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「ライフ・イズ・ビューティフル」の正しい泣き所

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 このサービスにどのようなメリットがあるのか、まだいまいちピンときませんが (^^)、まあ、使っているうちにわかるでしょうということで (^^)、しばらく使ってみようと思います。

ライフ・イズ・ビューティフル ところで、この中の好きな映画という欄を書いていて思いだしたのが、「ライフ・イズ・ビューティフル」という映画。ぼくはこの映画大好きなのだが、他のみなさんはどういうご感想をお持ちだろうと思って例によって検索してみた。

  まあ、いろんな意見があるのは予想していたのだが、一番以外だったのは、お父さんが物陰に連れてかれて…、というシーンで泣いたとか泣けないとかいう意見があったこと。

 いや、あの映画の泣き所はそこじゃないでしょう! お母さんが「私たちは勝ったのよ!」(だったっけ?)とかって言うところじゃないの? ぼくはあそこで涙ぼろぼろになったんですけど。違うかなあ (^^)。

 まあでも、この映画がつっこまれやすいところは、なまじナチスとか強制収容所とかいう、いろんな先入観を与えやすいキーワードを出してしまったとこだろうね。

 たぶん、この映画のテーマからすれば、必ずしもナチスや強制収容所を出す必要はなかったんだ。この映画が描きたかったのは、戦争の悲惨さとかではなくて、「美しい人生」なのだもの。極論すれば、この映画にとって、戦争だのなんだのは、「美しい人生」を描くための小道具にすぎないんだ。そこにあざとさを感じる人は感じるんだろう。

 でも、戦争をとりあげる以上は戦争の悲惨さを描かなくてはいけないというのも、ある意味、戦争にセンシティブな現代人の勝手な固定観念にすぎないんだよね。本来、作品が何を舞台や小道具にするかは、作り手側の自由であって、批評する人間が問うべきなのは、何のどこを描くかではなく、その描き方の巧拙なんだ。

 たとえば、同じ日本の戦国時代を舞台にした映画やドラマだって、そのテーマは、戦争の悲惨さ、時代の流れ、政治政略、友情や家族愛などそれぞれ異なっている。ぼくらは、そのことを別に不自然だとも思ってないし、特に意識もせず、作品によって柔軟に姿勢を変えながら観ているはずなんだ。

 この映画は確かに、戦争の悲惨さを小道具として「利用」しているが、その感動が戦争の悲惨さに頼って成立しているわけじゃない。むしろ、一部の人が指摘するように、この映画の強制収容所の描き方は、実態よりも控え目なぐらいなんだ。そこにぼくはむしろ、作り手のある種の潔癖さを見る。

 ぼくに言わせれば、この作品の真のすごさは、これまで誰も描かなかったような、新しい人生の「美しさ」を発見したことにある。実際、多くの人は、この映画を観るまで、こんなストーリーで人が感動できるということにすら気づかなかっただろう。そして、実際に多くの人が感動したことこそが、その「美しさ」に普遍性があることの証しなんだ。

 そのような意味で、この映画は、戦争の悲惨さというステロタイプなイメージに頼って人を泣かすような映画よりも、芸術としてはるかに高級であるとすら、ぼくは思うのだ。

 などと言うと、イデオロギー好きの人は、これは国家に対する愛じゃなくて、家族に対する愛だからこそ美しいんだとか、家族に対する愛を貫くことが戦争に対する抑止力になるんだみたいなこと言うのかもしれない。でも、ぼくはそういう見方もこの映画の本質をはずしてると思う。

 だって、単に家族愛を描きたいだけなら、わざわざこんな変な人間を出す必要なんかないし、そういう映画ならこれまでもいくらでもあったはずなんだもの。それに、この人のやったことは、戦争の流れを何一つ変えたわけじゃないでしょう。戦争に対する抵抗なら、組織的なレジスタンスやサボタージュの方が、はるかに有効だったかもしれないわけだし。

 この映画で描きたかったのは、家族愛そのものではなければ、戦争に抵抗する方法でもない。あくまで愛の「かたち」であり、その美しさなんだ。もちろん、そのような愛し方を国家に対してできるかと言えばできないだろう。しかしそういう論法は、この絵は水彩絵の具でなければ描けなかった、とかいうのと同じであって、だからといって作者が描きたかったのが水彩絵の具であるとは言えないんだ。

 そういう、なんでも反戦と好戦に分けて考える考え方が、この映画に対する評価をゆがめている部分は確かにありそうなので、先に書いたように、この映画にとって、ナチスとか強制収容所を出したことは功罪半ばするのかもしれない。(ぼくのこのつまんない文章だって、「作者の反戦の志を歪めて、保守主義にひきつけて解釈している」みたいな、トンチンカンな読みをする人もきっといるんだろう。やれやれ。)

 でも、そういう偏見にとらわれず素直に観れば、この映画は、「個人の美学が戦争をすら超克した」という映画なのだから、「反戦」などという小さな(というと語弊があるかもしれないが)枠組みを超えていることは明らかである。もちろん、それはある意味美しいおとぎ話にすぎないが、おとぎ話だからダメだということにはならない。問題は、そのおとぎ話に人を動かす力があるかどうかなのである。

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