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Homeless

完全にゾンビ扱いです(^^)。ようやるなあ~と思いつつ、大爆笑してしまいました(^^)。もちろん、これが笑えるのは、われわれが直視したくないある種の真実をついているからなんだよね。最後の台詞は "It's completely overrun with these things!" ですからね(^^)。その前のシーンに出てくるタウンミーティングでは、ホームレスをタイヤ代わりにすればリサイクルになるとか、もうメチャクチャな提案ばかりしてたりして。やってくれるよな~(^^)。

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HDD 換装顛末記

 ノートパソコンの HDD を容量の大きいものに換装した。実は、もう 1 年以上も前から空き容量 1GB 未満で使っていて、OS やアプリにパッチを当てたりする度に容量不足になり、インストール済みのアプリをアンインストールするというようなことを繰り返していたのだが、実際に換装するとなるとかなり時間をとられることが予想されたので、長期間放置プレーになっていたのだった。

 なぜ HDD の換装ごときにそんなに手間がかかるのかというと、次のような要件や制約条件があるからだ。

  1. 時間的・金銭的コストを最小限に抑えたい
  2. 現在の作業環境をできるだけそのまま維持したい
  3. DtoD 領域や MBR もそのままコピーしたい
  4. 2.5 インチの HDD を接続できるマシンが 1 台だけ、接続できるスロットも 1 つだけしかない

 素直なやり方としては、新しい HDD に換装して、Windows のインストール CD からブートして、そこから HDD をフォーマットして Windows を新規にインストールするということになるわけだが、これだと、現在使っているアプリケーションをすべて再インストールして、各種カスタマイズ設定もやり直さなくてはならないので、1 や 2 に反する。

 かと言って、現在の HDD の内容を 新しい HDD にコピーしようと思うと、4 が制約になる。現在の HDD の内容をいったんネットワーク上の共有ストレージや USB 接続の HDD にコピーしておいてから、HDD を交換してコピーバックするにしても、新しい HDD には OS がインストールされていなくてブートできないので、CD やネットワークからブートできる環境を構築する必要が出てくる。しかも、無事ブートできたとしても、3 にあるような DtoD や MBR は、OS に付属しているようなツールではコピーできないので、特殊なアプリケーションが必要になってくる。

 というわけで、実際に作業にかかってみると、あの手この手で試行錯誤する羽目になり、かなりの時間をとられてしまった。まあ、こういう試行錯誤の過程も、誰かの参考になるかも知れないので、以下かなり長くなるが、記録に残しておこうと思う。

Rescue and Recovery を使う方法

 ThinkPad の DtoD 領域には、診断・復旧ツールがプレインストールされていて、メインのパーティションから起動できなくなった場合に、ここからブートして、診断・復旧作業が行えるようになっている。だから、このパーティション構成はなるべくそのまま残したい。だが、この手のメーカー製ツールは、下手にいじると機能しなくなる可能性もある。そこで、なるべくメーカー推奨の方法でやりたいと思い、レノボ(旧 IBM)のサイトを調べると、次のようなページを見つけた。

セカンド・ハードディスクの有効な使い方

 この説明を要約すると、メーカー推奨の方法は次のようになる。

  1. Rescue and Recovery を使って、ブート可能な復旧用 CD を焼く。
  2. Rescue and Recovery を使って、現在の HDD の内容をネットワーク上の共有ストレージにバックアップ。
  3. システムをシャットダウンして、新しい HDD に換装。
  4. 復旧用の CD からブート。
  5. ネットワーク上のストレージから、バックアップ内容を新しい HDD にコピー。

 ところが、これが長く続く苦難の道の始まりであった。Rescue and Recovery は ThinkPad にプレインストールしてあるので、早速 1 からやり始めたのだが、2 の段階でエラーが出て動かなくなってしまう。Rescue and Recovery のバージョンを調べてみると、少し古いので、最新版をインストールしようとすると、ディスク領域が不足していてインストールできない。

 仕方ないので、すでに必要最小限のソフトしか入っていない HDD の中から、これはホントは要るんだけどな~と思いながら泣く泣くソフトをアンインストールしたり、休止状態の設定を変更してハイバネーション用の領域を解放したり、仮想記憶領域のサイズを減らしたりして、無理やり開き領域を作って再インストールを試みると、旧バージョンをアンインストールしないとインストールできないとのエラーメッセージが。ならばと旧バージョンをアンインストールしようとしたら、アンインストールに必要なファイルが不足してアンインストールできないとのエラーメッセージが(^^)。

…To be continued...

