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「パコと魔法の絵本」感想

パコと魔法の絵本 通常版 [DVD]  「大人のための童話」という言葉がこれほど似合う作品も珍しい。舞台劇的なクサい芝居を逆手にとって、斜に構えたオトナの心にいつの間にか忍び込んでくる演出力は豪腕としか言いようがない。「演技というのは現実に近ければいいというものではない」という意味のことを山崎正和氏は「演技する精神」の中に書いているのだが、それをちょっと思い出した。

 まあ、これだけ演出力があればそれだけでも十分賞賛に値すると思うが、テーマやストーリーを重視する立場からは、古臭い人情劇を演出力で強引に見せているだけ、という評価も当然あるだろう。でもぼくは、この中島哲也監督の演出には、単なる手練手管を超えたものを感じている。宮崎駿監督にとって、アクションシーンが単なる演出ではなく、彼が大切にしている躍動する生命力の表現であるように、中島哲也監督の画面の美しさは、彼の思想の表現に近いものだと思うのである。

 実際、ストーリーで泣かせることだけ考えれば(以下ネタバレ)、大貫が死ぬかわりにパコちゃんが生き残り記憶を取り戻す、という話にした方がよっぽど泣けたはずで、作り手だって当然そんなことはわかっていたはずだ。しかし本編ではパコちゃんが死んで大貫が生き残る。そこに作り手の意志がはっきり示されている。

 作り手は、大貫の行為をパコちゃんを助けるための単なる手段にしたくなかった。パコちゃんが助かったから大貫のやったことは正しかった、という単なる結果論にしたくなかった。パコちゃんが助かろうが助かるまいが、パコちゃんと大貫(と他の患者たち)が共有した時間が素晴らしいものだったという事実は変わらない。だからこそガマ王子とザリガニ魔人の対決はあれほど美しく描かれなくてはならなかったのである。

 昔話は登場人物たちが「末永く幸せに暮らしましたとさ」で終わるものが多いが、その「幸せに暮らす」というのが具体的にどういうことであるのかは描かれない。しかし現代人にとってはむしろそれが問題なのだ、というような指摘をしたのは確か村上龍氏だったと記憶するが、中島監督はそれを描くことに挑戦し続けている人だと思う。

 というわけで、宇多丸氏の酷評も聞いたけれど、ぼくはやっぱり中島哲也が好きです、と改めて宣言しておく。

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