話をよく子供番組として放送できたものですねー。こんなの、子供にどこまで理解できたのかなー。これも実相寺昭雄監督作品で、例の独特のカメラアングルも全開だし。

 ところで、ウルトラセブンのモロボシダンは、地球人と異星人の間に立って、文字通り宇宙人として悩む、というシーンがよくあるのですが、ウルトラマンのハヤタ隊員は、そういうことで悩むことはほとんどなくて、悩むのはだいたいイデ隊員の役割なんですよね。ウルトラマンは、ゴルゴ 13 のように常に非情に任務をこなす、という感じで。今だったら、結構アブナイ奴って感じになっちゃうかも (^^)。

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すごい毒

 「ほぼ日」の糸井さんが、「ダーリンコラム」で「テレビはすごい」とほめています。

 同じ糸井さんは、数日前には確か、「テレビは毒だ」と言っていて、これはすごくよくわかる気がします。

 ぼくは一時期、テレビをリアルタイムで観るのをやめて、必ず録画して後で観る、と決めていたことがありましたが、やってみると、実際には録画した番組の半分ぐらいしか観ないことがわかりました。その結果、テレビを観る時間は驚くほど減りました。

 けれども、別にテレビが嫌いになったかというと、そんなことはまったくなくて、なんとなくテレビをつければ、どんなにくだらない番組しかやってなくても、かる~く小一時間ぐらいは観てしまうわけです。

 つまり、テレビには、内容だけで判断すれば、別に対して観たくないと思っている人にさえ、いったに観始めたら最後、だらだらと見続けさせる力を持っているわけで、いわば、究極のヒマ潰しテクノロジーと言えましょう。(まあ、娯楽はすべて、最終的にはヒマ潰しだ、という気もしますが(^^))

 考えてみれば、テレビ、特に民放の存在理由というのは、何か有難いメッセージを流すことでもなんでもなくて、コマーシャルまでスイッチを切らせずチャンネルを変えさせず、テレビを見続けさせることなんであって、テレビ界はほとんどそれだけを目指して何十年もやってきたのですから、そのためのテクノロジーが異常なまでに進化しても不思議はありません。

 よく、民放は NHK に比べてくだらない、と言いう人がいますが、NHK は料金をとってやっているのだから、内容があって当然なのであって、(少なくとも視聴者から直接は) 料金をとっていない民放と比べるのは不公平です(かつてはメディアのチェンネル自体が限定されていたので、民放と言えども、公共性に配慮する必要がありましたが、今ではその必要性も弱くなりました)。こういう人は見落としているかもしれませんが、民放がくだらないのは、ひょっとしたら NHK のせいかもしれなくて、NHK がなかったら、民放はもっといい番組を作るかもしれないのです。

 なぜなら、民放が番組にかけられる予算は視聴率に依存しますが、NHK にはそういう制約がないので、民放は、「視聴率は低くても質のいい番組」というジャンルで NHK と競争しても、はなから勝ち目がないからです。したがって、民放は必然的に、高視聴率の見込める大衆向けの番組に特化せざる終えない、という、お役所による民業圧迫みたいな面もあるはずです。

 だから、今後もっとメディアの種類やチャンネルの数が増え、有料なメディアが増えれば、おそらく、有料メディアと無料メディアの役割分担がさらにすすみ、無料メディアの方はある意味ますます「くだらなく」なるんじゃないかと思っています。閑話休題。

 けれども、純粋にメディアとして考えた場合、テレビの優位性は、

  1. リアルタイム動画が、
  2. タダで、
  3. どこでも、

視聴できるということに尽きると思いますが、このような優位性は、衛星放送、ケーブルテレビ、ブロードバンド放送など、さまざまなメディアに脅かされています。インターネットなどは、その上、双方向のインタラクティブ性まで備えているので、おそらく、どの家庭にもブロードバンドの常時接続があるのがあたりまえの時代になったら、地上波で広範囲に映像を流すメディア、という意味での「テレビ」の優位性はほとんどなくなってしまうでしょう。

