cure jazz
「cure jazz」というのは、1 年ぐらい前にちょっと評判になった作品で、個性派ボーカリストとして知られる UA を、ジャズ畑のサックス・プレーヤーにして音楽評論家でもある菊池成孔氏がプロデュースしたという話題作。リリース直後からショッピング・カートに放り込んであったのだが、実際に購入したのは数日前。きっかけになったのは、「爆笑問題の日本の教養」の音楽を菊池氏が担当していることを知ったからであった(そんなんばっか(^^))。
そんなわけなので、正直ぼくは、これまであまり菊池氏の音楽を聴いたこともなかったのだが、一聴して感心したのは、ポピュラー音楽プロデューサーとしての氏のバランス感覚のよさである。
これはぼくの偏見もおおいに含まれていると思って読んで欲しいのだが(^^)、ジャズ畑の人というのは、だいたいロックやフォークのようなポップスを馬鹿にしていて、ジャズはそういうポップスより一段高級な音楽だというプライドを持っている人が多い。だから、他人のプロデュースをする際にも、ジャズというスタイルに固執するか、逆に開き直って、売れているポップスを真似したりするのだが、それが心からいいと思ってやっていないので、ポップスとしては二級品になってしまうことが多い。
ところがこの作品の場合、 スタイルとしては完全なコンボジャズそのものだし、取り上げている曲も半分ぐらいがジャズのスタンダードだったりするのだが、プロディースの方法論としては、一般的なポップスの方法論が踏襲されているのである。
そのため、作品全体としては、いわゆる「どジャズ」や「どブルース」になっていないし、もちろん、手垢の付いた「フュージョン」にもなっていない。つまり、あくまでジャズでありながら、ジャズというスタイルに安易に寄りかかることなく、幅広いリスナーに対して希求力を持つような、自立した表現になっているのである。そこに、ポップス全般を幅広く批評してきた菊池氏のバランス感覚を感じる。
たとえば、ありがちなジャズの録音では、ライブ感覚を重視するので、(たとえ実際には同録ではないとしても)同録に聴こえるようなとり方をすることが多い。しかし、この作品では、売れ線のポップスと同じような、マルチトラック・レコーディングとその後の編集による音作りが行われている。それはたとえば、「Ordinary fool」という曲のピアノにかかっているロング・ディレイなどを聴けばよくわかるだろう。
もちろん、そのようなプロデュース・ワークを成立させているのが、UA の半端でない歌唱力であることも忘れてはならない。彼女のような、本来ジャズ畑出身ではないシンガーがスタンダードなどを歌うと、下手糞なジャズになってしまうか、自分のスタイルに引き付けすぎてしまってジャズでなくなってしまうことが多いのだが、彼女の場合、ジャズシンガーのスタイルを真似ようとするわけでもなく、自分の得意なスタイルで誤魔化そうとするのでもなく、歌が本来表現したかったものを忠実に表現しようとしているように見える。そのような姿勢が、このような奇跡的な瑞々しさを生み出す原動力になっているのであろう。
スタイルに安易に寄りかかることが、いかに芸術をダメにするか、逆に、スタイルに依存しない自立した表現を志すことが、いかに瑞々しい作品を生み出すかということを、これほど端的に表している作品もあまりないと思う。幅広いリスナーに一聴をお勧めしたい。
ちなみに、ぼくが一番気に入った曲は、「Music on the planet where dawn never breaks」で、こういう曲がもっと多かったら、ぼく個人の評価はもっと高くなっていたと思うが、それではやっぱり、セールス的に問題なのかもしれない(^^)。
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