#define SEIJIN_NENREI 20
昨晩「スタメン」をぼんやりと見ていたら、例の成人年齢の引き下げ案についてあれこれ議論していました。宮崎哲弥氏は、どうせ法律ごとに成人の線引きは異なっているし、その方が合理的だという意見。それに対して、成人という区切りを重視する派は、その方が本人に成人としての自覚を持たせるきっかけになるという意見が多いようでした。
しかし、考えてみると、単に自覚を持たせるだけだったら、何も法律で決めなくても、それこそ慣習とか儀式とかの方がよほど効果的なような気がします。もちろん、儀式を行うこと自体を法制化するという考え方もあるけど、20 才になったらバンジージャンプをしなければならないなんていう法律を作ったりしたら、それこそ人権侵害になりかねないですよね。そう考えると、宮崎氏の考え方の方に分があるような気がしました。
むしろ、ぼくのようなソフト屋が思ったのは、「成人」という言葉を特定の法律で定義することによって、法律がよりモジュール化されポータブルになるという効用はないのだろうか、ということでした。
ソフト屋的な発想からすると、特定のコード(法律)が適用される年齢を、コードにじかに何歳と書きこんでしまうのは、イミディエイトとかリテラルとか言って、ポータビリティの観点からして最も嫌われる行為なんですよね。こういう時、ソフト屋だったら、
#define SEIJIN_NENREI 20
#define isSeijin(n) ((n)>=SEIJIN_NENREI)
とかいうマクロをどっかのコードで定義しておいて、他のコードでは必ずそれを引用するようにしたり、あるいは、
static int sSeijinNenrei = 20;
bool isSeijin( int n )
{
return ( n >= sSeijinNenrei );
}
みたいな関数をどっかのコードで定義しておいて、他のコードからは必ずこれを呼び出すようにしたりするでしょう。
(実は、白田秀彰さんの「インターネットの法と慣習」では、こういうソフトウェア工学的な用語を使って英米法と大陸法の違いが説明してあるので、こんなことを考えたのは、それを読んだ影響もあります。)
これは、例の教育基本法に関する論争のときにも思ったことなのですが、たとえば、教育基本法が「基本」であるということは、いったいどのような制度によって保証されているのでしょうか。
現代のコンピュータの場合、メモリ空間や IO 空間に対するアクセスを制限する機能が用意されていて、OS のコードにはそういう空間にアクセスする権限が与えられていますが、アプリケーションからそういう空間にアクセスしようとすると、例外(一種のエラー)が発生してアクセスできないようになっています。したがって、いったん OS を起動してしまえば、アプリケーションが OS を無視して勝手にハードウェアにアクセスすることはできず、アプリケーションがハードウェアに依存しないことが自動的に保証されるんですよね。
法律の場合も、憲法と他の法律の関係は、そういうふうになっていますよね。いわゆる違憲立法審査とか憲法判断とかいうのは、そういう憲法を無視したアクセスに対する例外処理に見立てることができるでしょう。それが実際に効果的に機能しているかどうかは別にして。
でも、それ以外の各法同士の関係はどうなっているのかというのが、ぼくのような素人の素朴な疑問なわけです。もし、憲法だけが特権的なレイヤーで、他の法律がすべて横並びという構造だとすると、何かと不便なのではないか。それより、各法同士も何段階かの階層構造になっていた方が、見通しがよくなるのではないか、とかね (^^)。
冒頭の成人年齢の問題にしても、成人の定義を決める「成人法」みたいなのを作っておいて、他の法律では、特に必要がない限り、成人の定義は「成人法」に従う、みたいにしておけば、法体系全体の見通しがよくなるし、成人の定義を変えたくなったら、「成人法」さえ改正すればよいということになるから、法律のバージョンアップも容易になるはず。
というわけで、ぼくは基本的には宮崎説に賛成なのですが、法律のソフトウェア工学的な構造を改善するためには、成人年齢というのを特定のモジュールで定義する意味もあるのではないか、という立場です。もちろんこれは、完全なしろーと談義ですけど、法律にソフトウェア工学的な発想を持ち込むというのは、あながち的外れでもないのではないかなあ、と密かに思ってたりします (^^)。
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