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デス妻の魅力を教えよう

デスパレートな妻たち シーズン1 COMPLETE BOX [DVD]  最近のテレビドラマの中でぼくが最もハマっているのは、デス妻こと「デスパレートな妻たち」。アメリカでは大ヒットして社会現象にまでなった作品である。日本でも NHK で放映しているのだが、海外ドラマ・ブームの昨今にしては、意外と人気がないらしい。その理由は定かではないが、どうもタイトルの印象だけでありがちなホームドラマだと勘違いされているフシもあるので、ぼくがその魅力を簡単に紹介してみたい。

・辛口ホームドラマとしての面白さ

 デス妻のコンセプトは、大雑把に言ってしまえば、

辛口ホームドラマ + シットコム 

+ モダンホラー

である。

 辛口ホームドラマという言葉は、若い人にはひょっとしたら馴染みがないかもしれないが、日本では 1970 年代に確立されたジャンルで、山田太一脚本の「岸辺のアルバム」(1977 年)や橋田壽賀子脚本の「となりの芝生」(1976 年)などが代表作。それまでのホームドラマが類型的な「平和で楽しい家庭」を前提としていたのに対し、表面的には平和な家庭も一皮向くと家族はバラバラであるという実態を赤裸々に描いて衝撃を与えた。高度成長期の夢から覚めた日本人が足元を見つめ直した結果、必然的に現れたジャンルとも言える。

 ぼくがデス妻を観てまず連想したのが、日本のこういった辛口ホームドラマだった。典型的なのはブリーの家庭。ブリーは裕福で保守的な家庭に育った女性で、(おそらくはマーサ・スチュワートをモデルにしていると思われる)完璧な家事の腕を誇る「カリスマ主婦」だ。しかし、夫や子供はまさにそのブリーの完璧さに息苦しさを感じている。やがて夫は不倫したあげく変態趣味まで暴露され、息子も不良化してゲイであることをカミングアウトし…、という具合にブリーの家庭は崩壊してゆく。このストーリー展開は「辛口ホームドラマ」そのものだ。

 しかしデス妻が日本の辛口ホームドラマと違うのは、そこにシットコムの要素をプラスして、ブラック・ユーモア満点のドタバタ喜劇にしてしまっているところである。主人公の女性たちは、そのような深刻な状況をまさに「デスパレート」になって乗り切ってゆく。そのためには嘘や裏切りや犯罪も辞さない。その必死さが黒い笑いを呼ぶ。

 このドラマを観ていると、日米の共通点と同時に、日本では 1970 年代に流行ったジャンルがアメリカでは 2000 年代になって流行っているという時代のずれにも興味を感じる。ぼくはアメリカのホームドラマの歴史にさほど詳しいわけではないが、デス妻が影響を受けた作品としてよく指摘されるのがサム・メンデス監督の「アメリカン・ビューティー」。だがこれも 1999 年の作品である。他は「ステップフォード・ワイフ」や「ブルーベルベット」などが似た系列の作品とされているが、いずれも日本の辛口ホームドラマよりは後だ。

 もっとも、文学の世界に目を転じると、1960 年代頃にアップダイクとかイェーツとかチーバーとかいう作家たちが、そういう平和な郊外家庭の暗黒面を暴くことをテーマとした作品を書いていたらしい(恥ずかしながら読んでいないので「らしい」としか書けないのが辛いところ)ので、日本の辛口ホームドラマもひょっとするとそういう作品の影響を受けているのかもしれない。

(追記:「岸辺のアルバム」を観直してみたら、登場人物の一人が翻訳家志望で「アップダイクを読んでます」みたいな発言をしてるのね。だからたぶん影響は受けてるね。山田さんはそれを隠したくなかったからわざと台詞に入れたんだろね。) 

