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続・憎いし苦痛

 ぼくも以前にかる~く触れたことあるけど、その後このネタがブログ界でそんなに盛り上がっているとは知らなんだ (^^)。

 あのさ~、お前ら、おかしない? こんなん、かる~く流して終わりのネタやろ。真剣にやりたいならやってもエエけどさあ、そんだったら、真剣にやってること自体が笑えるようなやりかたにせにゃ。そうやろ?

 あ、ダウンタウンのビデオをまとめて見たばかりだったので、つい浜ちゃん口調になってしまいました (^^)。すみません。

 こんなのが今年最後のネタかと思うと、ちょっと残念ですが、なにぶん時間がなくて申し訳ない。来年はもう少しアベレージ向上をはかりたいと思います。それでは、よいお年を <m(__)m>。

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自殺すること禁じます

 朝日でやっている「いじめられている君へ」のシリーズ、残念ながらあんまり気に入ったのがなかったんだけど、石田衣良さんの「自殺すること禁じます」はいい文章だと思いました。だから、少しでも多くの人の目に触れるように、リンクさせていただきます。

 ぼくも、イジメられている子には心から同情するけれど、自殺する奴にはこれっぽっちも同情しないことにした。文字通りこれっぽっちもだ。

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バックライトを交換する

 ノートパソコンのバックライト交換に成功しました。これは、多少の工具さえあれば、きわめて安価にできる修理なので、参考のためにやり方を簡単にまとめておきます。

 ちなみに、ここに書かれている情報のうち、実体験以外は、ほとんどがインターネット上から収集したものです。そもそも、一般人にとっては、このようなマイナーな情報を得ることも、このような部品を単体で入手することも困難でしたから、以前だったら、メーカーや販売店などに修理を依頼して、何万円もの法外な修理費をとられるか、「買い換えた方が安いですよ」などと言われてパソコン全体を買い換えることになっていたでしょう。そう考えると、便利な時代になったものです。

バックライトとは

 ノートパソコンの液晶のパネルの縁には、細長い蛍光灯のような管が取り付けてあって、この管により液晶の画面が適切な明るさで表示されるようになっています。この蛍光灯のようなものを、通称バックライトと言うようです。部品自体の名前は、正確には、冷陰極管Cold Cathode Fluorescent Lamp = CCFL)と言うらしいです。

症状

 バックライトが消耗すると、ちょうど照明用の蛍光灯と同じような症状を起こします。うちで使っているノートパソコンの場合、まず画面の右端が暗くなり、赤みががってきました。そのまま我慢して使っていると、画面が不定期に点滅するようになり、さらにしつこく使っていたら、画面全体が真っ暗になってしまいました。でも、よくよく見ると、液晶の表示そのものが消えているわけではなく、明るさが全体的に暗くなっているだけなのです。このような症状の場合、バックライトの寿命を疑ってもよいようです。

 ちなみに、このような前段階がなく、単に画面が暗くなっただけの場合、バックライトを点灯させるインバータ回路の故障である可能性もあります。ThinkPad の場合、インバータ回路だけの交換も可能で、これも Yahoo! オークションなどに出品されていることもあるし、海外では通販で取り扱っている店もいくつかあるようです。

バックライトの入手

 バックライトは数千円程度で入手することができます。オークションなどでは、千円程度で売っているところもあるようです。バックライトの入手先については、このページなどを参考にしました。

 バックライトの種類は液晶パネルごとに異なるので、元のパネルとまったく同じものを入手するのは難しいようですが、長さと太ささえ合っていれば、実用上はそれほど問題はないようです。長さと太さは、基本的には液晶のサイズで決まるようですが、製品によっては長辺ではなく短辺の方にセットされているものなどもあるようなので、購入する前に液晶パネルを分解して、実物を見て確認するのが一番よいようです。

交換作業

 ドライバーを使ってノートパソコンを一生懸命分解して、半田ごてを使って古い冷陰極管を取り外し、新しい冷陰極管を半田付けします。Thinkpad の場合、レノボのサイトで「保守マニュアル」を公開しているので、これを見ながら作業するとよいでしょう。ただし、液晶パネルから冷陰極管を取り外す方法までは書いてないので、これについては、自分で部品の構造を調べながら作業するしかありません。もっとも、分解方法については、「バックライト、交換」などといったキーワードで検索すれば、参考になるページがたくさん見つかるはずです。 

 組み立ててから電源を入れてみたら点灯しなかった、なんてことになるとガックリくるので、接続した段階で、バラックの状態でもいいから、電源を入れて点灯テストをしたほうがよいでしょう。冷陰極管の両端にはかなり高い電圧がかかっているので、感電しないように注意してください。(ぼくはちょっと触ってしまってビビッとなりました(^^))

 あと、冷陰極管はちょっとの力で簡単に折れてしまうので、力をかけすぎないように注意してください。(ぼくも一本割ってしまいました。予備にもう一本買ってあったので平気でしたが。)

 正常に点灯することを確認したら、冷陰極管を元の通り液晶パネルに取り付けます。ここで適切な位置に取り付けないと、画面が思ったように明るくならないので、この時点でも一度点灯テストをしたほうがよいでしょう。画面が明るく表示されることを確認したら、ノートパソコンを元の通り組み立て直します。

 作業全体についての注意事項としては、ネジをなくさないことと、どこにどのネジが取り付けられていたかを記録しておくことが意外と大事です。(ぼくも2本ほどなくしました(^^))

まとめ

 ドライバーや半田ごてなどの工具代を除けば、かかる費用は数千円程度なので、メーカーのサポートに修理を依頼するようははるかに安くつくでしょう。また、修理完了までの待ち時間が短いのも利点です。

