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現代的ミニスカート批判宣言(草稿)

 以前から折にふれて言及していた女子高生のミニスカート批判を、ちゃんとまとめてやろうと思ってアウトラインを作ってみたら、それだけで 5 時間ぐらいかかってしまった。これ以上時間をかけると仕事に差し支えるし、このアウトラインだけでも分かる人にはわかると思うので、草稿のままアップロードしてみることにする。ひょっとすると、正月休みにでも完成する時間をとれる可能性もあるが、断言はできない。

 本音を言えば、こういう仕事は、ぼくのようなシロウトではなくて、フェミニストの方々にやってほしいのだ。こういう倫理を考えることは、男女平等を邪魔するどころか、男女平等がより社会に受容される役に立つと、ぼくは信じている。しかし、そんなことを言うフェミニストがいつまでたっても一向に現れないので、仕方ないのでぼくみたいなシロウトがでしゃばる羽目になったわけだ。

  • アブストラクト
    • 女子高生の短すぎるミニスカートを典型とする、挑発的なファッションに対する道徳的批判は、これまで主に保守的な立場から行われていた。逆に、リベラリストやフェミニストの多くは、歴史的経緯から、挑発的なファッションを擁護する立場に立つことを無反省に自明視してきた。この記事では、そのような保守的な立場ではなく、より現代的な立場から挑発的なファッションを道徳的に批判するための理論を提供し、これが必ずしもリベラリズムやフェミニズムの精神と矛盾しないことを示す。
  • 前提
    • 本稿では深入りしない議論の前提を明示する。
    • 完全な文化決定論には立たないし、逆に、完全な本能決定論にも立たない。
      • 本能的な性質は、人間の行動にある程度統計的な傾向を与える。
      • 文化は、人間の行動傾向をある程度変えることが可能である。
    • 性差の存在は認めるが、性差別は否定する。
      • 性差の存在を否定しなくても、性差別は否定できる。
      • 古典的なフェミニストの多くがこれを勘違いしている。
    • 「ミニスカート」という言葉を、女性の挑発的なファッションの提喩として用いる
      • あまり挑発的でないミニスカートもあれば、ミニスカートでなくても挑発的なファッションもあることは承知の上で使うことを断る。
  • ミニスカート批判は女性差別か?
    • ミニスカートが女性解放・性の解放の象徴となった歴史的経緯
    • 歴史的には男性優位社会の産物であるからと言って、即否定すべきものであるとは限らない。
      • システムが陳腐化しても、その構成要素がすべて無用になるとは限らない。
      • システム要素の役割は、単一であるとは限らない。
      • 特定のシステムを前提にすると、その目的にたいして目的合理的な役割ばかりが注目されるが、実はそれ以外にも隠れた役割があることは珍しくない。
        • 例:ノートパソコンのディスプレイ(フタにもなっている)(あまりいい例ではない。もっといい例がないか?)
      • 封建遺制の産物と思われた文化が、新たに現代的な視点から再利用されることも珍しくない
        • 例:敬語。もともとは階級制の産物であった。しかし今では、対等な人間同士が互いに距離感や親密度を表す方法として使われている。
    • 挑発的なファッションを避けることにも、実は隠れた役割がある。それは、性的な場とそうでない場を切り分けることである。
      • 性には両義性がある。場によって聖なるものになったり、忌むべきものになったりする。
      • 文化決定論の問題にどこまで踏み込むか?
      • 進化心理学・動物行動学なども援用するか?
      • 性差を肯定することは性差別を肯定することではない。誤解されないように注意。
    • 家父長制の社会において、この切り分けは属人的に行われてきた。
      • 貞淑な家庭の妻⇔淫らな水商売・セックスワーカーの女
      • 貞淑な家庭の妻は、挑発的なファッションはしない
      • 挑発的なファッションの女は淫らな女として差別してよいという構造
        • これがまさに、ミニスカートが女性解放の象徴とされた理由である。
    • このような属人的な切り分けは女性解放によって時代遅れになった。
      • しかし、切り分けそのものが不要になったわけではない。
      • 属人的でなく切り分けることは可能である。
    • それが、TOPによる切り分けである。
  • ミニスカートはセクハラか?
    • 女性が挑発的なファッションをするのは性の解放の象徴として扱われるのに、男性が挑発的な行動をするのはセクハラとして扱われる。これは矛盾である。
    • これは歴史的な経緯による。
      • 男性優位社会において、男女の権力は非対称であった。
      • 女性から挑発された男性は、「売女!」と言って殴りつけることもできれば、「いてこます」こともできた。それを社会的に批判されることはなかった。ゆえに挑発を受けることが男性にとってストレスになることはあまりなかった。
      • 逆に、男性から挑発された女性は、それをある程度容認しなくてはならなかった。それどころか男性に恥をかかせないようにあしらう義務すらあった。ゆえに多大なストレスを与えた。
      • ゆえに、セクハラは男性から女性という方向でのみ問題視されてきた。
    • なぜ男性は挑発されると常に喜ぶと思われているのか。そして、男性自身も喜ばなくてはならないと思い込んでいるのか。
      • 女性が男性優位社会に都合の良い固定観念を植え付けられていたように、男性も固定観念を植え付けられている。
      • 女性がセクハラオヤジに「ほんとうはうれしいくせに」と言われることが不快なように、男性だってミニスカートが見れて「ほんとうはうれしいくせに」と言われることが不快なことがある。
        • 特に女子高生の場合、条例などにより性的な行為の対象にすることができないことになっている。ゆえになおさら不快に感じる。
      • 男性もセクハラを迷惑だと言えるようになってはじめて、真の男女平等は完成する。
    • 男女平等の社会においては、セクハラは男女平等に迷惑と認識されるべきである。