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Town of Evening Calm, Country of Cherry Blossoms

Town of Evening Calm, Country of Cherry Blossoms  「夕凪の街桜の国」がいつの間にか英訳されていたんですね。英題は「Town of Evening Calm, Country of Cherry Blossoms」。そのまんま、という感じですが(^^)。

 書評などでもなかなか好評なようです。

ざっと読んでみたけど、みんなわりとこの作品のポイントをわかってくれてるみたいで安心しました(^^)。

 映画のほうはまだ未見ですが、どうでしょうか。あの絵の美しさをどう実写に置き換えるかがポイントなんでしょうけど。

(吉永さんのコメントはちょっとはずしてませんか? 失礼ですが、たぶん原作読んでないんじゃないかなあ? 少なくとも、読んでからコメントした方がいいよね。読んでこのコメントだったら、ちょっと感性を疑うというか、上記のアメリカ人たちに比べても読解力がないと思ってしまうなあ。このコメントを掲載した人はそう思わなかったのだろうか。。。(^^)

 上で紹介した David Welsh 氏も書いております(^^)。

The incalculable individual cost of the bombing of Hiroshima has been handled in drama and documentary, and one can’t argue that the act of examining that kind of horror is automatically a virtuous or courageous act. The critical element is any given work’s ability to move its audience.

 どんな芸術を鑑賞しても、ステロタイプな政治的なインプリケーションしか読み取れないのでは、芸術家として失格じゃないですか? とか言われちゃうぞ~(^^)。)

(追記: 舞台挨拶でも吉永さんのコメントを読み上げたらしいけど、真面目な話、あんまり反戦映画みたいな宣伝をしない方がいいと思うぞ。そもそも、そんな大雑把な表現はこの作品に対する冒涜でしかないし、こんな繊細な世界を作り上げた作者に対しても失礼だし。営業面でいったって、反戦映画なら見ようという人と、反戦映画ならいいやと思う人とどっちが多いかも微妙だろうし。だいたい、反戦映画なら見ようなどという人は、真にこの映画を観るべき人ではない。むしろ、そういう余計な先入観のない人や、先入観にとらわれない知的誠実さや柔軟な感性を持った人こそが見るべき映画なのに。)

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アメリカのドラマが面白いのか、アメリカが面白いのか

セックス・アンド・ザ・シティ シーズン 1  前から観たいと思っていた「Sex and the City」、オンデマンドTVにシーズン6まで揃っていたので、とりあえずシーズン1の全12話を一気に観てしまう(もちろん、仕事をしながら(^^))。期待に違わぬ面白さであった。

 狙っている線は、意外と「アリーmyラブ」なんかと近いと思う。ただ、アリーの場合には、フェミニストでありながらロマンチストでもあって、この両者の葛藤に振り回されるという感じなのだが、「Sex and the City」の登場人物の場合には、もう男女平等は当たり前の前提で、その上で女性としての人生も欲張って楽しもうと思っているという感じ。この作品では、そういう「進んだ女性(および男性)」の引き起こす騒動をコミカルに描いている。また、「アリーmyラブ」の場合、基本はドタバタながらも結末は浪花節的だったりするのだが、「Sex and the City」の狙っているのはもっとおサレっぽくシニカルなユーモアである。音楽も、「アリーmyラブ」ではアル・グリーンとかR&Bだったりするのに対し、「Sex and the City」はジャズである。

