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哀れむ差別、批判する平等

 亀田問題については、当事者に対する毀誉褒貶とは別に、時代の変化みたいなものも感じる。やくみつる氏、勝谷誠彦氏など、亀田親子の礼儀や態度を批判する向きは多いが、たとえばこれが 30 年ぐらい前だったらどうだろう。

 30 年前、つまり、ぼくらが子供の頃はまだ、公立の小学校に行くと、みょーに汚い服を着てきたり、あまりお風呂に入っていないらしく、近寄ると体臭のする子供とかがいたものである。そういう子供に対しては、(子供同士のイジメとかはあっても) 少なくともタテマエ上は、汚いとか臭いとか言ってはいけないことになっていた。

 銭湯に行けば、身体中に派手な絵の描いてある (吉田戦車流に言えば「絵人間」) 人が、ぶっきらぼうな口調でいきなり話しかけてくることもあった。そういう人には、決して口答えせず、適当に話を合わせることになっていた。道端に汚い格好で座って、通行人がお金を投げてくれるのをひたすら待っている人もいた。そういう人に対して、「道端に座ってはいけません」とかお説教する人はいなかった。もちろん、なんとか狩りなどの獲物にする子供も。

 つまり、あのころはまだ、世の中には解決しようのない矛盾というものがあるという意識を、みんなが共有していた。したがって、そのような矛盾の犠牲者と見られる人に対しては、一般人と同じ常識を適用しないという暗黙のルールがあった。

 もちろんこれは、考えようによっては立派な差別である。しかし、社会に解決しようのない大きな不平等があるという認識のもとでは、その犠牲者を平等に扱わず、区別して扱うことこそが、より正義にかなっていると多くの人が考えたのだった。

(高度成長時代は一億層中流で、今よりもっと平等だったんじゃないの、とか思っている若い人。実際は、そんな単純な話じゃなかったんですよ。あの当時は、もっと歴然と差別されている人がいて、それ以外の人に限って建前上平等、というような社会だった。さらに言えば、その平等とされている人たちの間でも、はっきりと暗黙の序列みたいなものが決まっていたのです。それがそんなによい時代だったのか、知りもしないのに単純に憧れてほしくないですね。少なくともぼくは、今のほうがずっといい時代だと思います。)

 たとえば、「あしたのジョー」だって、明らかに年上の丹下段平や白木葉子に対して「おっさんよぉ」「あんたって人は」みたいなタメ口をきいていたわけだが、それを無礼だと批判する人はいなかった。もちろん、当時だってそういう行為自体は十分無礼だったのだが、無礼だと言うこと自体が無意味だという時代状況があったわけだ。

 このような時代だったら、西成区に育ち解体業を営むというあの人に対しても、多くの人が、自分とは違う世界に住む違う人種であり、自分と同じ常識が通用しなくても当たり前と思ったのではなかろうか。また、そういう人がひょんなことで有名人になったりすることがあっても、周囲の大人たちが緩衝地帯になって、そういう常識の違いによるボロが出ないようにしたであろう。 当時の有名人で、死後になってさまざまな奇行が判明した人も数多い。

 ひるがえって現代では、あのようなおっさんに対しても、多くの人が自分と同じ土俵に立っていると考えて批判しているわけである。これはある意味、世の中の人はみな同じルールの下で平等である、という意識の現れであるから、基本的には社会の進歩と言ってよいのだろうと思う。

 ただ、一つだけ気になるのは、本当に現代の日本社会は、それほど平等になっているのだろうかということ。解決しようのない社会の歪み、差別、不平等、みたいなものは、本当に無視できるほど小さくなったのか。

 たとえば、ぼくは自分が別に不幸だとは思っていないが、大企業やアカデミズムの世界に対するコンプレックスや僻みというものはいまだにあって、学者さんとかの非現実的な発言にムカつくことがある。終身雇用は日本が世界に誇るセーフティネットだ? じょーだんじゃねえ! そんなのは大企業だけに通用する話。中小企業でいくら終身雇用を標榜したって、会社自体がいつ潰れるかわかんねぇんだから意味ねえんだよ! そんなことすらわからずに、利いた風な口叩くんじゃねーよ、タコ! みたいな (^^)。

 ぼくは、詳しい事情がわからないから確たることは言えないのだが、あの親子やあの業界を批判する際にも、ひょっとしてそれと同じことをしてやしないだろうか、という想像力だけは持っておきたいと思うのである。

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