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もういまはいないぼくへ

 アイドル海川ひとみさんが「ハッスル」でプロレスをやっているビデオを発見。

 まあ、正直言って、キャットファイトを見るときのような、スケベな好奇心半分で見始めたわけなんですが (^^)、予想に反して、見てるうちにイライラしてきて、最後まで観るのがつらかった。

 と言っても、女の子を慰み者にして、なおかつそれを見世物にするのはよくないとか、そういうイイ子ちゃんブリっ子なことが言いたいわけではなくて (^^)、そもそも、こういう芝居にもはやまったく感情移入できない自分というのを発見してしまったのだ。

 つまり、海川とか眞鍋とかが本気で怒って、アナウンサーとかもそれに同調しているのを聞いていても、「えー、だって海川だって売れないアイドルの自分が少しでも名前を売りたいからわざわざプロレスの試合なんかに出たわけだろうし、ハッスルのほうだって話題性があるから出しただけでしょ? 眞鍋だってそれ知ってるくせに、なんで本気で怒ってるフリしてんの?」みたいな、そーゆー感想しか出てこないんだよね (^^)。

 でも、考えてみたら、子供の頃猪木とか馬場を見てた自分はそうじゃなかった。タイガー・ジェット・シンアブドーラ・ザ・ブッチャーは本当にルールを守らない悪い奴だなあと思っていたし、ベビーフェイスである猪木や馬場が、出せば反則をするのをわかっていながら、自分を引き立てるために、わざわざ彼等を呼んでいるなんてことにも、まったく思いがいたらなかった。それで、善玉が悪玉に勝つというドラマを、けっこう喜んで見てたんだよね。

(まあ、立花隆さんのような頭のいい人から見れば、ああいうものを楽しめるのは、頭の悪い証拠(注:出典が見あたらないので、正確な引用ではありません。二次引用は避けてください)なのだそうですが。。。(^^))

 まあ、そんなことはどうでもいいんだけど、ぼくがちょっと考えてしまったのは、こういう感受性の変化というのは、時代の変化のせいなのか、それとも、自分個人の成熟(老化と言うべきかもしれないが)なのか、ということなんだよね。 

 もちろん、「ハッスル」の興行が成立しているということは、これを楽しんでみている人も一定数いるということなんだろうけど、その人たちはいったいどういう見方をしているのか、というのがぼくにはよくわからないわけ。

 ぼくにも、かなり熱狂的なプロレスファンの友人がいるので、彼らが単純にそういう芝居に騙されている知性の低い人たちではなくて、むしろ、相当知性がないとできないような二重三重にひねくれた鑑賞の仕方をして楽しんでいる、ということはよく知っているつもりだが、彼らにとって、あれは「あり」なのか「なし」なのか、今度会ったら聞いてみたい。

(ひょっとしたら、あのどう見ても勝ち目のなさそうな海川が無理矢理勝ってしまう、というのが、プロレスとしては正統派の展開であって、負けてしまうのは邪道である、というような見方をするのかも。。。(^^))

 一方で、北田暁大さんが言うように、現代がどんどんベタなものを嫌う方向に向かっているのも確かなので、自分がああいうベタな芝居にはついていけなくなっているのはそのせいではないか、という気もするのである。

 ぼくがこのビデオを見てると、どうしても、「だって自分最初から出たくてでてるやん」「出れば負けるのわかってるやん」見たいな(浜ちゃんの)ツッコミの声が、どこかから幻聴のように聞こえてきてしまうんだよね (^^)。こういう芝居は、そういうツッコミ付きで見ないと、なんだか気持ち悪くて仕方がない。

 繰り返すが、それは感性が老化したせいなのか、それとも、正しい鑑賞の仕方がわかっていないせいなのか、それとも、やっぱりあれに感情移入しろということ自体に最初から無理があるのか、ぼくにはよくわからないのである。今後の研究課題としたい (^^)。

おまけ

 今のと微妙に関係があるようなないような話だが、サイゾー 4 月号の山形道場に「人類の大規模な宇宙進出はありえない」という原稿が載っていて、正直かなり意表をつかれた。(でも、意表をつかれたということは、すでに半分ぐらいその主張に説得されかけているということなんだよね。)

 山形さんは、「ポスト・ヒューマン誕生」という本を読んだ感想として書いているので、この文だけでは正確な真意はわからないのだが、読んでわかる範囲だと、1.人類の人口がこのまま増え続けるということはない。いずれ頭打ちになる、2.地球の環境も、多くの人が地球を捨てたくなるほど悪くなりそうもない、というような理由らしい。 (これは、そう「悟った」山形さん自身にも多少意外なことであったらしく、最後は「つまんないの。」と結んでいる (^^)。)

 前にも書いたけど、ぼくら子供の頃に「未知との遭遇 」 とか「E.T.」とか観ちゃった世代だし、その頃は、カール・セーガンみたいな学者までが、宇宙人のいる可能性について真面目に議論して SETI だのドレークの式だの言ってわけだからね。だから、ぼくらも、そういうのに影響を受けすぎている可能性はあって、一歩引いてみると、なんでそんなことを信じこんだりしたんだろう、という気もしないでもない (^^)。

 でも、やっぱり「宇宙人」がいるかどうかで、かなり結論は違ってくるような気がするんだけどなあ。もっとも、最近は、宇宙にいる知的生命は人間だけのようだ、というような議論もちらほらされているみたいだからなあ。つまんないの (^^)。

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