アリーmy Love ファースト・シーズン DVD-BOX  ぼくはこの手のアメリカのドラマとか「サウスパーク」とか大好きなのだが、ときどき、根本的な疑問を抱くことがある。それは、ぼくが面白がっているのは、アメリカのドラマなのか、それとも、アメリカの文化そのものなのかということだ(^^)。

 「サウスパーク」の面白さなんて、本当は、アメリカ文化についての知識が相当ないとわからないはずだ。かく言うぼくも、十年前だったらほとんど何が面白いのかわからなかったと思う。今も、一回観ただけで完全にわかるとはとても言えなくて、せいぜい2/3ぐらいしかわかってないだろう。そのようなぼくが「サウスパーク」のような作品を観る場合、頭の中である種の文化翻訳を行っている。このギャグは、アメリカ文化のこういう側面を反映しているんだろうなあ、と瞬間的に想像した上で、そうか、アメリカではこれがギャグになるくらいに、こういう文化が当たり前になっているんだなあ、と勝手に逆算して笑うという感じなのである。

 「Sex and the City」にしても、女性が性的に過激な台詞をバンバン言うのがギャグになっているが、あれも多分、実際ニューヨークにはそれに近い女性が結構いるんだろうなあ、ということを勝手に想像して笑っているわけである。だから、いったいぼくが笑っているのは、ドラマの作り手が意図的に作ったフィクションなのか、その背景にあるアメリカの文化なのか、なにやら自分でもあやふやな感じになってきてしまうのだ(^^)。

サウスパーク 無修正映画版  面白いのは、この作品はそのような過激なセックスネタ満載なのに、台詞には f**k や s**t などのいわゆる四文字語がほとんど出てこないということである。これはもちろん、媒体がテレビだからに違いなくて、映画だったら、これより遥かに穏健な作品でも四文字語出まくりだったりするのはご存知の通り。そういう状況を痛烈に皮肉ったのが、これまた「サウスパーク」の劇場版である「サウスパーク/無修正映画版」 であろう。これもオンデマンドTVで観たのだが、まさしく抱腹絶倒の面白さである。

(たとえば、検索してみればわかるが、あのいかにも荒唐無稽なVチップというのは、実は現実にも存在する。ただし、埋め込まれるのは脳ではなくテレビの方で、本来はコンテンツ規制のための装置である。)

(追記:「Sex and the City」のシーズン2を観始めたのですが、シーズン1よりさらに下品になっていて、F-word や S-word も結構使われてました(^^)。ケーブルだとこのぐらいはOKなのかな(^^)?)

 つまり、アメリカ文化にはかなりムチャクチャなところがあるのも事実なのだが、そのムチャクチャさを自覚してシニカルに批評する目もまた、アメリカの中に存在しているというところが、アメリカ文化の大きな特徴だと思うのだ。ひょっとすると、アメリカ人の多くは、そういうムチャクチャなところがまさにアメリカの個性であり、自分たちは自覚的にそういう存在であり続けているのだと思っているのではないか(^^)。

 ここから突然暴論モードになる(^^)。最近また反米が流行っているようだが、そういう反発の中には、どうもいまだに西欧コンプレックスの裏返しみたいなところが残っているような気がしてやりきれない。それよりも、アメリカ人というのは、他の国の人がやりたがらないような一種の人体実験を奇特にも率先してやっている人たちだと考えたらどうだろうか(^^)。そうすれば、日本人も、自分たちはあえて熟慮の末、危険なことには手を出さずに、おいしいところだけ持っていっているのだ、というプライドを持てるのではないか(^^)。もちろん、それを露骨に態度に出したら向こうだって怒るだろうし、アメリカ人がある程度の危険手当とか先行者利益とかリスク・プレミアムとかを手にすることは認めなければならないし、国際政治におけるアメリカの覇権主義の問題なんかはそれどころではすまないだろうけれど(^^)。

