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座右の銘

それは、血を吐きながら続ける、悲しいマラソンなのかもしれない。だが、私たちは血を吐きつつ、くり返しくり返しその朝をこえて飛ぶ鳥だ。

-私は以後、これをもって座右の銘としたい。思いっきりパクリだが(^^)。

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谷崎はドM

今年から、今まで日記に書くのをためらっていたようなことも、あえて書くことにした。今までは、性生活的なことや奥さんとの関係なんかは書かないようにしてたんだよね。それは、奥さんがこの日記帳を盗み読みしてブチ切れるのが怖かったからなんだけど、今年からはそんなんでビビったりしないことにした。

この日記帳が書斎のどの引き出しに入ってるか、奥さんは知ってるはず。奥さんは昭和な家庭で育った人だから、昔風のどーとくを大事にするとこがあって、それがプライドだったりもするんで、まさか旦那の日記帳を盗み読みしたりはしないとは思うけどさ、そうとも限らないような気もするんだよね。今までと違って夫婦のエッチのこととかが出てくるようになったら、奥さんは旦那の秘密を知りたいという誘惑に勝てるのかなあ?

奥さんはもともとネクラで、隠し事とか好きだからね。知ってることでも知らんぷりしたり、思ってることをあえて言わなかったりするのがいい人だと思ってたりするし。日記帳が入ってる引き出しの鍵は、秘密の場所に隠してあって、その場所もしょっちゅう変えてたりするんだけど、奥さんは詮索オタクだから、今までの隠し場所もみんなバレバレだったりするかも。もっとも、わざわざそんなことしなくたって、あんな鍵、簡単に合鍵つくれるけどね。

さっきは「今年からはそんなんでビビったりしないことにした」なーんて書いたけど、考えてみたら、実は前から怖がってなんかいなかったのかも。ってか、むしろ読まれることを期待してたりなんかしてね。だったら、なんで引き出しに鍵をかけたりその鍵をあっちこっちに隠したりしたのかって? それは、奥さんの詮索オタク心を満足させるためなのかもね。

だいたい、日記帳をわざと目立つ場所においといたりしたら、奥さんは「これはあたしに読ませるために書いた日記ね」と思って、書いてあることを信じないかもしれないでしょ。それどころか、「これとは別にホンモノの日記が隠してあるのね」と思うかも。

ぼくの大好きな郁子さんへ。君がこの日記を盗み読みしてるかどうかはわかんない。直接聞いても「人の日記をコッソリ読んだりなんかしません」って言うに決まってるから、聞いてもしょうがないし。でも、もし読んでるんだったら、これはウソ日記じゃなくて、ホントのことだけが書いてあるって信じてほしいんだよね。ってか、疑り深い人にこんなこと言ったら、余計怪しいと思うだろうから、これ以上は書かないでおくね。だいたい、この日記を読んでくれれば、ウソが書いてあるかどうかはわかるはずだし。

(中略)

前からしつこく書いてるけど、ぼくが奥さんのこと大好きだってのはホントだし、それは奥さんもわかってるはず。ただ、ぼくは奥さんみたいに底なしのエロエロじゃないので、その点では奥さんには勝てないんだよね。ぼくは今年 56 歳(奥さんは 45 歳)だから、まだまだ若いと思ってたけど、最近はエッチするともうどっと疲れがでちゃう。正直言って、週一回とか十日に一回ぐらいが限界。でも、奥さんは、心臓が悪いとか言ってるわりに、そのエロさはほとんどびょーき(そのくせ、こういう露骨なエロトークは大嫌いなんだけどさ)。これが困るんだよね。

旦那としては、奥さんを満足させられないのは申し訳ないと思うけどさ、かと言って、もし欲求不満を解消するために(なんて言うと「あたしの事どんだけエロいと思ってんのよ」ってきっと言うだろけど)奥さんが浮気したりしたら、ぼくは耐えらんない。そんなの想像しただけでジェラシーを感じちゃう。それに、奥さん本人の健康のことを考えても、あのエロエロ病はなんとかしたほうがいいんじゃないかな。

