「幸せの1ページ」感想
シネフィル・イマジカ改め IMAGICA BS で「幸せの1ページ」を鑑賞。
このタイトルとジョディ・フォスター主演ということで、都会的な恋愛物なのかなと思っていたら、完全にジュブナイルだった。子供向けのちょっとコメディタッチの冒険物というか。そうとわかったら、肩の力を抜いて楽しんで見れた。
ジュブナイルと言っても、ジョディ・フォスター演じる引きこもり作家のキャラクターには大人の視点も入っているので、いわゆる「大人のための童話」的な要素もある。最近亡くなった北杜夫さんの作品に「さびしい王様」という名作があるのだが、ああいうのに近いかも。
その手の作品としては、そう悪くない出来だったと思う。少なくとも最後までチャンネルを変えさせないだけの力はあった。こういう作品ってバランス感覚が大事で、あまりリアリズムになり過ぎてもいけないし、かといってフザけすぎても白けてしまう。そのへんのバランスのとり方も、失礼ながらさほど有名でない監督にしてはなかなかうまかった。
ジョディ・フォスターのコメディというのは初めてみたが、わりと頑張っていたのではないか。フォスターの私生活上のゴシップから来るイメージが、配役のイメージと微妙に共振して、誇張されたキャラクターに人間味を与えていたように思う。将来は室井滋のような方向性もありかも、と思わせた。
もっとも、フォスターの引きこもりキャラは、もう少し掘り下げるとさらに面白くなったかも。「助けに来たはずが、結局助けられたんかい!」あたりはお約束と言っていいオチだが、そのへんの喜劇性ももう少し強調してもよかったかも。まあでも頑張っていたと思うよ。
ただ多くの人が指摘しているように、宣伝には問題があったかも。原題は "Nim's Island" なのだから、素直に「ニムの島」にするか、あるいは、原作邦題の「秘密の島のニム」にして、子供向けの冒険物として宣伝すれば、もっと好意的に評価されたのではないか。
追記: ラストに納得してない人が多いみたいだけど、私はあのラストは結構好き。確かに説明がうまく言ってるとは言い難いので、私の解釈で野暮な解説をすると。
アレクサンドラはニムを助けてヒーローになれば引きこもりを克服できると思ったらしいんだけど、実はそれこそが勘違いなんだよね。本当に彼女に必要なことは、ヒーローになることなんかじゃなくて、自分の弱さを認めて素直に自分を投げ出すことだったんだ。
だからこそ、アレックス・ローバーの幻は途中で消えてしまい、アレクサンドラはニムに助けを求めるしかなくなる。そうやって自分を投げ出した結果、アレクサンドラとニムは心が通じ合うことになる。
こうやって解説しちゃうと図式的すぎるけど、そういう話なんだよ。多分。だから、アレクサンドラは役立たずのままでいい。これが変にヒーローになっちゃったりしたら、その方がよっぽどウソ臭い薄っぺらい話になったことだろう。
なんか最終的にはアレクサンドラが活躍するはず、と思って見てた人が多かったんだろうね。だからこそ、「助けようと思ったのに助けられちゃった」みたいなダメさをもっと強調すべきだったと思うんだけど。
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