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多様性を強制する全体主義(草稿)

  • 多様性を正当化する論理の素朴さ
    • 多様な方が全体のためになる、というのが一般的な論法
    • この論理はよく考えると大雑把過ぎる
    • ここでは、多様性が個人のためであることは自明視されている
    • しかし、本当に常にそう言えるだろうか。 
  • 「津波てんでんこ」に潜む非情な論理
    • 個人が助かる確率と全体が助かる確率(人数の割合)は、期待値では同じだが、確率分布や分散は同じではない。
    • 他がまったく同一条件であれば、助かる確率を最大化する最適解は誰が考えても同じになるはず
    • しかし全員が同じ解を選択すれば、最悪の場合、全滅する可能性がある
    • 逆に、互いに独立な解であれば、それぞれが助かる確率は多少低くても、全滅する可能性は低くなる
    • そのような独立解を選択した人は、種の存続確率を高めるために、個人の生存確率をむしろ下げていることになる。
    • この解は、個人主義の論理からは必ずしも正当化されない。むしろ全体主義の論理である。

てんでんこ.JPG

  • 危機に瀕した人間が感情的になる理由
    • 感情の合理性
    • 感情が非合理に見えるのは、文明社会だからであって、野生環境においては感情は合理的である(戸田正直の説)
    • 危機に瀕した人間がパニックに陥るのは、一見非合理に見えるが、そうではない。
    • その合理性としてまず挙げられるのが時間制約。
    • 危機的状況においては、最適解を求める時間がない。
    • しかし、もう一つ理由があるのではないか。
    • つまり、助かる確率が一定以下になると、個人の生存確率を高めるより、種全体の存続確率を高める方が、包括適応度的にも合理的になるのではないか。
    • そのためには、合理的に考えた最適解よりも、ランダムな解を選んでもらった方がいい。
    • だから、種の保存のために個人はパニックに陥らされているのではないか。
  • 多様性は個人のためとは限らない
    • 多様性は、全体のためにはなっても、必ずしも個人のためにはならない場合がありうる。
    • それでも多様性が正当化されるのは、それが個人の選択だから。
    • つまり、個人の生命を尊重するという狭い意味での個人主義には反するが、個人の選択を尊重するという広い意味での個人主義には反していないから。
    • 個人主義の立場からは、多様なら多様なほどいいという単純な論理は成り立たない。
    • 逆に全体主義の立場からも、画一的なほどいいという単純な論理は成り立たない。
  • なぜ個人は多様性を求めるのか
    • 進化のメカニズム
      • 進化は遺伝的アルゴリズムによる最適解の追求
      • 多様化の仕組みが組み込まれている
    • 市場のメカニズム
      • 分業社会では多様性が全体の生産性を増す。
      • 貨幣は多様な価値の間の交換を可能にする。
      • 多様になるほど全体のパイが大きくなり、それを再配分することにより、みなが豊かになることが可能
    • 逆に言えば、このような制約に支配されないところでは、個人は必ずしも多様性を求めないのでは。
  • 選択の自由が多様性を促進するとは限らない
    • 「金では買えないもの」は交換不可能
    • 交換不可能なものは再配分できない
    • 先の例で言えば「命」。
      • 命はウルトラマンや筋肉マンのように、たくさん作ってみんなで分けたりできない。
      • だから、個人の生存確率と種全体の存続確率は、厳密には交換不可能。
    • あるいは「愛」
      • セックスが金で買えるかどうかは置いておくとして。。。
      • 「愛」は金では買えない。ゆえに「愛」を何かと交換することはできない。
      • その証拠に、いくら多様性が重要だからと言って、整形してわざわざブスになる人は(宍戸錠とかは除いて)あまりいない。
    • 市場が豊かになると、金で買えないものの価値が相対的に高まる。
    • それが多様性の追求に歯止めをかけるのではないか。
    • 豊かになる自由があれば、大多数の人は豊かになろうとするだろう。美形になる自由があれば、大多数の人は美形になろうとするだろう。頭がよくなる自由があれば、大多数の人は頭がよくなろうとするだろう。健康になる自由があれば、大多数の人は健康になろうとするだろう。
  • 自由の極限は画一化?
    • あらゆるものが選択可能になったとき、個人はむしろ画一化を求めるかもしれない。
    • そのとき、個人主義=多様性、全体主義=画一性という関係は逆転するかもしれない。
    • 某都知事のような保守主義者が、「最近の若者は画一的でイカン。お国のためにもっと多様になりなさい」と言う時代になるかも。
    • そして国家が個人に多様性を強制する全体主義社会が到来するかも。
  • 結論
    • 社会が豊かになり、選択の自由が極限まで可能になったとき、個人主義=多様性、全体主義=画一性という単純な図式は成り立たなくなる
    • そのとき、我々は「何のための多様性か」ということを再考せねばならない。
    • そのとき、多様なら多様なほどいいというような、粗雑な考えは成立しない。
    • おそらく、自由は多様性に優越する
    • そして、多様性と普遍性が均衡する点が自律分散的に探索されることになるだろう。

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