ぼくが困るのは、体力がどんどんなくなっていくこと。最近は一回エッチしすると、もうヘロヘロになっちゃって、その後丸一日使い物にならなくなっちゃう。でも、奥さんとエッチしたくないかっていうと、むしろ真逆。ぼくは、義務感で無理矢理勃たせてエッチしてるわけじゃ全然なくて、奥さんのことは大好きなの。

で、いよいよ奥さんに嫌われそうなこと書いちゃうけど、奥さんには、本人も気づいてない隠しアイテムがあるんだ。ぼくがもし童貞で他の女とエッチしたことがなかったら気づかなかったかもしれないけど、これでも若い頃は結構遊んでたからね。奥さんがもう滅多にいないぐらいの名器だってわかっちゃったんだよね。

奥さんがもし歌舞伎町のソープとかで働いてたら、きっと有名になって、パパがたくさんできたりして、そこらじゅうの男をトリコにしたかもしれないね。(あ、こんなこと奥さんには教えない方がいいかな。奥さんが自分でそれに気づいちゃうと、ぼくにとっては損だよね。でも、奥さんがこれを聞いたら、喜ぶかな? 恥ずかしがるかな? それとも、バカにされてると思うのかな? たぶん、怒ってるフリはするだろうけど、ひそかにプライドを感じるんじゃないかな)

ぼくは奥さんのアソコのことを考えただけで、ジェラシーで悶々としちゃう。このことがどっかの男にバレて、しかも、ぼくが奥さんを十分満足させてないことまでバレちゃったらどうなるのかしら。そう考えると不安だし、奥さんに悪いなとも思って、自分で自分が許せなくなっちゃう。

だからこそ、ぼくは刺激を得ようと思っていろいろがんばるわけ。たとえば、ぼくは目蓋が性感帯で、目をつぶって目蓋の上からキスされると感じるんだけど、そこを刺激してもらうとか。逆に、奥さんは脇の下が性感帯で、脇の下にキスされるのが好きなんだけど、ぼくが奥さんのそこを刺激することで、間接的に自分を刺激しようとしたり。

でも、奥さんはそういうのお願いしてもやってくれないんだよね。そういう「不自然なプレイ」は嫌で、普通なのがいいんだって。いくら普通にエッチするためにこそ、前戯が重要なんだと言っても、そういう変態チックなことだけはイヤっていうコダワリがあるみたい。

奥さんは、ぼくが足フェチだって知ってるし、自分の足がキレイだってことも知ってるのに(とても 45 歳のオバサンの足には見えない)、いや、知ってるからこそ、ぼくに足を見せようとしないんだよね。真夏のアホみたいに暑いときだって、ほとんどソックスとか履いてたりする。せめて足の甲にキスさしてくんない? と頼んでも、「ヤダ、きたないよ」とか「こんなとこ触るのおかしいでしょ?」とか言って聞いてくれないんだよ。だからぼくはますますヘタレな旦那になっちゃうわけ。

(中略)

ぼくは奥さんが着てる物を全部ひっぺがして、真っ裸のまま仰向けに寝かせて、蛍光灯とスタンドの光を思いっきり当ててやった。それから、地図を調べるみたいにして奥さんのカラダをチェックしだしたんだよね。そしたら、どこを探してもシミ一つないもんだから、もう見とれちゃって。

だってさ、ぼくは奥さんのハダカ全体をちゃんと見たのって初めてなんだよ。よその旦那はきっと、奥さんのカラダがどんななのか、足の裏のしわの数まで知ってるんだろうけどさ。ウチの奥さんは、ぼくにカラダを見せてくれたこと一回もないからね。そりゃあ、エッチのときにたまたま見れたところもあるけど、それだって上半身の一部だけで、エッチに必要ないところは一切見せてくれなかったんだから。ぼくはただ、手で触った感じから形を想像して、たぶんいいカラダなんだろうと思ってただけで。だからこそ、明るいところで見たいなあって前から思ってんだけど、期待通り、っていうか期待以上だったね。

