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「写真家の女たち」の正しい見方

写真家の女たち  「写真家の女たち」というのは、サンダンスの映画祭で最優秀脚本賞を獲得したほどの映画なのだが、一般の知名度はそれほど高くないかもしれない。ぼくはこの作品の英語版が DVD になった直後に、Amazon から個人輸入して観た。といっても、そういうマイナーな名作も抜け目なくチェックしているような熱心な映画ファンというわけでもなんでもなくて、なんとなく直感で面白そうだと思ったに過ぎない。結果的にはその直感は当たりで、なかなかの佳作だったが、その後長いことこの作品のことは忘れていた。

 ところが、先日 Amazon の購入履歴から LibraryThing にインポートを行ったとき、久しぶりにこの映画のことを思い出し、短いレビューをつけた。その際、他の人の感想も少々気になったので、検索をかけてみたところ、ぼくとは全然違う見方をしている人が大勢いることに気づいた。

 私見では、その見方は間違っていると思うので、この機会にその理由を書いておくことにしたい。もし、読者の中にこの映画を見たことのある方がいらっしゃったら、どっちの見方が正しいと思うか、判定していただければさいわいである。なお、以後の記述はネタバレを含むのでご注意。

・あらすじ

 この映画のあらすじはこうである。主人公は、上流階級の娘であるハーパー。ハーパーの家族は、父親も姉も弁護士で、彼女自身もハーバードの法学部に進学することを当然のように思われている。しかし、ハーパーの家庭は冷たい家庭であり、父親は彼女の姉だけを溺愛し、母親も姉も彼女を愛してはおらず、むしろ彼女は家庭内でバカにされている。そんな家庭に反発していたハーパーは、あるきっかけで中年の写真家コニーと恋に落ちる。コニーは芸術家肌で、ハーパーには芸術家としての才能があるといい、彼女に芸術家としてのイロハを教え込む。やがて、成長したハーパーはコニーの元を離れ、写真家として自立する。。。

 このあらすじだけ読んだ人は、上流階級に育った娘が、俗物的な価値観にとらわれない真の愛情を与えてくれる男を見出し、その男からの愛の力によって成長した結果、男を乗り越えてしまい、そのことを悟った男は、彼女のためを思って自分から身を引く、というような、ありがちなラブストーリーを思い浮かべるかもしれない。

 実際、この作品をとりあげたインターネット上のレビューにも、そのような見地にたったものが多い。「映画瓦版」氏のこのレビューなども、その代表的なものと言える。ぼくはこの方に対してなんの他意もないが、このレビューは反論のたたき台として都合がよいので、以後、これを元に反論を試みる。

・コニーは本当におちぶれたのか?

この物語は『スタア誕生』の変種です。海のものとも山のものともつかない小娘が、才能と経験を持つ大人の男性と知り合い、彼の手助けで才能に磨きをかける。ふたりは愛し合うようになるが、女性が成功へのキャリアを一歩一歩確実に歩んでいくのと対照的に、彼女をリードしていたはずの男性側は酒と不摂生な生活に溺れ、仕事も減り、過去の栄光はどこへやらという風体になってくる。

 まず、このコニーが「才能と経験を持つ大人の男性」だったが「酒と不摂生な生活に溺れ、仕事も減り、過去の栄光はどこへやらという風体になってくる」という見方が間違いだと思う。そうではなく、コニーは最初から「ヘタレ」だったのである(^^)。

 その証拠はいくつもある。そもそも、ハーパーがコニーに出会ったときでさえ、コニーは芸術写真ではなく結婚式の写真を撮っていたのだし、その後に撮っているのも、一般人の肖像写真などばかりだ。コニーが会いに行ったロスの美術収集家は、10 年来の付き合いだと言っているにもかかわらず、コニーの写真をたった 3 枚しか買っていない。コニーの過去の女だったビリーは、ハーパーに「コニーに金をせびられなかったか?」と言っているし、実際コニーにはハーパーを食わしていく程度の収入もなく、ハーパーは食堂でバイトをするハメになっている。

