« 大江戸線の怪 | トップページ | ウルトラマンが見たニッポン »

人が人を評価するということ

 ぼくは滅多にそういう場所には行かないのだが、先日珍しくもある翻訳業界団体の研究会に出席した。そのときの講師がけっこう辛口の人で、「こんな翻訳者はウチにはいらない」みたいなことをバシバシ言うものだから、いっしょに言った若手の翻訳者の方々は、かなり気分を害していたようであった。

 もっとも、ぼくぐらいの歳になると、どんな「偉い人」の言う事でもやや斜めから聞いているので、「あ、そう。あなたはそういう考え方なのね。それはそれでいいんじゃないの」ぐらいにしか思わないのだが (^^)、自分だって、二十代で翻訳者志望で業界の「偉い人」からあんなこと言われたら、やっぱりかなり傷ついていたのだろうと思う。そこで、その人の言っていたことの是非について、ちょっとコメントしておきたい。

 たとえば、その人は、履歴書の趣味の欄に「アロマセラピー」とか「ワイン」とか書いている人はだいたいダメ、みたいなことを言っていて、これは偏見といえば偏見そのものである。しかし、そういう偏見は一切排除すべきなのか、というと、ぼくは必ずしもそうは思わないのである。なぜかというと、そこには、人が人を評価するということの本質的な困難があるからだ。

 もちろん、理想を言えば、人を評価するときには、あらゆる偏見を排除することが望ましい。しかし、現実的には、人を正確に評価しようとすればするほど、時間とコストがかかる。特に、ビジネスの現場では、その正確さとコストの間にはトレードオフの関係があるので、ほどほどの正確さで妥協することの方が、むしろ合理的なことが多いのである。

 世の中、その手の常識的な評価というのはいろいろあって、たとえば、服装がだらしない人は使えないとか、机の上が汚い人は仕事ができないとか、いろんなことが言われる。そしてその多くは、おそらく、統計的にはある程度正しいのである。

 もちろん、統計的には正しいということは、例外もあるということだ。しかし、現実問題としては、個別の例をいちいち検証して、例外かどうかを見極めるなどという作業は、コスト的に割があわないことが多いのである。

 もちろん、このような考え方は、差別につながる可能性もあるので、注意深く適用しなくてはならない。特に、女性は○○だとか、なんとか人種は○○だとかいうデータは、たとえ統計的な根拠があったとしても差別につながるので、注意深く利用しなくてはならない。

 しかし、だからといって、常にあらゆる予断を排除して、個々人の真の姿を正確に見極めるなどということは、実は、人間に可能なことではないのである。

 ぼくはけっこう原理主義者的なところがあるので、若い頃は、差別や偏見を絶対にしないようにと思いながら行動していた。しかし、実際に同じようなことをやってみた人ならわかるはずだが、こういう行動は、実はけっこういろんなトラブルを引き起こすのである。

 もちろん、ぼくは自分の責任の範囲でやっていたから、そういうトラブルの結果も自分で引き受ければいいと思っていたので別に平気だった。しかし、組織のために働いている人がそういうトラブルを被れば、自分だけの問題ではすまないのだから、そういうリスクを回避したいと考えるのは、ある意味当然と言える。

 というような前提を受け入れたとすると、残る選択肢は二つしかない。自分はあらゆる人を公平に評価しますよと口ではいいながら、実はご都合主義でそ知らぬふりをして偏見を交えた評価をするか、それとも、自分の評価能力には限界があることを認めた上で偏見を交えた評価をし、その評価に対する責任を引き受けるかである。そしてぼくは、後者の方が人間として誠実な態度だと思うのだ。

 そういう意味では、その講師はそういう見方があくまで自分だけの見方であるということを明言していたので、ぼく的にはそんなに悪印象を持たなかったのだった (別に、某団体をヨイショしているわけではない。というか、実は普段は悪口ばっかり言っていたりする (^^))。私の経験から言えば、むしろ、自分は人を見る目があって絶対に評価を間違えない、とか思っている奴の方がはるかにタチが悪いことが多いと思う。もっとも、その人といっしょに働きたいともあまり思わなかったけれど (^^)。まあ、ああいう人と働くのがイヤなら、また別のビジネスチャンスを探せばいいじゃん、という感じである。 それこそがリベラルな社会のよさなのだから。

|

« 大江戸線の怪 | トップページ | ウルトラマンが見たニッポン »

哲学」カテゴリの記事

社会」カテゴリの記事

翻訳」カテゴリの記事

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/67762/10967179

この記事へのトラックバック一覧です: 人が人を評価するということ:

« 大江戸線の怪 | トップページ | ウルトラマンが見たニッポン »