« 大福は偉大だ | トップページ | 運命に対し謙虚であるということ »

ウ○コは美しいか?

ある保健団体にて

  • 保健団体職員 A: あーっ、すっきりした。今日も快便快便。
  • 保健団体職員 B: ぼくらがこうやって健康に暮らせるのも、老廃物を毎日規則正しくウ○コとして排泄しているおかげだよな。
  • 保健団体職員 A: そうそう。それにしては、ウ○コってなぜか軽んじられているよな。
  • 保健団体職員 B: その通りだな。なにかというと汚いとか臭いとか。
  • 保健団体職員 A: そうだ、この現状を変えるために、ウ○コの大切さを大々的にキャンペーンしようじゃないか。

ある鉄道会社の広告担当部署にて

  • 保健団体職員: すいません。電車内に広告を出したいんですが。
  • 鉄道会社職員: はいはい。どんな広告でございましょうか。
  • 保健団体職員: 一応、デザインはもうできてるんです。これなんですが。
  • 鉄道会社職員: ええー? なんですかこれ? ウ○コのドアップじゃないですか。
  • 保健団体職員: そうです。ウ○コの大切さを世の中に広くアピールしようというキャンペーンなんです。どうです、美しいでしょう。
  • 鉄道会社職員: ってあなた、こんなもん電車内に貼れるわけないじゃないですか。
  • 保健団体職員: え、なぜですか?
  • 鉄道会社職員: なぜってあなた。こんなもんを見たら、乗客が不快に思うじゃないですか。
  • 保健団体職員: ウ○コが不快? じゃああなたはウ○コをしないんですか。私に明日からウ○コをするなとでも言うんですか。人類はもう何百万年もウ○コをし続けてきた。その歴史と伝統を否定するのか。
  • 鉄道会社職員: いや、誰もそんなこと言ってませんよ。ウ○コをする人が不快なんじゃなくて、ウ○コの写真を公の場所に掲示することが不快だと言ってるんです。
  • 保健団体職員: 同じことだろう。あなたは自分以外の価値観を認められない保守的な人間に違いない。だから、心の中でウ○コをする人を差別しているのだ。これは、ウ○コをする全人類に対する差別であり、リベラルな価値観に対する挑戦だ。
  • 鉄道会社職員: えーっ? (さっきは歴史と伝統とか言ったくせに…)困ったなあ。あなたちょっと落ち着いてくださいよ。
  • 保健団体職員: いや、許せない。このことはマスコミ各社にリークしてやる。覚悟しておけ。

あるリベラル系のニュース番組にて

  •  ニュースキャスター: 某鉄道会社がウ○コのポスターを拒否したことは大変な騒ぎになっています。このことに対する抗議の意を示すために、広告主の保健団体は、この地で公開ウ○コ排泄イベントを開くことになっており、多くの人が見物に詰め掛けています。
  • リポーター: あなたはなぜこのイベントを見に来たんですか?
  • 見物客: ホントのこと言うと、わたしは、今までずっとウ○コを汚いものだと思い続けてきたんです。でも、よく考えたら、それってなんの根拠もないことじゃないですか。あの、よくわからないけど、きょ、きょーどーげんそーとか、ば、ばいお・ぽりてぃっくすとかゆーのに、そう思い込まされていただけじゃないかと思うんです。だから今日は、本当にウ○コが汚いかどうか、この目で確かめにきたんです。

(保健団体職員が一斉に排便する映像。一応モザイク付き)

  • リポーター: 実際に見てどう思いましたか?
  • 見物客: ぜんぜん汚くなかったです。みんなの前で堂々としてるのはむしろ美しかった。今までコソコソしてたから汚らしく見えたんですね。わたしは間違ってました。明日からウ○コを身体中にくっつけて歩きます。

あるふつーの家庭にて

  • 夫: あーっ、すっきりした。今日も快便快便。
  • 妻: あなたはホントにウ○コするの好きねえ。いっそ家中にウ○コの写真でも飾ったらどうかしら。
  • 夫: 何をバカなことを言ってるんだよ。あははははは…。
  • 妻: やーだ、冗談だってば。ほほほほほ…。

 あまり野暮な解説はしたくないのだが、この話の肝は要するに、何が快か不快かは、特に性的な行為に関しては、社会的文脈によって大きく変わるというところにある。ぼくは女子校生の短すぎるミニスカートが不快だ不快だといい続けているが、もちろん、ベットの中でぼくだけに見せてくれるのであれば、大歓迎なのである。そんなのは、矛盾でもなんでもなく当たり前のことである。くだんの祭りの人だって、年がら年中裸でいるわけでもあるまい。

 確かに、なぜそうなるのか、というメカニズムを説明することは簡単ではない(そういう理屈は、哲学者が「性の両義性」とか言って研究してるので、興味のある人は調べて欲しい)。しかし、多くの人は、説明はできなくても、性的にふるまうべき場所とそうでない場所を自然に区別することができる。

 もちろん、その区別が永遠普遍の真理ではなく、時代や社会によって変わりうるのも確かだ。しかし、くだんの祭りについて言えば、地元だけで合意の上でやっている分には、誰も文句を言う人もいなかったはずである。それをよその場所でも宣伝しようとすれば、地元以外の価値観と衝突する可能性がでてくるのは当然である。それを無条件に受け入れろというのは、むしろ、宣伝する側がよそ様に自分の価値観を押し付けているということになってしまうだろう。

 あの祭りの宣伝に問題がないと思う人は、たとえば、川崎のかなまら祭りのような祭りの写真を、鉄道構内に貼れると考えるだろうか。もしそれがダメだとするなら、いったいどこでその線引きをするのか。考えてみてもらいたい。

|

« 大福は偉大だ | トップページ | 運命に対し謙虚であるということ »

ジャーナリズム」カテゴリの記事

ニュース」カテゴリの記事

哲学」カテゴリの記事

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/67762/40325465

この記事へのトラックバック一覧です: ウ○コは美しいか?:

« 大福は偉大だ | トップページ | 運命に対し謙虚であるということ »