 唯一「コニーの過去の栄光」を示すのは、彼が過去に出した本である。しかし、ハーパーに「You didn't tell me you have a book.(本を出してるなんて、教えてくれなかったじゃない)」と言われたときの、コニーの複雑な表情に注目してほしい。あの表情が語っているのは、この本は、彼の過去の栄光というより、唯一の栄光というべきものだということだろう。彼は芸術家ぶっているだけで、実際には芸術写真家というより、町の写真屋さんに近い存在だったと見るべきだ。(もちろん、コニーが芸術家ぶっているからイヤミなだけで、「町の写真屋さん」一般が恥ずべき職業だと言っているわけではない。為念。)

 では、コニーが後半酒びたりになって病院に入ったりしたのはなぜなのか。それは彼が、プライドだけは分不相応に高いが、自分がヘタレであることすら素直に認めることのできない、弱い人間だからだ。

 それを示すシーンもいくつもある。ハーパーの母親に図星をつかれて逆切れするシーンしかり、ハーパーが自分で部屋を借りると言っただけでうろたえてしまうシーンしかり、歯が折れたのを隠そうとするシーンしかり。。。

・ハーパーは本当に成長したのか?

この映画のユニークなところは、この男がたったひとりの女性を世に出すのではなく、数年ごとに次々と新しい女性をナンパしては自分の恋人にし、徹底的に仕事を仕込み、才能を磨き上げていくことだ。まるで女性芸術家製造器。アゲマンならぬアゲチン男なのだ。

 このような、ハーパーがコニーによって芸術的な才能を開花させられ成長した、という見方も間違いだと思う。ハーパーは最終的には写真家として自立したが、それはコニーの直接的な教えによるものではない。ハーパーはコニーといっしょにいる間、芸術家としてはほとんど何も学べなかったのだ。

 それを端的に示すのは、二人がロスの収集家に会いに行った帰り道の「I never took a picture.(私、写真を一枚も撮ってない)」という台詞である。これと同じような台詞は、中盤で二人が喧嘩したときにも、ハーパーがザックに小便をかけられたときにも言っているので、作り手がこの点を意識的に強調していることは明らかだ。

 そう思って前半を見直してみれば、ハーパーはファインダーを覗かされたり、照明を持たされてコケたりしてるだけで、実際にシャッターを押しているシーンなど一つもないことに気づくだろう。

 もちろん、芸術家になるために必要なのは、そういう表面的な技術の習得だけではないだろうが、いくらなんでも、写真の一枚も撮らせてもらっていない人間が、芸術家として「徹底的に仕事を仕込まれ、才能を磨き上げられた」などとはとても言えまい。

 コニーがハーパーの才能を見出したという話だってかなり怪しい。むしろ、コニーは脈のありそうな女性全員にそう言っていた可能性すらある。それは、彼が関係した女性の中に、お針子のような芸術とは直接関係ない職業の女性がいることからも推察される。

・では、あの別れのシーンはなんなのか?

 このように、作り手の提示している材料を正しく受け止めれば、この作品が描きたかったものは明らかだ。それは、芸術家気取りでプライドだけは高いヘタレ中年と、そのヘタレの見え見えのポーズにすら気づかず手もなく騙されてしまう、コンプレックスのかたまりで世間知らずの小娘の間の、勘違い恋愛なのである。それ以外に考えられない。

 では、一見ハーパーの成長の結果に見える、最後の別れのシーンは何なのか。それは、コニーがヘタレであるということにハーパーが気づいた、というだけのことに他ならない。

 それを示すのが、ハーパーがコニーの写真を撮りまくるシーンである(これも、フイルムは入っていなくて、撮るマネをしているだけの可能性が高い)。最後にコニーの顔をファインダーごしにアップで見たハーパーが落ち込んでしまうのは、コニーがただのしょぼい中年オヤジであることに彼女が気がついたからとしか考えられないではないか。

