子猫殺し
坂東眞砂子氏が日経新聞に書いた「子猫殺し」というエッセイが、一部で話題になっているらしい。その内容の一部はこの記事などでも読め、これを読めば、だいたいどんな内容だったかは想像がつく。
まあ、ぼくはこの人の言いたい事もわからないではない。「きっこの日記」で有名なきっこさんは、
「これじゃあ、人間が、避妊してセックスするのも、避妊しないでセックスして、できちゃった子供を人工中絶するのも『同じこと』って言ってるワケじゃん。それどころか、こいつのやってることは、生まれて来た赤ちゃんを殺してるワケだから、人工中絶よりもタチが悪い」
と言っているけれど、まず、避妊と去勢は違う。避妊は快楽を奪わないが、去勢はセックスの快楽自体を奪ってしまうものであり、坂東氏はその残酷性を重視しているわけだろう。また、一部のキリスト教徒などのように、避妊は中絶と同じくらい罪悪であると主張する人だっているのであって、避妊が中絶よりマシという価値観に絶対的な普遍性があるとも限らない。 また、仮に里親を探せたとしても、その里親が坂東氏と同じように去勢をさせない確率は低いだろう。
そもそも、この問題を普遍的な正義という観点で論ずるには、猫自身の意思が問題になろうが、彼らが一生屈辱的な奴隷状態で生きるよりも尊厳ある死を選ばないとは誰にも言えないだろう。
もちろん、ぼくだって、子猫を殺すよりは、「お前セックスもさせられなくてごめんな~」などと偽善的なことを言いながら去勢手術をする方を選ぶに決まっているが、それは、正義感というより、ぼく自身が子猫を殺す自分とか死んだ子猫とかを見たくないからである。
(もし子供ができちゃって里親が見つからなかったら、「社会的責任なんぞクソ食らえ!」と言ってどっかにこっそり捨ててくるだろうね、ぼくだったら。それはそれで非難の対象になるんだろうけど、どうせ非難されるなら、そっちで非難されることを選ぶでしょう (^^)。それはまあ、ぼくの勝手な生命観みたいなものによるんだろうけど。)
そういう意味で、これは普遍的な正義と言うよりは、人間の主観的な価値観や快・不快の問題であり、坂東氏は、単に自分にとって少しでも快い方を選んだというだけのことなのだろう。そう考えると、ぼくは、坂東氏を声高に批判する人に対して、「クジラは他の動物と違って頭がよくて人間と友だちになれるんだから、殺して食べるなんて残酷だ」みたいなことを言う人と同じような独善性を感じなくもないのである。
少なくとも、普遍的な生命尊重主義からすれば、クジラは殺していいが子猫は殺していけないなどという理由はない。理由があるとすれば、それは、クジラは美味しく、子猫は可愛いということ以外にはないのであって、どちらも人間側の勝手な都合なのである。そして、彼女の場合、その勝手さが他の人とはちょっと違っているというだけだろう。そのことだけは一応指摘しておきたい。
ただ、坂東氏の決定的いやらしいところは、彼女は子猫を殺すのが正しいと主張しているのではなく、選択の問題にすぎないと言っており、なおかつ、自分の選択が大多数の人には不快なものであるということを知っていながら、わざわざ自分の選択をエッセイにして人に読ませているところである。
そこから、多くの人は、この人は選択の問題だと言ってるけど、本当は自分の選択の方が正しく他の人は偽善的なだけだと言いたいんじゃないのと思ったり、自分は一般庶民とは違うのだという旧時代の作家の自意識みたいなものを感じ取ったりして、反発するんだろうと思う。
だから、この人がどうしても子猫を殺したいのなら、エッセイになど書かず、自分の業を一身に感じながら一人でこっそり殺し続ければよかったのである。逆に、人間の根源的な偽善性みたいなものを告発したいのなら、筒井康隆氏の「改札口」とか「池猫」みたいな小説を書けばよかったのだ。ぼくはそういうわけで、この件を「重要な問題提起である」などと考える気はさらさらなくて、わざわざ人の嫌がることをしてみせるやなやつ、と思うだけである。
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