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怪しいものではありません

 松本人志さんという人のいうことにはしばしば感心させられるが、先週 (先々週かな?) の「HEY!HEY!HEY!」でも名言があった。ゲストの小林麻央が、「わたしよく鼻が詰まってるって言われるんですけど、ホントは詰まってないですから」みたいなことを言ったとき、松っちゃんが「鼻が詰まってるか詰まってないかを決めるのは、そっちじゃなくて、こっちだから」とピシリ。さらに、「よく、私は怪しいものではありませんとか言う人がいるけど、怪しいか怪しくないかを決めるのはこっちだから」とバッサリ。

 念のために勝手に補足させてもらえば、これは「本当に悪人か悪人でないかは、周囲の人間が勝手に決めることじゃない」という命題と表裏一体のものとして解釈すべき命題である。言い換えれば、「悪さ」は客観的に判定すべきだが、「怪しさ」はあくまで主観の問題なのだということだ。

 たとえば、日本には、「黒づくめの覆面を着て出歩いてはいけない」というような法律があるわけではないので、どんな格好をして歩いても自由と言えば自由である。しかし、それを見た人がどう思うかだって、当然のことながら、見るほうの自由なのであって、そんな格好をしていれば、怪しい奴と思われても文句は言えない。もちろん、「怪しい」からと言って、殴ったりするのは法律的に許されないが、友だちにならないとか、法律的に許される範囲で「非好意的」に遇する自由はあるわけだ。だから、分別のある人は、よほどの理由がない限り、わざわざそんな格好はしないわけである。

 もちろん、相手が家族や友人だったら話は別で、逆に、知り合いなのに見かけだけで怪しいと決めるなんて薄情だ、ということになるだろう。しかし、そういう信頼関係のない相手に対して、見かけを無視してどんな格好をした人をも平等に扱えなどと要求するのは無理な話というものである。そんなことが可能だったら、制服やファッションなどというものは、とっくに世の中からなくなっているはずだ。

 ちなみに、この服を着ればぜったい怪しく見えない服、などというものが完成することもありえない。なぜなら、そんな服ができれば、怪しい奴はこぞってその服を着るようになるから、じきに、その服こそが一番怪しいということになるに決まっているから。つまり、怪しく見えないような格好をするのだって、けっこう個々人の日々の努力のたまものなのである。一番簡単な方法は、多数派に合わせること。だからこそ、服装には常に流行があるのである。

 また、その覆面が親の形見なので、親の命日にはどうしても着用したいとか、これを新しい革命的なファッションとして流行らせたいとか、何かしら特別な理由があれば、絶対にダメとは言えない。しかし、あえてそういうことをするからには、事前に周囲の人に事情を説明しておくとか、怪しい奴と思われてもいい覚悟をして着続けるとか、それなりの努力が必要なわけである。

 なぜ今日になってわざわざこんなことを書くのか、勘のいい人だったらすでに気づいていると思うが、残念ながら、勘のよくない人にもわかるように説明するほどの時間はない。悪しからず。

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