 欠点は、失敗するリスクがあること。保障期間中だったら、メーカーの保証が受けられなくなること。半田付けなどが必要なので、極端に不器用な人には向いていないこと。また、作業する本人の人件費は計算に入れていないので、時給がきわめて高価な人にも向いていないでしょうね (^^)。

 ちなみに、ぼくは一応理科系出身ですが、理学部なので、機械いじりの実習などはほとんどやったことがなく、実質的に中学校の技術家庭で習った程度の知識・技術しかありません。また、極端に不器用ではないかもしれませんが、それほど器用というわけでもありません。

 なお、メーカー修理と自前の修理の中間的な方法として、ショップでの交換サービスという選択もあります。たぶん、メーカー修理ほど高価ではないが、自分でやるよりは信頼性が高い、という感じでしょう。冷陰極管を販売している店には、修理も受け付けているところが多いですし、それ以外の店も、「バックライト交換サービス」などといったキーワードで検索すれば簡単に見つかるはずです。

 最後に、チャレンジする場合にはあくまで自己責任で。ヘタにいじったおかげで、修復不能なダメージを与えてしまったなどということになっても、当方ではまったく責任を負えないので、念の為。

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なぜシステムの修復はこんなに面倒なのか

 ただでさえ忙しいのに、デスクトップとノートブックのシステムが同時に壊れてしまったため、仕事が大渋滞しております。何分低予算で経営しておりますので、バックアック体制が十分でなく、各所にご迷惑をかけてたいへん申し訳ありません。メールの返事が遅いとか、コメントにレスがつかないとかでお怒りの方、どうかしばらくお待ちください<(_ _)>

 というわけで、久しぶりにシステムの再構築などを行ったら、いろいろと思うところがあった。そもそもシステムの再構築というのは、なぜこんなにも面倒なのであろうか。システムの環境に強く依存する設定なら、毎回設定しなおさなくてはならないのもわかるが、どのシステムでも共通なアプリケーションの設定までがレジストリに登録されていて、OSをインストールするたびにアプリケーションまで再インストールしなくてはならないというのは面倒でしかたがない。

 ウチなども、小規模ながらオフィス内 LAN を構築して、そこにデスクトップとノートブックとプリンタとネットワーク・ストレージをぶらさげてあるので、アプリケーションをネットワーク・ストレージにインストールしておけば、即デスクトップでもノートブックでも使えるようになり、デスクトップ側で設定を変更したら、何もしなくてもノートブックでも同じ設定が有効になるようになっていたら、どれほど楽かと思う。

 まあ、ウチなんかはまだいいほうで、日本中や世界各国にあるサテライト・オフィスの間を飛び回りながら、それぞれ別のPCをまったく同じ環境で使いたい人などは、いったいどうしているのかと思う。結局ノートパソコンを持ち歩く以外のソリューションはないのだろうか。

 こういうことがあるから、パフォーマンス的には劣るはずのシン・クライアントがかえって便利だったりするわけで、ブロードバンドが普及したら、アプリケーション・サーバーはみんなインターネット上において、パソコンにはクライアントしかインストールしないような使い方をする人も増えてくるのではなかろうか。セキュリティだって、個人が管理するより、サーバーで集中管理した方がかえってリスクの少ない面もあると思う。インターネットそのままじゃなくてVPNとかだっていいわけだし。

 まあ、こんなことはとっくにみんな考えているんだろうが、おそらく、ライセンスの問題が最大の障害になっているのであろう。ネットワーク・ライセンスとかいうのもあるにはあるが、一人で使うにはバカバカしいほど高価である。 現在のライセンスというのは、情報の世界ではパソコンだけがバーチャルではなくリアルな存在である、という事実に依拠しているわけである。しかし、よく考えると、ユーザーの肉体だってまぎれもなくリアルな存在なのだから、いっそみんな指紋認証にしてしまうというような方法もあると思うのだが。

 デスクトップの方は、障害をピンポイントで解明することができず(またそれだけの時間の余裕もなく)、OS に問題があると読んで、Windows 2000 の in place upgrade というのをやってみたのだが、これが失敗だった。おそらく、Windows 2000 は初期バージョンとサービスパック適用後ではインストーラの仕様が異なっているせいだと思うが、初期設定時に msi ファイルを読み込むところでフリーズするようになってしまったのである。OS のインストール自体が不完全な状態なので、セーフモードでも起動しない。

 かといって、完全上書きインストールもしたくないので、別のパーティションに新しい Windows 2000 をインストールして起動だけはできるようにした、ここからレジストリを修正してやろうと思ってふと気がついたのだが、レジストリ・エディタというのは、現在起動中のシステムのレジストリを編集するツールで、ほかのシステムのレジストリのハイブ・ファイルを直接編集することはできないのだ! これが ini ファイルとかだったら、なんてことはないのに!  