 ぼくが一番驚いたのは、コニーがもっと美形だったらよかったのに、と書いている人が少なからずいたことである。ここまで読んでくれた人には言うまでもないことだが、コニーは美形であってはならないのだ。あくまで、しょぼい中年オヤジであってくれなければ、この話は成立しない。

 だから、ぼくから見れば、

ところがスティーブン・レイは、最初に登場したときからくたびれていて、まったく格好良くないのだ。ヒロインの憧れの君だった頃の姿と、尾羽うち枯らしたときの姿に、ほとんど落差がないのだから困ってしまう。

というのは、おかしくもなんともない。最初からくたびれているものがヒロインからはそう見えないという勘違いこそが、作り手の描きたかったことなのだから。

 別れのシーンで、コニーがハーパーになけなしの札を渡すのはコニーの精一杯の優しさで、ハーパーがその札を握り締めて泣いているのは、コニーの優しさに感動しているからだ、と思った人もいるかもしれないが、これもまったく違う。

 コニーが本当にハーパーを愛しているなら、プライドを捨てて、素直にハーパーの世話になればよかったのだ。あるいは、自分も酒をやめてバイトしてでも金を稼げばよかったのだ。それを、なけなしの金を渡して別れるなんてことしかできないのは、彼の救いがたい破綻した見栄でしかない。

 それに気づいたからこそ、ハーパーは泣いたのである。そんなちっぽけな見栄のために、自分を愛することすらできないヘタレを、そうと気づかずに愛してしまった自分の弱さ。あの涙は、今までかけがえがないと思っていたものが、ただの勘違いにすぎないと気づいた喪失感と、いったんそうと気づいた以上、元の関係には戻れないと悟った悲しみによる涙だったのだ。

 もし、ハーパーが成長したと言えるとすれば、それは芸術家としての成長ではなくて、自分が愛していたのがただのヘタレ中年だったことに気づいたという、精神的な成長なのである。

・この作品が本当に描こうとしたものとは?

 このように説明すると、逆にこの作品を、ダメ男にひっかかって捨てられた不幸な娘という、別の意味でありがちな作品だと思う人も出てくるかもしれない。

 しかし、注意してほしいのは、この作品では、やっぱり上流階級で出世コースを歩んだ方がいいんだとか、芸術家気取りのボヘミアンなんてダメダメだとかいうことは、まったく言っていないということだ。ハーパーの家庭がひどい家庭だという事実はまったく変わっていないし、結果としてハーパーが写真家として自立したというのも事実なのである。

 ここで冒頭のハーパーのモノローグを思い出して欲しい。 

He was the worst man I ever met. Or maybe the best. I'm still not sure. If you're supposed to learn from your mistakes, then he was the best mistake I ever made.

(彼は、私が出会った最悪の男だった。いや、最高だったのかもしれない。私にはいまだによくわからない。人が過ちから学ぶべきだとするなら、彼は私の犯した最高の過ちだった。)

そうすれば、このモノローグにこの作品のすべてが集約されていたことに気づくはずである(いや、気づくべきである。)

 たとえば、昔の日本人の感覚からすれば、女性を守るのは男性の役割であり、その役割を果たさないコニーはダメ男である、と一方的に断罪するだけで終わっただろう。しかし、この作品の作り手は、決してそのような立場をとっていない。コニーはたしかにヘタレだったが、そのヘタレに気づかなかったハーパーにも心の弱さがあった。ダメ男はたしかにダメであるが、そんなダメ男を選んだ女もダメなのである。そのような意味で、この作品では男女を対等に扱っているのだ。

 仮に、この話の男女の役割を入れ替えてみれば、両家のボンボンがミステリアスな悪女にひっかかって大人になるという、実に古典的なストーリーに過ぎないということに気づくはずである。それをあえて男女逆にして描いたところに、フェミニスト的な思想を読み取るのも、あながち穿ち過ぎではないと思う。(そういう意味で言えば、「アゲマンならぬアゲチン男なのだ。」というのは当たっている(^^)。)

 そして、そのようなダメ男との出会いが結果として女性を成長させることがあるという、皮肉な事実を描こうとしたところに、この作品のステロタイプには収まりきらない含蓄があると考えるべきだろう。

 コニーの最後の台詞に注目して欲しい。

Instructions ? For you ? You don't need instructions.

