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作りたくても作れないって、どういうこと?

 昨晩の朝生は、パネラー全員が女性で、これは朝生史上初めてのことだそうだ (^^)。もっとも、だからといって、議論の質に影響があったという感じは、いい意味でも悪い意味でも別にしなかったな (^^)。

 でもどうなんだろ、10 年ぐらい前だったら、やっぱりこうはいかなかったんじゃないかな (^^)。少なくとも、大高未貴さんとか雨宮処凛さんみたいな論客を女性の中から探すのは難しかっただろう。これは別段彼女達を高く評価しているという意味ではなくて、むしろ純粋な論客としての評価は正直高いとはいえないわけだけど、それは普段の男ばっかりでむさ苦しい朝生でも同じことだよね。ただ、ああいう論客が出てきたということは、男性論壇と女性論壇がある種相似形になってきたことの一つの証明にはなると思うのだ。

 少子化問題については、ぼくの知る限り、そもそも、価値観の変化のせいなのか環境のせいなのか、という論争にすらきちんとした決着がついていないはずなんだよね。環境のせいだと主張する方々は、よく「子供を作りたくても作れない人がたくさんいる」ということを強調するが、ぼくはこの「作りたくても作れない」という言い方にはある種のごまかしがあると思う。

 この言葉を使っている人がイメージしているのは、たぶん、収入が生活費だけでギリギリで、子供を作ると生活費すら不足してしまう、というような家庭なのだと思う。でも、こういうイメージでは、よく考えると、何も定義したことになってないのである。

 たとえば、収入は人並み以上にあるのに、毎日高級寿司やフランス料理ばかり食べていて、着る物もブランド品ばかり買っているために、生活費だけで収入を使い切ってしまって、それ以上支出を増やせないし、生活を落とすのも嫌だから子供を作れないという家庭があったとする。この家庭は、子供を作りたくても作れないのか、作れるのに作らないのか、どっちだ?

 そんなのは極端すぎるって? じゃあ、質素な生活をしているのに、収入が人並み以下なので子供を作れない家庭を考えて見ましょう。でも、「1ヶ月1万円節約生活」みたいなメチャメチャな節約をして生活費を切り詰めたり、副業やパートを増やして過労死寸前まで働いたら、ギリギリ子供を作れるようになったとする。この家庭は、子供を作りたくても作れなかったのか、作れるのに作らなかったのか、どっちだ?

 もうちょっと論理的に(あるいは経済学的に)考えると、子供を作るという行為には、「子供を愛する喜び」というような「効用」と、生活費の負担増、養育の労力などの「不効用」があって、効用が不効用を上回った場合に子供を作るということになる。

 そう考えれば、前者は不効用は小さいが効用もそれ以上に小さいので「作れるのに作らない人」、後者は不効用は大きいが効用がそれ以上に大きいので「作りたくても作れなかった人」、というふうにもいえそうな気がしてくる。したがって、効用が一定以上に大きいのに、不効用がそれを上回って大きい人のことを、「作りたくても作れない人」と呼べばいいと思うかもしれない。

 でも、よく考えると、こう置き換えたって、やっぱり何も定義したことにはなっていないのである。たとえば、子供の顔を見るのは大好きだが、世話をするのはそれ以上に大嫌いという人だって、この区分に当てはまるわけだが、こんな人が「作りたくても作れない人」だと思いますか? 

 じゃあ、精神的な効用と金銭的な効用を分けたら、と思うかもしれないが、精神的な効用と金銭的な効用は市場で容易に交換できるのだから、これだって同じことなのである。たとえば、「世話をするのが大嫌い」を「世話をする人を雇う金がない」と言い換えれば、形式的には、精神的な不効用ではなく金銭的な不効用になってしまうわけである。

 要するに、「子供を作りたい」などというのは個人の主観なので、第三者がその「作りたさ」の量だけを客観的に測定することは難しいし、「作りたい」と「作りたくない」の閾値を絶対的に決めることもできない。

 さらに本質的なことは、そもそも、子供を持つ喜びというものを、効用と不効用に単純に分けることができるのかいうことである。親がどれだけ不効用に耐えられるかということ自体が愛情の証であって、子供にとってはその愛情こそがもっとも必要なものかもしれないし、親にとっては、子供が自らの愛情を受け入れるということこそが子を持つことの最大の喜びかもしれないのである。だとすれば、不効用=効用という等式が成り立つことになりかねない。

 これがまた個人同士の関係であれば、個人の主観でもって、スポ根的に「お前には本当に子供を作りたいという気持ちがない! だから支援はしない!」とか言うこともできるかもしれない。しかし、政府が政策として支援を行う場合には、そんなわけにはいかないのである。したがって、政策論としては、「本当に子供を作りたいけど作れない人」だけに支援を行うことなど、おそらく不可能である。

