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愛国心の欠如の自覚

 ぼくは「3.11」という言葉があまり好きではない。もちろん、いちいち「東日本大震災」と言うのは面倒なのでなんらかの略称が必要なのはわかるが、ことさらに「9.11」になぞらえた「3.11」という言葉を使うのが嫌いだ。

 もっと正確に言うと、そういう言葉を嬉々として使いたがる人たちが嫌いなのである。そういう人たちに限って、震災に自分勝手な歴史的・政治的な意味づけをして、自分の主張の道具として使おうとしている人だったりする。だからぼくは、単に「震災」とか「今回の震災」とか「東北の震災」と呼びたい。

 おっと冒頭からいきなり話がずれたが、今回の震災で強く自覚させられたことが一つある。それは、ぼくには「愛国心」がない、ということだ。

 震災についての言説でぼくが最も違和感を感じたのは、震災を「日本の悲劇」として捉えようとする人が多いことだった。もちろん、東北の震災が人類史上でもそう多くない規模の悲劇であることに異論はないが、ぼくはどうしてもヒューマニズムの観点から見てしまう。つまり「人類の悲劇」だと思ってしまうのだ。

 たとえば、インドネシアやハイチや四川で巨大な地震や津波があり、死者数だけで言えば東北の震災をはるかに超える(参照)被害があったのはつい数年前のことだ。ぼくはどうしても、このような震災も東北の震災と同じかそれ以上の悲劇だと感じてしまう。

 もちろん放射線や停電の問題に関しては、自分自身や身近な人間が直接的な被害を被っているので、その点では海外の災害より身近に感じるのは当然だ。またぼくは、日本という国に税金を納めたりいろんなサービスを受けたりしており、その点では他国人より日本人との間に強い利害関係を持っているのは間違いない。

 しかしそういう主体的なコミットメントを除いて素朴にどう感じるかを考えると、東北の人もハイチの人もインドネシアの人も同じぐらい可哀想だと感じている自分に気づく。

(余談だが、これはぼくが平均的な日本人よりは多少英語メディアに触れる機会が多いせいもあると思う。英語メディアでは東北の震災も大々的に報道したが、インドネシアやハイチや四川もそれと同じぐらい大々的に報道していたので、自然とシンパシーを抱いてしまうのである。これはダルフール問題などにも同じことが言えるだろう。)

 これは、ぼくが国家主義者でないため理屈で無理矢理そう思い込もうとしているわけではないし、こういう感じ方が正しい感じ方であり、日本人はみなそう感じるべきだと主張したいわけでもない。もちろんだからと言って自分の感じ方が間違いだとも思わない。ただ、自分がわりと自然にそういう感じ方をしてしまうのだということを、自分で再認識しただけのことである。

 このブログにも何度か書いたはずだが、ぼくは昔のサヨクの人みたいに愛国心が悪だとはまったく思っていない。人間には愛国心を持つ自由があるし、それにことさらケチをつける気もない。でも、愛国心を国家が個人に強制したり、国民が他の国民に強制したりする権利はないとも思っているのだ。

 そういう意味で、震災後の日本人が精神的に団結するのが当然だ、みたいな言説の氾濫には多少の不安を覚えている。もちろん節電とか募金とかできる範囲の協力はしているのだが、感情的な一体感を人間性の評価に直結されたりしそうなのが嫌なのである。

 「日の君」などは、単なる形式だから強制されてもいいと思っているが、そこに心が籠もっているかを問わるのはまっぴらだ。だって実際、心なんかこれっぽっちも籠めていないからね。だから、リベラル派だと思っていた小田嶋隆までが「形式よりも心が大事」みたいなことを書いているのを読んだときはかなりゾッとした。

(ちなみに、ぼくの小田嶋隆に対する評価は、内田樹などとは比べ物にならないほど高い。特に、彼の文章を書く手つきに感じられる距離感のとり方みたいなものは、極めて高度な技術であり、内田樹などにはまったくないものである。)

 ぼくは自分の政治的立場をはっきりさせること自体あまりいいことだとは思っていない「旗色不鮮明主義者」なのだけれど、ぼく以外にも同じような肩身の狭さを感じている人がいるかもしれないので、そういう人間の存在も許されるはずだということをここに明記しておきたい。

(前にも説明したような気がするけど、記事が見当たらないので一応補足する。旗色を鮮明にするのが正義だと思っている人が多いようだが、ぼくは逆だと思う。一般庶民にとって、旗色を鮮明にするのは自分のためであり、社会のためにはむしろ害になると思う。だから社会のためにあえて旗色を不鮮明にするのが「旗色不鮮明主義」である。なお、旗色不鮮明主義は日和見主義ともまったく違う。日和見主義は信念自体を周囲に合わせて変えることだが、旗色不鮮明主義は、信念はしっかり持ちつつ、それを右・左とか保守・革新とかの単純化された分類として自ら表現しないことである。だからわざわざ「旗色」とか「不鮮明」とかいう言葉を使っているのだ。言い換えれば、自分の信念を素直に表現して、それが他人から左右保守革新どのように分類されようと知ったことではないということ。ああ長くなった。機会があれば改めて説明することにしよう。)

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コメント

古い記事にすみません。

旗色を鮮明にしないというのは、
日本人が、アメリカで、ってことですか?
それとも日本で?

日本の大組織で、政治の話はタブーと言う感じもしますが。

あと、アメリカの日系人は、日米関係つながりで共和党支持だと思われるのか、アジア人ってことで民主党なのか。


どこにお住まいか分からないので、ズレたことを聞いていたらすみません。
アメリカのメディアに詳しいサイトなので、アメリカ在住の方かな、と思いましたが。

投稿: | 2017.02.11 22:29

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