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「赤か、青か」の正しい解釈

 前回のついでに、木村拓哉が犯人役を演じた「赤か、青か」についても書いておこう。古畑任三郎シリーズの中でもこの回の出来がいいと思う理由の一つは、尺の短さを逆手にとっていることである。

 古畑シリーズに対する批判としてありがちなものに、あんなのは刑事コロンボのパクリだとか、コロンボの方が出来がいいとかいう批判があるが、ぼくはそういう批判は(首肯できるところもあるが)ちょっと可愛そうだと思っている。

 そう思う理由はいろいろあるが、一つには、コロンボより古畑の方がはるかに尺が短いことがある。コロンボが約2時間なのに対し、古畑は(スペシャル版を除けば)その半分の1時間しかない。したがって、推理が少々強引になったりご都合主義になったりするのは止むおえないところがあると思うのだ。

 でも、この「赤か、青か」の場合、犯人が爆弾犯なので、時限爆弾が爆発するまでに事件を解決しなければならないという制約が課されている。そのため、強引な推理や作戦も、限られた時間内で事件を解決するための賭けとして合理化され、かえって物語の緊迫感を高めることに役立っているのだ。

 さて、ここからが本題なのだが、(以下ネタバレを含むので注意)この回のクライマックスは、犯人の木村拓哉を追い詰めた古畑が、爆弾を解体するために赤と青のどちらのコードを切ればいいかをキムタクに尋ねるシーンである。

 キムタクは「青を切れ」と言うが、古畑はその顔を見ながら一瞬考えて「赤だ」。その通り赤いコードを切った結果、人質(実は今泉巡査なのだが)は無事助かる。「よくあいつの心を読みましたね」と褒める部下に対して、古畑はその部下にもらった「おみくじクッキー」のおみくじを示して、「当たるじゃない」。そのおみくじに書かれたラッキーカラーは赤だった、というオチ。

 このオチについて、ネットで検索すると、古畑は本当はキムタクの心を読んで赤と判断したのであって、ラッキーカラー云々は部下をねぎらうためのウソである、と解釈している人が多いのだが、ぼくはちょっと違うのではないかと思っている。いや、古畑がキムタクの心を読んだのはその通りだと思うのだが、ラッキーカラーというのもまったくのウソではないと思うのだ。

 実は、ストーリーを思い返してみると、古畑が赤か青かを選択するチャンスはもう一回あった。その直前の、古畑がキムタクに対して罠をかけたシーンを思い出して欲しい。

 古畑は、すでに爆弾は解体済みで証拠も発見したとウソをつく。「じゃあどっちを切ったのか言ってみろよ」というキムタクに、「ブルーを切った」と古畑。それを聞いたキムタクは、「下手なお芝居しちゃって」と罠を見破るが、じつは見破られるのも古畑の計算のうちで、二重の罠だったというオチ。

 考えてみて欲しい。もしあそこで古畑が「ブルーを切った」と言ったのが、マグレで当たってしまっていたらどうだろう。いくらお芝居がミエミエだったと言っても、キムタクがあそこまで罠を確信して油断することはなかったのではないだろうか。

 もちろん、古畑のことだから、マグレで当たってしまった場合のプラン B も考えてはいただろうが、だったとしても、当たるよりは当たらない方が都合がよかったのは確かだろう。でも、それこそこの段階で赤か青かを判断する材料は何もない。

 おそらくここで、古畑は「ラッキーカラー」に賭けたのである。 だから、部下のくれたおみくじクッキーのおかげというのも、まんざらウソではなかったのだ。

 …というのがぼくの解釈なのだが、いかがであろうか。そう解釈した方が、このストーリーにはより深みが出ると思うのだが。きっと、三谷幸喜の心の中の裏設定ではそうなっていたのではないかと、ぼくは密かに信じている。

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