(中略)

そしたら、奥さんはホントは寝てるんじゃなくて、寝たフリをしてるだけのような気がしてきた。っていうか、最初はホントに寝てたんだろうけど、途中で目が覚めたんだろうね。でも、あまりにみょーなことになってるんで呆れてしまい、自分が恥ずかしい格好にされてることもあって、寝たフリのままでいくことに決めたとかさ。これはぼくの単なる妄想かもしれないけど、でもぼくはそう思いたかったんだよね。こんなキレイな肌をしたカラダが、ラブドールみたいにぼくのされるがままになってるのに、実は本人意識があるんちゃうかって思うと、ぼくはメチャメチャ興奮しちゃうもんで。

でも、もしホントに寝てるんだったら、奥さんにこんなイタズラしたこと日記に書いたらマズいかも。奥さんがこの日記をコッソリ読んでることは間違いないから、こんなこと書いたら、酒を飲んでくれなくなっちゃうかも。でも、たぶんそうはならないよね。だって、そんなことしたら、日記を盗み読みしてることがバレバレになっちゃうもの。この日記さえ読まなければ、酔いつぶれてる間に何されたかなんて、奥さんにわかるはずないんだから。

(中略)

奥さんが爆睡してる(あるいは、爆睡してるフリをしている)のを確認して、ぼくは最後までヤルことヤっちゃうことに決めた。今日は奥さんに邪魔されなかったから、心の準備も完璧で、ぼくはすでに興奮でビンビンになってる。だから、自分でもびっくりするくらいイケてたね。いつもの情けない、ヘタレの旦那ではなくて、あのエロエロな奥さんにも勝てるぐらい。ぼくは、これからもちょくちょく奥さんを悪酔いさせてやろうと思ったね。

― 谷崎潤一郎「」より(新口語文風にリライト)


谷崎潤一郎 - Wikipedia  

谷崎 潤一郎(たにざきじゅんいちろう、Junichiro Tanizaki 1886年(明治19年)7月24日 - 1965年(昭和40年)7月30日)は、明治末期から第2次世界大戦後にかけて活動した小説家。耽美主義とされる作風で、『痴人の愛』『細雪』など多くの秀作を残し、文豪と称された。(中略)ノーベル文学賞の候補とされただけでなく、1964年には日本人で初めて全米芸術院米国文学芸術アカデミー名誉会員に選出された。

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工事の音がうるさい

 私の住んでいるマンションは、独身用のせいか入居者の入れ替わりが激しく、そのたびに内装工事が行われます。この工事の音が、うるさくて喉に刺さった魚の骨のように気になるのであります。

 今日なども、仕事をしようとすると、トカトントン、音楽を聴いていても、トカトントン、読書をしていても、トカトントン、仮眠をとっている最中にも、トカトントン。○○○ーをしようとしても、トカトントン。

 教えてください。この音は、なんなのでしょう。そうして、この音からのがれるには、どうしたらいいのでしょう。私はいま、実際、この音のために身動きが出来なくなっています。どうか、誰か教えてください。

 なお最後にもう一言つけ加えさせていただくなら、私がこのブログを半分も書かぬうちに、もう、トカトントンが、さかんに聞こえて来ていたのです。こんなブログを書く、つまらなさ。それでも、我慢してとにかく、これだけ書きました。そうして、あんまりつまらないから、やけになってウソばっかり書いたような気がします。翻訳の仕事なんてないし、歯痛になったわけでもないんです。その他の事も、たいがいウソのようです。

 しかし、トカトントンだけは、ウソではないようです。読みかえさず、このまま投稿します。

気取った苦悩ではなく、単に疲れているだけです)

