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「コンタクト」について勝手に補足

 レヴィット、ドーキンス、クルーグマンで触れた「コンタクト」という映画、良質のエンターテイメントであると同時に、一般の方でも科学哲学や宗教哲学についても手軽に学べるいい映画だと思っているのですが、amazon.co.jp のレビューを見てたら、「科学万能に対する批判」とか「信じることが大事」みたいな解釈もあったので、やっぱり、科学哲学なんかの素養のまったくない人にとっては、多少の解説が必要のかなあと思いました。そういうわけで、勝手に解説してみます (^^)。

 そもそも、ぼくが思うに、科学者が科学万能を信じているというのはしろーとさんの思い込みであって、実際には、優秀な科学者ほど、科学の限界も熟知していることの方が多いと思います。もちろん、「コンタクト」の原作者であるカール・セーガンも、そういう優秀な科学者の一人なので、単純な科学批判をやるわけがありません。

 最後の公聴会でのアロウェイ博士の発言を聞いて、彼女が「転向」したと思った人もいるかも知れません。しかし、よく聞けばわかるように、彼女は確かに自分の証言を撤回しなかったかもしれませんが、同時に、それが幻覚である可能性もしっかり認めている。つまり彼女は、証明不可能な主観的な真実というものを受け入れたという点においては変わったと言えるかもしれませんが、それを他人に対しては強制しないという点において、依然として科学者としての筋を通しているのです。

 一方、宗教学者のジョシュの「彼女を信じる」という台詞も、一見すると宗教家的な信仰告白に思われるかも知れません。しかし、よく考えてみると、彼女を信じるということは、彼女が異性人のテクノロジーによってワームホールを通ってヴェガまで行ったということを信じるということでもあります。それを認めずに、彼女の主観的な内的体験だけを信じるということはありえません。そう考えれば、科学は本当に人を幸せにするだろうか、というニューエイジ的な世界観を持っていた彼も、実は科学に対して一定の存在価値を認めたのだと言えます。

 つまり、この作品でカール・セーガンが描こうとしたのは、科学批判というよりも、むしろ、科学と宗教の幸福な結婚、理想的な共存の姿なのだというのがぼくの解釈です。それを象徴するのが、最後に二人が手を握り合うシーンであり、ジョシュの最後の台詞です。

As a person of faith, I'm bound by a different covenant than Dr. Arroway. But our goal is one and the same. The pursuit of truth.

進化論論争など、宗教と科学が軋轢を産みがちなアメリカの社会背景を考えれば、セーガン博士の訴えの真摯さが感じられるような気がしませんか (^^)。

余談: ぼくは、お父さんの姿をしたヴェガ星人が「君が呼んだからだ」と言ったとき、てっきり、お父さんが亡くなったときにエリーが「CQCQ」って呼びかけた電波を彼らが受信したのかと思ったんだよね。その方が話として感動的じゃない(^^)? でも、よく考えると、劇中にも出てくるように、ヴェガまでは 26 光年あるので、電波が往復するには 50 年もかかってしまうから、それでは計算が合わないんだよね。だから、作者はなんでわざわざヴェガを選んだのかなあと思った。ヴェガが太陽系から最短距離の恒星系だったらまだわかるけど、実際には、5 光年くらいで行けちゃうアルファ・ケンタウリとかあるわけだし。

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