 しかし、メディアとしてのテレビの優位性はなくなっても、テレビのコンテンツを製作するために培われたノウハウやインフラや技術の蓄積や優秀な人材は残るのであり、こういったものは他のメディアのコンテンツ制作にも転用可能なはずなので、今後徐々に他のメディアにシフトしていくのではないかと思います。

 まあ、テレビを知り尽くした糸井さんがどういう意図でおっしゃっているのかは、ぼくなんかにはわかりませんけど、「 「ほぼ日」はテレビになる」という言葉を表層的に噛み砕くと、そんな感じになるんではないかと思った次第。あ、「ほぼ日」がくだらない、という意味じゃないですよ。為念。

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芸能人と社会的制裁について

 紳助氏の問題について、不特定多数の人に評価されなくてはならない芸能人と、当事者だけに評価されればよい一般人の社会的評価がリンクしていることが、問題をややこしくしている、というようなことを前に書きましたが、紳助氏を擁護する人の多くも、おそらく、紳助氏が払った何十万円ばかりの罰金よりも、紳助氏の芸能人生命の方を気にしていると思うんですね。ですから、芸能人に対する「社会的制裁」ってヤツについても、少し考えてみようと思います。

 私の記憶が確かならば、かつては、芸能人の犯罪というものに対する世間の目は、現在よりずっと厳しく、それこそ、軽犯罪ぐらいでも芸能人生命を抹殺されるような雰囲気があったと思います。

 おそらく、その理由としては、毎日のようにテレビに出ている芸能人は、倫理的にも社会の模範になることを期待されていたとか、一般人よりもずっと高収入でさまざまな役得もあると思われており、その分厳しい社会的責任を課されていたとかいうことがあったのでしょう。

 もともと、芸能人が倫理性の高い人だというのは、当時からフィクションにすぎなかったと思うのですが、インターネットも写真週刊誌もないころは、マスコミの監視網も今よりずっと甘かったので、そのようなフィクションもなんとか維持されてたのかもしれません。

 しかし現在では、ゴシップメディアの発達により、芸能人も普通の人にすぎないということが誰の目にも明らかになってしまったし、また、バラエティの流行により、自ら半ば露悪的に庶民性をアピールするような芸風が主流になって、このようなフィクションは完全に崩壊したと言えます。また、高収入な芸能人というのも一部だけで、それも長続きする保証はなく、びんぼー生活に甘んじている芸能人も多数いるということも常識になりつつあります。

 したがって、現在では、芸能人に対して特に高い倫理基準を求める理由はあまりなく、一般人並みでよい、というのが私の基本的な考えです。もちろん、事件のせいで自然に人気が落ちる、ということはあるでしょうし、それはもともと人気商売なのだから仕方がないでしょう。でも、芸能人だから倫理性が高くあるべきだ、というようなタテマエ論で裁くのは時代錯誤だと思います。

 紳助氏の場合も、それほどの悪意があるわけでもなく、傷害といっても回復可能な重症を与えたわけでもない(PTSD とか言ってるけど)し、本人十分反省もしているし、もしこれで芸能界追放みたいなことになったら、私はむしろ断固擁護しようと思っていました。(それは、あくまで自分がファンだからで、他人に強制する気はありませんが(^^)。)

 しかし、現実にはその真逆になっていて、この雰囲気で彼の芸能人生命がなくなるなんてことはあり得ない。だとすれば、もうそれで十分じゃないですか。それをわざわざ、被害者を貶めてまで彼の名誉を回復しようとするのは、いくらなんでもやりすぎじゃないか、と思うのです。

 ひょっとして、紳助氏を擁護する人には、上に書いたような、芸能人に対するタテマエ的な倫理の強制に対する反発があるのかもしれませんが、もはや、そういう時代は明らかに終わっていて、本当に人気のある芸能人は、一度や二度の犯罪歴ではつぶれず、なんだかんだ言ってしぶとく復活してくるという例を、私たちはいくつも見ているのではありませんか。

