有権者は民意を知らない
「政治家は」の間違いではない。有権者は民意を知らないのだ。別に皮肉でもなんでもなく。
なのに、マニフェスト論・社会選択理論・直接民主制論など、民主主義に関する政治理論の多くは、民意を最もよく反映する政治こそが正しい政治である、という暗黙の前提を置いている。この固定観念こそが、政治制度に関する議論を不毛なものにしている最大の原因だと私は考えている。
このような考え方は、実は政治以外の分野では特に珍しい考え方ではない。
たとえばマーケティング。かつては消費者の需要を知りそれを満たすことが目標だったが、最近ではむしろ「需要の創造」などと言われるようになった。これは、消費者自身も気づいていなかった隠れた需要を、生産者の方が発見して提案するという意味だ。
あるいはソフトウェア工学(私自身がこの事を最初に学んだのはこの分野を通じてだった)。かつてはユーザーがソフトウェアに求めるものをできるだけ正確に知って、その通りのソフトウェアを作ることを目標にしていた。要求分析とか要求定義とかが重視されたのはそのためだ。
しかしやがて、この方法は十分に機能しないことが明らかになる。その最大の原因は、ユーザー自身がソフトウェアに何を求めているかわかっていないということだった。たとえ完璧に仕様通りのソフトウェアを納品しても、ユーザーは必ずと言っていいほど、思っていたものとは違うとか、ここを変えて欲しいとか、追加機能が欲しいとか言い出す。そのことが知られてから、ソフトウェア開発の方法論は、仕様の柔軟な変更を前提としたものに変わっていった。
念のために言っておくが、これは別に消費者やユーザーを馬鹿にして言ってるわけではない。そうじゃなくて、人間は誰でも自分が何を求めているか本当には知らないのが普通なのである。
生まれて初めてある料理を食べるとき、人はその料理が美味いかどうか知らないで食べている。最初から美味いとわかっているものしか食べなかったら、一生貧しい食生活が続くことになるだろう。自分でも価値のわからないものを求めるからこそ、幸福の地平は広がってゆくのである。
実は、私の「民意」に対する固定観念を決定的に打ち砕いたのは、他ならぬ社会選択理論そのものであった。アローの不可能性定理やセンのリベラル・パラドックスは、素朴な意味で「民意」を満たす決定方法が存在しないことを教えてくれる。
要するに「民意」というのは、神によって与えられた自然権などと同じく、民主主義を支えるフィクション(擬制)なのだ。「民意」とは選挙によって表されるところのものであって、それ以上でもそれ以下でもない。それ以外の「真の民意」などを求めても不毛な結果しかもたらさないだろう。
理屈からすれば直接民主制の方が正しいように見えるのに、実際には間接民主制が主流になっているのも、おそらくそこに理由がある。建前のフィクションでは説明できない知恵が制度に隠されていたからこそ、民主主義はここまで存続して来れたのだ。
政治の真の目標は、「民意」を実現することではなく、人々を幸せにすることであり、そのための最善の制度を考えることだったはずだ。「民意」への不必要なこだわりは、むしろその邪魔にすらなっているのではないか。民主主義にとって真に必要なのは、有権者が最終的なガバナンスを握っていること。それだけだ。
たとえば、料理屋で自分が食べたい料理を食べるためには、レシピをできるだけ正確に詳しく書かせてそれを守らせるべきだとか、料理屋の情報公開が不可欠だとか、料理屋に任せずに自分で料理すべきたとか、客の料理能力以上の料理を食べることは不可能だとか言う人はあまりいない。料理屋同士を競争させて、その中から適当に店を選ぶだけで、ぼくらは十分に食べたい料理を食べることができている。なのに、こと政治の話になると、なぜかそういう話になるのは不思議なことだとは思いませんか?
それも結局は、有権者が民意を正確に知っていて、それを実現するのが正しい政治である、という誤った固定観念のせいだと思う。
だから政治制度を考える際には、有権者が民意を正確に知らないことを前提にして、それでもうまく機能するシステムを考えるべきだ。そのとき参考になるのはむしろ、プリンシパル・エージェント理論とか自動制御論とか、そういった理論ではないだろうか。
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