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マイクロブラックホールといえば…

極小ブラックホールが日々地球を通り抜けている説

マイクロブラックホールと言えば、石原藤夫先生の「ブラックホール惑星」「タイムマシン惑星」でしょう!

ブラックホールをお茶漬けに入れて食べるとか、ぶっとびの発想がてんこ盛りの超ハード SF。石原先生は当時から、マイクロブラックホールは単なる妄想ではなくてちゃんと理論物理学的な根拠があるのです、とおっしゃられていたが。

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if 文を使わずに…

 if文を使わずにprintfで表示を分岐するにはどうすれば良いか

 なんとなくそそられたので、ぼくも考えてみた。

1.実質 if 文と同じなのに、if 文じゃないと強弁する方法

int judge( int answer )
{
#define CORRECT_ANSWER 123
while( answer == CORRECT_ANSWER )

printf("correct!\n");
break;
}
while( answer != CORRECT_ANSWER )
{
printf("wrong!\n");
break;
}
}

2.わりと素直な方法

int judge( int answer )

#define CORRECT_ANSWER 123
static char *message[2] = { "correct!", "wrong!" };
printf( message[answer!=CORRECT_ANSWER] );
}

3.必要もないのに関数ポインタを使う方法

int correct()
{
 printf( "correct!\n" );
}
int wrong()
{
 printf( "wrong!\n" );
}
int judge( int answer )

#define CORRECT_ANSWER 123
 static int ( *functions[2] )()  = { correct, wrong };
 ( *functions[answer!=CORRECT_ANSWER])();
}

4.C++ の場合(まわりくどさの限界に挑戦!)

class Judgement
{
protected:
 Judgement() {}
public:
 virtual void judge() = 0;
};
class Correct : public Judgement
{
public:
 Correct() : Judgement() {}
 virtual void judge() { std::cout << "correct\n"; }
};
class Wrong : public Judgement
{
public:
 Wrong() : Judgement() {}
 virtual void judge() { std::cout << "wrong\n"; }
};
void judge( int answer )
{
#define CORRECT_ANSWER 123
 Judgement *judges[2];
 judges[0] = new Correct();
 judges[1] = new Wrong();
 judges[answer != CORRECT_ANSWER]->judge();
 delete judges[0];
 delete judges[1];
}

おあとがよろしいようで。

追記: 実装依存になるが、わざとゼロ除算例外などを発生させて、signal や catch で分岐する方法もありそう。

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纏足はシグナリング

 NHK BS の「近代中国に君臨した女たち」は、中国の近代史を 4 人の女性を中心に紹介した番組で、その独特の切り口がなかなか面白かったのだが、4 回目の江青の回で、江青が子供のとき、纏足をされそうになったがそれを拒否したという話がでてくる。

 ぼくは中国の歴史にも文化にも無知なので、纏足というのは、中国人独特の美的感覚の産物だろうと、いわば文化相対主義的な解釈をしていたのだが、この番組でゲストの楊逸さんのコメントを聞いて蒙を啓かれた。楊逸さんによると、纏足というのは、出身家庭の社会的地位や経済力を示すものだというのだ。つまり、経済学でいうところのシグナリングだというわけだ。

 無知なぼくにはこの説がどの程度正しいのか判断できないのだが、個人的にはかなり腑に落ちた。もっとも、進化生物学のハンディキャップ理論などによると、そもそも性的な魅力というもの自体が性淘汰による一種のシグナリングの産物らしいので、この両者をどこまで厳密に区別できるかは微妙なのだが。

 でも、生物学的なシグナリングは人の意思ではなかなか変えられないけど、社会的なシグナリングは人の意思で変えられる可能性があるという違いは無視できないよね。だからこそ、纏足は現代では時代遅れということになったんだろうし。

 オチが見つからないので、強引に以前の記事に引き付けて言うと、このあたりにも安易な文化相対主義がかえって個人の抑圧に加担するという実例がある。だからぼくは、女子学生の短すぎるスカートもいつか時代遅れになると思うし、時代遅れにするために今後も努力する所存であります。 お後がよろしいようで。

PS 命令文として解釈するか原形不定詞として解釈するか、正直迷った。今度ネイティブの人に聞いてみます。 でも、全体の流れはこの方が綺麗だと思わない?

