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気骨の判決

 録画しておいた NHK スペシャル「気骨の判決」を鑑賞したが、よかったと思う。戦時中を題材としたドラマとしてもこれまでなかった切り口で、よく言われる翼賛体制の一端が実感できる。演出も人目をひく派手なシーンはほとんどなく舞台劇のような抑制の効いた演出だったが、このような心理の葛藤に重点をおいたドラマには似合っていた。役者も地味な役者ばかりだが手堅い演技。なにより、飄々とした風貌ながら信念を貫く主人公の判事を演じた小林薫が似合いすぎるほど似合っていた。名演というべきだろう。

 このブログでは最近 NHK の悪口ばかり書いているので、その分少し声を大きめにして褒めておきたい。見逃した方は、再放送などがあればご覧になることをお勧めします。


 その後 2 回観直した結果、もっと評価されるべき作品だと感じたので、もう少しほめておく。

 この作品、実を言うとストーリー自体はきわめて単純である。戦時中の翼賛体制下で行われた選挙が選挙違反かどうかという裁判で、時局に逆らって選挙違反であるという判決を出した判事が一人いたというだけの話だ。

 しかもその結末は冒頭のナレーションで予告されているので、結末がどうなるかというサスペンスはまったくない。また基本的に史実に基づいた話であるから、その判決のおかげで日本社会が変化したりはしなかったこともわかっている。裁判の成り行きに関しても、法廷物によくあるような、敵に罠を仕掛けてどんでん返しを起こすというようなスリルはまったくない。

 つまり、このドラマは本当にごく単純に主人公が職務を淡々と遂行していく過程を追って行くだけのドラマなのであり、そのような単純なストーリーを作品として成立させているのは、ほとんど役者の演技力だけなのである。

 ぼくが恥ずかしながら 3 回観て 3 回ともちょっと涙ぐんでしまったのは、「愚か者でかまわない」のシーンと「わたし自身の弱さだ」のシーンであるが、こういう台詞だってこの手のドラマではありがちな台詞であり、言い方次第では、粋がった若造の気取った台詞や、思想かぶれした偏屈オヤジの大人気ない台詞に聞こえても不思議はない。それがそう聞こえないのは、ストーリーや演出ではなく、ひとえに役者の持つ演技の力なのである。

 結果から見れば、劇中でも示唆されているように、主人公の判決は社会の流れを変えることはなかった。そういう意味では、主人公の行為は無意味なヒロイズムで社会を無駄に混乱させただけとも言える。それでもこういう人間がいてほしいと思えるのは、頭で作った思想ではなく、役者の演技がその身体性によって表現している思想に、観る者が共感するからなのだろう。

 小林薫は、そういったシリアスな演技だけでなくコミカルな演技もうまかった。ぼくが特に感心したのは、食事にトマトがないことを「なんとかならんもんかのう…」と嘆くシーン。実は、ここで主人公はトマトのことを嘆いてるのではなく、心ここにあらずで裁判のことを考えているのだ。でも、家族は主人公のトマト好きを知っているから、またいつものアレとしか思ってない。そのすれ違いの面白さを出したい場面なんだけど、小林薫は、裁判の事を一言も口に出すことなく、ほんのわずか声を荒げたり重々しくしたりするだけで、見事にそれを表現している。 

 主役の小林薫だけでなく、脇をかためる役者も優秀だったと思う。特に、鹿児島県知事で後に警視総監になる人物を演じた篠井英介や、司法大臣を演じた山本圭は、戦時中のドラマにありがちな居丈高に相手を怒鳴りつけるような演技を避けて、日本的な真綿で首を絞めるようなソフトな権力というものをうまく表現していた。

 正直言うと、ぼくはもともと、ドラマを観るときにはストーリーやカメラワークや演出ばかりが気になってしまうほうで、役者の演技に注目するタイプではなかった。だから、役者の演技が持つ力というものを、このドラマに改めて教えてもらったような気がしている。

 もちろん、そのように役者の演技力を信じてすべてを預けるような作り方を選んだのが、製作者側の英断であることも忘れてはならない。

 ちょっと想像しただけでわかるが、このドラマだって、やり方によってはいくらでもセンセーショナルに盛り上げられる題材である。戦時中のドラマだから、戦闘シーンや空襲から逃げ惑うシーンを入れたっておかしくないし、憲兵による暴力シーンを入れたっていいはずだ。しかし、そういうシーンのほとんどは戦時中の記録映像で代用されている。

 実は、ストーリー上最も盛り上がるのは国民学校の校長が自殺する処なのだが、なんとその自殺のシーンすら入っていない。あるのは、自殺したという情報を主人公が伝聞として聞かされるシーンだけである。このへんを見ても、そういうセンセーショナルなシーンを作り手が意図的に排除していることがよくわかる。

 そんなセンセーショナルなシーンなどなくても、優秀な役者をキャスティングして、その力量が十分に発揮されるような環境を用意してあげれば、十分に見ごたえのある作品ができるはずだ。そう見切って思い切ってすべてを役者に託した製作者たちにも拍手してあげたい。

 最近はドラマの視聴率も停滞気味だそうだが、こういうドラマならもっと観てみたい。頭で作った小賢しい思想を人気だけの俳優が口だけで囀るようなドラマではなく、思想を身体化して表現できる優秀な役者同士がぶつかりあうようなドラマを。しかし、そのようなドラマを制作できるテレビ局は限られているような気もする。

・NHK オンデマンドでも 8 月 26 日まで配信中のようです。

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