「鳥人」と世界観の笑い(草稿)
- 概要: 最近の日本のお笑いは、技術偏重の一過性の笑いばかりを追求しており、繰り返し賞味できるような作品性に欠けている。そのことを、M-1 2009 で笑い飯が演じた「鳥人」のネタとパンクブーブーのネタを比較することによって示す。
- 笑い飯の「鳥人」
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- イメージに整合性・喚起力がある
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- 頭が鳥で身体が人間
- 身体が人間なので空は飛べない
- 身体が人間なので手がある
- 単に笑えるだけでなく、聴いた後に「鳥人」のイメージが残る
- 何度観ても笑える。一過性でない作品性がある
- パンクブーブーの「音に敏感な隣人」
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- イメージに整合性や喚起力が無い
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- 隣室の音には敏感なのに会話の音はよく聞こえない
- 隣室の奴を嫌っているのに「お前はこんなところで燻っている男じゃない」とか言う
- 職業は錬金術師なのだが、他の部分とはまったく関連性がない
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- たとえば、錬金術のおかげで遠くの音はよく聞こえるが、逆に近くの音は聞こえにくくなった、みたいな説明があれば設定が生きてくるかもしれないのに
- 単に分裂症的な頭のおかしい人間、という以上のイメージが浮かばない
- 客の予想を瞬間的に裏切ることだけを考えて技巧的に作られたネタ
- 一過性で観ている間は笑えるがすぐに忘れ去られる
- お笑いの歴史を振り返る
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- かつては風刺やあるあるネタの方が一般的だった
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- 笑う対象が現実に密着している。
- そのおかげでしっかりした造形がしやすい
- その一方で、陳腐になりがち
- それに対抗してシュールやナンセンスが出てきた
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- 笑う対象が抽象的だったり非現実の存在だったりする
- そのおかげで造形が人工的になる
- その一方で、意外性がある
- この両者を統合する地点に生まれたのが松本人志の笑い
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- 一見ナンセンスではあるが、その背後に独特の世界観がある
- シュールレアリズム絵画と同じ
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- 異化効果:手術台の上のミシンと蝙蝠傘
- ランダムに素材が選ばれているわけではない
- 無意識を刺激するような素材の組み合わせが選ばれている
- 「ごっつ」のコントは今見ても何度見ても笑えるものが多数
- お笑いは娯楽か芸術か
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- 一過性の娯楽としての笑いを否定するわけではない
- 技術の重要性を否定するわけではない
- しかし、もっと作品性を追求しなければ、お笑いマーケットは今の規模を維持出来ないだろう。
- パクリ批判を退ける
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- イメージ的な前例は多数ある
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- 楳図かずおの「14歳」
- ウルトラセブンのガッツ星人
- しかし、細部の肉付けが違うし、そこに価値がある
- 教条的な安易なパクリ批判を否定する
- パンクブーブーに対する謝罪
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- M1 優勝者に対する敬意を失ってはならない
- 洗練された技術を持つことも立派なこと
- 現在のお笑いの問題点を一般論として指摘
※ 22 日の爆笑問題とさまーずのコラボ番組の中で、太田が自分はネタをかなり技巧的に作っているという発言をしていて、さもありなんと思った。ぼくも「今日のコラム」とか「今日のあとがき」とかはかなり人工的に作られたネタだと感じていたからだ。一方、太田はフリートークでは暴走・暴言を連発するという一面もあり、この両面性が彼の魅力だ。太田光についてもいずれ正面から論じてみたい。
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