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サウスパーク・マトリックス

 めっちゃよくできてるね。これ。

 なんかかわいいなあ (^^)。

 リローデッドもあるでよ (^^)。

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がんばれマイケル

 マイケル・J・フォックスがこの CM のせいでラッシュ・リンボーとかにイジメられてるんだそうだ。

 まあ、ぼくはもともとプロ・ライフ派でもないし、ES 細胞が倫理的にどうこういう主張にもあまり共感していないのだが。

 どっちにしろ、相手がラッシュ・リンボーじゃねえ、とか言っちゃおしまいか (^^)。

 マイケルは相変わらず童顔ですね。あんまり痛々しくなく、わりと元気そうでよかった。

 その後の CBS のインタビューも発見。これは CBS が自分でアップロードしてるから、著作権的にも無問題です (^^)。

 なんか胸を打たれますね。あ、オレはこういう芸風ではなかったのだが (^^)。

(ノーカット完全版を見たい方はこちら。別のビデオの中で言ってたけど、このケイティ・クーリックのお父さんもパーキンソン病なんだって。)

 「マネしてる」ってのはこれのことね。

 イヤなやっちゃな~ (^^)。ビル・オライリーがみょーに中立的なコメントをしていて変だと思っていたのだが (^^)、さすがにかばいきれなかったんだろうね (^^)。(つまり、中立でも十分かばっている (^^))


 検索してみたら、日本語ではあまりこのニュースを扱ったページがないようなので、背景を簡単に解説しときますね。

 まず、マイケル・J・フォックスさんというのは、言わずと知れた「バック・トゥ・ザ・フューチャー」で有名な俳優さんなのですが、若くしてパーキンソン病にかかってしまったんですね。それで、パーキンソン病の治療研究を精力的に支援するようになって、財団までつくっちゃった。さらに、最近話題の胚性幹細胞(ES 細胞)というのが、パーキンソン病の治療にも役立つかもしれないというので、その研究も支援しようとしたわけです。

(注:ビデオの中では stem cell と言っているが、厳密には、stem cell だけだと単なる「幹細胞」であり、embryonic stem cell で「胚性幹細胞」になる。)

 ところが、この ES 細胞というのは、人間の受精卵から取り出さなくてはならない(そうしなくても済む方法も研究されているが)ので、妊娠中絶とかにも反対している、共和党支持層・保守派・宗教右派・プロライフ派の一部からするとじょーだんじゃないということで、州法などで研究を禁止しようとする政治家も出てきた。そこで、マイケルは ES 細胞の研究を支持する民主党候補の CM に出演したんですね。

(注:マイケルは別に党派的な人ではなく、ES 細胞の研究を支持する共和党の候補も支援している。)

 それに噛み付いたのが、右翼的な過激発言で人気を博している、ラジオ・ディスクジョッキーのラッシュ・リンボーさんというわけ。

 ところが、リンボーさんも、単に ES 細胞の研究を批判するだけならまだよかったんでしょうが、この CM のマイケルは、わざと薬を飲まないとかして、意図的に同情を買おうとする演技をしているんだなんて言っちゃって、あまつさえ、マイケルが震えているしぐさのマネまでしちゃったからさーたいへん。ということですな。簡単に言えば (^^)。

 ちなみに、ビル・オライリーさんというのは、保守的な発言で有名なニュース・キャスターで、悪名高いフォックス・ニュース・チャンネルでホストをしてる人です。

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コミュニティの力?

 なんか今度は、某テレビ局の未成年アナウンサーが吊るし上げられたりしてるらしいですね~ (^^)。

 よく、かつては地域共同体の相互監視によってモラルを維持していたが、地域共同体の崩壊によって、そういう秩序も崩壊した、みたいなことが言われますけど、ひょっとして、「インターネット・コミュニティ」 がその代わりの役を果たすようになったりして (^^)。「ご近所に顔向けできない」だったのが「ネットで晒される」になっちゃうという (^^)。

 今はネットのカキコが晒されるぐらいだけど、防犯用のウェブカムとかがもっと普及したら、一日中それを眺めていて、タバコのポイ捨てつかするヤツを見つけると、即座にスナップショットを撮って晒す、みたいなヤツ出てきそうだよね (^^)。

 そうなると、なんかそういうのをシステム化する人も出てきそうだよね。ウェブカムを設置するだけなら簡単だけど、監視するには人件費がかかるから、特定の人を貼り付ける代わりに、ストリームを一般公開しちゃって、通報してくれた人には誰でも賞金を出す、みたいにしちゃうの (^^)。 そうすると、ヒマな人が余った時間を使ってバイト感覚で通報に精を出すようになる (^^)。

 オーウェリアン・ディストピアみたいな集中監視は現実的には不可能だとかよく言われるけど、こういう一般市民による自律分散的相互監視だったら可能なんじゃない? それはそれで怖いけど (^^)。これを筒井的ディストピアとでも名づけて世界に広めるか (^^)。

 地域コミュニティとインターネット・コミュニティの違いは、馴れ合いになりにくいことかなあ。地域コミュニティでは、人間同士いろんな関係で複雑につながっているから、あっちで世話になっているからこっちは大目に見ようみたいなことになるけど、インターネット・コミュニティは情報だけのつながりだから、ある程度杓子定規にならざるおえないでしょうね。

 あ~、今日はなんか考えがまとまらないので、垂れ流しですんません。。。

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プロ野球の存在意義

プロ野球の存在意義は、その街の人々の暮らしが少し彩られたり、単調な生活がちょっとだけ豊かになることに他ならない。

 いいなあ。謙虚さと責任感の微妙なバランスをわかっていないと、こういう発言はできませんよね。

 こういう発言を自然にできる人、好きです (^^)。

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モーニングビック対談

 「モーニングビック対談」って面白いことは面白いんですけど、三宅さんと生瀬さんがやってた「ワークパラダイス」とかぶってません? とかいったら松ちゃん怒るかなあ (^^)。でも、「働くおっさん劇場」はすごいですね。

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脅しだ脅し

 これもフィッシングだからね~。気をつけてね~。




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イライラ

  • right angle - 正しい角度
  • segment of a circle - 円の線分
  • not generally possible - 基本的に不可能

 このド素人がぁ~、こんなんで金とっていいと思ってんのかっ! やめてしまえっ!

