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「イジメられっ子は悪くない」が…

 最近のいじめに関する議論を読んでいると、「いじめは悪い」派と「いじめられる方も悪い」派の両極端に分かれているところが気になります。以前は「いじめられる方も悪い」派がわりと優勢だった記憶があって、それに比べれば議論が健全になったとは言えると思うのですが、今度はちょっと逆の極端にふれすぎてる気もするのですね。

 たとえば、泥棒に入る方と入られる方では、泥棒に入る方が悪いに決まっていますが、だからと言って、みんな鍵を閉めなくていいということにはならないでしょう? 「誰も鍵を閉めなくても泥棒に入られないのが理想の社会なのだから、鍵を閉めろなんてことは絶対に言うべきじゃない」なんていう主張は、極論だと思う人が多いはずなんですよね。でも、昨今のいじめに関する議論は、それに近いものになってないでしょうか。

 もちろん、いじめる方といじめられる方では、どんな理由があるにせよ、いじめる方が「悪い」に決まっています。先生も見てみぬフリをしている同級生も、止めさせられるものなら止めさせた方がいいに決まっています。

 でも、いじめる奴が悪いとか見てみぬフリをする奴が悪いとか言ってればいじめがなくなるんなら、とっくになくなってるはずだと思うんですよ。だから、それはそれとして、やっぱり子供にもいじめと闘う最低限の方法ぐらいは身につけさせる努力をした方がよいと思うのです。結局は、それがいじめを減らす最も効果的な抑止力にもなるだろうし、自殺したりする子供を減らすことにもなるでしょう。それは、従来の家庭観からすれば、親の役割ということになるんでしょうけど。

 ここで大事なのは、「悪い」のはあくまでいじめる方であっていじめられているわが子ではない、という態度を崩さないことです。安易に「自分にも悪いところあるんじゃないの」みたいなことを言ってはいけません。人間には誰しも欠点があるものであって、それはいじめを正当化化する理由には決してならないのですから。でも、世の中に出てもそういういやな奴はたくさんいるのだから、今のうちにそういう奴らと闘う方法は覚えておいた方がいいと思うんだけど。少しがんばってみない? という感じで言うべきだと思います。

 もちろん、その後も定期的に状況の変化や子供の精神状態をモニタして、精神的にへしおれそうになっていると思えばフォローし、いじめの域をこえて犯罪みたいになっていればしかるべきところに訴えるというように、適切なアフターケアをする必要があります。

 ただ、こういうことを言われてすぐに納得するような親なら、言われる前からマトモな対処をしているはずなので、実際には、こういう主張をすることによって救われるのもごく一部の子供でしかないんですよね。そう考えると、やはり、先生とは独立した権限を持ったカウンセラーを導入するといった制度的な対策も必要ではないかと思います。

 あと、某有名人の痴漢事件があったときに、女子高生があんな短いスカートをはいているのが悪いと言って叩かれてた人がいましたけど、あれも同じような話だと思うのね。もちろん、どんな短いスカートをはいていようが、痴漢する方が「悪い」に決まってるんだけど、それはそれとして、やっぱり女子高生のスカートは短すぎるだろ、という批判はあっていいはずであってね。ぼくもよくしてる主張だけど (^^)。

 まあなんか、いろんな意味で極論の流行る世の中だな、と思います。 


(以下、mixi の投稿から転載)

いや、ぼくはわりと同感ですけど (^^)。ただ、支配・被支配の関係を基盤としている、というより、正統化されない支配・被支配の関係を作り出そうとする行為、と言った方が正しような気がしますけど。

つまり、教師は確かに生徒に対して権力を持ってますけど、この権力が、正統化された範囲で正しく行使されている分には、別にイジメにはならないわけでしょう。

授業中の私語をやめさせるとか、遅刻した生徒を叱るとかいうのは、教師の職務を遂行するために与えられた正統な権限の行使であって、その範囲を守っていればイジメにはなりませんよね。

ところが、自分の気に食わない生徒は内申書の点を悪くしてやろうみたいな教師がいると、生徒は本来必要もないのにその教師の機嫌をとらなくてはならなくなるわけで、こういうのがまさに、正統化されない支配・被支配の関係を作り出そうとする行為であり、イジメそのものだと思うのです。

生徒同士の関係でもそうで、本来生徒同士の間には正統な権力関係はないはずですよね。そこに腕力の差とか人気の差とかによって権力関係を作り出そうとするのがイジメだと思うんです。

したがって、「移動」によって関係を解消するという方法ももちろん、そういう正統化されない権力を無化する一つの方法ではあるんですが、それだけが唯一の方法ではないと思うんですね。

たとえば、「シカト」みたいな関係性攻撃が、なぜイジメの手段として機能するかといえば、イジメられる方にも相手と仲良くしたいという気持ちがあるからなんですよね。だから、そんなバカなことをするアホとは付き合う必要がない、と割り切れれば、別に無視されたって平気なはずなんですよ。

つまり、民主的な社会における権力というのは、相互承認によってのみ正統化されるわけですから、当事者の一方が承認しなければ無化できるはずなんですよね。

だから、ぼくが前から言っているのは、親とか教師とかが子供に「仲良くしなさい」と言うのをやめたらどうかということなんです。

だって、自由な社会において、個人が誰と仲良くし誰とは仲良くしないかということは、個人の自由意志で決めてよいことのはずなんですよ。それを、「仲良くしなくてはならない」という命令にしてしまうからこそ、意図的に仲良くしないことが関係性攻撃として機能してしまうわけでしょう。

もちろん、暴力とかカツアゲとかはまた別の話で、こういうのはれっきとした犯罪ですから、法律にしたがって処罰すればいいだけの話ですよね。

会社の場合でも、上司が部下を評価する権限をもつこと自体は正統ですよね。たとえ、その評価がときに間違っていたとしても、意図的なものでなければ、必ずしもそこに不当な権力があるということにはならない。

問題なのは、その評価権限を、自分の私的な権力を強化するために不当に利用するということですよね。たとえば、ゴルフに付き合わないとか引越しの手伝いに来ないとかいう理由で、考課を悪くするとか。

そういう意味で、成果主義というのは、そういう不当な裁量を紛れ込ませにくくする一つの方法ではあるけれども、それもやはり唯一の方法ではない、というように思いますね。

(ぼくは、完全な成果主義というのは、企業のリスクヘッジ機能を無化しまうのであまり意味がないと思っています。)

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