 しかし、方法がないわきゃないだろうと思って、いといろ探してみたところ、regtool とか使えそうなツールがいくつかあった。もう少し時間に余裕ができたら、ゆっくり試してみたい。

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レヴィット、ドーキンス、クルーグマン

 なんと、「ヤバい経済学 」のスティーブン・レヴィットも出てたよ。ホントにためになる番組だなあ (^^)。
 意外とマジメそうな人ですね (^^)。 「悪ガキ教授」って感じじゃないなあ。 前半はヤクの売人が意外と貧乏だという話。後半はチャイルドシートはあんまし役にたたないという話ですね。
  • A child called "it"  児童虐待を受けた子供の自叙伝。「“It(それ)”と呼ばれた子」の題で邦訳あり。
  • Malcolm Gladwell ジャーナリスト。
  • Blink 上記 Gladwell の著書。 人間の直感は短時間で多くのことを把握できる、ということを説いた本であるらしく、おそらくそれに対する皮肉がこもっているのであろう。
  • Karl Rove ブッシュの選挙参謀。
  • THE math 上記カール・ローブは、共和党は 2006 年の選挙に勝てると予想し、その根拠を、自分の計算が THE math (唯一絶対の計算) だからだと主張した。しかし実際には共和党は惨敗した。
  • John Bates Clark Medal ジョン・ベイツ・クラーク賞。アメリカ経済学会が経済学者に与える賞。
 そして、こっちは「利己的な遺伝子 」のドーキンスたん。
 
 でたーっ! スパゲッティ・モンスター教! やっぱレヴィットよりこっちの方が全然面白いぞ (^^)。 当たり前か。神はいないという人だから、保守派をからかうネタとしては最適だよね (^^)。 しかしなんでこの人はパチンコとか知ってるんだろう。アメリカでパチンコそんなに流行ってんの?(^^)
  • Darryl Dawkins (Chocolate Thunder) バスケットボール選手。
  • Stephen Hawking はわかるよね (^^)。車椅子の天才物理学者。
  • Flying Spaghetti Monster インテリジェント・デザイン説を皮肉るために作られた架空の宗教。
  • Thor トール。北欧神話の雷神。 ハンマーを持ってます。
  • Pagan はキリスト教徒から見た異教徒、特に多神教の信者。
  • atheist は無神論者。
  • fornicate 姦淫する。(たぶんわざと固い言葉を使っている。)
  • Bagatelle パチンコに似たイギリスのゲーム。
  • unparsimonious これはいわゆる「節約の法則 (law of parsimony)」に反しているということですね。「オッカムの剃刀」とも言います。「オッカムの剃刀」については、「コンタクト 」という映画を観ればわかるはずです (^^)。

 後半はすっかり、「難しいこと言ってごまかすんじゃねえよお~」みたいなアカンタレ・キャラになってます (^^)。

 最後は、ポール・クルーグマン。

 これも、エコノミストとしてではなく、ニューヨーク・タイムスのコラムニストとしてイラク問題を語るという感じで、かなり盛り上がってますね (^^)。 でも、クルーグマン先生はちょっとあがってるみたいだね。あがってる芸人とはからみたくない、と松ちゃんは言っておりました (^^)。

  • beardie おヒゲさん、という意味。60 年代の「ビート族」という意味もあるらしい。クルーグマンってそんな世代?
  • Mohamed Atta  9.11 の実行犯。
  • co-president 社長なら共同社長というのもあるが、大統領は一人に決まっているので、普通はこういう言葉は使われない。ブッシュはお飾りで実際に政権を動かしているのはチェイニーだ、ということを皮肉っているわけである。
  • WMD 大量破壊兵器のこと。
  • universal negative 全称否定。論理学用語。 「イラクで大量破壊兵器が見つからない」とはいえても、「イラクに大量破壊兵器がない」とは論理的に言えないだろう、というお話。
  • Fields medal フィールズ賞。数学におけるノーベル賞と言われる。

 なんか、コメディ・セントラルの回し者みたいですけど、でもこのシリーズ好きですね (^^)。 コルベアはいかにもビル・オライリーが聞きそうなことを聞いているだけなんだけど、ゲストは別にふざけてるわけではなく、それを承知の上でマジメに応えてる。そこになんかちょっと、ガキの使いの「板尾が来た」をはじめとする一連の擬似ヤラセみたいな、気持ちわるーい面白さがあります (^^)。ウソなんだけど、本当よりも生々しく真実を語ってしまうという。

注: しつこいようですが、この「コルベア・リポート」という番組は、ビル・オライリーがやっている「オライリー・ファクター」という番組のパロディなのです。ホントはこういうこと書きたくないんだけど、そう思って見てもらわないと、誤解を招くかもしれないので。 為念。

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ピーター・シンガーがコルベア・リポートに…

 かの哲学者のピーター・シンガーが「コルベア・リポート」に出たらしくてびっくり。コメディ・セントラルの番組は、ホントに勉強になるね (^^)。
speciesist ですか。それは human being じゃなくて、キリスト教徒もしくは近代人のことじゃないのかなあ?(^^) 少なくとも、虫愛ずる姫君とかナウシカとかは違うんじゃ (^^)。

注: 野暮な解説ですいませんが、この「コルベア・リポート」というのは、ビル・オライリーがやっている「オライリー・ファクター」という番組のパロディなのです。ホントはこういうこと書きたくないんだけど、そう思って見てもらわないと、誤解を招くかもしれないので。

だから、このキャスターなんか○○○だな、と感じたら、それはたぶんビル・オライリーの○○○なところをマネしているんだし、この客はなんでこんな発言で盛り上がっているんだろう、と感じたら、それは、客もビル・オライリーの○○○なところをうまくマネしていると感じたからなのですし、ピーター・シンガーはこんなこと言われてなんでニコニコしているのか、と感じたら、それはピーター・シンガーもコルベアがビル・オライリーのマネをしてることを知ってるからなのです。そこんとこよろしく (^^)。

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70% → 47%

 共和党支持者のイラク戦争支持率が、一ヶ月で 70% → 47% に急落したらしいっす。

(詳しい結果はこちら)

 やっぱ例のレポートが原因なのかなあ。しかし、最近のブッシュさんは、目に見えて落ち込んでますよね (^^)。見てると、ほんとにコイツはただのおっさんだなあとか思っちゃう。ただのおっさんであるオレが言うのもなんだが (^^)。

 関係ないけど、こういう統計データにちゃんと誤差範囲 (margin of error) が書いてあるのはいいよね。日本でもやればいいのに。

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平和主義≠個人主義

 以前、がんばれ、理想主義的平和主義者! というエントリで、ハト派とタカ派に代わるものとして次のような分類を提案したことがあった。
  1. 理想主義的国家主義
  2. 現実的国家主義
  3. 現実的平和主義
  4. 理想主義的平和主義

 このエントリを書いた時点では、こういう枠組みを考えた理由については、まだうまく説明できる自信がなくてお茶を濁しておいたのだが、あれからかなり頭の中が整理されてきたので、今日はがんばってその続編を書いてみよう。 (長いぞ!)