 さらに面白いのは、日本のホームドラマはもともとアメリカのホームドラマの影響を受けて生まれたものらしいという話である。真偽の程は知らないが、進駐軍がアメリカのリベラルな家庭のよさを日本人に教えるために、意図的にアメリカのホームドラマを日本に輸入したという説がある。まあこういうことを書くと、じゃあ小津安二郎はどうなんだとか言う人が絶対いるので、あまり深入りしたくないのだが。

 そう考えると、アメリカの影響を受けた日本のホームドラマが先に辛口に目覚め、それに数十年遅れてアメリカのホームドラマが辛口に目覚めたというような、微妙に捩れた歴史になっているのかもしれない。いずれにせよ、日米のホームドラマの歴史をカルスタ的に研究すると、日米の家庭文化の変化や影響関係を分析する上でも面白い切り口が見えるのではないかと思う。

・アメリカ社会の問題が透けて見える面白さ

 このドラマがぼくのような日本人の興味を引くもう一つの点は、そこにアメリカの社会や文化が透けて見えることである。

 このドラマの主人公は 4 人の女性なのだが、この 4 人にはアメリカの現在の社会の構成が露骨に反映されている。キリスト教保守派で共和党支持のブリー。リベラル派でおそらくは民主党支持のリネット。貧乏なヒスパニック家庭出身で元スーパー・モデルのガブリエル(愛称ギャビー)。

 残るスーザンは、おそらく、他の 3 人だけではドラマ全体が暗くなってしまうので、雰囲気を明るくするためのほのぼのコメディ担当という位置づけだろう。ちなみにこのスーザンは、日本の少女漫画とかによく出てくる「ドジっ娘」キャラそのままである。よくアメリカ人は日本人のように未熟な女性は好まず、成熟した女性を好むとか言うけど、少なくともこういう「ドジっ娘」が好きな男性はアメリカにもたくさんいるらしい、ということが、スーザンを見るとよくわかる。

 この 4 人には、誰が善人役で誰が悪人役というような区別はなく、全員がそれぞれに悩みを抱えている。ブリーはいかにも保守派的な悩み、リネットはいかにもリベラル派的な悩みという具合に。そしてそこに、今日のアメリカの家庭が抱える考え付く限りの問題が叩き込まれている。夫婦関係の問題、性的嗜好の不一致の問題、フェミニズム的な問題、性的マイノリティの問題、離婚の問題、養子の問題、家庭内暴力の問題、児童虐待の問題、等等。

 だから、多様な視聴者が自分の政治的立場や好みに合わせてキャラクターに感情移入することができる仕組みになっている。ぼくなんかは、やっぱりなんだかんだ言ってリネットに感情移入してしまい、リネットとトムは仲良いのになんで幸せになれないのかなー、とやきもきしながら見ているが、ブリーの家庭崩壊なんかはわりと冷淡に突き放して見てしまったりする。

 このようにアメリカの典型的な層を代表するキャラクターを満遍なく登場させるのは、もちろん、全米の視聴者を対象とする巨大ネットワークの政治的な配慮という面もあるだろう。脚本を書いているマーク・チェリーは共和党支持でリバタリアンでゲイだとかいう噂もある。また、アメリカでこのドラマを最も熱狂的に観ているのは、実はキリスト教保守層だという説もあって、どこかの教会関係者が、「クリスチャンがなんでこんな背徳的なドラマに熱狂するんだ」と嘆いてたりもした。そんなわけで、このドラマは共和党的なドラマだと言う人(冷泉さんとか)もいたりするけど、少なくともそういう政治的偏向をあまり気にしないで観れる作りにはなっていると思う。

(ちなみに、このマーク・チェリーは最近、イーディ役のニコレット・シェリダンに「暴行、ジェンダーに関する差別、不当解雇、性別、性的嗜好と年齢に基づいた差別」で告訴されたりして騒動になっている。)

 宗教保守層がこのドラマに熱狂する裏には、そういう平和な家庭に潜む暗黒面を最も身近に感じているのが彼等だという事実が反映されていると思われるが、そのへんもいろいろ想像すると面白い。