(指示? 君にかい? 君には指示なんて不要だろう。)

これこそ、コニーがハーパーといっしょにいたときには決して言えなかった台詞だろう。コニーは死の間際になって、ようやく自分のプライドを捨てて、ハーパーを一人の人間として認めることができたのだ。だから、ハーパー(とこの作品の作り手)は、最終的にコニーを(愛するのではなく)許したのである。ここには、キリスト教の告解と赦しのイメージを見るのは、決して穿ち過ぎではあるまい。

 ちなみに、ぼくが見つけた中で、もっともぼくの見方に近いレビューは、この「ネット映画館主・F」さんのレビューである。 ぼくは最初、みんなの見方が自分と違うのは、字幕翻訳の出来が悪いせいかと思っていたのだが、こういう人もいるのだから、あながち字幕のせいだけとも思えない。

 たぶん、多くの人は、恋愛映画という先入観に影響されて、自分の持つ恋愛映画のステロタイプに合わせて、作品の方をねじまげながら鑑賞してしまったのではないだろうか。 あるいは、順風満帆の人生を送ってきた人には、案外、このコニーのような屈折した人間は理解しにくいのかもしれない。ぼくみたいに屈折した人生を送ってきた人間には、わかりすぎるほどわかってしまうのであるが(^^)。

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勝手にパスワードを送りつけてくるメール

 なんか最近、見に覚えのないウェブサイトから、勝手にパスワードを送りつけてくるんですけど(^^)。
(念のため URL だけ書き換えて引用)

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新手のフィッシングでしょうかねえ。タダでなんかの会員になれれば儲けもの、みたいなスケベ心につけこんでくるんでしょうね。やっぱり、スケベ心は騙されない為の最大の敵ですね(^^)。それにしても、うっとうしいなあ。

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年長者を敬う意味

 年長者を敬うことが、多くの文化で美徳とされている理由について、一つの仮説を思いついたので書いておく。もっとも、こんなこととっくに誰かが言ってそうな気もするが(^^)。

 これはたぶん著作権と同じ原理なんじゃないかと思うのだ。つまり、全プレーヤーを平等な条件で競争をさせると、世の中全体にとってはかえって損になるので、一部のプレーヤーを意図的に優遇する、という意味があるのではないか。

 そもそも、若者と年寄りでは、競争上の長所・短所が異なっている。若者にとって、競争の武器は、才能・気力・体力である。これらは、他人に分け与えたり、他人からもらったりすることはできないし、使ったせいで優位性が使い減りすることもない。一方、年寄りは、才能はともかく、気力・体力ではむしろ若者より劣る。したがって、年寄りの競争の武器は、経験によって身に着けた知識や技術になるが、これらは、比較的容易に他人に分け与えることができ、その結果確実に優位性が失われてしまう。

 こういう前提条件のもとで、若者と年寄りとを完全に平等な条件で競争させると、若者はほっといても全力を発揮しようとするだろうが、年寄りにとっては、知識や技術を小出しにして、若者に対する優位性を維持することが合理的な戦略となるだろう。しかし、年寄りがみなこのような戦略をとったんでは、社会全体にとっては損失である。

 したがって、年寄りが持つリソースを気前よく社会に提供させるためのインセンティブとして、年寄りを無条件で敬う文化というのができたのではないだろうか。徒弟制度などの合理性も、部分的には同じ論法で説明できそうである。

 仮にこの仮説が正しいとすると、現代のように年功序列がなくなって、年寄りと若者が同じ条件で競争する社会になった時代には、そのような年寄りを敬う文化が持っていた機能を、何かで代替する必要があるだろう。