 自分の感じでは、おそらく、ビートたけし氏のフライデー殴りこみ事件あたりが、その転換点だったと思うんですね。でも、あの時彼はたしか、「他にどんな方法がある」みたいなことを言っただけで、「暴力が正しい」などという主張は一切しなかったはずです。(結果論かもしれませんが) それによって彼は、法の精神と自分の信念との折り合いをつけ、その結果として、法的には裁かれたけれども、逆に、社会的にはある種の評価を得たと言ってもよいでしょう。

 今回の紳助氏のケースも、周囲がもっと大人だったら、もっとうまく収まっていた可能性もあるのに、なんかわざわざ話をややこしくしちゃったんじゃないか、という思いがどうしてもぬぐえません。

 もともと、社会的制裁というのは、法の精神と相互に補完し合うもので、金持ちにとっては罰金はたいして痛くないのだからその分金持ちは厳しく見るとか、逆に、法律的には犯罪だからしょうがないけど人間的にはいいヤツだから刑期が終わったら温かく受け入れようとか、そういう柔軟な対応をすることによって、法律の形式性みたいなものに対してバランスをとる役割があったと思うし、そういうふうな配慮をすることによって、かえって、法の精神も維持されてきたんだと思うのです。でも、今回の事件に関しては、社会的制裁の論理が一方的に法の精神を押しつぶそうとしている雰囲気があって、そこが一番危惧されるところですね。

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紳助氏復帰について

 島田紳助氏の自粛期間終了の発表にともない、被害者側の弁護士が「時期尚早」とこコメントを発表したとのこと。

 そのようなコメントを発表するのは勝手ですが、私は、時期尚早かどうかは、最終的には視聴者が判断すればよいことだと思います。少なくとも彼は、法的な債務は果たしたのですから、刑期を終えた犯罪者みたいなもので、それをどう遇するかは、世の中の人一人一人が自分の価値観で判断すればよいことでしょう。

 もちろん、被害者が納得してないのに復帰しやがって、とか、数ヶ月ぐらいでのこのこ出てきやがって、と思う人もいるでしょうが、そういう人も含めて、視聴者を自分の芸と言動で納得させられるかどうかが紳助氏の勝負であり、復帰するからには、その覚悟があってするのでしょうから。

 ただ、島田氏や周囲の人に一つだけ望みたいことは、自分の社会的評価を上げるために、メディアを利用して被害者を貶めるようなことだけはしないでほしいということ。(もし、どうしても言う必要のあることなら、メディアではなく、法廷で言うべきだ。)

 前にも書いたけれど、これを許してしまったら、たとえ法的には自分に理が合っても、結局は自分が損する可能性が高い、ということで、有名人や権力者を訴えることが難しくなり、実質的に法の下の平等が損なわれるという、悪しき前例になりかねません。(ある意味セカンドレイプと同じようなもの。)

 それさえなければ、私も、安心して紳助氏のファンでいられます(^^)。

 これは半分冗談だけれども、「行列」の復帰第一弾はザンゲスペシャルにして、紳助氏の事件そのものを題材にして、弁護士軍団とゲストが寄ってたかって紳助氏をイジメまくるというのはどうだろう。ちょっとわざとらしすぎるかな(^^)。

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松本人志 in しりとり竜王・続報

 結局、選手じゃなくて、審査員としての参加だったんですね。それでも、最初のお題を出す役だけはやっていて、その御題だけでも、結構おもしろかったですけどね。でも、やっぱ本人も周囲もすごくピリピリしていて、ちょっと異様な雰囲気でしたね。

 昔、大喜利でキム兄や板尾さんが松っちゃんに挑んでいた番組は、もちろん松っちゃんの存在感はありつつ、キム兄や板尾さんの見せ場もあって、すっごく面白かったんですが、ああいうのはもう見れないのかなあ。

