音楽の新しい座標軸
ちかごろよく、エレクトロニカの音楽史的な位置づけについて考える。単に、電子音やノイズを多用した音楽というだけなら、これまでにもたくさんあった。クラシックや現代音楽に分類される音楽で言えば、電子音楽とかミュジーク・コンクレートと呼ばれるものがそうであるし、ポップスに分類される音楽で言えば、テクノポップなどがそうであった。
しかし、エレクトロニカはこのいずれとも違う。もちろん手法的には共通する部分は多々あるのだが、なんというか思想が違うのである。その思想の違いをうまく説明する方法を考えていて、一つの図式を思いついた。これも誰かがとっくに言っていそうな話ではあるが、一介のアマチュアとしては先行研究の調査とかしてるひまもないので、例によって思いつきを垂れ流させていただくことにする。
この図式では、音楽のジャンルを 2 つの座標軸で分類している。そのうち縦軸の方は、楽音/非楽音という軸になっているが、これは音楽学で一般的に使われる用語と同じ。楽音というのは音程のある音で、非楽音は音程のない音である。楽音の典型は言うまでもなく楽器の音である。
横軸の方は、ぼくが勝手に考えた分類で、あまり一般的ではないかもしれないので、少し詳しく説明しよう。
まず、具体的というのは、音が現実世界の具体的な何かに強く関連付けられていることを指す。たとえば、ピアノの音は、ピアノという現実世界のものに関連付けられていて、ぼくらはピアノの音を聴くと反射的にピアノを思い浮かべる。もちろん、ピアノ以外の楽器の音もそうだ。
しかし、こういう音は楽器音だけではない。ぼくらが生活の中で聞き慣れている音の中にも、現実の物や現象を強く想起させるものが少なくない。たとえば、海の潮騒の音やカメラのシャッター音などがそうである。ここでは、このような音を具体的な音と呼ぶことにする。
一方、抽象的というのは、これと反対に、現実世界との関連性が薄く、現実の何かを想起させる力の弱い音を指す。これは定義からして必然的に、現実世界の音よりも、音楽でしか使われない音が多くなる。たとえば、テクノポップで使われるシンセサイザの音であるとか、エレクトロニカで使われるパルス音やグリッチ音がそうである。
ここで、シンセサイザの音は、シンセサイザという楽器を想起させるから具体的ではないのかとか、逆に、伝統的な楽器だって音楽という目的にしか使えないのだから、抽象的な音に含めるべきではないのかとか思う人もいるかもしれない。
これらはいずれも重要な論点であり、詳細な議論は別の機会に譲りたい。ただ、一つ言える事は、具体的か抽象的かは相対的な問題で、初めて聴いたときは抽象的な音も、聴き慣れるうちに具体的な音に変わるし、具体的な音も、コンテキストを置き換えることによって抽象的な音に変わるということだ。この座標軸は、そのうちのどちらの方向性を相対的に強調しているかで決めることにする。
もう一つ興味深い問題を提起するのは、サンプリング音である。サンプリング音そのものは、現実の音を録音したものであるから、具体的なものや現象を想起させる具体的な音であることが多い。ところが、サンプリング音を加工したり別のコンテキストに置き換えたりすると、抽象的な音に変換することが可能なのである。
たとえば、オーケストラ・ヒットなどと呼ばれる効果音がある。これは、実際のオーケストラの演奏をサンプリングして、その一部だけを切り取った音である。これを元のコンテキストとは無関係な場所で鳴らすと、もはやオーケストラの音には聞こえない。何か得体の知れない効果音に聞こえるようになる。一時期のヒップホップなどで多用されていたので、ご存知の方も多いと思う。このようなサンプリング音も抽象的な音の一種と言える。
さて、この座標軸に基づいて音楽のジャンルを分類すると、上図のようエレクトロニカの位置づけがはっきりする。エレクトロニカは、楽音よりも非楽音を多用するという点で電子音楽やテクノポップとは異なり、具体的な音ではなく抽象的な音を多用するという点でミュジーク・コンクレートとも異なる。
これまで、テクノポップやエレクトロニカを他のジャンルから分かつものは、デジタルなテクノロジであると一般には思われがちであった。しかし、現代の技術では、デジタルなテクノロジを使ってアコースティック楽器の音をそのまま出すことも可能であるから、テクノロジによる分類がなんら本質的でないことは自明だ。音楽の手法として本質的なのは、むしろ、ここで挙げた具体的/抽象的という軸なのであり、この軸を導入すれば、これまで混同されがちであったジャンルの本質的な差異がはっきりと浮かびあがるのである。
この図式から観ると、エレクトロニカに近いのは、強いて言えば未来派であることがわかる。たとえば、未来派の主導者の一人であるルイージ・ルッソロの発明した「楽器」にイントナルモーリなるものがあるが、これは楽音ではなく非楽音を発生させる機械であった。
未来派は 20 世紀初頭に起こった音楽ムーブメントだが、ファシズムに加担したりしたこともあってか、後を継ぐものもなく尻つぼみで終わってしまったらしい。現代のエレクトロニカがその思想を継承していると考えるのも一興かもしれない。
ちなみに、この図式を思いついたきっかけは、リュク・フェラーリの「Archives sauve'es des Eaux(水から救出されたアーカイヴ)」という曲を聴いたことだった。 リュク・フェラーリは、一般にはミュジーク・コンクレートに分類されるアーティストだが、ぼくにはこの曲はどうしてもエレクトロニカにしか聴こえない。しかし、リュクの昔の曲はそうではないのだ。その違いはどこにあるのだろう、と考えているうちにこういう結論になった。
リュクの昔の曲で使われている音は、同じサンプリング音でも、現実を想起させる力が強い音ばかりだが、この曲で使われている音は、オーケストラ・ヒットのように、あまり現実を想起させないように加工されている。それがエレクトロニカっぽく聴こえる最大の要因だと気づいたのだ。
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