 そうやってアメリカ人を余裕を持って冷静に観察する態度を身につけるためにも、とりあえず、「Sex and the City」はお勧めです(^^)。

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「パール・ハーバー」を観てしまった

 「アルマゲドン」が意外と楽しめたので、あわよくばと思って「パール・ハーバー 」も観てみたけど、さすがにこれはダメだった(^^)。と言っても、アメリカ中心主義がイヤだとか、時代考証がメチャクチャだとか、そういうことが言いたいわけではない。ぼくにとって問題だったのは、この映画がちっとも面白くないことである(^^)。

 そもそも、ぼくには、この映画を作った人たちがいったい何を描きたかったのかがよくわからない。イジワルな目で見れば、パール・ハーバーの映画を金かけて撮るという企画が先にあって、それだけでは盛り上がらないので無理やり恋愛・友情ドラマをくっつけただけとしか思えないのだが(^^)。まあとにかく呆れるほど焦点のぼけた映画である。

 仮に、この映画が戦争映画だとする。その場合、この映画のように史実を基にしているということは、結果は最初からわかっているわけだから、「アルマゲドン」のようにサスペンスをストーリーの原動力にすることはできない。また、戦争の悲惨さなどを描くにしても、パール・ハーバーをネタにすること自体に無理がある。というのも、パール・ハーバーでは、物的被害は甚大だったかもしれないが、人的被害は比較的少なく、しかもそのほとんどが軍人で、民間人の死者はごくわずかだったかったからだ。

 もちろん、多い少ないというのは相対的な評価だから、三千人だって 9.11 の死傷者にくらべれば十分多いという見方もあろうが、それこそイーストウッドが映画にした硫黄島では七千人、沖縄戦では一万二千人ぐらいのアメリカ人が死んでいるらしいし、「プライベート・ライアン」で有名なノルマンジー上陸作戦なんかでは三万人ぐらい亡くなったらしいからね。さらに言えば、そもそも、負けた方の枢軸国側ではもっと桁外れの人間が死んでいるし、勝った方の連合国側の中でも中国やソ連の方がはるかに死傷者数が多い。アメリカは人口が多いから、対人口比で計算すればもっと少なくなる。

 そのように、(相対的に)たいした被害を受けていないアメリカが、その少ない被害の中でも特に死傷者数の多くないパール・ハーバーをもってきて戦争の悲惨さを描こうとしているから、なんかしら無理な感じが出てきてしまう(もっと悲惨な状況をたくさん知っている日本人から観ればなおさら)。そこへ持ってきて、それ以外の悲劇的なエピソードもとってつけたようなものばかり。

 だからこそ、この映画では、病院に向かって機銃掃射したりして、無理矢理悲惨さを演出しようとしているのだろうが、そもそも、映画で戦争の悲惨さを描くということは、単に戦争で人がどんどん死んでればいいっていうような簡単なもんじゃないのである。そんなんだったら、わざわざ映画なんか見なくたって、死傷者数統計だけ読んでりゃいいはずである(^^)。

 では、恋愛映画としてはどうかというと、これもまったく評価できない。そもそも、ケイト・ベッキンセールがベン・アフレックに惚れる過程がわりと簡単に惚れたようにしか見えないし、ジョシュ・ハートネットに乗り換えるときも、わりと簡単に乗り換えてるようにしか見えない。そんなんで死んだと思ったベン・アフレックが帰って来て悩んでるのを見ても、そんなの自業自得じゃん、勝手にすれば? ぐらいにしか思えないのだ(^^)。それでこの三角関係をどう解決するのかと思いきや、一方のジョシュ・ハートネットだけが死んでしまうというお手軽さ。こんなのは恋愛ドラマの風上にもおけん(^^)。

 と言っても、もちろん、ケイト・ベッキンセールの貞操観念を云々したいわけではない。たとえば、北川悦吏子脚本の「愛していると言ってくれ」というトレンディ・ドラマ(死語)でも、本当は豊川悦司が好きなはずの常盤貴子が岡田浩暉と寝てしまうというくだりがあるが、最終的にはちゃんと説得力のあるハッピーエンドになっている。どうしてそうなっているかは、実作品を観てもらう他はないが、問題は、貞操観念というような社会慣習にしたがっているかどうかではなく、登場人物の行動に視聴者が共感できるか否かなのである。ブラッカイマー&ベイには、この北川悦吏子の爪の垢でも飲んでいただきたい(^^)。