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松本人志 in しりとり竜王

 なななんと、松ちゃんがホントに「しりとり竜王」に出ることになったらしいです。

 うわー、なんか今から心臓ドキドキしてきた(^^)。

 他にも、「ダウンタウンのガキ使 15周年記念スペシャル 」とか、「 人志松本のすべらない話」とか、「ダウンタウン笑いの祭典予選会 」とか、年末はダウンタウン関係の番組が目白押しのようです。

 例年ダウンタウンは、年末年始の露出が少ない方だったと思うんですが、なんか、どうしちゃったんでしょう(^^)。

 紳助さん謹慎の余波か何か知りませんが、ありがたいことですねえ。これでことしも無事年が越せそうです(^^)。

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インクレディブル

 「Mr.インクレディブル」って、なんか、藤子不二雄氏の「中年スーパーマン佐江内氏」に似てる、と思ってしまうのは、私だけでしょうか(つっても予告編しか見ていないのだが(^^))。まあ、ありがちな発想だし、アメリカ人がこんなマイナーなマンガを読んでるとしたら、その方が偉いという気もしますが。

 ブログも、ネタがないと、つい無理矢理ネタを考えようとしたりしてしまうところがよくないですね。(^^) 

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歴史を動かす人、動かされる人

 ビデオに撮りためてあった「新撰組」を数回分見直してみました。

 このドラマで1つ印象的なのは、他の歴史物ではわりといい役に描かれることが多い、勝海舟と西郷隆盛がかなり悪役になっていることですよね。それに対して、新撰組の連中は、人を斬ったりもしたけれど、根はいいヤツなんだ、という感じに描かれている。

 つまり、歴史を動かす人=ヤな奴、歴史に動かされる人=イイ奴、という図式ですね。

 これは、かわぐちかいじ氏の「ジパング」なんかでもそうで、このマンガでは、歴史を俯瞰で見てよりよい方向に動かそうとする人たちと、歴史の内側にいてその中で最善をつくそうとする人たちとの間の葛藤、というのが、よりはっきりと1つのテーマになっていますね。

 これは多分偶然の一致ではなくて、それこそ時代がそういうものを求めているということがあるんだと思うんですね。それはもちろん、単純な進歩史観の終焉とか、一種のリビジョニズムの影響とか、いろんなことがあるんでしょうけど。

 昔、宮崎駿氏が、「歴史を動かすのは悪人だ」という発言をしていて、そのときはまったくピンとこなかったんですけど、歳をとるにつれて、だんだん何が言いたかったのかわかるような気がしてきました。まあ、それを誤解を招かないように説明しようとすると、なかなか難しいのですが(^^)。

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インターネットでよみがえる思い出

 「円谷チャンネル BB」という、昔のウルトラシリーズをブロードバンドで放映しているサイトがあるのですが、某プロバイダーのブロードバンド乗り換えキャンペーンのおかげで、これを無料で見れるので、毎週楽しみに見ています。

 先週公開されたウルトラマン第19話「悪魔はふたたび」を見ていたら、子供のころに住んでいた千駄ヶ谷のガード下らしき風景が出てきたので、それをきっかけにいろいろ検索していたら、そのものずばり、「ウルトラシリーズロケ地探訪」なんていうサイトを見つけてしまいました。これだからインターネットは怖ろしい(^^)。

 それで火がついてしまって(風邪がぶり返して仕事に集中できないという事情もあったのだが(^^))、ウルトラシリーズについていろいろ調べたところ、帰ってきたウルトラマン団次郎の本名が村田秀雄だったとか、ウルトラセブンの音楽で有名な冬木透が「鳩子の海」の音楽もやっていたとか、くだらないトリビアがいろいろわかってちょっと面白かったです(しかし、Wikipedia のウルトラシリーズ関係の記事は、みょーに充実してますねえ(^^))。「鳩子の海」の音楽は、子供のころ大好きで、よくリコーダーで吹いていたのですが、してみると、私の幼児期の音楽的影響は、冬木透氏からのものが大きかったのですね。

