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政治を良くするたった一つの方法

 ぼくはかなり前から(民主党に政権交代する前から)、政治の質を制度的に保証する方法は、最終的には一つしなかいのでは思っていた。それは、政治家の給料を上げることである。

 この方法を口にすることは、おそらくマスコミにとっても政治家自身にとっても、一種のタブーなのだろう。だから真面目に議論されている処すら見たことがないが、ぼくより頭がよくて常識もあり、いつもぼくのアホなアイデアに容赦なく突っ込みを入れてくれる友人に話したら、珍しく同意してくれたので、まったく現実性のない方法でもないのだと思う。

 ぼくがそういう確信に至った理路は、いずれ機会があれば詳しく説明するが、要は、今の政治の問題は政治家の思想よりも質にあるということだ。政治家の質は、かつては国民からの尊敬や役得や賄賂などによって担保されていたが、これらは時代の変化によりすべて消滅しつつある(そしてその方向性自体は正しい)。だから制度的なインセンティブによって質を担保する必要があるというわけ。

 ただ、この方法には一つ大きな問題がある。それは、政治家の給料を上げるのはいいとしても、どの程度上げればいいのかを決めるのが難しいということだ。

 政治家の給料にはもちろん市場原理は働かないし、成果主義的な発想に立つとしても、政治の成果を量的に評価すること自体が困難だ。

 そのあたりでぼくの思考は長年停滞していたのだが、やっと一つアイデアを思いついた。

 要するに、自己申告制にしてしまえばよいのではないか。

 つまり、選挙に立候補する人に、自分の希望年収を公表することを義務付けてしまうのである。その年収は 300 万円でも 10 億円でもかまわない。そしてもし当選したら、必ずその給料をもらえることにする。もちろん、有権者もその自己申告の年収込みで候補者を評価することになる。

 するとどうなるか。自分の能力に自信のある人は高い年収を申告するだろうが、それで結果を出せなければ大恥をかくことになろう。逆に能力より誠実さを売りにする人は、あえて安い年収を申告して有権者にアピールすることもできる。どちらを選ぶかは有権者の判断だ。

 この方法の利点は、人材配置の動的な最適化が可能になることである。

 そもそも、政治家にどの程度の人材が必要かは、相対的にしか決まらないものだ。高度成長期のように世の中が安定していて政治的課題が少ない時期には、政治家に優秀な人材を割り当てる必要はそれほどないかもしれないし、逆に動乱期で政治的課題が多い時期には、政治家にもっと優秀な人材を割り当てる必要があるかもしれない。 政治家・官僚・法律家・企業家その他のどこに優秀な人材を割り当てるべきかの優先順位も、相対的にしか決まらない。

 この方法なら、制度自体を変更することなく、その時代のニーズに応じた人材配置が可能になる。

 ついでに言うと、これは確か橋爪大三郎氏なども提案していたと思うが、得票数が次点の人にも一定の報酬を払ったほうがいいと思う。これはもちろん、二大政党制を前提として、常に主流派を脅かす勢力を確保するためである。これは当選者の申告額から一定割合を割り引いた金額でよいのではないか。

 あと、これはぼくではなくその友人のアイデアなのだが、政治家になんらかのテストを受けさせ、その結果を公開することを義務付けるのもいいと思う。もちろん、テストの成績が悪くても立候補できないわけではないので、参政権の侵害にはならない。資格試験ではなく単なる情報公開という位置づけである。

 素直に知性や教養のある人物を選んでもいいし、知性や教養には欠けるが、人柄のいい人物を選んでもいい。テストの成績をどう評価するかは、あくまで有権者に委ねるというわけだ。

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