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Smile

笑って 胸が痛んでも
笑って 胸が張り裂けそうになっても
たとえ空に雲が立ち込めていても
きっとやり過ごせるから
つらく悲しいときでも 微笑むことができれば
笑って そうすれば明日には
陽が昇りあなたを照らすから
そしてあなたの顔を喜びで輝かせ
悲しみの跡を隠すから
たとえ涙がこぼれそうになっても
そんなときこそがんばるの
笑って 涙がなんになるの
微笑むことができれば それだけで
人生には意味があるとわかるはず

HoSoNoVa 

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幻の誤報

 毎日新聞のウェブサイトにこんな記事が。

西武:フェルナンデス4号3ラン 中日5割に逆戻り

 ○西武5-4中日●(20日、西武ドーム)

 西武が今季2度目の4連勝。一回にフェルナンデスの4号3ランで先制し、五回に栗山、八回に中村の適時打で差を広げた。牧田は完投は逃したが2勝目。中日は九回に1点差に迫るも及ばず、勝率5割に逆戻り。

 あれ、他のサイトの記事と正反対の結果になってるぞ、と思って再表示すると、

中日:6-5で西武に勝利

 ○中日6-5西武●(20日、西武ドーム)

 あれ、さっきのは見間違いか、と思ったが、キャッシュに記録が残っていた。見間違いじゃない。

 見込みで書いた予定稿が間違って出ちゃったのかな。 

 ちきしょー、魚拓取り損ねた。 (と思ったら魚拓が落ちていた。)

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多様性を強制する全体主義(草稿)

  • 多様性を正当化する論理の素朴さ
    • 多様な方が全体のためになる、というのが一般的な論法
    • この論理はよく考えると大雑把過ぎる
    • ここでは、多様性が個人のためであることは自明視されている
    • しかし、本当に常にそう言えるだろうか。 
  • 「津波てんでんこ」に潜む非情な論理
    • 個人が助かる確率と全体が助かる確率(人数の割合)は、期待値では同じだが、確率分布や分散は同じではない。
    • 他がまったく同一条件であれば、助かる確率を最大化する最適解は誰が考えても同じになるはず
    • しかし全員が同じ解を選択すれば、最悪の場合、全滅する可能性がある
    • 逆に、互いに独立な解であれば、それぞれが助かる確率は多少低くても、全滅する可能性は低くなる
    • そのような独立解を選択した人は、種の存続確率を高めるために、個人の生存確率をむしろ下げていることになる。
    • この解は、個人主義の論理からは必ずしも正当化されない。むしろ全体主義の論理である。

てんでんこ.JPG

  • 危機に瀕した人間が感情的になる理由
    • 感情の合理性
    • 感情が非合理に見えるのは、文明社会だからであって、野生環境においては感情は合理的である(戸田正直の説)
    • 危機に瀕した人間がパニックに陥るのは、一見非合理に見えるが、そうではない。
    • その合理性としてまず挙げられるのが時間制約。
    • 危機的状況においては、最適解を求める時間がない。
    • しかし、もう一つ理由があるのではないか。
    • つまり、助かる確率が一定以下になると、個人の生存確率を高めるより、種全体の存続確率を高める方が、包括適応度的にも合理的になるのではないか。
    • そのためには、合理的に考えた最適解よりも、ランダムな解を選んでもらった方がいい。
    • だから、種の保存のために個人はパニックに陥らされているのではないか。
  • 多様性は個人のためとは限らない
    • 多様性は、全体のためにはなっても、必ずしも個人のためにはならない場合がありうる。
    • それでも多様性が正当化されるのは、それが個人の選択だから。
    • つまり、個人の生命を尊重するという狭い意味での個人主義には反するが、個人の選択を尊重するという広い意味での個人主義には反していないから。
    • 個人主義の立場からは、多様なら多様なほどいいという単純な論理は成り立たない。
    • 逆に全体主義の立場からも、画一的なほどいいという単純な論理は成り立たない。
  • なぜ個人は多様性を求めるのか
    • 進化のメカニズム
      • 進化は遺伝的アルゴリズムによる最適解の追求
      • 多様化の仕組みが組み込まれている
    • 市場のメカニズム
      • 分業社会では多様性が全体の生産性を増す。
      • 貨幣は多様な価値の間の交換を可能にする。
      • 多様になるほど全体のパイが大きくなり、それを再配分することにより、みなが豊かになることが可能
    • 逆に言えば、このような制約に支配されないところでは、個人は必ずしも多様性を求めないのでは。
  • 選択の自由が多様性を促進するとは限らない
    • 「金では買えないもの」は交換不可能
    • 交換不可能なものは再配分できない
    • 先の例で言えば「命」。
      • 命はウルトラマンや筋肉マンのように、たくさん作ってみんなで分けたりできない。
      • だから、個人の生存確率と種全体の存続確率は、厳密には交換不可能。
    • あるいは「愛」
      • セックスが金で買えるかどうかは置いておくとして。。。
      • 「愛」は金では買えない。ゆえに「愛」を何かと交換することはできない。
      • その証拠に、いくら多様性が重要だからと言って、整形してわざわざブスになる人は(宍戸錠とかは除いて)あまりいない。
    • 市場が豊かになると、金で買えないものの価値が相対的に高まる。
    • それが多様性の追求に歯止めをかけるのではないか。
    • 豊かになる自由があれば、大多数の人は豊かになろうとするだろう。美形になる自由があれば、大多数の人は美形になろうとするだろう。頭がよくなる自由があれば、大多数の人は頭がよくなろうとするだろう。健康になる自由があれば、大多数の人は健康になろうとするだろう。
  • 自由の極限は画一化?
    • あらゆるものが選択可能になったとき、個人はむしろ画一化を求めるかもしれない。
    • そのとき、個人主義=多様性、全体主義=画一性という関係は逆転するかもしれない。
    • 某都知事のような保守主義者が、「最近の若者は画一的でイカン。お国のためにもっと多様になりなさい」と言う時代になるかも。
    • そして国家が個人に多様性を強制する全体主義社会が到来するかも。
  • 結論
    • 社会が豊かになり、選択の自由が極限まで可能になったとき、個人主義=多様性、全体主義=画一性という単純な図式は成り立たなくなる
    • そのとき、我々は「何のための多様性か」ということを再考せねばならない。
    • そのとき、多様なら多様なほどいいというような、粗雑な考えは成立しない。
    • おそらく、自由は多様性に優越する
    • そして、多様性と普遍性が均衡する点が自律分散的に探索されることになるだろう。