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爆発音がした

 なんか、これを読んだら創作意欲が刺激されたので、自分でもやってみた。

ガキ使トーク

浜田:「ほんで?」

松本:「ほんなら、いきなり後ろからバーン爆発ですよ」

浜田:「またまた~」

松本:「いや、ホンマやねんって!」

宮川大輔

「ほんならー、後ろでドッカーン爆発しましてー、ほいでもう石やらなんやらがボンボン飛んできましてー、そばにおった子供なんてもうこんなんですよ(立ち上がって実演)」

田原総一朗

「そしたら、アンタ、どうなったと思う?」

「爆発した…?」

「そう。大爆発だよ。もうメチャクチャ。これをちゃんとテレビで放送したのはサンプロだけ。あとはどこの局もやんなかった」

マル激

神保:「これはさあ、要するに爆発しちゃったって感じなんだけど、宮台さんなんか言うことある?」

宮台:「これはまさに、バカな田吾作どもによるケツ嘗め爆発って奴ですね。そのバカさ加減においては、右も左もなんら変わらないというだけの話。実は、ぼくは昔ナンパ師だった時代があって…」

姜尚中

「いいですか、村田さん。あなたね、簡単にね、爆発とね、言いますけどね。これはね、ただの爆発じゃないんですよ。このグローバル化した、アメリカ中心の、国際社会の中でね……違いますよ。ちゃんと最後まで聞きなさいよ。誰もそんなこと言ってないよ。」

森永卓郎

「いやだからー、これは単にー、経産省のお役人たちが爆発させたかったってだけなんですよ。だってー、経産省が出した答弁の中にー、爆発ってちゃーんと書いてあるんですもん。結局ー、 経産省のお役人たちはー、みーんな爆弾が好きなだけなんですって。」

三宅久之

「森永さん。アナタねえ、爆弾だかヘチャムクレだかなんだか知らないけどねえ、今までにねえ、日本でマトモな爆発が起きたことがありますか? だいだいねえ、アナタみたいなトンチキなヤカラがいるから日本はダメなんだよ。アナタのお父上は立派な方だったけど」

山本一太

「田原さん、それはちょっと言い過ぎですよ。もちろん確かに、自民党の中にも爆発させろと言ってる人もいます。でも…」

「それは具体的に誰?」

「それはちょっと言えないですけど(言いよどむ)、自民党はみなさんが思ってるような党じゃありませんから」

田岡俊次

「これは言ってみれば、自衛隊が自分で爆発させたようなもんでね。言ってみれば、1 発の爆弾が 2 発になれば 2 発の爆弾が 1 発になったときより余計爆発するわけだから。だからみんな米軍がやった米軍がやったって言っておるけれども、言ってみれば、米軍にはそんな戦力はないし、自衛隊だけでじゅーぶん爆発させられる。だからこれは言ってみれば…」

池田信夫

クルーグマンは主張をコロコロ変えるので有名だが、爆発についての主張はとっくの昔に撤回しており、爆発派の間でこのような不毛な論争が続いているのは日本だけである。この本は、翻訳文の下品さに眼をつぶれば評価できる。

小飼弾

爆弾だから爆発するのではない。爆発するものが爆弾なのである。

私が金持ちになれたのも、金を稼ぐより金を使う方が難しいということに気づいたからだ。

弾言する。爆発とはコンピュータであると。

Dan the Bomber

子供、ほしいね

かっくん:「お兄さんは最近なにやってるんですか?」

うらら兄:「今度は、保管専用爆弾ってのを考えたんだよ。」

かっくん&うらら:「保管専用爆弾?」

うらら兄:「ほら、アメリカとかロシアとか、いっぱい爆弾持ってるけど、全然使わないだろ? だから、保管専用爆弾ってのがあれば売れるんじゃないかと思って。」

うらら:「でも、保管しておくだけだったら爆弾の意味ないじゃない?」

うらら兄:「だから、実際には爆発しなくてもバレないんだよ。」

吾妻ひでお

○月×日 <何だかよくわからないことが起こる>

「………」

「あなた爆弾の前で何してるんですか?」

「………」

「……こうしていると……」

「……そのうち爆弾が爆発するものですから……」

(またなんか思いついたら追記するかも)