平和主義だって個人を犠牲にすることはある

 そもそも、ぼくがこういうことを考えるきっかけになったのは、日本のハト派の方々に対してずっと感じていた、ある種の違和感だった。その違和感というのは、ハト派の方々は、平和を愛好しているはずなのに、なぜあんなに抑圧的に感じられるのだろうということである。その抑圧感を自己分析しているうちに、その感覚が、彼らが、国家主義=全体主義・平和主義=個人主義という図式を単純に信じていることからくることに気付いた。

 改めて考えてみればわかるが、平和主義と個人主義が両立するということは、決して自明でもなければ、論理的必然でもない。 それはおそらく、全体主義から戦争という、日本がたどって来た歴史的経緯からそう思われてきたにすぎないのである。

 もちろん、世界政府のようなものができて、究極の世界平和が達成されれば、世界の平和と、個人の人権・生命・財産を守ることが両立することは間違いないだろう。しかし、それはあくまで平和主義の理想が完全に実現した状態での話であって、そのような理想状態が実現していない段階では、平和という理想が個人の生命や財産を犠牲にするということだってありうるのである。

 たとえば、先日のレバノン紛争では、レバノン政府はイスラエルの侵攻に対してほとんど抵抗をしなかった。その結果、最終的には国際社会の救援とやらが入ったものの、その間にレバノン人やその財産は大きな被害を被った。レバノンの無抵抗が平和主義の産物かどうかは知らないが、平和主義から完全無抵抗の立場をとった場合でも、そのような犠牲が生まれる可能性があることは容易に推測できる。

 その場合、この犠牲者は、明らかに「平和主義」という「理念」の犠牲になったのであって、これは、個人を超える理念や超主体のために個人を犠牲にしているという点においては、国家主義とまったく同形なのである。例えて言えば、「大和魂」が「平和魂」になったようなものだ。

 でも、戦争をするよりは少ない犠牲で済むだろう、と思う人もいるかもしれない。しかし、そもそも、犠牲を量で判断すること自体が集団主義の論理であることを忘れないで欲しい。犠牲者自身やその家族や友人の立場に立ってみれば、どっか遠くの方で何倍もの犠牲が出たとしても、自分の愛しいその人が助かってくれるほうが、ずっと幸せかもしれないのだ。それを特定の個人より集団内の犠牲が少ない方が価値があると考えること自体が、まさに個人より集団を重視する集団主義の論理に他ならない。

 そう考えると、「国家主義 vs 平和主義」という軸と、「個人主義 vs (個人を超える)理念主義」という軸は、実は互いに独立なものとして考えなくてはならないということがわかるのである。

用語を再定義する

 ここで、もう少し厳密に用語を定義し直しておこう。 ここでいう国家主義と平和主義の違いは、国もしくは国民だけが幸せであれば、他の国はどうなってもよいと考えるか、それとも、全世界もしくは全人類が幸福になれなくてはダメだと考えるかの違いである。

 たとえば先の例で、抵抗しなかったら国民 10 人が犠牲になるが他の国の犠牲者は 0 人、抵抗すれば国民の犠牲は 0 人だが相手国に 100 人の犠牲者が出るとする。ここで前者より後者をとるのが国家主義、後者より前者をとるのが平和主義である。

 個人主義と理念主義の違いは、具体的な個人の人権・生命・財産を守ることにこだわるか、それとも、国家や世界平和といった抽象的な理念を守ることにこだわるかの違いである。

 極端に言えば、国家さえ守れれば国民にどれだけ犠牲が出てもよいと考えるのが理想的国家主義、非武装や非暴力が守れれば市民にどれだけ犠牲が出てもかわまないと考えるのが理想的平和主義である。もちろん、理想が現実化した状態、すなわち、国家を守った結果国民の人権・生命・財産が完全に守られた場合、もしくは、平和主義を守った結果市民の人権・生命・財産が完全に守られた場合には、この両者は一致する。

 日本ではよく、国家主義が現実主義で平和主義が理想主義であるかのように言われるが、実際には、どちらにも理想主義と現実主義がある。日本のハト派の問題点は、むしろ、国家主義については現実主義と理想主義が乖離する可能性を強く認識しているのに、平和主義についてはその可能性をまったく認識していない、もしくは、その現実から目を背けていることなのである。

ハト派は、自らの内なるヒロイズムを自覚せよ

 この無自覚性の原因は、おそらく、冷戦下アメリカの庇護下にあった日本が、平和主義と個人の生命・財産のどちらを選択するかを、シビアに問われるような局面に遭遇しなくてすんでいたからであろう。そして、この無自覚性こそが、ハト派が抑圧的に感じられたり、タカ派への反動が起こったりする原因の一端なのである。

