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rei harakami の思い出

 昨日からずっとハラカミさんの音楽を聴いているが、これほどワン・アンド・オンリーという言葉の似合う音楽家も珍しいと思う。

 普通のアーティストの音楽は、誰のどんな音楽の影響を受けているか、だいたい見えるものだ。これとこれを組み合わせて、さらにこれをプラスしたんだな、とか。もちろんそれが悪いというわけじゃないけど、虚仮威しの新しさに興醒めさすることもある。

 ハラカミさんの音楽には、そういう虚仮威しの下品さはまったくない。一聴しただけでは、むしろ懐かしい音という感じさえする。しかしよくよく聴いているうちに、これまでまったく聴いたことのない音楽であることがわかって慄然とするのである。

 これは多分ぼくのような音楽ずれした人間ほどそう思うのだが、だからと言って小難しい難解な音楽というわけでは決してなく、カジュアルなリスナーでもすっと入っていける親しみやすさがある。そこが彼の音楽のなんとも不思議なところだ。

 ぼくは以前ハラカミさんのことをエリック・サティに見立てたことがある。その時は単なる思いつきに過ぎなかったのだが、今考えるとこの見立ては案外うまい見立てのような気がしてきた。

 サティも、一聴すると親しみやすいが実はすごく捻った音楽を作った人であり、世俗的評価から超然としていたところも、音楽理論なんて知らないとか言っちゃうところも、ユーモアと諧謔を好んだところもレイ・ハラカミに似ている。

 もちろん、大作曲家サティに似ているからレイ・ハラカミも偉い、なんてアホなことを言いたいわけじゃない。レイ・ハラカミはレイ・ハラカミだから偉いのである。

 でも、訃報を聴いてレイ・ハラカミの名前を知ったけれど、彼の偉大さが今ひとつわからないというような人は、エリック・サティという補助線を引いて考えると多少は想像がつくかもしれない。余計なおせっかいではあるけれど。

 生前のハラカミさんは、決して「有名」とまでは言えなかったと思うけど、Twitter を眺めた限りでは、ぼくが思っていた以上に多くの人に愛されていたようだ。

 その割に「有名」ではなかったのはたぶん、ぼくも含めてファンはみんな、ハラカミ君を独り占めしておきたかったのだと思う。いやもっと正確に言えば、「有名」とか「商業的成功」とか、そういうものとは関係のない場所に、ハラカミ君をそっと置いておきたかったのだと思う。

 でもぼくは今それを少し後悔している。その巨大な才能からすれば、レイ・ハラカミはもっと世の中に知られてしかるべき音楽家だった。もしぼくらが彼をもっと有名にして、常に取り巻きがいるような地位に押し上げていたら、彼は死ななくてすんだかも…、なんてね。なにより彼自身がそんなことを望んでいないことを、みんな知っているのにね。

 普通は人が死ぬと可哀想だと思うものだが、不思議なことに、レイ・ハラカミの場合は悲しくはあっても可哀想だとは思わない。むしろ、彼はぼくのような愚か者がひしめく世界を見捨てて美しい世界に旅立ったのであって、彼に捨てられたぼくらの方が可哀想なんじゃないかと思えてくるのである。なぜ彼がいてもいいかなと思えるような世界にするために、もっと努力しなかったんだろう、なんてね。

 U-zhaan 氏の弔辞。

 最後に、いつも愛らしいハラカミさんの人柄の中で、僕がとっても好きだった一部分をハラカミさんに伝えておきたいです。

  ハラカミさんは、絶対に人を損得で判断しない方ですよね。誰もがつい反射的にしてしまいがらな「彼は役に立ちそうだから」 とか「知名度があるから」などというような考えを、一切持ち合わせていませんでした。地位も何もない若い僕にも、どんなアシスタントにも、たまたまそこにいた僕の友達にも、全くわけへだてなく尊敬を持って付き合っていました。

  「そんなの普通じゃん」ときっとハラカミさんは言うでしょう。ですが、ハラカミさんほど徹底してナチュラルにそれをできている 人を、僕は見たことがありません。人側関係の基準が本当にシンプルで、だからこそハラカミさんの周りにはハラカミさんのこと を好きで好きで仕方ない人が、老若男女関わらずいつも溢れていました。みんながハラカミさんを愛していました。

 ぼくは、美しい音楽を作る人は美しい心を持っている、なんて御伽噺はまったく信じていないし、他人の弔辞を額面通り真に受けるほど若くもないが、レイ・ハラカミに関しては、きっとこういう人だろうと、音楽を聴いただけで決め付けていたことに今気がついた。


追記: 過去の記事を検索してみたら、「Lust」がリリースされたときにもほとんど同じことを書いていたのに気づいた。ぼくはいつもそうで、自分でも言った事を忘れているのにまた同じことを言うのである。

 ハラカミさんの音楽は、決して俗っぽくない。超俗的である。にもかかわらず、決して難解でも高踏的でもない。極めて親しみやすい響きがある。そこが不思議なところ。

 そういう意味では、ちょっとサティに似てるかもしれませんね。ポップスはサティから始まったみたいなことを言ってた人がたしかいたけど、ハラカミさんは、制度化してしまったポップスの世界に現れた現代のサティ、なのかも知れません(^^)。

Red Curb」を聴いて興奮して Amazon のレビューを投稿したのは、もう 7 年も前なんだね。たった 7 年という気もするが。。。

レイハラカミという名前はずっと気になっていたのですが、不覚にも最近まで聴くのをサボっていて、先日、これまたずっと気になっていた某日立の CM の「あなた」のメチャメチャ格好いいアレンジをやったのが彼だと知って、あわててまとめて聴いた次第です。

彼の場合、エレクトロニカと言っても、生楽器でも成立するような音楽を単に電子音でやっているだけではもちろんないし、かと言って、極端な不協和音があったり、調性がひたすら拡散していったり、単調なミニマルフレーズが延々続くわけでもありません。ただ、彼の音楽は、コード進行にしてもリズムにしても、聴き手の「次はこう来るだろうな」という瞬間瞬間の予想を、常に微妙に裏切っていくのです。

ですから、確かに「癒し系」的な要素もあるのですが、他の癒し系作品のように、作品の持つヒーリング世界にリスナーを引き込んでいくのではなく、むしろ、リスナーの感情のさざなみを打ち消し中和していくことによって、結果的に頭の中を真っ白にしていく感じなのです。脳ミソの関節を全部はずされてグニャグニャにされてしまった感じ、と言っては言いすぎでしょうか。

ハラカミさんの音楽は、半野喜弘さんの重厚な和音とも、竹村延和さんのジャジーな感じとも違い、一見ポップでとっつきやすい音楽ですが、その奥には、まるで整体やマッサージにはまったときのような不思議な中毒性を秘めています。ぜひ一度おためしあれ。

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