  見比べてみると、「アルマゲドン」でもやっぱり人物描写にはかなり甘いところがあって、こっちにも出てるベン・アフレックの役にしても、自信過剰ではあるが穴掘り屋としては才能があるみたいな形に設定上はなっているが、描写の方は必ずしもその設定に説得力を与えてはいないのだ。ただ、「アルマゲドン」の場合には、地球を守るというミッションが明快で、それに成功するかしないかというサスペンスだけで押し切ってしまっているので、そういう人物描写の甘さとかをあまり感じさせなくてすんでいるだけである。たぶんこいつらは、なまじ「アルマゲドン」で小技を使って成功してしまったので、自分たちにはそういう人物描写に説得力がなければ成立しないような作品でも撮れると勘違いしてしまったのではあるまいか(^^)。

 まあとにかく、この映画は近年まれに見る大駄作だと思いました。もちろん、芸術映画ならもっとつまらない作品もたくさんありますが、これだけ大金をかけた娯楽作品でつまらないというのは致命的でしょう(^^)。 唯一の見所は、戦闘シーンの特撮ぐらいだけど、それすらも考証間違ってるらしいし(^^)。

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コナンとアルマゲドン

 早速オンデマンド TV でビデオ作品を何本か鑑賞する。いい作品は気合入れて集中してみたい方なのだが、そんな時間をとる余裕はないので、ながらで観ても後悔しないような作品を選ぶ。つまり、昔観た作品とか、B 級娯楽作品的な奴とか。

 未来少年コナンは、今見てもやっぱり名作であった。ひょっとして、子供の頃に見たから感動したのかも、という気もしないでもなかったのだが、プロット、アニメーション、人物描写、どれをとっても完成度が高い。なにより、この作品からは、宮崎駿の表現する欲望みたいなものがほとばしっていて、観るものを圧倒する力がある。宮崎駿はこの作品だけでも十分歴史に残ったであろう。

 昔見たときはそれほどでもなかったのだが、今見るとすごく感動するのは、モンスリーが改心するところである。モンスリーはちょっと西川史子さんに似てるのだが、そのモンスリー西川が浜田雅功なみのド S レプカに足の裏で顔をグリグリされながら喋るシーンがすごくいい(って、そういう意味じゃないよ (^^))。人間が変わる過程の模写というのは、物語がもつ最高の醍醐味の一つなのだが、この作品でそれが最もうまくいっているのがモンスリーなのである。

 モンスリーは、インダストリアに着く前の飛行艇の中で、すでに「コナンと行動をともにする」みたいな発言をしてはいるんだけど、実は、この時点ではまだ心が定まってなかったんだね。だから、インダストリアで墜落してレプカに身柄を確保された時点では、またレプカの下で働いてもいいかなぐらい思っていたと思う。ところが、ラオ博士の話を聴いているうちにもう一度心が揺れてきて、その後レプカと話し始めたときには、モンスリーは本気でレプカを説得する気になっていた。

 ところが、レプカと話していて足の裏でグリグリやられているうちに、彼女は自分自身の本当の気持ちに気づいてしまったんだろうね。冷静に計算すれば、あの場面であんな発言をして得なことはなにもないんだけど、彼女自身、自分の気持ちを言葉にしているうちに自己発見してしまったから、必然的にああいう発言になってしまったのだろう。あの場面は、そういう心の動きが、すごくうまく描かれていると思う。これは、子供のときに観たときには、あまり気づかなかったけど(^^)。

 あと、レプカの性格は、無駄にサディストすぎるところがあるんだけど、その無駄なサディストさで、作劇上の不自然さがカバーされているんだね(^^)。ギガントなんて、レプカがあんなド S じゃなかったら落ちてないでしょう(^^)。「うろたえるな!」って何回も言ってたけど、言ってる本人が一番のキレキャラなんだもの(^^)。

(テリットが死んだらしいことが一言で片付けられてるのは、なんか事情があるのかな? 無理やり台詞をカットしたようにも見えるんだけど、差別用語かなんか入ってたのかも)

 あと、B 級娯楽作品の方では、まだ観てなかったアルマゲドンを観たが、意外と楽しめた。もちろん、大傑作として持ち上げる気にはなれないが、それほどムキになってけなす気にもなれないな(^^)。少なくとも、インディペンデンス・デイよりはいいんじゃない(^^)? そんなことない(^^)?