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ラジオ局はじめました

 ついに Last.fm の有料会員になってしまったので、ぼくの好きな曲ばっかりかかる「俺様ラジオ」を一応公開してみます。そんなもん誰が聴くか~という声が耳に浮かびますが ^_^;。

追記:

 Last.fm Pandora.com の比較については、すでに言い尽くされていて、あまり付け加えることはないですね。確かにパンドラはすごいと思うけど、やっぱり人力では限界があるので、曲調分析をなんらかの方法で自動化した方がよいのではないかと思う。

 もちろん、サウンドファイルを直接分析するのはかなり技術的に難しいだろうが、幸いなことに、現在ではカラオケ用の MIDI データというものが相当な量蓄積されているはずであり、これを使えば分析もかなり簡単になるはず (^^)。

 これはぼくが以前から考えていたアイデアなのだが、この歳になると、隠しておいて後で何かに利用してやろうなどという野心もだんだんなくなってきたので、ここに書いてしまうことにする。とっくに誰か同じことを考えて実現しているかもしれないし (^^)。

 あの、言語学の研究に使われるコーパスってあるでしょ。あの音楽バージョンを作ったらどうかと思うの。もちろん、言語コーパスで使われるコンコーダンサーのようなツールも作って、特定のメロディ、リズム、コード進行などを検索したり、どのようなパターンがよく使われるかの統計をとったりできるようにする。

 そうすると何がよいか。まず音楽の研究に役立つはず。これは言語コーパスと同じこと。どのようなメロディやコード進行が最もよく使われるか、その使用頻度が時代その他の属性によってどう変わるか、など簡単に調べることができるようになる。

 また、アーティストにとっても役立つはず。これは棋士が将棋の棋譜データベースを使うのと同じこと。卑近な例としては、盗作疑惑を避けるためにも使えるし、逆に、既存のパターンのあえて逆をいくための研究にも使える。

 先に書いたとおり、サウンドファイルを直接解析するのは技術的になかなかたいへんなのだが、幸いなことに、音楽業界にはすでに MIDI ファイルというかなり抽象化された形式のファイルがあり、データの蓄積も十分である。これを利用しない手はないと思うのだが。

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憎いし苦痛

 そ、それは気づかんかった。ま、まけた orz。

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高橋悠治と安倍晋三の共通点とは

 Amazon で高橋悠治さんの「クセナキス:ピアノ作品集(紙ジャケット仕様)」の「関連商品」を見ていたら、最後の最後に、安倍晋三さんの「美しい国」が出てきたので、思いっきりズッコケてしまった。。。

 高橋悠治と安倍晋三にいったいどんな接点があんのよ? と思って Google で検索してみたら、「9 月 21 日が誕生日の人」だって (^^)。

 まあ、世の中には、批判目的で本を買う人もいるからなあ。ぼくはぜったいそんな面倒くさいことしないけど (^^)。だからこそ、読みたくもないつまらない本を心ならずも読まされてしまったときには、怒りのレビューを書いてしまったりもするわけですが。。。

 もっとも、つまらない本ならつまらないなりに 5 分で読み飛ばしてきっちり一行コメントを言う、みたいな人の方が、ホントは出世するんだよね (^^)。そういう才能を持って生まれたかったという気もしないでもないような気もしないでもないような、まあ、たいしてどうでもいいか (^^)。 

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どこが 90 年代じゃ

 70 年代の間違いでしょう (^^)。そういう間違いを平気でされると、こっちがすっごい年寄りみたいな気がしてくるんでやめてくれぃ (^^)。

だいたい、このへんの曲は、当時としてもちょっとレトロ気味だったのよん。ニューミュージック・ブームが始まったのが 70 年代ですから。

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西洋音楽史―「クラシック」の黄昏

西洋音楽史―「クラシック」の黄昏 「西洋音楽史―「クラシック」の黄昏」岡田暁生著

 この本の特長は、著者自身が前書きで書いている通りです。つまり、バロックから印象派、バッハからドビュッシーまでが「クラシック」だと思っている、いわゆる「ふつーのクラシックファン」を対象として、「クラシック」の歴史については時代性や地域性によって相対化し、その前後の歴史については、「クラシック」との関連付けによって語った本です。そのもくろみは完全に成功していて、私程度の「ふつーのクラシックファン」にとって、極めて読みやすい本になっています。

 たとえば、バロック時代の音楽界をカトリック文化圏とプロテスタント文化圏に分けることによってバッハを反主流派に位置づけたり、古典派とロマン派の違いをフランス革命以後の社会の大衆化と結びつけたり、印象派とマーラー・シェーンベルクとの違いをフランス音楽とドイツ音楽の違いとして整理したりするところなんかは、音楽史を音楽だけの歴史としてとらえてきた人にとっては新鮮なんじゃないでしょうか。

 バロック以前の音楽についても、当初はグレゴリオ聖歌をアレンジするための副旋律にすぎなかったものが、だんだん副旋律の方がメインになっていって、グレゴリオ聖歌の方は単なる「口実」として申し訳程度になっていく、という過程の説明などはたいへん興味深いです。

 現代音楽については、いわゆる「ゲンダイオンガク」だけを西洋音楽の正統な継承者としてとらえるのではなく、前衛的なゲンダイオンガク、古典的なクラッシック、アングロサクソン系のポップスという 3 つの流れをまとめて西洋音楽の末裔ととらえるべきであると主張していて、これもうなずけます。

 もちろん、この本のアプローチはあくまで一つの方法にすぎず、特に細かい楽理のことなんかについては柴田南雄さんの「西洋音楽史―印象派以後」ような音楽家の方が書かれた本の方が面白いと思いますが、西洋音楽史の入門書としては、多くの方に勧められる本じゃないでしょうか。

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坂東某に捧ぐ

これ、ホントに放送できたんかい (^^)。

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YouTube 買収記念

 ネタとしては古いんだけど、なんか無性に貼りたくなったので。。。(^^)

日本ではやってないですよねえ、この CM。

ついでにこの「拒食症セレブギャラリー」もご紹介。よくできてるね。一瞬本物かと思っちゃったよ (^^)。

(シャーリーズ・セロンはこれでもけっこうイケてませんか?)

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「夢」ってほんとに個人のためのものなの

 いつもいい加減なことを書いている私ですが、今回書くのはいつもに増していい加減な思いつきで、細かい検証はまったくなされていません。そのつもりでお読みください。

 前にも書いたような気がするんだけど、普通、マジメに勉強していい学校に入って、というような人生プランは、堅実で実直みたいに言われるんだけど、よく考えると違うんじゃないかと思うのね。

 なぜかというと、こういう行動プランっていうのは、コストとリターンの関係が比例関係ではなくて、支払ったコストの総額を上回るリターンを得られるまでにずいぶん時間がかかるんですよね。しかも、そのリターンも必ず得られるとは限らない。

 もちろん、小学生の国語や算数みたいな勉強だったら、わりとすぐ実用になるけれども、高等数学とか哲学とかの勉強がなんらかの利益に結びつくまではすごく時間がかかるし、最終的に利益に結びつかないまま終わることも多いですよね。そういう専門知識を活用できる職業について高収入を得られるのは、一部の人だけですから。

 つまり、こういう行動プランっていうのは、腹が減ったからメシを食う、みたいな行動プランにくらべると、実はかなりハイリスク・ハイリターンなんです。

 そうするとね、単に個人の選好順序とか効用関数に人生プランをまかせていると、リスク・テイカーしかマジメに勉強しないということになるはずなんだよね (^^)。ところが、それでは社会全体にとっては困ることになるんだなあ。

 人材というのを一種の資産とみなすと、企業とか社会全体とかは、人材という資産のポートフォリオだと考えることができますね。そうすると、世の中の人材がローリスク・ローリターンの人材ばっかだと、社会的には最適なポートフォリオを組みづらくなっちゃうわけです。

 したがって、社会全体でリスクとリターンのバランスをとるためには、ハイリスク・ハイリターンの人材を一定量確保する、つまり、リスク・ヘッジャーがそういうハイリスク・ハイリターンの人材になることを選択するように仕向けるような、なんらかの仕組みが必要になってくるはずなんです。

 そう考えると、実は、高度経済成長時代の学歴信仰にも、そういう社会的な意味があったんじゃないかと思うのね。あの当時は、大学の勉強なんてムダなことばっかりだみたいな論調が多かったけど、実は、そういう無駄な勉強をたくさんやってる奴を社会的に高く評価することによって、社会全体の活力を維持していたんじゃないかという。

 また、格差社会の問題なんかにしても、負け組をなくす、という発想より、負け組でもいいじゃないか、という発想の方が正しいような気がするんです (^^)。もっと身も蓋もない言い方をすると、負け組を無理に勝ち組にするよりも、負け組を負け組のままたくさんかかえておくことの方が社会全体にとっては利益になるので、リスクの大きい人生プランをけしかけるかわりに、失敗したときのリスクは、社会全体でシェアしましょうということじゃないでしょうか (^^)。だから、なくすべきなのは負け組の存在そのものではなく、負け組差別である。 負け組がいてくれるからこそ社会が豊かになるのだから、生活保護ぐらいでガタガタ言うんじゃねえと (^^)。

 だから、ぼくがいまいちわからないのは、なんでエコノミストの人とかが完全雇用にこだわるのかということなんだよね。失業者がいっぱいいても、社会保障でセーフティネットをはればいいんだという発想の方が、社会全体としてはより最適化された状態なんじゃないかという気がするんですけど。そうすると、社会保障の水準とかも、実は、社会全体のリスク選好との兼ね合いで決めるべきなんじゃないかという気もするんですが。まあそこまで行くと与太話としてもシャレにならないので、いい加減にしときますけど (^^)。

 あと、これも前に言ったような気がするけど、成果主義とか自己責任とかをやりすぎると、個人はどんどんリスクをとらない方向に動機付けられるので、結局社会全体のリターンも縮小してしまうんですよね。もともと、社会とか企業とかは個人のリスクヘッジのためにあるわけですから。

 前にこのブログでも、一部の人の「夢」に対する行き過ぎたこだわりを揶揄したことがあったんですけど、実は、夢を大事にするという思想も、個人のためではなくて社会のための思想なんじゃないのかなあ、という気がするんですよね。もっとも、そういう思想が人類の遺伝子レベルに組み込まれているとすれば、やっぱり個人のためでもあるということになるんだけれども (^^)。

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Platform Shoes

 欧米のメディアがキム・ジョンイルを紹介するときに、必ず Platform Shoes を愛用している、とか言うのがおかしくてたまらん (^^)。おっと、でも笑い事じゃないですよね。

 早速、日本も核保有する危険があるとか言われてますね。 (あんまりおおっぴらには言われないけど、日本の保守派が原発にこだわる理由の一つはこれなんだろうね (^^))。

 なんか、8 番目の核保有国といってる人と、9 番目の核保有国といってる人がいるみたいだけど、その違いはイランを入れるか入れないかなあ? まさか、イスラエルじゃないよねえ (^^)。

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iTunes のバグ

 iTunes のバグを発見してしまった。インターネットの CDDB  から自動取得したトラック名の中に、特殊な文字が含まれていると、MP3 変換しようとしてもできなくて、

「選択したすべての曲を変換できませんでした。書き込みが禁止されているか、タイプが間違っています。」

というメッセージが表示されるようです。もちろん、このメッセージはうそメッセージで、実際にはトラック名を修正するだけで変換できるようになります。

変換できないトラック名の例:

  • XIX-Je dors mais mon cœur veille, Lent

これは、メシアンの「みどり児イエスに注ぐ二十のまなざし」 の第 19 曲「我は眠る、されど我が心は目覚め」 の原題ですが、「œ」 というリガチャ(0x9c)がダメみたいです。

  • Stravinsky • Le sacre du printemps - Petrouchka

これは、ストラヴィンスキーの「ペトルーシュカ」と「春の祭典」が収録された CD のタイトルなんですが、この「•」(0x95)がダメみたいです。

 ようするに、ASCII の 7 bit に入りきらない拡張 ASCII コードの特殊文字があるとダメっぽいですね (^^)。 でも、半角カナはいいみたいだから、シフト JIS で漢字とぶつかるところがダメなんでしょう、多分。こういう文字は、日本語環境からは入力しにくい文字なんで、このバグもあまり顕在化しなかったんでしょうね (^^)。

 おそらく、トラック名やアルバム名を元に MP3 ファイル名を作成したときに、Windows では扱えないファイル名になってしまうせいでしょうが、当然ながらそういう文字コードはプログラムでチェックしてはじくべきです。

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プラネットアースといやいやえん

アトランティス  一部で評判らしい「プラネット・アース」を今日初めて見ましたが、いいですね。コンセプト的には、リュック・ベッソンの「アトランティス」みたいな感じかな。従来型のテレビ・ドキュメンタリーというのは、基本的に事実の希求力に依存していて、映像の美しさとかはつけたしなんだけど、この作品では、映像美の方に主眼があるのね。だから、映像のクオリティとか、どういうカットをどんな順番でつなぐかとかに、すごく神経を使っている。

 そのカットのつなぎ方も、論理的なつなぎ方じゃないのね。一般的なドキュメンタリーは、説明したい事実が先にあって、その事実を説明するためにはどういうふうにカットをつなげばよいか、という発想で作られるので、カットのつなぎ方も論理的・説明的になる。でもこの作品では、もっと感覚的なつなぎ方をしている。今回は一応「草原」というのが基本テーマになっているんだけど、それも「草つながり」という感じのゆるい枠組みでしかない。

 まあこういう現象は、ドキュメンタリーだけのことじゃないかもしれないですね。フィクションの娯楽映画の世界でも、昔は論理的にカットを構成していくのが普通だったのを、もっと生理的・感覚的な次元で構成して成功したのが宮崎駿とかリュック・ベッソンとかいう人たちだったわけで、そういう現象とある意味パラレルなのかもしれないです。

いやいやえん―童話  今回で一番印象的だったのは、やっぱりゾウ対ライオンの対決ですね (^^)。ぼくはこれを観て、「ぐりとぐら」で有名な中川李枝子さんの「いやいやえん」という絵本を思いだしてしまいました。この絵本の中に、子供たちが積み木で船をつくってくじらとりに行く、というエピソードがあるんだけど、船が完成したときに、船の名前をどうするかで喧嘩になっちゃうの。動物の中で一番強いのはゾウだから「ゾウ」という名前がいい、という子供と、いやライオンの方が強いから「ライオン」がいいという子供の間で。それで結局「ぞうとらいおん丸」とかいう名前になるんです (^^)。

 子供の頃はなんとなく、ライオンの方が肉食だから強いんだろうと思っていたんだけど、やっぱり一対一だとゾウに勝てないんだね。まあ、何トンもあるゾウの体重を支えている足で「ゾウキック」とかされたら痛そうだもんね。ストンピングとかされた日にゃ、内臓破裂で即死だろうし (^^)。

(そういう長年の疑問を解決してくれたシーンですが、撮影するのは大変だったらしいです。ライオンがゾウを狙うのは、夜中に水場に来たときなんだけど、灯りがあるところには近寄ってこない。そこで、赤外線ライトを照明にして赤外線カメラで撮影する。赤外線は動物だけでなく人間にも見えないから、撮影する方もモニター越しでないと真っ暗闇で何にも見えない状態。その状態でライオンがうろつきまわる中をじっと待ち続けるわけですね。決定的瞬間を捉えるまでには1年以上かかったとか。)

(あと、リュック・ベッソンの「アトランティス」を観る方は、ある程度大きな画面のディスプレイで見ることをお勧めします。ぼくも最初映画館で見たときは結構感動したんですが、後でレンタルビデオで見直したときはぜんぜんよくなくて、なんでだろうと考えていて気づいたんですけど、15 インチぐらいのちっちゃい画面で観てたせいなんですね。だからこれはもともとそういう映画なんです。)

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訛り吹き替え

 英語圏のテレビを見ていて気になることの一つが、英語以外の言語を英語に吹き替えたときの英語が、必ずと言っていいほど訛っていることです。たとえば、元の言葉がフランス語ならフランス語訛りの英語に、ドイツ語ならドイツ語訛りの英語になってるわけ。日本のテレビ局ではこんなことやんないですよね。中国人の台詞を「○○あるヨ」と吹き替えたり、韓国人の言葉を「○○ニダ」と吹き替えたりしたら、差別だとか言われかねないでしょう。なぜ英語圏ではこれが普通になっているのか、機会があれば調べてみたいです。

 なぜ突然こんなことを思い出したかというと、昨日テレビで「エアフォース・ワン」を見ていたら、ゲイリー・オールドマンがなんか訛った英語をしゃべっていたから。たしか、「レオン」や「フィフス・エレメント」ではあんな訛ってなかったから、わざとやってるんでしょうね。そのせいか、切れっぷりが「レオン」ほどではなかったような気がするんだけど (^^)。

 しかし、「エアフォース・ワン」はどうなんでしょうねえ (^^)。インターネットで検索してみると、アメリカ万歳的なところはともかく、エンターテイメントとしてはそこそこ面白いみたいな評価が多いんだけど、エンターテイメントとしても演出が散漫ではないかなあ。

 たとえば、事務やってるような太ったおばさんがパラシュートで飛び降りるときに、なんの躊躇もしないなんてことはありえないでしょ。そこで、怖がっているのをなんとかなだめすかして飛ばせる、みたいな演出がなぜないのか。あるいは、大統領からファックスが届いたのを見てニヤリとするみたいなシーンはなぜないのか。給油機やエアフォース・ワンの盾になって死んだ戦闘機のパイロットにも、実は娘がいて、みたいな演出はなぜないのか。最後に大統領がワイヤーで移動するところだって、人間ドラマとしては葛藤があって一番おいしいところなのに、裏切り者を出して誤魔化しちゃうし。

 結局、この映画が追っかけてるのは、大統領(とその家族)が助かるか助からないかだけで、あとははっきし言ってどーでもいいわけね。演出がそうなっとる (^^)。だからゲーム的にストーリーをなぞるだけで終わっていて、あんましふくらみがないんだよね。これをエンターテイメントとしては面白い、といってしまうのは、エンターテイメントをなめた発言ではないかなあ (^^)。

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コトリンゴさんのレビューについて

 コトリンゴさんというアーティストについては、教授が DJ をやっている Radio Sakamoto という番組のポッドキャストで知ったのですが、その中で聴いた「にちよ待ち」という曲がすごく気に入ったんですよね。

 だもんで、月桂冠の CM 画面の右下に「♪コトリンゴ」と書いてあるのを見たときには、反射的にインターネット検索をして、「こんにちは またあした(紙ジャケット仕様)」を予約注文してしまったのでした (^^)。

 それで気になったのですが、このレビューには「坂本龍一さんの伴奏はもちろんなんですが」と書いてあるんですが、ほんとにこのピアノは教授が弾いてるのでしょうか? だって彼女は、バークリーのピアノ演奏科出身なんですよ。もし違っていたら、彼女に対して失礼だと思うので、一応疑問を呈しておきます。誰かちゃんと調べといてくださいね (^^)。

追記: 公式ページを見ると、「Music and Arranged by kotringo」って書いてあるし、リリース・コメントにも「 『こんにちは またあした』では坂本さんに一番最後のシンセのピコピコ音を即興で弾いてくださいました。」(関係ないけど、かかり受けがおかしいね、この文(^^))と書いてあるので、それ以外のところは全部自分で弾いてんじゃないのかなあ。

 最近のインターネットは、なんか思い込みだけで書いたガセネタが多いからなあ。推量なら推量でもいいけど、それならちゃんと推量形を使って書けよと私は言いたい (^^)。「きっこの日記」とかもそうだぞ。なんで西澤孝と「F」を間違えたのか、ちゃんと説明責任を果たしなさい。

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エロコト

エロコト 2006年 11月号 [雑誌]  坂本龍一編集、「エロい女は、その存在そのものがエコである。」がキャッチフレーズの「エロコト」という雑誌をコンビニの女性誌のコーナーで発見。中を見ると、大人のオモチャの写真とかもバンバン載ってんだけど、成人雑誌コーナーじゃなくていいんだろうか (^^)。

 これからの世の中は、エロスがもっと積極的に表現されるだろうし、されるべきだ、ということは、ぼくも前から思ってたし、このブログのどっかにも書いたはずなので、問題意識としては近いかもしれない。と言っても、今さら性の解放とかタブーの消滅とかフリーセックスとかそんなことを言ってるんではなくて、あくまで表現の問題なので、お間違えのないよう (^^)。

 大雑把に言うと、伝統社会というのは、どこでどのように性を表現し、どこでどのように性行為を行うべきかというのがだいたい決まっていたと思うんだよね。それが、性の解放によって、性行為も性の表現も個人の自由ということになった。その結果、本来は異性のコミニュケーションの手段だったはずの性の表現が、性行為と切り離されて独立した商品として流通するようになり、逆に、コミニュケーションとしてのエロをいつどこでどのように表現すべきかという文化とかスキルとかが失われてしまった、というのが現状だと思うの。だから、現代という時代に合ったエロスの表現を再構築しよう、ということじゃないかな。

 表現で重要なのは TPO だから、逆に、学校や職場みたいなところでは、意味もなくお色気を出さないで欲しいんですよね。特に女子高生は、むやみと短いスカートをはくのをやめてほしい。まあ、ぼく自身はあんまり女子高生とかと遭遇しない生活をしているからいいけど、男子高校生とか高校の先生とかはかわいそうだよね。ぼくが今の時代に高校生だったら、絶対欲求不満でおかしくなって何かよからぬことをしてたと思うんだけど (^^)。

(なんか、そういうときの説教も偽善的で、自分は興味ないけどはしたないからやめなさいとか、逆に、自分は本当は見たいんだけど規則だからやめなさいとか言ったりするでしょ。そうじゃなくて、男はみんなスケベで劣情を催してしまうからやめなさい、って素直に言えばいいと思うんだよね。それが一番合理的かつ説得的な説明でしょう (^^)。)

 でも、この雑誌を作ってる人たちが、そこまで自覚的なのかどうかはよくわかんないですね。性行為を奨励してんのか、性の表現を奨励してるのかも不分明だし。単に、「ソトコト」を読むようなマジメっぽい子たちをもっとスケベにしよう、というあざとい陰謀のような気もしないでもない (^^)。

 しかし、最近の教授はドスケベさを隠さなくなりましたね (^^)。なんかこの雑誌も、自分のドスケベさを正当化するためにやってるような気もしないでもないけど。 でもマジメな話、教授みたいにスケベな人って、案外少ないんだと思うんですよね。特に男はスケベ自慢したがるから (^^)、実態がわかりずらいところあるけど。ほんと、みんながみんな教授みたいにスケベになれると思ったら、その考えは甘いと思うぞ (^^)。

 そういう意味では、エロい表現というのは、スケベでない人にもやさしくなくちゃいけないと思うのね。でないと、単なる 60 年代的なオブセッションと変わらなくなっちゃうから (^^)。そのへんにもっと自覚的であってほしいと、個人的には思います。

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ごめんよ、ジョージ・クルーニー

 ちょっと古い記事だけど、ガーディアンはワシントン・ポストとほとんど正反対のこと言ってますね。

 (この表題はもちとん、「ダルフールに最終的に必要なのは西側の軍隊だ」ではなくて「ダルフールに西側の軍隊を送るのは最後の手段だ」ってことですね (^^)。)


Sorry George Clooney, but the last thing Darfur needs is western troops

The Guardian
19 Sep 2006


 スーダンの西部地方にあるダルフールに国連軍を送り込むことを求める、最近の運動の盛り上がりの周囲には、偽善とは言わないまでも、非現実的な雰囲気が漂っている。俳優ジョージ・クルーニーは、国連の安全保障理事会の壇上に上がり行動を訴えた。トニー・ブレアも、この問題に飛びついて他の EU 指導者に手紙を出した。世界の多くの都市では、迫りくる大量虐殺を警告する抗議団体によって、「世界ダルフールの日」が開催された。けれども、イラクやアフガニスタンへの介入によって痛い目に合った西側の政府が、またさらに別のイスラム国家に対して軍事力を行使するなどということが、本当に可能だろうか。

 西側の団体は、ハルツーム政権を転覆させる運動を長いこと続けてきた。アメリカのキリスト教右派や親イスラエル派の人々は、この政権をイスラム原理主義政権であると主張していた。人権擁護運動家は、奴隷制の問題をとりあげ、アラブ人の略奪者は、政府の支援を受けながら、日常的にアフリカ人を誘拐して、生きた所有物として利用していることを示唆していた。クリントン政権は、かつてウサマ・ビンラディンがそこに住んでいたという理由で、スーダンをテロ支援国家として挙げていた。

 このような背景に鑑みれば、3 年前にダルフールで内戦が勃発したときに、公平な報道を期待することは最初から困難であった。この地域には、さまざまな部族や地域の対立が渦巻き、政府側に立つ者と反政府側に立つ者が入り混じっているにもかかわらず、農民と遊牧民とを敵対関係に追い込んだ不平不満は、アラブ人対アフリカ人という単純すぎる図式で紹介されたのである。

 非対称の戦争でありがちなように、反乱軍の攻撃に対するスーダン政府の実力行使が、過剰反応だったことは確かである。ハルツームによって組織され武装された、ジャンジャウィードと呼ばれる民兵組織は、一般市民とゲリラ戦士の区別をしなかった。彼らは、小屋を燃やし、女性を犯し、何万もの一般市民をチャド国境の外側やダルフール内の難民キャンプに強制的に追いやった。けれども、実際には反乱軍も残虐行為を行っていたのである。この事実は、編集者の多くが好む白黒はっきしりた単純な倫理観を揺るがすので、ほとんど報告されていないが。

 多くの戦争では、政府側は情報操作を行い、メディアは真実を追究する(ことが多い)。ところが、ダルフール問題についてはこの逆であり、各国政府の方がより真実をつかんでいるのに、メディアが情報操作を行ったのだ。ダルフールでの殺人を大量虐殺として描こうとする努力にもかかわらず、この説には国連も EU も同調しなかった。これは、彼らの道徳的な視野が狭いためではなく、残虐な内戦と、意図的な民族浄化政策の違いを理解していたからだ。ダルフールは、ルワンダではないのだ。アメリカだけは、この大量虐殺説を受け入れたようだが、それは、説得されたというより国内のロビー運動に譲歩しただけだろう。国際法のもとでダルフールに強制的に介入するには、実際に大量虐殺が発覚することが必要なので、ワシントンが実際に介入に乗り出すことは決してなかった。

 その代わり、アメリカは、西側政府がアフリカ連合(AU)にハルツームと反乱軍の間の和平会談を仲介させることを支援した。この努力は、5 月に作成された、ジャンジャウィードが反乱軍より先に武装解除するという合意に実を結んだ。この合意はさらに、反乱軍の指導者たちに、この地域を自ら統治する権限を与えていた。なのになんということか、反乱軍うち 2 つのグループは、この調印を拒んだのである。したがって、公平なレポートはすべて、この夏の戦争再燃の責任のほとんどは、政治指導者がエリトレアの首都アスマラの安全地帯で口げんかをしている間に、戦場指令官が派閥に分裂してしまった反乱軍の方にあるとしている。

 彼らが、和平協定の条件が不十分だったと主張することには、正当な理由があるかもしれない。難民家族の中には、ハルツームは金銭的な補償を払うべきだと言う者もいる。また、この和平協定には強制手段がないので、村に戻って再建しようとする人々を守ることができないだろうと言う者もいる。しかし、正しい対応は、戦争を再開することではなく、さらに対話を続けることである。アフリカや西側の外交家は、反乱軍に再考を求めようとしているが、反乱軍同士の確執にうんざりしている。ダルフールについてのブレアの手紙にしても、ほとんどのメディアが事態を一方的にしか見ようとしていないにもかかわらず、反乱軍とハルツームの両方に圧力をかけること求めるように注意を払っている。

 ダルフールに国際平和監視団を派遣して、キャンプの避難民を保護することは不可欠であった。 2 年前、ハルツーム政府はこれを受け入れ、AU が 7,000人の軍隊を配備することを認めた。けれども、今年の初めになって、AU は資金やヘリコプターその他の装備不足のため、西側政府と歩調を合わせて、国連に主導権を引き継ぐことを求めるようになった。これこそが、今現在、議論すべき点である。西側でスーダンに軍隊を派遣したい国など、どこにもないのだ。レバノンへの国連軍の増援が行われるまでには何週もかかったし、アフガニスタンでは、NATO 諸国のほとんどが、失敗しつつある戦争に軍隊を送ることを躊躇している。実際には、たとえ国連軍を送ったとしても、現在の AU 軍にインドやバングラデシュあたりからの増援を加えただけのものになるだろう。

 つまり、国連介入を求めて騒いでいる者たちが実際に論じているのは、バッチを付け替えることに過ぎないのである。AU の軍隊にアフリカの問題を処理させることには、象徴的、文化的、政治的な価値がある。アフリカ各国政府は能力以上の負担を強いられているが、国連には、部隊を派遣した政府に助成金を出すための確立されたシステムがある。皮肉なことに、アメリカは強硬な措置を求めているにもかかわらず、ブッシュによる AU への資金提供の要請を拒絶したのは米議会であった。

 残虐行為に関与した罪で、国際法廷にスーダンの指導者たちを告発するという試みについてはどうだろうか。スーダンの大統領オマル・アル・バシールが、国連軍の派遣を阻止した理由の一つは、自分の逮捕を恐れたからだと言われている。オマル大統領は、たとえ国連軍の 9 割がアフリカ人だったとしても、その中に、自分とダルフール出身の副大統領を捉えよという西側の命を受けた逮捕部隊が含まれている可能性があると考えるかもしれない。そのため、ハルツームに国連軍の受け入れを求めた先日の安全保障理事会の決議では、国際裁判に言及することを注意深く避けているし、先週の EU 声明もまた同様である。

 実際には、今週の国連協議の結論は、現在のアフリカ連合軍でも新しい国連軍でもなく、その中間の妥協案になる可能性がある。その結果、アフリカ人が指揮する AU 軍であるが、国連の委任を受け安全保障理事会に対する責任を持つ部隊になるかもしれない。その派遣部隊にはアフリカ人以外の人が含まれるかもしれないが、その権限は現在のものとほとんど変わらないものになるだろう。これは、たった数日の奮闘の結果としては、賢明な結論であろう。

 もちろん、疑念は至る所に残っている。ハルツーム政権はアメリカに裏切られたと感じているだろう。ハルツームでは、イスラム法を無視して南部の分離独立のための住民投票を行うという和平協定が実現すれば、アメリカの制裁が解かれるだろうと期待していた。なぜなら、その結果できた新政府は挙国一致の政府であり、その中には南部のキリスト教徒や非イスラム教徒も含まれているので、ハルツームが原理主義者やイスラム教徒の政権ではないことを証明することができるだろうと思っていたからだ。テロリズムに関しては、この 10 年の間、ワシントンは何の証拠も提示できていない。

 その間も、ハルツーム政府は、反乱軍の村に対する無差別爆撃や過度の実力行使をやめていないと、ハルツーム・ウォッチャーの多くは疑っている。けれども、AU であろうが国連であろうが、外国の平和維持軍が、ダルフールの広大な地形全体を監視することは不可能である。スーダンの司令官たちの規律は、スーダン政府自身が維持する必要があるのだ。とは言え、AU 軍を拡大するという折衷案は、国連軍という名前になるかどうかにかわらわず、最善の選択肢である。「何かしなくては」派は怒るだろうが、スーダンにハルツームの同意なしで外国の軍隊を派遣すれば、悲惨以外のなにものでもない結果になるだろう。


 きりのいいところがなかったので、全訳になってしまった (^^)。ガーディアンは、実際には一方的な虐殺ではなく内戦なのだと言ってますね。まあ、ぼくなんかもダルフールについて知ったのは BBC とかだったりするから、マスコミにバイアスがかかっていると言われると、とくに反論できる材料はないんだよね (^^)。まあ、いろいろ情報をつき合わせて分析した方がよいんでしょうね、こういう問題は。

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ヨーロッパ人を救ったわれわれが、なぜアフリカ人を救わないのか?

 ダルフール問題に関するワシントン・ポスト紙の社説を部分訳。

We Saved Europeans. Why Not Africans?

The Washington Post
02 Oct 2006

 この外交的なドタバタの中で見失われているのは現実性だ。第一に、アメリカが仲介したダルフールとの和平協定は、調印される可能性はほとんどなく、もはや無効であるということ。第二に、スーダンはダルフールでの殺人を止めるという公使との約束を、すべて破っているということ。第三に、スーダンに対する国連決議は、中国が同意しそうにないということ。中国は、原油の 7 パーセントはスーダンに負っており、また中国には、アメリカは、スーダンの問題より、イランや北朝鮮の問題で中国の協力を得ることを優先するだろう、という読みがあるはず。第四に、もはや制裁では間に合わないということ。もし中国が奇跡的に妥協したとしても、制裁の効果が現れるまでには数ヶ月はかかるだろう。そしてその頃には、スーダンはダルフールでの二度目の大量虐殺を終えているだろう。

 けれども、ハルツーム(スーダンの首都)が理解できる言葉が一つだけあることを、歴史が証明している。それは、確実な脅威、すなわち実力行使である。 2001 年 9 月 11 日の直後、ブッシュ大統領がテロリストをかくまう国に対して警告を行ったとき、スーダンは、1998 年のアメリカによるハルツーム空爆を思い出したのか、突然テロ対策に協力し始めたではないか。今こそ、スーダンに対してふたたび強硬に出るときである。

 アメリカは、すみやかな外交的協議の後、1 週間以内に無条件で国連軍の配備を受け入れなければ軍事的解決策をとる、という国連決議を強く求め、スーダンに最後通牒を突きつけるべきである。この決議は、国連加盟国による単独もしくは集団での強制を正統化するものとなり、国際社会は、スーダンが態度を軟化するまで軍事的圧力を加え続けることになる。

 アメリカは、できれば NATO の協力とアフリカの政治的な支持のもとに、スーダンの飛行場、飛行機などの軍備を叩く。この攻撃により、スーダンが原油を輸出するポートスーダンを封鎖することができるだろう。その後、アメリカおよび NATO の支援のもと、必要があれば強制的に国連軍を配備する。

 もし国連の支持を得ることに失敗したら、アメリカは国連の支持なしでも行動するべきである。不可能だと思う人もいるかもしれないが、そんなことはない。1999 年のコソボでは、アメリカは国連の承認を受けることなく、より小規模な人道的な危機(約一万人が殺害)とより手ごわい敵と闘うために行動したではないか。あのときアメリカは、NATO の支援をうけつつ、スロボダン・ミロシェビッチが不本意ながらも同意するまで、セルビアの軍事目標を空爆した。この戦闘で死亡したアメリカ人は、ただの一人もいなかった。多くの国はアメリカが国際法に違反したといって抗議したが、その後国連はコソボを統治するために監視団を配備し、事実上 NATO の武力行使を遡って正統化した。

 そんなことは、現在の世界情勢では考えられないと思う人もいるかもしれない。確かに、国際世論は 1999 年ほど寛大ではなくなった。イラク戦争や捕虜虐待のスキャンダルは、他国に対し、アメリカの動機や正当性に対する疑念を植えつけた。その中には、今後、特にイスラム政権に対する、アメリカのいかなる武力行使にも反対しようとする者もいる。たとえそれが、純粋に一般市民のイスラム教徒に対する大量虐殺を止めさせるためであってもである。また、スーダンは、ダルフールにアフリカ人以外の軍隊が来れば、アルカイダの攻撃を受けるだろうと脅している。スーダンは、長期間にわたってウサマ・ビンラディンやその会社を受けいれてきたので、これもありえないことではない。しかし、この上アメリカが他の国からのテロリズムによる抑止を許せば、とんでもない前例をつくることになる。大量虐殺を目の前にしてそんなことを許せば、単に臆病だというだけでなく、人道に反する。

 また、米軍にはこれ以上の任務は無理だ、と主張する者もいるだろう。確かに、アメリカの地上軍は、戦線を広げすぎている。けれども、空爆作戦や海上封鎖の負担がかかるのは、比較的余力のある空軍や海軍であるし、近くのジブチにいる 1,500 人のアメリカ兵を活用することも可能だ。

 また、国連や関係する地域団体の同意がなければ、アメリカは国際法に違反することになると主張する者もいるだろう。そうかもしれない。しかし、安全保障理事会は最近、「保護する責任」を定める新しい国際基準を成文化した。この基準では、大量虐殺や人道に反する罪を平和的な手段で止めさせることに失敗したときに、国連加盟国に対し、強制を含む断固たる行動をとることを求めている。

 この大量虐殺は、もう 3 年も続いており、平和的な手段はすでに失敗している。スーダン政府は、二回目の虐殺を始めようと手薬煉をひいている。真の問題は、アメリカは、ヨーロッパ人を救うためにコソボでやったように、アフリカ人を救うためにダルフールで軍事力を行使するべきか、ということなのである。


 アフリカ関連のニュースは情報量が少ないので、たまに調べるといろいろ勉強になります。恥ずかしながら、中国が原油の 7% をスーダンに負っているなんてことも知らなかったですね。「保護する責任」なんて言葉も知らなかった。これは今後の国際社会の重要なキーワードになるかもしれませんね。

 しかし、もしこの記事にあるとおり、中国が国連決議を拒否し、アメリカや NATO が単独で行動したら、日本は、あるいは、われわれ個人は、それを支持すべきなのか。悩ましい問題ですね。もしこれを支持すれば、イラク戦争は国連決議を経ていないからダメだ、という主張をしていた人は論理整合性を失い、単なるご都合主義になりかねない。かと言って支持しなければ、どうやって大虐殺を止めるのかという深刻な問題をつきつけられる。少なくとも、その現実から目を背けるべきではないと思います。

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武満徹-没後 10 年、鳴り響く音楽

武満徹 「武満徹

 「KAWADE 道の手帖」というシリーズの武満特集。収録された文章の半分ぐらいが再録なので、本格的なマニアに受けるかどうかは疑問ですが、ぼく程度のファンにとっては結構面白かったです。

 珍しく武満さんの映画音楽にスポットを当てた青山真治さんと大友良英さんの対談とか、武満さんが微妙に空回りしてるのが微笑ましいデビッド・シルビアンとの対談とかが読みどころかな。佐々木敦さんや大谷能生さんなど、いわゆるクラッシック畑でない人の論考がフィーチャーされているのもなかなか興味深いです。

 高橋悠治さん(これも再録だけど)は相変わらず皮肉っぽいこと書いてますね。おそらく、この本のなかでも最も武満さんの音楽の本質に鋭く切り込んだ論評なんだろうけど、ぼくは高橋さん自身の音楽の理想がどこにあるのか、いまいちわからないので、なんとなく、実現性があるかどうかもわからない陽炎のような理想に照らして人をクサしてるような気もするんですが、どうなんでしょう (^^)。

 まあ、武満さんにしても、かつて「武満徹をぶっ殺せ」というビラを配って歩いたという坂本龍一にしても、能書きも多いけど、能書きの何倍も行動する人でもあったわけで、それこそが、ぼくが彼らを愛する点でもあるのです。

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