 現在の右傾化の原因としては、よく言われるような、観念的な人たちの個人主義から理念主義へのバックラッシュというのももちろんあるだろうが、もっと普通の庶民たちの、ハト派について行って本当に自分たちの生命・財産が守れるのだろうか、という素朴な疑念があるんだと思う。

 たとえば、ハト派の方々は、北朝鮮問題について発言する際にも、北朝鮮なんて危なくないということをいいたがる。しかし、彼らは、平和主義と個人主義が両立することをアプリオリに信じているので、特に政治的でない一般庶民からすると、その主張も、本当に冷静に国際情勢を分析した結果というよりも、単に自分の平和主義的な主張を正当化するために言っているように見えてしまうのである。

 また、そういう主張をきいた一般庶民が、それで自分の生命・財産が守れるかと疑念を呈したとしても、ハト派は、直接それに答えずに、それはタカ派のプロパガンダだとか、戦争と平和とどっちがいいか、みたいな方向に無理矢理話を持っていってしまうことが多い。これも一般庶民からすれば、自分の生命・財産などという利己的なことよりも、平和という崇高な理念の方がはるかに大事であると言われているように感じてしまう。だから日本のハト派は抑圧的なのである。

 ハト派の方々は、ガンジーでもナウシカでもいいが、平和のために自らを犠牲にした人物に感動したことはないだろうか。もしあるとすれば、それは、ハト派の人の中にも、個人よりも崇高な理念を尊ぶ心情があることの証である。ハト派の方々は、少なくとも、そのことをもっと自覚すべきであろう。

(もちろん、ぼく自身も、「あの子は谷を守ったのじゃ」というババさまの台詞を聞きながらポロポロ涙を流した口なので、安心して欲しい。(^^))

現実政治は、あくまで個人主義に立脚すべきである

  次に問題になるのは、この2つの軸のどちらを重視すべきかということだが、私は、現実政治はあくまで個人主義に立脚すべきだと思っている。

 このブログでも何度か書いたように、私は、個人の人権・生命・財産を超える価値というものを全否定しているわけではない。それどころか、人間が自分個人のためだけに生きることなど、実際には不可能ではないかとすら思っている。しかし、そのような価値は、あくまで個人の主体的な意志で選択されるべきもので、社会や政治権力が、個人に対して、超越的な理念や超主体のために、人権・生命・財産を犠牲にすることを要求することは、決してあってはならないと考える。

 もともと、国家主義も平和主義も、個人の生命・財産を守るための手段だったはずだ。けれども、なんでもそうだが、手段自体が理想化され目的化されると、その手段に本来期待されていた効果が忘れられることになりがちである。その結果、国民を守るための国家主義によって国民が犠牲になったり、世界市民を守るための平和主義によって市民が犠牲になったりするのである。それがまた、他のあらゆる選択肢を検討した上での最善の方法であったならまだしかたがないが、理想主義に目がくらんでいる方々は、そういう検討すらろくにしていないことが多い。

 かつて、非武装中立論とか降伏論とかが流行ったことがある。まあ、今の日本を占領統治するみたいな面倒くさいことを誰がやるのかという気もするが、ぼくはこういう主張をかならずしもまったく荒唐無稽なものだとは思わない。ただ、仮に占領されて皆殺しになるようなことはないとしても、二級市民扱いされることぐらいはあるだろうということは考えて欲しい。

 このような場合にも、そのような屈辱に耐えることが個人にとっても最善の選択であるという主張を説得力を持ってできればよいが、単に平和主義という崇高な理想のためだとしか言えなければ、結局は、パレスチナのインティファーダや、かわぐちかいじが「太陽の黙示録」で書いたような武力闘争に回帰するだけだろう。そのような庶民の生への本能を理想だけで抑えこむことはおそらくできない。

 そのような立場に立って、現在の世界情勢を考えれば、日本の国政にたずさわる者が、国民個人の人権・生命・財産を守るためには、完全な国家主義に立つわけにもいかないし、完全な平和主義に立つわけにもいかないだろう。ときには国家主義的に国家主権を主張し、ときには平和主義的な国際協調を提案するというような、ご都合主義的な政策をとるしかないはずである。

 それは、「国家主義 vs 平和主義」という軸から見ればご都合主義かもしれないが、「個人主義 vs 理念主義」という軸から見れば、国民の人権・生命・財産を守ることを第一義とするという意味において、首尾一貫しているのである。

今のハト派に必要なのは、「手段としての平和主義」

 このように書くと、そんなやり方では人類はいつまでたっても戦争から解放されないとか、お前は所詮戦争を無くすことはできないと考えているニヒリストなのかとか思われるかもしれない。だから念のために書いておくが、ぼく自身はかなり楽天的な人間で、いつかきっと世界政府ができるとかして、人類は戦争から解放されるだろうと、わりと本気で信じている。ただ、現時点の日本においては、平和原理主義的政策をとるのはまだ早いと思っているだけである。

 たとえば、かの織田信長が東京ガスの CM のように現代にタイムトリップしてきて、未来の日本では民主主義という素晴らしい社会システムが機能していることを知ったとしよう。ここで戦国時代に帰った織田信長は、民主主義運動を始めるべきかと言えば、そんなことはないだろう。戦国時代の日本で民主主義が機能する確率はきわめて低く、為政者がそのような政策をとることは民衆を苦しませるだけであろう。しかし、そのことは民主主義という思想自体が間違っていることを意味しない。

 平和だってそうであって、平和は人々が願いさえすれば実現するというようなものでは残念ながらない。もちろん、だからと言って、なんの努力もしないでほっといても実現するものでもないので、平和を願わないよりは願った方がいいに決まっているが。

