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「写真家の女たち」の正しい見方

写真家の女たち  「写真家の女たち」というのは、サンダンスの映画祭で最優秀脚本賞を獲得したほどの映画なのだが、一般の知名度はそれほど高くないかもしれない。ぼくはこの作品の英語版が DVD になった直後に、Amazon から個人輸入して観た。といっても、そういうマイナーな名作も抜け目なくチェックしているような熱心な映画ファンというわけでもなんでもなくて、なんとなく直感で面白そうだと思ったに過ぎない。結果的にはその直感は当たりで、なかなかの佳作だったが、その後長いことこの作品のことは忘れていた。

 ところが、先日 Amazon の購入履歴から LibraryThing にインポートを行ったとき、久しぶりにこの映画のことを思い出し、短いレビューをつけた。その際、他の人の感想も少々気になったので、検索をかけてみたところ、ぼくとは全然違う見方をしている人が大勢いることに気づいた。

 私見では、その見方は間違っていると思うので、この機会にその理由を書いておくことにしたい。もし、読者の中にこの映画を見たことのある方がいらっしゃったら、どっちの見方が正しいと思うか、判定していただければさいわいである。なお、以後の記述はネタバレを含むのでご注意。

・あらすじ

 この映画のあらすじはこうである。主人公は、上流階級の娘であるハーパー。ハーパーの家族は、父親も姉も弁護士で、彼女自身もハーバードの法学部に進学することを当然のように思われている。しかし、ハーパーの家庭は冷たい家庭であり、父親は彼女の姉だけを溺愛し、母親も姉も彼女を愛してはおらず、むしろ彼女は家庭内でバカにされている。そんな家庭に反発していたハーパーは、あるきっかけで中年の写真家コニーと恋に落ちる。コニーは芸術家肌で、ハーパーには芸術家としての才能があるといい、彼女に芸術家としてのイロハを教え込む。やがて、成長したハーパーはコニーの元を離れ、写真家として自立する。。。

 このあらすじだけ読んだ人は、上流階級に育った娘が、俗物的な価値観にとらわれない真の愛情を与えてくれる男を見出し、その男からの愛の力によって成長した結果、男を乗り越えてしまい、そのことを悟った男は、彼女のためを思って自分から身を引く、というような、ありがちなラブストーリーを思い浮かべるかもしれない。

 実際、この作品をとりあげたインターネット上のレビューにも、そのような見地にたったものが多い。「映画瓦版」氏のこのレビューなども、その代表的なものと言える。ぼくはこの方に対してなんの他意もないが、このレビューは反論のたたき台として都合がよいので、以後、これを元に反論を試みる。

・コニーは本当におちぶれたのか?

この物語は『スタア誕生』の変種です。海のものとも山のものともつかない小娘が、才能と経験を持つ大人の男性と知り合い、彼の手助けで才能に磨きをかける。ふたりは愛し合うようになるが、女性が成功へのキャリアを一歩一歩確実に歩んでいくのと対照的に、彼女をリードしていたはずの男性側は酒と不摂生な生活に溺れ、仕事も減り、過去の栄光はどこへやらという風体になってくる。

 まず、このコニーが「才能と経験を持つ大人の男性」だったが「酒と不摂生な生活に溺れ、仕事も減り、過去の栄光はどこへやらという風体になってくる」という見方が間違いだと思う。そうではなく、コニーは最初から「ヘタレ」だったのである(^^)。

 その証拠はいくつもある。そもそも、ハーパーがコニーに出会ったときでさえ、コニーは芸術写真ではなく結婚式の写真を撮っていたのだし、その後に撮っているのも、一般人の肖像写真などばかりだ。コニーが会いに行ったロスの美術収集家は、10 年来の付き合いだと言っているにもかかわらず、コニーの写真をたった 3 枚しか買っていない。コニーの過去の女だったビリーは、ハーパーに「コニーに金をせびられなかったか?」と言っているし、実際コニーにはハーパーを食わしていく程度の収入もなく、ハーパーは食堂でバイトをするハメになっている。

 唯一「コニーの過去の栄光」を示すのは、彼が過去に出した本である。しかし、ハーパーに「You didn't tell me you have a book.(本を出してるなんて、教えてくれなかったじゃない)」と言われたときの、コニーの複雑な表情に注目してほしい。あの表情が語っているのは、この本は、彼の過去の栄光というより、唯一の栄光というべきものだということだろう。彼は芸術家ぶっているだけで、実際には芸術写真家というより、町の写真屋さんに近い存在だったと見るべきだ。(もちろん、コニーが芸術家ぶっているからイヤミなだけで、「町の写真屋さん」一般が恥ずべき職業だと言っているわけではない。為念。)