      • セクハラとは、性的な行為に及ぶ気がないのに、性的に挑発されることである。
      • 性的な行為に及ぶ気がある相手に対しては、正しく誘惑として機能する。
      • 問題は、お互いの意志のミスマッチであって、性的な行為そのものが常に不道徳なわけではない。
      • ゆえに、この問題もTPOによってある程度解決可能である。
  • ミニスカート擁護はリベラルか?
    • 素朴なリベラリズムからのミニスカート擁護は妥当か。J・S・ミルの危害原理。誰にも迷惑をかけていない?
    • 現代では、感覚的な迷惑もある程度尊重される。
      • 電車内での携帯電話・ヘッドホン音漏れ・食事・化粧などの比喩
    • 社会的コストの最小化を目安に
      • 本人が自由を失うことによるコストと、周囲の迷惑コストの総和のどちらが大きいかを考える
      • 結局は程度・バランスの問題
      • この両者はTPOを選ぶことによりある程度両立可能
    • この問題も最終的にはTPOに帰結する
      • 同じ行為でも、場所によって迷惑度は変わる
        • 音楽は好きでも、ヘッドホンの音漏れは嫌い
        • おいしい料理は好きでも、空腹時に無理やり嗅がされるのは嫌い
        • エロは好きでも、年がら年中エロエロなものを見たいわけではない。
      • 同じ行為でも、場所を選べば迷惑でなくなる
        • 電車内の音楽を聞かなくても、自宅で聞けばよい
        • 電車内で食事をしなくても、自宅や食堂で食べればよい
        • 年がら年中不挑発的ファッションをしなくても、TOPを選んですればよい。
          • デート・合コン・盛り場などはOK
          • 職場や学校はNG
  • ミニスカート批判は性犯罪容認か?
    • 強姦が犯罪であることが、性的挑発を無条件で正当化するわけではない。
      • 電車内で携帯電話を使っているからといって、そいつを殴ったり殺したりしたらもちろん犯罪だ。
      • だからといって、電車内で携帯電話を使うことが正当化されるわけではない。
      • 両者は別個の問題として論じられなくてはならない。
    • 自衛の必要性を訴えることは、強姦の正当化ではない。
      • 鍵をかけることを勧めることは、泥棒の肯定ではない。
      • これも最終的にはコスト配分の問題である。
        • 防犯と法制度と道徳教育の間の最適なコスト配分を考えることが目安となる
        • 鍵をかけることは、防犯が他の方法に比べて絶対的に正しいから正当化されるのではなく、低コストのわりに効果が高いから正当化されるのである。
        • 法制度や道徳教育だけが正しく、それ以外の方法は悪を正当化するものだ、というような議論は非現実的である。
    • 強姦は性差別の産物か?
      • 性差別と深く関わりのある性犯罪はもちろんある。しかし、あらゆる性犯罪が性差別の産物であるわけではない。
      • 金持ちが泥棒の被害に合いやすいのは、金持ちが差別されているからではない。むしろ、金持ちが金を持っていることが正しく認識されているからである。
      • 同じように、女性が強姦被害に合いやすいのは、女性の魅力が男性に正しく認識されているからであって、女性が差別されているからとは限らない。
        • また、男性の方が平均して筋力が強いという現実的な理由もあろう。
        • 男性の方が平均して攻撃性が強いと言う理由もあると思われる。
        • ただし、このへんに深入すると、文化決定論の問題なども関わってくるので、ほどほどにしたい。
        • しつこいようだが、性差を肯定することは性差別を肯定することではない。
      • 強姦が(すべて)性差別の産物であると言えるためには、つぎのいずれかが言える必要がある。
        • そもそも男性が女性だけに性欲を感じること自体が差別。男性は男女平等の確率で性欲を感じるべきである。
          • これはほとんど性差・性欲の全否定であり、非科学的・非現実的。
          • しつこいようだが、性差を肯定することは性差別を肯定することではない。
        • 女性と同程度に魅力があり、人権・防犯のレベルも同程度である、他の対象と比較して、女性だけが被害に合う確率が高い。
          • そもそも「同程度の魅力」というのが定義不可能。
          • 同じ市場価値のものでも、人によって効用は違う。
          • 仮に、女性と1憶円が市場で同等に評価されたとしても、異性に対する欲望の表れ方と金銭に対する欲望の表れ方が同じとは限らない。
      • ゆえに、性差別がなくなれば性犯罪がなくなると考えるのも非現実的である。
    • この問題も、最終的にはTPOに帰結する。
      • 挑発的なファッションができないことによる損失(機会費用)と、強姦被害の期待値の比較が目安。
      • TPOを選べば、この両者の両立もある程度可能となる。
  • 結論
    • 保守的な立場からのミニスカート批判と、現代的ミニスカート批判の違いを明示。
      • ミニスカートを履くことは、常に悪ではない。
        • 問題はあくまでTPOである。
      • ミニスカートを履く女性は、ふしだらではない。挑発そのものは悪ではない。
        • 行為に及ぶ気がないときに挑発されるのが迷惑なだけ。
      • ミニスカートは、強姦を正当化しない。
        • ただし、「悪」ではないが、「無用心」とは言える。
        • 「純潔」や「貞操」を守れなかったこと自体を恥じる必要はまったくない。
      • ミニスカートを違法化する必要はない。
        • あくまで倫理・道徳・マナーの問題である。
  • メッセージ
    • リベラリストを自認する男性諸君へ
    • フェミニストたちへ
    • 文化的保守主義たちへ
    • 女子高生たちへ

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