 あの、ヒーロー役としてちょっとイカレた穴掘り屋を持ってきたり、恋愛と親子愛をからませたりするとこなんか、小技としてはなかなかうまくいってると思いますけどね。もっとも、あのマシンガンを打ちまくっちゃう奴は、いくらなんでもイカレすぎだと思ったけど(^^)。

 まあ、遊園地に行って人生が変わる奴はそうそういないだろうけど、遊園地には遊園地なりの価値があるからね(^^)。それを価値ゼロみたいに言う奴を観ると、ぼくみたいなひねくれ者はかえって反発したくなる(^^)。えーえー、確かに上がったり下がったりしてハラハラさせられるだけですけど、それが何か(^^)? そのコース設計に多少なりとも工夫があれば、入場料程度の価値はあるんでない?

(どうでもいいけど、左門豊作は、リンゴ落としたぐらいのこと、いつまでウジウジ気にしてんだよ~。ほんとキモい世界だよな(^^)。よくこんなキモいアニメがあんなメジャーになったもんだ(^^)。こんなの今だったらかんぜんにカルトだよな。当時は世の中全体がちょっとキモかったんだろうね(^^)。)

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オンデマンドTV開通

 やっとオンデマンドTVが見れるようになった。本当は去年の年末から加入していたのだが、セットトップボックスをセットアップするのが面倒だったので、まったく見ないで料金だけ払っていたのだ(^^)。

 でも、いざ開通してみるとこれはなかなか便利。普通のインターネット・ストリーミングみたいな、動画開始時や早送り・巻き戻し時のタイムラグもほとんどなくて、普通のアナログ・ビデオのような感覚で視聴できる。これが IPV6 の威力か?(^^)

 取り扱い説明書によると、ブロードバンドルーターより上流にハブをはさんで、そこからセットトップボックスを分岐させるように書いてあるのだが、別にルーターより下流で分岐させても動作するようだ。これだとなんか問題あるのかな。いまいちよーわからん(^^)。

(付記: どうも、ルーターに IPV6ブリッジ機能がない場合を想定して、念のためにそう書いてるあるだけのようだ)

 ただし、操作はリモコンでしかできないので、操作性はよくない。ウチの環境では、結局キャプチャカード経由で PC の画面上で視聴することになるので、ついマウスで画面上のアイコンを直接クリックしたくなるが、もちろん、それではまったく動かない(^^)。

 特に、ビデオ選択画面から自分の見たいビデオを探すのなんか、ジャンルを選んでサブジャンルを選んで作品一覧を上から下までスクロールして…、なんて面倒でとてもやってられないので、結局、インターネットのサイト上で作品検索して作品コードを調べて、そのコードをリモコンから打ち込むみたいなことをしている(^^)。

 もっとも、セットトップボックスには USB 端子がついてるので、将来的には、PC 画面上で操作できるようになる可能性もあるのかもしれない。っていうか、それでなきゃ面倒でやってられないから、ぜひそうしてくれ(^^)。

 レンタルだと、借りてきてからつまらないことがわかっても、借り直すまでに時間がかかるが、これだと、つまらないと思ったらすぐ別の作品に切り替えられるし(^^)。まだまだ作品数が少ないのが玉に瑕かな。 あと、チャンネルの方にはコメディ・セントラルを入れてくれ(^^)。なんだったら、英語のままでもかまわんぞ。