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Very Serious People

 "Very Serious People" または "Very Serious Person"、略して VSP というのは、アメリカのブログ界である種の人々を指す言葉として使われている。文字通りの「非常に真面目な方々」という意味でないのは、頭文字が大文字になっているのを見ればわかるわけだが、ではどういうニュアンスがあるのだろうか。詳しく定義しているサイトを見つけた。

Serious Person- Also frequently appearing as “Very serious person,” this is applied to a person held in great esteem by The Village, who is repeatedly entirely wrong about everything, usually with tragicomic results. Conversely, those who have pretty much been right about everything the last twenty years are referred to as “not serious.” Serious persons believe the only solution to any foreign policy issue is bombing brown people (preferably Muslim, when at all possible), and the only solution to domestic affairs is cutting entitlements and demanding that the poor and working poor “sacrifice.” Noted examples of serious persons include Tom Friedman, Ken Pollock, the Kagans, Dick Cheney, and Frank Gaffney. Usually has an open lifetime invitation to appear on Hardball or to pen nonsense for the Washington Post editorial page.

真面目な方々 - 「非常に真面目な方々」とも呼ばれる。この言葉は、「ワシントン村(The Village)」でおおいに尊敬されているような、完全に間違ったことばかりを言って悲喜劇を巻き起こしている人に対して使われる言葉である。逆に過去二十年間ずっと正しかった人たちは「不真面目」と呼ばれる。「真面目な方々」は、外交問題の唯一の解決策は有色人種(それがイスラム教徒ならなおよい)に爆弾を落とすことであり、内政問題の唯一の解決策は社会保障をカットし貧乏人や低賃金労働者に「痛み」を求めることであると信じている。「真面目な方々」として有名な人に、トーマス・フリードマン、ケネス・ポラック、ケーガン兄弟、ディック・チェイニー、フランク・ギャフニーなどがいる。「ハードボール(テレビ番組)」に出演したりワシントン・ポストの社説欄に出鱈目を寄稿したりすることを絶えず求められている人が多い。

出典: Balloon Juice Lexicon

…あの、ぼくが言ってるんじゃないからね。このブログの著者が言ってるんだからね。

 でも、これを読んだら、この言葉に最もニュアンスの近い日本語は「国士様」じゃないのかな、と思ってしまった。これはぼくが思ったんです。すいません。

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SOS Brigade

 "SOS Brigade" というのは涼宮ハルヒの「SOS 団」の英訳だが、ご存知の通り "SOS" というのは「世界を大いに盛り上げるための涼宮ハルヒの団」という無理矢理な名前をローマ字にしたときの頭文字だ。これが英語バージョンになったらどう訳されているのか、ちょっと気になったので調べてみた。

 ネット上の情報(ソース 1ソース 2)によると、この翻訳には 2 種類あるらしい。一つは公式バージョンで、

"Spreading Excitement All Over the World with the Haruhi Suzumiya Brigade"

(私訳:「涼宮ハルヒと一緒に世界中に興奮を広める」団)

もう一つはいわゆる「ファンサブ」バージョンで、

"Save the World by Overloading it with Fun, Haruhi Suzumiya's Brigade"

(私訳:世界を過剰に楽しくすることで世界を救う、涼宮ハルヒの団)

個人的には、ファンサブバージョンの方が原作の無理矢理感が出ているような気がする。

 しかし海外のオタクは翻訳に厳しいですなあ。細かいところにこだわるのは、民族・国籍を超えたオタクに共通する性格なんでしょうかね。

PS NHK BS の「若冲ミラクルワールド」は若冲の細かい技法まで詳しく紹介していてなかなか勉強になった。こういうのを見ると、若冲も元祖オタクみたいな人だったのではないかと思ってしまう。 大野君の起用には賛否両論あると思うが、ぼくは特に抵抗なく見れた。NHK オンデマンドで見逃し放送中

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