 何が理想主義的で何が現実的かは、時代や状況によって変化するので、未来において平和主義を実現するためには、理想を現実化するための方法を模索することは常に必要である。その意味で、平和を理想主義的に追求する人たちももちろん必要であり、ぼくはそういう方々への敬意も惜しまないつもりだ。ただ、現実の国政を動かす人たちが、個人の人権・生命・財産を省みず、平和主義の理想だけで突っ走るような人ではまずいだろうというだけである。

 近年の右傾化の流れの中で、それに反発するハト派の方々は、ますます先鋭化し理想主義的に純化して、狭いカルトに閉じこもりがちであるように見えるが、これでは、ハト派はますます一般庶民の支持を失って敵を増やすだけだろう。ましてや、ハト派同士の些細な主張の違いでウチゲバをやったりするのは最悪だ。むしろ、今のハト派に必要なのは、理想主義的に純化することではなく、個人の人権・生命・財産を守るための「手段としての平和主義」を具体的に説得力をもって主張することである。

 この稿では、理想主義的なハト派の方々ばかりに文句をつけるかたちになったが、まったく同じことが、個人より国家を優先する理想主義的な国家主義者の方々についても当てはまることは、言うまでもない。ただ、ぼく個人ははっきり言って心情的にはタカ派よりはハト派の方に親近感があるので、最近ぱっとしないハト派の方々に、少々辛口のエールを送ったつもりである。

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「議論してもいいか」という変な議論

 しばらく前に、○○○について議論していいかいけないか、という変な議論が流行ってましたよね。「Will」の中でも、何人かの論客が、これは言論封殺だ、とか言って怒ってるんだけど、それは変じゃないかなあ。

 だいたい、言論の自由という原則からすれば、そんなの議論していいに決まってますよね (^^)。でも、議論してはいけない、と言っている人たちだって、別に口で言ってるだけなんだから、その「議論してはいけない」という発言だって、言論の自由からすればしていいに決まってるじゃないですか (^^)。だから、お互いに言論の自由を行使してるだけの話だと思うんだけど (^^)。

 これがまた、加藤某氏みたいに、家でも焼かれたんなら話は別ですよ。そういう、言論以外の暴力的な手段に訴えられたんなら、それは言論封殺と言えるかもしれません。でも、たかが反対意見を言われたり、メディアで発言する機会が少なかったぐらいで、何が言論封殺だか (^^)。

 そんなことを言えば、左翼やハト派の人たちだって、そんな発言をするだけで北朝鮮や中国を利することになるからそんな発言はやめろ、みたいなことはしょっちゅう言われているし、その思想のおかげで明らかにメディアへの露出が減ったりしてるんだから、お互い様だと思うんですけどね (^^)。

 大臣の職にある者が、その発言に対して責任をとわれるのも、単なる職責の問題で、言論の自由とは関係ない話ですよね。政治家同士が議論するのもそうで、その議論がどんな影響を及ぼしたかについて、有権者が判断して責任をとらせるのは当然の話でしょう。逆に、一般市民が議論していいとかいけないとかいうことについては、大臣に指図される方がおかしいしね。だから、変な議論だなあと思った (^^)。本当に議論したいなら、自らの職や政治生命や名誉をかけてでも、堂々と議論すればいいだけの話でしょ? 違うかなあ?

 議論が盛り上がらなかった本当の原因は、ハト派や左派だけじゃなくて、保守派でも親米派は○○○に反対の人が多いからでしょ? それを言論封殺だとか言ってしまうのも、なんかカルト的な臭いがしてしまうんだけど (^^)。

 あと、「Will」には○○三原則の「持ち込ませない」だけは変えるべきだみたいな意見が結構多かったけど、これもあまりピンとこなかった。だって、「持ち込ませない」をやめたからって、金正日さんがいきなり、「○○三原則が変わったから、今度入港する軍艦には○○○が搭載されているかもしれないぞ。気をつけろ」とか思うか (^^)? そんなことないと思うんだよね~。だとすれば、少なくとも対北朝鮮については意味のない政策だと思うんですけどねえ (^^)。 表面的には○○国家の体裁を維持しつつ、実質的には抑止力を行使できるというのは、外交的にはきわめて都合のよい状態ではないかと思うのですが。タカ派のみなさんはそうは思わないのかなあ (^^)。

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Real SuperPass にアルジャジーラ英語版登場!

 前から加入してときどき見ていた Real SuperPass Europe のチャンネルに、いつの間にか、例のアルジャジーラの英語版が追加されていたので、早速チェック。

 調べてみると、イギリス版、オランダ版、イタリア版、フランス版、スペイン版、ドイツ版など、ヨーロッパのエディションにはだいたい同じように追加されているようですね。 一方、よく読めないけど、アジア太平洋版、中国版、韓国版、香港版、台湾版、ラテンアメリカ版、ブラジル版などには追加されていないようです。もちろん、アメリカ版にも (^^)。 このへん、ヨーロッパとアメリカの意識の違いが垣間見えるような気がして面白いですね (^^)。

 ちょっと見た感じだと、演出とか構成とかは、かなり CNN International や BBC World を意識しているみたいで(音楽なんか、ほとんど日本のテレビ番組の中で著作権問題を回避するためにでっちあげた曲みたいで笑ってしまうが (^^))逆に言えば、欧米のメディアを見慣れている人にとって、それほど違和感なく視聴できるようになっているようです。

 一方、取り上げる主題は CNN や BBC とは大違い。コンゴの選挙、レバノンの反政府運動、ベトナムの台風、フィジーのクーデターなど、欧米や日本のメディアではあまり大きく扱われないニュースをバンバンやっています。これははっきり言って面白い。

