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裏返しの友だち観

 「タイトルの「無駄」の部分に、苦み走った気分で反応。が、帯に目をやれば「その無駄がいいのよ」。」

 というのは、佐野洋子さんの「友だちは無駄である」に対する温水ゆかりさんの書評の冒頭部分なのだが、これを読んで改めて思った。ぼくの友だち観は、おそらく、世の中の標準的な友だち観とは正反対なのだと。

 おそらく、温水さんは、基本的に友だちと言うものは価値あるものだと思っているのだけれど、実際には、必ずしもいいことばかりじゃないとも思っている。だから、 「「無駄」の部分に、苦み走った気分で反応」したのだろうし、その後の「その無駄がいいのよ」でほっとしたのであろう。

 ぼくは、この本自体読んでいないのでアレなのだが、おそらく、著者の佐野さんも、わざわざ「その無駄がいいのよ」と書くぐらいだから、「友だち→役に立つ→価値がある」という価値観を前提にしており、それに対するアンチテーゼとしてこう書いているように思われる。

 でも、ぼくの場合、そもそも「「無駄」の部分に、苦み走った気分で反応」などしない。なぜなら、そんなの最初から当たり前だと思っているから (^^)。もちろん、「その無駄がいいのよ」を読んでほっとしたりもしない。それも当たり前だから (^^)。

  つまり、ぼくの場合、最初から「友だち→役に立たない→価値がある」というのが大前提であり、役に立たない友人関係こそを理想としているのだ。ぼくに言わせれば、友だちに対して、役に立つとかたたないとかいう概念を適用すること自体が「不純」なのである。ところが実際には、不本意ながら役に立つことを求められたり求めたりしてしまうことが多くて、むしろそこが、現実の薄汚さだよなあ、とか思っているわけである。

 だから、ぼくはこの温水さんの書評を読んで、自分の友だち観と世の中の友だち観の根本的なズレがわかったような気がしたのだった。

 一応、理論武装しておくと、友人関係というのは、山崎正和氏の「柔らかい個人主義の誕生」や「社交する人間 」風に言えば、生産のための人間関係ではなく、消費のための人間関係であるべきだと、ぼくは思っているわけですね。実際、子供の頃の友だち関係って、みんなそうだったと思うんだよね。でも、大人になるとだんだん、友達同士で仕事上の便宜をはかったりするようになって、それができない奴は「使えない奴」とかいうことになったりするでしょ。それがイヤでイヤでたまらないわけ。わかるかなあ (^^)。

 そういうことを言うと、でも、友達同士が助け合うって美しいじゃん、とか言われるかも知れない。そういう人に対しては、だったら、友だちでもないのに助け合う方がもっと美しいだろう、と言っておこう (^^)。カッコつけすぎだって? でも、「友達同士が助け合う」っていう言い方がそもそもカッコつけすぎなんですよ。だから、それに対抗するには、こっちもカッコつけざるを得ないのだ (^^)。わかるかな?

追記: 「柔らかい個人主義の誕生」で検索してみたら、ロクな紹介がないので驚いてしまった。お前らホントに読んだんか? 読んでないか読めてないかのどっちかとしか思えんぞ (^^)。バブル時代の消費礼賛の本で、バブル崩壊によって影響力を失ったとかさあ、いったいどっからそういう読みが出てくるの(^^)? 影響力を失うどころか、今のオタク全盛時代を予言していたとさえ言えると思うんだけど (^^)。まあ、ぼくみたいなのが褒めると、かえってネガティブな先入観を与えちゃうのかも知れないね。でも、批判するなら、ちゃんと読んで理解してからにしてくださいね (^^)。ぼくはいいけど、山崎さんがかわいそうだからさ (^^)。

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