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成果主義と雇用流動化は正反対の思想

 ある人のブログを読んでいたら、成果主義が失敗したのに(解雇規制の撤廃による)雇用の流動化が成功するわけない、みたいなことが書いてあって、ちょっとひっかかった。というのは、ぼく的には、成果主義と雇用の流動化は、ほとんど正反対の哲学だと思っているからだ。

 そもそも、「成果主義」とうい言葉の定義自体があいまいで、字義通りの完全な成果主義なんておそらく成立しないと思うのだが、仮に思考実験として、できるだけ文字通りの意味に近い成果主義というのを考えてみよう。

 成果というのは最終的には企業の利益であるから、まず、社員全員の給与の合計が、完全に企業の利益に連動するとしよう。もちろん、生産に必要な生産要素というものは労働だけではないので、生産要素間でどう利益が分配されるかも、労働・資本それぞれの寄与度や、労働市場・資本市場それぞれの需給関係によって決まってくるはずだが、ここでは話をわかりやすくするために、労働分配率は常に固定としてみよう。

 言い換えれば、資本家への配当や税金を除いた利益を、すべて労働者で山分けすると考える(もちろん、通常「利益」からは人件費を除いて考えるが、ここではあえて確信犯的にそうしないのである)。そして労働者間の給与の配分は、各人の貢献度(これも厳密な定義にはいろんな議論があると思うが)に応じて重み付けするとしよう。面倒なので、年金や健康保険などの社会保障費負担などもすべて捨象して考える。

 さて、こういう理想的な「成果主義」の会社がもしあったとしたら、何がおこるだろうか。ちょっと考えればわかるが、社員を解雇する必要がまったくなくなるのである。なぜかというと、このシステムでは、利益が出なければ給与を払う必要はないし、利益が少なければその分給料も少なくできるのだから、企業が社員をかかえておくリスクがほとんどないからだ。だから、企業は、必要のあるなしにかかわらずできるだけたくさん社員を雇って、抱え込んででおこうとするだろう。

 逆に社員側から見ると、いくら長時間真面目に働いても、企業の業績が悪ければまったく給料がもらえないということになる。つまり、資本家が負っている業績リスクと同じものを労働者も負担することになるわけだ。だから、もし企業の業績が悪化して給料が下がったら、労働者はむしろ自分から辞めようとするだろう。

(おそらく、このことがワーキングプアの増加にも関係しているのではないか。)

 ここまで説明すれば気づいた人も多いと思うが、解雇規制の撤廃による雇用の流動化というのは、この「成果主義」のように、企業の利益と給与が連動していないからこそ必要な制度なのである。ここで仮に、この「成果主義」とは逆に、企業の利益にかかわらず、労働者には常に一定の賃金が払われるという制度を「固定賃金主義」と呼んでみよう。

 固定賃金主義の企業では、利益の多少にかかわらず一定の賃金を支払わなくてはならないので、必要最小限の労働者しか雇わないようにするだろう。そして、利益が減ったり増えたりした場合には、給与額で調整することができないのだから、その分労働者の数で調節しなくてはならなくなるだろう。したがって、解雇が必要になってくる。

 逆に社員側から見ると、企業の業績がよかろうが悪かろうが、長時間真面目に働けば、働いた分だけの給料を必ずもらえるということになる。つまり、労働者は、資本家が背負っている業績リスクから切り離されている。したがって、労働者は、いくら企業の業績が悪くても、あまり会社を辞めたがらないということになる。

 と書くと、でも、企業が倒産すればやっぱり社員も損害を受けるじゃないか、と思う人もいるかもしれない。しかし、統計・確率的に考えると、世の中、起業したり倒産したりする会社は数々あれど、世の中全体で必要とされる労働者の量はほぼ一定のはずである。もちろん、社会全体の雇用の数が減る「不景気」という現象は厳然として存在するが、その幅は、個別の会社の業績の変化や倒産の数に比べれば、相対的に狭いはずである。したがってやはり、倒産時のことまで考えても、「固定賃金主義」の方が、労働者は個別企業の業績のリスクから切り離されている、と言えるだろう。

 ここまで論じてきたことを一覧表にすると、こんな感じになる。

成果主義 固定賃金主義
資本家 労働者 資本家 労働者
業績リスク 負う 負う 負う 負わない
解雇・退社 したがらない したがる したがる したがらない


 このように、「成果主義」と「固定賃金主義」は、業績リスクを誰が負うかという点で、ほとんど正反対の思想である。そして、雇用の流動化というのも、「固定賃金主義」のためにこそ必要な制度なのだから、やはり成果主義とは正反対の思想だと思うのだ。

 では、冒頭に書いたブログの著者は、なぜこのような正反対のものを同列に見なしたのだろう。それはおそらく、いわゆる「日本的雇用慣行」からの距離で考えたからだと思われる。だからむしろ、なぜ「日本的雇用慣行」では、「固定賃金主義」と「解雇規制」というたがいに矛盾する思想からくる制度が両立していたかを考える必要があるのだろう。

 この問題をあまり深入りしている余裕はないが、大雑把に言えば、これは業績リスクの相対的に小さい右肩上りの時代のおいてのみ存続可能な制度であり、資本家に対しては付加価値の創造よりも企業自体の存続を目標とすることを強制し、労働者に対しては、必要以上に企業に依存する性質を植えつける、奥村某や佐高某の言う「会社主義」や「社畜」を生み出した制度そのものなのだと思う。そして、そこから脱却するには、「成果主義」と「雇用の流動化」という正反対の方向性がある、と考えるのが正しい歴史観ではないだろうか。

 ぼく自身は、かなり前から何度か言っているように、成果主義には反対で、雇用の流動化には賛成なのだが、その理由を説明しだすと長くなるので今回は割愛する。ただ、少なくとも、企業別組合の害悪を言いながら、雇用の流動化には反対するような立場はおかしいと思うし、むしろ、雇用の流動化こそが労働者の自立につながると考えるべきだと思っている。これも詳細はまた時間のあるときに書きたい。とりあえず読者のみなさんには、「成果主義」と「雇用の流動化」は正反対の思想なのかもしれない、ということをちらっとでも思っていただければ幸いである。

・もっとちゃんと勉強したい方へ

 これも必ずしも完全に勝手な与太を飛ばしているわけではなく、一応、経済学で言うところの「インセンティブとリスク・シェアリングのトレード・オフ」という話を下敷きにしてはいる。要するに、資本家と労働者では効用関数が違い、資本家はリスク愛好的なので期待値基準で動くが、労働者はリスク回避的で期待効用基準で動く。そのため、資本家にはハイリスクハイリターン、労働者はローリスクローリターンという分配が最適解になるというような理論が実際にある。この話は、それをちょっと大げさに誇張してマクロにつなげただけと思ってもらってもいいんじゃないかと思う。 得に、「成果」とインセンティブは違うということ、リスクを考慮すると期待値だけを考慮したときとは結果が異なってくることなどは、知っておいて損はない。

参考文献:

MBAミクロ経済学」小島寛之著(p171-179)。これ以上わかりやすくするのは無理、というほどわかりやすい(^^)。題名の軽薄さに騙されてはなりませぬ。

経済システムの比較制度分析 」青木昌彦、奥野正寛編著(p106-108)。ぱっと見難しそうだが、よく読むとそれほどでもない(^^)。

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