 たとえば、インターネット上で知識を披露することにより、広告料が得られるなんていうシステムは、競争原理がより多くの知識を提供するためのインセンティブとして働くので、そういう代替機能の候補にはなりうると思う。だけどそれが、非常にマイナーな知識、たとえば、特定のお客に営業をかけるコツ、みたいなものの共有にどこまで役立つかを考えると、こころもとない感じがしないでもない。

 実は、ぼく自身も、昔は知識を小出しにするなんてセコいと思っていたのだが、最近は、少し知識を小出しにした方がいいかもしれないと思い始めている(^^)。だからこんな説を思いついたのかもしれない(^^)。 ぼくは前から、成果主義より能力主義の方が合理的のではないか、と主張しつづけているのだが、年寄りの優遇も一種の「能力」主義として考えてみてもよいかもしれないね。

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アダルト番組:障害者向け字幕や手話に助成金

このニュースにはかなり頭にきた。残念ながら詳しく論じているヒマはないが、何が問題なのかさっぱりわからない。一番ムカついたのはこのコメント。

放送評論家、松尾羊一さんの話 視覚・聴覚障害者も楽しめる番組編成は重要だが、CSのアダルト専門放送という限定的な番組にどれだけニーズがあるのか、把握したうえで助成を決めたのか疑問が残る。「障害者への理解」を極端に強調する行為は、裏返せば障害者への差別意識の表れ。(機構が)「助成するのはお堅い番組だけではない」とアピールするため、点数稼ぎを狙ったとも勘ぐりたくなる。

バッカじゃねーの? 後で時間ができたら論じたい。

 全然関係ないけど、ブラザーの MFC-410CN は、なぜインク切れしただけで、PC-FAX まで送れなくなるのだ。このドライバはバカですか? イライライライラ。(そうだ、はっぴいえんどのゆでめんを聴こう(^^))

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ミニマックス戦略としての陰謀説

(前に、「ビジネスはプラスサムゲーム(を目指す)」というのを書いたことがあるけど、その「政治編」みたいな感じ。)

 米下院で従軍慰安婦決議とかが出て、ネット上ではまたぞろ不毛な政治論争が沸き起こっているようだが、こういう論争にはうんざりしてる向きも多いと思う。こういう、ウヨとかサヨとかカタカナで書かれてしまうような方々の言説を見ると誰でも気づくのは、陰謀説が多いことである。やれ、サヨは特定アジアと結びついて日本を売り渡そうとしているとか、ウヨは国民を洗脳して戦場に送りこもうとしているとか。。。(^^)

 では、なぜ彼らの主張にはこんなに陰謀説が多いのであろうか。それは、彼らが政治を闘争として捉えていて、政敵は常に自分にとってもっとも嫌な手を打ってくる、という考えを前提にしているからではないかと思う。

 もちろん、こういう考え方が合理的思考に基づいているとは必ずしも言えないのであるが、合理的に解釈できる方法が一つある。それは、この考え方を、ゲーム理論で言うところのミニマックス戦略として捉えることである。

 ミニマックス戦略というのは、ある種のゲームにおいて、「最適」な戦略であることが数学的に証明されている戦略なので、そういう戦略をとることに別に問題はないと思う人もいるかもしれない。しかし、実はこの「ある種のゲーム」というのには、かなり厳しい制約がついている。それは、そのようなゲームはゼロ和ゲームでなければならないということである。

 ゼロ和ゲームというのは、相手が得すれば必ず自分は損する、したがって、相手の得と自分の損を足すと常にゼロになる、というタイプのゲームのことである。たとえば、勝ちと負けしかない将棋のようなボードゲームであるとか、有限のリソースを取り合うような闘いとかはすべてこれに相当する。

 しかし、現実世界の闘争には、ゼロ和ゲームでないものも多い(むしろ、ほとんどがゼロ和でないと言ったほうがよいのかもしれない)。権力闘争にしても、特定の地位を取り合うという点だけを考えれば、ゼロ和ゲームとみなせるかもしれない。しかし、一般の有権者にとっては、ウヨが勝とうがサヨが勝とうが、結果として国がよくなればいいのであるから、こういう政治闘争はゼロ和ゲームではまったくないのである。