 だからぼくは、「作りたくても作れない人」という言い方は、リベラル系の方々が、「自分達は個人の主体的な選択を尊重しますよ」というポーズを示すための、あるいは、少子化対策の名の元に所得再配分政策を行うための、一種のごまかしに過ぎないと思っている。 

 「作りたくても作れない」派の人は、某大臣の「女性にがんばっていただくしかない」みたいな発言がお気に召さないようだけれども、このように考えれば、少子化対策には、

  1. 政策によって、子供を作るという行為の不効用を減らし効用を増やす
  2. 子供を作る人の効用関数、つまり、価値観自体を変えることによって、子供を作るという行為の不効用を減らし効用を増やす

のどちらかしかない。これは、いずれにせよ、子供を作る人を優遇し、作らない人を相対的に冷遇するということなのであって(子供を作ろうが作るまいがまったく損得のない、完全に価値ニュートラルな社会、などというものも、おそらく定義不能である)、少子化対策をすると決めた以上は、口でなんと言おうが、やることはいっしょなのである。

 もちろん、実際の政策によっては、副次的な効果として、低所得層と高所得層、嫡出子と非嫡出子、初等教育と高等教育などの間で差が出るというようながあることは十分に考えられるし、そのへんがまさに政策としての考えどころではある。

 しかし、少子化対策の本質が、子供を作る人を合法的に贔屓する、ということに変わりはないのであって、それを肯定できないならば、むしろ、ぼくのように少子化対策そのものに否定的な立場をとるべきなのである。 

 本当は、保守とリベラルが対立しているのだって、むしろ、この副次的効果として何を選ぶかの方であるはずなのに、それをまるで、少子化対策としてどっちがより効果的か、という問題のように言うのは、論点のすり替えであろう。

 1 と 2 の違いにしても、リベラル系の方々は、なんとなく 1 の方がお好きなようだけど、そんなに単純にどちらがよいと決め付けられる話であろうか。極端な話、どんなに子供が嫌いな人だって、その不効用を上回るインセンティブを与えれば子供を作る可能性はあるわけだけど、子供一人当たり 10 億円ぐらいの補助金を出すというような政策が(予算のことは除いて考えても)「よい政策」だと思う? 「10 億円くれるなら子供を作ってやらあ」、みたいな家庭の子供が本当に幸せになると思う?

 政策目標自体の是非はさておき、それが正しいことを前提とすれば、それを実現するために、個人にインセンティブを与えるよりも、個人の価値観そのものを変えた方が、低コストで政策目標が実現できるし、社会に不自然なひずみを与えることも少ない、とも言えるんじゃないの? だとすれば、その政策目標にそった発言を大臣がすることだって、そんなに悪いことなのかと思うんですけどね。

 価値中立的に考えるために、たとえば、環境保護のためにレジ袋の使用量を減らすという政策目標を考えてみよう。もちろん、この場合、レジ袋に課税するというような具体的な政策をとるのが本筋だろう。でも、そのようなときに、大臣が「みなさん、なるべく家から買い物袋を持ってくるようにしてください」と言うのが、そんなにいけないことか。世論調査をしたら、半数以上の人が「家から買い物袋を持ってくるようにしている」と答えたときに、「それは健全だ」と言ってはそんなにいけないのか。

 もちろん、ぼくだったら、こういう場合にでも、「それは政府にとってありがたいことです」とかなんとかもっとへりくだった言い方をするだろう。でも、そんなのは言い方だけの問題で、本音はいっしょなのだ。要するに、政策目標を実現するために、その目標にとって都合のいい価値観を持った個人を増やしたいのである。それがそんなに悪いことだろうか?

 そりゃあ、隣組なんかがあった時代だったら、大臣がこういう発言をしただけで、買い物袋を持ってこない人は村八分に合って、町内会の行事に呼んでもらえなかったり、お醤油を貸してもらえなかったり、泥棒が入っても通報してもらえなかったりするかもしれない。

 でも、今はそんな時代じゃないでしょう? 大臣がいくらそんな発言をしたからって、そんなの無視すりゃいいだけで (^^)、買い物袋を持たない自由が即なくなるわけじゃないでしょう?

 だからぼくには、正直そんなことでなぜ大騒ぎしなくてはならないのか、いまだによくわからないんだよね (^^)。 

(あと、渡辺昇一さんの「大地と種」理論は今回初めて聞いたんだけど、ちょっと驚いたね。そんなの、Y 染色体理論より非科学的だし、ある意味、それこそ「女性は子供を産む機械」と言ってることいっしょだと思うんだけどなあ。機械だと駄目だけど大地なら平気なのかよ、と思ってちょっと呆れてしまった。これはもう相当なめられた発言だと思うぞ (^^)。)

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