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内藤朝雄@マル激

  マル激内藤朝雄氏のイジメ論を視聴。意外とぼくの考えに近かったので、特にここに書くほどの感想はありませんでした。「仲良くよくしろと言うのをやめろ」と書いたときには、誤解を招くかもと思ったのですが、イジメの専門家も同じようなことを考えているらしいので安心ですね (^^)。

 念の為補足すると、「仲良くしない」というのは、何も喧嘩をしろと言ってるわけではまったくなくて、暴力で他人に何かを強制しないというような社会人としての最低限のルールは守るし、学校という機能集団が本来の機能を果たすための最低限の協力もするのです。つまり、実験や実習で同じ班になったときとか、体育で同じチームになったときとかは、たとえ仲が悪い同士でも協力するし、できれば、朝晩の挨拶ぐらいもするのです。ただ、自由時間や放課後に誰とおしゃべりし誰と遊ぶか、というようなことは、決して強制しないというだけのことです。

 もちろん、それだと誰とも遊んでもらえない子も出てくるかもしれませんが、この場合には、その子はイジメられているのではなく、純粋に他の子に好かれていないというだけですからね (^^)。これは、オトナの世界だって同じことで、一次会には誘われても、二次会三次会には誘われない人とかいるでしょ。あれはイジメとまでは言えないですからね。

 逆に言えば、このように、自分の自由意志で友だちを選ぶのが当然という状態において、はじめて、イジメという行為自体が自己目的化しているのではなく、純粋に他の子から好かれていないだけということがはっきりするわけです。そうなれば、好かれないのはその子自身にも原因があるかもしれない、ということも言えるかもしれない (^^)。

 もちろん、他人に好かれない、ということ自体は必ずしも「悪」とは言えないので、そうなったときにどうするかも、最終的には本人の選択です。しかしもちろん、本当に自分がつき合う価値があると思っている人に付き合ってもらえないときに、自分の意志で自己変革に向かうというのも、悪いことであるはずがありません。

 いじめる側に立って考えてみても、不快や人間と付き合うことを強制されるからこそ、その不快さをさけるために、その人間に私的な「罰」を与えたり、その人間を「いじる」ことによって不快さを笑いに転換しなくてはならなくなったり、ということもあるはずなんですね。だから、仲良くすることを強制するのをやめれば、そういう行為の必要もなくなるはずなんです。

 このように、お互いが自由意志で付き合うということを前提とすれば、サービス精神であえて道化キャラを演じたり、それを「いじって」あげたり「つっこんで」あげたりするということも、むしろ、本来相性の悪い人間同士を結びつけるための知恵としてみることもできるでしょう。

 そういうことをすべてひっくるめて、「自分の付き合う相手は個人の自由な意志で決めるという原則」を徹底することが、すべての鍵ではないかと思うわけです。

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