 こういうゼロ和でないゲームにおいては、ミニマックス戦略は必ずしも「最適」戦略ではない。言い換えれば、このようなゲームでは、決して「敵性悪説」にたたず、ある意味で「敵を信じる」ことが必要になってくる。もっとも、この「敵を信じる」というのはあくまで比喩的な表現であって、厳密にそれがどういうことを指すのかを言うのはなかなか難しいが。

 しかし、少なくとも、敵は常に最悪の手を指してくる、という前提にたっていては必ずしも最適の結果は得られない、ということは、ある種の数学的なモデルでも証明されていることなのである。そのことを、陰謀論好きな方々も、知っておいたほうがよいのではないだろうか。

 もちろん、これは陰謀説が常に誤りであるという意味ではない。実際、オウム事件や拉致事件では、陰謀説的な説明の方がむしろ真実に近かった。問題は、不確実な情報の下で、さまざまな戦略にどのようにプライオリティを置くかなのである。陰謀説論者というのは、入手した情報の確実性との相対的な関係を考えたときに、あまりにも陰謀説対策にプライオリティをおきすぎる。それは必ずしも最適戦略とはいえないということ。

 もっとも、いくら理詰めでこういう説明をされても、陰謀説的な思考法から抜け出せない人もいるだろう。おそらく、そういう人たちにとっては、政治闘争の世界が「局所的」にゼロ和ゲームのように「見えて」いるのである。その原因が、彼ら自身の見る目が歪んでいるからなのか、それとも、本当に近似的にはゼロ和ゲームになっているからなのかは、人によるだろうが。

 先に書いたように、特定の地位を争っているような人たちにとっては、権力闘争が近似的にゼロ和ゲームになってしまっているのは確かだろう。だから、こういう人たちにとっては、権力闘争がゼロ和ゲームでなくなるようなインセンティブを与えることが必要なのかもしれない。

 しかし、一般庶民にとってはそういうことはほとんどないはずなので、そういう人が陰謀論に極端にこだわっているのだとしたら、むしろゲーム盤を見る目の方が歪んでいるのである。ウヨとかサヨとかカタカナで呼ばれてしまうような人たちの言説に触れた一般庶民がなんとなく引いてしまうのは、おそらくはそれが原因なのだと思う。

(昨日書いた米長さんが失敗ばかりしているのも、ゼロ和ゲームである将棋の世界の戦略を、ゼロ和ゲームではない現実世界に持ち込もうとしているから、なのかもしれない…(^^)。)

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純真なぼくちゃんの感動を返せっ!(^^)

 えーっ? 貴ノ花 vs 北の湖の優勝決定戦も八百長だったの? そ、そんな。。。あの時の感動はなんだったんですか。7 勝 7 敗の奴が必ず勝つぐらいは許せないでもないけど、いくらなんでもそれはないよ。。。他のすべての試合が八百長だったとしても、あの試合だけは八百長であって欲しくなかった。。。(^^)

 あと、米長ももうダメだな。大崎善生まで悪者扱いしてるのかよ。

 いや、思想が保守的とかいうだけならまだ許せるのよ。ぼくは他人の思想にもリベラルだから(^^)。

 でも、政治的な立ち回りがいちいち小賢しくて、しかもことごとくはずしてる。たぶん、自分は勝負師だからぱんぴーには思いつかない鋭い手が打てるんだとか勘違いしてるんだろうけど、イタすぎますね。政治的才能のない人が自分には政治的才能があると勘違いすると、最悪ですね。

 正直ぼくはあなたのファンでした。あなたが四十代の頃に書いていた本には、いろんなこと(女性関係は除く(^^))を教わったのに残念です。ぼくの夢を壊さないために、はやく政治からは手を引いてください。なんて言ってもムダだろうなあ。。。(^^)

 あなたには確かにぼくなんかには及びもつかない才能があるでしょうよ。でも、いくら才能があったからと言って、将棋のルールも知らない人が将棋に勝てると思いますか? ぱんぴーの世界にはぱんぴーの世界のルールがある。それすら学ぼうとしない人に、才能だけでまともな勝負ができると思ったら、思い上がりもはなはだしいでしょう。違いますか?