 では、コニーが後半酒びたりになって病院に入ったりしたのはなぜなのか。それは彼が、プライドだけは分不相応に高いが、自分がヘタレであることすら素直に認めることのできない、弱い人間だからだ。

 それを示すシーンもいくつもある。ハーパーの母親に図星をつかれて逆切れするシーンしかり、ハーパーが自分で部屋を借りると言っただけでうろたえてしまうシーンしかり、歯が折れたのを隠そうとするシーンしかり。。。

・ハーパーは本当に成長したのか?

この映画のユニークなところは、この男がたったひとりの女性を世に出すのではなく、数年ごとに次々と新しい女性をナンパしては自分の恋人にし、徹底的に仕事を仕込み、才能を磨き上げていくことだ。まるで女性芸術家製造器。アゲマンならぬアゲチン男なのだ。

 このような、ハーパーがコニーによって芸術的な才能を開花させられ成長した、という見方も間違いだと思う。ハーパーは最終的には写真家として自立したが、それはコニーの直接的な教えによるものではない。ハーパーはコニーといっしょにいる間、芸術家としてはほとんど何も学べなかったのだ。

 それを端的に示すのは、二人がロスの収集家に会いに行った帰り道の「I never took a picture.(私、写真を一枚も撮ってない)」という台詞である。これと同じような台詞は、中盤で二人が喧嘩したときにも、ハーパーがザックに小便をかけられたときにも言っているので、作り手がこの点を意識的に強調していることは明らかだ。

 そう思って前半を見直してみれば、ハーパーはファインダーを覗かされたり、照明を持たされてコケたりしてるだけで、実際にシャッターを押しているシーンなど一つもないことに気づくだろう。

 もちろん、芸術家になるために必要なのは、そういう表面的な技術の習得だけではないだろうが、いくらなんでも、写真の一枚も撮らせてもらっていない人間が、芸術家として「徹底的に仕事を仕込まれ、才能を磨き上げられた」などとはとても言えまい。

 コニーがハーパーの才能を見出したという話だってかなり怪しい。むしろ、コニーは脈のありそうな女性全員にそう言っていた可能性すらある。それは、彼が関係した女性の中に、お針子のような芸術とは直接関係ない職業の女性がいることからも推察される。

・では、あの別れのシーンはなんなのか?

 このように、作り手の提示している材料を正しく受け止めれば、この作品が描きたかったものは明らかだ。それは、芸術家気取りでプライドだけは高いヘタレ中年と、そのヘタレの見え見えのポーズにすら気づかず手もなく騙されてしまう、コンプレックスのかたまりで世間知らずの小娘の間の、勘違い恋愛なのである。それ以外に考えられない。

 では、一見ハーパーの成長の結果に見える、最後の別れのシーンは何なのか。それは、コニーがヘタレであるということにハーパーが気づいた、というだけのことに他ならない。

 それを示すのが、ハーパーがコニーの写真を撮りまくるシーンである(これも、フイルムは入っていなくて、撮るマネをしているだけの可能性が高い)。最後にコニーの顔をファインダーごしにアップで見たハーパーが落ち込んでしまうのは、コニーがただのしょぼい中年オヤジであることに彼女が気がついたからとしか考えられないではないか。

 ぼくが一番驚いたのは、コニーがもっと美形だったらよかったのに、と書いている人が少なからずいたことである。ここまで読んでくれた人には言うまでもないことだが、コニーは美形であってはならないのだ。あくまで、しょぼい中年オヤジであってくれなければ、この話は成立しない。

 だから、ぼくから見れば、

ところがスティーブン・レイは、最初に登場したときからくたびれていて、まったく格好良くないのだ。ヒロインの憧れの君だった頃の姿と、尾羽うち枯らしたときの姿に、ほとんど落差がないのだから困ってしまう。

というのは、おかしくもなんともない。最初からくたびれているものがヒロインからはそう見えないという勘違いこそが、作り手の描きたかったことなのだから。

 別れのシーンで、コニーがハーパーになけなしの札を渡すのはコニーの精一杯の優しさで、ハーパーがその札を握り締めて泣いているのは、コニーの優しさに感動しているからだ、と思った人もいるかもしれないが、これもまったく違う。

