裏自殺サイトを作ってみたい
最近の硫化水素自殺のニュースを見てひっかかるのは、「硫化水素による自殺を防げ」みたいな言い方である。そもそも、悪いのは「自殺」であって「硫化水素による自殺」ではない。もちろん、硫化水素による自殺は、他人を巻き添えにするということはあるが、基本的には、どんな手段であっても自殺は悪なのであって、硫化水素による自殺さえなければ、他の手段による自殺はあってもよい、ということではないはずだ。
とすれば、問題なのは、硫化水素のせいで自殺件数そのものが増えているのかということだろう。統計的な有意性は、しばらく時間がたって見ないと判定できないかもしれないが、ぼくはなんとなく、自殺件数自体はあまり変わっていなくて、自殺手段のうちで硫化水素を使ったものが増えているだけのような気がしてならない。
(日本の年間自殺者数は約 3 万人程度らしいから、1 日当り 100 人程度は自殺していることになる。一方、硫化水素による自殺者数は、今のところ 3 日に 1 人程度であるらしい。追記:4月だけで見ると、1 日 2~3 人ぐらいらしい。)
(2008.6.20 追記:この記事によると、「5月末現在ですでに489件発生し、自殺した人の数は517人」とのことなので、やはり月 3 人ちょっとぐらいのようだ。これが、1 日当り 100 人程度の自殺者をさらに増やしているのかどうかは、まだよくわからない。)
もしこの推定が正しいとすれば、硫化水素による自殺を防ぐのは簡単だ。硫化水素よりもっと安価で苦しまずに確実に死ねる方法の情報をバンバン流してやればいいのである。そう考えると、硫化水素による自殺だけを防ぐという運動には、あまり本質的な意味がないということになろう。
実は、自殺サイト一般の話にしてもそうである。「人間が死ぬ確率が一番高い場所は病院だ」というジョークが示すように、本当に自殺サイトのせいで自殺者が増えているのか、それとも、もともと自殺志願者の分母は一定で、それが現代ではたまたま自殺サイトに集まってくるだけなのかだって、本当はそう簡単にはわからないはずである(もちろん、だからと言って、自殺サイトを擁護する気はないが(^^))。
(追記: と思ったら、案の定こんな発言を見つけた。「未成年の自殺率は、1950年代は10%だったが、この10年は2%程度で推移している。少年自殺は決して増えてないし、ネットはそれを助長しているとは思わない」)
もっとも、人々がそういう発想に走りがちな理由は、ぼくにもわかるような気がする。たぶん、多くの人々は、自分たちの作っている社会が自殺者を生み出すような社会であるということを、あまり正面から認めたくないのである(もちろん、ぼくだって認めたくない)。だから、同じ自殺でも、何かわかりやすい悪役がいたり、人為的な対策がとれそうな種類のものほど、やっきになって騒ぎたくなるのだろう。
しかし、あえて辛らつな言い方をすれば、こういうのは現実から目を背けることにもなっていると思う。もし単に自殺さえ防げればいいのなら、個人の自由など認めず、超監視社会にでもしてしまえばいいわけであるから、極論を言えば、もともと、自由な社会というのは、自殺する自由もある社会なのだ(もちろん、自殺教唆や自殺幇助は一応違法なことになっているが)。そういう自殺する自由のある社会で、多くの人が自分の意思で自殺しないことを選ぶからこそ、われわれは同じ社会でともに生きることにプライドを持てるのではないだろうか。
なんか重すぎる話になってきたので、話を変えるが(^^)、ぼくがちょっとやって見たいと思うのは、「裏自殺サイト」を作ることである。たとえば、一見「自殺サイト」みたいに見えて、実はニセ情報ばかり掲載されているサイトとか。ほら、ブラックジャックとかで、死にたがってる患者をだましてプラシーボを飲ませたりするエピソードがあるでしょう。ああいうのをちょっとやってみたいわけ(^^)。 たとえば、「スタジオアルタ前で全裸で大股開きをしていると10秒以内に即死します」とか。誰も信じねえか(^^)。
あるいは、硫化水素で死んだ人の死体や、後遺症が残った人の写真を集めたサイトとかもいい。専門家の話によれば、硫化水素で死ぬと、死体は結構悲惨なことになるらしいので、あえてそういうグロい写真をバンバン掲載して、自殺を思いとどまらせるわけ。もちろん、いくら善意とはいえ、おおっぴらにこんなことをしたら死体冒涜とか言われるだろうから、アングラでこっそりやるのである(^^)。
ぼくは、誰もが褒めてくれるようなことって照れくさくてなかなかできないのだが、誰も知らないところで隠れてこっそりいいことをしてニヤニヤしたいという願望は結構あったりする。こういうのは、名誉欲とは言えないのだろうが、なんかある種のプライドを満たそうとする行為ではあるのだろう。それを素直に表に出さないところが、ぼくのいやらしいところなのかもしれない(^^)。
いずれにせよ、本当の意味で他人を救うなんてことは、口で言うほど簡単なことじゃないと思う。そう言えば、元文化庁長官で心理学者の故河合隼雄氏がこんなことを書いていた。ある宗教家のところに自殺志願者が来たので、わざと自殺の方法を微に入り細にわたって教えてやると、その人は怖気づいて自殺をやめてしまった。これに味をしめた宗教家が、別の自殺志願者に対しても同じことをしたところ、今度は教えたとおりの方法で死んでしまったという(「こころの処方箋」)。
この話について河合氏は、おそらく、一回目のときにはその宗教家は全身全霊をかけて語ったからうまくいったが、二回目のときには慢心して小手先だけで語ったから失敗したのだろう、というような解釈をしている。その解釈が妥当かどうかについてはいろんな意見があるだろうが、いずれにせよ、こういう話に比べると、自殺サイトをなくすかどうかなどというのは、極めて表層的で浅い話のようにぼくには思える。
かの松本人志氏が、ガキの使いのトークであるミュージシャン(甲本ヒロトとの説あり)の自殺を思いとどまらせたという、ファンの間では有名な話がある。もちろん彼はトークの中で「自殺してはいけない」というような陳腐な説教をしたわけではない。ただ、彼がいつもしているような「すべらない話」をしただけである。
この話でもわかるように、実際には、わかりやすい「自殺対策」よりも、社会全体をよくする政策努力とか、単純な失業対策とか、一人一人が自分の仕事を一生懸命やるとか、他人に対してできるだけ誠意を持って接するとかいうことの方が、本当の自殺対策になっているという可能性もあるのではないだろうか。
実は、ぼくが二十代の頃に働いていた会社でも、同僚の女の子が自殺したことがある。ぼくはそのことを思い出すと、ひょっとしたら自分の言動によってはその子は死ななくてすんだかもしれない、と考えてしまうことがある。もちろん、そんないい子ぶったことを考えること自体が彼女に対する冒涜のようにも思われるので、あまり他人には言わないようにしているが。まあでも、そんな自分に偉そうなこと書く資格あんのかよという気もしてきたので、このへんで、この小文にもすっきりした結論をつけずに終わることにする(^^)。
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