 どちらもだいぶ前の話なんですけど、今頃気づいたもので(^^)。

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やっぱり自民党は終わっていた

 マル激トーク・オン・ディマンドの「データから見えてくる『やっぱり自民党は終わっていた』」は久しぶりのヒット。内容はもちろん参院選の分析なのだが、ありがちな床屋政談の延長みたいな話とは違って、「計量政治学」の専門家による統計的な分析。

 特に、浮動票頼みと思われている民主党に意外と手堅い基礎票があるとか、自民党支持層よりもむしろ社民・共産支持層から民主党に票が流れたとかの分析は目から鱗であった。

 前から思っていたのだが、これからは、政治にもマーケティング的な手法が導入されていくことは不可避のように思われる。もちろん、そこにはメリットとデメリットがあるが、「よらしむべし、しらしむべからず」みたいな政治文化が主流だった日本では、いったん極端なポピュリズムの方向に振ることは必要だと思う。そのように、政治の責任をいったん有権者に投げた上で、あらためて提案型の政治家に投げ返すという過程が必要なのだ。

 実は、ぼくが今一番注目しているのは、小沢さんの今後の行動である。誤解を招くかもしれないが、ぼくは、政治には「悪」がつきものだと思っていて、その「悪」はなるべく年長者が背負うべきものだと思っている。まあ、こういうことをあんまりおおっぴらに言うと、小悪党の自己正当化に使われてしまうので、あまり大きな声では言わないようにしているのだが(^^)。

 政治家に歴史的な役割というものがあるとすれば、今の小沢さんに与えられた役割は、ある種の「悪」を引き受けることだと思う。問題は、彼自身にその自覚があるかどうかだ。もしその自覚があれば、彼は一時的には評判を落とすことになるだろうが、後世の歴史家からはある種の歴史的役割を果たした政治家として評価されるだろう。その自覚がなければ、単なる個人の名声や権力のために、政局を混乱させただけの小人物として評価されることになるだろう。…と、ぼくは密かに思っている(といいつつ、ここに書いてしまったが(^^))。

 ぼくは、小沢さんほどのキャリアを持つ政治家なら、政治と「悪」の関係について深い哲学を持っていてもおかしくないと思うので、そういう意味で、今後の政局に注目しているのである。まあ、他人のために「悪」を引き受けるなんてまっぴらごめんだとしか思っていない、典型的な小人物タイプのぼくが言うのもなんであるが(^^)。

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Outfoxed: Rupert Murdoch's War on News

Outfoxed: Rupert Murdoch's War on News (Full)  ニューズ・コーポレーション DJ を買収するらしいというので、マードック氏について勉強しようと思って取り出したのが、ずっと積読(じゃなくて積視聴か?)だったこの「Outfoxed」というビデオ。Outfox というのは、もともと「裏をかく」というような意味だが、この題名ではそれを FOX テレビ(もしくは、FOX ニュース・チャンネル)の FOX にひっかけている。FOX テレビというのは、言わずと知れた米 4 大ネットワークの 1 つで、ここで放映しているニュース番組には保守寄りのバイアスがかかっているというので問題になっていることはご存知の通り。

 最初に購入したときには、マードック氏の経歴とか政界とのコネクションとかについて描いているのかと思っていたのだが、実際に観てみると、そういう話はほとんどなくて、むしろ、FOX ニュースがイラク戦争や大統領選挙のときに、どのような印象操作を行っているかを示す実例が中心だった。

 たとえば、"Some people say..." というような表現を使うことによって、 ニュースに製作者側の意見を忍び込ませる、というような印象操作テクニックがコメンテーターによって語られた後に、実際に "Some people say..." という表現が使われている FOX ニュースのビデオクリップの例をイヤというほど並べる、という感じ。

