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涼宮ハルヒは叙述トリックだった

 たまたまなんだけど、仕事しながら「涼宮ハルヒの憂鬱」のアニメを観てて、これこそ「個性の承認」より「個別性の承認」という話じゃないかと思ったですよ(^^)。

 いや、観る前は、もっとパロディとかいっぱい入ってたりして、ヲタクっぽいアニメなんだろな、と勝手に想像してちょっと敬遠してたんですよ。でも実際に観てみると、確かにツンデレ美少女とか巨乳とかメガネっ子とかメイド服とかヲタク受けする要素が確信犯的に散りばめられているし、ヤマトやガンダムのパロディっぽいシーンとかもあるんだけど、でもそれは作者の釣りにすぎなくてね。むしろ、もののよくわかったオトナが、ちょっとヲタクっぽい中高生に向けて書いてあげた、良心的なジュブナイルという感じがした。

 それでちょっと興味を持って検索してみると、「メタ萌え」と呼ばれる作品系列があって、エヴァンゲリオンとかうる星やつらのビューティフル・ドリーマーとかも似たようなモチーフになってるらしいのね。ぼくは実は、エヴァもビューティフル・ドリーマーも観てないので(^^)、そのへんまったく知らなかったんだけど、ライトノベル界もいつの間にか進化しているなあと思って、ちょっと感心した。

(でも、考えてみると、新井素子の「…絶句」とかもちょっとそんな感じだったよね。と思って検索してみたら、やっぱり同じような感想があった(^^)。でも、「絶句」は「ハルヒ」ほど「萌え」の相対化に自覚的ではなかったような気がするなあ。なにしろ読んだのがウン十年前なので(^^)、よく覚えてないですけど。ヒマがあったら読み直してみよう。)

 「ハルヒ」には、宇宙人や未来人や超能力者が平気で出てくるので、一見 SF っぽいんだけど、むしろ作品の核になってるのはミステリ的な発想だよね。だってよく考えると、あの作品の中で一番おかしな人間はハルヒじゃなくてキョンでしょ(^^)。身の回りであんなムチャクチャが起こっているのに、警察に訴えるでもなく親に相談するでもなく平然とやりすごすだけ。いつまでたっても朝比奈さんをくどくわけでもない。そんな人間が「常識人」のわきゃない(^^)。

 でも、この作品全体がキョンの一人称視点で語られていて、語り手自身が自分は常識人だ常識人だと言いながら、周囲のおかしな人間につっこみを入れまくっているから、観てる側からすると、キョンの非常識さに気づき難いしくみになってるんだよね。それが最終回になって、実はキョン自身も「不思議、大好き」だったと告白するというのは、完全にミステリの叙述トリックと一緒だなと思った。

 叙述トリックっていうのは、単に読者を騙すためのテクニックというだけではなくて、読者自身の深層心理や偏見や世界観を暴き本人に自覚させるための道具としても使える。そのことをぼくに教えてくれたのは、筒井康隆氏の「ロートレック荘事件」という作品なんだけど、この作品にもちょっとそういうところがあるんだよね。

 この作品はキョンに甘いと宇野常寛氏が言ってたけど、宇野氏自身も言うように、キョンが「信頼できない語り手」である可能性もあると思う。だって、超常現象を目撃してるのは、宇宙人や未来人や超能力者を自称する連中を除けばキョンだけだもんね。だから、最後になって、あれは全部夢でした、宇宙人も未来人も超能力者もいませんでした、って完全にちゃぶ台返しをする可能性もあると思う。「さあさあ、遊びの時間は終わりですよ。みんなおうちに帰りましょう」ってね。なんか、この作品の作者はそういう人のような気がする(^^)。

 だからまあ、同じ流行現象でも、前に読んだケータイ小説とは作品としての格が違うと思った。アニメとしての映像や演出のクオリティも高いしね。もっとも、上で書いたように、これはあくまでオトナがコドモに向けて作った作品だと思うので、一般のオトナが観て面白いと思うかどうかは多少疑問なのだけれども(^^)。

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