 逆に、後になって神格化された実相寺昭雄監督も、「 真珠貝防衛指令」とかのころは、申し訳ないけど、まだあんまりうまくなかったんだなあ、ということを再認識しました。妙な映り込みのカットとか超アップを多用してるんだけど、ほとんど意味がない感じで、高校の文化祭でさんざ見せられた、観念的な映画の数々を思い出してしまいまいた。実相寺さんも若かったんだなあ~、という感じ。わりと評価の高い「恐怖の宇宙線」なんかも、今見ると、「わかりづれえよ! ふつーに撮れよ!」と思ってしまいます。さすがに、「狙われた街」なんかになると、有名なちゃぶ台のシーンも夕陽の決闘シーンも含めて、一遍のファンタジーとして成功しているとは思いますが。しかし、このちゃぶ台シーンのせいで実相寺監督が干された、というのはホントなんでしょうかねえ(^^)。

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お華氏いぞ 9/11?

 アメリカの保守派が、マイケル・ムーアの「華氏 911 (Fahrenheit 9/11) 」に対抗して "FahrenHYPE 9/11" ってのを作ったらしいんですけど(^^)、誰か見た人いないですかねえ。

 こういうのって、つい怖いもの見たさで見たくなっちゃうんですけど、金払ってまで見る価値はない気もするし。現在、取り寄せようかどうしようか、迷っているところなのであります。

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ダウンタウンの新番組

 ダウンタウンが新番組をやっている、ということを、昨日まで不覚にも気づかなくて、昨日やっと初めて「考えるヒト・公募の錬金術」を見ました。 中田有紀 さんというアナウンサーが、昔の「テレビタックル」の丸川珠代さんみたいな役をやっててちょっと面白かったですね。なぜか、アヤパンや佐藤寛子ちゃんらしき娘も解答者ででていました。

 でも、何より松ちゃんが生き生きしてたのが、ファンとしてはうれしかったですね~。どうも、あの松本人志にして「天才」の名が少し重荷だったらしく、こないだの「松紳」でも、「虎の門」の「しりとり竜王」に一解答者として出たいみたいなことを言ってて驚きましたが、だって本当に天才なんだからしょうがないですよね~(^^)。

 まあ、あまり期待しすぎないようにしますんで、もっとどんどん気楽にテレビに出てください。ぼくは少しでも多くあなたの芸が見れれば、それだけでじゅうぶん幸せですから(ってラブレターか(^^))。

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島田紳助事件の不幸な構造

 女性マネージャーに暴行を働いた島田紳助氏が、略式起訴されたそうです。

 この問題の是非については、紳助が悪い、いや悪くないと、世論が割れているようですが、法律的な評価と社会的な評価を混同しないようにしないと、不毛な議論にしかならないと思います。

 法律的な評価というのは、社会的な合意の形成を重視しますから、どうしても形式的になります。この事件の場合なら、殴ったと言う事実だけが重要であって、そこにどんな理由があろうと、刑が軽くなることはあっても、善悪が逆転することはありません。ですから、このレベルで紳助氏が「悪い」と言うのは、議論の余地がないはずです。

 もともと、このような法律は、私的なレベルで解決できない紛争に、国家権力が強制的に介入することによって、私的な紛争が社会秩序を崩壊させるような事態に至るのを防ぐための、一種の安全装置として存在しています。だからこそ、介入の条件が明確に指定され、それが満たされればほとんど無条件に発動されるような仕組みになってているのです。