 たまたま、NASA で働いていてスター・トレックの宇宙船の名前にまでなったという、エジプト人の地質学者 Farouk El-Baz という人のインタビューをやってたんですけど、アラブ人が NASA で働いていて差別されませんでしたかみたいな質問をされると、「そこは実力されあればそれなりに評価されるのがアメリカのいいところ」みたいに、アメリカに行って成功した日本人と同じようなことを言ってたのがおかしかったです。こういうのを見ると、まだまだ普遍主義にも希望はあるなと思いますね (^^)。

 英語に関しても、少なくともメインのキャスターの方々はわりと聴き取りやすい英語で話す人が多いですね。現地リポーターや討論会のコメンテータなどは、ちょっと訛っていてぼくなんかには聞き取りづらい人も多いですが。

 というわけで、反米派の人や欧米のメディアを信用できない人にはお勧めです (^^)。これを見る人が増えたら、欧米の世論形成にもかなり影響を与えるんじゃないですかねえ。アメリカ人はハナからあまり見る気がないようですが (^^)。

 あと、調べてみると、Real SuperPass のほか VDC とか JumpTV などのアグリゲータ・サイト経由でも視聴できるようですね。 アグリゲータというのは、既存のテレビチャンネルを集積してインターネット上で公開するサイトのこと。

 VDC は、アメリカ国内の放送を中心としたアグリゲータで、視聴もアメリカ国内に限定されているようです。CBS とか NBC のサイトと同様、IP アドレスの所在地チェックがかかります。 

 JumpTV については今回初めて知ったのですが、アジア、アフリカ、ラテンアメリカといった非西欧圏の放送が低価格で視聴できる、なかなか便利そうなサイトです。イラクやイランの英語放送局もあるので、そのうち機会があれば見てみようと思います。

 しかし、ホリエモン騒動からほんの 1 年あまりの間に、「通信と放送の融合」が着実に進行しておりますね。アメリカでは自社サイトはもちろん、iTMS や Amazon などでも番組が買えるようになったし、日本でも Gyao や Yahoo! は相当視聴者を増やしたでしょう。ついでに言えば、日本での TOB の件数も過去最大を記録したとのこと。

 「放送と通信の融合なんて無理」とか「TOB は日本の企業文化に合わない」とか言っていた方々に、この事態をいったいどー説明すんのかと聞いてみたいような気もしますね。もっとも、当時そう言っていた人と今「放送と通信の融合」や TOB を推進している人たちが同一人物である保証もないので、そういう大人気ないことはやめておきますが (^^)

 まあ、時代状況の変化を鋭敏に察知して、それに応じた戦略をとるというのは、経営者として優秀な証拠であって別に恥ずべきことではないと思うんです。むしろ、自分の信念にこだわったせいで時代からとりのこされ、会社をつぶしてしまい、多くのステークホルダーに迷惑をかける方が、経営者としては恥でしょう。

 だから、口ではいくら反発していても、時代状況が変わればこうなるだろうというのは、別に大方の予想通りなんだよね。だからこそ、別にたいした信念もないくせに、誰かさんの意を受けててきとーなコメントをしている方々にはぼくもムカついたわけですが (^^)。ホリエモンにもうちょっとマトモな倫理観があれば、こういう連中をのさばらせなくてすんだかもしれないのになあ (^^)。まあいいや。 みなさんせいぜいお稼ぎくださいませ。

追記: 偶然ですが、現在発売中の「クーリエ・ジャポン」の 12.21 号に、「英語版アルジャジーラのアンカーマンはユダヤ系米国人」という記事が載っていました。なかなか面白い記事です。

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筑紫哲也vsホリエモンにびっくり!

 報ステから何気なく News23 に切り替えたら、ホリエモンが生でしゃべっていてびっくり。もっとも、昨日のサンプロに出たという話は聞いてはいた。風邪で寝込んでいたので観てないけど。

 さらに、ホリエモンがしゃべっていることがまた、あまりにも具体性がないのでびっくり。もっとも、具体的なことをしゃべってしまえば、お前何も知らないとかいいながら結構知ってるやんけ~、ということになるのだから、しゃべれないのも無理はないが (^^)。

 じゃあなんで出てきたのか、と言うと、これはもう一部の人の同情を買うためとしか思えない。言ってることがほとんどカルトの教祖みたいで、これはもう完全に、具体的な事実を検討する能力には欠けていて、信じるか信じないかだけで物事を決めるような「信者」向けのメッセージであろう。こいつほんとに、なんかカルトみたいなの作る気じゃないか? (^^)

 さらに、筑紫さんのツッコミがあまりに甘いのでびっくり。もっとも、こういう質問をするなら出演しない、みたいな事前の協議があったのかもしれないが、それにしても(<-これ、筑紫さんの口癖)、こんなにホリエモンの言いたい放題を垂れ流したら、またオウムの時みたいに非難されやしないかと、他人事ながら心配になった (^^)。

 あと、先入観抜きに見ても、ホリエモンの発言は質が落ちているよね。たぶん、ブレーンが変わったか、いなくなったんだろうね。誰が入れ知恵してたんだろう。別にどーでもいいけど (^^)。 それとも、わざとバカだと思わせるという高度な作戦なのかな? 裁判に勝てさえすればバカと思われてもいい企業家というのも、ど~かと思うが (^^)。

