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不幸話にばかり食いつく人々

 あなたの周囲にこんな人間はいないだろうか?

 あなたが自分の苦境・失敗・悩みなどについて話すと、親身になって相談にのってくれる。ときには具体的な助力を申し出てくれることもあれは、耳の痛い説教をしてくれることもある。

 あなたは、この人は心から自分のことを想ってくれているに違いないと思う。だから、自分がしあわせになれば喜んでくれるに違いないと思う。

 ところが同じ人に、自分の楽しかった体験の話・成功した話・善行の話などをしても、なぜかまったく食いついてこない。興味なさそうに受け流されるだけ。そしてまた不幸話になると嬉嬉として食いついてくる。

 こういう人と話していると、まるで自分の不幸を期待されているような気がしてくる。この人は、相手の心配をするフリをして、自分の能力や地位や権力や影響力を誇示して優越感に浸りたいだけなんじゃないのか。自分はそのために利用されているだけじゃないのか。

 しかしいくらそう思っても、少なくとも表向きは善意の人として振舞っているので、面と向かって不満を口にすることもできず、話す度にだんだん不快感が澱のようにたまってきて、やがて顔を見る事すら嫌になってしまう。

 ぼくの悪友たちなんかは、ぼくが不幸話をすると「ばかだなー」などと返してくれるが、この方がよっぽど気持ちが軽くなる。でも、上記のような「不幸話にばかり食いつく人」には、こういう心の機微はわかるまい。

 こういう「不幸話にばかり食いつく人」の身近で長期間暮らすと、性格は確実に歪む。

 実はぼくは 20 代前半までは岸田秀の愛読者で、その時期までの彼の著書のほとんどを読破していた。確かオウム事件の前後だと思うが、憑き物が落ちたようにポストモダン的な思想に見切りをつけたときに、岸田の著書もすべて処分してしまったが。

 でも、岸田が繰り返し書いていた、義母との関係の話は今でも印象に残っている。岸田の義母は、口では岸田のことを愛しているというのだが、岸田の進路の希望などはまったく聞いてくれないんだそうだ。親の愛に応えなければという義務感と、自分の夢をかなえたいという欲望との板ばさみになった岸田は、神経症になってしまう。

 その岸田を救ったのがフロイトだった。フロイトの方法にしたがって自己分析した岸田は、義母が自分を愛していないということに気づく。その結果、岸田は神経症から解放される。

 フロイトは疑似科学だとかなんとか言われるが、この話にだけは、ぼくもおおいに共感する。そんなのは自己責任だとかなんでも環境のせいにするなとか言う人には、だったら自分もそういう人間と何十年も一緒に暮らしてみろと言いたい。

 そのような「不幸話にばかり食いつく人」は、マスコミの中にもネットの中にもたくさんいる。

 一時期「はてな匿名ダイアリー」なんかで、自称「非モテ」の人が愚痴っぽいことを書き込むと、自称「リア充」の人が「甘えるな。自己責任だ」みたいなことを書き込むという、実にくだらない争いが繰り返されていたことがあった。

 もちろん、その中には純粋に善意の人もいるんだろう。でも少なからぬ割合は、上で書いたような「不幸話にばかり食いつく人」なのではないだろうか。そういう気配が文章にも表れているから、素直に受け取ってもらえないのではないだろうか。

 こういう偽善的な態度の蔓延には弊害がある。それは、不幸な話を気軽に話しずらくなるということだ。

 ぼくなんかは、もともと露悪趣味なので、自慢話より不幸話の方が好きなぐらいなのだが、こういう「不幸話にばかり食いつく人」が待ち構えている気配を感じて、心ならずも自慢臭いことを書いてしまうことがある。そして後で読んで自己嫌悪に陥ったりするのだ。

 ぼくが若い子に言っておきたいのは、本当にあなたのことを想ってくれる人・愛している人は、あなたの不幸話に食いつく人なんかではなく、あなたのしあわせを素直に喜んでくれる人だということ。だから、不幸話にばかり食いつく人の助言など、あまり真面目に聞く必要はないということだ。そういう人の話は、話半分に聞いておくぐらいで丁度いい。

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NHK もせこくなった

 「スコラ 音楽の学校」の「特別講座(2)“音”で楽しむスコラ・バッハ編」を観たけど、これって、今年の 4 月に放送したバッハ編のワークショップ部分とエンディング部分を抜き出して編集しただけじゃん。