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台風一過

台風も過ぎたことだし、これでいよいよ夏かな?
と思ったら、来週も雨ばっかみたいですね(^^)。
オリジン弁当行ってこよっと(^^)。

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ナポレオン獅子の時代

 前に、息抜きとして歴史の本を読むという話を書いたけど、最近の興味は主にフランス革命時代。この「ナポレオン獅子の時代」というのも、その過程で偶然見つけたマンガである。

 この作品は、一言で言えば「いい人」の一人も出てこないナポレオンとフランス革命の話。一昔前の感覚だと、ナポレオンが主人公だったら、ヒーローにするか逆に思いっきり悪役にするかどっちかだったろうけど、この作品ではどちらでもない。もちろん、それ以外の登場人物も、フーシェみたいな悪役が定番の人まで含めて、ことさら美化するでもなく貶めるでもなく描かれている。

 と言っても、ピカレスク・ロマンみたいなものではない。なぜかというと、帯に安彦良和さんが書いているように、この作品にはロマンがないから(^^)。かと言って、ハードボイルドでもない。なぜかというと、登場人物の誰一人として、ゴルゴ13みたいにクールではないから(^^)。強いて言えば、筒井康隆氏が書く歴史物に近いかもしれないが、あそこまで徹底して戯画化されてもいない。そういう意味で、この作品は新しい感覚の歴史物と言えるかもしれない。

 考えてみると、ピカレスク・ロマンの登場人物なら、あえて悪の道を極めるところに自己陶酔を感じていたりするし、ハードボイルドの登場人物なら、あえて感情に流されず冷静さを保つところに自己陶酔を感じていたりするんだけど(^^)、このマンガの登場人物には、そういう自己陶酔みたいなものがなくて、もっとドライなんだよね。そこが現代的なのかもしれないという気がしないでもない(^^)。

(ちなみに、このマンガの中ではロベスピエールは「童貞」であり(^^)、サン・ジュストはテルミドールを生き延びてタリアンやポール・バラスの暗殺を図ることになっている。)

 もっとも、ぼくは最近マンガや娯楽小説をあまり読んでいないので、この作品が水準からどのくらい突出しているのかは、正直よくわからない。ひょっとすると、最近の作品ではこういう描き方が当たり前なのかもしれないし(^^)。

 また、人物の顔の描き分けがあんまりうまくないので、慣れないと誰が誰だか区別がつかないし、ストーリー的にも説明不足気味の点が多々あるように感じる。

 そういうわけで、個人的には大傑作という評価はしずらいのだが、佳作ではあると思う。少なくとも、最近マンガをあまり読んでないおじさんが読んでも、「そーかー、ナポレオンやフランス革命をこんな風に描くマンガが出てくる時代になったんだな~」ぐらいな感想は持っていただけるのではないかと思う(^^)。

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核に関するいくつかの真実

 久間発言についての「New York Post」の社説。New York Post というのは、Fox テレビと同じく、ルパート・マードックのやってるニューズ・コーポレーションの発行するタブロイド紙で、かなり保守色が強いと言われています(日本で言えば夕刊フジみたいなものだと言ったらマズいかな(^^))。