 この事件の場合にも、被害者が警察に訴えたり、和解に応じないこと自体を責める人もいるようですが、そもそも、私的な力関係で言えば、紳助氏や吉本興業の方が圧倒的に優位にあるのであって、彼らは、被害者を減給にすることもクビにすることも大金をだして懐柔することもできたのだ、ということを忘れてはなりません。そのような優位に立ちながら、問題を私的なレベルで解決できず、国家権力の介入を招く理由を作った責任は、彼らにこそ問われるべきものです。

 一方、社会的評価の方は、個々人の主観的な評価の集積にすぎず、法律的な評価とは逆に、社会全体で合意する必要はありません。この事件の場合も、もし、被害者が無礼な態度をとったという主張が事実であれば、その分紳助氏に同情する人がいてもおかしくはありません。しかし、同情のレベルを超えて、紳助氏の方が「正しい」と言うためには、単にこの女性が無礼か否かではなく、殴っても許されるほど無礼であった、と言える必要があります。そして、どのぐらい無礼なら人を殴ってもよいかなどということは、社会全体で合意などできるはずがないのです(もしできるのなら、無礼な人間は殴ってもよい、という法律ができているはずです)。したがって、このような評価は、どこまで行っても私的な評価にすぎず、被害者が本当に無礼だったかどうかも、当事者だけが知っていればよいことだったはずです。

 ところが、この事件の場合、加害者がたまたま、社会的評価が収入に直結する「芸能人」という職業についていたので、加害者が仕事をつづけるためには、加害者の社会的評価をある程度上昇させる必要ありました。そして、さらに不幸なことは、この事件においては、加害者の社会的評価を上昇させることは、被害者の社会的評価を下げることに直結しているということです。だからこそ、本来は当事者同士の私的な問題ですんだはずの、両者の社会的評価をめぐって、加害者と被害者が全面的に対立するという構図になってしまったわけです。

 そもそも、紳助氏の「全面的に自分が悪い」という発言は、自分はこの事件について、社会的評価のレベルで争うつもりはない、という意思表明だったと思うのです。そして、紳助氏に好意を持つ人たちが、彼の一日も早い芸能界復帰を望むなら、この隠されたメッセージを(それこそ日本の伝統と言われる)阿吽の呼吸で受け止め、この事件について紳助氏の名誉回復を図ることはあえて禁じ手にし、あくまで紳助氏の芸に対する評価によって、彼を番組に使い続け、あるいは、彼の番組を見続ける、という態度をとるべきだったと思うのです。

 しかし、実際には、彼の周囲の芸能人やインターネットの紳助ファンは、彼を擁護し、相対的に被害者を中傷する発言を繰り返し、結果として、被害者の態度をより硬化させてしまうことになりました。   

 現在、被害者は民事訴訟に訴えることを検討中だそうですが、もしそうなれば、事件のより詳細な事実関係が明らかになることでしょう。もちろん、それによって、紳助氏の名誉が回復される可能性もありますが、より不名誉な事実が発覚してしまう可能性もあります。そして、いずれにせよ、彼の復帰がより長引くことだけは、間違いなさそうです。

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フレッツ・スクウェアに洋画コンテンツが

 久しぶりにフレッツ・スクウェア(NTT のフレッツサービス利用者のみアクセス可能なサイト)にアクセスしてみたら、「ニュー・シネマ・パラダイス」のトルナトーレ監督の「マレーナ」とか、クローネンバーグ監督の「イグジステンズ」とかが、(たぶん)無料で公開されてました。

 これまでのブロードバンド・コンテンツは、邦画やアニメばっかりだったような気がするのですが、いよいよ、洋画もブロードバンドで見れる時代になるのでしょうか。楽しみです。

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眉毛ふぇち?

 市川さんって、報道ステーション開始当初のころに比べると、眉がうすくなりましたよね(染めただけ?)。

 最近、細眉の人が多くて、眉のきりっとした美人が少ないので、貴重な存在だと思っていたのですが。

 でも、やっぱり可愛いですけど。(^^)

 素直にすくすく育った感じがとてもまぶしいです。

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