「特別講座(1)」が京都造形芸術大学での特別講義だったから、全部新作なのかと思ったよ。この分だと、残り 2 回の特別講座も同様でしょう。だから 4 月からシリーズを観ていた人は観る必要ないよ。たぶん。

 だったらどっかに一言そう書いといてくれればいいのにね。ハーバード白熱教室に便乗して「白熱教室 Japan」とかつけたり、NHK もやることがせこくなったなあ。

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「嵐が丘」とスティーブ・ライヒ

 もっと似た感じの曲があったような気がするのだが、見つからなかった。でも、ストリングスによるミニマル・フレーズの繰り返しや唐突なコード進行に共通するものがあることはわかるだろう。「嵐が丘」の方はむしろその特徴をデフォルメして強調している感じだ。

 言うまでもないが、パクリ糾弾などという下種なことをしたいわけではない。むしろ、ぼくはこの「嵐が丘」という曲が大好きで、その音楽史的な位置づけをはっきりさせたいからやっているわけである。為念。

 ちなみに、「200CD 菊地成孔セレクション―ロックとフォークのない20世紀」という本の中で、菊地氏はライヒについてこう言っている:

ライヒは現代音楽というよりも、80 年代のアール・ヴィヴァンとか WAVE の音楽だから。ライヒがいくら優れていようが、僕にとっては恥ずかしさを閉じこめた青春期のアール・ヴィヴァン音楽なのよ。WAVE の金色の手帳とかあったでしょ、あれが嫌いだったんだよ。こっちはぴあ手帖だったから(笑)。現代音楽小史が載ってたでしょ。WAVE 手帖は。何で手帖に現代音楽小史が載ってなきゃいけないんだって、明らかな偏向を感じたからね(笑)。

80 年代ニューヨークをテーマにする以上、恥ずかしい青春期も直視しなくてはならないということなのか。いや、勝手な想像はこのへんにしておこう。

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ベートーヴェンと言語と山下洋輔

 坂本龍一教授が教育テレビでやっている音楽史講座「スコラ 音楽の学校」という番組。昨日は特別講座として、坂本龍一・浅田彰・小沼純一の三氏がベートーヴェンについて語っていた。

 その最後の質疑応答のところで、「ベートーヴェンの音楽は言語的か?」というような質問があった。三氏(および途中から登壇した岡田暁生氏)の答えはどちらかというと否定的で、音楽史の大きな流れから見ると、ベートーヴェンはむしろ音楽を言葉の影響から切り離して純化した方ではないか、と言っていた。

 でも、ベートーヴェンが言語的だというイメージはぼくにもあって、それは主に山下洋輔氏のせいである。氏が書いた「ベートーヴェンかく語りき」(「ピアノ弾き翔んだ」所収)という文章をご存知だろうか。

 原典が手元にないのでうろ覚えだが、確か、山下洋輔がベートーヴェンを現代に召還して、「お前の根源は文学コンプレックスだ!」とかなんとか言ってイビリ倒し、お前の音楽はもう古い、とばかりにベートーヴェン没後の音楽史を教え込み、あげくのはてにフリージャズを教えてベートーヴェンに即興演奏をさせる。ところが、現代の音楽理論を吸収したベートーヴェンの即興演奏はさすがにものすごいもので、それを聴いた山下は至福の表情を浮かべたまま昇天する…、というような抱腹絶倒のホラ話だった。

 この文章について、山下洋輔が後に語った言葉がある。

-やはり、ベートーヴェンはどこか特別な存在なんですね。

 いちばん勉強したんだよね。アナリーゼをしたり。以前、本のベートーヴェンとの架空対談というのを書いたんだけど、その中で僕はベートーヴェンをわざといじめて告白させるわけ。”自分はモーツァルト先生みたいな天才じゃない。音を全部頭の中に思いうかべることができない。1 つの小さなフレーズを論理的につなげていく以外に曲を作るすべを知らない”とね。あれは、結局僕のことを言ってるわけでね、ベートーヴェン自身はそんなことを言ったことはないわけで、あれは僕自身の心の告白でもあった。ただ、ベートーヴェンに対するそういう見方はあるわけだけど、僕は、言語的な論理性、言語の原理が絶対に音楽に反映してると思うからね。