 コニーが本当にハーパーを愛しているなら、プライドを捨てて、素直にハーパーの世話になればよかったのだ。あるいは、自分も酒をやめてバイトしてでも金を稼げばよかったのだ。それを、なけなしの金を渡して別れるなんてことしかできないのは、彼の救いがたい破綻した見栄でしかない。

 それに気づいたからこそ、ハーパーは泣いたのである。そんなちっぽけな見栄のために、自分を愛することすらできないヘタレを、そうと気づかずに愛してしまった自分の弱さ。あの涙は、今までかけがえがないと思っていたものが、ただの勘違いにすぎないと気づいた喪失感と、いったんそうと気づいた以上、元の関係には戻れないと悟った悲しみによる涙だったのだ。

 もし、ハーパーが成長したと言えるとすれば、それは芸術家としての成長ではなくて、自分が愛していたのがただのヘタレ中年だったことに気づいたという、精神的な成長なのである。

・この作品が本当に描こうとしたものとは?

 このように説明すると、逆にこの作品を、ダメ男にひっかかって捨てられた不幸な娘という、別の意味でありがちな作品だと思う人も出てくるかもしれない。

 しかし、注意してほしいのは、この作品では、やっぱり上流階級で出世コースを歩んだ方がいいんだとか、芸術家気取りのボヘミアンなんてダメダメだとかいうことは、まったく言っていないということだ。ハーパーの家庭がひどい家庭だという事実はまったく変わっていないし、結果としてハーパーが写真家として自立したというのも事実なのである。

 ここで冒頭のハーパーのモノローグを思い出して欲しい。 

He was the worst man I ever met. Or maybe the best. I'm still not sure. If you're supposed to learn from your mistakes, then he was the best mistake I ever made.

(彼は、私が出会った最悪の男だった。いや、最高だったのかもしれない。私にはいまだによくわからない。人が過ちから学ぶべきだとするなら、彼は私の犯した最高の過ちだった。)

そうすれば、このモノローグにこの作品のすべてが集約されていたことに気づくはずである(いや、気づくべきである。)

 たとえば、昔の日本人の感覚からすれば、女性を守るのは男性の役割であり、その役割を果たさないコニーはダメ男である、と一方的に断罪するだけで終わっただろう。しかし、この作品の作り手は、決してそのような立場をとっていない。コニーはたしかにヘタレだったが、そのヘタレに気づかなかったハーパーにも心の弱さがあった。ダメ男はたしかにダメであるが、そんなダメ男を選んだ女もダメなのである。そのような意味で、この作品では男女を対等に扱っているのだ。

 仮に、この話の男女の役割を入れ替えてみれば、両家のボンボンがミステリアスな悪女にひっかかって大人になるという、実に古典的なストーリーに過ぎないということに気づくはずである。それをあえて男女逆にして描いたところに、フェミニスト的な思想を読み取るのも、あながち穿ち過ぎではないと思う。(そういう意味で言えば、「アゲマンならぬアゲチン男なのだ。」というのは当たっている(^^)。)

 そして、そのようなダメ男との出会いが結果として女性を成長させることがあるという、皮肉な事実を描こうとしたところに、この作品のステロタイプには収まりきらない含蓄があると考えるべきだろう。

 コニーの最後の台詞に注目して欲しい。

Instructions ? For you ? You don't need instructions.

(指示? 君にかい? 君には指示なんて不要だろう。)

これこそ、コニーがハーパーといっしょにいたときには決して言えなかった台詞だろう。コニーは死の間際になって、ようやく自分のプライドを捨てて、ハーパーを一人の人間として認めることができたのだ。だから、ハーパー(とこの作品の作り手)は、最終的にコニーを(愛するのではなく)許したのである。ここには、キリスト教の告解と赦しのイメージを見るのは、決して穿ち過ぎではあるまい。

 ちなみに、ぼくが見つけた中で、もっともぼくの見方に近いレビューは、この「ネット映画館主・F」さんのレビューである。 ぼくは最初、みんなの見方が自分と違うのは、字幕翻訳の出来が悪いせいかと思っていたのだが、こういう人もいるのだから、あながち字幕のせいだけとも思えない。

 たぶん、多くの人は、恋愛映画という先入観に影響されて、自分の持つ恋愛映画のステロタイプに合わせて、作品の方をねじまげながら鑑賞してしまったのではないだろうか。 あるいは、順風満帆の人生を送ってきた人には、案外、このコニーのような屈折した人間は理解しにくいのかもしれない。ぼくみたいに屈折した人生を送ってきた人間には、わかりすぎるほどわかってしまうのであるが(^^)。

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