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続・子猫殺し

 坂東氏のエッセイについての続報。坂東氏のこんなコメントが出ていた。

タヒチ島に住んで8年。人も動物も含めた意味で『生』、ひいては『死』を深く考えるようになった。『子猫殺し』はその線上にある。動物にとって生きるとはなにかという姿勢から、私の考えを表明した。人間の生、豊穣(ほうじょう)性にも通じ、生きる意味が不明になりつつある現代社会にとって、大きな問題だと考えているからだ。(毎日新聞)

 つまり、単に嫌がらせではなく、信念をもって書いた、と言いたいらしい。

 しかし、どう考えても中途半端の感が否めない。彼女はこういう文章を書いて、いったい何がしたいのだろうか。

 まさか、自分以外の愛猫家にも、去勢や避妊をやめて子猫を殺せと言いたいのか。そんなのに実現性があるわきゃない。だって、猫を飼っている人は、猫が可愛いから飼ってるんだもん。それを自分で殺さなきゃならないんなら、そもそも猫を飼うのを止める方を選ぶでしょ。

 あのね、確かにペットを飼うということは、人間に対しては許されない「押し付け愛」を、動物を利用して実現するという行為でしょうよ。そういう意味で、これが自分の愛し方だ、という勝手な主張は、人間に対しては通用しなくても、ペットに対しては通用しないでもないでしょう。

 でもね、その「押し付け愛」がずっと「押し付け愛」のままだったら、どんなバカな飼い主だってしらけちゃうでしょ。だからこそ、それが少しでも「本当の愛」であると感じられるように、飼い主は日々努力しているのであってね。重要なのは、飼い主にとって、自分とペットとの関係が、主観的に「本当の愛」であると感じられるかどうかなんですよ。

 それとも、去勢や避妊をするか子猫を殺すかの選択権を、飼い主に与えろと言いたいのか。これならまだわかるけどね。要するに、ペットの愛し方は人それぞれ、みたいなコイズミさん的な主張でしょう。でも、それだけのことなら、わざわざ全国紙に人の神経を逆なでするような文章を書く必要はないはず。先に書いたように、みつからないようにこっそりやったっていいし、あるいは、飼い主によるペットの殺処分権みたいなオブラートにくるんだ主張をしてもいいんだし。

追記: なにげなく「コイズミさん的な主張」と書いてから、この問題の構造が、靖国参拝問題とちょっと似ていることに気づいた。つまり、どちらも、「死者」とか「動物」とか、自分の意思を表明できない対象に対して、勝手に「追悼の意」だの「愛情」だのをささげる人たちがいて、互いにどっちのやり方が正しいかと争っている、という構図である。こういう構造だと、当の本人の意見がないから、わりと主観で押し通せちゃうんだよね (^^)。だから、理性的に合意に至ることが難しい。ぼくは、どっちも、相手のためでなく、自分のためにやるんだと考えた方がいいと思いますけどね。

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