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「嫌われ松子の一生」感想

嫌われ松子の一生 通常版 [DVD]  例によって強引に断定してしまうと、これは「つまらない人生って何?」という映画だ。

 この映画は、主人公の松子が 53 歳で殺されるところから始まる。松子の遺骨を引き取るため上京した弟は、息子に言う。松子の人生は「つまらない人生」だったと。

 そして映画は、松子の人生を、中島哲也独特の誇張された演出や特殊効果満載の映像で丁寧に振り返っていく。あなたはこれを観ても松子の人生が「つまらない人生」だったと言えますか? と観客に挑むように。

 もともと中島哲也の映画には、世間的にわかりやすい幸福や成功はほとんど描かれない。ハッピーエンドのように思われがちな「下妻物語」だって、言ってみれば、主人公が仕事をすっぽかすだけの話であって、主人公たちのその後の人生がどうなったかは必ずしもはっきり描かれていないし、「パコと魔法の絵本」に至っては、要するに病気の女の子が死んじゃうだけの話である。

 つまり、中島哲也という監督は、「幸福/不幸」「成功/失敗」といった世間的にわかりやすい基準では捉えきれない何かを描くことにずっと挑戦し続けてきた人なのである。

 と言っても、単に世俗的な価値観と異なる価値観による幸福や成功を描いた作品なら別に珍しくもない。金や権力がなくても、素敵なパートナーがいるとか楽しい家庭があるとか社会に貢献しているとか、そういう作品なら枚挙に暇がない。

 しかし、この映画の松子は、ほとんどいかなる価値観から見ても不幸だ。病弱の妹がいたせいで親の愛を十分に受けずに育ち、中学校の教師になるも不祥事を起こしてクビになり、できた彼氏は自称作家の DV 野郎で勝手に自殺し、その後できた愛人にも捨てられ、ソープで働いてナンバーワンになるも時流の変化でクビになり、ヒモを殺して刑務所行きになり、出所後できた彼氏がまた DV 野郎のヤクザで…、という松子の人生が「不幸」でないと思う人はそうはいないだろう。

 そのような松子の人生を中島哲也がどうやって魅力的に描いてみせたかは、観てのお楽しみということにするが、ぼくはこの映画を続けて 3 回観ても飽きなかった。それだけ力のある作品だと思う。

ダンサー・イン・ザ・ダーク [DVD] 両方の作品を観た人はみんなそう思ったようだが、この映画はラース・フォン・トリアー監督の「ダンサー・イン・ザ・ダーク」に似ている。主人公のオツムが弱そうなこと(もっとも、セルマは明らかにある種の障害者だが、松子は単に生き方が不器用としか言及されていない)、主人公は歌が好きなこと、主人公の主観による美化されたミュージカル・シーンが多用されるところ、など多くの共通点が見られる。

 ただ、「ダンサー・イン・ザ・ダーク」の場合、セルマの客観的な人生は不幸だが、主観的な脳内世界は美化されていて、その対比の落差がセルマの不幸を強調するために使われている感じさえする。一方、「嫌われ松子の一生」の場合、松子は客観的にも不幸だが、主観的にもちゃんと不幸を感じて生きていて(幸福を感じる瞬間もあるが)、むしろ観客の方が「松子、お前はよくがんばった」と松子の人生を肯定する仕組みになっている。その点で「嫌われ松子の一生」の方が救いのある作品になっているように思う。

 同じように DV の男に惚れた女性を描いた「自虐の詩」というマンガがあるが、ぼくは「嫌われ松子の一生」の方が好きだ。その理由もこの視点の違いにある。「自虐の詩」の場合、DV 被害者である主人公の女性が自分で自分のことを「しあわせ」だと言ってしまうが、これだと結局 DV が正当化されたのと同じことになってしまう。「嫌われ松子の一生」の場合、松子は主観的には不幸なままで、松子の人生を肯定するのは観客のメタ視点である。ゆえに DV そのものが単純に肯定されたことにはなっていないと思うのだ。

 最後に一言。ホームレスを苛めて喜んでいるようなクソガキどもは、必ずこの映画を観ておくように。これは命令である。

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