追記: 例のまとめ記事の後半を見たら、この記事からいくつか採用されていたのでびっくりした。もちろん、採用してくれること自体はうれしいですけど、なんのクレジットもないので、逆にぼくがパクったと勘違いされないかどうかちょっと心配。ここに書かれているネタは、あくまでぼくがオリジナルですから、くれぐれも誤解のないように(^^)。まあ、公開されちゃったので、一応 TB しときますね。

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スウィート・ダイエット

 画期的なダイエット法を発明した。軽佻浮薄なるメディアの上では、まるで季節の風物詩のようにさまざまなダイエット法が流行っては消え流行っては消えを繰り返しており、これまでに考案されたダイエット法は、全人類に一つずつテストさせてもまだ余るのではないかと思うぐらいの数だが、それでも、こんな方法はまだ誰も思いついておるまい、というぐらい画期的なダイエット法である。

 その名もスウィート・ダイエット。こういうのはネーミングが大切らしいので、とりあえず南蛮渡来のえげれす語で名前をつけてみたが、名前の通り、とにかく甘いものをたくさん食べるのが特徴であり、甘いものは太るという常識を覆す画期的なダイエット法なのである。さっきから画期的ばかり言っているが、それほど画期的だということだ。

 なぜ甘いものばかりを食べていると痩せられるのか、その画期的な仕組みは以下の通り。

  1. 甘いものをたくさん食べる
  2. あえて歯を磨かない
  3. 虫歯になる
  4. あえて歯医者に行かない
  5. 虫歯がどんどん重くなる
  6. まだ歯医者に行かない
  7. 物を噛もうとすると歯に激痛が走るようになる
  8. それでも歯医者に行かない
  9. 食べたくても何も食べられなくなる
  10. 痩せる

 この方法は、2009 年の 5 月 5 日、ゴールデン・ウィークの真っ最中だというのに、なにがうれしいんだか小汚い部屋に閉じこもって仕事をしていた筆者が、突如歯痛に襲われ、休業日なので歯医者に掛かることもできず、痛いよー、痛くて仕事にならないよー、とのたうちまわっていたたときに、その脳裏に突如ひらめいたものである。真の天才というものは、あらゆる逆境を味方にする能力を持っているということを、これほど如実に示した例はないであろう。

 なお、この方法は決して勝手に真似してはいけない。素人というものは愚かなので、こんなの誰でもできるじゃないかと浅墓に考えがちだが、この方法を正しく実践するためには、最低でも 4 週間の訓練が必要である。受講料は 1 回 2 時間で 2 万円。1 ヶ月分を前払いすれば特別価格で 20 万円のお得コースもある。また、筆者は現在、この方法の特許と実用新案と商標登録の申請中で、許可なく真似した者に対しては、やむ終えず法的措置をとらせていただく場合がある。

 …ってか、そんなことどーでもいいよー。痛いよー。ろしあが攻めてくるよー(^^)。

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a gift

 いまさら言うまでもないが、人間というのは不思議なものだ。人格などというものは、煎じ詰めれば、脳の組織が外界からの入力を受けて変化した結果にすぎない。身体性などと呼ばれるものを人格に含めたとしても、やっぱり、肉体の組織が外界からの入力を受けて変化した結果にすぎない。そのような変化は、人間が死ねば、当然のことながら、きれいさっぱり失われる。

 けれども、肉体が滅び人格が失われた後でも、その人格の記憶は人々の中に残る。記憶の中の人格は、その記憶の主の人格になにがしかの影響を与えるだろう。もちろん、その記憶の主もいつかは死ぬだろうが、その人格もまた、他の人々の記憶の中に受け継がれていく。

 このような記憶の中の人格は、なまじっかな「思想」などというものよりも、はるかに強く人間を突き動かす力を持っている。そういう意味で、オカルトでもなんでもなく、肉体が失われた後でも、人間の人格は人々の中に生き続ける。ぼくらは、過去の人格に導かれながら、未来に向かって歩いていく。この能力は、人間という脳が発達しすぎた生物に、自然界から与えられた素敵な贈り物なのかもしれない。

-「矢野顕子 - ひとつだけ (Guest Artist: 忌野清志郎) 」を聴きながら。

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