結局はバランス
こういう問題って、製造者責任 VS 自己責任みたいな構図で語られがちだけど、結局はバランスの問題だと思うんですよね。
極端な話、コンビニの誰もが手の届く棚で「食べれば即死の青酸カリキャンデー」みたいなのを売って、間違ってそれ買って食べて死んだ人がいたとしたら、いくらパッケージに毒だって書いてあるじゃないかって言ったって、自己責任ってわけにはいかないだろうと誰でも思いますわな (^^)。
前にも書いたけど、「法と経済学」という分野には、「最安価損害回避者」という考え方があります。これは要するに、最も低コストで損害を回避できるのは誰かということ。
こんにゃくゼリーの問題なら、国、製造業者、保育園、親などの中で、最も低コストで窒息事故を回避できるのは誰かを考えるわけです。
そして、その人の責任ということにすれば、その人には損害を回避するインセンティブが生じるので、社会全体として最も低コストで損害を回避でき、結果的にみんなが得するだろうというわけ。
だからたとえば、製造業者がちょっとこんにゃくゼリーの形を変えただけで死亡率を大幅に下げられるというのだったら、それはやったほうがいいだろうし、逆に親の躾とか言ったって、毎日 8 時間ずつの訓練を 3 年間続けないとこんにゃくゼリーを安全に食べられるようにはなりませんとかいうんだったら、コストがかかりすぎてバカバカしいからやめたほうがいいわけ (^^)。
ただし、厳密には「コースの定理」というのがあって、「取引費用」がゼロだったら、結局だれの責任にしてもいっしょです、という話もあります (^^)。
たとえば、とにかくなにがなんでも製造者責任で、裁判になれば必ず製造者が賠償金をとられるとします。そして、実際には、親がしつけをした方が安上がりだったとします。
そうすると、製造業者は、裁判に負けるのは最初からわかっているわけだからから、損害を最小化しようと考えたら、問題が起こる前に、事前に親に金を出して親に躾をしてもらうはずなんだよね。だから、誰の責任にしても結局同じだっていう話になるわけ。
これが、親がイジワルで、自分で自主的に躾をするのにかかる人件費より、はるかに高い金額を製造業者に要求したりすると、この話は成立しないんだよね。取引費用がゼロってのは、要するにそういうことです。
まあそんなわけで、なんでも自己責任にしてとか企業側の言いなりになってとか怒ってるインテリさんもいるようですが、ぼくは、この話に素直に憤慨する人たちの感覚のほうが、バランス感覚があって健全な気がするんですけどね (^^)。
こんにゃくゼリーの改良が簡単にできるならやればいい。危険性を告知するのもいいでしょ。でも、完全禁止は行きすぎだろう、みたいな線が平均的ですよね。たぶん、コストを厳密に計算しても、そんな感じになるんじゃないですか?
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