 そもそもの認識は、今世紀にモーツァルトみたいな天才などいないというところから始まる。みんな何かしら言語の力を借りて、別の芸術を作っていくってところはあるんだよね。でも、ホントに言葉を離れて音だけに何か意味を見出したときはうれしいね。僕にもそういう瞬間はあると思う。

(「キーボードスペシャル」1987 年 3 月号※)

 ぼく自身は断言できるほど音楽批評に詳しくないが、山下洋輔が「ベートーヴェンに対するそういう見方はあるわけだけど」と言っているところからすると、そういう説を唱えている人は他にもいるのだろう。

 まあ、ベートーヴェンの音楽を文学的なドラマツルギーのメタファとみなす事は、サティとかに比べれば容易なことには違いないだろう。もちろん、サティにはサティの論理があるし、フリージャズにはフリージャズの、現代音楽には現代音楽の論理があるわけで、どの層で捉えるかという捉え方の違いにすぎないとは思うが。

 ちなみに、番組中では教授はベートーヴェンがずっと嫌いだったような発言をしているが、あれはたぶん会場の空気を読んでそう言っただけだと思う。実際には教授は子供の頃かなりベートーヴェンが好きだったらしく、そういう主旨の発言もしている。

諸井(誠):あなたの音楽的形成のなかにベートーヴェンがいたの? 「OMIYAGE」の中で、中学 1 年のときにベートーヴェンのピアノ協奏曲第 3 番に感動したとあったけど、あればべつに第 3 協奏曲じゃなくても良かったのね。

坂本:なんでもよかった。だけどやっぱり第 5 交響曲じゃ、ちょっとまずかった。

諸井:ちょっと重すぎる? やっぱり短調でなければいけないわけ。

坂本:長調はまず耳に入ってこない。第 9 は荘厳すぎるし、それに政治がありすぎて。

諸井:よけいなことが多すぎる…。

坂本:そうですね。第 3 交響曲というのは、決して傑作だと思わないけど、12 歳の少年の耳を捉えるには適度な通俗性と形式性、ロマン性と長さがある。それと論理性とまでは行かないけれど、ドイツ的な面もあって、都合がいい曲だったんじゃないかと思う。

(「芸術新潮」1981 年 6 月号※)

 坂本・浅田をポストモダンの象徴とみなすのは図式的でわかりやすいので、そういう「キャラ設定」にあえて乗ったということなんだろうけど。浅田氏はともかく、坂本龍一という人は、もともと本人が口で言うほどポストモダンな人ではなかったのではないかと、ぼくは思っている。

※ どちらも「坂本龍一・音楽史」からの孫引き。

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権利者情報をもっと簡単に調べられるようにしてほしいなあ。。。

 ※ この時点では法的な理解がいい加減なまま書いてました。やはり合法的にアップロードできる音源は限られているようです。誤解を招くようなことを書いて申し訳ない。以下の記事も参照のこと。

 例の YouTube にアップロードした楽曲の著作権情報の件。JASRAC のデータベースで直接調べりゃいいんだ、ということに遅まきながら気づいた。相変わらず頭悪いね。それで昨日までにアップロードした 100 曲の権利情報を調べてみたら、「配信」のところにバッテンがついた曲が 10 曲もあった。もちろん速攻で削除。意図せぬこととはいえ、また一時的とはいえ、権利者の方々の権利を侵害してしまったようです。申し訳ない。

 その舌の根も乾かぬうちにこんなことを言うと、盗人猛々しいと思われそうだが、権利者情報を調べるのに手間かかりすぎだと思う。以前のように違法状態ではなく、せっかく YouTube と JASRAC が正式に契約を結んだのだから、曲名その他を入力すれば、YouTube にアップロードしてよいか悪いかが即座に出力されるインターフェースが JASRAC のサイトにあってもいいのではないか。

 いやいっそ、曲名その他を入力すると、YouTube が契約している全権利団体のデータベースを検索して、配信可能かどうかを判定してくれるインターフェースが、YouTube のサイトの中にあってもいいのではないか。その方が、ビデオ・データからサウンド・データを抽出・解析して著作権侵害を判定するなどという悠長なことをやるより、よっぽど簡単ではないか。

