« 既視感 | トップページ | 友だち関係に登記はない »

オヤジがオヤジギャグを言う理由

 世の中、気づいている人はみな気づいているが、おおっぴらに口に出して伝えられることが少ない知識というのがある。ぼくはあきれるほどニブいところがあるので、そういうことに一人だけ気づかないことが結構多い。インターネットのおかげで、そういう一種の暗黙知を人に尋ねなくてもこっそりおべんきょーできるようになり、かつてほどは不便さを感じなくなったものものの、それでも時折、何でオレは今までこんなことに気づかなかったのかと思って突然一人で赤面することがよくある。

 オヤジがなぜオヤジギャグを言うか、というのも、おそらく、まともな感性をもった人であればとっくに気づいていることであろうが、ぼくはなんと今日になってようやく気づいたので、ここに書きとめることにする。

 若者というのは、若者的な感性でしか物事を見れないので、オヤジになると感性が鈍くなってオヤジギャグしか言えなくなると思っている人が多いのではないだろうか。ぼくも正直、若い頃はそんな感じで考えていて、もちろん、そういうところもなくはないが、この見方は正確ではないと思う。

 むしろ、問題は知識の共有である。お笑いに決定的な理論はないようだが、笑いにとってコンテキストの共有が重要であることは論を待たないだろう。オヤジと若者では、まずこの共有されている情報が違うのである。これについても、若者は、オヤジは時代の流れについていけないと思いがちだが、これも必ずしも正しくない。むしろ、歳をとると情報に対する興味の方向性が変わってくるのである。

 一番重要な違いは、若者と言うのは濃密な人間関係を好むが、オヤジは必ずしもそうではないということである。したがって、若者は友だちが知っていることは自分も知ろうとする傾向が強いが、オヤジになると自分の知りたいことだけを知っていればよいと思うようになってくる。

 その結果、若者から見た世界では、自分が面白いと思うギャグは若者には必ず通じるが、なぜかオヤジには通じないというふうに単純に認識される。一方、オヤジから見た世界では、自分が面白いと思うギャグは最初から一部の人にしか通じず、その通じない人の中に若者も含まれるという感じになるのである。

 そういう認識のもとでオヤジが若者にギャグを言おうと思うと、自分の中にある知識の中で、若者と共有できる部分を意識的に探し出してギャグにするという形になるが、オヤジが持っている若者と共有できる知識などというのは、若者から見れば所詮ホットでもディープでもない知識なので、最初から面白いギャグにはなりようがないのである。

 もちろん、オヤジ自身だって、そのことに気づいていないはずはない。しかし、オヤジというのは狡猾なので、たとえギャグ自体はつまらなくても、自分が若者に対してギャグを言おうとしているという姿勢が伝わればいいやとか、オヤジギャグを馬鹿にされること自体もコミュニケーションのきっかけになるとか、そういう姑息な考え方をして開き直るわけである。

 若者諸君。オヤジギャグしか言えないオヤジをゆめゆめ馬鹿にすることなかれ。そういうオヤジは、実は君達を子供扱いしてわざと程度の低いギャグを言っているだけで、内輪の場では、若者にはとうてい理解できないようなディープなギャグを連発して笑い転げているのかもしれないのだ。。。ホントか (^^)? 

|

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/67762/11693714

この記事へのトラックバック一覧です: オヤジがオヤジギャグを言う理由: