« 愛動物心、あるいは、公然動物虐待 | トップページ | P2Pと「インフラただ乗り」 »

「文章読本さん江」さん江

    文章読本さん江」斎藤 美奈子

    文章読本さん江 この本は、谷崎潤一郎以来の「文章読本」の歴史をカルスタ的に分析した本である。カルスタと聞くと、文化の裏側に勝手に権力や階級の影響を読み取って、そのモデルを牽強付会的に正当化するというイメージを持つ人も多いと思うが、この本もその癖から逃れていない。

     たとえば、第2章の「階層を生む装置」では、文章読本には目に見えない階層構造が隠れれているといい、本多勝一氏の「日本語の作文技術」を槍玉にあげる。斉藤氏によれば、本多読本は文章読本の「民主化」を目指しているはずなのに、実際には「文学作品 > 新聞記事 > 素人作文」というヒエラルキーが隠れているという。このこと自体、本多氏が文中で明言しているわけではなく、本多氏の引用文の傾向から斎藤氏が勝手に読み取っているに過ぎないのだが、このくだりの決め台詞を読むともっと驚く。

   

もしも田中克彦のことば通りの文章をめざすなら、本多勝一は駄文の山の投書欄から草の根をわけても「名文」を探し出し、名文が目白押しだろう高名な文章家の著書からねじり鉢巻で<ヘドの出そうな文章>を発掘してくるべきだったのだ。たとえそれが、日常の読書感覚とは食いちがうことになったとしてもね。

     はあ? って感じである。じゃあ、草野球選手向けの野球の入門書を書くときには、プロ野球選手をお手本にしたらいかんのかね? 草野球の選手の中から草の根をわけても「名選手」を探し出し、好プレーが目白押しだろうプロ野球選手のプレーからねじり鉢幕で凡プレーを発掘しないと、野球選手のヒエラルキー化に加担してることになんのかい? そんなことをしたって、斉藤美奈子みたいなひねくれ者に変なつっこみを入れられない、という以外の何の意味がある?

     斉藤氏は、印刷言語が珍重されるのは「印刷言語至上主義」のせいだと言いたいらしいが、そうだろうか。むしろ、言語を印刷して流通させるにはコストがかかるという経済原理の要請にすぎないのではないか? 本来、印刷言語だから珍重されるのではなく、いい文章だから印刷されるというだけのことだろう。印刷されているのだからいい文章に違いない、というシグナリングはその副産物にすぎない。

     また、斎藤氏は、文章読本の著者は劇場型の印刷言語にしか相手にしておらず、手紙のような対面型の文章を無視していると言いつつ、その後で、野口英世の母シカの手紙を賞賛する文章読本を揶揄している。この例自体が、文章読本は手紙文を無視しているという主張の反論になっていると思うのだが、そのことはあっさり無視である。

   

        いっぽうでは技術の必要性を口を酸っぱくしていうくせに、野口シカの手紙といい、南極観測隊員の手紙といい、なぜ技術論を根底からくつがえすような文章が賞賛されるのだろうか。(中略)誤解をおそれずにいおう。シカのつたない手紙をありがたがるのは、珍獣を愛でるのと同じ発想なのである。つまりは差別の裏返し。    

     え~? じゃあ南極観測隊員も珍獣扱いで差別されてるのかい、というつっこみはさておくとしても、これは単純に、いくら技術があっても誠意がなければダメだって言いたいだけじゃないの? じゃあ、草野球で下手だけど一生懸命プレーした子供を褒めたら、子供を差別してることになんのかい? 

     また、先ほど書いたように、斎藤氏は本多勝一氏の文章のヒエラルキー化を批判しているにもかかわらず、「素人のエッセイは片腹痛し」という主張(これも本多氏が文中で明言しているわけではなく、斎藤氏が勝手に深読みしているだけだが)にはなぜか賛同していて、アマチュアの文章修行を揶揄している。

   

アマチュアの文章マニアは、なぜ片腹痛いのか。それは彼女らが、文章界のヒエラルキーを疑うどころか無批判に受けいれて、その内部での出世をいじましく画策しているように見えるからだ。組織の論理に忠実なサラリーマン的というか、小役人的というのか、つまり貧乏くさいわけ。こういうのにちょうどいい表現があったっけな。そうそう、奴隷根性、だ。

     じゃあ、草野球の選手がプロの真似をするのも、野球界のヒエラルキーを無批判に受けいれて、その内部での出世をいじましく画策する行為なのかい。この人は、庶民によりそうようなポーズをとっているが、実は庶民文化というものを根本的に理解していないようだ。だからこそ、こんな暴言も飛び出すのだろう。

   

アマチュアの強みは、プロの凡庸な文章作法をゲリラ的に破壊することにある。ところが彼らは、既存の階層構造を肯定し、その内側でのステップアップをめざす。ここに文章修行界のパラドクスがある。文章読本はプロの手になる印刷言語をお手本として提示する。読者はそこで「プロの技」を学び、いずれは自分もプロにと夢想するだろう。だが皮肉にも、その教えに従っている限り、プロのライターになるのはむずかしいのだ。

     つまり、草野球の選手がいくらプロのマネなんかしても、どうせプロにはなれないんだから無駄無駄、素人は素人にしかできない野球をしなきゃ、という発想であるが、この「いずれは自分もプロにと夢想するだろう」というのも、斎藤氏が勝手に決め付けているに過ぎないのである。プロの真似をしてはいけない理由が、それではプロになれないから、というのだったら、プロを絶対化しているのは斎藤氏のほうではないか。こういうのをマッチポンプと言うのである。

     さすがに自分の類型化が強引にすぎると自分でも気づいたのか、途中でこんなことも書いている。

   

こうしてみると、文章界のヒエラルキーは、単純なピラミッド構造ではなく、さまざまななじれやゆがみをふくんでいるように思われる。

    そんなの当たり前じゃん。それを無理矢理単純化しようとしたのはあんたでしょーが、と言いたくなるが、実はこのへんはまだマシな方である。

     第1章の「サムライの帝国」などは、文章読本の著者はみんな「ご機嫌」だといって茶化してみたり、有名な文章読本を派閥の対立抗争になぞらえてみたり、ほとんど芸能週刊誌のゴシップ記事レベルのつっこみである。こういうのも、作家や文壇の権威が確立している時代だったらそれなりに意味があったかも知れないが、今みたいな本音むき出しの時代に読んだってしらけるだけだろう。

     結局、この本で一番読みごたえがあったのは、第3章の「作文教育の暴走」であった。ここでは、いったん文章読本から離れて、明治以来の学校での作文教育の変遷を振り返り、改めて文章読本をその流れの中に位置づけている。自分が疎い話題のせいもあろうが、この部分は単純に勉強になって面白かった。

     ひょっとすると、前半部のつっこみ芸は、著者のサービス精神の産物で、この興味深いがとっつきにくい部分まで読者を引きずり込むための計算なのかもしれない。しかし、だとすれば、読者は相当になめられているわけで、そういう読者をなめたサービス精神は不快以外のなにものでもない。

     著者自身の文体論は、第4章の最後になってようやく出てくる。それは要するに「文は服なり」という言葉に集約されるが、この考え方自体には賛成である。ただ斎藤氏の場合、そういう風に考えれば、これまでの文章読本のヒエラルキー志向を打破できるかのように思っているふしがあるが、その見方は甘いと思う。

     斎藤氏は、ファッションの世界では「縦の序列」より「横の多様性」が重要になると考えているようだが、そんな単純に割り切れるはずがない。フォーマルにはフォーマル、カジュアルにはカジュアルの序列があるというだけのことであって、むしろ、文章の世界なんて目じゃないくらい残酷なまでに「カッコイイ」と「ダサい」に分けられてしまうのがファッションの世界ではなかったか。ファッションの歴史がカジュアル化の歴史だということと、縦の序列がなくなってしまうということも全然違うことであって、実際には、高級ファッションがカジュアル化して消滅するのではなく、カジュアルが高級ファッション化するのである。それは、ビンテージのジーンズが何万円もすること一つをとってみてもわかることだ。

     そういう意味で、いくらファッションになぞらえてみたところで、よりカッコイイ文章を求める意思というものが否定できるわけがない。もし斎藤氏がそう考えているとしたら、氏は外見より内面が重要だと信じる近代主義者だといういうことになろう。しかし、言うまでもなく、外見はときに内面と同等もしくはそれ以上に重要なのである。それこそがポストモダニズムの残した数少ない有益な教訓の一つではなかったか。

     そんなわけで、この本は文章読本のカタログとしてはそこそこ役に立つし、勉強になるところもあれば、幾分の卓見も含まれているのであるが、全体的に読んでいて非常にイライラさせられる本であった。これだけの学習能力のある著者なのだから、低次元のつっこみ芸に走らず、正面から研究対象に切り込んだ方がよいものが書けるのではないかと思うのだが、いかがであろうか。

    付記: 著者が最近の高橋源一郎氏との対談で「やっぱり教養は大事よね」みたいなことを言っていたが、これを読んでさもありなんという感じがした。こういう単純な世界観の持ち主だからこそ、簡単に反動化するのであろう。

付記: 「猫のあしおと・流」さんの批判にお答えしてちょっと補足

|

« 愛動物心、あるいは、公然動物虐待 | トップページ | P2Pと「インフラただ乗り」 »

書籍・雑誌」カテゴリの記事

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/67762/12067487

この記事へのトラックバック一覧です: 「文章読本さん江」さん江:

» 野球の歴史紹介 [私の稼げる情報・気になる情報]
TB失礼します。野球ファンでもいがいと野球の歴史は知らないことが多いと思います。野球の歴史にについてちょっとうんちくをかじってみませんか。 その他には・・・。 [続きを読む]

受信: 2006.09.30 00:21

« 愛動物心、あるいは、公然動物虐待 | トップページ | P2Pと「インフラただ乗り」 »