 これは、The Daily Show なんかでもよくやる手だし、最近では、YouTube なんかに投稿された一般の方が編集したビデオ(MAD っていうらしいですね)にもよく見られる手法であるが、実際の番組の雰囲気を短時間で効果的に伝えてくれる。( もっとも、これだって一種の印象操作なので、その点には注意が必要。)

 一番おかしかったのは、「子供の教育に悪いので(正確には、有名人が子供の悪い模範になっているとか言うなら、まず自分自身が)、"shut up" と言って他人の発言をさえぎるのはやめろ」と言われたビル・オライリー氏が、「私は 6 年間で 1 回しか "shut up" と言っていない」(よく聞き取れないけど、たぶんこう言ってるんだと思う)とか言い返した後に、ビル・オライリーが "shut up" と言ってる映像が山ほど挿入されてたところ (^^)。

 この例でもわかるように、実は、このビデオの主役は、ルパート・マードック氏というより、むしろビル・オライリー氏である。ビル・オライリー氏の横柄な態度や断定口調は、み○も○た氏などを彷彿とさせるところがあり、こういう手法が決してよその国だけの話ではないと感じさせる(^^)。もちろん、ビル・オライリー氏とみ○も○た氏では思想的バックグランドはかなり違うだろうけど。

Hannity & Colmes みたいに、わざと弱気なリベラル・コメンテータを入れて、両論併記を装う手法って、日本にもあったっけ? ぼくは日テレとかフジとかのニュースをあまり見ないのでわからないのだけど(^^)。そう言えば、こないだ News 23 で桜井よしこさんと姜尚中さんがいっしょに出てたけど、あれもそういう手法かなあ、とか言ったら殴られるか(^^)。橋本徹はただの変人だろうしなあ(^^))

 ある 9.11 犠牲者遺族の人なんかは、ビル・オライリー氏がテロリストを悪者にしようとしてるのに逆らって、政府の責任を追及しようとしたがために、9.11 陰謀説論者のレッテルを貼られてしまっていた。本編中でアル・フランケン氏も言っているが、これなんかは印象操作どころか、単なるウソではないかと思うのだが(^^)。

 Wikipedia の英語版の記事によれば、この作品にも FOX 側からの批判があって、本編中で元 FOX のディレクターとか言ってる人たちが経歴詐称だとかいう疑惑もあるらしい。だけど、ぼくのような日本人から見れば、そんなのは、たとえ本当だとしても、たいした問題じゃないと思う。FOX がどういう編集を行っているかは、コメントの信憑性がどうあれ、作品中に引用された大量のビデオクリップ自体が雄弁に語っている。

 そもそも、日本人にとっては、FOX ニュースの映像を見る機会がほとんどない。FOX のドラマなんかは BS でもやっているが、ぼくの知る限り、FOX ニュースについては、一部がインターネットなどで見れるのみである。したがって、このビデオは、悪名高い「FOX ニュースの印象操作」を、日本にいながらにして観れる機会を提供してくれる貴重な作品と言える。また、リージョン・フリーなので、リージョン 1 用の DVD プレーヤを購入する必要もない。残念ながら日本語の字幕はないが。

 最近は反米が流行りのようだが、このビデオを見たら、このような放送が行われている環境で、個人がどこまで冷静な判断力を維持できるか心もとなく思う方もいるのではないだろうか。だとすれば、これは必ずしも他人事ではなく、アメリカ人を笑っていれば済むような話ではない。こういうビデオを観ることは、アメリカの抱える問題を、海の向こうの傲慢な人たちだけの問題ではなく、自分たちと地続きのより身近な問題として捉えるためにも役立つはずである。

(余談だが、サウスパークとかデイリー・ショーとかの面白さだって、本当はこういう政治やメディアにおける保守とリベラルの対立の歴史とかを知らないと理解できないのである(^^))

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