 そのためか、かなり日本人の神経を逆なでする内容になっているので、まず大きく深呼吸して、覚悟を決めてから読んでね(^^)。


Some Nuclear Truths

New York Post
09 Jul 2007

核に関するいくつかの真実

太平洋戦争を終わらせた1945年の出来事について、日本の首脳部の一員が、記憶にある限りで初めて真実を語った。
そして、その発言は、彼の仕事、そしておそらくは政治キャリアまでもを犠牲とすることになった。
久間章生氏は、先週、日本の防衛大臣の職を辞することを強いられた。それは、久間氏が講演で、なぜアメリカが広島・長崎に原子爆弾を落としたかを理解できると述べた数日後のことだった。
「私は、原爆投下が戦争を終わらせと理解している。そして、それはしょうがないことだったと考えている(訳注:日本語の原文を引用するかわりに、わざと英語から直訳してみた)」と、久間氏は言った。ちなみに、久間氏は長崎出身だった。
さらに、久間氏は次のように言い添えた。「実際、この攻撃は2つの都市に大きな災厄を引き起こしたが、戦争が速やかに終結したことにより、日本は、北方領土の一部をソビエト連邦に奪われなくて済んだ。ソビエト連邦は、長崎に原爆が投下された日に宣戦布告して、日本が占領していた満州に侵攻した。」
そして案の定、政治的な大混乱が巻き起こった。
久間氏の発言は、歴史的には正しいのだが、日本の歴史修正主義者が考える第2次世界大戦における核兵器の役割とは完全に矛盾する。もちろん、日本人の核アレルギーを刺激したことは言うまでもない。
怒りに満ちた糾弾のただ中で、久間氏は謝罪を試みると同時に、公式に非難を受け入れた。しかし、抗議の声が絶えることはなかった。
久間氏は、覚悟を決めて火曜日に辞任した。それは、国政選挙に直面するその月になって、世論調査の支持率が30パーセント以下に急落したことに苦しむ安倍晋三首相にとっては、相当に有難いことだった。
もちろん、戦時中の問題で、日本が独自の見解を維持し続けているのは、原爆投下のことだけではない
ついこの3月には、安倍首相自身が、20万人のアジア人「従軍慰安婦」(訳注:という表現は正しくないとかなんとかいう議論があるのは知っているが、ここは慣例にしたがった)が性奴隷になることを、日本軍が強制したことはなかった、という主張により、国際的な批判に直面した。
久間氏の発言が、日本人の神経を逆撫でしたのは、日本がまさに、北朝鮮の大量破壊兵器の脅威による地域的な核問題を直視し始めたときでもあった。
それはまた、日中間に古くからあるライバル意識がよみがえりつつあるときであり、また、日本が世界的な経済大国としての役割にふさわしい安全保障体制をとることを求める声が高まりつつあるときでもあった。
それが現実のものになれば、日本が核武装する日も遠くないだろう
したがって、アメリカ人は、60年以上も前に使った武器について、罪や恥の意識を感じる必要はない
同じように、久間氏も、政治的には不評だろうが、否定できない真実を話したからといって、罪や恥の意識を感じる必要はないのである。

(太字、強調は訳者による)


ぼくはどっちかというと親米派なので、別に日本人の反米意識を煽ろうと思って訳したわけではありません。ただ、少なくともアメリカ人の一部にはこういう考えの人たちがいて、それはタブロイドとは言え新聞にさえのるぐらいのものである、という事実は冷静に認識しておいたほうがよいのではないかと思ったものですから。

特に注目すべきなのは、太字で強調したところでもわかるように、この記事では、久間発言に反発する人たちが、歴史修正主義者といっしょくたにされていることでしょう。これは、平和主義者の方々や、広島や長崎の方々にとってはたいへん不本意なことかもしれませんが。

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ノートパソコン復活!

 結局、前と同じ機種の一番グレードの低いモデルを中古で購入。

 そして、HDD を前のマシンで使っていたものに差し替えたところ、見事そのまま起動。さらに、CPU が Celeron M 1.3GHz の L2 キャッシュ 512KB だったのを Pentium M 1.5GHz の L2 キャッシュ 1MB に、光学ドライブが CD-ROM だったのを DVD/CD-RW コンボドライブに交換し、メモリが 256MB しかなかったのを 512MB 増設。ほぼ完全に元の環境が復活した。(一部のソフトでは再アクティベーションが必要だったが)

 購入価格は 5 万円弱。システムボード単体で買っても 4 万円ぐらいすることを考えれば、どう見てもこの方がお得だと思う。おかげで、予備のバッテリーや AC アダプタも増えたし、どっかのパーツが故障したときには、今まで使っていたマシンのパーツと交換することができるわけだし。ソフトをインストールし直したりして環境を再構築する手間も省けたし。

 オークションなんかだともっと安いのもあるのだが、仕事用なのでそこまで冒険するのはやめました (^^)。逆に、余った CPU とか売る手もあるよね。いまどき Celeron M なんていくらで売れるかわからんけど (^^)。

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