 どうもこのへん、YouTube や JASRAC は「どーせパンピーどもは著作権なんか尊重する気ないんでしょ」と最初から決め付けてるような気がしてならない。

 「配信」の欄にはっきり×がついていればまだいいけど、たとえば、こんなのもある。

作品詳細表示_1287747054068.png

これをアップロードしてよいか悪いか、素人にすぐわかるだろうか。

 前の記事で言及した矢野顕子の「悩む人」はこうなっていた。

作品詳細表示_1287747426681.png

少なくとも、JASRAC 上では「全信託」で問題ないようだ。だとすれば、あの YouTube の警告はなんだったのか。日本では JASRAC 管理楽曲だけど海外では別の団体が管理しているのか。そんなこと素人にわかるはずがない。

 こんな風にややこしい仕組みになっているから、とりあえずアップロードしてみて、怒られたら消せばいいや、みたいに思う人が出てくるのではないだろうか。いや、オレのことだが。

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YouTube チャンネルはじめました

 ※ この時点では法的な理解がいい加減なまま書いてました。やはり合法的にアップロードできる音源は限られているようです。誤解を招くようなことを書いて申し訳ない。以下の記事も参照のこと。

 mp3 ファイルを手軽に動画に変換して YouTube にアップロードできるサイトをいくつか見つけたので、試しに手持ちのレア音源などを自分のチャンネルにアップロードしてみた。埋もれさせたくない名曲を中心に、なるべく他のチャンネルと重複がないようにした。不勉強のため法的にはどうなのか定かではないが、道義的にアルバム全曲アップロードは避けた。

 著作権警告が表示されたのは、今のところ矢野顕子の「悩む人」だけ。

あなたの動画「 矢野顕子 / 悩む人 」に、次の組織が所有または管理しているコンテンツが含まれている可能性があります:

組織: WMG コンテンツ タイプ: 音源

WMG というのは Warner Music Group のことらしい。発売元はミディ・レコードなのだが、今はワーナーが権利を持っているのか。それとも誤認識か。いまいちよくわからない。

 だいたい説明が機械翻訳調でわかりずらい。「その結果、あなたの動画は全世界でブロックされています。」と書いてあったかと思うと、「あなたが何らかの措置を講ずる必要はありません。 あなたの動画は、まだ全世界で見ることができます。」どっちやねん。

 使用したウェブサイトは以下の通り。

  • MP3Tube
    • 長所:
      • 説明・入力とも日本語可。
      • 操作が簡単。
      • エラーがほとんどない。
      • ファイルサイズが大きくても平気。
    • 短所:
      • 画像を選択できない。
  • MP32FLV
    • 長所:
      • エラーがほとんどない。
      • 画像をアップロードできる。
    • 短所:
      • 説明・入力とも英語のみ。日本語を入力すると文字化けする。
      • 操作が複雑。特に最後の [Upload] ボタンは、押してからアップロードされるまでに間があるのに、画面の変化がない。動いていないのかと思ってつい何回も押すと、複数回アップロードされてしまうので注意。
      • ファイルサイズに制限がある。
  • MP32U
    • 長所:
      • 画像をアップロードできる。
      • 操作が簡単。
    • 短所:
      • 説明・入力とも英語のみ。日本語を入力すると文字化けする。
      • 最後にアップロードボタンを押したときに、原因不明のエラーが発生することがある。そうすると最初からやり直さなくてはならないので不便。
      • ファイルサイズに制限がある。
  • MP32tube
    • 結局使い方がよくわからなかった。有料アカウントを作らないとダメなのかも。

 みんながやってるみたいに自作動画とかも入れてみたいけど、残念ながらそんなヒマはなし。老後の趣味にとっておこう。

追記: 坂本龍一の「AUDIO LIFE」に収録されている「Overture」という曲がある。20 世紀のいろんな音楽家のスタイルをコラージュした曲で、冒頭は未来派の Antonio Russolo の「Corale and Serenata」 という曲のサンプリングから始まる。この曲を Youtube アップロードしてみたら、びっくり。ちゃんと Russolo の「Corale and Serenata」が含まれていますね? というメッセージが出た。検出精度は相当高そうだ。