追記: コンビニで見かけた「日経エンタテイメント」で「2006 年ヒット総まくり」という特集をやっていたので、つい買ってしまう。こういう、リアルタイムで情報を追っていない人間でも知ったかぶりができてしまうような企画は、ぼく大好きです (^^)。「06 年に離婚した主なカップル」でいしだ壱成とTAKUYAの相手が匿名になっているのは素人だからいいとして、平松愛里さんの相手まで「音楽プロデューサー」になっているのが気になりました。これって清水信之さんでしょ? みんな知ってるし、たぶん本人達も隠してないと思うのですが。。。(^^)。信之さんは昔キーボード・マガジンかなんかに連載してて、愛読してたんですよね。ベイビーフェイスとか紹介してて、べんきょーになりました。

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ブリの写真

 例のブリちゃんが大事なものを家に忘れてきたとことろ激写されたという写真を発見 (^^)。

 18 歳以上で猥褻なものに不快感を示さない人だけクリックしてもいいかも (^^)。

 パリスたんの影響なんだって。どんな影響やねん (^^)。

 しかし、被写体の固有名詞がブリちゃんでさえなければ、「だからなんだ」って感じの写真だよね。それとも、ぼくの感覚がいい加減麻痺しちゃってるのかなあ…(^^)

 まあ、少なくとも、「パリの一夜」とか何とか言うプライベート・ビデオが堂々と発売されちゃってるパリスたんに比べりゃ、どってことないよなあ (^^)。

おまけ: 「かわいそうなブリちゃんに愛の手を!」

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うっすい音の気持ちよさ

こんにちは またあした  コトリンゴさんのデビューCD「こんにちは またあした」がようやく届きまして、早速はまっております。いや~、こんなに音楽にはまったのは久しぶりかも。

 そもそも曲のセンスがすっごくいいのですが、アレンジもけっこう新しいのではないかと思います。なんていうか、音圧の大きい音がほとんど入ってなくて、その分、すっごくうすい音がいっぱい入ってるのね。そこが面白い。

 間奏のところで入ってくるフワフワしたシンセの音とかも、それ自体はありがちなパターンなんだけど、その音量が聴こえるか聴こえないかみたいな微妙なバランスになってるところがいいんだね。それが曲調にもコトリンゴさんのつぶやくような声にもすごく合ってる。他にも、ちっちゃな鈴がころがるような音とか、てんぷら油がはじけるような音とか、よーく聴かないと聴こえないようなノイズがいっぱい入っていて、それもすごく気持ちいい。

 普通、こういう音を入れる場合には、「うるさくて他の音を邪魔するほどじゃないけど、はっきりと聴こえる」というバランスを目指すものなんだと思うんだけど、この CD の場合、どの音も「聴こうと思えば聴こえるけど、決してはっきりは聴こえない」というバランスになってるんですよね。その感覚が結構新しいと思うし、たぶん現代的な感覚なんだと思う。

 もう一つ気づいたのは、どの音も残響のないデッドな音だということ。サンプリング音なんかは、残響があったほうが現実感があるのですが、そういうサンプリング音までデッドに録音されている。だから、おそらく、最初から他の音と分離して聴こえるのではなく、他の音と混ざり合って溶け込んで聴こえるような音響を意図してるんでしょうね。 (ただ、ときどき星がまたたくみたいに一瞬だけ足の長いリバーブがかかることがあって、それがまた美しいんだよね。)

 ミキシングは教授と Fernando Aponte 氏ですが、「こんにちは またあしたのミキシングがいかにデッドかは、同じコンビが担当している教授の「CASA」と聞き比べると一目瞭然ですね。このアルバムも、アコースティック楽器中心のアルバムにしてはデッドですが、ちゃんとリバーブがかかっています。「こんにちは またあしたのデッドさが意図的であることは間違いないでしょう。

 つまり、この曲は、スタイルだけ見ると、アコースティックなピアノの弾き語りみたいに見えるんだけど、音作りは自体はエレクトロニカなんかの音作りに近いんですね。80 年代に、ネオアコという、テクノを通過した耳で改めてアコースティックな音楽をやるという感じのムーブメントがあったんだけど、ちょっとそれに似た感じかも。

 そう言えば、ネオアコのアーティストの一人と言われることもあった遊佐未森さんが最近作った「ブーゲンビリア」というアルバムでは、遊佐さんのブレーンである外間隆史氏がカリントロニカというスローガンを掲げていましたね。あれは必ずしも成功したとはいいがたいけど、ひょっとしたら外間さんもこういう音楽がやりたかったのかもしれないとちょっと思いました。音楽のスタイル的にはエレクトロニカとは言えないけど、音作りの精神としてはエレクトロニカ的なものを継承していると思う。

 だから、ちょっと聴いただけだと、なんか声量のない女の子がピアノの弾き語りをしてるだけに聴こえるかもしれないけど、実はかなり現代的で新しい音なのではないかと思います。

 考えてみると、こういうアレンジが成立するのも、おそらくデジタル時代なればこそなんでしょうね。だって、こんなノイズ、アナログ・レコードだったらダストノイズに埋もれてしまうでしょうからね。デジタル音源からヘッドホンで音楽を聴くというスタイルに合ったアレンジなんですよね。

 そう言えば、90 年代になって、妙ににバスドラやベースの低音を強調したポップスが流行ったけど、考えてみると、あれもおそらくデジタル化が原因の一つなんでしょうね。アナログレコードでああいうふうに低音を強調しても、すぐ共振してしまうから、よっぽど高級なステレオを持ってる人じゃないと、音像のぼやけたもわっとした音になってしまう。それが、デジタル時代になって誰でも簡単に音像のかっちりした音を聴けるようになったこととパラレルなんでしょう。

 う~ん、なんか話がそれてしまったけど、なんか久しぶりに新鮮な音楽を聴いたという感じがしました。ぼくはしばらくこのCDにはまりそうです (^^)。

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