・ストーリーが読めない面白さ

 最近の海外ドラマはみんなそうらしいけど、このドラマも本当にストーリーの先が読めなくて、ストーリー展開を追うだけでも十分に楽しめる作りになっている。

 先ほど、モダンホラーの要素がプラスされていると書いたけれど、このドラマには、各シーズンごとに必ず得体の知れない謎の人物(もしくは家族)が登場することになっていて、その正体を知りたいというサスペンスがシーズン全体のストーリーを引っ張る原動力になっている。

 しかも、単にいきあたりばったりに話を展開しているわけではなくて、ちゃんと伏線も張ってあって破綻せずに辻褄が合っている(ように見える)のがすごいところ。具体的に書くとネタバレになってしまうので、これ以上は書けないが。

 おそらく、スタッフが大勢でブレストをやっていろんなアイデアをひねり出しておいてから、後で時間をかけてストーリーの矛盾点を潰していって辻褄を合わせるというような、演繹法的な手法で作っているのではないだろうか。先に着地点を定めて、そこから逆算してストーリーを組み立てるというような帰納法的な手法では、とてもこのようなストーリーは作れないと思う。もしできるとしたら、この脚本家は大天才か、もしくは、ちょっと頭がおかしいかのどちらかだろう。

・人物造型が意外にしっかりしているという面白さ

 そのようにストーリー展開を重視すると、その分人物造型がご都合主義的になりがちだが、このドラマは、人物造型も意外にしっかりしている。

 ぼくが特に感心するのは、イーディのような悪役キャラの人物造型。イーディは他の 4 人とは違って割とはっきりと悪役として描かれたキャラクターだが、単なる記号的な悪役ではなく、どういう過去があってそういう人間になったかが説得力を持って描かれている。子供の頃いじめられっ子だったとか、男性運が悪くて男性不信になり、その反動でセックス依存症的になったとか。

 一番泣けるのは、イーディがスーザンと一緒にマーサの散骨に行くシーン。マーサが唯一の友人だと思っていた嫌われ者のイーディは、スーザンが散骨に付き合ってくれたことに感動して泣いてしまうのだ。ここでイーディは初めて弱みを見せる。その瞬間、本当に嫌な女だと思っていたイーディがちょっと可愛く見えてしまうのが見事。もっとも、その変化はスーザンの下心が明らかになった時点で跡形もなく消え去ってしまうが。

 そういう人物造型の片鱗はこのドラマの随所に垣間見える。たとえば、ギャビーは金や名誉に意地汚くてそのためには手段を選ばないし、嫉妬深くて独占欲が強くすぐ意地を張る女性なのだが、相手が弱者になるとほろりと人情派の一面を見せる。そういう人物造型が、貧乏なヒスパニック出身の元スーパー・モデルという設定に説得力を与えているのである。

 このドラマに出てくる人物は、基本的にどこかおかしな人間ばかりなのだが、人物造型がしっかりしているので、意外と呆れることなく感情移入し続けることができるのだ。

・Sex and the City が好きな人にお勧め

  ここまで読んでいただければ想像がつくと思うが、この作品は、アメリカではホームドラマというより、むしろ「Sex and the City」と同じ系統の作品と見なされている。 実際、新旧価値観の軋轢をシニカルなコメディとして描いたという点で両者は良く似ている。ただ、SATC の舞台がアメリカでも最も進歩的なニューヨークだったのに対し、デス妻の舞台がアメリカでも最も保守的な郊外=サバービアであることが顕著な相違点であり、それがドラマのブラックさに反映されていると言えよう。

 そのような意味で、このドラマは「Sex and the City」のファンには特にお勧めである。

追記:あと、日本で人気がないのは吹き替えのせいだという意見もあるようだ。ぼくは字幕でしか観ていないので定かでないが、スーザンが萬田久子さんだと聞くと、確かにちょっと違うかなとは思う。 吹き替えでしか観たことない人は、ぜひ一度テリー・ハッチャーの声で聞いてみて欲しい。

※参考リンク(面白そうなものだけ厳選)

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