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雅楽っぽい曲を集めてみた

 雅楽っぽいけど雅楽ではない曲、意識的に雅楽の影響を取り入れていると思われる曲をなんとなく集めてみた。

・野見祐二「猫王の行列」

 野見祐二のフルオーケストラによる雅楽のシミュレーション。西洋楽器なのに意外と違和感ないところが不思議。収録 CD は「猫の恩返し オリジナルサウンドトラック」。

・坂本龍一「国防総省」

 教授の主にデジタル楽器による雅楽のパロディ。こういう曲に「国防総省」と名付けちゃうところがいかにも教授らしいというかなんというか。収録 CD は「オネアミスの翼 ―王立宇宙軍― オリジナル・サウンド・トラック」。

・菊地成孔とペぺ・トルメント・アスカラール 「導引」

 「バンドネオン、ハープ、弦楽四重奏団にツイン・パーカッションという特異な 12 人編成のストレンジ・オーケストラ」である「菊地成孔とペペ・トルメント・アスカラール」による雅楽のシミュレーション(たぶん)。ラテン系の編成なのにちゃんと雅楽っぽさが残ってるのが不思議。収録 CD は「ニューヨーク・ヘルソニック・バレエ」。

・武満徹「秋庭歌」

  これは雅楽っぽい曲じゃなくて本物の雅楽。ただし、現代音楽の作曲家・武満徹による新作雅楽。収録 CD は「武満徹:雅楽〈秋庭歌〉、三面の琵琶のための〈旅〉 他」など。

・細野晴臣「羅城門」

 これは雅楽と同じような楽器や奏法を用いていながら微妙に雅楽っぽくない例。 細野さん自身が、「源氏の世界を古典的なものではなくエキゾチックなものとして捉える」という主旨の発言をしており、この違和感も意図的なものと思われる。収録 CD は「紫式部 源氏物語」。

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海の向こうに行った人

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ひきこもりの外出

 ひきこもりで友人もいないぼくだが、ここ数週間は珍しく外で人に会う機会が多かった。前にちらっと書いたが、某英語ネイティブと豆腐料理専門店に行ったり、神宮球場に行って読みかけの「ユングのサウンドトラック」を落としてきたり、親戚の葬式に行ったり、裁判所に出頭したり。

 昨日はなんと、てれびじょんとかいう舶来の機械によく映る、あのろっぽんぎひるずとかいう建物のすぐそばにある中華料理屋で、ぺきんだっくとかいう滅法おいしい料理を食してきた。こんな店、ぼく一人だったら絶対行かないはずで、友人というのは有難いものである。

 そこであこがれの市川寛子さんがなぜか暴漢にからまれている処に遭遇し、得意の武術で暴漢を追い払い、お礼にお茶でもご一緒しましょうということになり、その席で意気投合して、…という中二病的な妄想を一瞬しかけたが、よく考えると日曜日で報ステの日ではなかった。

 立場を気にしないですむ友人とする会話は楽しい。なぜか尖閣諸島の話になり、尖閣と竹島を交換すればいいのではないか、という一瞬聞くと小島慶子に匹敵する名案のようで、よく考えると意味すらわからない案が出たりしたが、日本を愛しすぎて行動が過剰になる方々の気分を害したくないので、ここだけの話にしておこう。

 そう言えば、例の「田原総一朗 100 のコト」。画面の前で答えていたらかなりの確率で正解してしまい、自分でもうろたえてしまった。特に、「尊敬する人=田中角栄」「一番の悪事=宮沢・橋本を失脚させたこと」に連続正解したときは思わず赤面してしまった。これではまるで田原氏の大ファンみたいではないか。

 いや確かに、田原氏が日本のテレビ界や報道界に果たした歴史的な役割は正当に評価すべきだと思ってるけど、そこまで大ファンでもないんだけどなあ…。まあでも、前に「爆発音がした」でもネタにしたように、卑下すると見せかけて自慢臭いアピールを入れてくるのはこの人の癖なので、絶対そう来るに違いないとは思った。

 しかし、総一朗クイズにこんなに当たっちまうなんて、何か自分が人間として間違った道を歩んでいるではないかと、少し反省させられた。こんな低俗な知識を身につけている暇があったら、日本お笑い史にダウンタウンや爆笑問題が果たした役割とか、現代音楽にエレクトロニカが与えた影響とか、もっと高尚なことを学ばなくてはいけない。

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